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脱衣所で服を脱ぐと、いつも鏡から目を逸らしたくなる。最後に全裸になれたのはもう半年くらい前になる。全ての服を、下着まで脱いだはずなのに、私の左半身は肌が見えない。左腕は爪先から肘の上まで鮮やかなレモンイエローに染まり、左脚も太腿から足先までが水色のタイツに覆われている。この手袋と片足ニーソは絶対脱げない。このままお風呂に入らないといけない。 人は慣れる生き物だというけれど、湯船に手袋とニーソを片方だけ装着した状態で入るのは違和感と罪悪感が常に薄っすら付きまとう。嫌だなあ。直接肌を洗えないのも気持ち悪いし……。まあ、それでも清潔に保たれているらしいけどね。 風呂から上がってパジャマを着ると、幾分気持ちが楽になる。概ねこのふざけた格好が見えなくなるからだ。でも着ている感覚はずっとあるし、袖からレモンイエローの左手も覗いてしまうけど、これはもうしょうがない。 「はぁ……」 私はベッドに突っ伏した。私が日夜ずっとこんな奇天烈な格好をしているのには訳がある。私が通う高校には不思議な現象があり、これがその一つ……いや二つ。隙間なく肌にピッタリと張り付く、カラフルな五種類のタイツが、生徒間でずっと受け継がれ続けてきたのだ。左腕を覆う黄色い長手袋。右のピンク手袋。左脚の水色ニーソ。右の黄緑ニーソ。そして胴体全てを封印してしまう純白のレオタード。最近は後頭部にくっつき二度と外せない、真っ赤なリボンも追加された。 無駄だと知りつつ、戯れに手袋の切れ目に右の爪を立ててみた。入らない。隙間というやつが存在していない。私の左腕と黄色い手袋は一ミリの空間もなく密着している。引っ張ると皮膚も引っ張られて痛い。しかし肘や指を曲げても、突っ張るようなことはなくスムーズに動かせる。それでいてどこにも肌と手袋の間に空白は生まれないのだ。物理的におかしくないかと思うけど、事実としてそういう風になっているのだから無意味なツッコミだ。手袋やニーソというよりは第二の皮膚と言った方が適切なのかもしれない。……でもリボンは何なんだろう。 「行ってきます」 登校する娘がスカートから水色の左脚を、袖からレモンイエローの左手を露にしていても、私の親は何も言わない。道行く通行人もだ。校門をくぐると、ようやく好奇の視線が生まれだす。この継承されたタイツやリボンは、現役の高校関係者にしか視認できないのだ。だから在校生と先生たちにしか見えない。だから世間的に話題になることもない。このタイツの謎が解き明かされる日はきっとこないのだろう。 私は学校があまり好きじゃなかった。別にトンチキな格好が恥ずかしいからというわけではな……今はそれもあるけど、私は昔から友達がいなかった。それでいて妙に意固地で、融通を利かせられない。しばしば委員長とかを押し付けられては真面目にやってしまうもんで、皆から疎まれた。高校に入ってからは風紀委員をやっている。左脚の水色ニーソは去年、風紀の先輩から継承したものだ。タイツの継承は必ず上の学年から下の学年へ継ぐ形でなければならず、上級生や同級生に継承することはできない。一年で左脚と左手を継承してしまった私は、誰にも押し付けることができない苦しい半年を過ごしてきた。今は二年だから誰かに継がせることは物理的には可能となっている。けど、同じクラスにすら友達がいない私に、下級生でそんなことを了承してくれる相手などいるはずもない。出来るとしたら……一年が委員会に入ってきてからだろうか。部活やっときゃよかった。 隣のクラスには友達……というか、同じ悩みを持つ仲間ができた。花咲さん。彼女もまた継承者であり、しかも私と同じく二部位継承。頭と右手だ。 「おはよー、青葉さん」 ちょうど廊下ですれ違った。