アームバインダーとモデル体験 (Pixiv Fanbox)
Published:
2021-03-11 20:09:29
Edited:
2022-05-15 05:08:13
Imported:
2023-08
Content
「……どんな感じ?」
スズの上半身は自由がなかった。
白のブラウスと黒のワンピースのコントラストを纏う華奢な容姿を紅い麻縄が無常に縛りつけているからだ。
背中で組んだ両腕。重なり合う細い手首には紅い縄が絡みつき、複雑に作られた菱形の縄目に吊り上げられてしまっている。
「えーっ……と……」
それだけではない。
胸の上下を圧迫する紅い縄が両腕を胴体と繋ぎ止め、スズの羞恥心を煽るようにおっぱいを強調していた。
――後手縛り。
隣でカメラを携えるサオリがスズに施した緊縛術。江戸時代辺りから日本人の手によって考察、考案され続けてきた捕縛用の技術だが、現代社会で用いられる緊縛術は芸術やSMなどの特殊な嗜好の影響を強く受け、色欲というテーマに関与する娯楽の形へと変貌していた。
海外でもジャパニーズボンデージと呼ばれ、世界的に注目されている拘束手段といえる。
「……なんか、すごい、です」
縄から伝わってくる情報量が多すぎて、スズの語彙力が、喪失する。
縛られている最中も、縛り終わった後も、縄が肌に擦れる感触というのは不思議なくらい焦ったく、気持ちの良い刺激に苛まれるのだ。
適度な締めつけが与えてくる抱擁が謎の高揚感をもたらしてくる。微熱がかったようにスズの身体は火照り、僅かな縄の軋みにも敏感になってしまっていた。硬くなった乳首が服に擦れてしまうたびに恥ずかしさが増していく。
「キツかったり、痛いところとかない?」
「……大丈夫、です」
サオリの流れるような縄捌き。縄士のような手際の良さをぼーっとしながら眺めているだけで、スズを緊縛する後手縛りは完成していた。
ギシ。ギシ。
縛られていく自分の身体があまりにも扇情的で悲哀な様相を晒しだしていたから、恥ずかしさにかまけて意識的に見ないように目を閉じたりしたもしていたから尚のこと縄の感触を深く感じてしまった。
ギシ。ギギッ。
縛られる経験は初めてだったし、内心どこか不安だった。だが、実際に緊縛されてわかったことがある。縄に縛られる感触は、不安を忘れてしまうほどの底知れない安心感がある。
自由を奪われていく過程に芽生える相反した感情なのだが、不思議とスズは縄の感触を受け入れられた。
「痺れてきたり、痛みがあったらすぐに教えてね?」
「わかりました」
それはきっと、緊縛を施したサオリがスズの体調を考慮してくれているからかもしれない。
もし、サオリに乱暴に縄で縛られ、無理やり身体の自由を奪われていたなら、スズは不安と恐怖に苛まれて一生のトラウマを抱えていただろう。
だが、様子を見ながら丁寧に接してくれるサオリの献身さはスズの好奇心を壊すことなく、裏の世界へと導いてくれたのだ。
「あ、もしかして……縄に縛られて感じちゃってる?」
「ち、ちがいますよ!」
「そう? 白い頬っぺた紅くしながら口角が上がってるから、スズちゃん悦んでるように見えちゃった」
「……ば、バカ言わないでくださいッ!」
サオリの冗談に過剰に反応していることにスズは気づいた。自分が図星であることをサオリに理解させられてしまったのだ。罠に嵌った。急に首筋から熱が発しられて、蒸気したみたいに顔に熱がこもっていく。めちゃくちゃ恥ずかしい。
「じゃあ、撮影始めるから自由にしててね」
サオリは手慣れているのか、切り替えが早い。
自由に。と言いっていたが、後手縛りに緊縛されたスズの上半身に自由はない。サオリがスズに伝えたかったのは「リラックスしてて」という意味だろう。完全にスズの気持ちを見透かされている。
「————」
カシャッ。カシャッ。
カメラのシャッター音とフラッシュライトがスズに向けられる。
緊縛モデルというものがどんなものかいまいち理解してなくて、あっちを見たり、こっちを見たりする。
カメラのフラッシュライトが眩しくて、ソワソワしながら縛められた上半身を揺すったり、肩を回したり、背中で組んだままの両手に力を込めてみたり、スズは気の赴くままに白いベッドの上で後手縛りを堪能する。
「んっ……ぁ、……っ」
ギシッ。ギギッ。ギチッ。
縄が軋む。
少し動くだけで部屋中に縄の音が響く。
カメラのシャッター音に負けないくらい大きい。身体だけでなく、鼓膜までも縄に刺激されてしまってる。
ズルい。こんなの感じないほうが無理だ。
「ッ……」
縄に縛められ無力感を噛みしめるだけでも恥ずかしいのに。縄が強く鳴くたびにスズが囚われの身であることを強調してくるみたいで呼吸が熱くなってしまう。
「うん、いいね。すごくいい」
サオリはそんなスズの動きに合わせてカメラのシャッターを切り続けていた。
女の子座りで緊縛された不安そうに俯く少女。
布団に仰向けに転がりながら、縄に締めつけられ、胸を苦しそうに上下させる囚われの少女。
うつ伏せに足を伸ばし、複雑な縄目に縛められた後手を晒す無力な少女。
スズが姿勢を変える。
サオリが写真撮る。
ただそれだけでいくつものストーリーが一枚の写真に収められていく。
経験の浅いうぶな少女であるからこそ、スズの緊縛された姿は儚げで、悲哀に満ちた愛しさが感じられる。縄に縛められたスズの姿をカメラに収めるたびにサオリの指先は興奮に震えた。
「そういえば、スズちゃんは大学生なんだよね?」
