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以前書いてたゲーム話の「斑鳩」回アップします。

ホントは年末年始に合わせて書いていたんですが、結局アップせずにしまってたんですけど、今、コロナウィルスでガチで家に居なきゃいけない状況の方が今後増えると思うので、長く出来るゲーム、何かないかなぁ?という方、斑鳩まだご存知ない方に。



◾︎斑鳩

2020年あけましておめでとうございます!( ^ω^ )9

新年1発目は「斑鳩」です。


前からこの記事ちびちび書いてたのですが、このゲームお薦めのタイミングとしては長い休みでなんとなく退屈な時もある今が良いかなと。

幸い今スチームだったりSwitchだったりでいつでもDL購入できる時代になりました。


斑鳩、最初にやったのはドリキャス版で、自分がまだ20代前半の頃。

もう14年は前ですね。

たきもよくんの家で見たのが初でした。


斑鳩ご存知無い方に向けて書くと、ジャンルはSTG(STGではあるんですけど、実際はパズルなど色んな要素を含んでいます)敵と自機に白と黒の属性があり、同じ属性の弾は当たると無効化+自機のホーミングレーザーのチャージ+得点に出来、同じ色の敵を3つ倒すと1チェインとして換算され、チェインを繋げていくと得点が跳ね上がるシステムになっています。


ただ弾をかわして、敵をひたすら倒すのではなく、同属性の敵弾に積極的に当たりに行くシステム、突き詰めるとタイミングを抑えた音ゲー的正確さでプレイする事を余儀なくされるため、覚えゲーとしての側面が強く、その世界観と相まって好きな人はとことん好きになるけど、ダメな人は数回プレイしてもうダメな、まるで修行のような、特にストイックな部類のSTG。



自分がなんでこの斑鳩が好きかというと、世界観から、避ける・狙って撃つシステムに至るまで、製作陣のSTGに対する執念の塊で、上手くなる事で現実の自分のリアル辛抱強さも鍛えられるから。


STGは今ほぼ死に絶えてる状態ですけど、斑鳩が出たのが2001年でしたか、この当時からかなりSTGは隅に追いやられていて、斑鳩の設定もそんな「STG好きで作ってきた人たちの執念」がそのまま設定になっているように感じるんですね。


前作である「レイディアントシルバーガン」と共通の「石のような物体」という存在と戦うんですが、斑鳩は「石のような物体」の圧倒的な力を使って、人々から自由を奪った「鳳来の国」を相手に、反抗組織「天角」のただ1人の生き残りで、単身で果敢に抗戦する飛鉄塊(飛鉄塊は斑鳩世界の戦闘機の呼び名)乗りの「森羅」という若者が「自由」の為に戦う、という話。


森羅は自作の飛鉄塊「白鷺」で戦うものの、戦いに破れ墜落。

その墜落先が、かつて同じように鳳来の国に抵抗して戦ったが、負けて追われた老人たちが姥捨山のように集まった斑鳩の里

(斑鳩の設定はメタ的というか、斑鳩世界と、現実の当時のSTGを取り巻いていた環境と開発現場を想像して重ねて見ないと、ゲームを通して何を言わんとしてるのか伝わらない所があります。作られた時代背景と合わせての設定と感じます。斑鳩の里=開発陣 森羅=プレイヤーであり、STGが好きで作ってきた開発陣 という感じで・・・)


ケガを負いながら、動けるようになるとまた飛鉄塊「白鷺」を直して飛び立とうとする森羅に、斑鳩の里の技術者たちが託したのが、侵攻してくる鳳来の国の目を逃れて開発していた、白と黒・陰と陽の力を1機に集約した「斑鳩」という機体。


