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 夜のバイトの帰り道。自動販売機で缶ジュースを購入したコヨミは、公園のベンチに腰掛ける。  ——疲れた。  お小遣い目的とはいえ、学校に通いながら居酒屋でバイトを始めたのは、さすがに応えたらしい。  学生の本分は学業に専念することだ。と親によく言われるけれども、たしかにその通りかもしれない。学校が終わったあとにバイトなんてしていたら、勉強をするほどの体力が残らない。  バイトはバイトで、学校とは違う疲労感に襲われる。気疲れ、とでもいうのだろうか。それが酷く身体に応える。  でも、お小遣いは欲しい。  高校生はなにかとお金が入りようなのだ。 「……はぁ」  深いため息が出た。  どうやら、疲れ以外にもコヨミに不安を生み出している理由があるらしい。  店長も、バイトの先輩も、すごく丁寧に仕事を教えてくれるし、仕事については困っていない。  学校の勉強だって、特に何かを不便だと思うほど苦労はしていないし、問題はない。  他に考えられるのは一つだけ。  バイト先のとある男性客だけはどうもニガテだった。二十代そこらのチンピラみたいな奴で。いつもグループで来店してくる金髪の男はコヨミを見るや否や話しかけてくる。  どうしてコヨミだけが絡まれるのか理由は定かではないが、バイトの身としては愛想を振舞うしかなくて、気苦労しかしない。 「あたし、絡まれるほど愛嬌振りまいてないはずなんだけどなぁ……ねちっこく質問攻めにされちゃうし、あたしはあなたに興味ない、っての!」  プシュっ、と缶ジュースの口を切り、愚痴をこぼしながら一口飲み込む。さわやかな果実の香りが何層にも重なり、複雑な甘味が口の中に広がる。缶ジュース一本だけで嫌なことを全部忘れられる。幸せだ。 「んはぁ〜〜〜っ!!」  全身に溜まったストレスをベンチに置いていくようにつま先から頭の先まで、力を抜いてリラックスする。最近のバイト帰りは、いつもこのベンチに腰かけて、缶ジュースを飲んでいる気がする。  春の空気を嗜みながらまったりくつろぐのは、とても気分が晴れる。別に嫌いじゃない。  しかし、バイト終わりのお決まりになってしまっているのは否めない。  お小遣い欲しさに働いて、そのストレス解消にお金を使っていたら、元も子もない。悪い習慣は早めにやめなくちゃだ。 「よし、さっさと帰って寝よう」  昨日より早めに缶ジュースを飲み干して、ベンチから歩き出す。  このときに足もとを見ていなかったのが悪かった。  ――ガッ。 「――あ」  大地がひっくり返る。油断していたし、バイトの疲れもあったせいだろう。バランスを崩して、ド派手に転んでしまう。 「痛たたたッ……っ、て……っえ?」  何につまづいたのだろう。  足元を確認しようと振り向いたとき、ベンチの後ろで、動く影が見えた。  街灯の明かりだけでは、薄暗くてぱっと見じゃわからなかったけれども、その影は人のような形をしていて、コヨミが足を引っ掛けたスクールカバンと何かしらの関係がありそうだった。 「あなた……何、してるの?」  受け身を取った手のひらが痺れるように痛むけれども、コヨミはすぐに立ち上がり、影に近づいた。 「……ひゃ”っ!?」  ベンチの後ろに膝を抱えるように隠れていたのは女の子だ。  ボブカットの黒髪の下で、黒い瞳を見開いて、背中越しに、コヨミを凝視している。  白いブラウスと、ベージュのバルーンスカートを着込む彼女の背中には、異様な存在を放つ道具が装着されていた。  首、二の腕、両手首。計五箇所の革枷を、一つに繋ぎとめる金具が蜘蛛の巣を張り巡らすように彼女の上半身を拘束している。  ガチャガチャ、と音を鳴らすそれらを”とある分野”で説明するならば、”SMプレイの道具”としか想い当たらなかった。   「――むぅ”っ!」 「ちょ、ちょっとっ!? どこ行くの!?」 「んむぅ”っ!」  コヨミから逃げ出すために、拘束された姿のまま彼女は突然走り出した。走り出したといっても、左右の足首には鎖で繋がれた革枷が装着されている。  一定の間隔しか伸ばせず、足取りは生まれたばかりの小鹿のようにおぼつかない。  コヨミが軽く走りこんでしまえば、彼女を捕まえるのは容易だった。 「――ングッ!?」 「あ、ごめん」  そのとき掴んだのが彼女の首輪から伸びているリードだったのは偶然だ。  意図して掴んだわけじゃない。すごい苦しそうな声が聞こえてきたけれども、大丈夫だろうか。もしかすると、結構強く首が締まったかもしれない。  でも、突然逃げ出した彼女が悪い。逃げ出されると、捕まえたくなってしまうのが人間の性だ。 「んむ”ぅうう!!?」  コヨミが彼女を捕まえたことで、彼女は言葉にならない声を出しながら、リードに抵抗していた。  