第14話:勝負の行方 (Pixiv Fanbox)
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有栖川りう(ありすがわ りう)の目には、かつて無いほどの曙光が宿っていた。
そもそも彼女の瞳はキラキラと美しいのだが、今はそうではない。
ギラギラとさんざめき、獲物を仕留めんとする狩人の眼光だ。
獲物は、りうちゃんの家のテーブルの真ん中にちょこんと置かれている。
手のひらを広げたくらいの大きさの、丸い形をしたレアチーズケーキ。
これは、ただのレアチーズケーキではない。
「これさ、仕事のクライアントさんから貰ったんだけど」
「とてもとっても、美味しそうだね(ゴクリ)」
彼女の喉が唸った。
このケーキは『ケーゼ・ザーネトルテ』という。
ドイツ発祥の洋菓子だが、日本でも高級洋菓子店の代表格として店頭に並ぶことも多い。
濃厚なチーズをサクサクのクッキーでサンドし、表面には粉雪のような美しい粉砂糖がまぶしてある。クリームの中には、フランス産の最高級の木いちご。使用しているバターはフランス産最高級のエシレバターだ。
ひとつ、仕事がうまく軌道にのった際に、クライアントから「つまらないものですが」という月並みのセリフでこんな大層なものを貰ってしまった。
直径12cmの大きさで、5000円くらいの値が張る超高級品である。
その表面、断面を舐めるように眺めながら、りうちゃんは、ギラギラと瞳を輝かせていた。
「ありがとう」
「え、いやまだあげるとは言ってないよ」
「でも、わざわざ私の家に持ってきてくれたということは」
「半分お裾分けしようかなって思ったんだけど、これは超がつく高級品」
「うんうん」
半分ずつ「おいしいね」なんて言いながら食べるのが道理というもの。しかし、俺は少しよこしまな考えが浮かんでしまった。ちょっとしたイタズラ心もある。
「ケーゼ・ザーネトルテっていう名前なんだけど、すごく美味しいみたい」
「見るからに美味しそう♪」
「一口あげようかなって思って」
「ひ、ひとくち...」
「そ。あ〜ん、してあげようかなって思っているんだけど、どう?」
「...半分こ」
やはり。
りうちゃんは甘いものには目がない。
こんな最高級の洋菓子を目の前にして、一口だけで気がすまないのは分かっていた。それに、わざわざ見せびらかしておいて、一口だけというのもさすがにひどい。
つまるところ、「はい、あ〜ん」をしてあげたいだけだ。...本当はしてもらいたいけど。
「気持ちは半分あげたいんだけどね。...そうだ、じゃあ勝負をして勝った方が好きにしていい、というのはどうかな?」
「え、それ私が勝ったら全部くれるの?」
「おい」
りう嬢、冷静さを失っていらっしゃるようで。
「オセロで勝負かな」
「だめ。それずるい。キミの得意な分野は禁止」
「デスヨネー」
以前にオセロで勝負をした時は、俺の圧勝に終わった。かといって、彼女と自分とが互角の接戦を繰り広げられるような勝負事はあるだろうか。
対戦ゲームも、本気を出してしまうと大体俺が勝ってしまう。手抜きで程よく...ということもできなくはないが、それでは興が冷めるというもの。
「あ!」
りうちゃんが声を上げた。
「何?なんか名案が?」
「うん!あれしよ、『ツイスターゲーム』!」
ツイスターゲーム。
カラーマットを使った室内ゲームだ。
マットには、赤・青・緑・黄の4色の丸印が描かれていて、各色5箇所ずつ配置されている。つまり全部で20個の丸印が描かれている。
相手は指示された色の丸印に、手もしくは足を置く。その際、膝やお尻をマットにつけてはいけない。相手プレイヤーに触れてもいけない。このルールから逸脱した方が敗者となる。
要するに、相手にとって「ここに手足を置くのは難しいな」と思うような色を指定していくのが定石のゲームだ。
簡単そうに思えるが意外と難しく、結構良い汗をかく。
この前、りうちゃんから運動不足を指摘されたし、それも良いかな。
「で、なんでツイスターマットなんて持ってるの?」
「みずきくんがね、キミと楽しんでくれって送ってくれたの」
「またなんでツイスターマット...」
みずきくんとは、本名『有栖川瑞稀(ありすがわ みずき)』という、りうちゃんの弟さんだ。
この前、りうちゃんの家で出会い、楽しい会話を弾ませた好青年。
「じゃあ決まり!まずは着替えなきゃね」
「だね。本気でやったら結構汗かきそうだし」
「そうそう、それに、ふふふ」
「え、なに?」
「秘密。ふふふ」
え、何その不敵な笑みは。
いや、でも問題ない。
運動不足はご指摘のとおりだが、ツイスターゲームくらい、本気でやれば俺が負けることはないだろう。
勝利を収めて、しょげているりうちゃんの口に、「はい、あ〜ん」といってケーゼ・ザーネトルテを運び、恥ずかしがりながらも俺の差し出したフォークにその薄い唇を開く姿を想像する。
...たまらなく可愛いな...