「そうです……けど?」
スズは今年から大学に通っている。だが、そんなスズは周囲の人から中学生や高校生に間違われることが多い。
それは、スズが童顔であり、背丈も低いことが原因だった。私服なども個人的なこだわりを捨てきれず、清楚で純粋さを表現するようなシックで落ち着いた色を好むため、スズの佇まいにはお嬢さまのような気品が溢れ、童顔と相まって未熟な幼さも見てとれる。
その儚さが大学で一目置かれ、スズの知らない場所でファンクラブが作られているのは当人の知らないところだ。
「実はね。たまに年齢を偽ってくる子もいるから、そういう子にはお仕置きしてるの」
「お、お仕置き……ですか……?」
「そう、お仕置き」
「それって……どんな……?」
一から十まで献身的なサオリがお仕置きをしてくる場面がスズの脳裏に浮かび上がって来る。
緊縛された上半身に、背後から抱きつかれて、硬くなった乳首を摘まれながら、耳元であらぬ言葉を囁かれてしまったり。
上半身のみならず、足の自由さえ縄によって剥奪され、何もできない無力感を味わいながら“罰”と称して“数時間放置”されてしまったり。
そのどちらであってもサオリにされるなら——。
「スズちゃん、変なこと想像してるでしょ?」
「——へ? いや、そんなことは……っ!」
「まぁ、冗談だから、期待しないでね?」
「……ッ!」
「撮影続けるね」
完全に揶揄われた。
未経験なのをいいことに想像力を利用された。先ほどよりも激しい熱が身体中に浸透してじんわりと心が焼けていく。
悔しさと恥ずかしさが入り乱れて、スズは歯痒さを噛みしめながら緩んだ頬をにやけさせていた。
——————————
「少し休憩にしようか」
撮影時間も30分が経過したころカメラをテーブルに置いたサオリがスズに近づいてくる。
「もうですか?」
スズに疲労感はなかった。
ベッドの上で縄に身体を預けながらくつろいでいるだけなのだ。疲れるはずがない。
どちらかというとカメラでずっと撮影を続けながらスズの体調を気にかけているサオリのほうが疲れ切っていてもおかしくない。
「スズちゃん、額に汗滲ませてるし、少し疲れたでしょ?」
しかし、サオリの言葉で意識させられる。
「……ほんとだ」
自分が汗をかいていることにスズは気づいていなかった。縄で縛られているだけで、体力は消耗していくらしい。
元々の緊縛術は適度に締めつける縄によって囚人の自由を奪うための技術。
つまり、縄で緊縛した対象に一定の負荷をかけ続けることも視野に入れられている。
スズはそれを経験という形で少しずつ理解させられていく。
「縄解いていくから、背中向けてね」
「あ、はい」
サオリは慣れた手つきでスズを後手に縛める縄を解いていく。
「……ンッ、……つ、ぅ……ん」
縄が解かれる瞬間に縛られているときと同じくらいの刺激がスズの肌に伝わってくる。
縄の締めつけが薄まる部分へと血の流れが巡りだし、ふわふわとした感覚が上半身に広がっていく。
「はい、終わり」
「……っ」
つん。
サオリに軽く身体を押されただけでスズの身体はベッドに倒れた。
「そのまま休んでいいからね」
縄の余韻が上半身の至るところに残っていた。すでに後手縛りから解放されたはずなのに、スズの身体はまだ縄で縛り続けられているような感覚に襲われている。
「……は、いッ」
息が乱れて、声が途切れる。両手も、上半身も、自由に動かせる。
しかし、握りしめた指先から力が抜けて吐息を漏らすので精一杯。胸の底から湧きでる火照りと高揚感に包まれながら、スズはベッドの上で仰向けになり、目を閉じた。
——緊縛。
それは小学生のころから少しずつ興味を持ち、中学、高校と意識しないようにしていた禁断の果実。
だが、大学に入学し、スマホを所持してから始めたSNSを通して、スズは再び、緊縛という縄遊びに興味を抱いていった。
SNS上に投稿された動画や画像。昔の好奇心のまま、ちょっとした気まぐれで「緊縛」と検索を掛けた。
センシティブという閲覧制限は設けられていたが、指先で一度タップしてしまえば、そのようなフィルターの内側に潜りこむことは容易だった。
色欲にまみれた好奇心の矛先が興味心を掻き立てながら、スズの狭い世界を開いていったのはいうまでもない。
緊縛された女の子が縄の縛めから脱出しようともがいていたり。
拘束具を装着された女の子が絶対的な拘束を堪能しながら、玩具で遊ばれていたり。
縄で縛られていく自らの身体を鏡に映し出されながら、卑猥な姿に変えられていく無力な女の子だったり。
タイムラインに流れ込んでくる動画や写真から視覚的に流れ込んでくる情報はスズの心を欲情に染めるのに十分過ぎた。
サオリはそんなタイムラインを彩るカメラマンの一人。縄でモデルを緊縛したり、ときには特殊な拘束具を用いた撮影まで手掛けていた。
緊縛モデルの人たちからも印象が良く、リプライでも丁寧な挨拶やユーモアに富んだ話し方をしていて寛容な雰囲気が見てとれた。
『この人ならいいかもしれない』
スズの中で甘い考えが湧き起こったのはサオリのSNSを何度も見返すようになってからだった。
最初はファボとリプでコミュニケーションを開始。名前を覚えてもらってからダイレクトメールでコンタクトを取った。
モデルについて無知なスズだったが、サオリに手取り足取り教えてもらったお陰で撮影についてのプレイ内容やNG行為など、決まったルールのレール上で撮影が行われていることを知る。
