Home Artists Posts Import Register

Content

山岡さんが一週間の出張に行かなければならなくなったので、その間私は彼の知り合いの家に預けられることになった。自分で自分の面倒を見られないとは情けないけど、しょうがない。今の私は体長30センチ程しかないし、水の中でしか生きられない人魚になっているのだから。 昔勤めていた水族館で、私は客引きのため人魚に改造された。最初は期限付きだったはずなのに、私が水中呼吸の関係で喋れなくなったこと、水槽から出られなくなったことをいいことに、気づけば信じられないほど長い間、私は意に反して人魚を演じさせられた。飼育員の人が山岡さんから変わったあとは、次第に人間だったことさえ忘れられ、完全な人造生物として人権を無視した酷い扱われ方をした。最終的に処分場に送られ、死にはしなかったがこの様だ。全身の細胞が溶けて縮んだ上、美しかった下半身もボロボロ。艶やかだった水色の鱗は、化石のような灰褐色になっているし、そこここが抜け落ちている。見世物としてオレンジ色に染められていた長髪も、おばあちゃんみたいな白髪になっている。 元に戻るまでの間、私は元同僚の山岡さんに飼ってもらっているのだ。リビングに設置された大きな水槽の中で、亀と一緒に暮らしている。彼はよく話しかけてくれるんだけど、私は返事できないのがもどかしい。口パクや身振り手振りでコミュニケーションをとるしかない。そんな暮らしをしていると、私は段々表情豊かになってきて、子供みたいに自分の感情を大袈裟に表現するのが癖になってきてしまった。幼児みたいで恥ずかしいんだけど、山岡さんが可愛いっていうから……。いやそれはいいや。 とにかく、私が健康を害さない程度に大きな水槽を持っている家庭なんて限られている。だから預け先が見つかっただけでもありがたいと思うべき。相手が事情を理解する気のない生意気な子供であったとしてもだ。 「人魚さん! 人魚さん!」 預け先の一人娘は、まだ幼稚園に通う年齢で、一通りの事情は聞いていたものの、あまりよくわかっていないらしかった。 「こーら、この子はほんとは人魚さんじゃないのよ。海原さんっていうの」 「よろしくねー、人魚さん!」 「……」 私はややひきつった笑顔で答えた。数多の熱帯魚が行き交う大きな水槽は、なかなかよく手入れされているようだった。魚と同じ水槽にいると、水族館に閉じ込められていた時を思い出すなあ。しかしあの時とは違って、私が縮んでいる分、魚たちがすごくデカい。正直、かなり怖い。魚によっては体感で鮫くらいある。食べたりしないよね……? 山岡さんは大丈夫な魚だけだよって笑ってたけど。 あと、水槽に顔を張り付けているこの子の顔。今の私からすれば巨人もいいところだ。気心のしれた仲ならともかく、私にとっては赤の他人だし、本能的な恐怖はなかなか抑えられるものじゃない。スケールの関係上、水族館にいる時よりも、見世物として見下されている感覚が強い。屈折でちょっと歪んでみえるし、本当に怖い。 だが突然、子供の顔から元気がなくなり、しょんぼりと落ち込んだ。えっ、何なに? 「こら、この子怖がってるじゃない」 私は驚いた。一応、嬉しそうにしていたつもりだったのに……。水槽の壁にうっすらと映りこむ自分の顔に意識を向けてみると、まるでお化けにあった子供のように、わかりやすく大袈裟な泣き顔を浮かべているのに気がついた。 (い、いけない……) 山岡さんに猫かわいがりされていたせいで、思ってることがすぐ表情に出ちゃう……。私は恥ずかしくなって、水槽の奥に移動した。……って逃げちゃった。子供じゃないんだからもう。 「すみませんねー、うちの子が」 水上から母親の声が響く。いや、こっちもちょっと、娘さん傷つけちゃってすいませんでした……。そうだよ、私はペットの人魚じゃなくって、いい年した人間の大人なんだから、子供の相手くらいしてあげられなくてどうするの。 私は慌てて両手を振って「いえっ、気にしてないです!」的なメッセージをジェスチャーで伝えた。うーん、どうしても子供っぽくなっちゃうな。