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ある日世界の逞しい男たちが、皆強制的に変態的衣装とポーズを強要されるようになってしまった世界。1~5のまとめです。

あなたはマッスル人間に任命されました

◆1 自衛官

「やあこれはどうも、お世話になってます」

老若男女が行き交う街中、梶原洋蔵に投げかけられた挨拶は実にこやかなものだった。

振り返るとそこには、威圧感や嫌味など一切ない日本人らしい笑顔をした青年がいた。

さて、どこかで見た顔だが、誰だっただろうか。梶原洋蔵は浅黒く筋肉質な顔に出さぬよう考えた。店で見た顔だろうか、自衛官時代の知り合いだろうか。失礼のない対応は、小さな会社といえど社員数名を抱える人間として必要なスキルだ。

必要なスキル、だった。

「今日も大変お似合いですね」

至極当然といったふうに、青年は洋蔵の姿を褒めてきた。

お世辞の態度ではない。

男が男を、それも往来の場で真っ先に評価するというのは少々奇妙である。ましてや洋蔵は今どき流行らぬ細い目の無骨な中年男である。無精髭が昼間のうちから目立ち始め、眉も繋がりそうなほどに濃い。元自衛官の肉体は太陽と海に照らされてこんがりと黒くなっている。

しかし、青年が同性愛者なのかといえばそれも違う。

彼は洋蔵の姿形が、とても仕事熱心なものだから褒めているに過ぎないのだ。

「………」

洋蔵は返答に窮し、もごもごと口ごもった。

似合っている。言葉が耳に入ると同時に、洋蔵のむくつけき肉体には文字通りの緊張が走っていた。全身の神経が過敏になった気がした。青年のネクタイがたなびいている。風が吹いているのだ。

「ぬ、うう」

洋蔵は身体を震わせた。

自覚した途端に肌が敏感になった気がした。鍛え上げた肉の奥まで、昼の日差しが貫いていくのを再認識する。ほぼ全身に光が通っている。風があたっている。

全身ではない。ごく僅かな面積を除く全てだ。その『当たる』『当たらない』の差異が裸以上に奇妙で居心地が悪い。

毛の生い茂ったケツの奥と、二つ膨らんだ玉と玉の間、丸く収まった肉棒の中心、肩と、足と、背中の極一部。そこ以外が全て、温い風にくすぐられている。

「ハァ……ハァッ……」

洋蔵の太ましい首の中にが流れる。唾液と一緒に逡巡も飲み込んだ。洋蔵は股を開いた。大通りの硬い土を靴底で舐めながら、ゆっくりとすり足で。

「うぅ……くぅ……」

出来上がるのは、雄臭さと下品さが渾然となったガニ股の下半身だ。尻と肩と、そしてチンポにぞくぞくとした快感が走った。

「お、褒めに預かり……ぃ」

声を溜めながら洋蔵は俯いた。羞恥に肉が震えた。汗が垂れた。それらを跳ね飛ばすかのように、洋蔵はバネのように反り返った。

「お、お褒めに預かり光栄であります! マッスル! マッスルッ!」

自棄さえ伺えるような大声を轟かせ、洋蔵は満面の笑みで両腕で力こぶをつくった。

「マンキニマッスル人間梶原洋蔵は、今日もピチピチマンキニ身につけ、ガニ股ポーズで皆様に元気をお届けします! マッスルマッスルッ!」

そうして今度は両腕を下ろし、手を股関に添えて素早く∨の字を描くように動かした。いわゆるコマネチのポーズで、自身が身につける変態的衣装と、自衛隊とトレーニングで鍛え上げた肉体を強調している。それも昼間の街中で。

俊敏な動作が尚の事∨字のポーズの間抜けさを際立たせているのは言うまでもない。あまりに下品で、犯罪的な行為だ。

「う、うぅぅ……ハァ……いかがでしょうか! 私のマッスルポーズは! お楽しみいただけているでしょうかぁ!」

洋蔵の顔には無理やり作られた笑顔があった。親父臭い面を羞恥で真っ赤にしながらも、白い歯を見せ、口角を上げ、必死になって笑っていた。目には涙さえ浮かんでいる。

「マンキニもっこり! マンキニもっこり!!」

洋蔵は声に合わせるように腰を突き出した。主張の通り、その股間の膨らみは実に卑猥で際立っていた。

ビキニより面積だけは大きいが、問題なのはデザインである。両端が腰に代わりに肩へと伸びている形状では、陰毛はぼうぼうとはみ出し、尻は強烈に食い込みTバック、ガタイの良さを強調したがっているとしか思えない

全裸以上に恥ずかしい、まさに変態と、そう呼ぶのが相応しい格好だ。

堅物で規律を重んじる洋蔵が身に付けるとは、到底思えない服である。ラガーマン仕込みの分厚い肉体が、今にもはちきれんそうだった。

「いやあ、ほんとにご立派な体だ。さすがマッスル人間に選ばれるだけの方は違いますね。こう暑いと、その格好も少しばかり羨ましいですね、この暑いのにきっちりネクタイ締めて歩くのは結構キツイですよ」

だが、そんな姿を眼にしていながら、青年はごくあたりまえのように洋蔵を褒め、そして自然に日常会話を始めた。とりともめない世間話だ。

穏やかな空気であった。人の波は絶えず動き、子供は笑い。疲れた顔の営業が歩いている。通りは平日の活気で満ちていた。誰もこの変態親父の行為を咎めない。

「は、はい、私は、マンキニマッスル人間にしていただきましたので、毎日この姿で鍛え抜いた体を見せつけております! ラグビー部時代と自衛官時代で鍛え上げた筋肉ボディを更にマッスルに鍛え上げております! 飯の食い過ぎて腹がなかなか引っ込みませんが、マンキニがそこにも食い込んで男らしいと自負しております! マッスル! マッスル!」

洋蔵は空を仰ぎながら一息に言った。

羞恥と情けなさで汗が顔中から滲み、目の前の景色が歪んでいた。

こんな発言を淀みなく言えるようになってしまった。

この変態的姿で、もう何度街中を歩いたことだろうか。ああ、体が熱い。気持ちがいい。ポーズを取ると、腰から雄の快感が容赦なく襲ってくる。雄というのは、どうしてこうも愚かなのだ。こんなにも惨めであるというのに、肉棒が次第に熱を帯びて、段々と硬く盛り上がってしまう。

「ああ、すいません、生意気に愚痴ったりして。マッスル人間さんは運動もしないといけないし、仕事しながら活動しないといけないし、私なんかよりよっぽど大変ですよね、いやはやお恥ずかしい」

青年は頭をポリポリ掻きながら、恥ずかしそうに頭を下げた。

恥ずかしい、などと、今の洋蔵の前で言うのはあまりに的はずれである。

「あぁ……あぁ、いえ……その、はぁぁ……」

洋蔵は尚更羞恥を煽られ、落とした腰をブルブルと震わせた。腰が勝手に前後に揺れ、より強い刺激を肉棒に与えようとしてくる。

浅ましい。恥ずかしい。だのに肉棒が勃起してしまう。マンキニの股間部分に皮付きマラが引っかかり、先走り汁と交じり合ってぬるぬるとした快感を亀頭に与えてくる。

「はぁあ……ぼ、勃起、勃起ッ、してしまいます。雄マラが引っかかって、ますます締め付けが強くなって、大変気持ちよくなってまいりました! マッスル人間梶原洋蔵、街中で完全勃起してしまいます!」

「うわあ、ほんとだ、すごいガチガチだ。マンキニがすごい前に引っ張られてますね」

「はい! マッスル人間梶原洋蔵のチンポは平常時はさほど大きくありませんが、汁をだらだら垂らして勃起すると立派な太さの自慢の一物であります!」

ずっしりと血の通った魔羅が飛び出し、汁を垂らしながら地面から120度の向きで揺れた。

身体が焼けるようだ。だが躊躇ってはいけない。マッスル人間として相応しい態度を維持し無くてはならない。勃起をしたら自慢をしろ。性生活はすべてを話せ。腰を振れ、ガニ股になれ、顔にスケベな笑み作れ。

洋蔵は必死だった。

必死の表情でポージングを固めていた。

「どれ、ちょっと失礼」

青年は一歩近づき、洋蔵のマンキニに手をかけた。弦を弾くかのように紐の一端を引っ張ると、勃起を抑えつけていた股間のマンキニがブルンと弾んだ。

「んぉ!? やめ……あ、あ……ありがとうございます!」

洋蔵は言いかけた言葉を止め、心からの感謝を叫んだ。

勃起した肉棒はマンキニから完全にはみ出して、ついに既に服としての機能は尻穴をかろうじて隠す程度にまでなった。あとはただただ逞しい中年の肉体を強調し、尻と股間に刺激を与える卑猥な玩具だ。