カメラで撮影するサオリが舞台や道具を用意し、モデルと相談して決めた撮影内容のプランを作成。お互いに信頼関係を築きながら、最高の動画や写真を撮影していくのが基本らしい。
サオリは丁寧な対応をしてくれていたし、実際に出会ってからもスズのことを常に気遣ってくれている。とても優しい大人の女性だった。
SNSというサービスのおかげでこの繋がりが持てたことにスズは感謝の気持ちでいっぱいになっていた。
「……ふぅ」
すごく満たされている。達成感とも効力感とも言えない妙な居心地の良さ。サオリのような人と出会えてよかった。心からそう思えた。
実のところ、スズには本心を打ち明けられるような関係がいない。
広く、浅く、簡単な友人関係は持っている。しかし、自分の本質や内面を深く理解してくれるような友人を18年間の人生を持ってしても作れなかった。
環境。コミュニティ。グループ内の規則。その他色々と理由はあるのだが、一番はスズ自身にあるのだろう。
幼児のころから他人と同調することが苦手だった。
周囲に合わせて何かをする。
スズにはそれがストレスでしかなかったのだ。
スズの求めている物は、他人に否定されるようなくだらない物ばかりで、他人が求める愛してやまない物は、スズにとってどうでもいい物だった。
他人とは考え方も。興味も。関心さえも異なる。スズは途方もない孤独感を抱きながら、好きなことを我慢して生きてきた。
それはこの先も変わらないだろう。
社会の孤児であるスズが緊縛モデルとしてこの場所に訪れたのは必然だったのかもしれない。
「……変なこと思い出しちゃった」
気づけば、縄の余韻が消えていた。目を閉じながら半分寝てしまっていたらしい。室内の時計を見ると20分ほど経過していた。
「起きたね。はい、お水」
「あ、ありがとうございます」
ベッドに腰掛け、スズは受け取ったボトルの水を半分ほど飲み干した。適度に冷えた水が全身に澄み渡っていくのが心地いい。
「次はスズちゃんからリクエストされた”アレ”を使おうと思うんだけど……その前にお手洗いとか色々済ませるといいよ」
「アレって……”アームバインダー”ですか?」
「うん、ちゃんとスズちゃんのサイズに合わせた物が手に入ったから、楽しみにしてて」
「……は、はい!」
スズは急いでベッドから立ち上がり、ホテルの室内に設置されたお手洗いに向かう。
——アームバインダー。
黒一色の逆二等辺三角形の革袋。胸を反るように背中で真っ直ぐに揃えた両腕の指先から肘を包みこんで拘束してしまう恐ろしく強靭な見栄えの拘束具。
サオリのSNSでアームバインダーを目にしたときから、スズは一度でいいから「あの黒い袋に拘束されてみたい」と考えていた。
モデルの女の子の背中を美しく彩る神秘的な黒革の拘束具。無慈悲といえるほど絶望的な見た目のアームバインダーがスズの瞼の裏に焼きついて離れないのだ。
洗面台の鏡に写るスズの顔が嫣然に笑っていた。
————————————
クイーンサイズのベッドの上に座り込むスズの身体には厚さ0.5ミリのラバー生地の黒いキャットスーツが纏われていた。
首から下。手首と足首以外の全てを覆うこのキャットスーツは、サオリが今回の撮影のために特別に用意してくれていた物だ。
撮影日前にサオリから30箇所ほどの身体の採寸データをDMで送って欲しいと頼まれたのもこの為なのだろう。他のモデルさんも同じような衣装を着用して撮影している動画を見たことがあるし、サオリの趣味なのかもしれない。
「準備もできたことだし、被せていくね」
「はい、お願いします」
スズは軽くうなづいてから両手を真っ直ぐ背中に揃えて深く呼吸した。
サオリの指示通り、手のひらを合わせ指を絡める。
「——ん」
そこへアームバインダーが被せられていく。
スズが思っていたより、アームバインダーの口は狭い。絡めた指先は逆二等辺三角形の底へ簡単には辿り着かず、手首の辺りで分厚い生地が何度か擦れ合い、アームバインダーに付属されたバックルの金具がカチャカチャ音を鳴らす。
ギュッ、ギュギュ。ギュッ。
それでもサオリは手を止めずにスズの両肘が収まるまでアームバインダーを被せていく。
「……っ」
じわじわと両腕が背後へ引っ張られていくような圧迫感が肌を襲ってくる。着実に両腕がアームバインダーに包まれている。
指先は袋の中で固められ、すでに手首は合わさったまま動かせない。しかし、装着はまだ始まったばかりだ。アームバインダーを完全に装着した自分がどのような状態になってしまうのか。
先を想像するだけで胸の鼓動が早まってしまう。
ギュ。ギュギュッ。
「……ん」
絡め合わせた指にアームバインダーの先端が触れた。両肘も硬い生地に覆われ、腕を圧迫する感触が最初よりも広がっているのがわかる。
サオリはスズの両腕を包み込む黒革の袋を確かめるように上から撫で下ろし、スズの肌に馴染むように整えていく。
両腕を包む生地が、均等に伸ばされて、肌と一体になっていく。それは、アームバインダーのサイズがスズ専用に作られていることを意味していた。
上質な素材。精巧に作成された拘束具。どれをとっても一級品としか思えない仕上がり。ラバースーツもそうだ。余分な空気が入ることもなく、スズの肌に密着している。
スズの身体に合わせた物。サオリはそう言っていた。
「ベルト掛けちゃうね」
考えを巡らすスズをよそに、サオリはアームバインダーから伸びる二本のベルトをスズの脇の下から胸の前に通す。そこから胸の上を交差させて肩に掛け、アームバインダーから肩へと伸びるバックルへ繋げた。
