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⑦最も視界が悪い着ぐるみに出会う 季節は秋。それなりに着ぐるみの経験を積んだ私は、それなりに着ぐるみ役者として自信が付き始めていた。ショーをソコソコこなし、汎用の動物着ぐるみに変身してグリーティングをしたり、時にはアテンド業務をしたりしながら、イベント業務のいろはを学んでいった。 と、そんなときに舞い込んできた案件。何の変哲もない着ぐるみだと思っていた、その子が経験した中で“最も視界が悪い着ぐるみ”だったことは今でも忘れられない。 この日の集合場所はショッピングセンターだった。全国にある某巨大ショッピングセンターと言えば、大体想像がつく場所だと思う。 毎回着ぐるみの仕事というのは朝が早いのがなんともキツイところ。慣れてきているとはいえ、つらいのには変わりない。 バックヤードに案内される私は、もう着ぐるみ歴もそこそこついてきているため、慣れた手つきで入店して守衛さんにあいさつして楽屋へと関係者さながらのちょっと調子に乗った態度で楽屋に入っていった。 裏の事情を知っている。華やかな裏側を把握している。そんななんとも言えない優越感をこしらえていた。今思えば相当痛いヤツだったと思うし、演じるプロとしてそんな傲慢な思いを持っていたと思うと非常に恥ずかしさがこみあげてくる。 さてと。 楽屋というよりは会議室の1室に案内された。そこに置いてあった大きな青色のプラボックス。非常に大きい。 今日はどんな子に変身するのだろう…。 いつもワクワクな気分で着ぐるみと対面することが恒例行事となっていた。 このワクワク感は何度現場をこなしてきても自然と湧き上がってくるから堪らない。事前に演じるキャラを教えてもらっていても、いつもこのドキドキは湧き上がってくるもので、この仕事の醍醐味だと感じていた。 しかし今回の場合、今日の演じる着ぐるみが事前にどんなキャラなのか情報が全く無く、着ぐるみでのにぎやかし、のみの業務指示だったので、実際本当に箱の中をのぞくまでどんな着ぐるみか分からなかった。 汎用のウサギやライオンの着ぐるみだろうか…。 固有名詞化されたキャラクターの名前が知らされていない場合は、大体が汎用の着ぐるみで収まる場合が多い。 当然、今回もそう予測していた。 汎用のありふれた着ぐるみでは全然満足できない贅沢病にかかっていたため、その着ぐるみだったら相当がっかりするよなぁ、まぁそれでも楽しいし仕方ないかと、ある種そうであった場合の自己防衛的な考えを巡らせていたところもあった。 着ぐるみの入っている大きな箱の上蓋を開けた。 開けたと同時にホコリと汗の混ざった縫いぐるみのニオイが鼻を突く。視界に飛び込んできたのは、真っ白で毛足が比較的長く、モフモフでとても肌触りの良いファーだった。 これは間違いなく汎用着ぐるみじゃない・・・!その事実だけでも非常に嬉しかった。 ・・・ん? それにしても一面真っ白なボディ。どうやら胴体なのだろうか。パーツを探るため、ボディを一度持ち上げてみることにした。 ・・・ズシっとしていてかなり重い。どうやら手と胴体が一体になっているもののようだ。おまけに結構汗臭い。頻繁に洗われているものではなさそうだ。 ボディと手が一体になっているタイプの着ぐるみ・・・。着替えるときにかなり苦労するタイプの着ぐるみで、一人では着ることも脱ぐこともできない。必ずサポートする人が必要になるため、あまり私は好きじゃない。 拘束性が高くてグっとくるものがあるけれども、仕事として着ぐるみを着る分では脱ぎ着が簡便な方が助かる。まぁ大体の場合は一人で着ることも脱ぐことも少ないのだが。 ボディを持ち上げて、箱の底の方を覗き込んだ。そこには真っ白のフワフワしたイヌの頭、そう、某大型ショッピングセンターマスコットキャラクターのワ〇ンくんだ。 さらに底にビニールにしまわれていた足部分も発見。足部分はかなり重い。一体何が詰め込まれているのか。モフモフした白色の可愛らしい足とは裏腹に、かなりズシっとした重さがあったのは今でもしっかりと覚えている。 あとは、尻尾の型だろうか。尻尾の型はまるで新聞紙を押し固めて作ったような印象だ。ボディにすでに縫い付けられているしっぽ部分には何も詰め込まれておらずふにゃふにゃの状態なのだが、このしっぽの型を胴体のしっぽへ挿入して使用するようだ。クルンと丸まったしっぽがなんともかわいらしい。 あとはかなり大きめの首輪だろうか?リング状のこのキャラの特徴でもあるようだ。 役者はそろった。いざワ〇ンくんに変身するときが来た。 背中のファスナーを開ける。毛並みが非常に長く、本当にボディがズシっとしていて重い。裏地はメッシュ状になっていて、着心地は悪くない。良くある話だが、ファーの裏というのは結構ガサガサギシギシしていて肌触りは良いものではない。汗も全く吸い取らず、場合によっては擦過傷ができてしまう着ぐるみなんかもある。 裏地があるというだけで中々良い着ぐるみなのは間違いないのだ。 