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「むふふ~~♪世界史の授業って素敵ですよねぇ……日菜子とは違う時代の王子様やお姫様に、教科書を開くだけで触れることが出来るんですから……っ♪ここに書かれている人たちは、日菜子が空想や妄想をして作り上げた、おとぎ話の中の人じゃなくて……日菜子達と同じ、楽しいときには笑って、悲しいときには泣いて……そんな人達が王子様やお姫様として、歴史を変えてきたんですから……日菜子、大学の教職課程で現代文の教師と悩んだんですけど……今は、こっちを選んでよかったな~って思えるんですよね~っ♪」  ──教壇に立った女性教師は、絶好調だ。  大学を卒業してから、この高校に赴任したばかりの彼女。栗色の髪は緩やかにふわふわで、目尻はとろんと垂れ下がっている。新任教師というものは、緊張でガチガチというのが相場なのだが──目の前の彼女は、それとは正反対で──  ちょっと、緩すぎる。  妄想を頭の中でふわふわと漂わせて、一人舞台をしている。多感な時期の高校生にとっては「キャラクターで、個性的な自分を演じている教師」というのは「痛々しくて見てられへん」という代物なのだが──彼女は別。  本名を隠していないので、いずれ、彼女の名前を気まぐれでネットで検索をすれば知られることになるだろうが──  教壇に立つ彼女は、過去に、アイドルだった時期がある。  勿論、大した活躍をしたわけではない。事務所は大手で、多少の人気もあったが──今なおテレビの最前線で活躍しているアイドルとは、まるで別物。CDデビューも果たしたし、小箱のライブハウスを埋める程度は出来たが──そこまで。結局、他の大勢のアイドルと同じように「高校三年生で受験勉強をするので、活動規模を縮小して、次第にフェードアウトをして──いつの間にか、事務所との契約を解除して、HPから名前が消えて──引退ライブ、という大きな区切りもなく、さらっと消えたアイドル」の内の一人だ。  それでも──  アイドルになれた、という時点で──世界中のその他大勢の人間とは格が違う。  授業中に妄想に浸り、戻って来れずに、時間が潰れるという──才能のない人間がやれば「そういうのいいから」で済まされるそれも、彼女が行えば、クラス中がドッと盛り上がる。新任一年目の教師とは到底思えない授業運び。大物アイドルの横で、バックダンサーとして活動しただけだが──それでも、五万人のファンに見守られながら、とちらずにダンスのステップを踏めた彼女にとっては──、31人の生徒に見守られることは、プレッシャーにもならないのだろう。  事前に──あなたを対象に行った練習と、同じところまでカリキュラムを進めて、チャイムが鳴り──彼女が挨拶をしてお辞儀をすると──自然と、クラスの中から拍手が湧き上がる。動画サイトでバズるような、海外の授業風景ではないのだ。映画のエンドロールが終わり、場内が明るくなれば、無言で席を立ち帰路につく日本で──自然と湧き上がるスタンディングオベーションというものは──天性のアイドルにしか、することが出来ない代物。  軽薄な男子生徒などはすっかりと「いや~、俺、日菜子ちゃんのファンになったわ~」と馴れ馴れしくも、彼女を下の名前で呼び──人気のある雌を敵視する女子生徒も「喜多先生、めっちゃ可愛かった~」と──少なくとも現状では、彼女の味方につくのだ。次の数学の授業のときは──チャイムの間際に、隣の教室で同じような拍手が響いて、数学教師が驚いていたが──このクラスの生徒にだけは「ああ、彼女は隣の教室でも生徒を虜にしていたのか」とだけ──まるで、手品の種明かしのように理解をした。  放課後にはすっかりと、学校中が、新しく赴任した新人教師の彼女の話題で一色となっている中で──  おそらくは唯一、あなただけが違う思考を浮かべていた。  やはり、アイドル引退は早かったのではないか──だ。  何代目だか忘れたが、高垣楓は25歳でシンデレラガールに輝き──安部菜々も、2×歳でシンデレラガールなのだ。大学を卒業したばかりの彼女も、まだ、全然──  と、無責任に言えるのは──自分が無責任だからだ。  あなたは彼女の七歳年下。正直なことを言うと──アイドルとしての彼女は「思い出の中で光り輝いていて、眩しすぎて、網膜が焼き焦げてしまいそうな存在」であるが──具体的なダンスのステップや歌声の艶は、覚えていない。   