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「ただいま…と」


帰宅すると、玄関口でりうちゃんのスマホが着信音を鳴らしていた。

液晶画面には『みずきくん』と表示されている。


『みずきくん』とは、りうちゃんの弟で、本名は、有栖川瑞稀(ありすがわみずき)という。

とても気持ちの良い好青年で、りうちゃんよりも1つ年下らしい。


「りうちゃん、みずきくんから電話だよ」

「あ、おかえり!ちょっと今忙しいから電話出ておいて」


リビングの方から彼女の声がした。

他人のスマホを勝手に触って電話に出るのはとても抵抗がある。家族からの重要な連絡かもしれないし。だが、張本人が出ておいて、と言うのだから仕方がない。

通話ボタンをタップして電話に出る。


「はい、もしもし」

「あら?りうじゃなくて…えっと、彼氏さん?」

「え?」


電話口から聞こえたのは、みずきくんの声ではなかった。

聞き覚えのない女性の声。透き通るような綺麗な声が鼓膜を震わせた。


「あ、えっと、今、有栖川さんはご多忙のようで、代わりに…」

「ふふっ。私も有栖川ですよ」

「え、ということは…」

「いつもりうが大変お世話になっております。りうの母です」

「え、ええー!?こ、こ、こちらこそ、大変お世話になっておりまして、その、恐縮至極でございます!」

「いえいえ、お気遣いなく。まったく、電話にも出させているだなんて、りうは人遣いが荒くてごめんなさいね。それとも、彼氏さんが優しすぎるのかな」

「め、め、滅相もないです」


みずきくんのスマホからの着信は、りうちゃんのお母さんによるものだった。


お母さんはスマホを持っていないのだろうか。わざわざみずきくんのものから掛けてくるということは。

危うくみずきくんを相手と思い込み、気軽に電話にでるところだった。

じんわりと額に汗をかく。


「あ、でも丁度よかった。彼氏さんにお礼を言いたかったの」

「お礼、ですか?」


そもそも俺は、正式にりうちゃんの彼氏、つまり恋人という訳ではない。これはみずきくんにも説明したのだが、彼はずっと俺のことを『彼氏さん』と呼んだ。

きっと家でも俺は『彼氏さん』と紹介されているのだろう。


「みずき、この前そちらに伺ったでしょう?」

「はい、楽しく過ごさせていただきました。その、お若いのにすごく礼儀正しくて、まだ学生とは思えない程です」

「そう言って頂けるとみずきも喜ぶと思うわ。あの子は結構しっかり者なのよ、って、こういうと親バカみたいね」


そういって、りうちゃんのお母さんは電話口で上品に笑った。

なんというか、嫌味のない上品さがある人だな、と思った。第一印象はとても良い。りうちゃんとは雰囲気が違って大人の余裕というか、落ち着きがある。大人になったらりうちゃんもこんな風になるのかな、などと想像する。


「そ、そんなことないです。おっしゃるとおり、みずきくんは自分なんかよりずっと大人でしたし」

「謙遜のし過ぎですよ。みずきから彼氏さんのことを伺いました。すごくしっかりした方で、りうのことを大切に見守ってくれているって。それに、みずきも話が弾んだみたいで、またぜひお会いしたいと申しておりましたよ」

「そんな風に思っていただけるなんてとても光栄です。し、しっかりしている自覚はまだまだありませんが…りうさんにもお世話になりながら、仲良く過ごさせていただいております」


うん。当たり障りない感じだ。これで良いだろう。

普段、職場で仕事の電話をする以外、他人と電話口で話す機会がないのでどういう会話をして良いか分からない。


「ええ。りうからも何度か電話をさせて、彼氏さんにお世話になっているということを聞いていますよ。とっても仲良くされていることも。ふふっ」


とっても仲良くされている。


このフレーズにどこまでの内容が含まれているのだろうか。

事故とはいえ、パンツや胸を眺めたり、その、男のパトスを暴発させてしまったりというところまで言及されていれば、切腹ものだ。…いや、まさか。

あとでりうちゃんに問いただせねばならない。


「はい、こ、こちらこそ、おかげさまでいつも楽しく過ごさせていただいております」

「これからもりうのことをよろしくお願いしますね。それから…」

「はい?」

「こんど、うちに遊びにいらしてくださいね」

「はい…って、ええっ!?」

「そんなにびっくりされなくても。りうはいつも彼氏さんの自宅にお邪魔しているみたいですし、ご迷惑でなければ、いずれこちらにお招きしたいと考えているんですよ」

「め、め、迷惑だなんてとんでもないです!とても嬉しく思います!でも、ちょっと急すぎて驚いてしまいました、すみません」

「ふふっ、本当に、りうの言っているとおりの方ですね」


りうちゃん、一体俺をどのように紹介しているんだい?

