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美術解剖学教育では「表現に口出ししない」という意見がありあります。


「芸術の役に立とうと考える解剖学者は、少なくとも余計な美学的考察に首をつっこむようなことをしないで、1つの目的だけに専念しなければならない。すなわち、美的な精神からは完全に離れたところで、生きた自然のものをありのままに、そして外形と深部を、その関係において正確に描写するように自制することである」(『リシェの美術解剖学』序文より)


これは、現代的な美術解剖学の父、ポール・リシェ先生が序文に描いた言葉ですが、論文体で難しいので意訳しますと、


「美術解剖学の教員は、余計な表現をせず、人体や生物の形をそのまま、骨や筋、体表がきちんと対応するように図を描きましょう」


ということでしょうか。表現は各自の追求に任せて人体の情報を淡々と提供する、というのが美術解剖学の教育の基本姿勢です。


美術解剖学を学ぶ人の多くはクリエイターです。それぞれが向き合っている表現や造形の好みは異なります。

例えばアニメなどのように、ある程度情報が取捨選択された人体と写実表現の絵画のように肉眼で捉えたままのような情報量の人体では、必要とされる技法や見方、表現に対する意識が結構違うと思います。


美術解剖学教育は、できる限り多くの人が平等に扱える情報を提供する必要があるので、教育者は教材にあんまり恣意的な表現を加えないのです。

対象の幅を狭めて成立するのは、せいぜい画家、漫画家、アニメーター、彫刻家、原型師、イラストレーター、といった職種やジャンルまででしょうか。

さらに踏み込んで個人表現向けの解説をした場合、対象となる学習者が減って、専門性が高くなっていきます。この場合は研究的な意味合いが強くなり、教育的な側面は薄れていきます。


しかし一方で「表現へどうやって落とし込んだら良いかわからない」と言う意見もよく見かけます。この場合は、添削などで対応するのがベターかなと思います。

添削はイラスト表現では一般に浸透していますが、美術解剖学ではまだ例が少なく、一般に普及していません。


私も関わらせていただいている京都芸術大学の授業では、課題作品の添削をおこなっています。美術学校の課題で作品を添削するのは当たり前のように思われるかもしれませんが、日本の美術学校では普段解剖図を描かない先生が美術解剖学を教えていることが多いので、かなり珍しいのではないかと思います。今後こうした課題添削の例数が増えると図を自分で描く美術解剖学の先生が増えたり、内部構造を用いた添削も普及していくかもしれません。


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