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前編 「ねえ、シロくん……シロくんでしょう?」  女性の声で呼び止められたのは、金曜の午後のことだった。 「は、はい……」  大学進学のため出てきたばかりの都会で、中学時代のあだ名で呼ばれて思わず答えてしまい、心のなかでほぞを噛む。  それは、そのときの僕が『シロくん』ではなかったからだ。  いや、正確には僕は僕なのだが、今の見た目が『シロくん』ではないのだ。  僕は今、母校である中学のセーラー服を着て女装していた。  そのセーラー服がなぜ手元に届いたのか、僕自身にもわからない。卒業式の日、家に帰って鞄を開けると、なぜかそこに入っていたのだ。 (どうして、女子の制服が僕の鞄に……?)  それは、わからなかった。 (女子だって、制服のまま帰ったはずなのに……)  だがその疑問は、鞄に入っていたセーラー服の上衣の首元に刺繍されたネームを見て晴れた。  棚埼蜜果《たなさき みつか》。  僕の地元で一番の――いや、全国でも指折りの――資産家の令嬢である。  そんな令嬢が田舎の公立中学に通っていたのは、将来の支配階級として、若いうちに庶民の暮らしを肌感覚として知るため。同時に、自ら望んで支配階級から下りたとき、日々の暮らしに困惑しないよう。  彼女の家、棚埼家では、男子は元服に際して将来の進路を選択する伝統があった。  それはかつては男子のみで15歳の誕生日だったそうだが、今は男女問わず中学卒業時。  ともあれ棚埼家の子女は、中学卒業と同時に、ある選択を迫られる。  つまり、棚埼家の一員として、生涯統領たる長子を支えて生きるか。生涯勝手の暮らしと、それを可能とするだけの財産分与と引き換えに、棚埼家の一員としてのいっさいの権利を放棄するか。  大半の棚埼家子女が前者を選択するなか、蜜果は後者を選択した。  そして総額10億とも20億とも噂される資産を手にした彼女は、自らの名義で都会にマンションを買うとともに、かの地の有名女子校に進学することを決めた。  そんな蜜果だ。一般家庭の子ならたいてい1着しか持ってない、冬用の制服の洗い替えを持っていたとしても不思議ではない。 (だから、きっと……)  なんらかの理由で、僕の鞄に洗い替え用の制服が紛れ込んでいたのだろう。  もう卒業したのだから、中学の制服は必要ない。それに、今さら誤って彼女の制服を持ち帰ったと申し出るのもはばかられる。  そのうえ、僕は――。 (蜜果、さん……)  心の中でさえ彼女のことを『さん』づけで呼び、手にしたセーラー服に顔を近づけた。  そして、上質でぶ厚い冬生地に染みついた彼女の匂いを、鼻腔いっぱいに吸い込む。  そう、僕は蜜果に惹かれていた。  彼女が棚埼家の令嬢だからではなく、蜜果その人に恋していた。  とはいえ、彼女と自分がつり合わないことも、僕は自覚していた。  蜜果が生粋の令嬢であるのに対し、僕はありきたりな庶民。彼女は手足がスラリと長い美人なのに、僕は男子として小柄で華奢で地味な容姿。成績でも蜜果は学校で一二を争っているのに、僕はよくて中の上。  蜜果との交際なんて夢想することすらできない僕にとって、彼女の制服は、天からの賜りもののように思えた。  洗い替えの制服をなぜ、蜜果が学校に持ってきていたのか。それがどうして、僕の鞄に入っていたのか。  細かいことを気に留める余裕もなく、僕は彼女の制服に夢中になってしまう。  はじめ、手で触れたり匂いを嗅いだりするだけだった。  やがて、その制服に袖を通すようになった。  僕は、男子としては小柄で華奢だ。身長は、蜜果よりほんのわずかに高い程度。身体各所のサイズも、彼女と大差ない。  