第19話:驚きは唐突に (Pixiv Fanbox)
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休日出勤ほど嫌なものはない。
俺はそう確信しながら、急ぎ足で改札口を抜ける。
晴天。
春晴れと呼ぶにふさわしい青空が、都会の街を覆っている。
今日は、りうちゃんとランチデートをする約束をしていた。だが、急な仕事が入ってしまい、なんとか切り上げて来たが、腕時計は14時を指していた。
ランチではなくティータイムの時間に近くなってしまった。
駅から数分の場所で待ち合わせ。
ランチの時間を逃してしまったので、今日は、りうちゃんが前から行ってみたいと言っていたマルシェに出かけることとなっている。
マルシェなんて一度も行ったことがないので、それはそれで楽しみだ。
色とりどりのパラソルの下、「いらっしゃいませー!」という威勢の良い客引き声が響く。野菜や果物が所狭しと並ぶ商店と人混みの中で、俺は彼女の姿を探す。
「おーい!こっちこっちー!」
りうちゃんの声がした。遠く、オープンカフェの前で彼女は右手をぶんぶんと振っている。
まるで子どものようなその仕草に、自然と頬が緩んでしまう。
…が、問題がひとつ浮上した。
彼女の格好は、幼く俺好みでもあり、またよく似合っていてかわいい。のだが。
ブラウスの胸元のボタンが外れて、ブラジャーが丸見えだ。
幼なげな格好とは対照的に、りうちゃんにしてはちょっと大人びたピンク色の下着にドキッとする。
自宅なら、このままふたつの実った桃を堪能するところだが、ここでは人目があり過ぎる。おそらく彼女は自分の胸元が開いていることに気付いていない。
指摘してあげないと可哀想な気がするし、何より、自分以外の誰かに彼女の下着を見られるのは嫌だ。
「りうちゃん、その、ブラウスのボタン…」
もっとスマートにそれとなく促してあげる言葉を探してみたが、あいにく語彙の乏しい俺には見当たらなかった。
「え、あ…///」
顔を赤らめて、急いでボタンを閉める。ちょっとバツの悪そうな顔をして、俺を見上げてくる。
この表情は何度見ても可愛い。
でも、外ではこういう天然記念物のような行動は慎んでいただきたい。
太陽光に照らされて、彼女の腕や足、顔がより白く見える。
沢山の人がいる中で、やっぱり彼女はとても白い。そして可愛い。
まったく。思いの外、セクシーな下着を見せつけられて“勝負下着”という単語がよぎってしまう自分を、胸の内で叱責する。
ちょっとしたハプニングを収めたところで、俺たちふたりはマルシェの中を歩いて回る。
地方からの果物や野菜、肉類が中心に売られている。
○○県産!旬の野菜を!
などなど。綺麗に並べられた食材に目移りする。賑わいの雰囲気が、晴天と相まってとても楽しげな雰囲気だ。休日出勤で害した気分が洗われていく。
「あっ、ここ!見てみたかったんだー!前にネットで調べたの」
「しょうゆ?」
その店はどうやら、各地から集めた醤油を売りにしているらしい。
「うん。さて、問題です」
りうちゃんはそう言って人差し指を立てた。
「醤油は全部で何種類あるでしょう?」
「二十億五千万種類」
「まーじーめーにー!」
怒られてしまった。分かるわけがないじゃないか。
「醤油の数じゃなくて、大きく分けるとどんな醤油があるでしょうか、っていうこと」
「うーん。濃口と薄口とか?」
「うんうん、それも正解。でも実はそれだと40点」
「え、落第じゃん」
「ふふふ」
醤油学の単位を落としてしまった。再履修しなければ。
「2種類で40点っていうことは…全部で5種類あるっていうこと?」
「そのとーり!あとの3つは分かるかな?」
濃口醤油、薄口醤油、…あとは知らない。醤油をそもそも意識したことがなかった。
食卓に並んでいて、お刺身などにつけて食べるのは濃口醤油だろう。薄口醤油は、お吸い物に使うんだっけ?