チャックを閉めてもらい、足を履き、首輪を装備し、次に頭をかぶろうとした。 モフモフしたミトンの手では不自由なのだが、かなり重いワ〇ンくんの頭を持ち上げて、自分の頭に納めた・・・。 ん? え?? えええぇ!!? てっきり視界は黒色の目や鼻の部分から見えるものだと思い込んで確認を怠っていた。この手の着ぐるみは大体そんな仕様だから、全く視界の場所を把握せずにかぶってしまったのも悪かったところ。 そう、視界が全くなかったのだ。 全く無いと表現するのは少し盛りすぎかもしれない。正確には、頭のちょうど顎の部分に、たばこ2箱分くらいの面積で外が見渡せる。白色のメッシュでおおわれている。本当に真下しか見えない。真正面の目の部分や鼻の部分、そのほかの部分は一切開いておらず、開いているのはあご下の部分のみ。 しかも、だ。このキャラは首輪をしている。 首輪は普通のベルト状のものではない。フラフープの輪がかまぼこ板くらいの幅と厚みを持っているようなもので、そんな首輪を肩回りに乗せると、ちょうど首輪が視界部分を遮ってしまうのだ。 真下しか無い視界、さらに首輪によってその視界が隠されてしまう。 明らかに設計ミスなキャラクターだった。 現在は鼻が透明な仕様になっていて、幾分視界は確保されているみたいだが、その当時の着ぐるみは絶望的な視界の無さに驚愕したものだった。 ・・・これは困った。 真下しか見えない。いや、真下すらも怪しい。歩くことができないくらい、酷い視界だ。 こんな着ぐるみ初めてだ。着ぐるみと言えば視界が悪いもの。確かに間違いない。口から見るタイプ、目から見るタイプ。ウルト〇マンのようにほんのわずかにしか開いていない穴やCM撮影用に視界無視でクオリティ重視のものだってある。 ただ、視界が悪いとは言っても、苦しみながらも操演が可能なものが大半で、付き添い無しで移動できないタイプのものは意外と少ない。ゆるキャラのようにずんぐりとしたタイプであっても、それなりに機動性を考慮して、それなりに動くことが出来る。 が、この着ぐるみは違う。誰かに手を引いてもらわないと危なくて歩けない。それくらいの視界しかなかった。思い切り上を向いて、真下にある覗き穴を上の方に向ければなんとか視界が確保できる。しかしこれでは恰好が付かないからNGだ。 案の定、この着ぐるみを良く知っている担当者が先導してくれるそうだ。 この会社ではやっぱりこのマスコットは誰もやりたがらないそうだ。 担当者の話によると、前に新入社員の女の子が中に入ったそうだけども、全く演技になるどこか、着ぐるみの暑さと重さ、そして視界の無い恐怖で半ばパニックのような状態となってしまい、10分ぐらいでギブアップしたそうだ。 まぁ分からなくもない。この着ぐるみでは、着ぐるみを着て演技することの楽しさが封じられている。着ぐるみの楽しさが封じられてはただの拘束具、苦しいだけの衣装に成り下がってしまう。 とにかく、このキャラになって演じなければならない、そういう仕事を任せられた以上は全力で取り組むしかない。 顎ひもをしっかり留めて、いざ出陣。担当者に手を引いてもらわないと歩けないくらいに視界が悪い中、バックヤードを縫って、そしてショッピングエリアに登場した。 順路としては、食料品エリアを通り、ゲームセンター前にあるイベントブースに向かっていくもので、移動としては1Fから2Fへ、エスカレーターも駆使しながらたどり着くものだった。 私は登場するや否や、子供たちからの〇〇くんだ~!ワンチャンだ~!という、視界が殆どないためどこから飛んできたかもわからない黄色い声援に、ひたすら勘で手を振ってこたえるしかなかった。 元気よく大股で、声をかけてくれる人めがけて手を振りながら担当者と一緒に目的の場所まで歩いていく。開始5分経った頃だった。 はぁ・・はぁ・・・うぅ・・・・あつい・・・あついよぉ・・・ この着ぐるみがキツイところは、視界が殆ど無いことに加えて、全身重たく、かつ分厚いため猛烈に暑いこともあった。 すでにかなりの着ぐるみを経験してきている慣れた私であっても、ショッピングセンター内、それなりに冷房が効いている環境であっても、、、そして、アクションが無いただのグリーティングのイベントであっても、相当過酷な思いをしていた。 視界が無い中でエスカレーターに乗り、視界が無い中でお客さんに愛敬を振りまき、、、時間にすると8~10分くらい経っただろうか。途中で足元に抱き着いてくるお客さんや写真撮ってもいいですかの声に応えていたところで結構時間がかかってしまったが、何とか2Fの特設会場に到着した。 この時点で私は相当汗をかいていて、息も絶え絶えだった。 が、ここからようやく業務スタートになる。 顔の汗がポタポタ落ちて、首元までしっかりと覆われた胴体のモフモフしたファーを湿らせていった。 私はしゃがんでイヌ座りのポーズをしたまま、グリをこなした。 しゃがんだ方が子供たちへの対応が幾分楽になる。子供たちからのアタックは本当にいつも予想が付かない。