ますます気になる。


「ちょっと遠いので、すぐには難しいかもしれませんけれど、いずれ、いらしてくださいね、りうと一緒に。みずきや主人も心待ちにしておりますので」

「ご、ご主人!?」

「ええ。みずきから話を聞いて、彼氏さんにとても興味を持っているんですよ」

「そ、それはどうも…」


ご主人、ということはりうちゃんのお父さんだ。

つまり、『お前なんかに娘は渡さん!帰れ!』とよくドラマか何かで言われる、あのシーンの再現か。勝手に不吉な予想を巡らせてブルーな気分になる。


「あ、ごめんなさい。彼氏さんも忙しいでしょうし、りうのもう用事は済んだかしら?」

「い、いえいえ!お話ができて嬉しかったです。ちょっとりうさんを呼んできますね」


ボタンをタップし、しっかり保留音が流れていることを確認してから、安堵のため息を吐く。

予期せぬ唐突な電話に、疲労感がどっと噴き出る。


「りうちゃん、お母さんから。電話代わってって」

「え、みずきくんじゃなかったの?」

「うん、みずきくんのスマホから掛けてるみたい」

「なんでまた…お母さんスマホ持ってるのに」


それはますます謎だ。

りうちゃんはキッチンで料理をしていた。俺の帰りを待って、夕飯の支度をしてくれていたのだ。手拭きで水気を拭って、スマホの保留を解除する。


「あ、お母さん?…うん…うん、そうそう。え?...うん、違うよー。でねでね」


りうちゃんとお母さんの会話が始まったところで、改めてホッと一息吐く。


いやー、緊張した。それにしても、本当に上品で声の綺麗な人だった。

スマホ越しでも分かるほど、透き通った声。歌手か声優の仕事をしていてもおかしくないくらい美しい声だった。

話も合いそうで、残る懸念はご主人かな。




※※※




「ふぅ、満腹」

「今日はよく食べたねー」

「だってりうちゃんのカレー美味しいんだもん」

「えへへ」


今日の夕餉はりうちゃんお手製のカレーだった。

料理上手でこだわりのある彼女は、いわゆる固形のルーを使わない。香辛料やバター、豚や牛の出汁からしっかり本格的な味のカレーを作る。

昨晩から仕込んでいたので、味が染みていて、絶品だった。


「それにしてもさ、りうちゃん。スマホにロックかけないの危なくない?」

「そう?」

「だって、誰でも使えちゃうじゃん。危ないって」

「誰にも見せることないし、自分以外で触るのってキミくらいだよ」

「それでも大いに問題あると思うんだけど…」


見知らぬ他人に貸したりしていなかったのはホッとしたが、俺だけといっても、それはそれでどうなのだろう。もはやスマホは個人情報の巣窟みたいなものだ。


「だってキミ、私のスマホでネットショッピングしたり、エッチなイラスト検索したりしないでしょ?」

「するわけないでしょ!」


買い物もエロ画像検索も自分のでやってます。


「だったら問題ないじゃん。それに、キミだって私に家の鍵渡してるじゃん。同じようなものじゃない?」

「た、確かに…」


結構前から、りうちゃんには自宅のスペアキーを渡してある。今日みたいに、自分よりも帰宅が早く、俺の家に来たい時にいつでも来られるようにと。

りうちゃん以外に渡すことはないが、これはこれで同じようなことをしているな、と思った。


「それでさ」

「うん」

「お母さんと何話してたの?」

「えっと、りうちゃんの実家に来ないかーって」

「ええ!ほんと?それ楽しそう。今度一緒に帰ろうよー!」

「うん、すごく嬉しかった。みずきくんも良い子だけど、お母さんもすごく良い人だね」

「そう?」

「なんか俺のことすごく信用してくれているっていうか、りうちゃんと俺が一緒に過ごすことに不安を感じていないっていうことを雰囲気で伝えてくれて。あと、声がめちゃめちゃ綺麗」

