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痺れるような感覚が、全身を駆け巡る。


唇から伝わる柔らかい感触が体に伝わり、脳がとろけて頭がぼーっとしている。


キス。


こんなに気持ち良いものだったんだ。


「んっ…」


俺は温かいお湯に浸かりながら、りうちゃんと濃厚な口付けをし続けた。

正確にはりうちゃんではなく、りうちゃんの複製体ーーーコピーなのだが、彼女はりうちゃんであってりうちゃんでない、と言う。


今朝、目覚めた時に飛ばされてきた、荒廃した世界。西暦2061年。

そこで出会った、りうちゃんのコピーと、こうして不思議な温泉のような場所にふたりで浸かっている。俺が、元の世界に戻るための”儀式”だそうだ。


いずれにしても、お互いに裸で抱き合い、肌と肌、唇と唇を重ね合うことに、形容しがたい心地よさを感じていた。


「ぷはっ…はっ…」


息継ぎをして、


「んぅ…っ!」


また、キスをする。繰り返し、繰り返し。

その薄い唇に俺の唇が重なる。


不思議と罪悪感はなかった。


りうちゃん以外の女性をキスをするなんて、俺の良心が許すわけがないのだが、相手は”りうちゃん”だからかもしれない。

儀式を始めた時には複雑な気持ちが芽生えなくはなかったが、その感情も、彼女の体を抱き彼女の存在を感じていると、すーっと消え失せていった。まるで、太陽が水平線の彼方へ沈んでいくように。


