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朝。

起きると、塩の香りが窓から流れ込んでくる。静かな潮騒が届いてきそうな、優雅な朝にーーー


「起きろー!」


バサッ、と体に掛けていたタオルケットを奪われた。


「んぅ…」


まだ眠いのに。


「今日、すっごく良い天気だよ!海見に行こうよ、海!」


朝から元気にはしゃぐりうちゃん。

寝ぼけまなこを擦りながら、両手をぶんぶんと振る彼女をぼんやりと眺める俺。


東京から2000km以上離れた最果ての島。竹富島にやって来ても、普段と何も変わらない朝であることになんだか少し笑えてくる。

でも、普段と違うのは、


「お兄さん、今日は本当に良い天気ですよ。朝食を食べたら姉さんに付き合ってあげてください」


頭の上から降ってくる男の子の声。りうちゃんの弟、瑞稀(みずき)くんがいることだ。


りうちゃんと俺は、彼女の実家にやって来た。

今日は2日目。


まだ、彼女たちのご両親とはほとんど話もしていない。昨晩、お母さんは帰りが夜更けになってしまっていたし、お父さんは仕事で今晩帰宅するらしい。

なので、実質、りうちゃんとみずきくんのふたりとしか接していないようなものだった。


この旅をお膳立てしてくれたのは、他ならぬりうちゃんのお母さんとのことなので、今日こそは、まず、しっかりとお礼を伝えなければ。


洗面所で顔を洗い、気合を入れるべく、バシバシ、と両頬を叩く。

鏡は、相変わらず冴えないアラサー男子の顔を映している。でもこればかりは仕方ない。生まれつきこの顔なのだ。


りうちゃん、みずきくんの案内でリビングに通されると、朝食を用意してくれていた彼女たちのお母さんと目が合った。


「あら、おはようございます。よく眠れましたか?」


以前、電話で話したとおりの透き通るような綺麗な声。


「お、お、おはようございます!はい、そ、その、誠に良く眠れまして、とても感謝しています!」


感謝するところはそこじゃないだろう。胸中で自分にツッコミを入れながら頭を下げる。


「あ、あの!この度は、お招きいただき本当にありがとうございます!旅券をはじめ、その…何から何までご用意していただいてしまって…」

「いえいえ、気にしないでくださいね。私も、りうの彼氏さんにお会いできるのを楽しみにしていましたから。嬉しい限りです」


やっぱりここでは俺はりうちゃんの“彼氏さん”ということになっているらしい。正式にそういう関係ではないので、やっぱり彼氏さんと呼ばれるのはむず痒い。


でも、なんだろう。

この破壊力は。


まるで、水を得た魚のごとく、俺の心は踊り出す。


りうちゃんたちのお母さんは、しっとりとしていて、優美を極めていて、品格に溢れている。それでいて、嫌味のない美しさが満ちている。

柔和な神々しさに、俺は言葉を失ってしまう。そう、それはまるで女神のようでーーー


「おーい」

「あ、いや、えっと…自分もお会いできて嬉しいです。いつもりうさんにはお世話になりっぱなしですが…ど、どうぞよろしくお願いいたします!」

「鼻の下びよーん」

「ちょっ!?」

「こら、りう。変なこと言わないの。失礼でしょう」

「だってホントだもん」

「そ、そんなこと!」


ある。

実際、ある。


自分で自分の鼻の下を圧縮したいくらいに伸びきっているのではないかと思う。


お母さんは、りうちゃんに負けず劣らずの美貌の持ち主だった。

さらりとした黒髪は後ろで結われ、腰の上あたりまで伸びている。肌も白く、何より若い。自分と同い年と言われても違和感を感じないほどだ。

以前、りうちゃんに聞いた話でも、実際に若いとのことだったが、予想以上に若かった。お母さんというよりは、お姉さん、という表現の方がしっくりくる。

化粧は薄いが、しっかり小綺麗に整えられていた。薄い唇とスッと通った鼻筋。細めの眉に大きな瞳。

このお母さんにして、りうちゃんあり。そしてみずきくんあり。