飛鉄塊乗りは脳や神経に直接飛鉄塊の操作系を繋ぐため、体の内も外も負担が重く、操者は短命。

最後の切り札の「斑鳩」を森羅に託した斑鳩の里の技術者達が、射出カタパルトの「不動明王の剣」から飛び出していく斑鳩を見て、


嗚呼、斑鳩が行く・・・

我生きずして死す事なし、理想の器満つらざるとも屈せず。

これ、後悔と共に死すことなし。


と語るんですが、この台詞が「好きでそのジャンルを作ってきた製作者側の強さと執念」を自分に感じさせるんです。


この言葉、色んな解釈あると思うんですけど、何か作ったりやりはじめると、自分の理想の器、成し遂げたいものって、目標が高いほど難しくそんなに簡単に成就できない。


目標が決まれば行動する。

行動するっていうことは、自分で物事を決めて、自分を生きる事。

目標(理想)に届かなくても屈っさずに続けていれば、後になってあの時やれば良かった、また、道半ばでも結局届かなかったと後悔しながら死ぬことはない・・・


・・・という事なんじゃないかな〜〜〜と、今の自分は思ってます。


人間は他人に負けるよりも、物事にトライせず、自分には出来たかもしれないっていう諦めのつかない後悔を持って生きる方が何倍も苦しい。


今の世の中「夢を諦めない事」が美徳のように語られますが、自分は、挑戦した結果自分で諦めがつけられるのも美徳だと思ってます。


夢っていうのは美しくもあり、呪縛でもあります。

それを諦める事で別の事に目が向いて拓ける幸せな人生だってある。


大事なのは自分の決めたことにトライする事、そして周囲の競争などのノイズに惑わされず自分で諦めがつくまでやる事だと思う。

もし続けられるようならとことんやればいい。


斑鳩はただ敵を撃ち、死なずにクリアするだけならそこまで難しくなく出来ますけど、製作者が意図して設計したSTGとしての斑鳩ならではの醍醐味部分(前述の敵弾吸収+チェインを途切れずに繋げるプレイスタイル)に挑戦する場合、途端に難しくなります。


ステージがそれぞれ、リアルの人生で直面する壁や葛藤について書かれているのも、プレイしてて修行のように感じる点です。


ステージ1のタイトルが「現実」

嗚呼、斑鳩が行く・・・

望まれることなく、浮世から捨てられし彼等を動かすもの。

それは、生きる意志を持つ者の意地に他ならない。


というカットが入って、空を覆う程の多勢の敵に対して、斑鳩という小さな鳥が飛んでいく。


これは当時の製作者側が、STGというジャンルが辿りつつある状況、自分たちの状況を憂いていたとも取れるし、何かを問題に感じて、何かしようとする人は大抵浮世からその時点で望まれてもいないし、社会的に捨てられている状況から一矢報いようとするから、個人的には色々共感できるカットインです。


昔のアニメの作画が異様に良かったり、随所にROCKを散りばめていたのも、その時代背景を見ると、今ほどアニメが認められず、アニメ業界を選んだ人が反骨心でやってたと思える点を感じます。

ゲームも同じで、映画を作りたかった人たちがゲーム音楽を作っている場合が多かったので、日本のゲーム音楽は異様な程レベルが高かった。


ステージが進むと敵の中枢へと進み、難易度が上がります。

まるで人生の難易度が上がるように、森羅(プレイヤー)に対しての試練の度合いが跳ね上がるわけです。


こんなしんどい事してまでやる必要、得たいものって何だろう・・・

とプレイヤー側もかなり消耗するんですが、そこで入るカットインの言葉が毎回沁みる。


斑鳩の醍醐味は、他のSTGのように敵をただ撃って、死なないようにクリアしても「試合には表面的には勝った、でも本当の勝負には負けた」と思わせるその難度の高いシステムにあります。


自分の頭で考え工夫する事で、物事の楽しさ

(最初は一見楽しくないかもしれないけど、イラストにおけるデッサンと同じで、自分で把握できてない形状を繰り返し観察して自分で描き試す事で、モノの形を制御できるようになって初めて楽しさを感じる類の、多少の訓練を経た上で感じられるようになる楽しさ)