気持ちいい。

くそ、ああ、畜生、なんて気持ちが良いんだ。

やめてくれ、もう見ないでくれ、俺を変態にしないでくれ。

洋蔵は心のなかでのたうち回った。笑顔が痙攣し、ヨダレと鼻水が溢れていた。

そんな洋蔵の耳に突然人々の歓声が聞こえた。それに混じって聞き慣れた声も流れてきた。

洋蔵は振り返った。

「んほ! んほ! 納税者の皆様ァ! ワタクシ、グンチンマッスル人間草尾清治、皆様のご声援でチンポコがボッキンキンになっておりまぁあっす!!」

やはり、そこにはよく知る「先輩」の姿があった。

雄臭い褐色肌の殆どを晒し、現役自衛官らしくボコボコに割れた腹筋や胸板がよく見える。まるで処理されていない腋毛や陰毛、そして全身の体毛がゴリラのように雄臭い。

草尾清治。洋蔵が学生時代から世話になっていた、元先輩だ。

「はぁぁマッスル! マッスル! マッチョボディに軍手身につけ、裸の大将大行進っとぉお!」

グンチン、などという聞き慣れぬ単語は、彼の股間を見ればわかる。彼は洋蔵が股間をマンキニ一枚で隠しているように、その太い肉棒に軍手を一枚だけ被せて隠している。

ぐん、て。ならぬ、ぐん、ちん。

そんな阿呆らしい言葉を、まるで生涯守ってきた誇りのように掲げて、草尾は大声で叫んでた。

草尾の顔は絵に描いたように厳しい軍人面だ。糸のように細い一重瞼。ボサボサにつながった太い眉。顎は二つに割れ、剃りきれてない髭がチクチクと伸びている。

だが全ては表情と格好で台無しだった。

眼尻をデレデレと下げ、顔のパーツは何もかも下に下にと垂れている。

全裸以上に情けない姿だ。局部と両手両足だけを軍手と軍足で隠している。

「素晴らしき平日にぃっぃぃん、敬礼ぃ!」

草尾、否、グンチンマッスル人間草尾は敬礼の言葉通り、少しも乱れぬ動きで右手を額に添えた。敬礼は完璧だ。軍手を付けた肉棒までもが、鋭く上へと起き上がり二重の敬礼となっている。五本に別れた先端が動き、まるで手を振るかのようであった。

マヌケな姿だ。だが人々は笑わない。マッスル人間『らしい』姿を見れば、湧き上がるのは称賛や感動ばかりなのだ。

「先輩」

洋蔵はつぶやいた。

別人のように変わってしまった男だが、その屈強な肉体や雄々しい号令はかつてよく知るものである。鬱陶しくこそあったが、手厚い世話をずっとしてくれた恩師の姿だ。だからこそ胸が傷んだ。あんなにも鍛え上げ、国のために尽くした男が、あんな顔で……スケベに踊り狂っている。

「ムッ、くぅ、い、イカン、フンッ!」

洋蔵はハッと気がつくと、腰をグリグリと回しだした。肉棒が萎え始めている。腰を四股踏みのように低くし、かつて見た女体を頭に浮かべて必死に興奮を誘った。

マッスル人間が一度勃起しておきながら、射精せずに萎えるなどありえない。「不適合者」とみなされてしまう。こんな大勢の前でそんな醜態をさらせば、即座に『通報』されてしまう。

そうなっては……。これまでの努力が水の泡だ。

「せ、先輩!」

洋蔵は必死の形相で、助けを呼ぶように草尾に声をかけた。

「おうマンキニ人間梶原洋蔵ぉ、奇遇だなあ! どうだ、マッスル人間どうし、仲良く肩を組んで歩かんかあ、でへでへへへ」

草尾の反応は洋蔵の予想と希望通りであった。同族を見つけた喜びで顔を垂らし、グンチンでパタパタと「手」を振っている。洋蔵は暗い絶望を胸に感じつつ、同時に厚い胸板を撫で下ろした。

チンポに軍手をつけた変態が、これまた軍手付きの手をスケベそうにうごめいている。男の裸体を触りたくて触りたくって仕方がない。変態ホモおやじと化した元先輩が近づいてくる。

「おうおう、今日も元気だなあ、マッスルマッスル♪」

「あぅう!」

草尾はマンキニからはみ出た洋蔵の股間を掴むと、ぬるぬると上下に扱いた。どこか粉っぽい軍手が肉棒をもどかしい刺激し、洋蔵のチンポはあっという間に固さを取り戻した。

ズリネタ人間のチンポはもっぱらセンズリ専門だ。こうして他人に触られる事など稀である。男の手、先輩の手、だが雄の肉は正直だ。痒みにも似た快感にすぐさまゴチンゴチンに固くなった。

「お、中身がお天道様に向かって丸出しだなあ、マンキニマッスル人間は先っちょ丸出しで羨ましいもんだなあ」

「ああ、あ、はい、センズリ専門マンキニチンポは、いつでもどこでもボッキしますッ!」

「んほ、ワシもおんなじだぞお、グンチンチンポコムズムズして、おほっ♪ そら、いっしょにポージングだあ! 腰つきだせぇ♪」

「も、勿論です……!」

「マッスル! マッスル!」

「マッスル! マッスル!」

国と人々を守ってきた逞しい男達は二人揃って肩を並べると、両手を股間で交差させ叫んだ。がっぷりと開いた股の間で勃起チンポが上下に揺れる。

草尾の軍手が暴れ、洋蔵のマンキニゴムが伸びた。軍隊仕込みの統率力で、二人は完全な調和で変態コマネチとポージングを見せつける。

「マンキニ! マンキニ!」

「グンチン! グンチン!」

繰り返し手を動かしていると、玉の中から精液がこみ上げるような快感がやってきた。人前でみっともない姿を晒していながら、洋蔵の肉体は肉欲に蝕まれていった。草尾も全く同じようだ。声がどんどん甘ったるくなり。顔が笑みを通り越し「スケベ」一色に変わっていく。おへおへと笑いながら、よだれを口中から溢れさしている。

体に刻まれてしまった「本能」が、快感を通じて男の脳を支配してくる。肉欲で体が火照り、羞恥がそれを後押しする。人々の目線と、すぐ隣の雄の匂いが現実感を希釈し、ひたすらに性欲だけが暴れ始めた。

並ぶ二人の体は同じく逞しく、ポーズは筋肉強調、そしてコマネチ。ほとんど同一だ。

だが細部が違っていた。

草尾が心からスケベ一色の下品顔なのに対し、洋蔵は快感と羞恥でまだ引き締まっていた。

あへんあへんと腰を回し、ケツを突き出す情けない変態そのものな草尾に比べ、洋蔵はセックスのように腰を前後し、快感を追い求める雄である。

どちらも異常だが、どちらがよりマトモかは一目瞭然だ。

だが人々は口々に、やはりグンチンマッスル人間さんのグンチンは一級だなあと、草尾ばかりを褒めていた。

「はぁ~、マッスルマッスルゥ♪」

草尾が陽気な音頭をつくり、それに合わせて魔羅をブルンブルンと振り回す。今や軍手の生地を突き破らんばかりに勃起した竿は、白い生地に肉色を浮かび上がらせていた。

ツンと鼻をつく雄の臭いが、その先端からこみ上げていた。

ああ、こんな有り様。見たくはなかった。

そしてそれ以上に、なりたくなかった。

だからこそ、洋蔵は腰を突き出し「マッスル」と叫んだ。

人の波はいつしか囲いとなり、二人はケツもチンポも、腰も腋も、何もかもを見つめられていた。最初に話していた青年は正面の特等席だ。洋蔵のチンポの先走りまで見える距離。なにかを納得しているような顔で頷いている。

「マンキニ! マンキニィイイ!」

見たことのない顔に囲まれ、洋蔵は必死に両手を動かす。深く沈め、高く引き上げ、同時に腰を前後させる。肉棒が上下に動き、玉が揉まれ、ケツの谷間に鋭く喰い込む。

雄臭い老け顔が二人、快感にグチョグチョに歪んでいく。

「マンキニ! マンキニぃ!!」

「グンチィィン❤ グぃンチンンッ❤」

ああ、イク。イクイク。イッてしまう。チンポから、こんな大勢の人の前で射精してしまう。先輩と同時に、マンキニしながら、がに股のままで、ああ、あああ。

「い、イキます! 皆様ァ、マンキニ人間ン、か、梶原洋蔵はぁぁあ、マンキニポォオズでえ、射精して、しま、あぁぁあッ!!」

「おぉおおマッスル人間のお射精! どうぞ皆様ごらんくださいぃい!! グンチンチンポォォォオ、最大勃起ィィッ! んほぉおお、おっほぉおんンン!!!」

興奮が極に達したのは、二人同時だった。

二人の屈強な男は、日に焼けた肉体を見せつけながら、見事さらけ出した肉棒から同時に濃い雄汁を噴き上げた。

ああ……。

一瞬、全てを忘れてしまいそうになるほどの快感に襲われ、洋蔵は目を閉じた。ひたすらに気持ちが良かった。羞恥も屈辱もすべて快感に置き換えられて、頭がおかしくなりそうだった。