「そこ!?」

「いやだって!すっごく透き通るような綺麗な声だったんだもん。歌手だったりして?」

「ないない」

「きっと超美人なんだろうなあ…」

「お母さんはうーん。あ、でも男性にモテるからお父さんが心配してた」

「ほらやっぱり!あー。会ってみたいな」

「むー。キミも惚れちゃうんじゃないの?」


いやさすがにそれは。


「俺はりうちゃん一筋だから(キリッ)」

「はいはい」

「本当だぞ!」

「へぇ。…お母さんEカップだよ」

「え、まじで」

「それに、結婚したの早かったから。まだ30代だよ」

「なん…だと!?」

「色白でロングヘア」

「そうだ、実家行こう。なるはやで」

「むぅうぅー!!ほらやっぱりお母さん目当てじゃん」

「だってりうちゃんが素敵な情報ばかり流すから!」


りうちゃんは頬を膨らませて不満顔だが、そんな素敵なお母様が待っているのなら、会ってみたいと思うのは当然のことだ。


「りうちゃんのお母さんって何ていう名前なの?」

「教えなーい」


りうちゃんが拗ねてしまった。こういうところはすごく子供っぽい。


「そんなに怒らなくても。なにも色白美人で巨乳だから会いたい訳じゃないって」

「ふーん。わ、私だって、それなりに成長してるもん!ほら」


彼女はそう言うと部屋着のキャミソールの紐をずらしてブラジャーを露出させる。そのままでも十分ラフ、というかセクシーな格好なのだが、ブラジャーが見え、胸の谷間が俺の目に飛び込んでくる。


「わ、分かったから」

「うりうり」

「ちょっ、ちょっとりうちゃん!?」


脱ぎ掛けのキャミソール姿で接近してくる。目の間にI字型の形の良い谷間と、本人が言うように高校生にしてはしっかりとふくらみのある胸が近づいてくる。

彼女の胸もDカップくらいはありそうだ。

自分が床に座っているせいで、顔の目の前、視界いっぱいに彼女のおっぱいが広がる。

幸せな光景だが、いろいろとまずい。


「お母さんに負けず劣らずだぞー!」

「ちょ、ほんと分かってるから!」

「ほらほら」


たゆん、と豊かな胸が、自分の鼻先をくすぐる。

彼女の体温が伝わってきた。柔らかい感触と淡いにおいで感覚が満たされていく。


「ちょっとりうちゃん!?積極的すぎるって!」


あまりに彼女が接近するので、後ろに尻餅をつくような格好になってしまったが、なおも彼女は自分の胸を俺の顔面に押し付けてくる。

相変わらず、形と色、そして肌艶の良い胸だ。以前にたまたま何度か見たことがあるおっぱいだが、国宝級といっても過言ではない。


(これはお母さん譲りなのかな…)


これ以上言ったら大変なことになりそうなので、胸の内にしまっておく。

しかし、


「わっ」


頭を両手で掴まれて、その胸を顔に押し付けられた。

ぷにっとした弾力のある感触。ふわっと香る淡い香り。

全身の血流が、神経が、彼女の胸によって過剰反応を起こす。


「ちょっと、りうちゃんどうしたの!?ほんとやばいから!」

「今日は、何の日か分かってるのかー!」

「わ、分かってるから!」

「お母さんの話ばかりしてー!」

「ご、ごめんって!だからその、ちょっと…」


最近”男の処理”を怠っていたせいもあって、下半身は完全に膨張してしまった。

隠す余裕もないので、このままトイレダッシュして、一旦心と体を鎮めてから…


「ご、ごめん、ちょっと俺トーーー」

「そうはさせるかぁ!」


えっ。


彼女は立ち上がるとトイレへの通路を両手を広げて塞ぐ。通せんぼの格好でにやにやしている。

俺がこれからトイレでナニをしようとしているか、それを分かっているからこその笑み。


「だ、だめだって!このままだと出ちゃう!」

「何が出ちゃうの?」


何がって、そんなの…あーもう!


俺の唯一の逃げ道が。

賢者への道標が!


