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「神殿、ブフッ、この先、ブモォ」  日が落ち始め、薄暗くなった町並みを白熱灯が暖かく彩っている。照明はレンガを主とした造りの家々と相まって陽気な空気感を演出しており、それに花を添えるように酒場に呼び込みを掛ける店主、音楽を奏でる芸者、軽快なダンスを舞う踊り子、思い思いに夜を過ごしていた。  そんな平和を絵に起こしたような喧騒を、全くそれに似つかわしくない一行が進んでいた。それは、街行く住人たちよりも二つ三つ頭抜けた体躯を持つ、魔物であった。街に突然訪れた怪奇にその場の住人はもれなく沈黙し、街道の真ん中を行く三体の魔物の為に道を開けた。ここで町人達が悲鳴をあげず、「沈黙」の後、「道を開けた」のには訳があった。その理由は魔物達が身に纏う武具にある。魔物が身につけていたのは、今まさに世界を魔王の手から解き放たんと旅を続ける勇者一行の装備であった。そう、この魔物達こそがその勇者一行当人らなのである。  勇者たちはこの街から程近くにある、遺跡の攻略に臨んでいたが、その途中、仕掛けられた罠に掛かり、呪いをその身に受けてしまったのだった。その呪いはどうやら自身の「職業」が強制的に変更させられるものらしいのだが、厄介なのは、その変更先が特定の「魔物」である、というところにあった。 「くそっ、視線がうぜえ」  文字通りの異質である一向には当然注目が集まる。勇者一行として旅を続けるうちに慣れたものかと思っていたその注目も、状況が状況なだけあって、今は鬱陶しいだけだ。その注目に表立って悪態をついているのは武道家”だった”アークデーモンだ。ぶつぶつと文句を垂れ、しきりに舌打ちを打っていたかと思えば、突然住民に、なにみてんだ、と怒号を飛ばし、親指を地に突き立てる。元々気の短い性格であった武道家だが、姿が変わってより悪い方向に変化があったようだ。ゴツゴツとした岩肌のような桃の表皮に黄色の蛇腹を持つ身体はアークデーモンそのもので、馬の胴ほど太くなった四肢からはかつての素早い身のこなしで敵を翻弄する戦闘スタイルを想像できるはずがない。 「ぶモゥか、ブフッ。やめろ」  武道家を制止しようとするのは、ラリホーンと化した勇者である。特に人間からかけ離れた体の構造に変身した勇者は言葉を話すのに支障が出ていた。単語一つを発するたびにどうしてもおぞましい魔物の唸り声が絡んでしまっている。それでもなんとか人間らしい発音をしようと、丁寧に舌を、口を動かすのだが、それが逆にたどたどしさを感じさせ、より滑稽さを演出していた。街の熱気を受けてか、一歩歩みをすすめる毎に、ラリホーンの持つ分厚い獣毛から据えた匂いが立ち上る。それを吸い、咳き込むように種族特有の大きな鼻が鳴る。そのせいで黙っていたくても畜生の声が出る。遺跡を発ち町に至るまでの長らく――それでもたった数時間であるのだが――人の言葉より獣の鳴き声を上げている時間の方が圧倒的に多く、尚且その方がストレスがなかった。不格好を自覚している勇者がなお言葉の発声を諦めないでいるのは怠けている間に言葉の全てを忘れてしまうのではないかという予感が原因だった。 「ちっ、わかってるよ。」  そんな勇者の半分言葉、半分鳴き声を受けて武道家は進行方向へ向き直る。 「とにかく急ぐぞ、じゃねえと…」  アークデーモンの凶悪な眼を自分の隣を歩く、正確にはふらついている魔物に向けながら勇者を急かす。一行の中で最も身体の大きい、単眼の巨人サイクロプスは、元々戦士だったものだ。人間の頃から巨漢であった戦士には皮肉にも似合いの転職先と言えよう。ただその巨体の貫禄は今は見る影も無かった。 