20190517 シド・ミード展記 (Pixiv Fanbox)
Published:
2019-05-17 01:31:18
Edited:
2019-06-01 20:01:09
Imported:
2024-01
Content
シド・ミード展行ってきました。
富野監督と並んで高齢なシド・ミード氏、正直こういう展覧会は最初で最後だろうなと思い、生原画を目に焼き付ける気持ちで行きました。
いきなり結論みたいな感じですけど、足を運べる方は絶対行かれた方がいいです。
あと会場では500円の音声ガイド絶対買いましょう。
これ無いとスケッチの意味とか絵がどういう過程で描かれたものか分からないのです。
声は朴璐美さん、ロラン・セアックなのもニヤリと来ます。
■描けるボク凄いでしょ!ではなく。こういう空気吸いたいという共感できる憧れとしてのイラスト
ミード氏の絵は間近で見てアラを探しても、「そこまで見ると分かってたよ 私もきっと見るから」と言わんばかりに隙がありません。
多分ココまで徹底しているから離れて見た時に絵に空気があるんでしょう。
ただ、決して細部まで緻密に「写実的に」描き込んでるワケじゃないのがミソです。
葉っぱとか、筆の感じをそのままという所も多い。
でもシルエットがちゃんと生きてる。
特に人間、大観衆が何かを見ているというシーンが多いんですが、観衆がそれぞれちゃんと演技してるのがシルエットで分かる。
今の3DCGの画面で大量にCGのキャラが出る時、すべてがクッキリしているので逆に浮いて見える(機械に任せすぎて人間の目で見た時に自然かどうかの情報量を超えてしまって、逆にウソっぽく見えてる)んですが、ミード氏の画面は人間の目で見た時の情報量内でMAXを出している感じなんですね。
それはミード氏の環境光に対しての理解が相当なレベルにあるのも大きいです。
一枚の画面の中でコントラストがハッキリしている部分、パステルカラーにぼんやりしてる部分が明確にあるんですが、画面内にミード氏のみたいと思う空気があって、遠景は太陽の光や取り巻く大気の厚さで目に届く光が減衰しているかのような奥行きがある。
見せたいものをコントラストをハッキリと、それ以外のものを配置した場所の距離に応じた空気に溶け込ませる事で幻想的な画面になっている。
未来っぽいものを描いてるんじゃなくて、ミード氏自身がホントにそこに立って空気を吸って世界を「憧れ」の目で見てると感じる点では、小池繁夫さんと同じものを感じます。
思うに、憧れを追い求めて物凄い技量に達すると、似たような気品みたいなのが出てくるんでしょうね。
汚いものを汚く描くのは誰でもできるけど、それが見たいと思う人は少なくて、汚いものでも綺麗に描けるのは、ある種そこに何がしかの気持ちよさとか憧れがあって、それを描けているんだと思うんです。
一緒にするとアレなんですけど、例えばエロシーン1つにしても、だいたいが物理的に汚い行為なんですが、上手い人が描くと汚いシーンでもなんか清潔感があってすごく魅力的なものに見える。
どんなレンズを自分の中に持って、どういう角度で、どういう風に映すか。
その清潔感を維持するのが憧れだと思うんです。
そこに慣れが入っちゃうと、手入れをサボるようになって清潔感がなくなっちゃう。
人間綺麗で美しいものを好むので、同じシーンならグッとくる美しさでみたいもの。
それが未来世界か、女の子のエロシーンかは問わず、憧れが高い技量で描かれると、他人が見た時に共感できるんじゃないかなと自分は思う次第です。
■ステップ バイ ステップ
不透明水彩で描かれた絵はデジタルの絵と違って塗料で盛り上がっているので、絵というよりも半立体に近く、造形物としての凄みがあります。
観察する上で、15センチくらいまで近づいて見ると塗料の厚みがよく分かります。
通常暗い部分→明るい部分と塗料が厚くなる(どんどん明るく上書きしていく。ただ、上から暗くする場合もあるので一概に必ずそうではない)
不透明水彩の、塗料自体の縁が光っていて、これはデジタルでは表現できない厚みです。