でも、


「んっ…だ…め…」


唇を離すと、彼女は小さく呻いた。


「うまく『時送り』ができない」

「え、どうして?」

「分からない。けど、多分、気持ちの問題だと思う」

「気持ち?」

「そう。キミは今、元の世界に戻りたいというより、有栖川りうに会いたいと思っている」

「うん、だって、それが元の世界に戻ることになるから」


そう言うと、彼女は抱擁を解き、正面から俺を見据えた。きらきらとした硝子玉のような瞳の中に、紅潮した俺の顔が映っている。


「それって、少し違うの」

「どういうこと?」

「キミが求めているのは元の世界ではなく、有栖川りうというひとりの人間。つまり、有栖川りうと一緒にいられればキミの居場所は関係ない」

「それはそうかもしれないけど…でも元に戻らないとりうちゃんとは会えないわけで」

「私も、有栖川りう、なんだよ」


そうだった。


この子はただりうちゃんに似ているというだけの少女ではない。りうちゃんのコピー、つまりりうちゃん本人と言えなくもないのだ。


「だからね、キミが有栖川りうだけを求めるのなら、必ずしも『時送り』によって元の世界に戻る必要がないことになっちゃうの」

「そんな…!だって、俺は元の世界のりうちゃんに!」

「分かってるよ。でも、実際に『時送り』はうまく発動していない。有栖川りうに会いたいと思うだけでは、私のいるこの世界に留まることで解決されてしまう」


相手がりうちゃんのコピーだからこそ、こういった事態が起きているのか。

ではどうしたら良いのだろう。

俺は、元の世界に戻って、またのどかで楽しい時間を、彼女と過ごしたいのに。


「ちょっと、休憩しましょう」


彼女の体が俺から離れた。

すると、透き通ったお湯の中に、彼女の肌や乳房が見えてしまう。慌てて視線を逸らすと、彼女は俺の後ろ側に周り、背中合わせにぴたっとくっついてきた。


「あ、あのさ」

「うん?」

「お、男の人のアレって、す、すごいんだね///」

「ちょっ!こんな時に何言ってんの!」


こんな時に下半身を全力で膨張硬化させておいて、自分もどうかと思うが、でもそれは仕方ない。

コピーとはいえ相手はりうちゃん。肌を密着させて何度もキスをしていたら、興奮しないわけがない。


「ご、ごめんごめん。だって、み、見たの初めてだったから」

「そ、そうだよね。こっちこそ、ごめん///」


恥ずかしさが込み上げる。

命の危険に晒されて先の展望も見えないのに、体は皮肉なまでに正直だ。


「少し、お話しよっか」

「うん?」

「私のことや、この世界のこと。知ることで気持ちの変化があるかもしれないし」


彼女との濃厚なキスに頭脳の全てを持っていかれてしまっていたが、肝心なところは何もしらないままだった。どこまで煩悩の塊なんだと、自分が情けなくなる。


「何から知りたい?」


そうだな…やっぱり気になるのは、


「その、どうしてりうちゃんのコピーが生まれたの?」

「気になるよね。うん、これには少しきっかけがあるの」

「きっかけ?」

「うん。『黒痕(こくこん)』については、マダレさんから聞いていたんだっけ?」

「いや、詳しいことは何も…」


この世界で目覚めた時に出会った青年。名前はマダレと名乗っていた。

彼は俺に「『黒痕』の香りがする者がいたらためらわず殺せ」とだけ告げ、去っていった。


「『黒痕』っていうのはね、一種の病気のようなものなの。これに患った人は、ふとしたきっかけで自分のコピーを作り出してしまう。同一世界線、同じ世界に同じ人間がふたり存在することはできないから、コピーもその元も、別の世界や時代に飛ばされてしまう」

「つまり、りうちゃんも『黒痕』を患っていて、何かのきっかけでコピーを、君を作り出してしまった?」

「そう。幼い頃に、崖から落ちて、その拍子に私、つまり有栖川りうのコピーが誕生した」

「待って。じゃあ俺がよく知っているりうちゃんも、元々は別の世界にいたということ?」


ふたりが同一世界線に存在できないから散り散りに飛ばされる、というのであれば、りうちゃんも別の世界から、俺のいる世界に飛んできたということなのか。


「普通はそうなんだけどね。有栖川りうは特別だったの。元からキミの住む世界で生まれ育って、コピーの私だけがここに飛ばされた」

「え、どうして…?」

「『ニライカナイ』って。知ってる?」

「いや…」

「沖縄県の離島で語り継がれる伝説なの。ニライカナイというのは、遠い東の海の向こう、海の底に眠っていると言われる神界。琉球ーーーつまり沖縄やその離島の人々に今も語り継がれている伝統的な民間信仰なの」

「歴史的な伝説、みたいなものかな。中国での龍や麒麟のような?」

「簡単に言えばそうかな。ニライカナイは、守護の神様がいるとされる島」


東京近郊ではそういった民間信仰はあまり馴染みがないが、地方によっては俺の世界でもそう言った概念は存在していた。


「有栖川りうは、崖から転落した時に失神し、それがトリガーとなって、コピーの私が生まれた。本来、ふたりとも別々の世界に飛ばされるはずが、キミのよく知るりうは、その時に、守護神たちによってニライカナイに運ばれた。ニライカナイは本来、死者の魂が去っていく場所なのだけれど、りうは生きていたからね。ニライカナイの守護神たちによって、もとの場所へと再び運ばれたの」

「なるほど。神様に命を救われた、ということだね」

「うん。だからりうはそのまま元の世界に残ったの」


そういうことだったのか。不思議な話だが、妙に納得できた。

もともとりうちゃんは、不思議なところのある子だなと思っていたからかもしれない。


「他に知りたいことはある?」

「いや、今の話で『黒痕』についても知れたし、どうしてキミが生まれて、りうちゃんが元の世界に残ったのかも分かった。この世界が荒れ果ててしまったのは、10年前にある出来事がキッカケだったと、マダレさんから聞いているよ」

「うん。『黒痕』の患者が増えれば、どんどん人は別の世界に飛ばされてしまい、結果、世界の人口は激減する。今、この世界の東京の人口は500人くらい。全日本でも5000人にも満たないよ」