遺伝子の継承を納得せざるを得ない。


「りう、みずき、運ぶの手伝ってね」

「はーい」


りうちゃんとみずきくんは、お母さんと一緒に島豆腐のお味噌汁や焼き魚、ご飯などを食卓へ運ぶ。




四人で食卓を囲み、俺とりうちゃんは、替わるがわる東京での暮らしについて語った。

お母さんとみずきくんは、島の暮らしを説明してくれる。

それは、同じ日本に住んでいても、全く別ものだった。生活様式や考え方、人々の営みがこんなにも違うものなのかと、島豆腐のお味噌汁を啜りながら、驚かされるばかりだ。




朝食を終えた俺は、改めてお母さんにお礼をし、微笑みを返されて鼻の下を伸ばし、りうちゃんに横腹をつねられながら、居間に移動した。その様子を一部始終見ていたみずきくんは、苦笑を浮かべるばかりだった。


「お母さんとみずきくんは家事するって。今日、お父さんも帰ってくるし」

「そっかそっか、お、お父さんか…」

「お父さんも楽しみにしてるみたいだよ、キミに会うの」


お母さんとの対面も緊張したが、お父さんとなるとそれは極限に達することだろう。

彼女たちの家族なので悪い人でないのは間違いないだろうが、何より自分が粗相をしてしまわないか、無礼を働いてしまわないかどうかが心配だ。




ちょっと待っていて、と言って、りうちゃんは自室に向かって行ってしまった。淹れてくれた月桃ハーブティーをちびちびと飲みながら、縁側に腰掛け、空を見上げる。


快晴微風。


絵の具で塗ったような青が空一面に広がり、綿飴のような雲が小さく点在している。

この空の青さを見ていると、東京は晴れていても、青空とは呼べないような気がしてくる。俺の知る青空は、もっとくすんでいる。

ここには、どこまでもクリアな青が悠々自適に広がっていた。


ゆっくりとした時間が、心身を包んでくれる。

なんて居心地の良い場所なのだろう。


東京で暮らしている時の時間の感覚とは全く違う。


島時間。


りうちゃんのお母さんは、先ほどそう表現していた。

日が登ると活動をはじめ、日が沈むとゆっくり就寝に向けて準備をする。

日中も忙しない感じがなく、まるで寄せて引く波のように、あるがまま、自然体に過ごす。

それが島時間という概念だそうだ。


パタパタ、と足音がする。

りうちゃんが戻ってきた。


「お待たせ!」

「うん、おかえり…え!?」


その姿は、水着姿だった。それも、学校の授業で女子生徒が着用するようなスクール水着だ。


「え、ど、どうしたの」

「だって、これしかなかったんだもん。水着持ってくるの忘れちゃって」


竹富島では、既に海開きがなされており、遊泳可能な海辺では、浅瀬で水遊びをすることができる。今日は天気が良いので、海に行こうということになっていた。


「え、超ファンサービスじゃんなにそれ」

「サービス?」

「あ、いや、なんでもない」


ビキニ姿のりうちゃんも見てみたかったが、こう、スクール水着を来たりうちゃんとキャッキャできるとは想像もしていなかった。これぞ棚からぼた餅というやつか。


「早く泳ぎに行こーよ!///」

「う、うん///」










※※※




ゆっくり歩いて10分。

竹富島の西側に位置する「コンドイ浜」にやってきた。


人通りは少なかったが、さすがにスクール水着姿で徘徊するわけにもいかないので、りうちゃんは薄手のパーカーを羽織っていた。

俺はもちろん水着なんて持って来ていなかったので、短パンTシャツに、借り物のビーチサンダルをつっかけている。


浜に足を踏み入れると、ここが俺の知っている海辺と全く違うことがわかる。

まず、その青さ。

空の青さにも驚いたが、この海の青さは別格だった。


波打ち際は浜の白色が透明な海水を通して良く見える。沖にいくにしたがって、徐々に青さが増していくのだが、青、というよりは珊瑚礁独特のエメラルドグリーンが目を引く。水平線は、濃いオーシャンブルーと鮮やかなスカイブルーでくっきりとその輪郭が隔てられていた。


