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・今年の母の日は5月10日です,まだ間に合います

 先週くらいからやろうやろうと思っていた話だったんですがずっと忘れてた,ぼくは就職以来(いまは無職ですが)まいとし母の日と母の誕生日には必ず贈り物をするようにしていて,べつに理由とかがあるわけでもなく「なんとなく習慣にしようと思ったから」なのですが,まだ親が存命されているであるとか,親子関係がべつに歪んでいないとかであれば,母の日・父の日はぜひ利用してみて欲しいですね。今日注文するとギリギリアウトかもしれないんですけど,まあ1日2日遅れたからって何も言われんでしょう。ぼくは年賀状を2月に出してビビられたことありますが。


 こういう記念日って商戦が組まれて町中がそういう話題で染まるので,意識しなくても目に入りますし,ふだん照れくさくてそういう贈り物とか感謝の気持ちとかちょっと……って人でも,なんかみんなやってたからやってみました~,理由はないです~ってシラを切って贈り物が出来ます。

 親孝行したいときには親はなしという名言もあるので,一度もやったことがない人は一回やってみるといいかもしれません。一回目でクソみたいな反応が返ってきたら二度とやらなきゃいいだけですし。ほんでもって習慣化するとちょっとした時にちょっとした贈り物をしやすくなりますし。


 いっぽうで,いつか話したかもしれないんですが,僕は一部の親類に対しけっこうな憎悪を持っているため,「たった一人の親だから…」みたいな言い方はしません,あくまで両親が「良好な人間関係にある相手であれば」贈り物をしてみてはいかがでしょう? という提案です。バレンタインデーとかとあんま変わらんです。親がいない人もいるでしょうからそういう人をいちいちケアするのもだるいのですが,何か別の記念日に仲がいい人に贈り物をしてみてくださいね。

 贈り物は換金性が高い物か,消え物がおすすめです(趣味に合わないものを贈っても最悪困らないため)。ぼくは今年はお菓子のセットを買いました。去年もお菓子のセット,一昨年も,その前もずっと……お菓子ってちょうどよい高級感を選べるから楽なんだよな~……。甘いものNGって人だったら,お酒でも肉でも,「ふだん食べてそうなもののハイグレードな品」を贈ると選択に悩まないし,間違いがないし,かつそこそこ喜ばれると思います。ぜひ試してみてください。

 結婚式の引き出物とかで出てくる,値段分の商品が自由に選べるギフトカタログみたいな奴もあるんですけど,あれはもらった人が選び疲れしちゃうので,誰が受け取るのかわからない引き出物用って感じですね。


 そこそこの近縁にいる人が好きなものまではわからなくても,「普段何してるのか,何喰ってるのか一切わからない」ということはないと思うので,選ぶのも楽しみと思って試してみてくださいね。楽天とかのランキングの上の方から適当に見るとかで全然構わないので,だれかのことを考えながら贈り物するのって楽しいですよ。値段も自分が出せる範囲で無理がないものでよいと思います。こういう言い方って陳腐ですが「贈り物をしたい」と思って実際に選んでお金を払う,という行動がけっこうやってみるとハードルが高いので。

https://www.izumo-matcha.com/fs/izumomatcha/1000002001

 まじで母の日業界の回し者みたいになってきたんですが,僕は今回これを頼んでみました。理由は母がよく抹茶スイーツの話をしており,たぶん喜ばれるんじゃないかと思ったからです。

 それまではルタオとかスナッフルズとかヨックモックとかマジドショコラとか自分が食べておいしいと思ったものであるとか,よくネットやTVで評判を聞いていて多分外さないだろうというものを贈っていました。適当に選んでいるので同じものを贈ったこともあるかもしれない。でも適当だな~ってとこも含めて贈り物だと思うので。なんなら「自分が好きな食べもの」を贈りつけてもいい日だと思っています。長くなっちゃったな~。本質的にマザコンなんです。



・あれは自分かもしれない

 さいきんテレビとかインターネットとかで自粛ムードなのに誰々が何何をしていた! みたいな話が取り沙汰されるようになりましたね~,目的と手段とが逆転している(目的があっての自粛なのに,自粛自体が目的になりつつある)とは思うのですが,それ自体はさておき。


 人間,というと主語がでかすぎるんですが,僕とかは評価体系がやっぱりぶっ壊れており,目先にでかい利益や快楽があったらぜったいそれを優先してしまうんですよ。その先のことをいちいち考える余裕もなく。

 前にブログで書いたかもしれないんですけど,何度も麻薬に手を出しては捕まっている田代まさしさんを僕は揶揄したり笑ったりできないんです。あれは「僕だったかもしれない」から。最近の緊張感の中で「僕だったかもしれない」事件の話が本当に増えたと思います。GWも明け,明日からいよいよ限界まで高まった自粛ムードの堰が切れたかのようにさまざまな業態がゆるやかに動き始めてしまいます。そうなったときに「僕だったかもしれない」人たちは爆発的に増えてしまう。快楽を知っている人が快楽に溺れることって正常な反応だと思いますし,理性だけですべてを抑えつけられるほどみんながお利巧さんだったらインターネットって存在してないと思いますし。


 とはいえ,自分が信号を待っている目の前で信号無視してる人とかは,明確に「僕ではない」んですよ。自分はルールを守っている状態でそこに在るわけですから。でも自分がいない場所での出来事って,すべてが「僕だったかもしれない」可能性があると考えると,バカにしたり怒ったりできないなと。

 パチンコ屋だってそうです。たまたま自分がパチンコを打つ趣味がなかっただけで。キャンプとかクラブとかぜーんぶそう。僕はゲームセンターが開いたらリスクを承知できっと行ってしまうでしょう,その時に「僕だったかもしれない」側が「やってしまった」側になる確率は爆発的に上がります。


 ちょっとしたボタンのかけ違いとか,ほんのちょっとの誘惑が重なったときに我慢できなかったとかで,叩かれる側になるリスクはずっとあると思っていて。何ならもうやってしまっているかもしれない。そういう,爆発するかどうかわからん爆弾をずっと持ってる中で,他人の行動を愚かであると断じるほど僕は賢く生きれてないんですよ,っていう話は,結構してますね……(もう書いててこの話何回目だって思っちゃうし)

 もちろん上でちょっと言ったけど全く他人の行動を気にしないっていうのも無理だし,僕自身気が立ってるときってめちゃくちゃ他人に厳格になってしまうし,そういう怒りとか不平不満の渦が全体を律する部分はあると思うので(社会的な正しさの形成で社会って成り立っているので)まあ別に直接自分に害があることじゃないなら気にしない方が・・・とかいうとあらゆる他人の行動って最終的には自分に絡んでくるので落としどころが難しいっちゃ難しいんですけど・・・


 ま,そんな感じで自罰的すぎるのもよくないけど他人の行動を監視しすぎるのも気苦労が絶えないよ~,みたいなのはあると思うんで,バランスとって楽しくいきましょ!

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Comments

モスー

 しかし特に考えなしに発言したけど流通とかも今ってまあまあ大変な状態だからみんな通販つかお~って気軽に言うのもはばかられる状態だったりするのかな