最近になって動画サイトを開いて、彼女の名前を打ち込むことはある。八年前の小箱でのイベント。動画の再生回数は一万回にも満たず、僅かなコメントも「こんな子いたな、懐かしい」「才能あると思ったんだけどな」「俺は好きだったよ」なぞと、一部の、「熱心ですらないファン」が無責任に懐古コメを書き散らすばかり。この彼らと同じになるのは嫌だな──  と、何度も考えては、言葉に出来ず、くしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放り投げる。  授業を終えて、あなたは帰路に着く。  新任初日から生徒達に大人気で、歓迎会まで生徒に開かれようとしている彼女とは異なり──あなたはひとりぼっち。それも積極的な選択として「群れるより孤高が好きだ」と主張出来る格好良いものではなく──単純に、人付き合いを厄介だと思うからのひとりぼっちで──家に帰っても、どうせ誰もおらず──両親も早くに逝去しているので──  だから、彼女のような、アイドルになることが出来た存在とは違うのだから──  日陰者はそれらしく、石の裏に隠れていようと思ったのだが── 「はっ──はっ──はっ──……  も~……おとーとくん!……なんで、一人で帰っちゃうんですかぁ~……♪」  彼女は──  あなたのいとこで、元アイドルの喜多日菜子は──  下校中のあなたに駆け寄ってきて、息を切らして──  それから、初めて出会った日と同じような笑顔を浮かべた。 ────  両親が早逝して、父方の兄の家に預けられた。  物語の定番としては、虐待同然の扱いを受けて──と言うべきなのだろうが、彼らはとても心優しい人であり、あなたを実の息子と同じように接してくれた。あなたが心を開かないのは彼らのせいではなく──自分自身の責任。「自分よりも辛い人がいるのに、自分一人が世界の不幸を背負っている」と、罵られたときに──「返す言葉もございません」と言う他にない、ひねくれた根性のせいだ。 『むふふ……っ♪心配することはありませんよ~……日菜子は、ぜ~ったいにいなくなりませんから……っ♪……約束します……絶対に……アイドルの日菜子じゃなくなっても……おとーとくんのお姉ちゃんの日菜子は、絶対にそばにいてあげますからっ♪』  いつだったかは──詳しく、覚えていない。  両親が生きている夢を見て、目が覚めて──理性ではどうすることも出来ずに、泣き崩れたときに──そう囁いて──まだアイドルだった頃の日菜子が──  あなたを、抱きしめてくれたのだ。  パジャマ姿の彼女の、柔らかな胸の感触と、暖かな体温と──名前も知らない花の香り。精通は未だだったが、おそらく、あれが性の目覚めだったのだろう。日菜子にとってのあなたは、新しくできた家族であり──血のつながっていない、というだけの弟。「おとーとくん」と、間延びした呼び方も──彼女なりに、家に新しく訪れた異物を受け入れるための策だったのだろう。  一方であなたにとって日菜子は、他のどのアイドルよりも”推せる存在”であり──  だからこそ、距離を置く必要があると思っていた。  現役アイドルに男の影があってはいけない──それが例え、義理の弟でも、だ。  あなたと日菜子はいとこ同士であり、結婚することも法律上は出来るのだが──故に、絶対にそれが起きてはいけない──アイドルの日菜子とは距離を置かねばならない──と考えて、やがて彼女が大学に入る頃には一人暮らしを始めたので、ほっと一息を吐けた。  日菜子に抱いた「クソ重」で「激デカ」な感情は、墓の底まで隠し通せねばならない。アイドルをやめても──大学生になっても──教師になっても、彼女はあなたにとっての「アイドル」であり、だから──学校でも、その関係は秘密にしようとしていたのだが── 「むふふっ……♪生徒達が、日菜子に話を聞きたかったそうで、職員室がパンクしちゃって……だから、今日は初日だし早く帰りなさいって言ってもらえたんです~っ♪」  目の前でチキンカレーを頬張って、幸せそうな笑みを浮かべている彼女は──  どこまでも、無防備だ。  ──あなたは、日菜子との同棲生活を余儀なくされた。 「高校進学に際して、キミの学力でいける最も良い高校で──ついでに、うちの日菜子がいるところが、一番いいだろう」と──義理の両親は、あなたのことを「本当の家族」だと思ってくれているので、日菜子の棲むマンションに同棲するように言ってきたのだ。    悪意の一切存在しない、純粋な善意は人を殺す。