「残りの3つはね、たまり醤油、再仕込み醤油、しろ、っていうの」
どれも聞いたことがなかった。味はやっぱり違うのだろうか。
「濃口醤油と薄口醤油で、生産量の9割以上を占めているから、残りの3つはとってもレアなお醤油なんだけどね〜」
「へぇ」
「たまり醤油と再仕込み醤油はどろっとしていていて濃厚な味わい。しろは、蒸した小麦を使って作った低音短期発酵のお醤油で、高級料亭の隠し味なんかに使われているんだよ」
そんな醤油があったなんて。どおりで知らないわけだ。
この店では、りうちゃんが説明してくれた5種類の醤油全てを扱っているようだ。
「今日は私、たまり醤油を買おうかな!って思って」
「お、ということは料理の幅が広がるんだね」
「そうだよー!よりに腕をかけて美味しい料理を作っちゃうからね!」
「腕によりをかけて、ね…いたっ!」
たるんだ下っ腹をつねられる。今のは俺は悪くない。
大人たるもの、学生の間違いはしっかり是正してあげてなんぼだろうに。
お土産にたまり醤油を一瓶購入し、マルシェを後にしようとした時、宝石のようなキラキラした何かを売っている店の前で、りうちゃんが足を止めた。
木のテーブルの上には織物が敷かれており、その上で色とりどりのガラス玉が踊っている。
中でも、りうちゃんの目を釘付けにしているのが、青いガラス玉の商品だった。キラキラと輝く青いビー玉のようなそれが、編んだ糸芭蕉で包まれてストラップになっている。とても綺麗だ。吸い込まれそうな青。
なんだろう。初めて見たはずなのにこの既視感は。深淵とも言えるこの深い青はーーー
そうか。これは、りうちゃんの瞳にすごくよく似ている。
「これーーー」
「りうちゃんに似ているね」
「私こんなにぶらんぶらんしているの」
「…そうじゃなくて」
ひやかしにならないように、俺は店に背を向けたが、りうちゃんはなおもその青いガラス玉のストラップに釘付けになっている。
プレゼントをしてあげようかと思ったが、値札を見て一瞬で断念した。俺のふところ事情からすると、桁一つ多い。
…我慢してもらおう。
「お嬢さん、これが気になるのかね」
店主は、濃い皺が額に刻まれた老婆だった。
いかにも魔法が使えそうな雰囲気が、そのアクセサリーをより神秘的なものに見せている。
「あの、これ…」
「そう、これはちょっと珍しいものでね」
「ハテルマ・ブルー」
りうちゃんがポツリと答えた。俺はその単語を聞いたことがない。
「ほぉ…。よく知ってるね。その歳でお詳しいこと」
「ちょっと、馴染みがあるんです。すごく、綺麗…」
「良かったら、そこの彼氏さんにプレゼントしてもらいなさいな」
ちょっとー!ゼロがひとつ多いんだって!
あーもう!これだから好奇心の権化ちゃんは!
「あ、いえ、そういうんじゃなくて…」
俺は慌てて取り繕う。結果、冷やかしのようになってしまった。
しかし、これを買わされたらゴールデンウィークは自宅でもやし炒めを食べ続けなければならなくなるだろう。
「いんや、いいのよ。久々にこれのことを詳しく知っているお方に出逢えて、あたしゃ嬉しいよ」
ニッコリ笑うと、老婆の皺が一段と深くなった。
「そのお礼といっちゃなんだけどね、おふたりの未来を占ってあげようかね」
「えっ、良いんですか?なんかちょっと面白そう」
りうちゃんがまたも興味を持ってしまった。
好奇心が旺盛なのは悪いことではないが、そのおかげで俺はたびたびヒヤヒヤしてしまう。人付き合いが苦手な俺にとって、彼女の積極性には驚くばかりだ。
「ね?いいでしょ?」
「あ、うん…」
不吉な未来でも宣告されたらどうしよう。
でも、ひょっとすると遠い将来、俺とりうちゃんが恋人、いや、結婚をして幸せな家庭を築いている未来を透視してもらえるかもしれない。そんな結果を聞いたら気分も舞い上がりそうだ。
うん、悪くない。
占いなんて信じるたちではないが、お代はいらないとのことのなので、是非とも良い未来を占ってもらおうではないか。
「あたしの占いはよーく当たるよ」
かっかっか。老婆は嬉しそうに笑う。正直、笑ったのか咳き込んだのか分かりかねる。
「2、3週間後の未来が見えるね」
随分と近未来な占いなことで。
外れたら2、3週間後に文句を言いに来ますからね。
まだ日も高い。りうちゃんは目をキラキラと煌めかせている。それこそ、このガラス玉のように。
ちょっと、いや、だいぶ胡散臭い老婆の占いに付き合ってあげよう。
「じゃあ、まずはお嬢さんの方から」
「はい!お願いします」
「むむ…そなたは…なかなか数奇な運命を辿ってきているね。難しい…その美貌の奥に、別の魂が覗いておる。そなたはその片割れのように見える…」
えっ。
ドキッとした。
この前、夢のような体験をしたばかりだった。
俺は別世界に飛ばされ、“もうひとりのりうちゃん”に出逢ってきたのだ。
これを言い当てるとは。偶然にしては出来過ぎている。
もしかしてこの老婆、本当に敏腕の占い師だったりして。
「でも、お嬢さん、あんたは幸せ者さね。この先、何があってもずっとずっと幸せでいられる。安心しなさい」
「本当ですか!嬉しいです。ありがとうございます」
ペコッとお辞儀をして、嬉しそうな表情を浮かべた。
「ほれ、次は彼氏さん、あんたの番さね」
「あ、はい」
「むーん。うーん。おーん」
…おーん?