「5000人!?」


俺の住む2021年では、日本の人口は1億数千万人くらいいたはずだ。激減どころの話ではない。


「人口減少を食い止めることはできなかったの?」

「もちろん、政府はあらゆる対策を打ち出した。でも、『黒痕』蔓延のスピードに医療は追いつかず、また原因も特定できなくて、どんどん人の数が減っていったの」

「それで、産業が衰退したんだね」

「うん。もう歯止めが効かなくなってしまって、しまいには、今のように『黒痕』を患った人は殺戮されるようになってしまった」


恐ろしい話だ。謎の感染症の大規模パンデミック。俺の住む世界でも何度か似たようなことがあったが、その規模や感染速度とは比較にならなかったのだろう。


りうちゃんが、『黒痕』を。


元の世界で生きるりうちゃんが心配になってきた。

俺は、りうちゃんの患う『黒痕』、つまり『黒痕』による『時継ぎ』の能力によって、ここに飛ばされたのだろうか。


「でも、りうに『黒痕』があったのはその時だけ。今はもう彼女は患っていないの。だからキミが飛ばされてきたのはりうのせいじゃないよ」

「別の誰かが『黒痕』を患っていて、その人によって俺が、ここに?」

「断定はできないけれど、その可能性も否定はできない、かな。いずれにしても、キミもりうも『黒痕』を患っている訳ではないから、その点は安心して大丈夫」


大丈夫、と言われても、なかなか安心はできない。

元の世界に戻れたとしても、またこうしてどこか別の世界に飛ばされることになりかねないのだ。

俺も、りうちゃんも。


でも、それでも俺は元の世界に帰りたかった。


「正直、元の世界そのものに大して未練は無いんだ。会社でもお荷物扱いを受けていたし、心配といえば母とりうちゃんくらいなもので」

「それは十分戻る理由になるよ。キミは、元いた世界を愛してはいないようだけれど、有栖川りうは愛しているんだよね」


愛している。


随分大袈裟な単語が飛び出し、一瞬面食らった。

もちろん大好きだし、これからもずっと一緒にいたいと思っている。でも、愛だなんていうことは、なかなか考えるに至らなかった。


「う、うん。愛、というとちょっと重い?気もするけど、でも、大好きなんだ、りうちゃんが」

「ふふっ。私もりうだけど」

「うっ…///」


目の前にいる“りうちゃん”に向かって大好きだなんて、告白みたいじゃないか。似たようなことは元の世界でも言っているけれど、この雰囲気で伝えるのはとても恥ずかしい。


「ねえ、私に考えがあるの」

「せ、セックスはだめだからね!」

「違うよ、バカ!///」

「だってさっき!」

「それは最短最速の方法として考えられるもっとも合理的な手段というだけ。…でもキミは本当に優しいんだね」

「えっ」

「だって、向こうの世界のりうとそうすることを拒んだじゃない?」

「そ、それもご存知で…」

「私はりうの片割れだから。断片的にだけど、色々知っちゃってるよ、ごめんね。でもそれって、向こうの世界の法律で禁止されているからかと思っていた」

「18歳未満の性行為はうんぬんっていう?」

「そう。でもキミが彼女とのセックスを拒んだ理由は、それだけじゃないんだね。きっと、りうを大事にしたいという思いが強かったから、じゃないかなって」


そのとおりだった。


もちろん法律や条例のことも頭によぎったが、何より、ちゃんと関係を構築して、お互いがお互いを信頼し合って、時を経て恋人となってから大人の関係を結びたい。それまでゆっくりと安心できるように、関係を育んでいきたい。そう、思ったからだ。


性行為を求めることが、イコール相手を大切にしないこととは思っていないが、一目惚れして、ちゃんと相手のことを知る前に体の関係になるのが、嫌だった。まずは、りうちゃんに安心を与えたいと思っている。


「そっか。向こうのりうは、こんな素敵な人に巡り会えて幸せだね」

「そ、そんな素敵だなんて…」


背中越しにそんなことを言われて、赤面する。

でも、彼女のその声に少し寂しさが混じっているような気がした。


「あ、ごめん。それで考えっていうのは?」

「あ、うん。えっと、キミが元の世界そのものを強く求めるのは無理だと思う。だから、有栖川りうを求めるしかない。けれど、それでは私を求めることにもなってしまって、『時送り』がうまく発動しなかった」