を知る事ができるように、製作者側の、STGとして独自に盛り込んだ挑戦の部分に取り組む事で、斑鳩世界で成長して行く楽しさを味わえる。


繰り返しやる事で、自分にとってのウィークポイントが浮き彫りになり、他のプレイヤーの動きを見た時にスッと頭に入ってくる。


以前、世界的に有名なサーカス団(たしかシルク・ド・ソレイユだった記憶)の練習風景で、


「最初から答えは教えないんだ。人間は答えだと思うものを見せられるとそれ以上考えなくなるからね」


という言葉をテレビで見たんですが、今の時代でもっとも大事なのはこの点だと思う。

情報検索すればすぐに自分に必要なものは出てくるし、自分が思う正解のコピーが上手い人は実はたくさん居る。


最初から正解を教えれば、それだけを効率的に洗練させようとするのが人間です。


失敗は無駄に感じる人が多いと思うけど、失敗は小さな成功要素と・事故体験の集積でもあり、見方をかえると、今求める答えじゃないけど、違う何かをする時に必要になる答えのキッカケを自分で体験しているとも言える。

重要なのは「様々なシチュエーション(失敗)を経験する」ことであり、「同じ失敗」を繰り返さないこと。


もし「同じ失敗」を続ける場合は、「同じ失敗に陥る解答思考」でループしてるので考え方を是正しないといけない。


寿司ネタのトロだって、最初は猫の餌になっていた捨てられていた部位で、売れない無駄な部分という認識だった。

でも実はそれが今では1番高いモノになってる。

無駄と認識されていたものに価値がある例だってあるわけです(む、無理矢理のこじつけだー!


他の食べ物もそう。

後になってから実は効能が発見されて価値があがる野菜はいっぱいあって、結果昔の人の多様な食生活が理にかなっていたという事が多い。

食物繊維だって以前は単なる無駄なものって思われてたけど、今は腸内で便を作るのに非常に重要というのが分かった。

昔と今では何が良くなって何が劣っているのか、偏った効率を求め過ぎた結果、無駄と思って摂取しなくなったがために失った健康もあるのかもしれません。


何でもよく調べないうちに無駄と決めつけてしまうのは早計。


人間の脳の可能性は、幾多の無駄と思えるものを組み合わせ、新しいものに出来る遊び心にあると思うんですが、無駄の経験とその面白みを知らないと組み合わせる事が出来ない。


例えばゴルフ、白い球を打つ事、それ自体の行為は生きる上では一見無駄です。

まず最初に白い球をスコーンと打ち、遠くに飛ばす楽しさがある。打つのが楽しい。でもそれだけじゃ飽きる。

じゃあ明確に球をいれるゴールの穴を作り、そこに打数制限を設けて入れる遊びにしよう。


そうすると、人間は単に打つ楽しさに加えて、距離に対しての力加減の調整や体の使い方、グラブの種類を選び、芝の目を読んだりといろんな要素を面白さとして認識して、それらをゴルフというスポーツとして認識する。


白い球を遠くに打つだけという1つの無駄な行為に、明確な目標を作る事で、それを達成するまでの過程に人間は面白みを見出すわけです。


自分は漫画家ではないけど、コマの割り方とかのハウツーを最初から若い子に教えようとするのは非常に危険だと思ってるタイプで、まずは本人が「表現したいものに即した方法」でやらせて、何か作り上げるのを横で見守ろうよと思って見てます。


日本人は技術論とかテクニックが物事のゴールになってしまいがちで、肝心の「作られるものが面白いものなのか、本人何が見たいのか」という本当のゴールは二の次になってしまいがち。

本質ではなく様式が重視されてしまう気がする。

「才能が終われば形式が始まる」という言葉がありますけど、まさにそんな感じ。


本質的に面白いものって、繰り返し見たり聴いたり遊んだりしてしまうものだと思う。

そこが超難しいんです。作る側が物事の面白さをよく分かってないとプレイヤーと共有できない。


と、綺麗な事書くのは簡単なんですけど、実際やるのは超ーーーーーーーーーしんどい・・・


盛大に超脱線しました。


斑鳩で森羅がまず「白鷺」を自分で作って対抗し、墜落してもまた白鷺を直して対抗しようとしたように、人間目的があって本当にやりたいなら結局その時点でやれる事をやる。

そしてやれる事を試して、やった事だけが血肉になり、その過程の中にだけ、価値のある、誰かのコピーではない自分だけの個性になり得る経験がある・・・のじゃないかなぁ〜〜〜 と、思ってます。