調整式のホックを目いっぱい外に出せば、スカートはなんとか穿くことができた。肩周りは少々窮屈だったが、上衣も着ることができた。  いや、わずかばかりの窮屈さは、彼女に抱きしめられて身体の制約を受けているようで、かえって嬉しくも思われた。  そして、セーラー服姿で鏡の前に立ったとき、僕は息を飲んだ。  そこに映っていたのは、ショートカットの女子だった。僕と同じ顔をした女の子が、鏡の中にいた。  小柄で華奢。髭もほとんど生えない地味な顔。男子としてコンプレックスしかなかった僕の特徴が、地方の公立中学のセーラー服には似合っていた。  やがて、僕は蜜果の制服と、その制服を着ることの虜になっていく。  地元の公立高校に通うようになってからも、運動部にも所属しなかったから筋肉もつかなかった。節制して、太ることも避けてきた。  すべては、蜜果のセーラー服を着るためである。  身長がほとんど伸びなかったことも、幸運だと思えるようになっていた。  さらに同時に偽名で作ったSNSのアカウントに制服着用写真を上げたとき、ほんとうの女子だと思われたことが、僕を少しずつ狂わせていった。  そして3年後、都会の大学に進学を果たした僕は、蜜果のセーラー服を着て外出するようになった。  セーラー服を着た僕は、女の子にしか見えないはずだった。  この都会には、まだ僕のことを知っている人は、ほとんどいないはずだった。  実際これまで、僕のことを気に留める人はいなかった。  にもかかわらず――。 『ねえ、シロくん……シロくんでしょう?』  もし、声をかけられても、知らんぷりで立ち去っていたら。 『は、はい……』  答えてしまっていても、振り返らず足早に逃げていたら。  あとから思えば、それが運命の分かれ道だった。そうしていれば、僕の人生は違うものになっていた。  しかし僕は、声に魅入られたように振り返ってしまった。 「やっぱり、シロくんだ」  すると、有名女子校の制服に身を包んだ美しい女性《ひと》――棚埼蜜果が、妖しくほほ笑んでいた。 「その格好で『くん』づけはおかしいから、シロと呼び捨てにするわね」  立ち話もなんだからと僕をカフェに連れ込んで、蜜果が口を開いた。 「ところで、なぜシロが、私の中学時代の制服を持っているの?」 「いや、これは……」 「私の制服じゃないと言い張るつもり?」 「そうじゃないけど……」  蜜果の制服――今、僕が着ているセーラー服――は、学校指定の制服店で売られているものではない。棚埼家御用達の高級洋服店で誂えられた逸品だ。  地元で一番の高級洋服店で制服を誂える者は、蜜果しかいない。セーラー服の首もとに縫いつけられた、その洋服店のタグを確認されたら。それ以上に、タグのすぐ下の、名前の刺繍を見られたら。  僕は言い逃れのしようがない。  とはいえ、そうじゃないと答えたことで、蜜果の制服だと認めたも同然。 「ふぅん、やっぱりね」  うつむく顔を覗き込まれながら言われ、後悔してもあとの祭り。 「制服が1着なくなっていて、おかしいと思っていたんだけど……まさかシロが盗んでいたなんてね」 「いや、違……」 「なにが違うというの?」 「ぬ、盗んだわけじゃないんだ……」 「じゃあ、無実を証明してよ」 「そ、それは……」  不可能だ。  知らないうちに鞄に入っていたなんて言いわけは、きっと信じてもらえない。  それに、僕は蜜果の制服を着ている現場を、本人に押さえられたのだ。状況は圧倒的に僕に不利。 (で、でも……)  僕は、ふと気になった。 (なぜ……)  蜜果は、有名女子校の制服を着ているのだろう。  彼女は僕の同級生。僕が大学進学のために都会に引っ越してきたということは、蜜果も卒業しているはずなのに。  