「う゛ーーーーあーーーーー…」  パーティの中で最も理性的でチームの柱とも言える存在だった戦士は、熱に浮かされたように顔を紅潮させ、舌をだらしなく垂らしており、知性の欠片も感じさせない。サイクロプスという種族自体のかしこさの低さ、というのが、確実に戦士の精神自体にも影響しているようだ。 「ブォオッ!わがってる、ンォ。おれたちモォオオォまずい…かぁら。」  勇者たちは全員発情していたのだ。三人とも、呪いを受け変身したその時から今まで、魔物特有の強い性衝動に精神を灼かれ続けていた。どれだけの衝動かといえば、変身の衝撃でビリビリに破けた装備の中から現れた互いの全裸の魔物姿を見てグツリと情欲が意せず湧き出てしまったほどである。全員が同じ状態に陥っていることを察した面々は、落ちた自分の装備を集めとりあえず股間だけは隠すことにした。その後、遺跡でそれぞれの昂りを鎮めるべきかを相談したのだが、そのまま抑えが効かなくなる、最悪の事態を想起したためそれを避け、街までその欲に無視を決め込む事に決めた。そうして今に至る。結果、サイクロプスというただでさえ知能の低い種族になった上、身体の本能とギリギリのラインを闘う羽目になった戦士はこの数時間で人として全く役に立たない存在になった。今はそれでも残った理性だけで神殿へと歩を進めていた。  勇者たちは神殿、中でも転職が可能とされる、転職の神殿へと向かっていた。呪いが職業に基づいた効果を持つならば、呪いで与えられた職業からも転職してしまえば解決するだろう、という判断によるものだ。それが叶わずとも、神の加護を受けた神殿ならば解決策の一つ二つ講じることができるだろうとも思っていた。  だがチリチリと燃え続ける欲の火の前に残された時間は少ない。情欲に気付いた時には、守るべき住民たちに襲いかかってしまうかもしれない。魔物の歩幅なら神殿まで歩いて数分で到着できそうなものだが、重症のサイクロプスにペースを合わせているため勇者と武道家もそれに合わせざるを得ない。その歩みの遅さと焦りとが、情欲をチクチクと淡く、しかし確実に刺激していた。 「…あー…くっそ、うぜぇ…」  精神を平静に保つことに集中していた勇者と武道家だったが、武道家が真っ先に集中の糸を切らしてしまう。武道家の頃は何でも無かった精神統一だが、アークデーモンが持つ邪悪な心もが彼の精神を蝕んでいるようだった。 「ンオい、きをつけろォ、ブモゥ」  それを勇者は見逃さずに武道家を正す。武道家も我に返り、再び目線を前に向けるのだが。ふと、住民の目が視界の端に映る。そこで、違和感を覚えた。何やら住民の視線が、熱を帯びているような感覚がある。好奇心とか熱望とか、そういう肯定的に捉えられる感情を孕んでいるような感覚。 「あ…?」  武道家も始め、自分の気のせい、もっといえば呪いによって魔物に堕とされている状況のせいであると、そう思っていた。それはそうだ、普通に考えればそんな訳はないのだ。ただの人間であれば魔物の姿に恐れを抱くのが普通で、今は我々が勇者であることに気付いてもらえているからこそ悲鳴なしに避けるだけで済んでいるはずだ。間違っても、魔物の姿に憧れや羨望や、ましてや色を感じることなどあってはならない。この疑惑は確信になってはならない。なってほしくない。瞼をグッと締め、頭を振ってもう一度住民に目線をやる。だがそれでも武道家の憂いが晴れる事はなかった。それどころか、みっともなく口を開け惚けた青年に、ニヤニヤとした笑みを讃えた大男といった、憂いのど真ん中を行くような顔まで現れた。まさか、まさか。戦闘における命の危機のような鋭い緊張とは異なる、気持ちの悪い悪寒に武道家は襲われていた。

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