「うん」

「だから、私にはなくて、向こうの世界のりうにあるものって、何か知らない?」


元の世界のりうちゃんだけにあるもの。

なんだろうか。コピーだから全て同じな気もするが。果たしてそんなものがーーー


あった。


ひとつだけ、ある。


そうだ。これは、向こうの世界のりうちゃんにしかないものだ。


「ネックレス」

「ネックレス?」

「うん。誕生日のお祝いに、彼女にネックレスをプレゼントしたんだ。金色でとても似合っていた。喜んでくれて、すごく嬉しかったんだ」

「なるほどね。それは私が持っていない、向こうの世界のりうだけのものだね」

「でもネックレスを強く思う…のは難しかもしれない」

「ううん。ネックレスそのものではなく、ネックレスをしたりうを思う、というのはできないかな?」


なるほど。その手があった。

ネックレスを渡したあの日、首から下げた彼女を思うことは、誰よりも強くできる。


「それは、できると思う。うん、それ、やってみても良いかな」

「うん、そうしよう。じゃあ、もう一度、こちらを向いて」


俺は彼女の方を向く。

やっぱり、こんな状況であっても、りうちゃんと同じ瞳で、同じ乳房で、同じ肌を見ると、興奮してしまう。

真面目にやろうとすればするほど、その意思に反して、下半身が膨張する。


「も、もう。それじゃくっつけないんだけど///」

「だって!仕方ないじゃないか///」


カタカナの「ト」みたいな状態な俺に、彼女は無理やり自分の体を押し付ける。俺の陰部がむにゅっと押され、彼女と自分のお腹の間で硬直を極めた。


彼女は構わず俺の背中に腕を回し、抱きつく。そして、


「目を、閉じて」


もう一度、唇を重ねた。


再び、りうちゃんを想う。

強く、強く。


プレゼントに渡したネックレスをつけて、少し潤んだ瞳をこちらに向けた、彼女を。

唇に伝わる柔らかな感触の中で、彼女を抱きながら、“彼女”を想った。


「んっ…」


彼女が息継ぎをする。そしてもう一度口付けをした時に、変化は訪れた。


頭がぼんやりとしてきた。


まるで、夢と現実の境界線が不鮮明になっていくように、意識が溶けていく。目を開くと、白いモヤがかかっている。

口付けをしながら、彼女の顔が白んでいく。


「もう、大丈夫」

「うん」


『時送り』が発動したのを感じた。全身の感覚が薄くなっていく。

彼女の肌に触れている感覚が薄らいで、湯の温かさも明瞭さを失う。


これで、元の世界に戻れるのかもしれない。


「わたしも」


数センチ、彼女は唇を離すと小さくつぶやいた。


「わたしも、そっちの世界にいたら、こうしてキミに愛してもらえたのかな」


はっとした。

目を開こうとする。もう五感が麻痺してうまくまぶたが開かない。

でも、力を振り絞って半眼で彼女を見る。


自分の意思ではなく、偶然に生まれてしまった命。もうひとりの有栖川りう。

過酷な世界に身を置き、いつ崩壊するかも分からない時代に生きるひとりの少女。




濃紫だけが彩のこの場所に囲まれて、藤の花の中だけの安寧に身を委ねて、彼女の瞳から一筋の涙がこぼれていた。


「また、キミに愛してもらえるのかな」


その問いに、俺は答えられなかった。


代わりに、頬を伝う涙をすくうように、俺は彼女の頬にキスをした。


もう、何も見えない。

何も感じない。


でも、最後に彼女が微笑んだのだけは、分かった気がしていた。




※※※




目を開ける。

ゆっくりと視界が戻ってくる。

映ったのは、見慣れた天井。明かりがついていた。


体を起こして首を回してみる。体に異常はない。

見慣れた四畳半の奥に、簡易なキッチンがあった。


間違いない、俺の住むアパートだ。

戻ってきたのだ、この、世界に。


夢ではない。それは分かっていた。

彼女との抱擁、口付けの感覚が、体に残っていたからだ。


キッチンの奥から、カップをふたつもった少女が部屋に入ってきた。


「りうちゃん…?」

「あれ?キミいつからいたの?」

「りうちゃん!!」


ガバッと起き上がると、俺はりうちゃんに抱きついた。

力一杯、抱きしめた。


「ちょっ…わっ!!」


淹れたての焙じ茶が床に溢れてしまった。それでも構わず俺はりうちゃんを強く強く抱きしめた。


「もう、どこにもいかないで」

「えっ?ちょ、それはこっちのセリフなんだけど。キミどこ行ってたの?」

「俺、別の世界に行っていたんだ」


は?


彼女の口は空いたまま塞がらない。

半分こぼれた焙じ茶のカップを手に、俺を見上げてポカンとしている。


「どうしたの?小説のネタでも考えてたとか?」

「違うよ。本当に、別の世界に行っていたんだ」

「えーっと…なんか会社で嫌なことあった?」


すごく心配そうにこちらを覗き込む。


俺は抱擁を解き、彼女に、起こったことのすべてを洗いざらい説明した。




※※※




「えーっと…」


説明しながら自分がおかしなことを言っている気がしてならなかった。

真剣に話をしていたからか、夢のような話を、りうちゃんは黙って聞いてくれた。


「ふーむ」

「いや、我ながら意味不明なこと言ってるとは思うんだけどさ、本当なんだ」

「意味不明だなんて思わないよ。そりゃ、すぐに信じるっていうのは無理があるけど、でも、ひとつ心当たりがあるの」

「えっ?」

「わたし、小さい頃に崖から落ちて意識を失ったことがあって。死んでいてもおかしくないような高い崖だったから、両親にはすごく心配されたんだけど、でも怪我一つなかったんだよね。周りはみんな不思議に思ったみたいだけど、私はなんだか前後の記憶がないから、ちょっと曖昧で」