斑鳩は、実際プレイして頭を動かす事で、「経験する重要性」を教えてくれる気がします。


と、偉そうに書いてるんですけど、まだ自分も80時間くらいしかやっておらず、1面ばっかやっててまだS+までしか行ってません・・・( ^ω^ )> ヘヘッ!


ちょっと語りたかったのです。ゆるちて♡


実用的な話で言うと、ミスれないと思うと人間心拍上がって緊張状態になるんで、その状況に普段からちょっと慣れる事が出来るのと、繰り返しやる事で自分の本当のスペック、意外に対応力が無く覚えられないっていう、生き物としての弱さを把握できるのと、チェインが失敗して気持ちが途切れた時に、またすぐに繋ぎ直す、メンタルリカバリーが出来るようになったりします。


日常における小さな成功と失敗の凝縮体験がある斑鳩。


上達の手順と、得られる感覚としてはピアノとかカラオケの体験に近いです。

流れるように弾けたり歌えたりするとカッコイイし気持ちいい。


ピアノもカラオケも、譜面という決められた音階の中、演奏時間内で表現します。

人間はその決められた範囲内でタイミングを合わせ考えながら繰り返す事で、だんだんその中で自分なりの余裕を手に入れ・遊びや気持ち良さ、カッコよさを動きの中に入れ込むようになり、自分なりの自由を掴んでいくといいますか、「芸事の中で自分を制御する術」それを側から見たときに、あたかも自由に自分なりの表現をしていてるから、人々は「芸術」と言うのではないか・・・そんな気が自分はしています。


高度に制御された結果、醸されるその人なりの行き届いた洗練が芸術と言われるというか・・・


斑鳩は苦手な所だけ繰り返し練習して集中して苦手を潰すということができません。


音楽と演出と画面ロール(敵の早回しがある)が完全に一致しているので、自分の苦手な場所まで繰り返し通しでやる必要がある。

この辺がカラオケや音楽に似ています。


通しで歌って、高い音域部分をちゃんと声出るかやらないといけない一発勝負。

箇所ごとに上手くてもダメ。「全体の途切れない流れ」が大事。

youtube post: qA4r0JgVo9M

流行の唄ではないけどカッコいいものはカッコよく、時代を選ばず、人種を選ばずカッコいい!

日本人でも流暢に歌うのが難しいのに、言語の違う海外の人がこんなに気持ちよく歌ってると羨ましいです。

(この方、芸事の守・破・離の段階で行くと、破・離の丁度絶妙な所に到達してる気がします。あーん♡ カッコいい〜♡)


自分を制御する事で得られる「自由」を感じる。

BLACKもバトルホッパーと2人でゴルゴムと闘ってましたね。

BLACKがライダー体験だった自分には痺れます♡


斑鳩のカッコよさはこれに近いです。時代問わず流行り廃りない骨のあるカッコよさ。


斑鳩は最初から攻略動画を見てトレースするプレイは出来ればオススメしません。

攻略動画は1つの正解ではあるんですけど、その動きに合わせようとすると逆にストレスになるし「この動き以外に方法がない」と勝手に思い込んで、辛くなってすぐ投げます。

覚えゲーの要素はあるんですけど、パターンの組み方は人それぞれあるくらい懐は広いゲームです。


多分、斑鳩を多くの人が投げる理由の1つは「最初から出来る人の理想的な動きをトレスしようとする」事があるように思います。

効率的にやろうとすると、まず参考動画を研究するのがセオリーだと思うのは理解できるんですが、どのタイミングでどの敵が出てきて、どこから判定が発生するのか、それを体感で分からないと、どんなに動きを真似ても、原理が分かってないから、なかなか再現できない。