「……っ」
ギュッ。
両腕を包み込むアームバインダーの存在感が一層強く、肌に密着する。サオリがベルトのバックルを締め上げたからだ。
そのおかげで、先ほどよりもさらに背中のほうへ上半身が引っ張られ、両腕にアームバインダーを被せたときとは比べ物にならない窮屈感に襲われている。
「ん、はぁ……ッ、ぅぅ」
自然と呼吸が乱れる。
緊縛のときとは違う。拘束具の圧迫感という倒錯に思考が埋められていく。安心感よりも所有物に変えられていくような被虐的な官能に全身が呑み込まれてしまいそうだった。
「ここまでは、キツくないかな?」
不意にサオリに質問を投げかけられて、アームバインダーに括られた両腕に力を込めてみる。
黒革の袋に閉じ込められた両腕に自由はないが、キツイという感じはなかった。ただ、自力で脱げそうな気配はない。
「……キツくはない、です」
「スズちゃん身体柔らかいからいいね。普通の子ならこれだけでも苦しがって、痛いときがあるんだけれど……折角だし、編み上げ紐も締めていいかな?」
スズの両腕を包み込んでいるアームバインダーの外側には、靴紐の穴と同じようにように交差した編み上げ紐が付属されている。
この編み上げの部分を、靴紐と同じ容量で締めていくと逆二等辺三角形の袋の口が完全に閉じられることになる。
もし、口が完全に閉じてしまったら。アームバインダーの大きさから推測するにスズの両肘が密着してしまうのは明らかだった。
「締めたら……キツイですか?」
「それはもちろんキツイよ? でも、他じゃ味わえない拘束なのは保証する」
SNSで見ていた限り、編み上げ紐を締め上げてもらっていたモデルの人はほとんど居なかった。サオリの言うとおり相当キツイ拘束なのかもしれない。
しかし、ここまで装着したのだ。サオリが用意してくれたアームバインダーを最後まで体験していかないというのは心残りが生まれそうだった。
「……最後までお願いしますっ!」
「お、スズちゃんチャレンジャーだね。わかった。おもいっきり締めてあげる」
「お、おもいっきりって……?」
「こういうことだよ」
スズの質問に答えるように、サオリは有無を言わさず編み上げ紐を締め上げていく。
「——ひっ」
シュ。シュ。シュル。シュ。
紐が引き絞られ、アームバインダーの袋はみるみると小さく、細く、開けていた口を閉じていく。少しずつ先端を尖らせ、鋭く綺麗な逆二等辺三角形をスズの背中に作り出していく。
「んッ……あ、っ……んぅっ」
その過程で左右の肩甲骨が背中で引き寄せられ、スズの胸が弓のように反っていく。
姿勢が矯正されていくような圧迫感。
拘束されているのは両腕だけのはずなのに、上半身の動きが次第に制限されていく。
コレがアームバインダー本来の拘束。
「……ッ!」
やばい。
これ、やばいやつだ。
完全に何もできなくなっちゃう。
「はい、できたよ」
サオリの手がアームバインダーから離れたころには編み上げ紐が完全に締まり切っていた。
スズの手のひらも、手首も、肘も、アームバインダーの中で密着し、僅かな動きさえ封じ込められ完全に拘束されてしまっている。
「……くっ」
試しに力を込めてみるが、革が軋む音を鳴らすだけで、ピクリとも動かせない。まるでセメントで固められたみたいだ。
「……これ、本当に……何もできない……っ!」
アームバインダーの拘束は、胸を張りながら両手を外へ伸ばしきるような姿勢を強制される。
肩幅に両脚を開いて前屈みになってみたり。背筋を伸ばして楽な姿勢を探してみる。
だが、どんな姿勢に変更しても両腕の尊厳が完全に奪われていることに変わりはない。
初めて経験するアームバインダーの恐ろしさに、スズの頬が自然と緩んでしまう。
「ねぇスズちゃん、どうせなら、コレもつけてみない?」
「それ……っ」
サオリがスズに発案してきた道具は、ゴルフボールくらいの大きさのゴム球にベルトが数本垂れている口枷——ボールギャグ——だった。
通常は二本のベルトを使用するのが基本だが、サオリが手にしているボールギャグは”ハーネス式”といって頭頂部や顎にも固定するためのベルトが付属されている。
しかし、その道具の使用をスズは遠慮していた。理由は涎が垂れてしまって恥ずかしい想いをしそうだったことと、口を塞がれるのが怖かったからだ。
「ちょっとだけでいいから、咥えてるところ、撮影させてほしいな」
だというのにサオリはアームバインダーに拘束されたスズの唇にボールギャグを宛てがってくる。
「ン……っ」
固く結んだスズの唇に無機質な冷たいシリコンゴムが触れる。スズが少しでも口を開けば、サオリは簡単にボールギャグを口腔へ押し込めてしまえる。両手をアームバインダーで拘束されているスズの口を無理やり開けさせて咥えさせることなどサオリには容易だ。
だが、それをしないのはサオリが誠実である証明だった。
「ねぇ、ちょっとだけ。いいでしょ?」
「んッ……」
されど、スズの拘束された姿に、サオリの欲望が強く湧き上がってしまうようで、唇に触れるボールギャグがグイッと押しつけられる。
サオリはどうしてもスズにボールギャグを咥えさせたいらしい。どれだけ誠実に振る舞っているサオリにも叶えたい欲があるのかもしれない。スズにもそういう部分はある。今回の件だってそのうちの一つだ。
実際、サオリがいなければスズが体験してみたかった人生初の後手縛りも、アームバインダーの拘束も経験できなかった。