四方八方、後ろだろうがお構いなしに飛び込んでくる。 それが視界の無い状況下で起こると、さすがに蹴とばしや踏みつけ等の事故が起きかねない。しゃがんで対応する方が、こういったハプニングも解消できるし、何よりも立ったり座ったりのスクワット動作が省かれるため、体力温存にもなる。 そのような中でグリをこなしていく私。この着ぐるみならではの苦労も結構出てきている。 お写真イイですか? 何気ないお客さんからのこのひとこと。 何千回とそんなお客さんからの応えてきたわけだけども、このキャラの場合、いつもと勝手が違う。 どこからカメラを向けられているのか、わからないのだ。 目線が合わない。これでは写真写りが最悪になってしまう。とにかく、耳に全神経を集中させて、どこかで声のする方めがけてポーズをとった。 慣れてくると正解に近い方面を向いてポージングが出来るようになってきた。ただ、時たまに、こっち向いて~!どこ向いているの~!とお客さんから突っ込みがあったのも事実。 視界が無いことの不便さを実感しつつ、20分ほどのグリが終わった。 苦しい・・・暑い・・・早く脱ぎたい・・・ ふらふらに近い状態ですぐに楽屋に入れるわけではない。2Fから1Fまで、長い道のりを経て、移動していかなければならないのだ。 当然、帰る間もお客さんへサービスしなければならない。 行きはそれなりに元気よく歩きながら移動していたが、帰りは疲労困憊であるのと、周囲が見えないことによって、あまり元気のないワンコになっていたと思う。 息も絶え絶えの状態で楽屋に到着。 担当者から背中のファスナーを開けてもらい、顎ひもを外して解放された。 担当者曰く、あそこまで動けた人を見たことが無いとお褒めの言葉を頂いたのは記憶に残っているものの、そんなことよりもとにかくキツくて苦しかったことで一刻も早くスポドリ飲んで休みたかったところが大きかった。 ・・・本当にキツかった。 たった1回の出動で手の部分や首元ファーがびっしょりと、触ると明らかに湿っていることが分かった。最後の方で握手した子供たちはさぞ気持ち悪い感触だっただろう。。 担当者の方は、業務用の大型扇風機を持ってきてくれた。涼む用にと持ってきてもらったが、さすがにこのビッショリの着ぐるみのまま、次に登場するわけにもいかない。 幸い、登場回数は1日4回程度で休憩時間は多かったため、次の登場まである程度は乾かすことができた。 中のグッショリと濡れている状態は改善できなかったけども・・・。 重たい足の部分も、中の布がかなり汗で変色していた。当然、履いていた靴下も絞れるほど湿っていて気持ち悪い思いをした。 改めて、このマスコットの頭やボディを色々見渡してみる。 FRPでもないが、軽量プラスチックで構成されていて、全身真っ白な毛の長いファーでおおわれている。頭の中には、工事現場で使うヘルメットと顎ひも。ミトン型の手は胴体と一体になっている。真っ白のファーのためか、指や手のひらのある部分は若干灰色に汚れている。モフモフとしているはずの手は、扇風機のお陰でビッショリと濡れていた状態から、やや湿っている状態に変わっていた。 造形は非常に良く完璧。なのに、なぜこの視界になってしまったのか、理解に苦しむ。。。 ・・・ そんな視界の非常に悪いこのキャラをあと3回演じたところで、今日の業務は終了。 後にも先にも、これほど視界の悪い着ぐるみを経験したことが無いと言い切れるほど、私の中では断トツで1位の視界の悪い着ぐるみだった。 そんな着ぐるみのことを思い出しながら、オカズに何度もしたことがあるキャラだが、このキツいキャラをほかの人が演じている動画や写真を見てオカズにすることも多々あったわけで(笑) まぁ良くも悪くもとても印象に残る着ぐるみだったことには間違いない。 このキャラだが、実はもう一度演じる機会が訪れる。それはまたこの日記に記載するかもしれないけれども、今回のお話はここまでにしておく。 ⑧1体の着ぐるみを2人で回す 残暑厳しい9月下旬ごろ、初めての経験をした。 1体の着ぐるみを2人で回すというものだ。 着ぐるみ経験者ならわかると思うが、着ぐるみの着回しは人によってはただの嫌悪感でしかないと思う。着ぐるみの内側は汗でグッショリと濡れているのが普通のもの。そんな他人の汗を含んだ着ぐるみを、誰が好き好んで着るのであろうか。 まぁ、着ぐるみフェチを発動している人なら、汗やニオイフェチも併発していることが多くて、ある意味ご褒美的な環境と感じる人もいると思う。 後になって思いかえすと、非常にフェチでヌけるシチュなこともあるけれども、現場では基本的に汗でベトベトの着ぐるみを着ることは全く以て不快でしかなかった。 そんなことで、仕事として1体の着ぐるみを2人で回すことになったわけだけども、 ・・・ その相手が着ぐるみ初体験の女性だったことで、この話は未だにしっかりと印象づいて記憶に刻まれている。 つづく

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