俺とりうちゃんは、のんびり海を眺めたり、おもしろい形の珊瑚を集めて浜辺に城を作ったりして遊んだ。

ひとしきり遊んだところで、りうちゃんがパーカーを脱いで浅瀬に入る。


「わっ、冷たい!」

「綺麗な水だね…砂浜っていうか、粒が大きい気がする」

「うん、この辺の浜は砂じゃなくて珊瑚が砕かれたものが砂みたいに集まっているんだって」

「へぇ…」


トットットッ。


子どものように水際を走るりうちゃんを追いかけていく。夢のような時間だなぁ、と思う。ビーチサンダルの隙間から入り込んでくる海水が冷たくて気持ちが良い。


それにしても…


りうちゃんの着ているスクール水着は、パンパンに張っていた。特に、胸のあたりが。

これしかなかった、ということは、実家に住んでいたときに学校で使っていたものだろう。高校入学から上京しているので、中学生の時に着ていたものだろうか。


他に人がほとんどいないのが救いだ。だって、なにしろ、その…はみ出そうなのだ。

おっぱいが。


そう思うと、りうちゃんもこの1年間で色々と成長したんだなあと思う。

そう、色々と。


今度はりうちゃんがこっちに向かって駆けてくる。そのリズムに合わせて、程よく実ったふたつの胸が小気味よく揺れる。

潮騒のサーッという音とともに、たゆんたゆん、とその音が響いてきそうだ。


少し濡れたスクール水着から海水が滴る。身体の曲線に合わせて、ツーっと彼女の身体を這い、太もも辺りをてらてらと濡らしている。

当たり前だが、この水着の下には生身のりうちゃんの体が隠されている。もし、今水着の肩紐がプチッと切れたら、その白く清らかな胸部が露わになって、その頂きにある桃色の突起部分も…


「えいっ!」

「うわっ!?」


唐突に、水をかけられた。

結構な勢いでかけられたせいで、Tシャツと短パンがびしょ濡れになってしまった。


「キミ、今、ちょっとエッチなこと考えていたでしょ」

「な、なんでそうなるの!?」


いや、当たっているのだが。


「キミがぼーっとしている時って、大体そうだから」


バレバレですか。

だって、ボディラインが強調されて濡れた体を思い切り見せつけられていたら、ねえ。


「とう!」

「わっ!冷たい!」


今度は仕返しに、りうちゃんに水をかける。そしてまたかけられる。

着ていた服は濡れてしまったが、自分が海水パンツじゃなくて良かったと思った。

海パンは、その内側の形が目立ってしまうから。


下半身が、ムクムクとうめいているのを感じ、暑さとは別に汗が噴き出そうになる。




※※※




「なんだかすごく不思議」


ひとしきり遊んだ後、ふたりは近くにあった石垣に腰掛けた。

遠く水平線の彼方を見ていると、ふいにりうちゃんがそんなことを言った。


「キミとこうしてこの浜に一緒にいるのが」

「コンドイ浜にいるのが?」

「うん。私の故郷ってさ、ここね。東京からすごく遠いから。キミと一緒にいるのに、全然そんな実感が湧かなくて」

「俺もそうだよ。まさか竹富島に今、自分がいるなんていうこと、実感湧かないな。でも、連れて来てくれて本当に嬉しいよ」

「待望の母上にも会えたしねー」

「ちょっとりうちゃん、意地悪だなあ」

「でもお母さん、綺麗だったでしょ?」

「うん、超美人、お母さんっていうよりお姉さんっていう感じだよね」

「ぷーん」


頬を膨らますりうちゃん。

いや、今のは自分からそう誘導したんじゃないか。


寄せて引く小さな波が、繰り返し繰り返し、この浜を撫でていく。

俺たちはそれを、ゆっくりと眺めた。

凪、とはこういうことを指す言葉なのだろうか。


時間が水飴のようにゆっくりと引き伸ばされて、まるで永遠の時を生きているような錯覚を覚える。とても静かで、とても優しい島時間。

珊瑚で形成される白い浜が、太陽の光を浴びて、さんさんと煌めく。


「ねえ」

「うん?」

「もし私が、東京に帰りたくないって。ここに残るって言ったら、キミはどう思う?」


えっ?