スズの願いを叶えるための時間と場所。ここまでの道具を用意するのはかなりのコストが掛かったはずなのだ。
口を塞がれるのは怖い。怖いけれど、献身的にリードしてくれるサオリのために少しだけ。ちょっとだけの間ならボールギャグを咥えてもいいと思えた。
いや、もしかするとスズ自身ボールギャグを咥えてみたかったのかもしれない。
「……ちょっとだけ……ちょっとだけなら……別に、いいですよ」
「ほんとに? ほんとにいいの? じゃあじゃあ、咥えるところも撮影したいから、顔が写らないように目隠しもしていいかな? モザイクだと綺麗に撮影できないし、スズちゃん顔はNGだったでしょ?」
「そうですね……ちなみに目隠しってどんなのですか?」
「えーっとね、目隠しはこれだね」
それはスズの目元を完全に覆ってしまうほど幅広な作りをしているゴーグルみたいな革製の目隠しだった。たしかに、これくらいの目隠しを施されれば顔が半分隠れてしまう。鼻から顎までを見たところで人物を特定することは不可能だろう。
「それなら顔は見えなさそうですし……かまわないですよ」
「おおー! スズちゃんありがとうね!」
子どものように無邪気に喜ぶサオリを見てると何だか妙に恥ずかしくなってしまうから早く目隠しを装着するようにスズはサオリを促す。
「ごめんごめん、ちゃんと目隠ししてあげるから怒らないで」
「怒ってませんっ! というか、してあげるってなんなんですかぁ!?」
「あはは、させていただきます!」
サオリは相変わらずの調子でスズをからかいながら、目隠しを装着してくる。
革製だからゴワゴワしていると思っていた目隠しは、目元にあてる部位はとてもソフトで、もちもちで、マシュマロみたいな感触が目元を覆っていた。ただし、その効力はたしかなもので、視界は真っ暗闇。何も見えなくなってしまった。
アームバインダーに拘束された両手。
目隠しで失われた視界。
次はボールギャグで口を塞がれてしまう。
「それじゃあ、次はお待ちかねのボールギャグをつけてあげるから、お口を大きく開けてね」
アームバインダーの拘束を噛みしめながら、スズは朱色の小さな唇をぺろりと舐めてから、口を大きく開けた。
「あ、ん……っ、んぁっ、んむ」
スズの小さな口腔へボールギャグが押し込まれる。グイっと舌を圧迫する異物。それは強い弾力を持っていて、スズの口内を瞬く間に埋め尽くした。
「……ん、んぁっ、ん」
口に咥えたそれを吐き出すこともなく、深く、深く、口の奥へ咥えこむ。
サオリはスズがボールギャグを噛み締めたの確認すると頭の後ろでベルトを留めた。
「他のベルトも留めるね」
「ふぁい」
サオリの声が聞こえたときには顎の下にもベルトが触れてきて、適度な強さで留められた。口の中の異物が下顎と一体になってしまったように口内に張り付く。
「スズちゃん。ボールギャグを少し噛みしめてくれる?」
「んん?」
言われた通りに噛みしめる。
口腔内に顎の力によって圧迫されたシリコンゴムが密着してくる。
「そのままだよー」
眉間を通って頭頂部へと伸びるベルトが引っ張られ、頭の後ろでカチャカチャと金具の動く音がなる。するとベルトが擦れる感触が伝わってきて、じわじわと顔にハーネスのベルトが食い込んできたと思ったころには装着がおわっていた。
「よし、力抜いてもいいよ」
「んぐっ……」
噛みしめるのをやめて、顎を弛緩させてももう遅い。ハーネスベルトによって顎が強制的に閉じられ、口の中のシリコンゴムの塊を勝手に噛み締めてしまう。
「試しに喋ってみなよ」
「んむっ、んんッ、んぐっ……んむぅ!?」
想像以上だった。
顎が動かせないだけでスズはうなり声しか出せなくなっていた。いや、違う。このハーネス式のボールギャグはスズの頭そのものを拘束している。
人の骨格の一部である顎そのものの動きを口に咥えたボールを中心にベルトで固定してしまう恐ろしい拘束具なんだ。
「ふふ、これでスズちゃんは助けを呼ぶこともできなくなっちゃったわけだ」
「んム“ぅッ!!?」
背中に拘束された両腕がアームバインダーの中で虚しく木霊する。
「両手は背中でアームバインダーに拘束されて、視界は暗闇。ボールギャグを咥えた口は喋ることもできなくなっちゃったねぇ」
「~~っ」
言われなくてもわかってるのに。サオリはあえてスズに自分の状況を意識させるように囁いてくる。それが酷くもどかしくて、恥ずかしくて、悔しい。顔がみるみる熱くなっていく。
「ねぇ、スズちゃん。ゲームしよっか」
「んむ?」
「今からスズちゃんにはアームバインダーからのエスケープに挑戦してもらいます! もしも、時間内に抜け出せなかったら……特別な拘束を追加してあげるってのはどう? もちろんアームバインダーから抜け出せたらスズちゃんの願い事を一つ叶えてあげる」
どう考えてもスズが不利な条件でのゲーム。現状、アームバインダーからエスケープするなど、どう考えても不可能だ。
両腕はセメントで固められてしまったみたいに微動だしない。動かせるのは両肩くらいだが、胸の前で交差したベルトは肩に深く食いこんでいるし、どこかに引っ掛けて外すにも目隠しされた視界ではその辺を歩くことだって難しい。肩からベルトを外す方法なんてほぼ皆無だ。
サオリはそのことをわかっててスズにこのゲームを受けるように提案してる。どう考えたって卑怯だし、スズが受ける理由はないように思える。