「あぁぁ~ン、たまらぁぁあン」

すぐ隣では、同じかそれ以上の気持ちよさを味わった同族が崩れ落ちていくのが見えた。

ひらひらと軍手をつけた竿を突き上げながら、腰を残して全身がじべだにへばりつくのが見えた。

最後の瞬間まで無様で、だからこそ気持ちよさそうだった。

――どうしてこんなことに。

幸せそうな草尾とは正反対に、洋蔵はヨダレ混じりに涙を流した。息が荒い。腰が揺れる。雄汁がとくとくと垂れていく。

こうして射精するのも慣れてしまった。ポージングの快感が全身に染み付いている。

マッスル人間。

俺もいつか、この先輩のようになってしまうのか……。

洋蔵は思い出していた。

既に『そうなった』男の記憶が、今も鮮明に残っていた。

つづく

◆2 大工

「おめでとう……ございます……?」

始まりは唐突に、ごく普通の封筒に詰め込まれて送られてきた。

朝日が昇るように目覚めた、いつものように朝刊を取りに行った洋蔵は、信じ難い文章を読み上げて困惑していた。

「マッスル……人間……?」

口の中で復唱してみたが、やはりどうにも子供の悪戯としか思えなかった。しかしそれにしては、封筒の形や文面がいやに形式的である。

洋蔵は頭を抱えたくなった。夢から覚めた筈なのに、不思議と景色がぼやけている。夢だとしてもあまりに下品だ。自分の中から出てきた言葉だとは信じられない。信じたくない。

「疲れているのか」

洋蔵は簡潔に結論づけると、常より渋い顔をさらにしかめて家の中に戻った。朝食までに軽く運動でもするか。そう思いついた洋蔵はまだ寒い朝の空気を切って庭に出た。

じじむさい乾布摩擦を終える頃、家族や住み込みの社員たちが次々と目を覚ましていくのが分かった。狭いながらも賑やかな家に少しづつ活気が出てくる。そんな明かりを優しく見つめながら、洋蔵は汗ばんだ身体に手ぬぐいを叩きつけ男らしく威厳ある態度で家に戻った。

「おはよう、父さ……ん」

出迎えた長男が、普段の快活さを失って呆然とした顔をしていた。目を白黒とさせ、洋蔵の身体をじっと見つめている。

どうしたのだろうか。洋蔵は訝しんで近づいた。息子の体調管理は父の勤めである。

「ど、どうしたの、父さん」

しかし洋蔵が問うより早く、長男が身を乗り出して洋蔵の逞しい二の腕を掴んできた。顔に浮かんでいるのは不安げな表情だ。

「な、なんだ、どうした、どこかおかしいか?」

「お、おかしいなんてもんじゃ、ほ、ほら、早く着替えないと!」

長男は慌てた様子で洋蔵の手を取ると、急ぎ足で洋蔵の私室へと連れて行った。息子はただならぬ様子だが、その実態が分からない。

だが、洋蔵が真に驚いたのは部屋についてからだった。

「はい、これ、ダメじゃないか、ちゃんと着ないと」

工兵は箪笥を開きながら、だらしのない子供に言い聞かせるように言った。しかし、押し付けられた服を見つめ洋蔵は言葉を失っていた。

「なッ……んだ、これは……!」

服、と呼ぶのも躊躇うものだった。紐だ。くすんだような青い紐だ。∨の字になっていることだけがかろうじて分かる。下着、水着、そのどれでもない。ただ異常な紐だ。テレビ番組でこんな格好をしたコントを見た覚えがある。

「どうしたの、父さん、みんな起きてくるよ」

父親をからかうんじゃない。

そんな、言って然るべき言葉が口から出てこなかった。乾いた息だけが喉を鳴らしている。

あまりにも長男の顔が真剣だったからだ。まるでこの服装こそ、洋蔵の正装で、長年身につけてきたものだと言うようだ。

洋蔵は両手で広げた。でろんと∨字がだらしなく広がった。股間を覆う部分だけが僅かに広いが、それでもイチモツを隠しきる形ではない。いや、そんなことを心配するなど、瑣末な問題だ。こんな破廉恥な形状、たとえ服の上から身につけても、ドスケベ露出狂の中年男でしかないではないか。裸のほうがまだマシだ。全身で「私は変態です」と言うようなものだ。

「もう、しょうがないなあ、はい、父さん脱いで」

洋蔵の葛藤など知らぬ存ぜぬの態度で工兵は言った。部屋着のタンクトップをぐいと捲し上げると、有無を言わせず体から引き剥がそうとしてきた。

「や、やめなさい!」

狼狽して洋蔵は叫び、そのまま愛する息子の手を振り払って部屋を飛び出した。息子の声から逃れるように洋蔵は駆けた。どういうことだ、どういうことだ。息子がおかしくなってしまった。これはまだ夢の中なのか。一体何が起きている。

洋蔵は家の中を走った。行くあてなどない。気がつけば隠れるように、二回の角部部屋にたどり着いていた。聞き耳を立てながら大きな体を丸めていると、騒々しい叫び声が聞こえてきた。

「アホ抜かせ! 誰がそんなことするかい!」

間近で聞こえたのは、怒りをたっぷり含んだだみ声だった。洋蔵は扉をわずかに開けて、声の主を覗き込んだ

「あれは……」

そこにいたのは、洋蔵を除く社員では唯一の子持ちである柱田だった。丸太のような両腕を組み、偉そうにふんぞり返る姿は普段の柱田そのものだ。だが、目についたのは眩しいまでに露出した肌であった。

もとより肌を見せることに躊躇いがない男であったが、しかし褌とねじり鉢巻だけの姿で歩きまわるような人間でもない。鍛え上げた身体に似合った男らしい姿だが、日常生活の中でするにはさすがに場違いだ。

よく見れば褌も少し違う。いつも締めている六尺褌より切れ込みが凄まじく、骨盤よりも上で締めているせいもあり、本来隠れているのが粋とされる陰毛がはみ出し放題になっている。

「なにがフンドシマッスルだ! 朝っぱらから、こんな格好させてどういうつもりだコノヤロウ!」

柱田自身この褌には納得がいっていない様子だ。威圧的に腕を組み怒鳴っている。

「アホほオヤジの方だろうが! ドシフンマッスルに指名してもらったんだから、ドシフンポーズで挨拶するんはあたりまえだろ! 寝ぼけるんもいい加減にしてくれよ!」

そんな柱田が言い争っている相手は彼の息子だ。まだ幼いというのにやけにしっかりした少年で、普段から父の蛮行やガサツさを注意してきた。だが、今日の彼は様子が違った。

「ほら、さっさと挨拶できるようにならないと、みんな起きてきたら笑われちゃうぞ!」

息子の表情と態度を見て、洋蔵は背筋が冷たくなった。どこか似ていたのだ。先程見た自分の息子の姿に。

彼らはどちらも大まじめだった。真剣に、父親が「変ではない」ことを咎めていた。

「あーーったく五月蝿えなあ、やりゃあ黙るのかあ? オラ、こうか、これでええやろ」

「あー! 違う違う、ほれ、もっと手ぇ下げてぇ~」

うんざりと股を開いた柱田だったが、息子を納得させるものではなかったようだ。彼は身振り手振りで、父親に指示している。

「ほれ、こう! こう!」

息子は小さな手で自分の倍以上ある父の手を引っ張った。その手を褌の上へ持っていった。

「ここで、マッスルマッスル言っておもいっきり引っ張るんだよ」

「!? だ、誰がンなしょーもねえことするか! アホか!!」

柱田は息子の手を振り払い、頭に一発拳を落として叱りつけた。確かに、そんなマヌケな動作、息子の頼み事だとしても御免だ。ましてや柱田は男のプライドの塊のような男だ、とてもするとは思えない。

しかしそれにしても殴るのはどうだろうか。空気はいよいよ、おふざけでは済まないほどに張り詰めた。このまま親子喧嘩に発展でもしたらただでは済まない。洋蔵は隠れているのも忘れ、制止しようと立ち上がった。その時だった。

「あーもうだめだ。オヤジはもうだめなんだな、しょうがない、もう『通報』しないとだな」

息子はがやれやれと首を傾げポケットに手を入れるのが見えた。

通報?