このように、画材が持つ偶然性と物理的な構造の厚みがミード氏のあの独特のまろやかな色味と質感を出していて、相当な情報量がありました。
ミード氏のイラストは大きく4段階に工程が分けられていて、これを「ステップ バイ ステップ」と呼ぶそうです。
1・ラフスケッチ■極小ラフを1枚の紙の中に数点描く。ほんとに小さく、MONO消しゴムの特大くらいの大きさ。
スケッチは鉛筆の腹の部分で面を出し、モノトーンで画面全体の光の調子を検討したものを数点用意する。
いわば超ラフ叩き台イメージボード。
2・プレリミナリ■極小ラフを元に拡大したカラーラフ。
ここに描く上でのあらゆる要素を詰めて描く。
3・ラインアート■プレリミナリを元に線画に起こす。この線画をイラストレーションボードの上に置き、線を鉛筆と定規でなぞり、イラストレーションボードに転写する。
めくってはなぞるを数百回繰り返すため、主線や紙の端が破けたりボロボロになる。
4・イラストレーションボードに転写されたラインアートを元に完成画へ
これは普段多くの絵描きがラフ→線画→完成という手順を通るのと同じですが、アナログである手間もあり、伝えたいものを明確にするためにラフスケッチを多く描くという点がミソです。
ミードガンダム内で、ミード氏がターンエーデザインにおいて過去のガンダムをラフスケッチで勉強されていました。
当時で齢60を超えていた方が、ぶっちゃけ見た目カッコよければOK、というアニメロボット文化の「カッコイイとは何か」を手を動かして学ばれていたのはすごく親近感を感じたものです。
よく最初の∀ガンダムはこうだった!と初期にミード氏が描いた力士みたいMSのデザインを引き合いに出されますが、
ガンダム的なものに対する下地が何もない状態から出来たものを、その後見事に要素を分けて行き、ターンエーやスモーへとキャラクターに変えていったのは、記号の解体を意味する「デザイン」を体現されていたと思うばかりです。
いきなり思いつきでパーツつけたり、突飛にデザインが飛躍するんじゃなくて、大きなアイディアの塊からキャラクターの個性を抽出するという方法は、最初は違和感あるけど、こういうものだと分かってくると自分たちが作り上げている感がして、実際の所楽しかっただろうなと思います。
商業的に見るとターンエーはあまりセールスは良くなかったかもしれませんが、ガンダムという体力のあるコンテンツにしか出来ない芸当だし、ミード氏を知ったキッカケであり、20年後にこうやって見れたので文化的に残した意義の大きさは計り知れないと感じます。
今のメカデザは巨大なモノをイメージするのではなく、等身大の、己の力への理想形の具現化のようなカッチョイイスーツをメカと読んでいる節があるので危険だなと感じています。
ある意味では近年の平成ライダーと同じアプローチで、盛りすぎ+似過ぎで判別がつかない。
そしてデザイン過剰で見飽きてしまう。
1つくらいは中2デザインあっていいんですけど、どこもかしこもみんなアルティメット中2な感じなのでかなり食傷気味。
カッコイイモノの形状を突き詰めると神化、宗教に近くなるので、宗教臭の無い工業製品感の中にキャラクターを感じさせるターンエーのようなデザインは非常に重要だと思っています。
(ターンエーは見た目牧歌的だけど、中身は文明1つ眠らせるくらいヤバイ代物っていうギャップ設定も良いというのはあるんですけど)
自分はガチガチのカトキさん好きなので、精密感のあるキュービックな形状のver.kaが好きですが、マジンガーのようなスーパーロボットの丸みに、ガンダムのリアルメカ感が同居したターンエーは長い年月を耐えて味わいがでる形状なので、指標の1つです。
特にターンエーのコーナーでは、原画や拡大図で機体の各部・装甲のエッジの処理を見てみてください。
鋭いけど優しいエッジ。
個人的にキモだと思うことの1つです。
会期が6月まで延長されたそうなので、この機会をお見逃し無く。
是非過去に手描きで描かれた未来の新鮮さに触れてください。
画材も年齢も関係なく、未来を描ける人は描けるという事実の強さにやる気になれます(*゚∀゚)