日菜子が拒めば助かったのだが──彼女もまた「反抗期になって、お姉ちゃんのことを嫌っていたおとーとくんと、仲良くなるチャンス」とポジティブにそれを受け入れて──  だから今、あなたは日菜子の家で、チキンカレーを作って──  彼女が食べているのを眺めるのだ。  思春期の高校生男子が皿に盛った大盛りの──その、半分の量。同じタイミングで「いただきます」をしたのに──あなたが食べ終わって、食後のお茶を飲んでいても──彼女はまだ、食事の最中。  口を大きく開けて頬張っても──元々、顔が小さすぎる。その上で、一口を何度も咀嚼して、元々どろどろのカレーが流動食よりも砕かれてから──ようやく、ごくんっと飲み込むのだ。流石は元アイドル──食事風景だけでも、人を虜にするのだな──と思いながら、ぼーっと見惚れていると── 「……おとーとくん……まだ、日菜子お姉ちゃんのこと嫌いですかぁ……?」  日菜子は──  寂しそうに、上目遣いであなたを見つめる。  ふわふわした妄想モードの日菜子は御しやすいが──真面目な話をしているときの彼女は、どうしても、苦手。視線を逸らしながら「そんなことはない」と告げても、彼女は納得しない。スプーンをかちゃっと置いて、あなたの隣に座り、逸らした先の視線に顔を置いてくる。 「……おとーとくん?」  日菜子は──  太腿の上で、固く結ばれたあなたの手の甲に──つつ~っ♡と指を這わせてくる。  日菜子にどれだけの男性経験があるのか、あなたにはわからない。彼女がアイドルだったときに彼氏がいないのは確かだが──大学時代に、誰と何をしていたかを、知る術はない。アイドルだった頃の衣装を着ながら、他の男の股の上で淫らなダンスを踊っていたのなら──あるいは悪い男にダマされて、カメラの向こうで、生まれたままの姿で秘部を開帳していたなら──知った瞬間に、正気を失って、シャープペンシルで自分の両目と鼓膜を突き破ることだけは、なんとなくわかる。  今の日菜子の雰囲気は──果たして、それが原因なのか──  と、握った拳をさらに硬く、身構えるのだが── 「日菜子は……今、お姉ちゃんで先生ですからね?……おとーとくんがお勉強に集中できないなら……お姉ちゃんじゃなくて、先生として……何でも、悩みを相談してくださいね……っ♪」  彼女はどうやら──  本心から、あなたの心を開かせたいらしい。 「お前が家の中で無防備に、シャワーを浴びた後でバスタオル一枚、部屋の中をうろうろ闊歩するからちゃうんか」と言いたくなる気持ちを必死に我慢して──あなたは立ち上がり、食器を洗って部屋に逃げ込んだ。義理の両親に自分の意思は告げないようにしてきたが──その、部屋の内鍵だけは絶対に譲れない一線であり──鍵を閉めて、窓を開けて、ここから今すぐ飛び降りれば──衝動的な劣情で、いつか、彼女を襲う日が来なくて済むのだろうか──と、考えるのだが、勇気もないので、とりあえず深呼吸だけして、窓を閉めて──彼女に「おうちの中での補習授業」を絶対にさせてはならないと、机に向かった。  唾を飲むと、外の空気が肺に広がって──  いつの間にか、季節は冬になっていた。 ────    親戚の日菜子お義姉ちゃんと同棲生活をして──  冬休みを間近に迎える時期まで、耐えられている自分を褒めてやりたい。  窓の外は真っ白。せっかく高層階のマンションであるというのに──朝からの大吹雪で、一メートル先すら見えなくなっているのだ。窓枠がギシギシと軋む強風。朝から電車もバスも止まって、交通網も麻痺して、生徒達は休校になったのだが──車通勤の日菜子は、学校に行かなくてはいけないらしい。  つまり──  今は、家の中にあなた一人。  オナニーをするチャンス、ということだ。  ここ一週間ほど、日菜子と常に在室のタイミングが被っていた。内鍵は掛けていても──どうやら、破られることが判明した。イヤホンで深夜ラジオを聞きながら参考書と向き合っていたときに──日菜子が、扉の隙間から定規で鍵を開けて、入ってきたのだ。「勉強を頑張ってるおとーとくんの為に、握りたてのおにぎりと暖かなお茶を」とのことだったが──その瞬間、オナニーがバレなかったのは──ただ、サイコロの出た目が高かっただけのこと。  それ以来、自慰行為をするタイミングは自室にすらないのだと気が付かされた。  トイレで発射したとき、消臭スプレーで臭いを消しきれるのか──男の身のあなたにはわからない。