物騒な言葉に、この場にいる二人の親父がその手元を見た。

取り出したのは子供用の携帯電話だ。彼はこれまでも幾度もそうしてきたこのような慣れた手付きで、ボタンをポチポチと迷いなく押していった。

「ほいっと」

そして最後の、おそらく通話開始ボタンを押す瞬間に彼は子供携帯を空に向かって突き出した。

電波は目には見えなかった。だが、変化ははっきりと訪れた。

「ふんぎぃいい!?!?」

つい今しがたまで、堂々と仁王立ちしていた柱田が弓のようにしなった。

「あ、あががががッ」

強烈な電流を流されているように柱田の逞しい筋肉が痙攣している。ビクビクと震える両腕が、次第にゆっくりと……命令を受けた機械のように下に向かっていくのが見えた。あれほど嫌がっていたポーズに体が変わっていく。腰が落ち、足が開く、雄臭い姿と白目を剥いた顔で柱田はびしりとポーズを決めた。

「マ……マママママ、マ、マッスルッマッスルゥゥゥウッ!!?」

叫んだのは、息子に指示されたとおりの『マッスル人間』らしい言葉だった。

肩が水平になるまで腕を引き、見事な∨マークを股間で作り上げた。

いわゆるコマネチだ。六尺褌の切れ込みを綺麗に強調するように、柱田は再び腕を下げた。

「マッスル! マッスル! フンドシマッスル!!!」

そのまま彼は生真面目に声を合わせてポージングやコマネチを繰り返してみせた。

「あ、ああ、なんだ、身体が、か、勝手に、いう、こと、フ、フンドス! フンドシ!」

「ほらな、オヤジのマッスルポーズ、ちゃーんとカッコいいだろ、恥ずかしいことなんてなんもないのに、なにを嫌がってんだが」

「マ、ママママッスルッ!! マッスル! お、おぉおッン!?」

洋蔵の混乱した頭で、現実のものとは思えない光景をただ見つめていた。息が乱れる。声が出ない。くらくらする。なぜあの柱田が、あんな姿で……、それも息子の目の前で。

「はぁぁ、マッスルッ! あ、あ、なんだこりゃあ、なんだぁぁマッスルッ! た、た、たまらん! マッスルたまらん! マッスルは義務だ! マッスル人間の義務! ギムギムギム! マッスルマッスル!!」

柱田が抵抗してくれれば、まだ混乱も引いただろう。だがそうはならなかった。プライドの高い男は、マヌケなポーズを繰り返しながら次第に顔を緩めていった。

「マッスルマッスル! マッスルマッスルマッスル❤」

声がバネのように弾んでいく。筋肉の塊のような身体が下品な姿に変わっていく。逆ハの字であった眉が、上下逆さにへなへなと歪んでいく。

「マッスル気持ちいぃい~~❤」

ついに、感情が激しく声に出ていた。

肉棒が気持ちよさそうに勃起して、股間の褌をビンビンに押し上げるのがわかった。亀頭が透けて見えていた。腕の動作に合わせ、腰がガクンガクンと回っている。

「はぁぁあン、フンドシマッスル、フンドシマッスル! フンドシにガチガチチンポコこすりつけて、フンドシマッスルいいきもちぃいいぃぃ❤」

柱田はデヘエと舌を出しニヤけた面で吠えた。いやらしさで顔面は埋め尽くされ、褌という男らしい衣装でも補えぬほどの下品な雄顔になる。舌がデロデロと空を舐めていて。さも気持ちよさそうにヨダレを垂らした。

「はぁ~~マッスルマッスル! フンドシマッスル❤」

コマネチのついでに手のひらを勃起にこすり付けることで、更に気持ちよさを味わおうとする浅ましさなど、根っからスケベのそれだ。とてもついさっきまで拒んでいたようには思えない。腰を振り振り、尻をくねくね、角刈り頭はぐらぐら揺れる。褌を締めた股間を限界まで低く落とし、出来上がった∨のラインに何度も何度も手を交差させる。

「マッスルマッスル! 息子の前でマッスルマッスル❤」

凄まじい動きで交差させ、柱田は顔を俯いた。そして、すっと真剣な表情をして顔を上げた。

「わたしはフンドシマッスル人間ンン柱田真ッォオ! 今日も朝からマッスル人間の務めを果たさせていただいておりまぁああっすマッスル人間ご指名ありがとうございまぁああっっす❤」

溌剌とした太陽のような笑顔を浮かべ、柱田は変態姿で腰を突き出した。

「あぁ……あぁぁ……俺ぁぁ、そうだあぁ、俺ぁフンドシマッスル人間に指名していただいんだったぁあああ……へへ、へへへへ、あぁぁ……さいこぉおぉぉ…………❤」

柱田はうっとりとした顔で、生涯最高の喜びを味わっているかのようなとろけた声で言った。褌に食い込んだ肉棒がドクンドクンと弾むのが見えた。射精したのだ。手も触れず、ただポーズを繰り返しただけで、雄汁を褌の中に無駄撃ちしたのだ。

「はぁぁ……マッスル射精たまらぁぁぁぁぁン❤」

「おはよ、オヤジ」

息子はたいそう満足そうに、改めて父に朝の挨拶をした。

「おう、おはようさん❤ マッスルマッスル❤」

そんな息子を愛おしげに見つめると、柱田は脇を見せつけるように二の腕をムキムキとさせ、マッスルマッスルという言葉に合わせて腰を落として返事をした。

これが、正しい挨拶。

正しい在り方。

心からそう信じ切った動きだった。

――まるで別人だ。

頑固で喧嘩っ早い男がするものではない。

なんなのだ。本当に。

一体どうして、あの柱田さんが……。

「おとうさん、どうしたの……?」

背後から聞こえた声に洋蔵は冷たい水をぶっかけられたかのように硬直した。そのままゆっくりと振り向くと、眠っていた次男がいた。

「あ……」

ここが次男の部屋だというのを忘れていたつもりはない。だが、起きてくるのはまだ先だと思っていた。柱田の大声のせいか、父の気配を感じ取ってしまったからか。とにかく次男は起きていた。

洋蔵は声を出すのも忘れ、乾いた喉でツバを飲んだ。そして見た。その手に握っていたものを見た。

携帯電話だ。

洋蔵が自分自身で買い与えた、次男の身を守るための子供携帯。

「………」

「おとうさん、どうしたの?」

不安げに聞いてくる次男だったが、指はゆっくりとボタンに向かっていた。

見ているのは洋蔵の顔ではない。服装だ。

どうしたの、どうしてそんなおかしなかっこうをしているの。

言葉の奥にそんなものを感じ取った。

「………」

迷っている時間は、なかった。

元自衛官たる中年親父の決断は早かった。洋蔵は服を破るように脱ぎ捨て、大急ぎで下着も放り投げた。足を上げ、穴と呼ぶには大きすぎる紐の隙間に足を通した。

変態の衣装はケツに食い込み、股間を締め付け、とてつもなく最悪の着心地だった。

こんな格好までしたのに、次男はまだ不安げだった。

「ま……まっす……る」

洋蔵は絞りだすように言った。

正解。

とでも言うように、次男の顔はほころんだ。

「マッスル……! マッスル……!! マンキニ……! マンッキニマッスル……!」

柱田と全く同じように、洋蔵は腕を交差させた。

足はガニ股。つま先は外向き、内ももを愛する息子に見せつけて、胸をせり出し雄らしく。

股間がマンキニの全面に締め付けられ、キュゥと小さな快感となった。

ああ。声が悩ましげに溢れ、洋蔵の太い眉毛が歪んだ。

「マンキニ……!! マンッキニィッマッスルゥゥ!!」

あなたはマッスル人間に任命されました。

起き抜けに読んだあの文章を思い出す。

おめでとうございます。あなたはマンキニマッスル人間梶原洋蔵へと生まれ変わりました。今後はマッスル人間として、多くのひとに笑顔と勇気を届けるために生活なされますように――

寝ぼけていたと思っていた言葉は、鮮明に脳内にあった。

「フンドシマッスル❤  フンドシフンドシ❤ 今日も朝からいっちょ元気にフンドシマッスル❤ しあわせしあわせ❤ マッスルマッスル❤」

わたしはマッスル人間として、生きていかなくてはならないのだ。

それ以外に道はもうない。なぜ俺が、も、だれがこんな、もわからない。ただ、その事実だけは間違いない。

さもなくば、待っているのは通報だ。

相応しくなければ、強制的に相応しい男へと変えられる。

あの柱田のように。

柱田は起きてきた工員たち全員にポーズを見せつけ、でかいケツタブを見せつけて、ニヤニヤ助平な目で男達に媚びている。

まるで男好きのホモだ。それもかなり好色で、見境なしの淫乱だ。だが男たちは誰一人咎めていない。あの姿こそが正しいのだ。

「マッスル! マッスル! おはようございます! みなさま、おはようございます!!」

洋蔵は大声で叫んだ。

誰もがいつもと変わらぬ顔で、おはよう、おはようっす、と返して来る。

違うんだ。

これは異常なんだ。

目で訴えかけても、誰一人気に留めない。愛する息子たちも、長年付き合った社員も、誰も。

「マッスルゥ❤ おっぉお、チンポから汁でまくりじゃあねえかあ❤ 俺のお下品ちんぽうから、フンドシ汁がとびだすぞぉぉ❤ はぁあんん、たまらん、マッスルマッスルゥ❤」