しょうがないか。 機嫌を直した娘さんは、水槽をつついたり上からのぞき込んだりして、私の反応を引き出そうとした。無視するのも悪いかなと思い、手を振ってあげたり、ちょっと優雅に泳いであげたりしてみせると、彼女は顔を輝かせた。やっぱり水族館のころを思い出す。人魚になった当初は、恥ずかしかったけど、アイドルにでもなった気分で、ちょっといい気分でもあった。あんな酷い対応をされなければ、普段は飼育員として勤めつつ、ちょいちょい人魚になってあげる、そんな未来もあったかも。適当にサービスしながら、ボーっとそんなことを考えてみる。今からやるかって言われても絶対やらないけど。 「餌! 餌あたしやる!」 「こら。この子はご飯を食べるのよ」 「えー」 娘さんの不満そうな声を尻目に、熱帯魚たちに餌が投下された。私は砂の上に座り込んだまま、ゆっくり落ちてくる点々と、それをキャッチする魚たちを眺めていた。魚たちは私に特に反応を示さず、各々変わりなく泳いでいる。不思議と疎外感を抱いてしまう。魚にちょっかい出されたり、露骨に避けられたりするよりかいいはずなのに。 私は一時的に水槽から取り出され、水槽の横に設置された台の上に座った。下半身が魚のままなので、床に座ると結構きつい。尾びれを垂らせる高低差があるといい。そしてちょうどいい位置についた机の上に、ままごとみたいな小さな食器が並べられている。全部山岡さんに用意してもらったものだ。今日から一週間、このご家庭からご飯とおかずをちょっとわけてもらうことになる。親の方に向かって礼をしたあと、私は食事を始めた。 「あ! 食べた! 食べた!」 私が口にモノを運んだ途端、娘の方が騒いだ。 「こら」 母親が諫めたものの、その後も一挙一動を注視され、食べにくいことこの上なかった。あぁ……いやだな。私がまたあっちの食卓につける日はいつ来るんだろう。 予期せぬ訪問者の一団が現れたのは、翌日の午後。 「人魚どこー?」「早くみせてー!」 甲高い子供たちの声が玄関からここまで響き渡った。娘がどうやら友達を連れてきたらしい。 四方を透明な板で囲まれている水槽の中、隠れる場所はどこにもない。あっという間に小さい子供たちの大きな顔が、水槽の前面を覆いつくした。視線は全て私に注がれている。大きな動物に囲まれる本能的な恐怖というものは抑え込めるものではないらしく、私はまた大袈裟に泣き顔を作ってしまった。……いや、実際怖がっていい状況か。 「この子は怖がりさんなの! 離れて一人ずつ!」 昨日自分が同じ行動に出たことなどまるで覚えていないかのように、娘は偉ぶって取り仕切った。代わる代わる幼児たちが水槽の前にたち、話しかけたりつついたり、男児は上からのぞき込んだり、酷い子は手を入れてつかみ取ろうとしてきた。それは流石にすぐ怒られてやめたものの、巨大な手が水中に現れた瞬間は、心臓が止まりそうなほど恐ろしかった。ただ巨大だから怖いってだけじゃなく、違う世界の怪物に不可侵のテリトリーを侵されたような、全身が縮みあがるタイプの戦慄だった。予告なしに水槽の壁を越えてこられると、本当に鳥肌がたつ。あーだめ、まだ心臓が平常に戻らない……。 草の陰に隠れてしばらく様子を伺っていると、一人の女児が言った。 「この子、かわいくなーい」 えっ? 「ほんとー。おばあちゃんみたーい」 なっ……なんですって!? 確かに白髪だけど! 髪は痛んで鱗もボロボロだけど! だけど、まさかおばあちゃん呼ばわりされるなんて! 私はまだそんな年じゃない! そもそも顔や体はまだ結構イケ……るよね? 若いよね? 山岡さんだっていつも可愛いって言ってくれるし……。 リビングの壁に面した、水槽の奥側に向き合い、自分の顔を見つめてみた。うん。そりゃ女子高生女子大生ってわけにはいかないけど、まだまだ十分……。どうかな。年取ってみえるのかな……。私は次第に悲しくなってきた。かつては水族館を代表するスターでもあったのに。 「あーみてー、気にしてるー」「かわいいー」 すると何故か一転して可愛いと称された。なんなの。真面目に受け取るだけ損? 