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フェリーから降りると、夏とオーシャンブルーが両手を広げて出迎えてくれた。


午前11時30分。

まだ5月はじめだというのに、喉を垂直にして麦茶を飲み干したい陽気だ。

半袖Tシャツの裾をパタパタとあおって、空気を取り込む。


「りうちゃんは暑くないの?」

「んー、慣れているからね、そんなに暑くないよ」


羽田空港から石垣行きの便で約3時間のフライト。その後バスで石垣港に移動し、港からフェリーに揺られて15分。


俺とりうちゃんは、竹富島(たけとみとう)という、沖縄の離島にやってきた。

竹富島は人口がたった350人の、珊瑚礁で形成される小さな島だ。

東京にはない独特の潮風の香りが、鼻腔をくすぐる。


スマホの地図アプリを開いてみる。

自分たちの現在位置がマークされている。その位置は、日本の本州よりも台湾の方が近い。

そしてここが、りうちゃんの生まれ故郷でもあった。


「まさかこんなところだとは…」

「へへ、驚いたでしょ!」

「最果て、とはよく言ったものだね」


以前、りうちゃんに故郷はどんなところなのかと尋ねたことがあった。その時彼女は「最果て」とだけ答えた。

言葉どおり、日本の南端、すなわち最果てだった。


「お腹すいたなぁ」

「今朝は4時起きだったもんね〜、機内食もなかったし、どこかでお昼食べてから家にいこっか」

「でも、お店とかあるの?人口350人なんでしょ、この島」

「お店くらいあるよー!数は少ないけど…あ、そうだ、八重山(やいま)そば食べにいこ!」

「やいまそば?」

「うん、この辺りは八重山(やいま)諸島って呼ばれていて、この地方独特の味つけのそばがあるの。香辛料とかも変わっていて、美味しいんだよ」

「へぇ、それは楽しみ、うん、そうしよう」


竹富島は小さい。

半日もあればゆうに島を一周できてしまうほどだ。

島には集落がいくつかあり、そこには個人で経営しているような商店もいくつかあるそうだ。昔は自動販売機すらなかったらしいが、最近になって、集落にいくつかぽつぽつと置かれたとのことだった。


「あ、その前に」

「うん?」

「うつぐみチケット、買っていこ」

「何それ?」

「竹富島は、『うつぐみ』という精神が根付いた島なの。簡単に言うと、お互い助け合いの精神を忘れずに、って言う感じかな。観光地でもあるから、島に入る時はね、うつぐみチケットっていう形で入島料を払うことになっているの」

「そうなんだ」

「強制ではない…と思うんだけど、旅行者と島民がお互い気持ちよく過ごすためのご挨拶料みたいなものだと思って」

「うんうん、そういうのは必要だと思うよ」


俺は財布の小銭入れから300円を取り出し、乗船ターミナルでうつぐみチケットを購入した。りうちゃんも同じように買う。りうちゃんは元島民だから買わなくても良さそうだが、きっと『うつぐみ』の精神を大切にしているのだろう。


「では、私の故郷、竹富島をごあんなーい!」

「おーう!」




※※※




「いやしかし」

「うん?」

「良いところだね…」

「ほんと?良かったぁ。何もないから退屈しちゃうかなってちょっと心配だったんだよ」

「ううん、ここほどではないけど、俺ももともと地方出身だし」


どちらかといえば、東京が色々ありすぎるのだ。人も多いし、物も、何もかもが首都東京に一極集中しているのがよく分かる。

その東京からたった3、4時間の移動で、まるで別世界に来てしまったようだ。


「道路がさ、真っ白でしょ」

「うん、舗装されていないし、土もあまりないんだね?」

「あんまりっていうか、無いんだよ、全然。島全体が珊瑚礁でできているから、土っていうものが無いの、この島には」


八重山そばを啜りながら、竹富島について色々と教えてもらっていた。

鶏ガラ出汁だろうか。あっさりとしたスープが麺に良く絡んで美味しい。


「途中、ちらっと見えた海がすごく綺麗だったね。あそこ、言ってみたいなぁ」

「うん、時間はたっぷりあるし、もう海開きをしているから、落ち着いたら泳ぎに行ってみよ」

「え、まだ5月なのに?」

「だってこんなに気温が高いでしょ?この地方は4月下旬には海開きをするんだよ」


確かに。晴天のお昼時ということもあって、気温は高かった。30℃くらいあるんじゃないだろうか。でも、東京の30℃とは空気が違う。じめじめして肌に空気が張り付く不快感はないし、海が近いからか、多少の湿気は感じるが、気分は良かった。