柱田は腕を引いた姿で硬直しながら、ガニ股でプルプル震えていた。

イカ臭さが褌を貫通し、汗水を染み込ませた工場に染みていく。

「男の朝はフンドシやぁあ! 俺ぁ男だ、マッスルマッスル❤」

腰をねっとりと揺らしながら柱田はあたりを徘徊していた。ガニ股コマネチという異常な姿で、あちらこちらに褌を擦りつけている。

一瞬洋蔵と目があった。柱田はにやにやしたスケベエな顔で、得意気に鼻を鳴らしてみせた。自分のほうが粋で男前な親父だとでも言うような表情には、マッスル人間としての誇りすら感じられた。

そして事実、世界からはそのように扱われた。

その日から家の中での序列は変わった。

社長である洋蔵を差し置いて、マッスル人間として優秀に『なった』柱田のほうが家の中で信頼を集めるようになってしまったのだ。

◆3 警察官

あの朝から数ヶ月。

唐突に始まった異常は、洋蔵の知る限り世界各地で起きていた。

一定以上に逞しい雄を「除いて」世界の全ては変わった。古い常識に取り残された男達は、皆「マッスル人間」などと呼ばれるふざけた姿に変えられ、各々にあてがわれた変態的衣装だけを着ることを許されている。

洋蔵の場合は筋肉に食い込む細いマンキニがそれだ。柱田は褌とねじり鉢巻き姿で年中過ごすドシフン人間。草尾に至っては衣服ですらない、軍手のみだ。

最初は皆、この異常性を必死になって訴えた。

だがそういった不適合者は、すぐさま「通報」され一切の疑問や羞恥を忘れたマッスル人間へと変えられた。一週間もするうちに、誰も異常だなどと口にしなくなった。できなくなった。

己の精神や誇りを守る為に、皮肉なことであるが、変態的な行動を取るしかなくなった。それが今の洋蔵のような男である。

だが、そんな男も今では殆ど残っていない。羞恥に堪え切れず逃げようとした者、あまりの仕打ちに激昂した者、快感に堪え切れず自ら望んでしまった者、男達は一人、また一人と、脳髄の芯の芯までマッスル人間へと変わっていった。

草尾もそうだ。

最初に会った時は、まだ心からのマッスル人間などではなかった。だが、自衛官の新しい任務だなどと言われ、日々街をパトロールさせられるうちに……どんどんおかしくなってしまった。

腰振りを褒められ、勃起を褒められ、老若男女から賞賛の言葉を投げかけられ続けるうち、彼はいつしか本物の変態へと変わり果ててしまった。

今では身も心も立派なグンチンマッスル人間だ。自ら望んでパトロールに出ては、何発も何発もグンチン射精を披露し、町に明るい笑いを振りまいている。

「マッスル! マッスルマッスル!」

草尾の肉棒からは今日も強烈な臭いがした。チンポの軍手には精液がどっぷりと染み込んでいる。カチカチに固くなった場所からは、腐り果てたチーズのような臭いがプンプンとしていた。そこに新たに、先ほど出したばかりの精液をどろどろと染み込ませている。明日はもっと酷い有様になっているだろう。

しかしそんな姿を皆は讃えている。

街の人々は、洋蔵よりも遥か淫乱で変態な草尾に夢中だ。拍手喝采、大盛りあがりだ。

――しかし、そんな光景は唐突に終わってしまった。

「ん……んぉ!?」

草尾叫びが聞こえて、洋蔵は振り返った。

そこにいた草尾の表情は、数カ月ぶりに見る羞恥だった。ガニ股で力こぶを見せつけていたポーズをやめて、褐色の逞しい体を隠すように縮こまっている。

ボサボサの眉をした顔が真っ赤になって、目には涙さえ浮かべていた。

まさか、正常な思考が戻ったのだろうか。

洋蔵は混乱の中、僅かな希望を胸に草尾に近づいた。

「か、かえしてくれええ、ワシのグンチン、もってかんでくれええン」

だが、そこで気がついた。草尾の肉棒が、丸出しとなっていたのだ。先端にひっかかっていた軍手がない。去っていくのは背の小さなワルガキだ。手には異臭を放つ軍手がパタパタとはためいている。グンチンポーズに夢中になるあまり、現役自衛官は子供の悪戯にまんまと餌食になったのだ。

かつての草尾であったなら、およそ想像も出来ない失態だ。洋蔵は失望の目で先輩を見た。だが、周囲の反応はそんな程度のものではなかった。

「うわああ、変態!!」

誰かの叫びが、引き攣るようにこだました。

「な、なんだあのおっさん!」「うわあ、くっせぇ!!」「こ、こんな往来で、まったく嘆かわしい!」「おっさん確か自衛官だろ!そんな格好、恥ずかしいと思わないのか!」

罵る言葉が合唱となって草尾を突き刺していく。笑顔の人間は一人としていない。さっきまであんなに讃えていた男を、今度は軽蔑の眼差しで睨みつけている。

「あぁ……あぁぁ……」

草尾は火が消えたように静まり返り、一言も言い返さずにただ内股になって股間を隠していた。恥ずかしくってたまらない。そんな顔で涙ぐんでいる。なんともみっともない。体育会出身の現役自衛官とはとても思えない姿だ。

「……ち、違うんじゃぁあ、わしはぁ、ああぁあぁぁ」

草尾はチンポの軍手を失った。今の姿は素っ裸に両手の軍手の着衣のみだ。確かにこれも変態だが、しかし先までの姿と何が違うかと言えば、何も違わない。だが、立場は急転直下、英雄からド変態に早変わりだ。

異常である。だが、マッスル人間に定められたルール上では、これこそが正常なのである。

「こっちです、おまわりさん!」

罵り言葉の合唱の中でも、その特徴的な言葉はよく響いた。

自転車の甲高いブレーキ音がすると、人の波がさっと割れた。制帽をきりりと締めた男の影が、逆光を背負って現れた。

「こらぁあ、そこの変質者ぁあ!」

現れた市民の味方、町のお巡りさんは、しかしてまたも裸であった。そう広くない商店街の中に、三人目の素っ裸の変態親父が踏み込んできた。

鍛え上げた毛深いガチムチの肉体には、ベルトと制帽だけを身に着けていた。繋がった眉毛、ボサボサの短髪、顔をうめつくす無精髭。先日街のお巡りさんに移動となった、角山その人であった。

「ケイボウマッスル人間角山ただいま参上!! さあ本官が来たからには、変質者の好きにはさせんぞお!!」

角山は颯爽と名乗ると同時にガニ股になり、ベルトの下の肉棒をビンと真横にそそり勃たせた。使い込まれた既婚者の雄棒は黒々として、グロテスクな迫力があった。それでいて全身に雄らしい毛が生い茂っているというのに、肉棒の周りだけがつるつるに剃り上げられている。

あれで警棒に見立てているのだ。血管の浮き出た竿、パンパンに張った亀頭、ブラブラと揺れる玉、紛れも無く男の象徴だのに、そこには毛が一本も生えていない。変態的だが、謎の迫力に満ちていた。