ストレスでもとりあえず最初の数時間は自力で「は?わっかんねー!何だこれ!?」という一方的にレイプされるような理不尽な感覚を味わいつつ、敵の出現位置やタイミングを把握して、どういうパズルなんだろう?と考えながらやるのがオススメ。


斑鳩は自分で試して間違える事を恐れてしまうと先に進めない。

間違えるのを恐れず動く→修正の連続。


箇所ごとに練習できないので、一面(一曲)を最初から最後までとりあえず歌って、次にやる時に少しづつ修正を入れて行くの繰り返し。

だいたい何回かやると、自分にとってはラクな所と、どうしても躓く所が分かってくるので。


いまのネット文化的にはクリアしても自慢にならないけど、解法を探りながら実際に試すのは誰もができる事じゃないので、取り組んだ自分の勲章として長く愛せるゲームです。


自分も最初に難易度ノーマルを動画で見て、動き真似してすぐに投げ、それからしばらくしてから参考動画なしで40時間くらいやって、ある程度敵の出現タイミングと流れを把握してから、繰り返しミスる所、どうしても分からん所を動画参考して、1面で100チェイン超えS+出した時は静かにガッツポーズとりました( ^ω^ )9

このやったぜ!感は成功体験として強く残ってます。


今の時代に必要なのは、いきなり成功する事じゃなくて、間違えまくって自分の本当のスペックを正視して、そこから地に足のついた実力をつけていくこと。


斑鳩は各ステージの最高ランクはS++で、チェイン数(ステージの最初から最後まで早回し込みで出てくる敵を途切れる事なく白黒の3セットづつを守って撃破する)にして105オーバー以上(確か)を出すとS++が取れます。


技量的にはS++が出せればステージを把握して、それに合わせた動きが出来るという技量になっているので、斑鳩の制作側から提示された本当の勝負で勝ったという事になります。


◾︎

精神論のオンパレードで申し訳ないです。


個人的には、多分これを超えるSTGは今後もう出ないと思うので、10年スパンくらいで長く取り組むのもいいんじゃないかな、と思います。


パズル+音ゲー+シューティングの要素を、日本人の侘び寂びの美術センスで超カッコ良くまとめあげたのが斑鳩。


蒼光のアクアバレットで1発1発の射撃を重めに描いたり、敵が編隊組んで飛んでくるのを射抜いたりするのは斑鳩の影響がとても強いんです。


そして斑鳩にはプロトタイプモードでSTGなのに残弾方式!のゲームモードがありまして、この設定が好きなんです。弾が無くなる!敵の弾に当たって自分の弾にする!

アクアバレットで水面からリングで弾をチャージするのはこの辺から来ています(+グランゾートのアクアビート呼び出しのプロセス)


2人同時プレイもあって、森羅のパートナーは篝という女性キャラ。

「銀鶏」という機体で斑鳩と共に戦います。


世の中の白と黒、清濁併せ呑んで、強大な力に対し自由を求めて戦う男と女・・・


(まさに「斑鳩」には人に大事なものがすべて詰まってるんだよ ポロロン♪)


とガルパン のミカのように言ってしまいたくなるSTGの形をしたもはや「道」のようなゲーム。


もしかしたら、あなたのゲーム観と人生を変えてしまうかもしれない「斑鳩」

気が向かれましたらオススメです( ^ω^ )ノ


ネットでは激ムズとか言われてますが、鵜呑みにせずレッツトライ!


私たちは自由を見れるかしら?(修行僧のような気分でまたスタートボタン押す



2年前斑鳩が配信された時に、帰省していた鹿児島で嬉しくて桜島を前に撮した写真。

次の日結構デカい噴火しまして、その灰の形が斑鳩の残機マークに似てたので残してました( ^ω^ )


2年経過して80時間ほどのプレイ時間という、自分のライトプレイヤーっぷりが輝いていますね!

でも、それくらい付かず離れずで長くやるのが良いと思います。

( ^ω^ )斑鳩は長い人生、自分の未熟を教えてくれるお供ゲー♡

(YouTube)


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