そもそも、日菜子が精液の臭いを知っているのか──という時点で理解が出来ないのだが、だからといって堂々と「日菜子お義姉ちゃんは、ザーメンの臭いを知ってるの?」と聞くことは出来ない。そんな汚れた言葉を、彼女に知ってほしくないから──男子高校生の日課とも言えるオナニーを、あなたは必死に我慢してきたのだ。  だが──  日菜子が家にいないとなれば、あなたの時間だ。  いつの間にかクラスの生徒には、日菜子が元アイドルであることも──あなたが同棲していることもバレている。彼らは最低の冗談の一環として「喜多先生と同じ家ってことは、パンティとかも洗うのはお前の役割なんだろ?」なぞと揶揄をされて、その度に殺してやりたくなるのだが──学校で問題を起こして、頭を下げるのは日菜子なので、必死に歯を食いしばって耐えてきて──  しかし──  彼らの言葉には一理あるのだ。  相手が日菜子でなければ──、一つ屋根の下に住む美少女のお姉さんの下着は、最高の自慰行為のおかずになるだろう。だがまあ──相手が日菜子なので、それは死んでもやらない。彼女を忘れるために、適当なグラビアアイドルの動画──日菜子よりも、ずっと魅力に欠けた女で、文字通り、”性処理”となる自慰行為をしようと──ズボンを脱いで、バッキバキに屹立して、我慢汁すら垂れた肉棒を外気に晒したところで── ”ぷるるるるるるるっ”  と──電話が鳴り響き──  あなたは、三十センチほど飛び跳ねた。  下着は床なので、慌ててズボンだけを履くと──裏地に我慢汁がべっとりと、気持ち悪い。この家の洗濯が、あなたの仕事でよかったなと思いながら──家の電話に出る。 「むふふ~っ……実は、連絡が回っていないだけで……この大吹雪で、先生方も自宅待機だそうです……っ」  日菜子はどうやら──早とちりをしていたらしい。  彼女は持ち前の明るさ──というより、天性の才能で人に好かれる。「人に好かれすぎて、余計な妬みを買う」ということもないのが、天性の才能であるので、だから──同僚の嫌がらせで無視されたわけではない──という点だけは安心できる。 「だけど、雪がひどすぎるので、視界が晴れるまでは、宿直室で過ごそうと思いまして……そうですね、学校には日菜子一人ですけど……でも、大丈夫だと思いますっ♪宿直室にはお布団も、お風呂もあって……むふふっ♪先生方には内緒ですけど、もう、お湯も入れちゃったので……っ♪おとーとくんは、何か、適当に夜ご飯済ませちゃってくださ──ひゃっ!?」  日菜子の驚きの声の、直後に──  ぷつっ、と電話が切れる。  それが強姦魔や暴漢の類いでないと、一瞬で理解するのは──    ぷつっ、と──  部屋中の異音が、消えたからだ。  スリープ状態のパソコンや、冷蔵庫、換気扇などのモーターやファンが、一瞬で止まったということは──ブレーカーが落ちたか、あるいは、電気が止まったということで──  スマホの画面は、圏外を指し示している。  ブレーカーも落ちていないので、だから──これは、大雪による停電だろう。  我が家だけがそうなのか──市内全域の大規模停電なのか。答えはわからないが──日菜子の最後の声色から想像するに、おそらくは、学校も停電をしているということ。日菜子は車で、あなたはバス通学なのだが──そこそこの距離がある学校でも、停電したのならば──広範囲に渡ることは間違いないだろう。   ”ばくんっ”と、心臓が暴れる。  日菜子は今──学校に、一人きり。  大吹雪の中で、わざわざ学校荒らしをする強盗に襲われる心配──は、相手が赤子ではないのだ。するはずもないのだが──  この停電が、果たしていつまで続くのか。  電池式のラジオでもあれば、情報が手に入るのだろうが──電気がなく、スマホの電波もなければ、何も知ることが出来ないのは現代の弊害。当直室というものは、あなたも存在を知らなかった部屋。そもそも「当直」という概念は現代にもあるのか。警備会社の技術の発達と共に、失われた文化ではないか──いや、しかしわざわざ取り潰す必要もないなら、かび臭い布団とバランス釜の浴槽が残っていてもおかしくはないのか─  ─と、考えたところで堂々めぐり。  日菜子の妄想気質を笑えないな、と思いながらあなたは──粛々と、準備を始める。  当直室に、何があるのかは知らない。電気がいつ復旧するのかも知らない。最悪の事態に陥らなければいいし、その確率は随分低く──更には、学校までの道のりを、一メートル先も見えない猛吹雪の中歩き続ければ、そちらの方が危険だとわかっている。