「この香辛料、なんていうの?美味しいね」

「これはコー油。泡盛と島唐辛子を合わせて作った辛味調味料だよ。この辺りの島ではよく食べるんだよね」

「へぇ、知らないものばかりだ」

「あはは!外国に来たみたいでしょう」


確かに、沖縄といえば泡盛というイメージはある。八重山諸島は沖縄県に属するので、きっとお酒は泡盛が主流なのだろう。


ふたりは八重山そばを食べ、りうちゃんの実家へと向かう。

歩いて10分ほどのところに彼女の実家はあった。


集落全体が統一された赤煉瓦屋根で、屋根のてっぺんにはシーサーが乗っている。

集落の西側に、彼女の実家はあり、玄関口は大きく開かれている。都会ではまず見ない造りだ。敷地に入る時に、神社の鳥居をくぐるような感覚さえ覚える。


「ただいまー!」

「お、お、お邪魔いたします…!」


緊張して噛んでしまった。だって、これからりうちゃんの家族とご対面することになるのだ。

何処の馬の骨とも知れないこの俺が。

弟さんの瑞稀(みずき)くんには一度出会っているが、ご両親にはまだ直接あったことがない。


しかし、俺の不安とは裏腹に、家には誰もいないようだった。


「あれ?出掛けているみたい」

「そ、そっか」


ホッと息を吐く。会いたくない訳ではない。むしろ、招いてもらって、航空券まで用意してもらったのだ、直接ちゃんとお礼がしたい。でも、緊張してしまうので、まずはりうちゃんと二人だけだったのは精神的には幸いだ。


「まだ帰ってきてないみたいだから、適当にくつろいでてね。あ、そこが居間で、トイレはここね」

「う、うん」

「飲み物とってくるー」


そういってりうちゃんは今の奥に消えた。


「ほぉ…」


改めて、有栖川本家を眺める。

木造の作りが美しく、縁側が広く開けられている。虫が入ってこないように網戸がされているが、外の景色が随分とダイナミックに見られる。プライバシーが云々とは無縁のように感じた。確かに、これだけ風通しよく開けた造りになっていても、隣家の存在を感じない。敷地は広く、独特の石垣で縁取られていた。

明るい日差しが張り出し屋根に当たり、部屋の中に明るい陰を落としている。

部屋には畳が敷かれている。よく見ると、畳の形が全て正方形だった。これが琉球畳というやつだろうか。


「はい、どうぞ」

「あ、ありがとう」


りうちゃんがお盆にお菓子とお茶を淹れて運んできてくれた。

明るく黄金色に輝く綺麗なお茶が透明のグラスに注がれている。お菓子はちんすこう。沖縄らしい。


「このお茶は?」

「これはハーブティの一種で、月桃(げっとう)っていう花を使って作ったものだよ」

「月桃(げっとう)ハーブティ?」


聞いたことのないお茶だった。本当にここには自分の知らないものが満ちている。


「そこ、縁側の向こうに白い花が咲いてるでしょ?ちょっと丸い感じの」

「あの大きな葉っぱの間から覗いている実みたいなの?」

「そうそう、あれが月桃。この辺りではよく取れるの。良い香りがして、リラックスできるんだ〜」

「それを煮出したのがこのハーブティなんだね」

「ご名答〜!」


月桃ハーブティを一口いただく。

口の中に含むと、ふわっと花の良い香りがした。ジャスミンとも違う、もっと甘く淡い感じの、まるで花畑にいるような錯覚に陥りそうだ。

とても心地良く、ストン、と心が落ち着いてくる。


「で、りうちゃんが飲んでいるのは?」

「ん?これ、ラムネ。飲みたい?」












りうちゃんは月桃ハーブティではなく、瓶に入ったラムネを飲んでいた。

縞々のパンツを覗かせながら。


さすがりうちゃんである。実家となると、さらに大胆になってくれるようだ。




縁側、ラムネ、セーラー服、縞パンツ。


んー!エクセレント!これが夏。これぞ夏である。




瓶のラムネに懐かしさを覚えるが、なによりやはり、パンツに目が行ってしまう。

というか、なんでりうちゃんはセーラー服を着ているんだろう。そういえば家を出る時もこの格好だった。ちゃんとしか格好ってこれしかない、みたいなことを言っていたが、ちゃんとした格好で実家に帰ってくる必要はあるのだろうか。


縞々のパンツ模様が、彼女の秘部の形状に合わせて凹凸を成している。彼女の実家、誰もいない二人きりの空間で彼女の股部を拝んでいるというシチュエーションに、なんとも背徳的なーーー