拘束された上半身に力を込めているらしく、連結された金具がガチャガチャ、と騒がしい音を鳴らし、必死な声を漏らしながら、身をひるがえして拘束から抜け出そうと躍起になっている。  だが、彼女を拘束する枷は緩む気配がない。 「ちょ、ちょっと……っ、落ち着いて……っ!」 「ひゃえ”っ!! ふぁえへっ!!」  彼女は口にボールを咥えていた。いや、正しくは口にボールが咥えこまされている。  頬を横に割くベルトが口に咥えたボールを吐き出せないように固定しているのだ。  こんなものを口に咥えさせられていたら、そりゃ、喋れるはずがない。  両手も背中で拘束されているし、ここまで厳重に拘束されていて、見ず知らずの人間に捕まるというのは、末恐ろしいことではないだろうか。  今頃になって、自分がどれほど酷な仕打ちを彼女に与えているのかコヨミは理解してしまう。 「ま、待って、何もしないっ! あたしは何もしないから、安心して! ね?」 「ふぇ……っ、ひはぅほ?」  何か言ってるみたいだけれど、口が塞がれてて意味がわからない。ここで外してあげようと思ったけれど、遠くからこっちに人が向かっているのが見えた。さすがに、他の人にも見つかるのはマズイ。 「と、とりあえず……ここじゃなんだから、あっちに行こう……って、そっか。リードあたし持ってるからついてくるしかないか」 「んむ」 「じゃあ、こっち、ここだと人がきちゃうから急いで」 「ンンっ!?」  リードを引くたびに変な声を漏らす彼女を連れて、ベンチに置いていた自分のスクールカバンと、彼女のものであろうスクールカバンを回収し、木々に囲まれた木陰に隠れた。 「……っ、ぅぅ……んっ、……ぅ……んぅ、ん……」  隠れている間も彼女は身をよじりながら、艶めかしい声を漏らしていた。  ——ガチャッ。  ——ガチャッ、チャッ。 「…………」  金具が擦れる音が気になる。  厳重に拘束されてるから苦しいのはわかるけれども、少しくらい抑えてほしい。  もし、第三者に見つかってしまったら、彼女をこのように辱めているのがコヨミということになってしまう。  それだけは絶対避けたい。 「ふぅ、行ったね……」 「んぅ」  人が通り過ぎたのを確認して、気を緩める。  彼女の表情は、暗くてよく見えないが、コヨミと同じ想いらしい。  事情はわからないけれども、拘束は外してあげたほうがいいだろう。  そのためにも街灯の恩恵が受けられる場所へ彼女を連れて戻る。特に抵抗することなく、彼女はついてきてくれた。 「えっと……まずはその、口のやつ外していくね?」  彼女の上半身の拘束に手を掛けるより先に、まずは、彼女の口を塞いでいる黒いボールを外すことにした。口がふさがれていると会話ができなくて不便に感じたのだ。 「んっ、んあ……っ」 「ちょ、変な声出さないでよ……」  頭の後ろで留められているベルトのバックルを緩める。あとは口からボールを吐き出してもらえれば、簡単に外せそうだ。 「んぁ……ぷは……っ、はぁ、ん……ぅ、あッ」  街灯の光に照らされて銀色の糸が滴る。  口から外れた黒いボールには彼女の唾液がべっとりと付着していた。  彼女の白いブラウスを見てみると正面のところどころが唾液で汚れていた。もしかしたら、ずっと涎を垂らしていたのかもしれない。  この黒いボールは言葉を奪う以外にもそういう用途があるみたいだ。  コヨミもこの黒いボールを口に咥えてしまったら彼女と同じように口から涎を垂らしてしまうような、だらしない状態になってしまうのだろうか。  だとしたら――。 「あ、あの……なんで、助けてくれたんですか?」 「――え?」  ずっしりとした重みを感じる黒いボールに集中していて彼女のことをすっかり忘れていた。 「わたし、こんな拘束されてて、すごく変な恰好してるのに……どうして助けてくれたんですか?」 「別に、理由なんてないよ。たまたま見かけたから、なんとかしてあげようって思っただけ。それよりも、あなたはどうして拘束されてるの? 警察とか呼んだほうがいい?」 「け、警察はダメですっ! 実は……その、”自縛”をするのが好き、なんです!」 「……じ、じばく?」 「自分で自分を拘束しちゃうんです……えっと、セルフボンデージっていえばわかりますか?」 「ごめん……ぜんぜん、わからない」 「で、ですよね……」 「上半身のそれ、外してあげたほうがいい?」 「あ、お願いします……! 今日はもう、満足したので」  そう言って、彼女はコヨミに背中を向けてくる。そこには先ほど見た蜘蛛の巣のようにつなぎ合わされた金具による拘束が施されていた。  首、二の腕、手首。計五箇所、それぞれに嵌められた革製の枷と繋がる金具が鉄の輪を中心に彼女の上半身の自由を奪っている。  この拘束を、彼女は自分で施したらしい。ありえない。こんなの、どうやって外すつもりだったんだろう。 