その疑問が、頭によぎったときである。 「あなたたち……」  テーブルの横に立った中年の婦人が、僕たちを交互に見て声をかけてきた。 「あなたたち、高校生と……中学生かしら? まだ、学校にいるはずの時間でしょう?」  その言葉に、僕は固まる。  しかし、蜜果は余裕綽々だった。 「身分証を見せてくださる?」  言葉は丁寧だが、態度は尊大な中年女性に臆せず、それ以上に尊大な態度で言い返す。 「他人《ひと》に身分を明かせと仰るなら、まずはご自分の身分を明かすのが、礼儀ではありませんか?」  その言葉に、苦虫を噛みつぶしたような表情で、補導員の身分証を見せた。 「さあ、これでわかったでしょう? あなたの生徒証もお見せなさい」 「いいですよ」  答えて、蜜果が制服の胸ポケットから、定期入れを取り出した。 「ただし、生徒証ではなく、学生証ですが」  蜜果が見せた身分証は、国内最難関とされる、国立大学法学部の学生証だった。  その学生証を見た中年女性が、驚愕して目を見開く。同時に、態度から尊大さが消える。そればかりか、はっきりと狼狽し始める。 「ま、まさか……いえ、その……じゃ、じゃあなんで高校の制服なんか?」 「あら? 卒業生が母校の制服を着ることを規制する法令が、本邦には存在しましたか?」 「そ、それは……」  おそらく、そんな法令はない。  黙り込んでしまった中年女性に、蜜果がさらに追い討ちをかける。 「もし法令で規制されていないなら、私たちが母校の制服を着用することを咎めることはできませんよね?」  追い討ちをかけたうえで、逃げ道も用意する。 「お務め、大変ですね。ご苦労さまです」  蜜果がそう言ってにっこり笑うと、中年女性はそそくさと立ち去った。 「うふふ……あの手のおばさまはね、この学生証にとても弱いのよ」  古い言葉なら、教育ママ。そうなるのは学歴コンプレックスの裏返しだと、蜜果は判断しているのだろう。 「私ね、制服が好きなの。安心して制服を着続けるために、この大学を選んで入学したのよ。で、どこまで話したかしら?」  そう言われて、僕はもう頭によぎった疑問を口にできなかった。  中年女性を軽くあしらった蜜果の対応力に。制服を安心して着続けるためという理由だけで受験し、最難関大学に合格できる学力に。僕は完全に圧倒されていた。 「まぁここでは話にくいこともあるでしょうから、私の家に行きましょう」  蜜果に圧倒され、飲み込まれていた僕には、その申し出を拒むという選択肢はなかった。 「その制服は、シロにあげるわ」  マンション最上階の部屋に着くなり、蜜果が僕に告げた。 「私の制服を盗んだことも、赦してあげる」  その言葉に、僕はもう盗んでいないと言い返すことはできなかった。  彼女に圧倒され、飲み込まれていたから。同時に、制服を取り上げられる心配がなくなったから。  実のところ、僕が圧倒されていたのは、蜜果が中年女性をやり込める光景を見たせいだけではない。  僕は彼女のことを『蜜果さん』と、ずっと敬称つきで呼んでいる。  蜜果もはじめ、僕のことを『シロくん』と呼んでいた。それが今は、『シロ』と呼び捨てにしている。  敬称には、人と人との関係を明確にする意味合いもある。  先輩が後輩を呼び捨てにするように。後輩が先輩を『さん』づけで呼ぶように。蜜果と僕のあいだには、無意識のうちに明確な上下関係が生まれていた。  そのうえで、これ以上ことを荒立てるより、僕は無実の罪を認めて現状を維持する道を選んでしまった。  罪を赦すという言葉を僕が受け入れたことを確認し、蜜果が唇の端を吊り上げる。  そして、その表情の変化に気づくこともできない僕に向かって、さらに言葉を投げかけた。 