「それって…ニライカナイの」

「それは伝説のようなものだから、ちょっとどうかは分からないけど…でも、この話ってキミにしたことなかったよね?」


確かにそうだ。りうちゃんが、幼い頃に高い崖から落ちたという話は聞いたことがなかった。


「だから、それを鮮明に話してくれて、もしかしたらその、もうひとりの私?から聞いたという話は本当なのかもって。それに、キミが私にこんな壮大な嘘をつく理由もないし」

「嘘なんてつかないよ」

「うんうん。夢にしては当たり過ぎているし、それにキミは今日この家にいなかったでしょ?私が遊びにきた時もいなかった。だからてっきりまだ会社にいるものだと思っていて」

「あー…会社…」


しまった。不測の事態とはいえ、こちらの世界では無断欠勤したことになる。時刻はもう22時を回っている。今から電話を掛けたところで、誰もいないだろう。


「それに…」

「それに?」

「もうひとつちょっと心当たりというか、夢、じゃないんだけど、思い当たる節があって」

「俺の話の中に?」

「う、うん。その、お湯に浸かって、その…ちゅーって…///」

「えっ!?」


禊を結ぶ。

あの時の記憶が、あのりうちゃんからこのりうちゃんへ継承されているのか?


「なんか、最近じゃなくて、ずっと昔?いや違うなあ。なんだろう。夢で見たわけでもないのに、ぼんやり、そんなことがあったような、なかったような。気のせいかもしれないけどね」

「もしかして、あっちの世界のりうちゃんから記憶が送られてきている、とか?」

「まっさかあ!」

「だ、だよね…でも、それホント?だとしたら、やっぱり俺の体験したことは夢じゃなかったんだ」

「うーん。にわかに信じがたいけれど、でも夢の一言で片付けられないような気がするんだよね」


あれは、とても不思議な体験だった。でも、もう二度と経験したくない。

だって、やっぱり俺はりうちゃんとこの世界で、こうして穏やかな日常を過ごしたいのだから。


あっちの世界で出会ったりうちゃんのコピー。片割れ。

あの子も間違いなくりうちゃんだった。それは、近くで接してみて、話をしてみて、すぐに分かった。でも、あの荒廃した世界ではなく、平和ボケしたようなこの世界で一緒に過ごす彼女が誰よりも好きだ。


「りうちゃん、俺、寂しかった」

「うん」

「もう、いなくならないでね」

「だからー、それは私のセリフでしょ?」


そういって彼女はふふっと微笑む。


「じゃあさ、もう二度と離れないように、『禊結び』?でもしておく??」













「ちょ、ちょっとりうちゃん!?」

「じょーだん」

「そんな格好で冗談って言われても!」


不意にドキドキしてしまう。

黒いブラジャーとショーツが丸見えだ。こういう、まったく飾らないところがりうちゃんらしいといえばらしいが。


「だって、向こうの有栖川さんとはもーっとえっちな格好でキスしてたんでしょ?」

「ち、ち、違うって!りうちゃんに会うためだし、あれもりうちゃんだからその…」

「あははっ」


やっぱり、りうちゃんはりうちゃんだ。

あっちの世界でも敵いそうになかったが、こっちの世界のりうちゃんはもっと強敵だ。全く勝てそうにない。


「ねえ、少しだけ甘えてもいい?俺さ、今回のことがあって、りうちゃんのこと、もっと愛おしく感じたんだ」

「う、うん。嬉しいよ、そういう風に言ってくれるの。分かった、いいよ。おいで」


そう言って両手を広げた彼女の胸に飛び込んだ。


いつもなら下半身が反応してしまって、数十秒ともたないのだが、今は不思議と心地よさと安心感がそれに勝っていた。

彼女は、情けなく子どものように甘える俺を、何も言わずに抱きしめてくれた。

胸に顔を埋めると、涙腺が刺激されて、涙が溢れた。


りうちゃんの胸で泣くのは何度目だろう。

10以上も年下の女の子の胸で何度も情けなく泣く俺を、彼女はただ、黙って優しく受け入れてくれる。

そんな彼女が、大好きだ。


優しく頭を撫でられて、俺はふんわりと体が軽くなっていくのを感じた。

彼女の背中に腕を回して、しがみつくように密着する。


「よしよし」


りうちゃんの声と吐息が頭から降ってくる。


彼女の柔らかな胸から、ほのかに藤の花の香りがする気がした。






Fin.

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