「まぁ、その間に私はスズちゃんの拘束されてもがいてる姿を撮影させてもらう訳になるから、どちらにせよスズちゃんに拒否権はないんだけれどね?」
アームバインダーに加え、目隠しや口枷も施されたスズが拘束から解放される方法は二つしか残されていない。
自らの力で抜け出すか。
もしくは、サオリに解いてもらうか。
現状、スズがアームバインダーの拘束から抜け出すのは限りなくゼロに近い。
つまり、サオリが拘束を解かない限り、スズはサオリの提示するゲームに参加しなくてはならない。
ゲームの参加を拒否したいのならば、自らの力で拘束から抜け出すしかないのだ。
どっちに転がってもスズがエスケープにチャレンジすることになる。
サオリなりに考えたレクリエーションということだろう。
SNSでも拘束から抜け出そうと足掻いているモデルさんの動画などがTLに流れてくることがあった。今回の撮影もそれに使用される物なのだろう。
面白い。全力で拘束から抜け出すことなんて普通の生活じゃ滅多にない。精一杯楽しんでやろう。
「んん!」
「お、スズちゃんやる気だね? じゃあ、今から30分以内に頑張ってエスケープしてね」
タイマーのスイッチ音が鳴ると同時に「スタート!」とサオリの合図が聞こえた。
スズはさっそくアームバインダーから抜け出そうと試みる。
「……んっ、んん!!」
ギギッ。ギギギッ。
両腕に目一杯の力を込めてアームバインダーの拘束に真正面から抵抗してみた。
しかし、黒革の袋は軋む音を立てるだけでびくともしない。
それどころか、肩に掛かるベルトがさらに深く食い込んできて、じわじわとスズの身体に合わさるように密着してくる。縄で緊縛されていた時と同じような感覚だった。コレでは緩むというより身体に馴染んでしまいそうだ。
だとしてもスズは諦めずにアームバインダーから抜け出すためにもがき続ける。
「ンンッ……っ、んむっ、ングぅう!」
大きな動きは全くしていないのに息が乱れてくる。ラバースーツに包まれた身体に熱がこもっているのがわかる。
何も見えない視界のせいでアームバインダーに拘束されている圧迫感や窮屈感。ラバースーツが肌に密着して一体化していくような違和感を直に感じる。
「ングッ!」
思わずボールギャグを強く噛み締めた。
アームバインダーに抵抗すればするほど口の中で唾液があふれ、ボールギャグの僅かな隙間から外に溢れ出してしまう。それが酷く焦ったい。
「んむっ……ぐっ、ぅぅ、んッ、んんっ!」
——惨めだ。
拘束されてる無力な自分が惨めで恥ずかしい。
ラバースーツに絞り出された身体。
アームバインダーに拘束された両腕。
何も見えない視界。
ボールギャグを咥えた口。
何もかもが無力でしかなかった。
このアームバインダーはスズの身体に合わせて作られた拘束具だ。ズボンを履くために腰に巻いたベルトを外さない限りズボンが脱げないように、完全に調節されたアームバインダーを脱ぐためには留め具を外すしか方法はない。
だけど、留め具を外すための両腕はアームバインダーの逆二等辺三角形の内側にある。
密着した肘。
固められた手首。
絡めた指先が袋の中で離れることはない。
——絶対無理だ。
どんなに身体が柔らかい人でも肩の関節を外すほどのことをしない限りアームバインダーから抜け出す術はない。ましてやスズに関節を外す芸当などできるはずがない。
「んふぅ……っ、ぅぅっ……んっ」
アームバインダーからは抜け出せない。
時間内に抜け出すことは不可能だ。理解した。最初からサオリとのゲームに勝つ術はないのだ。
スズはアームバインダーに拘束されたままサオリに好き勝手に弄ばれてしまう運命にある。
エスケープに失敗したら、「特別な拘束を追加してあげる」ってサオリは言っていた。
一体、どんな拘束なのだろう。
もしかしたら、後戻りができないくらいのとんでもない拘束を追加されてしまうかもしれない。
そんなことになってしまったら、スズは拘束されたまま生きていくことになる。
一生抜け出せない拘束の中で、自ら死ぬことも選択できず、サオリに自分の全てを委ねたまま、管理される人生を送る。
そんな運命が待ち受けているとしたら——。
「——っ!?」
鳥肌がたつように身体が疼いた。
そんな終わり方があっていいのか。
惨めで、悔しくて、恥ずかしくて。
何もできない無力さを噛み締めて。
自由全てを拘束されて。
無力に打ちひしがれことしかできない。
そんなの、そんなの絶対——嫌だ。
「ングぅぅぅううう!!」
アームバインダーに拘束された両腕に全力で力を込める。
ギギッ。ギギギッ。
ベルトが肩に食い込んでくるだけで、両腕は革袋の中に閉じ込められたまま動かない。
「ングッ……!」
弛緩させた腕から血が循環し始め、適度な痺れが痛みとは違う感覚を全身に巡らせてくる。
それが、すごく心地いい。
自由に動かせる両脚がもどかしいと感じてしまうほどにアームバインダーの拘束が気持ちいと感じてしまう。
「んぐぅぅぅうううッッ!」
もう一度。
いや、何度でも拘束にあらがう。
抜け出せないとわかってる。
わかってるから暴れて、抵抗して、もがいて、あがいて、あらがってみせる。
その度に息が乱れて、呼吸が苦しくなって、胸が締めつけられるけれど、構わない。
それが気持ちいい。
惨めで悔しい自分が。
何もできない無力な自分が。
身体に火照りを生み出して、全身を高ぶらせる。
この倒錯的な感覚が癖になりそうだった。
どれだけ抵抗しようと無意味でしかない絶望感がたまらない。
この瞬間の快楽全てを受け入れてしまいたい。