「でも、私の制服を着て、自慰《オナニー》をされるのは嫌よ」 「えっ……?」 「うふふ……シロがすることくらい、とうの昔にお見通しよ」 「そ、そんなこと……」 「しないって誓える? したことないって断言できる?」 「そ、それは……」  できなかった。  実際これまでしてきたし、この先はしないと誓う自信もなかった。  そして蜜果に圧倒され、すべてを見透かされている気持ちになっていた僕は、口先で誓い断言するという道も選べなかった。 「だから……」  そんな僕の前に、蜜果が四角い箱を置いた。 「シロには、これを着けてもらうわ」  言いながら箱の蓋を開け、中の物体を取り出した。  その形、ひとことで言うとTバックパンツ。  ただし、通常のTバックパンツとの違いは、前側には先端にノズルのような穴が開けられた円形の小さなドームが。後ろ側には丸くくり抜かれた数センチの開口部が存在すること。  そしてなにより異様なのは、素材がピカピカに磨きあげられた金属だということである。 「貞操帯、よ」  ゴトリと音を立てて、それがテーブルの上に置かれた。 「形の意味は、見ればわかるわね?」  わかっている。前側の小さなドームは、ペニスを収納する場所だ。その先端のノズルは、おしっこを排泄するためのものだ。後ろ側の開口部は、うんちを排泄するためのものだ。 「排泄はまったく問題なく行なえるから、日常生活に不便はない。でも……」  その先も、言われなくてもわかった。  前側のドームに収納されたペニスには、けっして触れられない。ドームはきわめて小さいから、閉じ込められたペニスを勃起させることもできない。 「制服をあげ、盗みの罪を赦すかわり、シロにはこの貞操帯を着けてもらうわ」 「そ、そんな……」 「貞操帯は嫌?」  あたりまえだ。  だがもはや、僕には貞操帯装着を拒絶する道は、残されていなかった。  拒めば、制服は取り上げられる。あまつさえ制服を盗んだと、盗んだ制服を着て女装していたと、蜜果に告発されるかもしれない。  そのことを恐れ、拒絶の言葉を口にできない僕を、蜜果がさらに追い詰める。 「貞操帯は、嫌?」 「嫌、じゃないです……」  追い詰められた僕は、そう答えることしかできなかった。 「貞操帯を、着けたい?」 「着けたい、です……」 「そう、わかったわ。そこまでして、私の制服が欲しいのね? 着たいのね?」 「は、はい……そうです」  それどころか、蜜果の言葉をすべて認めてしまった。 「じゃあ、どうしてほしいか、お願いできるね?」 「ぼ、僕に……貞操帯を着けてください」  あまつさえ蜜果に迫られるまま、懇願してしまった。  流されるように口にしてしまった言葉が、どんな結果をもたらすのか気づけないまま。 「立って。自分でスカートをたくし上げなさい」  いつのまにか命令口調になり、蜜果が告げる。 「は、はい……」  その時点で上下関係ができあがっていたせいで、命令口調をあっさり受け入れ、自らの手でスカートをたくし上げる。 「あら、下着……」  それは、体操服のハーフパンツだった。  僕は、女の子用の下着を持っていない。かといって、セーラー服の下に男ものの下着を穿くのもおかしいし、なにも穿かないのは恥ずかしい。  そこでセーラー服を着るときは、デザインが男女共通の、体操服のハーフパンツを穿いていたのだ。 「なるほど……それじゃ、あとで私の体操服もあげるわ」 「ほ、ほんとに……?」  蜜果の申し出に、思わず嬉しそうに訊き返して、少し後悔。 「うふふ……貞操帯を着けてからね」  僕の気持ちを見透かし、薄く嗤って告げたところで、蜜果がハーフパンツをずり下ろした。 「ひっ……!?」  股間を剥き出しにされて短く悲鳴をあげ、たくし上げたスカートの裾を離しかけて。 