「……外していくね」  しかし、外すのは意外と簡単だった。  ナスカンだ。  キーホルダーに使用されるかぎ爪のようなホックが両側に付属された金具と、革枷に付属したD型のリングを、背中の丸いリングに繋いでいるだけだ。  これなら引っ掛けるだけだし、自分で拘束することも、自分で外すことも、容易だ。でも、彼女はコヨミから逃げるとき、そうしなかった。  どうしてだろう。 「コヨミさん、ありがとうございます」   「いいよ。これくらいならなんでもないし」  すべてのナスカンを外し終えれば、彼女の首、二の腕、手首、に嵌る革枷は拘束力を失い。ただのアクセサリーに様変わりだ。  足首の革枷に繋がっている鎖は彼女――シホリ――の手で簡単に外せてしまった。  ちなみにナスカンを外している最中にシホリと自己紹介をした。どうやら、コヨミとシホリは同じ学年らしい。少しだけ、親近感が湧いてくる。 「カバン頂いてもいいですか?」 「あぁ、うん。こっちがシホリのだよ」  カバンを受け取り、お礼を述べるとシホリは手足に嵌めてある枷を外し始めた。片手で外すのはすごくやりにくそうだ。  なにはともあれ。事件性のあるものじゃなくてよかった。誘拐とか、監禁とか、そういう類の話しになってくるとコヨミもどうしていいかわからなかったけれども、シホリが望んで自分を拘束したのなら、話は別だ。  誰かが困るわけでもないし、シホリの拘束は外し終えたし、何もかも解決――。 「――――」  いや、待て。何も解決してない。  そもそもシホリは、なぜ自分のことを自分で拘束していたのだろう。  もしも、ここに居るのがコヨミではない悪い大人だったとしたら、シホリはどうなっていただろうか。  抵抗する術を持たないシホリを誘拐することは簡単だ。誰かもわからない赤の他人に主導権を全部握られて、何も抵抗できずに、無理やり連れ回されるなんて、コヨミなら絶対に嫌だ。  そんなリスクと表裏一体の行為を人目がある公園で行うなんてどうかしてる。 「こんな危ないこと。もうやめなよ?」  シホリの事情も知らずに、コヨミは軽い気持ちで伝えた。自分に見えている範囲で事故や事件が起きるのが好ましくないと考えた結果に出た言葉だった。 「やめないですよ? 今回はコヨミさんのおかげでスリルがあってすごく興奮しましたし、また日を改めてやってみようと思います」 「いや、スリルとか、そういうんじゃなくて……」 「コヨミさんもやってみたらわかりますよ、すごく気持ちいいですから」 「”こんなこと”して”気持ちよくなるなんて、絶対おかしい”から……っ、もうやめなっていってるの、危ないし、本当に事件に巻き込まれたりしたら苦しい想いするのはシホリだよ?」  心の底からシホリを心配して、シホリを諭すために言ったつもりだった。でも、思っていたよりも強い言葉が出てしまった。他意はなかったけれども、言い方は悪かったかもしれない。 「コヨミさんは……気持ちよくならないんですか?」 「な、なるわけないでしょ? 拘束されて気持ちよくなるなんて絶対おかしいって」  しかし、シホリから返ってきた言葉は別のところに注意が向けられていた。コヨミからしてみれば、伝えたいのはそこではないのだが、シホリの中では自縛というプレイについての話しに切り替わってしまっている。  とりあえず、話しの方向性を別に向けないと説得の意味がない。 「じゃあ、証明してください」 「え、いや……なんで、そうなるの? あたしは、ただ……っ」 「コヨミさんが拘束されて気持ちよくならないこと、証明してくれたら、”こんなこと”やめます」  やられた。  場の空気とか、雰囲気とか、読むのは苦手なほうだったけれども、そういうの全部シホリに持っていかれた。  コヨミがここで「証明するのは嫌だ」といえば、「シホリが言っていること全てが正しい」と納得したのと同じになってしまう。  そうなってしまったら、コヨミも、シホリと同じ「拘束されると気持ちいい」という価値観を共有したことになってしまう。  いくら何でも、それは受け入れられない。 「……あたしが証明したら……っ、本当にやめるの?」 「はい、証明してくれたらやめます。今後一切、“こんなこと”はしません」  シホリの眼差しは真剣だった。どう見ても本気だ。対してコヨミの心臓はドクドクと脈打ち、緊張しているじゃないか。  これではまるで、コヨミのほうが変なことを言っているみたいだ。  でも、コヨミは”拘束されて気持ちよくなる変態”じゃない。たとえ、コヨミが拘束されたとしても、シホリが考えているようにはならない。 「……わかった。なら、あたしが“証明”してあげる……っ!」  後編 https://style-freya.fanbox.cc/posts/2221923

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