思わず頭に視線が吸い寄せられる。好奇の視線に晒される辛さは身をもって知っているはずなのに。でも仕方がない。あのリボンは無視できない。正面から顔を見てもその存在が左右にはみ出しているほどの巨大リボン。およそアニメでしかみないようなビッグサイズ。そしてバルーンアートかってくらいパンパンに膨らんでいる羽根と、空気に泳ぐ垂れ部分はテカテカとした光沢を放っていて、ともすれば樹脂みたいでもある。まあ、それは私の左半身も同じなんだけど。お仲間であることがハッキリわかる。 「お、おはよう……」 顔がいいなあ。そんなことを思いながら私の横を通り過ぎていく彼女。多分同学年でも一番の美少女だと思う。だからこそピンク色の右手を任されたんだろう。右手がピンクでも許される女。私と違って友達も多いらしくて羨ましい。けど……後ろからあのクソデカリボンを見てしまうと、だいぶ羨む気持ちは萎えていく。う~ん、きっつ……。私が言えた義理じゃないけど。 花咲さんが頭の継承をしたのは春休みの間。始業式からしばらくは花咲さんも羞恥のあまり俯いて歩いていたものだけど、最近はすっかり元通り明るく、前を向いて歩くようになった。どうやらあのリボンも「継承」らしいという噂が広まり誤解が解けてきたのと、やっぱりまあ……顔がいいから許され空気も醸成されつつある。まあ花咲さんならアニメみたいなリボンしててもギリいいか、みたいな。 自分の教室のドアを開けると、彼女とは対照的な自分の立場を思い知らされる。友達ゼロの女が水色ニーソにレモンイエローの左手でいるのは相当に辛い。女子陣のクスクス笑い、そして明らかに私を見下す目が私の心を貫く。「継承」であることは知られているから目立って「なにそのファッション」みたいに言われることはないけど、痛い勘違い女、そういう立場はしっかりと空気によって確立させられ、今日も押し付けられている。この触れてはいけない感が嫌だ。誰か弄ってくれる友達とか一人でもいたらな。……弄られるのもそれはそれで嫌だけど。……こんなだから友達できないんだろうな私。 五月の連休明け、ようやく風紀委員会に一年生が入ってくる。今日が顔合わせ。教室の扉を開くと、既に数人の一年生がいた。先輩と談笑している。その談笑が一瞬ピタッと止まった。全員が私の……左脚に視線を向けている。 「よー青葉」 「……どうも」 先輩が沈黙を破ってくれ、また空気が戻った。この触れちゃいけない感が私は本当に嫌だった。第一印象は……よくはない。 説明中、私はあえて左手の袖を少し捲り、左手の継承者であることも見せつけた。まだ長袖だから手の継承はぱっと見、見逃しがちだ。脚ばっか注目されても困る。あとから時間差で痛い沈黙を再度食らいたくはない。 「先輩、二つ継承してるんですか?」 「うん、左半身ね」 「ちょっと触っていいですかー?」 オリエンテーション終了後、私が友達いないボッチだと知らないおかげか、下級生女子は割と食いついてきた。噂の継承タイツを間近で見るのは初めてだからかもしれない。興味深そうに肌と手袋の間に指を突っ込んでみようとしては挫かれ、本当に脱げない魔法の手袋なのだと実感しテンションを上げていた。私は思い切って継承してみるかどうか訊いてみた。が、軽やかにそれはかわされ、写真を撮られ、左手で握手して終わった。……私は単なる話のネタ提供者にしか過ぎなかったらしい。大丈夫かなあ。 男子は遠巻きにチラチラ見てくるだけで、近寄ってこない。男子に継承……は無理だろうなあ。 夜、ベッドの上で花咲さんとメッセで会話した。まだどっちも継承していないらしい。あのリボンを継いでくれる人、見つかるのか密かに心配していたけれど、意外にもそっちは大丈夫らしい。黒田先生が請け負ったそうだ。来年、頭を継いでくれることになっている子が一人入ってくるから、と。 