「動かないで!」  きつく命じられ、動けなくなる。 「肩幅くらいに脚を開きなさい。そしてそのまま、私がいいと言うまで、ピクリとも動いちゃダメよ」  ずり下ろしたハーフパンツを足から抜き取りそう告げると、蜜果が貞操帯を手に取った。  そして前部の鍵穴に小さな鍵を差し込む。  カチリ。  小さな金属音とともに、貞操帯が後ろ側の蝶番を支点に、3つに分かれた。  その貞操帯を片手に持ち、蜜果がスカートをたくし上げた僕の前にしゃがみ込む。  恥ずかしくて見ることはできないが、おそらく今彼女の顔は、僕の股間の真前にあるだろう。  片手に貞操帯を手にしたまま、蜜果が僕の腰周りを抱くようにお尻の側に手を回す。  もちろん貞操帯を着けるための行動なのだが、たぶん今彼女の顔は、僕のペニスに息がかかるほど近づいているだろう。  そのことにドキドキし始めたところで、腰に冷たい金属が触れた。  興奮しかけたところで、冷水を浴びせられた感じ。 「ひ……!?」  短く悲鳴じみた声をあげた僕の腰に、貞操帯の横ベルトが巻きつけられる。  後ろは尾てい骨の少し上あたりから、横は腰骨の出っぱりの上。前はおへその少し下にかけて、素肌に硬い金属がみっちりと貼りつく。  カチリ。  そこで、横ベルトが組み合わされた。 「うふふ……」  横ベルトどうしがロックされたことを確認し、蜜果がお尻の下にぶら下がっていた貞操帯の縦ベルトをつかんだ。  そしてゆっくりと、持ち上げていく。  後ろのTバック部分が、お尻の肉をかき分けた。  その直後、肛門の周りに金属が触れた。  菊座の窄まりが開口部にむにっと押し出されると同時に、睾丸に金属板が押しつけられた。 「ひっ……」  それで短く声を漏らしたところで、ペニスを指でつままれた。 「あっ、なっ……」  驚き声をあげると同時に、そこに血流が集まり始める気配。  しかし、勃起する暇《いとま》もなく、僕のペニスの先端に、小さなドームの先端が触れた。  その中はきつい。太さも、長さも、縮こまった状態の僕のペニスよりひとまわり小さい。  そんな窮屈なドームの中に、僕のペニスを閉じ込めて――。  カチリ。  金属どうしが噛み合う音とともに、僕の股間は封印された。 「ふう……」  貞操帯で封印された股間を見、ひとつため息をつく。  蜜果の手で貞操帯を着けられたあと、彼女の体操服をわたされ、僕は返された。 『金曜の夕方、必ず制服を着てうちに来ること。私からの連絡には、できるかぎり早く返信すること。いいわね?』  そう命じられ、通信アプリのIDを交換させられて。 『昨日までと同じというわけにはいかないけれど、日常生活はふつうに送れるはずよ』  蜜果の言葉のとおり、貞操帯がきわめて不快というわけではなかった。  もちろん、硬い金属の下着を身につけているから、股間周りに違和感はある。  とはいえ、それは晴れた夏の日、屋外に干してゴワゴワになったデニムのパンツを穿いてすぐの感覚が続いている程度のもの。裏側がすべすべで擦れる感覚がないこともあいまって、慣れてしまえばどうということはない。  ウエストで締めつけて固定するのではなく、横ベルトを腰骨の出っぱりに引っかけて穿くような感じなので、お腹が苦しくなったりもしない。  お腹のみならず身体のどこにも食い込んだりせず、かといって隙間もできず、肌にピッタリと張りついている。  小さいドームに閉じ込められたペニスでは狙いを定められず、立っておしっこすることは困難だが、座ってすれば問題ない。振って水分を切ることができないので、いちいちペーパーで拭うのが面倒なだけ。  貞操帯の材質はステンレススチールなので、入浴しても錆びる心配はない。