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15:汚染されし心 ――同時刻……礼拝堂。 「うっっっ!! くっっっ……」 「母様っ!! 大丈夫ですかっ!? まだどこか痛みますか?」  意識を失っていたマドレアは数分の意識混濁を患った後再び唸り声とともに体を起こしフラフラと立ち上がった。  時間にして数分……。大した介抱も出来ずアタフタとしていたマリナとエリシアの交わす声を聞いてか、マドレアは目を覆う布に手を当てながらユラリと体を起こしていく。 「エリ……シア……? そこに……居るのですね?」  体を起こして最初に放った彼女の言葉は冷気のように冷たく機械のように無機質な低音の声をしており、駆け寄ろうとしていたエリシアとマリナの脚を一瞬躊躇させる。 「か、母様?? あの……」  立ち上がった母親の身体にただならぬ妖気を感じ取ったエリシアは、足を踏み込んで前へ進もうとしていたマリナの前に手を掲げ“それ以上前へ出ないように”と無言で警告を出す。 「不老不死の霊薬を……完成させなくては……いけません。ラフェリア様の為……主様の為に……霊薬を……」  立ち込める濃紫色の妖気と威圧的な低い声……。 エリシアはそこで気づく……自分の母親がまた……ラフェリアの支配下に置かれてしまったという事象を……。 「母様! 気をしっかり持ってください!! エリシアはここに居ます!! チャームなんかに負けないでっっ!!」  声の変調と禍々しい妖気……それがチャームに犯された母親の姿であると認識はしているが、エリシアは一縷の望みをかけて声を響かせる。母親の僅かに残っている意識体に語りかけるようにその声を……。 「エリシア……貴女も捧げなさい……。我らが主……マルカス様の為に……血を……汗を……涙を……捧げなさい。さぁ!!」  語尾の強まりにマドレアの妖気が爆発するように大きく膨らむ。エリシアの声はもう届いてなどいない。娘の声よりもラフェリアの声無き声に彼女は支配されている。 「母様っっ!! 敵はラフェリアです!! マルカスだって死に値すべき敵なんです!! 一緒に戦いましょう!! 一緒に……」  エリシアが必死に母親の良心に訴えかける言葉を伝えようとするが、彼女の言葉は虚しく空を切るようにことごとく無視される。 「エリシア……貴女は……協力するのです。我々の理想の為に……。我々の…………」  そうこうしているうちにマドレアの体が小さく左右に揺れ始め、やがてその揺れる早さが尋常ではないスピードに変化し始める。  そして言葉を言い終えると同時に揺れていた残像の一つが消え、エリシアの視界からマドレアの本体が残像を残して消え去ってしまう。  その残像を未だ本体であると錯覚してしまったエリシアは、彼女の背後に回る気配に気づくのに一瞬の遅れを生んでしまう。 「永遠のためにっ!!」   ――ブスッ!!  気づくのに遅れてしまった代償は……背中に突き立てられたナイフの傷だった。  一瞬気配に気付けなかったが、刺される瞬間に気付けたため危機回避のために斜め前方にステップを切った為致命の一撃を受けるには至らなかった。しかし……背後から正確に心臓を狙いに来たそのナイフの切っ先は、僅かに傷を横にずらしただけでエリシアの横腹に深い傷を負わせてしまう。 「くはっっ!!? うくぅっっっ!!」  ナイフが刺さったままの横腹……そのナイフの刺さった激痛たるや筆舌に尽くしがたい。エリシアはすぐさまそのナイフを自分で引き抜き後ろ手に傷を隠してマドレアの方を向き返る。 「大人しく……我が……霊薬の糧となりなさいっっ!! エリシアぁぁ!!」  ナイフを失ったマドレアは次の攻撃を仕掛けるために両手を左右に広げ人語ならざる呪文を詠唱し始める。  広げた手のひらに大気中の空気が集められていくのが視覚的にも確認できる……そしてその集められていく空気の気温がとてつもなく低くなっている事も冷気の粒の大きさで判断がつく。 「エリシアさんっっ!! 大丈夫ですかっ!?」  あまりに瞬間的な一戦であったため目も意識も追いつかなかったマリナだったが、背中に刺さったナイフとエリシアの苦悶の表情を見てその一戦が彼女を危機的状況に貶めていると悟り咄嗟に駆け寄ろうと体を前に出そうとする。 「だめっ!! マリナさんっっ!! 下がっていてくださいっっ!! 彼女はもう……先程までの母様ではありません!!」  近寄ろうとするマリナの足を止めさせ、自分も手を前に掲げて自衛の呪文を唱えようと口を開く。しかしその言葉が出る前にマドレアの詠唱が早く終わりを迎え彼女への痛烈な一撃を容赦なく放つ。 「精霊奥義……“零槍水芭蕉”!!」  広げた左右の手のひらに集まった冷気が細く鋭い氷の槍を無数に形作りそれらが詠唱の終と共に一斉にエリシアの体めがけて放たれる。  1本1本はさほど大きくはないが、その迫り来る槍の数はもはや吹雪の雪粒を数えるが如く目ですら追うことも出来ないくらいに多い。エリシアに向けて放たれているといってもその放たれている範囲は広く……体を横に飛ばして逃れようとしても逃れきれない。  エリシアは迫り来る氷の槍の吹雪に瞬時にそれを悟り、詠唱しかけていた呪文を諦め先ほど抜いたナイフを横に構え身構える。