理性は全力で「やめろ、家にいろ、日菜子は子供ではないのだから、自分でなんとか出来る」──と、訴えかけるのだが、身体はリュックサックにカイロと食料品と着替えの衣服を入れて、言うことを聞かないのだ。日菜子のブラジャーとショーツも──今ばかりは、恥ずかしがれる余裕もなく、一番上にあったものを無造作に掴んで、詰め込んだ。  幾たびも、必要なものをスマホで調べようとしては──その度に、電波が届かないことを思い出す。ネット社会に適合するために培った常識から、ネットを差し引けば、残ったのは非常識のガキだ。とりあえず、必要そうなものを鞄に詰め込んで、あなたはコートを二重に着込んで──  それから、家の外に出た。 ────  顔に打ち付ける雪が冷たく、呼吸をすると、喉が痛い。  下を向きながら、一歩、一歩と歩いて行く。前を見なければ車に轢かれるかもしれない──と、親に注意された子供のころを思い出す。車に轢かれていなくなった──日菜子と同じくらい、大切だった両親。言葉を思い出して、前を向くのだが──吹雪の勢いは更に増して、降り積もった雪で──自分の一歩先が、地面であるのかどうかもわからない。  早朝のニュースでは、百年に一度の大雪だと言っていた。学校への道のりを歩いて行った経験は、気まぐれで一度だけ。どうにか「このあたりだろう」と思い歩を進めて、見覚えがある場所に出る度に、内心で小さくガッツポーズをする。  一時間も歩けば十分な道のりのはずだが、一時間歩いてもたどり着く気はしない。指を切断するほどの凍傷のダメージは、どれくらいなのか。流石に、一時間程度、屋外を歩いていただけではならないはずだが──ネットで調べることが出来ないならば、確かめられない。くだらない回答を並べる知恵袋を、人生で初めて本気で欲しながら──それでも、動き続ける限りは凍傷にならないと──漫画か何かで得たうろ覚えの知識を考えながら、あなたは歩いて行く。  背中に背負ったリュックサックが肩に食い込み、やけに重たい。  身体が濡れた日菜子の着替えは必要だが──しかし、ブラとショーツまではいらなかったか──だが、日菜子がノーブラノーパンならどうする。彼女に全裸でワイシャツを着せるのか。生徒のジャージを借りさせるのか。アイドルとしては目立たなかったが──、一般女性としては確実に大きい、日菜子の胸と尻をノーブラノーパンで、ジャージに覆わせるのか。それは──すごく、興奮するな──  と、あなたは日菜子のことを考えながら──  矛盾するが「頭を空っぽ」にして、ひたすらに前に進む。  両親を失った苦しみを耐えられたのは、新しい家族が出来たからで──  その新しい家族を失えば、今度は耐えられない。  日菜子にとってのあなたは「女子高生になってから、唐突に出来た弟」かもしれないが──あなたにとっての日菜子は、世界の全てだ。日菜子がいなくなれば──それは、世界の滅亡よりも遥かに重要な問題であるので──  杞憂だとわかっていながらに──大吹雪の中を歩く他にないのだ。  一歩、一歩──振り返ると、雪に踏み込んだ足跡は、すぐに消えてなくなる。帰り道もわからないなら──わかりやすくていいな、と、あなたは進み続けて──  ようやく、学校に到着した。  鍵は閉まっているだろうが──当直室はおそらく、一階の、どこか窓に面している箇所のはずだ。学校の回りをぐるぐると歩けば、すぐにわかるだろう──最悪の事態は、窓ガラスでも割ればいいと思って──、一息を吐いた途端に── ”どさっ”  と──  あなたは、正面から雪に倒れ込んだ。  冷たいと思っていたのだが、雪は意外と暖かいのだな──と感じたのは、表皮が雪と同じ温度まで冷たくなっているからだ。立ち上がらなければいけない、と思うのだが──、四肢に、力が入らない。  何故か──大晦日の夜を、思い出した。  家族が全員そろっていた頃の、楽しかった大晦日。一年で一度、深夜を越えた夜更かしを許されていた日に──それでも限界がきて、夜の23時にこたつで眠たくなり──寝たくないのに、身体が、睡眠を欲して──まどろみの淵に落ちて、二度と、元に戻って来れなくなりそうな──深い眠り──が、今の自分の身体であり──思考もぼんやりとして──最後に浮かぶのは、日菜子が無事であれば──それでいいな、という、それだけだった。

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