もうバレているなら、お風呂でも良かったが、残念なとこに、風呂場はトイレのさらに奥だ。りうちゃんが立ちはだかっている以上、お風呂場にも駆け込めない。


なんで今日のりうちゃんはこんなに意地悪なのか。

その理由は、なんとなく分かっている。分かっているけれど…


「そういえば、この前キミの本棚の奥でエッチな本見つけたよ」


…なんだと!?


秘蔵の薄い本は、りうちゃんと言えど見られたくないものなので、しっかり本棚の裏側に隠してある。それに、ただ見ただけではそれとは分からなようにカモフラージュまで施してーーー


「ばかな!あれはちゃんと箱にしまって…あ」

「じー」


しまった。誘導尋問に簡単に引っ掛かってしまった。こんな単純なトリックにはまるほど俺は同動揺していたらしい。


「ほほぅ、箱にしまって、ねえ」

「ち、ちがうから!そんなもの持ってないし」


簡単に嘘をついた。いやでもこれは、健全男子として隠したい最たるモノではなかろうか。しかし彼女は全く信じていない。


「どこの箱かなー?」

「ちょ、俺の部屋をあんまり物色しないで!」


本当に見つかってしまう。


そう。

エロ同人誌が見つかってしまうのは大問題なのだが、もっともっと、大きな問題がある。

今日のためにとって置いた、とっておきの”箱”。


図らずして耳にすることになった『箱』という単語で思い出した。

いや、忘れてはいない。

今日はそのために早く帰宅したくらいだ。忘れる訳がない。


しかし、りうちゃんのお母さんからの電話、そしてりうちゃんの機嫌が悪くなるという予期せぬアクシデントが重なって、タイミングを逸してしまっていた。


そうだ。


今日は特別な日。

りうちゃんにとって。そして俺にとっても。


ナイスタイミングで一瞬の隙をつくってくれた。この機を逃すわけにはいかない。

一度、男の欲求を無理やり頭の外に追いやり、深呼吸をする。


「りうちゃん」

「なあに?隠し場所、教えてくれるの?」


なおもイタズラな笑みを浮かべる彼女に向かって、


「うん、教える。っていうか、見せるよ」

「え?」

「ちょっとあっち向いてて」

「その隙に別の場所に隠すんでしょ」

「ちがうって。良いから良いから」




「もういいよ」


彼女が振り返る。

舞台が、お洒落気の無い四畳半の俺の部屋なのが惜しいが、これはこれで味のある演出になってくれれば良い。


「何?」













そのまま彼女に抱きつくように、首の後ろに手を回す。

抱きついた訳ではない。


そして、彼女から一歩、離れる。


「あっ…」

「りうちゃん、お誕生日おめでとう」













彼女の胸元には、金色のネックレスが煌めく。


それに負けじと、ブーゲンビリアの花束が彼女を包む。


本当は、昨年のクリスマスプレゼントとして渡そうと思って、退社後に息を切らして買いに行ったもの。


でも。

彼女はクリスマス・イヴの日に倒れた。


過労で、意識を失い、痙攣をおこして救急搬送された。

あの日、俺は幼い頃に亡くした父と彼女を重ねて、絶望と焦燥感で何もできなかった。


あの時届かなかったネックレスは、今度はしっかりと彼女の元へ、届いた。


「…」

「りうちゃん?」

「…こんなのもらったら、もう怒れなくなっちゃう」

「ふふっ」


彼女の綺麗な瞳が、今は一段とキラキラと光をさんざめかせている。

それが瞳に溜まった涙によるものだということを、俺は気づかないフリをした。


「改めて、お誕生日おめでとう。大したものじゃないけど」

「そんなことない。すごく…すごく嬉しい。ありがとう…」

「りうちゃん、これからもずっと一緒に、楽しく過ごそうね」

「…うん!」


ネックレスとともに、ブーゲンビリアの花を添えた。


『あなたしか見えない』


ブーゲンビリアの情熱的な花言葉。


彼女がこれに気づくとは思っていない。言うつもりもない。


でも、これが俺の本当の気持ち。

りうちゃんしか、見てないよ、俺。


柄にもなく、花屋で摘んできた、真剣な想い。


花はいつか枯れる。

けれど、ふたりの間に、いつまでも育ち続ける感情があったら良い。




ブーゲンビリアのほのかな香りの中で、金色のネックレスと彼女の瞳が、豊かに煌めいている。





Fin.

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