「んぉっほぉお!」

角山はそれを鷲掴みにすると、うずくまる草尾にスキップで近づいた。汁をあちこちに飛ばしながら、変態警官は変質者へと組み掛かる。

「ちち、ちがうんじゃあ、ワシはぁあ!」

「ムッ、なにっ逃げるか変質者めえ! とまれ、とまらんかあ!!」

そうして人の囲いの中、裸以上に破廉恥な格好をしたごつい親父が二人、マンキニ姿の洋蔵を中心にして鬼ごっこを始めるではないか。

国のために働く男同士が、やっていることは子供でもやらないようなおマヌケで不毛な追いかけっこだ。

洋蔵はめまいがした。立っているのさえ難しかった。精液まみれの肉棒が二本体の周りをぐるぐると走るものだから、むせ返りそうな臭いで頭が霞んでいた。

「そ、それ以上逃げると発砲するぞぉおぉお!」

埒のあかない鬼ごっこに痺れを切らしたか、角山は片腕を上げてそう叫んだ。右手を竿から玉に移し、ごつい手でギュッとそれを掴んだ。

「ヌゥウン!」

左手を腰にやると、角山は雄臭い唸りを上げた。喉仏をぐいと迫り出し、無精髭の生い茂る顎を草尾へ向ける。

「ホヒッホヒッ! ホッヒィッ!」

笑い声と雄声が交じり合った奇っ怪な声を上げながら、角山は玉を思い切り下に引っ張っぱり始めた。尿道から溢れた汁が、ツバのようにどろり溢れた。

発砲。

変態警官は今、『銃』を握っているつもりなのだ。

玉をグリップに見立て、竿を銃身と思い、精子の弾丸を吐き出そうとしているのだ。

「発射ぁぁあ、あひ、あひ、はひぃいん❤」

角山は気持ちよさそうに顔面を空に向け、へなへなの声を上げて射精した。

白い精液がまさに弾丸の如きスピードで変質者草尾にぶち当たった。

……だからどうということはない。精液は精液。ただそれだけだ。

草尾はヘコヘコガニ股姿のまま、必死に逃げるばかりである。

「こ、これでも観念せんかぁあ、なんちゅう厚顔無恥な変態じゃぁあ」

角山は両腕を上げ、漫画のキャラクターのように怒ってみせた。かと思うと、突如腕を振っての全力疾走に翻った。射精したての赤黒い肉棒がべちんべちん太ももにぶち当たりながら、角山はみるみるうちに草尾に追いついた。

草尾は両腕でチンポを隠している。角山が正しいフォームで走れば、決着は一瞬で付いた。

「あ、ああぁぁ!」

草尾はすぐに角山に羽交い締めにされた。レスラー顔負けのごつい親父が二人、全身を密着させてもがいている。

「こん変態が! いいとしこいて! 恥ずかしいとは思わんか!」

「だ、だから、わしは、ワシは本当はッ、ああ誤解なんじゃあ、あああ、やめてくれえ、チンポが皆に丸見えになっちまうぅうう!!」

「煩い! 犯罪者はみぃんなそういうんじゃ!」

二人はチンポとケツを擦りつけ合いながら、腰をガクガク下品に揺らしている。だが表情は真剣そのものだ。

彼等を見つめる人々の顔にはいつしか笑顔が戻っていた。さすがお巡りさんだ、これで平和になる、などと喜びの声が聞こえていた。

「お、おっちゃん」

そんな二人の間に、割って入るように子供の声がした。

「何じゃ坊主、この変質者に近づくんじゃなかッ!」

「ご、ごめんなさい、お巡りさん、おれ、これ……」

少年は申し訳無さそうに言いながら、手に持っていた軍手を草尾の勃起した肉のカサにぽさりと被せた。

「か、返すよ、おれ、ちょっとイタズラしただけだったんだ、ごめんなさい……」

「ん、おぉ、おぉおお! グンチン、わし、わしのグンチン戻ってきぞぉおお!」

草尾は声を張り上げながら、ガッツポーズで仰け反った。羽交い締めをしていた角山の手を離れ、自由となった変態男は、堂々たる勃起を人々へ見せつけた。

「おぅう、まったくこのワルガキがぁあ、……まあ、正直に言うたんなら許しちゃる、ほれ、わしのグンチンと仲直りの握手じゃあ」

「う、うん、握手!」

「あひ、んっぉお、な、な、なかなおりじゃぁああ、はぁぁ、はあぁァン、もっと、もっと仲良しに、おっぉお、もっともっと握手してくれぇえン❤❤」

草尾はすっかりグンチンマッスル人間として復活し、幼い少年の両手にチンポを擦りつけて無様に喘いだ。誇りを取り戻した。そんなような表情で、白い歯を見せて笑っている。

「なんじゃあ、変質者かと思えば、グンチンマッスル人間の草尾さんだったんか!!」

そんな二人の姿を見て、角山は心底驚いた表情で言った。

「なんや、すまんのう、全く気づかんかったわい」

「いやいや、わしとしたことが、ついこんガキにいたずらされてもうた、ナッハッハ! んひっ❤」

「もう少しで皆の人気者の マッスル人間をブタ箱送りにするとこじゃったわい! ガッハッハ!」

「もう済んだことだあ、気にしなさんなって、ヌハハハハ!!」

旧知の仲である二人は、一瞬で争いの構えを解くと、肩を組んでガニ股で馬鹿笑いをした。

「マッスルマッスル❤ グンチンマッスル❤❤」

「マッスルマッスル❤ ケイボウマッスル❤❤」

そうして二人は極自然な流れで、マッスル人間の「務め」を始めた。

肩を組んでいた肉体は正面から向かい合うと、ゴツイ鼻と鼻を突き合わせながら筋肉中年揃ってのガニ股コマネチだ。

どちらがより腰を落とせるかを競い合っているかのようだ。ケツの圧で会陰部を押しつぶし、快感を内側と外側から味わって二人はスケベに喘いだ。

「うっほほぉおン! グンチィングンチィン❤ やっぱりわしは、グンチン姿が一番じゃぁああ、グンチンマッスル人間、ここに復活、復活じゃあ❤」

「し、し、市民の皆様ァ、たいへんお騒がせしまあしたぁあん❤ マッスル、マッスル❤ おわびに本官達のとっておきの変態踊りをご覧くださぁあいい❤ ケイボウマッスルゥゥ❤」

草尾のチンポ軍手が角山のつるつるチンポをはたくと、さも気持ち良さ気に二人揃って仰け反った。変態行為が生む快感は強烈だ。勃起した竿を高速で扱くより、女陰に向かって腰を振るより、遥かに強く、破壊的な気持ちよさが脳と肉棒を強制的に書き換えていく。

それが今の世界。それが我々マッスル人間の宿命だ。

「おっほぉぉお、出る出る、本官出ちまいそうでありまぁああっす❤ 本官のケイボウマッスルエキスの大発射ァア❤ 皆様どうぞご覧くださあぁい❤」

角山が片手で敬礼をすると、たちまち肉棒から白い雄汁が飛び出した。標的はすぐ前でコマネチを繰り返す自衛官の全身だ。盛り上がった胸に、板チョコのように割れた腹筋に、軍手を突き破らんばかりの肉棒に、どろどろの臭汁が飛び散った。

「はひぃいん❤ なんてくさい雄汁じゃああ❤ さすがの街のお巡りさんだぁぁああうひぃい❤❤」

それを浴びた草尾が感極まったような雄叫びを上げて仰け反った。肉棒にかぶさっていた軍手を取ると、お返しとばかりに角山の角刈り頭にこってり濃厚な雄汁が飛ばすのが見えた。

「ほひほひほひ❤ ほひひひひひひ❤」

二人は今度はケツ同士を擦りつけあって、自分の肉体をムキムキと誇示しながら回転した。雄汁まみれの草尾、精液をだらだら垂らす角山。気の狂った男が二人、ドタドタと下品極まる絡み合いでオブジェと化していく。

人々は口々に、綺麗だ綺麗だと喜んでいた。

変態行為に酔いしれていないマンキニマッスル人間など、誰も目もくれていなかった。

◆4 体育教師

異常なのは、むしろ俺ではないか。

洋蔵は警官と自衛官を囲む人の波を掻き分けながら、気が狂いそうなほどの孤独感に苛まれていた。妻も息子も旧友も、誰も洋蔵の苦悩をわかってはくれない。立派なマッスル人間になってくれたと、むしろ誇りにさえ思っているほどだ。

「ああ、すみません、通してください、通してください」

どんなに人とすれ違っても、洋蔵と同じ男はいなかった。

他人の衣服と丸出しの筋肉が擦れてくすぐったかった。そのたびに、自分はこの世界の異物なのだと思い知らされた。

萎え始めた肉棒がマンキニに挟まり、ぶるぶると上下に揺れていた。挨拶される度腰を振って応えるせいで、なかなか足が進まない。

ようやく歓声が遠のいた頃には、すっかり魔羅は萎えていた。発酵した雄臭だけを残して、静まった肉棒は再び細い変態的衣装の中に収まった。

実際、もう己の精神が正常であるかもわからなかった。人に尋ねることすらできない。そうすれば直ちに通報されてしまう。

もしかして、彼らの姿こそが正しいのではないか? こんなくだらない羞恥心やプライドのために、不要に苦しみを長引かせているだけではないか? いっそもう楽になったほうがいいのではないか?

普通に服を着て、街を歩き、仕事をしていたあの日々こそが夢の様なもので、真実は今の世界ではないだろうか。

苦悩はいつまでも続いていた。孤独であった。洋蔵は再び、道の中央を歩き出した。胸を張ることは必須である。堂々とした姿で、露出狂のような姿で、ただ独りで歩いていた。

マッスル! マッスル! タイイク! タイイク!