押したり引いたりしてわずかに隙間を作り、石けんの泡とシャワーの水流を流し込んで洗うこともできる。少し頑張れば、横ベルトの下はすべて、縦の金属板の下も大半は指を差し込んで洗える。  そう、大半は。  貞操帯に覆われた僕の股間のなかで、1箇所だけどうしても触れられない場所があった。  それは、小さなドームに閉じ込められたペニス。  縦の金属板の前側がおしゃもじ形にカーブを描いていることもあいまって、そこのつけ根にすら指は届かなかった。  もちろん、パンツのように脱ぐこともできない。肉の薄い腰骨の出っぱりに引っかかり、1センチも下にずらせないのだ。  連続装着による苦痛は、ほんのわずかの我慢で耐えられる程度。しかし、絶対に自力で外すことはできないし、ペニスにはけっして触れられない。  貞操帯の精緻かつ巧妙なしかけを思い知らされ、暗澹たる気持ちでもう1度ため息をつき、ふと気づく。 (この貞操帯って……)  あらかじめ、僕のサイズに合わせて精密に誂えられていたのではないか。 (だとすれば……)  蜜果はどうして、そんなことができたのか。  まず、精密にサイズを指定して貞操帯を誂えてくれる業者。  だがそれは、大きな問題ではないだろう。生涯勝手の暮らしと引き換えに棚埼家を出たとはいえ、蜜果はその人脈は持っているはずだ。  続いて、僕の正確なサイズの把握。  それも、同じ理由で可能だろう。地元における棚埼家の権勢は絶大。カフェで見せた蜜果の交渉力とも併せて考えると、関係各所に手配して僕のサイズを知ることも、おそらくさほど困難ではない。  だが、やろうとすれば可能であることと、実際にやるのとは違う。  おそらく、昨日今日の思いつきではできない。それには、そうとうな準備が必要だ。  蜜果はもとから僕に穿かせるつもりで、あらかじめ僕にピッタリの貞操帯を誂え、実際に僕に着けさせたのだ。 (つまり……)  僕は、罠に嵌められた。  もしかすると、制服が鞄に入っていたのも、罠のひとつだったのかもしれない。  数年にわたる長期計画でもって、彼女自身が僕の鞄に制服を入れた可能性はある。 (でも、どうして……)  僕だったのだろう。  彼女と違い実家になんの力もなく、自身にも魅力に乏しい僕に、なぜ蜜果は目をつけたのか。  その理由を考えて、ふと気づいた。 (蜜果は……)  蜜果は自身に力があるゆえ、相手に力を求める必要がないのだ。  自分が魅力に溢れているから、他者の魅力にこだわらないのだ。  そうと理解した僕は、悶々としながらも、いつしか眠りに落ちていった。  罠に嵌められたこと自体には、怒りも嫌悪感も抱けずに。  僕が眠りに落ちた頃、蜜果もベッドの中にいた。 「シロくん……」  彼女が僕の名を呼びながら股間に指を這わせていたことを、僕は知らなかった。 「いえ、シロ……」  指を這わせようとして、彼女の股間を覆う金属製の下着――貞操帯に阻まれていたことを、知るよしもなかった。  僕を貞操帯で管理する以上、自分もわが身を厳しく律しなければならないと考え、自ら貞操帯を着けていたことも。 「あぁ、くるおしい……」  それは自らの手で嵌め、鍵をタイマー式の金庫にしまった貞操帯のせいで、自身を慰めることができないせいか。それとも、僕のことを思ってのことか。  彼女の状態すら知らない僕が、蜜果がそうなる理由を想像できるはずもない。 「でも、これで夢が叶う……」  僕がもしかしてと思ったとおり、蜜果の計画は中学の卒業式の日から始まっていた。 「シロ、おまえは私の理想……」  僕の考えとは違い、蜜果はただ目をつけただけではなく、僕に惹かれていた。  自身に力があるゆえ、相手に力を求める必要がないだけではない。