「ングッ、んぶ“ぅぅうう“っ!」
スズはサオリが時間切れの合図をするまで全身全霊でもがき続けた。
撮影の最中。
ボールギャグを噛み締めるスズの頬が嬉しそうに微笑んでいたのをサオリのカメラはしっかりと捉え続けていた。
——————————
タイムアップを告げてから暫くして、サオリはカメラをテーブルに置いた。
「疲れ切ってるところ申し訳ないけれど、スズちゃんには罰ゲームとして特別な拘束を追加します」
「んふぅー、ふぅ……ぅぅ、ぅ……っ」
息を切らしベッドの上でラバースーツに身を包んだまま顔と上半身を拘束された華奢な少女の隣へ黒革の物体を並べる。
スリープサックと呼ばれるその拘束具は少女の身体を完全に包み込み、革の檻へ閉じ込めるためにオーダーメイドで作成された寝袋のような革の袋だ。
寝袋と違うのは内側から袋を閉じることはできず、開けることもできないという点と、中に入れた人間を長期間拘束する目的で作られている点だろう。
「コレから拘束していくから、言う通りにしてね」
付属されたサイドジッパーは足元から全頭部まで伸びており、少女の頭から足先までの全てを包み込むために口を開けて待っている。
「ングぅ?」
その少女であるスズは視界を目隠しで失っているため、スリープサックの存在をハッキリと認知していない。自分の身体と同じ大きさの革袋の中にこれから自分が入るとは思ってもいないだろう。
「まずは頭から被せていくから、頭は動かさないようにね」
サオリが指示を出すとスズは言うとおりに動いてくれた。疑うことなくサオリに身を預けてくれるということはお互いに信頼関係を築けている証拠と言ってもいい。
目隠しとハーネス式ボールギャグを装着しているスズの頭にスリープサックの全頭部を被せていく。
「ンンッ……んっ、んむっ!?」
顔が革袋に覆われていく感触に嫌悪感を抱いているらしく、スズは少し頭を動かして抵抗する。
「ごめんね、ちょっとキツイだろうけど、我慢してね」
しかし、サオリが一言告げるだけでスズはサオリに合わせるように革袋の中へ頭を押し込んでくれる。鼻の通気口が鼻にあたっているのを確認して、ズレないように頭頂部のサイドジッパーを少し閉めておいた。
「次は足を入れるから足を揃えて女の子座りになれるかな?」
「んん?」
「そうそう、そんな感じ」
揃えたスズの足にスリープサックの底にあたる部位を被せてサイドジッパーを少し閉じる。
「じゃあ、次はそのまま正面に真っ直ぐ寝転がって欲しい、うつ伏せになるようにね」
「んっ」
スズが倒れ込むようにベッドに転がるところをサオリは支える。その際にスリープサックの歪みを調節して、スズの身体がスリープサックの中に収まるように整える。
本来ならスリープサックの内側にある左右のポケットに腕を差し込んでから袋を閉じるのだが、今のスズの両腕はアームバインダーで背中に拘束されている為、サイドジッパーを閉じるだけでいい。
「じゃあ、閉じていくよ?」
「んんっ?」
スズの身体がスリープサックの内側に収まるようにサイドジッパーを閉じていく。
「んむぅぅぅうう!?」
全身がスリープサックに包まれていく感触に驚いたスズが声を上げる。その頃にはサイドジッパーは完全に閉じていた。この時点でスズがスリープサックの拘束から逃れる手段はないが、念には念を入れて、ジッパーの金具をロックしておく。
「んむぅ! ンっ! ンンっ!」
案の定スリープサックに閉じ込められたスズが暴れだした。
「編み上げも締めていくね」
「んむっ! ンンッ!?」
スリープサックの背面にはアームバインダーと同じく編み上げ紐が用意されている。頭頂部から足先にかけて続いている編み上げを締めていけばスリープサックの拘束が完了する。
まずは頭から締めていく。
ギュ。ギュギュッ。ギュッ。
「ングっ!? ンンッ!?」
編み上げ紐が閉まるたびに、スリープサックの中でスズが悶える。だが、その程度の動きではスリープサックから脱出できるはずがない。
頭部の編み上げ紐が緩まないように結びつけ。次は胴体の編み上げ紐を締めていく。
ギュギュッ。ギュッ。ギュッ、ギュッ。
「ングぅぅぅうううっ!!」
スリープサックに残されていた余白が失われていく。革袋に全身が圧迫されていく感覚というものがどれ程のものかサオリは知らない。
だが、スズは違う。己の身を持ってして現在進行形で経験している。それもスズの為に用意された特注品だ。サオリが考えている以上に壮絶な感覚に違いない。
「ちゃんと全部締めてあげるからね」
スズが拘束感を楽しめるように容赦なく編み上げ紐を全力で締め上げていく。
最後に下半身の編み上げ紐も同じように締め上げれば、そこには人の輪郭を極限にまで一つにまとめ上げた黒い棒状の塊が転がっていた。
黒革に包まれた物体の中に人間が閉じ込められているとすぐに理解できるのは、よほどの変態か、そういう素質を持ち合わせている人間だけだろう。
「んぐッ……っ! ぅぅ……ぅ、ッ!」
ビクビクと震えることしかできない黒い塊が可哀想だと感じ、サオリはそれを仰向けに直した。
裏面の情報量に対し、正面はのっぺらとしたシンプルな黒革の物体にスズの唯一の特徴である胸の膨らみが浮かんでいる。
革袋の中でアームバインダーによって無理やり反り返った上半身がスリープサックの革の圧迫によって浮き彫りにされているのだ。
ふしゅー。ふしゅー。
頭部の鼻の部位に開いた僅かな呼吸口から必死に息を繰り返す音が聞こえる。