遠く、人々の声に混じって男の叫びが聞こえた。洋蔵は声を道標にして歩いた。

彼はそこにいた。

夏祭りに用いられた簡素なステージの上、限りなく全裸に近い男がホイッスルを吹きながら下品な運動をしていた。やはり逞しい中年男性である。現役の体育会系とは違って、多少丸々とした脂肪がついた重量級の肉付きだった。

長男が高校時代に担任だった、現役教師の滝岡だ。

「マッスルタイイク! マッスルタイイク! さ、さあ今日も、先生のおちんぽ授業をはじめるぞお!!」

彼はがっしりと太い首にホイッスルを掛け、紺色のジャージを上だけ羽織っていた。身に付けているのはそれだけだった。体育教師の記号的なものだけを残し、あとは見事な素っ裸だ。むしろ何も身に着けていない下半身が強調されている。

……そもそも彼は、古文を愛する国語教師であった。体育教師でもなんでもなかったはずだ。だがマッスル人間へと転向した今ではそんな過去はなんの意味もない。

今の彼は、真っ赤な顔でお立ち台に立ち、「生徒」に向かって元気に下半身を見せつけるのが「授業」の体育教師だ。教室ではなく往来で、学生ではなくすべての人に、チョークではなく肉棒を用いて授業をしなくてはいけない。

それがタイイクマッスル人間だ。

「さあ、今日も、みんなで男のからだを学ぼう! お、男にとって一番大事なところは、どこだろうなあ!」

じっと眉の太い顔立ちを見つめると、そこには微かな羞恥が見て取れた。恥じているのだ。

彼は洋蔵が知る限り、唯一残った正常な理性を残したマッスル人間だった。まだ羞恥心があり、判断力があり、男のプライドも残っている。

「そ、そうだ、男はチンポが一番大事だ! 先生もこうやってチンポを勃起させていると、とーっても幸せなんだあぁ!」

目を固く閉じて叫ぶ顔は、やけくそという言葉が似合っていた。

洋蔵はその悲痛な姿に、どこか勇気づけられた。そうだ、ああやって恥じる事こそ正常なのだ。俺も、彼も、まだ戦っているのだ、この異常と。

マンキニを身に付け、尻を紐に食い込ませながら、洋蔵は心臓が熱く鼓動するのを感じた。

「男はなあ、こ、ここを、亀頭と皮をな、くちゅくちゅされると、あーっというまに腑抜けになって使い物にならなくなってしまうぞお! ほれ、さっそく実験をしてみよう!」

彼は教師という立場を失い、男として屈辱の限りを受けながらも、決して絶望せずに戦っている。そうだ、俺も弱気になっている場合ではない。洋蔵は力瘤を作った。

「あ、あ、さ、さあ、先生の、先生のおちんぽぉ……さわ、さわろう!」

待て。

洋蔵は奮い立っていた心が瞬時に冷たくなるのを感じた。

なんだあれは。

「ああぁ……せ、先生のおちんぽ、どうだあ、ハァ……はぁ……タイイク! タイイクゥ!! 体育教師のオチンポガチガチ! ガチガチガタイの体育教師! おちんぽ触られへなへな! へなへな!」

言い淀む教師の顔には確かに迷いや羞恥が見える。だが、それだけではなかった。汗を浮かべ、顔を赤くしているからこそ見える、雄が発情した雰囲気があった。

恥ずかしい。だからこそ気持ちがいい。そんな、欲情と羞恥が混ざり合った表情に見えた。

「あ、あっ、チンポは弱点そのものであるが、個人差というものがあってだな! あっ、あっ、たとえば先生のような包茎チンポの場合は、サキッチョをくりくり攻撃されると、あ、あ、あ、っというまに、気持ちよくなって……しまうんだぁ……、こ、こんなふうに、こんなふうにぃッ……!」

堪えて、耐えて、だからこそ気持ちいい。駄目だ駄目だと考えながら、しかしどうしてチンポに勝てぬ。俺は負ける、チンポに負ける。そんなふうに鼻の下が伸び、あふぅと情けない溜息を吐いている。その繰り返しだ。

いやらしい顔だ。

そうとしか言いようがない。

洋蔵は立ち尽くした。他人とは思えなかった。

その、耐えて出す感覚には覚えがあったからだ。

恥ずかしさの中でする射精が気持ちいいという感覚に、どうしても共感できてしまう。

あんな顔を、俺もしているのか。

まるで変態じゃないか。自分は違う、違うと、そう思っていても、結局チンポの快感にあんなスケベな顔を晒しているのか。

そんなわけはない、違う。間違っている。

だが、現に正常であるはずの彼の顔はどうだ。以前はもっと凛々しい表情だった。快感と戦う戦士のようだった。

「はふぅ……おぉお……そ、そうだぁ、そ、そうやって先走りをぉ……んぉぉ、くっちゅくっちゅするとぉぉ……先生は……じゃなかった、男はみぃぃんなチンポ様に負けてしまうんだぁあ……!」

負ける。

まさにその言葉が、今の彼には正確な表現だった。

あれはチンポに負けた男だ。

何度も何度も授業をするうち、やらされていた行為がいつしか染み付いて、こびりついて、離れなくなって、本当に気持ちよくなってしまったのだ。

顔はあんなではなかった。腰も、ああまで下品にカクカクと揺すっていなかった。ガニ股も控えめだった。今なんぞ、まるで四股踏みだ。ケツだけ突き出して、なんたる浅ましさだ。ぴゅふるるると、笛が抜けた音を出した。

耳障りに甲高い笛の音で温度を取りながら、体育教師は壇上でコマネチを繰り返している。机に乗り「体育教師の元気汁」がどうのこうのと喚いている。目はアーチ橋のようにニタニタと歪み、勃起した肉棒からはだらりだらりと蜂蜜のようにねばっこい先走りが垂れている。

通報もされていないはずなのに。

「せ、先生の連発射精開始ィ❤ マッスルマッスルゥ❤」

ピィイィィィ。

一際甲高い音を笛から鳴らし、体育教師は腰を突き上げた。ピッとひと吹き、その瞬間にひと噴き……精子が包茎チンポから飛び出した。コマネチの動作に合わせて一回、音が鳴り、肉棒が跳ね、間抜けな精液がどくどくとこみ上げる。

なぜ、そんなに気持ちよさそうなんだ……。

やめてくれ、せめてあなただけは、一緒に戦ってくれ。そんなスケベな顔にならないでくれ。

洋蔵はマンキニを尻ではさみながら、悲痛な顔で彼を見ていた。

「俺、俺は……あぁぁ駄目……駄目だ……、ああ、ち、ちがう、マッスル……マッスル……ゥ!」

洋蔵は自分の心の不安を打ち消すために、ガニ股になり力こぶをつくり男らしい気合をいれた。

俺はならない。俺はおかしくはならない。俺は変態ではない。俺は家族と会社の立派な大黒柱なのだ。

「せ、先生のマッスル射精……皆見てしまったかあ……、こ、このように、射精中は先生のような大人でも、頭がふわーーっといい気持ちになってしまうので……とってもよわよわなんだあ、だ、だから……ええっと……みんなも周りの大人をお仕置きするときは……射精させてしまえば……簡単だぞお……❤」

吐き出した雄汁でベトベトの右手の人差し指を突き出して、タイイクマッスル人間はさも立派な講釈のように言った。

恥ずかしくって気持ちいい。

堂々とすればするほど、自分の間抜けさと恥ずかしさで興奮してしまう。表情からすべて読み取れた。鏡に写った自分の顔を見るかのようだった。

いつか、ああなるのか。

必死に通報から逃れても、今度は快感に追い詰められるのか。結局俺たちマッスル人間は、変態になるしかないのか。

「なぜ」

洋蔵は呟いた。

「一体何のために」

理由がわからない。ああして変態行為を晒す理由も。自分たちが変えられていく理由も。全てがわからない。そして、自分が何のために堪えているかも見失いそうだった。

ただ笛の音だけが頭の中で響く。タイイクマッスル人間が、二時間目の授業を始めたのだ。今度は前立腺の刺激についてだ。

……おかしくなってしまいそうだ。

気がつけば、笛の音に合わせて腰が動いていた。

「マッスルマッスル❤」

手を頭の上に置いて、ガニ股になって腰を振る。確かに言われた通りの姿勢をとると気持ちが良かった。

◆5 店長

「ただいまぁ……」

帰宅した洋蔵は消耗しきって声を出した。

店の裏側にある自宅用の扉を開き、玄関に荷物を置いた。両手で抱えなくてはいけないほどの大きな額物はなかなかの重量だったが、洋蔵の疲労の原因はそんなものではない。

気力体力は文字通り搾り取られたのだ。

商店街と店の往復、ただそれだけで随分なマッスル人間活動をしてしまった。あれから人とすれ違う度に、マッスル人間としてマンキニを強調するポーズで射精をさせられた。その度腰と脳までズクズクと届くような快感を味わったのだ、いかに体力自慢の洋蔵といえどヘトヘトだ。