※※※
「え」
「ふふふ」
ジャージに半袖姿に着替えた俺は、絶句した。
りうちゃんの格好は、オワフ島のビーチを彷彿させるような黒色のビキニ姿だった。
「そ、そこまで脱がなくても...///」
「本気出したら汗かいちゃうし、それに、このゲームは、相手に触れたら負け、でしょ?」
そういうことか。
考えたな、りう嬢。
つまり。
セクシーな格好で悩殺することで、俺に冷静さを失わせ、ゲームを忘れてうっかりりうちゃんに近づいたり触れたりしたくなるような。
しかし、そんな漫画のような展開がある訳...いや大いにあるな。
そんなこんなで、最高級洋菓子ケーゼ・ザーネトルテの命運を賭けたツイスターゲームがスタートした。
最初は順調にお互い近づかず、自分の足元にある色を踏んでいく。そして徐々に相手の要求が厳しくなるにつれて、体勢がおかしなことになっていく。
そして、
「触れたら負け、だよ?」
「くっ...!」
やっぱり、りうちゃんのビキニ作戦はかなり強力だ。
ここまで接近すると嫌でも彼女の肢体が目に入る。目を瞑ると平衡感覚を失ってバランスを崩してしまうので、開けざるを得ない。
しかし、目の前には、りうちゃんの胸や股が、布一枚で隠されているだけ。
ふ、触れてしまいたい...
運動量以上に心拍数が上がる。別の意味でめまいがしそうだ。
彼女の呼吸に合わせて、滑らかなお腹が上下に動いている。
もう勝負を捨てて、そのプリッとしたお尻や、少しはみ出した下乳に触れてしまいたい衝動に駆られる。
ーーーいや、ダメだ。
「はい、りうちゃん口開けて。あ〜ん」
「あ、あ〜ん///」
「どう?」
「お、おいしい...です///」
これだ。
このシチュエーションこそ、俺が夢にまで見た至高のひととき。
このために、今は煩悩を捨てるんだ、俺!
「じゃあ...次は黄色!」
「黄色!?結構難しくない?」
後ろの黄色に触れれば、りうちゃんからは少し遠ざかる。
しかし、この体勢で後ろの黄色を踏むと、バランスを保てる自信がない。
かといって前側の黄色に触れるためには、りうちゃんの背中に覆い被さるように触れなければならない。こちらも結構難しそうだ。
「仕方ない...!」
意を決し、前側の黄色をチョイス。
りうちゃんの背中に触れないように、慎重に黄色の丸印にタッチする。そのまま姿勢を維持。結構つらい。
「じゃ、じゃあ次は青で」
「青、か...」
ここは一旦自分の体勢を立て直したい。
りうちゃんもかなりアクロバティックな格好でつらいのは明白だ。だから前側の青を手でタッチして体勢を楽にしたいだろう。そうなれば俺も少し楽な格好に戻せる。仕切り直してから勝負に出よう...え?
「よい...しょ!どうだ!」
「ちょっ!?」
俺の目論見は完全に的を外した。
思ったよりもりうちゃんは体が柔らかかった。持ち前の柔軟性を駆使して、前ではなく、後ろ足で俺の股下にある青印を踏み込んできた。
そう、つまりこの構図は...すごく、その、えっちだ。
言うなれば。
いわゆる性行為を行うときの、後背位とかバックとか言われるような体勢になってしまった。図らずして。
ぐっ...色々な意味で耐え難い。
あと数センチで俺の体がりうちゃんの体に触れてしまう。
りうちゃんは今の体勢で静止したので、この後両者の体が触れれば、俺の負けになってしまう。
このゲーム、すっごくエロくない?
確かに、最初はゲームと称してりうちゃんに接近できると期待していた。しかし、今は接近どころか、
「あ」
「ひゃぅ!?///」
接触した。
「ご、ごめん!!違う!わざとじゃなくて...その!」
「わ、わ、分かってる。大丈夫だから落ち着いて///」
りうちゃんは振り返ると顔を真っ赤に染めてこちらを見てくる。モジモジと股下を抑えてペタンとマットに座り込んだ。
その仕草に、自分の何が彼女のどこに接触したかを再認識する。
バックの格好を意識した瞬間、自分の下半身の例の部分が膨張し、上向きになった。
互いの間にあった数センチの距離は、持ち上げられた俺の体の一部によって埋められた。
つまり、俺のあそこがりうちゃんのあそこに、下からぺチッと触れてしまったのだ。
ゲームセット。りうちゃんの勝利である。
ジャージと水着がなかったら大惨事だ。貞操を保てなくなるところだった。
パンツが湿っていないかどうかが気になってきた。ジャージまで濡れているところを見られたら末代までの恥だ。
...もはや限界。
「ほ、本当にごめん!あと、ちょ、ちょっとトイレ!!」
「は、はい///」
りうちゃん。
察しがよろしくなったご様子で。お兄さんは、その、とても恥ずかしいよ。
かくして、俺の『はい、あ〜ん計画』は立ち消えとなった。否、勃ち消えとなった。
※※※
最高級洋菓子ケーゼ・ザーネトルテをじーっと見ていると、りうちゃんは、ナイフとフォークで一口サイズに切り分けて、俺の小皿に盛ってくれた。
「もともとキミがもらったものだし、独り占めはさすがにできないよ」
「ありがとうございます...」
「あ〜ん」はしてくれなかったが、大きめの一口サイズを頂けた。
大切に口へ運ぶ。
ほっぺたが落ちる、とはこういうことなのか。そう感じさせてくれるほどの美味しさだった。
直径12cm5000円、恐るべし。
「ねえ、今日キミの家に泊まりに行ってもいい?」
「え、うん、もちろんだよ」
「...お布団の中で変なとこ突っつかないでね」
「し、しないって!わざとじゃないから!」
せっかく賢者タイムにケーキの甘美さに浸っていたのに!思い出させないで!
甘い余韻を残して、夜がふたりを洋菓子のように包んでいく。
Fin.