「あれ?もう着いていたんですね!」

「ひゃぅぅ!!?」


素っ頓狂な声をあげたのは俺だ。

ガバッと振り返ると、りうちゃんと同じようにラムネ瓶を片手に持った青年が笑顔でこちらを見ている。りうちゃんの弟、瑞稀(みずき)くんだった。


「お久しぶりです、彼氏さん」

「お、お、お久しぶりでございます!」

「え、ちょっと敬語はやめてくださいって言ったじゃないですか〜」

「あ、そうでした…じゃなくて、そうだった」

「あはは!姉さんも着いたなら連絡くれたって良いのに」

「だって家にいると思ったんだもん。お母さん、一緒じゃないの?」

「うん、母さんは買い出しに出掛けたよ」


良かった。りうちゃんにも、そして瑞稀くんにも、バレていない。

有栖川本家で、彼女のパンツをじっくり拝見していたという変態的行為に。


「あれ、瑞稀くんも制服を着ているんだ?」

「はい。母から、大事なお客さんの前なんだから、最初くらいはちゃんとした格好でいなさいと言われて」


大事なお客さんとはすなわち俺のことだろう。

なんだか、彼女の股を覗いていたことが急に恥ずかしくなってくる。

月桃ハーブティを一気に飲み干す。


「喉渇くよね〜、私のラムネ半分あげるよ」

「え」

「しゅわしゅわして美味しいよ?」

「え、あ、うん」

「僕のでよければどうぞ」

「あ、ではお言葉に甘えて…」


そういって瑞稀くんから封を切っていないラムネ瓶を受け取る。

なぜか、りうちゃんが少しムッとした表情をした。


「ぷーん」

「いや、だってほら、せっかく瑞稀くんがくれたんだし…」

「私もあげるっていったもーん」

「そ、そうだけど」


家族の前で、いちゃいちゃと仲睦まじさを見せつけるほど度胸はない。瑞稀くんがいなかったら喜んでもらっているところだけど。…察して!


「それにしても早かったですね」

「今日は羽田の朝一の便に乗ったんだ。だからお昼前には着いたよ。すごく、良いところだね、竹富島」

「そうですか!そう言ってもらえるとボクも嬉しいです。てっきり、午後の便で夕方くらいに着くと思っていたので。母は夕飯の買い出しに出掛けています。結構かかるかもしれません」

「あ、あの以前電話でお話した声の綺麗なお母さま」

「むっ」


しまった。

あの時もお母さんのことをベタ褒めしたらりうちゃんは機嫌を損ねてしまったのだった。


「そ、“お母さま”に早く会いたいから始発に乗ってもう来ちゃいましたー」

「ちょっとりうちゃん!そうじゃなくて」

「彼氏さん、ひょっとしてボクに会いたくて…///」

「そ、そうそう!ほら、前に意気投合してから会ってなかったし、早く瑞稀(みずき)くんに会いたいなって思っていて」

「そんな!嬉しいです、とても」

「…なんでふたり、もうこんなにラブラブなの」

「姉さん、それちょっと違うと思うんだけど…」




※※※




「ふぅ」


湯船に浸かると、今日一日の目まぐるしくも楽しい時間が蘇ってくる。

今でも不思議な感覚だ。だって、東京から2000km以上も離れた、台湾の方が近い島に俺は今いるのだから。それに、ここはりうちゃんの実家。こんな急展開を誰が想像しただろうか。


「長旅、疲れたんじゃないですか?ゆっくりしていってくださいね」


隣の瑞稀くんの声が浴室に反響する。


りうちゃんのお母さんがなかなか買い出しから戻ってこないので、俺は先にお風呂に入らせてもらうことになった。

瑞稀くんが「せっかくだし、3人で入りますか?」ととんでもないことを言い出したので、丁重にお断りし、ほっぺたを風船のように膨らませたりうちゃんを尻目に、瑞稀くんとお風呂をともにすることになった。


こうして俺を、家族の中に受け入れてくれる瑞稀くんには本当に感謝している。


「お背中、流しますよ」

「え、いいよ、瑞稀くんも疲れてるでしょ?」

「いえいえ、いつも姉さんがお世話になっていますし、彼氏さんのお背中を流したいですから。でも…」

「でも?」

「意外でした。普段から姉さんとお風呂に入ったりしているのかと思っていて」


ちょっ!?


いや、ここは冷静に対応しなければいけない。

さすがに瑞稀くんとはいえ、言って良いことといけないことがある。


「さすがにそれはないって!前に話したとおり、こう…ちゃんと恋人っていう訳ではないんだよ、俺たちはまだ」

「はい、でも恋人以上の仲の良さを感じていましたよ」

「そ、そうかな…」


本当は、りうちゃんと何度か一緒にお風呂に入ったことがある。

それに、手で背中や腰を洗ってもらったことだってあった。もちろん、それ以上のことは何もしていないが、普段の二人の生活を考えれば、恋人のような関係だ。


瑞稀くんと俺は湯船から上がり、洗い場に腰を下ろす。瑞稀くんが俺の後ろに周り、石鹸を手に、背中を洗い始めてくれた。なんか父親にでもなった気分でむず痒い。

それに、りうちゃんと同じように、瑞稀くんはタオルを使わず、自分の手で俺の背中を洗い始めた。


瑞稀くんはりうちゃんより2つ年下の男の子だが、そうとは思えないほど繊細な手つきでゆっくり石鹸を俺の体に塗っていく。まるで、りうちゃんに洗ってもらった時のような心地良さがある。