マッスル人間になる前は、こうして買い出しに行った後など、正面入り口から堂々と店に帰ったものだ。今ではそんな必要はなくなってしまった。

店番などマッスル人間にやらせるような家はない。その時間を使って、筋トレや屋外徘徊をさせることこそが、マッスル人間という国の誇りを抱える店や会社のやることだ。

どこからか降りてくる補助金で会社は以前より遥かに潤っている。マッスル人間が上司であるという誇りで社員たちもやる気に満ちている。

全てが万事順調なのだ、ただ、洋蔵がこの格好を恥ずかしい思っている以外は。

「おとうさん、おかえりなさい」

「ああ、ただいま」

大荷物を降ろしていると、息子が嬉しそうに出迎えにやってきた。夕方のテレビ番組を見るのも止めて父親を出迎える、なんてできた息子だろうか。理想的家族の姿だろうか。親父の方が変態的な∨字のサスペンダーだけを身に付けた姿でさえなければ。

洋蔵は玄関に置かれた鏡を見つめた。息子の幼い頭髪を撫でる自分の姿は、やはり何度見てもいやらしい格好をしている。

――格好いい、国の宝、逞しい。

誰もが洋蔵をそう称える。だが、ひとつも納得できなかった。

どう見ても変態、露出狂、恥ずかしい筋肉親父ではないか。

「と、父さんは……格好良いか」

マンキニ姿のまま、洋蔵は息子に尋ねた。馬鹿げた質問だと思っていた。

「うん、お父さんは世界一かっこいいよ、すごくすごく格好いいよ」

「……そうか」

「うん」

得意げな顔で息子が笑っている。返事はわかりきっていた。

「こーんなでも、か?」

洋蔵はガニ股になってコマネチをしてみせた。マヌケだろう、無様だろう。だが、息子の笑顔は変わらない。

「かっこいい! さっきよりかっこいい!」

「でもほら、父さん腰振っちゃってるぞ、ぐるぐる回しているぞ」

「ううん、そのほうがかっこいい」

「……ケツなんてすごい食い込んでいるんだぞ、最近また鍛えたから、ますます太腿も尻もすごい……でかくなっているぞ」

「おっきいほうがかっこいいいよ」

「ハァ……でも、しかし、父さんは……」

「お父さんはかっこいいよ」

息子は洋蔵の変態ポージングを見ながらにこにこ笑顔を浮かべていた。

「あぁ……あぁ……あ、あ、ああ、あ、あ……」

快感が込み上げ、洋蔵は低く短く喘いだ。

空っぽだと思っていた金玉がフル回転し、ムクムクと竿に力が戻ってくる。

ぽたり、ぽたりと、玄関に精液が滴った。

マッスル人間梶原洋蔵は、息子に褒められイッてしまいました。

気がつけば洋蔵は叫んでいた。口が勝手に開き、いつもの文句を呟いていた。快感がさらに込み上げ、どろりと多めの汁が亀頭から飛び出した。

またやってしまった。何度味わっても、このタイミングの射精はやめられない。病みつきだ。

帰宅直後の父親のポージング射精を見ても、もう息子は驚く顔一つみせない。

「……なあ、父さん……商店街に行ってなにをしてきたと思う?」

「うーん………わからない、プロテイン買った?」

「いや、それはもう半年先まで確保してあるぞ」

「えー……じゃあわからない、こうさん」

「そうか、それはな」

洋蔵は玄関に一度置いた額縁を持ち上げた。あんな恥ずかしい思いをしてまで、直接取りに行った大事なものだ。隠されていた布を取り外すと、洋蔵はその正面を息子に見せつけた。

「ほら」

『創立○十周年記念』

そう刻印が刻まれた、釣具店の集合写真だ。

礼服とまではいかないが、皆しっかりとした衣装と、少しばかり気取った化粧や髪型をしてずらりと並んでいる。家族や社員の厳かな姿だ。

そんな中で、柱田と洋蔵の二人だけが全裸も同然の格好で勇ましいポージングをしていた。マンキニ姿と褌姿の筋骨隆々の中年親父が中央に二人。まるで晒し者のようになっている。

「ああ」

なんてザマだ。

なんて無様なんだ。

あの時のことを思い出すだけで、恥ずかしさで気が狂いそうになる。プロのカメラマンの前で、家族や社員が全員着衣の中で、親父が二人並ばらされた。

社長さんはーー……もうちょっとガニ股になってください。

社長、言われてますよほらほら。

皆待ってますから頼みますよ。

お、いいポージングですね、そのまま勃起の角度をもう少しいただけますか?

そんな指示をあれこれされて、必死になって助平な姿になった。

ちょうどシャッターを切られるタイミングで射精するようにと、カメラマンは洋蔵や柱田が興奮するようにねっとりとした言葉で卑猥な気分にさせてきた。

まんまと口に乗せられて、二人して射精したタイミングで撮影されてしまった。

それがこの写真だ。

射精の瞬間という、最もコントロール不可能な状態での己の顔面は、酷いものだった。

気持ちよさそうに口を開けて眉をへろへろにした無様な社長の顔だった。

「わあ、でっかい写真!」

「そうだ、……こ、これを、ちゃんと、店の一番目立つところに飾らないとな、マッスル人間が二人もいるなんて、すごく誇らしいことだもんな」

そんな恥ずかしい体験が形となった写真だが、まさか隠しておくわけにはいかない。マッスル人間としての義務として、晒す、誇る、見せつけるのは当然なのだ。

疑われるわけにはいかない

そのためには、こんな恥ずかしい姿を晒した写真を一年中、これから先何年も何十年も店に飾り続けなくてはいけないのだ。

これを降ろすときは、また十年や二十年先の記念撮影の時だ。

その頃には息子達も立派に成長していることだろう。その横で、俺は白髪交じりの頭で同じように……ポージングして射精しているのだ。

「……ハァ……ハァ」

ガチガチの竿が再びマンキニの前をビンビンにさせていた。

恥ずかしい。

ああ、なんて恥ずかしいんだ。

俺は本当は正気なのに。

疑われるわけにはいかないから、こんな恥知らずなことをしなくちゃいけないんだ。もうこの街でマトモなのは俺だけだ。俺だけは屈しない。だから、どんなに恥ずかしいと思っていても、そこから逃げるわけにはいかないのだ。

気がつけば洋蔵は一人になっていた。息子は洋蔵を出迎えて写真も見て満足してしまったのか、既にリビングまで戻っていた。

誰もいない玄関で、洋蔵はガチガチになってしまった射精直後のチンポを剥き出しにしていた。ドクンドクンと、心音に合わせて竿が跳ねる。

射精がしたかった。

だが、人のいない場所での射精など、マッスル人間に許されているはずがない。

人のいない場所での射精を見られたら、即刻通報されてしまう

店に行こう。

店ならば大勢の人がいる。

そこでなら射精が許される。

洋蔵は勃起を晒しながら、額縁を抱えて家の中を歩いていった。店につながる廊下を、早る心音に負けぬように早足に掛けていく。

街で出会ったあの男たちのように、変態になりきったら楽だろう。だが、このような羞恥に耐えてこそ、真の男というものだ。堪えなくてはいけない。今も勃起した竿がマンキニからはみ出て左右に揺れている。この姿を恥ずかしいと感じている。その思いを抱えながらも耐えるのだ。

みっともない。

ああ、俺は二人の子供を持つ親父なのに、社員を抱える社長なのに、店を持つ店長なのに、こんなに恥ずかしい思いを続けている。

耐えるのだ。耐えなくては。ガマンだ、ガマン。もう少しガマンだ。今はまだ人の目がないから射精はできない。店に入ったら、入ったらイッてもいいんだ。人前で、自分の店の中で、思い切り射精するのだ。手に持った写真を天高く持ち上げて、雄々しく叫ぼう。マンキニをグイと食い込ませて、勃起をブルンと跳ねさせよう。そうすれば店員もお客様も誰もが一斉にこちらを見るに違いない。なんて恥ずかしいいんだ。耐え難い苦痛だ。そうだ、そのタイミングがもっともいい。それまではガマンだ。ガマン。耐えるのだ。

洋蔵は暖簾をくぐり、店に出た。

「い、いらっしゃいませーーマッスルマッスルゥ❤❤❤❤❤」

終わり

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