そして氷の槍の中でも自分に致命傷を与えそうな数本に的を絞りそれにむけてナイフを振って撃ち落していく。 ――グサッ! ブサ、グサ、ブシッ!!  当然のことながら高速で降り注ぐ無数の氷の槍を全て打ち落とすことはできない。腕、脚、横腹、肩、胸横など次々に刺さったり掠って傷を負わせたりとする中、致命傷になりやすい顔や頭、胸の中心から腹部に至る部位はどうにかナイフの防御で撃ち落とせてはいる。  とはいえ、マドレアの放った槍が最後の一本になる頃には衣服はズタズタに切り裂かれ、腕や脚には槍が刺さったまま……そして全身に切り傷を負い全身が血まみれの状態で終わりを迎えているため立っていることも不思議なくらい……今すぐにでも膝をついて崩れ落ちてしまいそうな状態までエリシアは追い込まれてしまう。 「エリシアさんっっ!! 大丈夫ですかっっ!? エリシアさんっっ!!」  痛々しい彼女の姿をマリナは直視できない。せめて傷だけでも治してあげたいと思ってはいるが、魔法もなにも使えない自分にその術はなく……かえって邪魔にしかならないと自覚しせめて自分の身だけは安全に保ち心配をかけないようにと参列用の椅子の下に隠れ声だけは彼女にかけて様子を伺う。 「だい……じょうぶ! これくらい……なんとも……」  マリナの心配する声に強がる言葉を返そうと喉に力を込めようとするが上手く力が入らない。  脚はガクつき、腕は震え言う事を聞かない。体中が切り裂かれた痛みと熱さを孕み気を抜けば力が抜けてしまいそう…… 「まだ血が足りません……。エリシア……もっと……血を! もっと血を流すのですっっ!!」  立っているのがやっとの彼女に対して一切の母子的感情が消し去られたマドレアが手を再び左右に開く。  再びアノ呪文を放つつもりだという事がエリシアにも緊張として伝わる。 「もっと……血を! もっと……」  次にあの槍吹雪を食らえば……身を守れる自信はない。  かと言って防御の魔法を展開するには時間がなさすぎるし……何より魔力が足りない。  八方塞がり……。 エリシアの頬に血と汗が垂れ流れていく……。 「母様……次はもう……避けられる自信はありません! 放たれれば私は……死んでしまいます!!」  苦し紛れに良心に訴える言葉を伝えてみるが、マドレアの詠唱は止まらない。  手のひらにはあの氷の渦が徐々に形成されていくのが無情にも見せ付けられる。  弓は聖堂の端に置いてあり手が届く場所にはない。  魔力は尽きかけていて魔法による防御も攻撃も扱えない……  あの詠唱が終われば万事休す……この傷付いた体では今度こそ命を奪われかねない。  詠唱を止める手段はない。あと数秒後にはあの氷の槍が…… 「っっ!? ナイフが……光ってる!?」 絶望に立ちすくんでいたエリシアだったが、手元が妙に明るい光を放っていると違和感を感じ先ほど横腹から抜き去ったナイフに視線を移すと、そのナイフの刃は見覚えのある色に鈍く光り始めていたことに気付く。 「このナイフ……まさかっ!?」  つい先程まで見ていた青白い光り……。それはレファが持っていた水晶が発していた光り……。 この場所へ導いてくれた光であり、ラフェリアの魔力が使われた時に同調して発する魔道具の片割れ……。 そう……あの時ラフェリアに突き立てられたはずのあのナイフだ。レファが彼女を逃してしまう直前に突き刺したあのナイフ…… 「確か……レファさんが言ってた! このナイフは刃の部分が……」  淫魔の血を……淫魔のマナを凝固させる作用を持つ…… 「水銀製の特別な刃っっ!!」 それを思い出した瞬間、エリシアには一つの希望が見出される。 母親は確かに淫魔の魔法であるチャームに操られている。それはつまり淫魔のマナを継続的に浴びせられているという事に他ならない。 ラフェリアの得意技である遠隔搾取……それを応用しての遠隔支配がこのチャームだとするならば、このナイフは突き立てれば掛けられた淫魔のマナだけを取り除くことができるはずだ。 母が淫魔に乗っ取られているわけでも受肉したわけでもないわけだから血が固まることもない。マナだけを排除することができるはずだ……。刺すことさえできれば……母親を正気に戻せるかもしれない! 「精霊……奥義……」  そうしている間にマドレアの詠唱は終わりを迎えていた。  後は放つだけ……迷っている時間はない。  エリシアは痛む脚に力を込め、力いっぱいに地面を蹴って母親との距離を詰める。  後、数メートル……2メートルも距離はない……しかし。 「零槍……水芭蕉っっ!!」 マドレアの詠唱の方が数コンマ早く終えてしまった。 手を伸ばし、必死に切っ先を突き立てようとナイフを前へ出し飛び込むように地を蹴るエリシアだが、そんな防御体制も取れない彼女に無情にも氷の槍は放たれてしまう。 後、数センチ……。 体に氷の槍を全身に受けながらもエリシアのナイフはなお母親の肩をめがけて突き立てられる……。 あと……ほんの……数センチ……。 次々に体中に刺さる槍の痛み…… エリシアの意識は……その数秒後に失われてしまう。

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