「そういえば、なんで姉さんは彼氏さんのことを『キミ』って呼ぶんですか?」

「ああ、それはーーー」


俺が彼女のおっぱいに顔を埋めながらやましいことを考えていたことが露呈したバツだよ。


…とは言わず、


「な、なんか俺頼りないし、そっちの方が俺も気が楽だから」

「そうですか?ボクからみたら、大人の男の人っていう感じがして、かっこいいんですけれどね」


かっこいい?俺が?


生まれて初めて言われた気がする。瑞稀くん、なんて良い子なの。


「それまでは『お兄さん』って呼んでくれていたんだけどね」


そう言って苦笑すると、瑞稀くんが背中越しにはっと息を飲んだのが分かった。


「彼氏さん、ボクもその…『お兄さん』って呼んで良いですか?」

「え、良いけど…そんな風に呼ばれるほど本当に甲斐性がないよ、俺」

「そんなことないですって。ほら、体つきだって大人の男の人っていう感じが…///」


ゆっくり撫で回すように、背中から腰、そして腹の横の当たりに指を這わせてくる。


「み、瑞稀くん!?」

「はい?」

「ま、前は自分で洗えるから!そ、その、交代しよう!」


このど天然は遺伝だろうな、と俺は確信する。

“お背中流します”の域を逸する前になんとか交代に持ち込む。


場所を入れ替えて、今度は俺が瑞稀くんの背中を洗う。相手は男の子とはいえ、手で洗うのは結構抵抗がある。しかし、この浴槽にはタオルがない。


「じゃ、じゃあ洗わせてもらうね」

「すみません、お兄さんはお客さんなのに」

「いいっていいって。いつもよくしてくれているお礼に」


瑞稀くんの背中はとても綺麗だった。白く透き通った肌。滑らかな筋肉。無駄がないが、男らしさ溢れるという訳ではない。これは、そう。まるでりうちゃんの背中のようで、美しい。


南の島の人というと、日焼けした肌を連想するが、りうちゃんも瑞稀くんも、どちらも真っ白で絹のヴェールのような肌質だ。

ぴとっ、と指を這わせると、少しくすぐったそうにする瑞稀くん。そのまま背筋を指でなぞって洗う。俺が洗った方が逆に汚してしまうのではないか、と思うような美しさ。男子とは思えないその背中に、俺はりうちゃんの肌を重ねて想像する。







「あの、お兄さん?」


気がつくと、俺は手を止めて彼の肌をじっと見つめていた。


「あ、ご、ごめんごめん」


慌てて続きを始める。


いかん。これは誠にいかん。何うっとりしているんだ、俺は!

本当にりうちゃんのように美しい肌に見惚れてしまっていた。


本日、人生約30年で新たな扉を開いてしまうところだった。


「そ、それにしても瑞稀くんの肌、すごく綺麗だね。島の人ってもっと日焼けしているものかと思っていた」

「それがちょっとコンプレックスでもあるんですよね〜。周りの人はみんな浅黒く健康的に焼けていますから。多分、母さんの遺伝だと思います」


そう言って瑞稀くんは鏡に向かって笑った。


「お母さんは、もともと島の人ではないの?」

「はい。母は北の方の出身なんですよ。だから肌も白いんです。父が島の人間です」


そうだったのか。じゃありうちゃんにしても、彼にしても、この透き通るような美しい肌は、お母さん譲りなのか。


「ありがとうございます。ぼく、そろそろ出ますね。夕飯の支度もしなくちゃいけないし」

「あ、そうなんだ、じゃあ流しちゃうね」

「ありがとうございます。お兄さんとこうしてお風呂でゆっくりお話できて、すごく嬉しいです。もっとたくさんお話しましょうね」

「こちらこそ、誘ってくれてありがとう」


シャワーで瑞稀くんの背中を流す。これ以上彼の綺麗な肌を見ていると、色々と俺の中の何かが決定的に、そして不可逆的に変わってしまいそうだ。


「お兄さんは、もう少しゆっくり温まっていってくださいね」

「あ、うん」


瑞稀くんが浴室から出ていき、再び静寂が訪れた。

俺は湯船の中でゆっくりと息を吐く。


りうちゃんの実家に3泊4日の、突然の旅行。


わくわくとした期待と、そわそわとした焦燥感をまとい、木造の天井を見上げるのであった。






To be continued...

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