「あの…何か見えますでしょうか」
「あんたはあれだね、もう時期すごいことが起きる」
「すごい…こと?」
「何かはハッキリ言えんがね、あんたの行動があんたの未来を大きく変える、そんな出来事が起こる。間違いなく、起こる」
「は、はぁ…一体、どんなことなのでしょうか」
「それは乙女の秘密さね」
老婆はそう言ってウィンクをした。多分ウィンクと思われる謎の行動をした。
※※※
俺たちふたりは自宅の前で一旦別れた。
俺は家に帰り、シャワーを浴びて部屋着に着替えて一休み。
りうちゃんは、少しだけ部活動に顔を出すと言い、制服に着替えに家に戻っていった。あとで俺の自室で合流するとのことだ。
今日は、マルシェで買ったたまり醤油を使って、お手製の料理が食べられるとのことで、お腹を空かして待っているところに、部活帰りのりうちゃんが元気よく帰ってきた。
りうちゃんのお手製料理を食べ、醤油について更なるご講義をいただいた後、焙じ茶を淹れて、いつものまったりモードへ。
「やっぱり私って運がいいのかな?」
「今日の占い?」
「うん。だって、ずっとずっと幸せでいられるなんて」
「そうだねぇ。とりあえず、どっちつかずで謎深き俺の人生よりは良いんじゃないかな」
「あははっ!日頃の行いだねーきっと!」
「日頃の、ねぇ…」
りうちゃんを見やると、決して良いとは言い難い日頃のスタイルで寝転がっていた。
もーう!
そういうあられもない格好を見せつけるでない!
いや、見せつけて欲しいんだけど!
タイミングというものがある。
というのも、こういう時に限って大概、俺のいわゆる“欲求”が溜まっている時だったりするのだ。
彼女の姿を見て、下半身がムクムクと音を立てるように熱く硬くなる。
ストレッチ生地の部屋着は、体の変形に柔軟に対応してしまう。
すなわち、勃起するとすぐにバレる。
またいつものようにからかわれてもたまらないので、彼女のパンツから目を逸らし、ゆっくりほうじ茶を啜る。
「ねえ、キミはゴールデンウィークに用事ないよね?」
失礼な!
俺だって連休中に用事のひとつやふたつ、
「うん、何もないよ」
あるわけがなかった。というか、密かに、りうちゃんと連休を満喫したいと思っていた。
「りうちゃんは?」
「私は休みの間、東京にいないんだよね」
「え、そうなの?」
それはがっかりだ。せっかくの連休なのに。
でも、次の一言でその消沈した思いは消し飛ぶことになる。
「実家に帰るんだよ、キミを連れて」
はい?
キミを連れて??
「え?」
「だって、用事ないって言ったよね?」
「いや、それはそうだけど…」
「もう航空券は用意してもらったから、お母さんに。二人分」
「えええー!?」
占い師の老婆の言葉が蘇る。
『あんたの行動があんたの未来を大きく変える、そんな出来事が起こる。間違いなく、起こる』
まさか。
こういうことだったのか。あなどれんな、あのペテン師。
というか2、3週間後じゃなかったか。数時間後に起こっているじゃないか。
ちーと早まったかね、かっかっか。
そんな風にしわがれた声で笑う老婆が思い浮かんだ。
「というわけで、出発は明後日だから。明日準備しちゃってね」
「え、ちょっと!本当に俺も行くの?」
「うん。瑞稀(みずき)くんが、歓迎会の準備してるみたい。地元の人も来るかもしれないって」
瑞稀(みずき)くんというのは、りうちゃんの弟だ。
しっかりもので、礼儀正しいイケメン好青年。俺と話も合う、とても気持ちの良い青年だ。
彼のことだから、完璧な準備をしているのだろう。
地元への根回しも、冗談ではないのかもしれない。
これはもう、周りからガチガチに堅められてしまった。行くしかない状況。
「嫌…だったかな」
不安そうな双眼がこちらを覗いている。
「とんでもない!嬉し過ぎるくらいだよ。俺なんかが招待してもらえるなんて。でも、ちょっと急展開過ぎて、頭が追いついていないというか…」
「飛行機にのっちゃえば大丈夫だよ!」
「そういう問題!?…っていうか、りうちゃんの実家がどこにあるかも知らないんだけど…」
「それは、当日のお楽しみ♪」
ええぇ…。
どこに行くかも知らされずに空に放り投げられるなんて。
期待と不安が、文字通り宙を舞う。
そんな俺を見て、パンツ姿の彼女は、にやりと笑うのだった。
To be continued...