自分が魅力に溢れているから、他者の魅力にこだわらないのではない。  僕は自分で気づいていないだけで、蜜果が求める力を持っていた。彼女が欲する魅力を身につけていたのだ。  とはいえ、それは一般的な女性が、男性に求める力や魅力とは違う。 「シロ、おまえは理想の奴隷……」  蜜果は、僕に奴隷としての能力を見出していたのだ。 「シロ、私のセーラー服を着たおまえは、私のもの……」  生涯勝手の身分を手に入れた令嬢は、僕に女装奴隷としての魅力を感じていたのだ。 「シロ、おまえを一生逃がさないわ」  そうつぶやきながら、蜜果が唇の端を吊り上げていたこともまた、僕の預かり知らないことだった。  コツ、コツ。  僕の指が、硬い金属を叩く。  カッ、カッ。  指の爪が、小さいドームを、その先端のノズルを掻く。  コツ、コツ。  指が金属板を叩くかすかな振動が、ペニスにわずかな刺激をもたらす。  カッ、カッ。  とはいえ、指で金属板を叩き掻く程度では、充分な刺激は得られない。  あれから――貞操帯を着けられてから――4日が経った。  そのあいだ、僕は自分のペニスに触れられていない。触れるどころか、目にもしていない。  服を脱ぐと、貞操帯の前面には小さなドーム。  そこに、僕のペニスがある。その中に、窮屈に閉じ込められている。硬い金属に覆われ、みっちりと押さえつけられている感触もある。  なのに、触れることも見ることもできない。  そのことが、かえって僕にペニスを意識させる。  実のところ、そうなることも、蜜果の思惑どおりだった。  貞操帯のなかには、女性用とまったく同じ外見で、装着すれば見た目上ペニスの存在をまったく感じさせないようになるものもある。  だがあえて、蜜果は外側に膨らんだドームにペニスを閉じ込めるタイプの貞操帯を用意していた。  その形状のせいで、僕はいっそうペニスの存在を意識させられてしまう。  意識させられて、セーラー服女装してそこを慰める快楽を思い出してしまう。  しかし、けっして触れられない。  押しても引いても、貞操帯は脱げない。指を差し込む隙間すら作れない。  コツ、コツ。  だから、わずかな刺激を求め、僕は硬い金属板を叩く。  カッ、カッ。  それでは満足できないとわかっているのに、ドームを掻く。  いや、満足な刺激が得られたとしたら、僕はもっと苦しい目に遭うだろう。  僕のペニスは、縮こまった状態でも窮屈な硬い金属製のドームに閉じ込められているのだから。  もし勃起させてしまったら、僕はのたうち回るほどの苦痛に見舞われるに違いない。  コツ、コツ。  そのことに想いを馳せる余裕もなく、僕は貞操帯を叩く。  カッ、カッ。  無意識のうちに貞操帯を掻いてしまう。  それほどまでに、射精欲に支配されて、さらに2日。 (ペニスに触れたい……射精したい……)  もはや、それしか考えられない状態に陥った頃。 『金曜の夕方、必ず制服を着てうちに来ること』  別れ際、蜜果が告げたその日がやってきた。 「お願い、します……」  蜜果のマンションを訪れ、リビングに通された僕は、ためらいながらも懇願した。 「て、貞操帯を外して……」  もちろん、貞操帯を外してもらったうえで自分のアパートに帰り、心ゆくまで自慰《オナニー》をするためである。  だが、その目的を口にすることはできなかった。 「どうして、外してほしいの?」  蜜果に問い詰められても、恥ずかしくて口ごもってしまった。  とはいえ僕の思惑は、聡明な蜜果にはお見通しだった。 「わかってるわ。貞操帯を外して、自慰をするつもりでしょう?」 「そ、それは……」 「うふふ……いいわよ。でもそのかわり、私の制服と体操服は返してもらうわね」 「えっ……そんな!?」 