「あー、泣いてるー」 なっ……べ、別に泣いてなんか……。慌てて目元を拭った。うっそ……マジで泣いちゃってた。なんか最近、感情が抑えきれないなあ……。 「泣かせたー」「ちょっとー」「人魚さーん、ごめんねー」 私はいたたまれなくて、ずっと背を向けたまま動けなかった。リビングにお菓子とジュースが登場すると、子供たちは一斉にそっちに移動し、水槽の透明な壁から、またリビング全体が見渡せるようになった。私はスイーっと前面に移動し、しばらく子供たちのはしゃぎぶりを眺めたものの、もう誰も水槽に寄ってこなかった。興味がコロコロ変わるなぁ、子供って。 でも……。水族館にいた頃を思い出す。通路は人で一杯だった。私を見に来たお客さんたちで。子供がもっと私を見ていたいと言って愚図っていたこともあったっけ。今の私からは往年の魅力も失われているのだろうか。何のための人魚なんだろう。そして、子供たちがこっちに来なくなったことに安堵している自分と、水槽に突っ込まれた手を「異物」と感じてしまったさっきの自分が惨めだった。私も本当は人間なのに。私のテリトリーは水槽じゃないはずなのに。 柔らかい砂の部分に寝そべり、私はボーっと水面を見上げた。今の私はなんなんだろう。人間じゃない。この家の人たちは、面倒は見てくれるけども、決して同じ種類の陸上生物としては扱わない。当たり前だと言われればそうなんだけど。事情を知っていたって、どこか上から目線というか、愛玩の気が混じる。……そういえば親子どっちからも「この子」って言われてるな。母親とは結構、年近いんだけど……。30センチだから? 水槽に住んでいるから? 魚の仲間だから? 自慢できるような人魚ではないことがわかってしまったからか、娘はあまり私に構わなくなった。ありがたいような、寂しいような。山岡さんに会いたい。 長く感じた一週間が終わり、彼が迎えに来てくれた時、私は思わず水面から飛び上がって喜んでしまった。 「あらあら、大好きなのねー」 そう言われた瞬間、私の顔は茹でたタコのように赤く染まり、しばらく顔を上げられなかった。子供扱いされていた理由、それは……単純に子供っぽかったからかもしれない。 久々にお家に帰り、山岡さんと一緒にご飯を食べていると、彼が一週間大丈夫だったか、優しい声で訊ねてきた。首を縦に振って返事をすると、今度は 「寂しくなかった?」 と訊いてきた。あーもう。意地悪。顔を赤らめて遠慮がちに頷くと、山岡さんは 「ごめんね」 と言いながら頭を撫でてくれた。上目で見た彼の顔は微笑んでいる。暖かい安心感が私の全身を癒す。 (もうっ、やっぱり! あなたがそうやって可愛がるから! 私の反応が子供っぽくなっちゃうのよ!) と頭ではわかっていても、私は彼の手のひらに全身を委ねることを止められなかった。

Comments

Anonymous

ああ! 私はその作品のおかげで、あなたに會えたのです,人魚が大好きですから。 まさか続きが見られるとは思っていなかったので、うれしくて感慨深いですね:)

opq

コメントありがとうございます。喜んで頂けて嬉しいです。

sengen

この話の続編ずっと読みたいと思ってました。 体を溶かされても人魚姿のまま相似的に縮んで、小さな人魚として生きていくことになるのが面白いですね。 観賞魚が巨大に見えたり、それらと一緒のアクアリウムで暮らすことで、人間とのギャップを益々実感してるのがいいですね。

opq

感想ありがとうございます。気に入って頂けましたら幸いです。

Gator

原作部分で、係員が変わって既存の食事ではなく、餌をあげる姿がとても良かった話でした。 妙技を教える部分も、興奮せざるを得ませんでした。 もう人間ではありませんから。 最後に死んだわけではなく、引き取られて子どもたちにも数値の対象になるというエンディングまで気に入りました。 こういう人工生命や動物と勘違いされるという素材も、すごくスリリングだと思います。(Translated)

opq

ありがとうございます。本編ともに気に入っていただけたようで嬉しく思います。