「もしも、の話」


唐突な質問に、即答できない。


もし、彼女がこの島に残るとしたら、俺は。

俺はどうするのだろう。


考えもしなかった。だが、普通にあり得る話だ。


故郷を思って、恋しくなって、そして元々の場所に帰って行く。

それは特別なことではない。そういう人生を歩む人だってたくさんいる。


俺だって、そんなことを考えなかったわけではない。ただ、なんとなく仕事があるから東京に住んでいるというだけで、何がなんでも居続けたい場所、ということもない。


でも、ことりうちゃんに関しては、そのことを全く考えていなかった。

りうちゃんがこの帰省で、故郷を恋しく思って、この地に残ることになる可能性を。


もしも、の話。


彼女はそういうが、それは本当にもしもの話なのだろうか。

例え話ではなく、彼女は故郷が恋しくなって、ここに残る可能性を検討しているのではないか。


そうしたら俺は、どうするのだろうか。


島民でない俺がこの島に移住するのは難しいだろう。

それに、仕事はどうする。


でも、もし彼女が東京を離れるのなら、俺が東京にしがみつく理由は、もはや思いつかなかった。

彼女と出会う前と今では、暮らしの価値観がガラッと変わってしまった。

それはもちろん良い意味での変化だったが、こうして彼女が離れていくことを考えると、寂しさで胸が締め付けられる。

こんな思い、したくない。

こんな思いをするくらいなら、後先考えずに、彼女のいる場所、りうちゃんの隣に居たいと、俺は思う。


俺にとって、彼女は、それくらい大きな存在になっていた。


「もし、りうちゃんがこの島に残るって言ったら、俺もこの島で暮らすよ。仕事とか、色々問題はあるかもしれないし、島民でない俺をこの島が受け入れてくれるかどうかわからないけど…でも、あの四畳半の部屋に、りうちゃんが居ないなんて、もうそんな人生は考えられないんだ。そこは俺が帰りたいと思う場所じゃない。だから、もしりうちゃんが東京から離れるなら、俺も東京から離れる。りうちゃんのそばに居たい」


思いの丈を彼女へぶつけた。

身勝手かもしれないが、これが俺の本心だ。俺はずっと、彼女のそばにいたい。

嘘はつきたくなかった。


彼女は静かに、でも真っ直ぐに俺を見つめた。

このオーシャンブルーにも負けないような、綺麗な瞳をたたえて。




こんな時、どうすれば良いのか、不甲斐ない俺には分からない。




彼女を抱きしめたら良いのだろうか。

頬を寄せてキスをしたら良いのだろうか。




でも、ちっぽけな俺にはどちらもできなかった。ただ、餌を待つ仔犬のように、彼女の言葉を待った。


「ありがとう」


ひとこと、ポツリと呟いて、彼女は海の方へ視線を向けた。


「キミの、そういうところ、好き」


そして、さざ波に消え入りそうなくらいの声で、そう言った。


「…えっ?そういうところって?」

「さ、そろそろ帰ろっか!」


彼女はお尻についた砂をぱんぱん、と払い、立ち上がる。


「え、ちょっと、りうちゃん?」

「早くしないとおいてっちゃうよ」

「え、えええ!?ちょっと待ってよ!今なんか好きって…どういうところ?」

「さあねー」

「ちょっ!お、教えて!後学のためにも!」

「何の話?ほら、行くよー」

「ちょっとりうちゃんってばー!」


必死に彼女を追いかける。彼女は見向きさえしてくれない。

でも、俺はなんとなく分かっていた。


彼女、りうちゃんは今、照れているのだ。

きっと、顔を赤らめている。だから、そんな表情を俺に見せるのが恥ずかしくて、スタスタと先を歩いているのだ。


そんな彼女が愛おしくて、もう一度好きと言って欲しくて、俺は追いかける。

彼女の名前を呼びながら、青い青い海を背に、彼女を追いかけていく。





To be continued...

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