「あたりまえでしょう? シロに貞操帯を着けさせた目的を思い出してみなさい」  言われて、ハッとした。 『私の制服を着て、自慰をされるのは嫌よ』  その理由で、僕は貞操帯着用を受け入れた。貞操帯着用を条件に、蜜果の制服と体操服をもらったのだ。 「だから貞操帯を外すなら、制服と体操服を私に返すのは当然。違うかしら?」  そのとおりだ。理《ことわり》は、蜜果のほうにある。 「そ、そんな……でも……」  もう、耐えられない。  理屈ではなく感情の部分で、僕がなおも食い下がろうとすると、蜜果が唇の端を吊り上げた。 「そもそも、制服や体操服と引き換えに貞操帯を着けてと懇願したのは、シロなのよ」  そうだ。たしかに僕は懇願した。  蜜果に仕向けられた結果とはいえ、僕は自ら貞操帯を着けてと口にした。  そのことを思い出し、理屈のうえでも、感情でも、貞操帯を外してと言えなくなった。  そんな状態に僕を貶めて、蜜果が口を開く。 「よほど溜まってるのね? 溜まったものを、射精《だ》したいのね?」 「そ、そんなこと……」 「うふふ……恥ずかしがらなくてもいいのよ。男の子の生理くらい、知ってるわ」  妖しくほほ笑んで、僕の背中に身を寄せる。  蜜果の甘い匂いが鼻腔をくすぐり、ドキリとした。  ぶ厚い冬生地ごしに蜜果の体温を感じ、貞操帯の奥でペニスがムズムズし始めた。  勃起の兆候。だが、硬くて窮屈なドームに閉じ込められ、僕のペニスは勃起できない。  息を飲み、ペニスのかわりに身を固くした僕の肩に、蜜果が手を置いた。  それでいっそう緊張した僕の耳たぶに、彼女の息がかかる。 「ひっ、はっ……」  ブルリと身を震わせたところで、蜜果がささやいた。 「いいわ、私がしてあげる」 「えっ……?」 「今、ここで、貞操帯を外して、私が抜いてあげる。そうしたら、また1週間耐えられるでしょう?」 「い、いいの……?」  思わず嬉しそうに問い返してしまい、少し後悔。  同時に、それをはるかに上回る期待感。  とはいえ、蜜果が望んでいるのは、ふつうの男女の関係ではなかった。 「いいわよ。ただし、シロが私に触れるのは禁止。自分のペニスに触ってもいけない。私が一方的に、シロを気持ちよくしてイカせるの。そして終われば、また貞操帯を着ける。それでよければね」  それでよかった。  蜜果と他人には言えない関係になれるだけで。それ以上に、彼女が僕の射精欲を満たしてくれると思うだけで。 「は、はい……お願いします」  貞操帯装着を受け入れたときと同じように、僕は自ら懇願していた。  そんな僕の肩に置いた手を、蜜果が腕へと移動させる。  セーラー服の生地ごしに、彼女の手は僕の二の腕から肘、さらに前腕部へ。  両手を背中側に回させ――。  そこで、右の手首に硬いものが触れた。  カチリ。と金属どうしが噛み合う音。  カチカチ……。何度か同じ音が聞こえたと思うと、僕の右手首は硬い金属の輪に囚われていた。 「えっ……これは?」  思わず声をあげたところで、左の手首にも。  カチリ、カチカチ……。 「うふふ……手錠よ」 「ど、どうして手錠なんか……?」 「シロが私の身体にも、自分のペニスにも、勝手に触れられないようにするためよ」 「そ、そんなこと……」 「絶対しない?」  その言葉にうなずくと、蜜果が再び僕の背中に身を寄せ、耳たぶに息がかかるほどの近さでささやいた。 「だったら、手を使えなくても問題ないよね?」  背中で感じる彼女の体温。鼻腔をくすぐる甘い匂い。耳たぶに吹きかけられる吐息。それらに極限まで期待感を高められ、僕はもう否と言えなかった。

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