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「この作品は美術解剖学的に正しくない」という意見を耳にすることがあります。あるいは「美術解剖学的に正しい作品はありますか」と質問されることもあります。

美術解剖学は人体を表現するための基礎素養ですから、道具と同じで作品に使ったり使わなかったりするのは作者の自由ですし、実際の人体よりも誇張されたりデフォルメされた作品は見応えがあります。作品や意見を否定したり疑うために美術解剖学の名称を使っているのであれば、あまり建設的ではありません。


私は美術解剖学的な正しさにこだわっていませんし、「正しさ」のような確かな手がかりも必要としていません。いくつか理由があります。


実際の人体構造を観察すると個人差が結構あります。力こぶで有名な上腕二頭筋も過剰頭と言って、第三頭、第四頭があることが結構あります。個人的な感想では3-4割くらいで見られます。


同時にあり得ない構造、というのも存在します。例えば同じ骨から同じ骨に付着する筋は、筋が収縮しても骨が動きようがないので、存在しない可能性がかなり高いと言えます。しかし、いつか見つかるかもしれないので存在しないとは言い切れません。


存在するのは、他の生物に見られる構造が現れる、通常よりも過剰に現れる、部分的に欠損する、完全に欠損するのいずれかです。どんどん人体構造を勉強していくと、一つ一つの構造ははっきりしたものではなく、ある程度からある程度までのぼんやりとした範囲があることがわかるようになります。


人の顔がそれぞれ違うように、内部構造にもバリエーションがあるのですから何が正しいとはなかなか言えませんし、私自身知らない構造もたくさんあるので、「解剖学的に正しい」とは言えません。


これらの個人差は美術作品にも反映されます。例えば耳。耳は特に作者による個人差が大きいので、作者が誰かを特定する鑑別の時によく使われています。


バリエーション以外にも美術作品では人体を誇張して表現することもあります。形がデフォルメされていたり、運動やポーズなど実際の人体では再現できないことが結構あります。


美術解剖学を学ぶとこうした誇張された人体表現がつまらなくなるか、というとそんなことはありません。スーパーヒーローが手から光線を発生させたり、空を飛んだとしても、普通はあり得ないと腹を立てたりしないと思います。むしろすごいパワーだと憧れることもあるくらいではないでしょうか。誇張された表現は、予想外だったり、新しい見方を提示してくれる楽しいものです。


一方で、解剖学的構造が「自分の体と違う!」と指摘する人もいます。これは自分が否定されたと思っての反応かと思います。解剖学の教科書は多数例で見られる構造を基準に解説しています。ページ数や文字数の関係で教科書にはあまり記載されないだけで、先ほどの上腕二頭筋のように現場ではおびただしい数のバリエーションが知られています。


「解剖学的に正しい」という意見も「自分の体と違う」という意見も、どちらも美術解剖学の学び始めに出る意見かと思います。美術解剖学のようにおびただしい情報を覚えていくのは結構なストレスなので否定的な意見が出ることもあるでしょう。こうした否定的な意見は勉強を重ねていくとうまく消化できるようになります。

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