黒い物体になり果てたスズに残された自由は死なないように呼吸を繰り返すことだけ。それだけしか許されていない。
「ふふふ、どう? すごいでしょ? スリープサックっていうんだよ。スズちゃんのために奮発しちゃった」
「ングぅぅぅううう“ッッ!!」
ベッドの上でくぐもった叫び声をあげながら、スズは悶えた。だが、完全に締め上げられたスリープサックの拘束に抗う術などない。
どれだけ全力で暴れても黒革の塊はベッドの上でビクビクと僅かに動くことしかできないのだ。
————————
「いっぱい楽しんでね」
スズの全身が悲鳴をあげていた。
経験したことのない圧迫感。自分の身体が四方八方全てから締めつけられる窮屈な締めつけ。
アームバインダーに拘束されている感触のさらにその上から重複して圧しかかる完全な拘束に息が苦しくなってくる。
サオリが用意していた特別な拘束。それがこんなにも絶望的だとは思いもしていなかった。
ふしゅーー。ふしゅーー。
口が塞がれているから、鼻で息をするしかない。常に深呼吸をするように腹筋に力をこめないと圧迫された肺から空気が逃げていってしまう。
自分がどんな拘束をされているのか全く見当がつかないスズにとって、呼吸ができるという現実だけは唯一の救いだった。
呼吸さえも拘束の果てに制限されてしまったらと、考えるだけでも恐ろしい。いや、もうすでに呼吸が制限されているのかもしれない。
意識的に。お腹に力を込めて呼吸をしているということは、自然な呼吸ができていないということになる。
スズはもう、自分の身体の尊厳全てをサオリに施された拘束によって奪われてしまったのだ。
「ングっ……っ」
どうしていいかわからない。
サオリは「楽しんでね」と言っていた。
全身を包み込む袋のような物に拘束されて、背面に拘束された両腕はピクリともしない。全身が硬い膜に覆われていて、胸を反った姿勢から姿勢を変えることさえできやしない。
起き上がることも、寝返りをうつこともできない。
何一つ抵抗できない完全な拘束に包まれたスズにできることと言えば、呼吸をすることだけ。
サオリが撮影に満足して、この拘束から解放されることを待つことしかできない。
「――――」
でも、もし、もしもサオリが拘束から解放してくれなかったら、スズはどうなってしまうのだろう。
そもそもスズはどうして、こんなにも絶望的な拘束をされちゃったんだろう。
始まりはサオリの何気ない一言だった気がする。ボールギャグを咥えてから、目隠しを追加されて、そして変なゲームをさせられて……。
まるで、最初からスズをここまで拘束していくつもりだったみたいに――。
「ン……っンむっ! んぅうっ!?」
傍で撮影しているであろうサオリに向かって問いかけてみるが、言葉にならない声が虚しく響くだけで返事はない。
今までのサオリからは考えられないような行動に不安がいっそう募っていく。
何一つ動くことができないスズにとってサオリの存在だけが頼りなのだ。
冗談だと言って欲しい。
スズを楽しませる為のゲームだと言って欲しい。
ふしゅーー。ふしゅーー。
しかし、スズが助けを求めても、サオリからの返事はない。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
完全に拘束されたまま時間だけが過ぎていく。
スズはサオリに騙された。
何もかも謀られた。
全部が演技で、嘘だった。
「ングぅぅぅうううッッッ!!!!」
——暴れた。
力の限り、振り絞った。
足も、腰も、お腹も、肩も、頭も、全部。
動かせる場所は動かせるだけ動かして暴れ回った。
「————」
なのに、全然動けない。
何もできない。
乱れた息が苦しい。
呼吸をするだけしかできない。
ずっとこのまま、何もできないまま。
スズは、どうなるんだろう。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
何もできないまま時間だけが過ぎていく。
全身が圧迫感に包まれている感覚にも慣れてきた。
違う、慣れてきたんじゃない。
馴染んできたのだ。
もとからそうであったように。
スズの身体に拘束具が馴染んでいく。
もう二度と外す必要がないように——
スズと一つになっていく——
「ングっ……ン、んッ……んっ!」
それが、酷く気持ちの悪い感触とわかっているのに。
今すぐに手放すべき感覚だと理解しているのに。
全身を包み込む絶望的な拘束を楽しんでしまっている自分がいる。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
もう、どれくらいの時間が経過したのかもわからない。
暗闇に包まれたまま自分がどこにいるのかもわからなくなってきた。
少しずつ意識が途切れていく。
まどろみがこんなに心地いいなんていつぶりだろう。
絶望的な抱擁に包まれたままスズの意識は閉じていく。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
ふしゅーー。ふしゅーー。
スズが深い眠りについた頃。
黒革の塊を入れるための箱が部屋に届いた。
作業服を着た男二人が箱の中へと黒革の塊を詰め込んでいく。
緩衝材でしっかりと箱の隙間を埋めてから、蓋を閉じるとどこかへと運び出してしまった。
その箱の行方を知るものはどこにもいない。
唯一残された手掛かりはSNSに投稿された一つの動画だけだった。
END