「それって誰?」 とメッセを送ると、驚く返事が返ってきた。石像になっていた前の頭継承者が改めて入学してくるつもりらしい。えー、そんなことできるんだ。石像になっていた、というのはこの継承、タイムリミットがあるのだ。卒業までに下級生に継承できずに終わった場合、その人間は石になってしまう。そして生徒会室を彩る石像として飾られるのだ。信じられないような話だけど、事実だったみたい。最も、石化したら永久にそれまでかと言われるとそうではなく、救済措置がある。在校生の誰かが石像に継承部位を密着させて「継承します」と念じてあげれば、石化は解かれる。まあ、在校生に継承が移ってしまうのだけど。花咲さんはうっかり石像相手にそれを試してみたせいで、後頭部に外せないデカリボンを背負う羽目になった。 しかし取り残された気分だ。一番継承が難しいだろうと思っていた頭が予約済みなら、花咲さんはもう安泰だろう。……ピンクの右手で高校生活を送る覚悟のある人も少ないだろうけど、花咲さんならきっとそれくらい口説き落とせるのだろう。最悪でも、男子のだれかが「俺が花咲さんを助けます!」とかカッコつけて言い出すに違いない。私には……そんな人現れないだろうな。頑張って自力で見つけなければならない。けど、私には荷が重い。同学年に友達もいないのに二人も呪いを負ってくれる下級生を見つけ出すなんて。 「衣服の乱れは心の乱れと言います。校則に反するようなファッションは……」 風紀委員会で服装の乱れを取り締まる指導月間の話が出ると、ほとんどの人が私を見た。心臓がドキッと跳ねる。そりゃそうだ。取り締まる側にこんな格好の人間がいたんじゃね。左手は黄色、左脚は水色ニーソ。きっと多くの人が「青葉さんアウトじゃん」と心の中で今突っ込んだはずだ。脱げないんだからしょうがないじゃない。「継承」は伝統的にスルーするのが慣例だ。 私自身、この姿で他人の服装を注意するのは気が重い。「どの口で言ってるの?」と自分自身思ってしまう。 朝の校門。私に中止された目の前の人もそう思ったらしく、とうとう口に出して突っ込んだ。 「てゆーか、あんたも校則違反なんじゃないの? なにその左脚」 「これは……継承だから仕方ないんです」 「えー、そんなんズルじゃない? それがいいならこのぐらいの着崩しどってことないでしょー」 「……校則違反、です」 私の声は小さく萎んでいく。自分の言っていることに自信が持てない。継承だから脱げないからしょうがないと言葉を並べても、彼女より私の方が派手かつトンチキな格好であることは事実。私の心もそれを認めてしまっている。 周囲のギャラリーも煽り時だと感じたのか、「だよなあ」「あれアリならなんでもいいよな」などと囃し立てる。私は機械的に、目の前の女子に向かって「とにかくその格好は直してください」と呟き続けた。感情的になったら泣いてしまいそう。 「だからぁ、あんたより地味でしょって」 「やめろよ」 凛とした声が通った。私はいつの間にか俯いていた顔を上げた。 「あれは脱げないんだって知ってるだろ。派手な格好したいならあんたが着てやれば?」 背の高い坊主頭の男子が、着崩し女子に向かって芯のある声で言い放った。彼女が一瞬言いよどんだ後、 「はぁ? そんなん知ってるしー。ちょっと言ってやっただけじゃん」 と返し、私の横を通り過ぎていった。時が止まっていた校門前の人たちがまた歩き出し、坊主の男子も校舎へ歩いていく。私はすれ違いざまに「ありがとう」と言ったつもりだったが、実際には出ていなかった。喉の出口でつっかかり、その言葉は私の中で反芻されるだけだった。 「あ……」 言いそびれちゃった。私って本当に……ダメだなあ……。 お礼を言いそびれた罪悪感で、その日はずっと授業に身が入らなかった。誰だったんだろう。坊主だから野球部かな? 多分そうだ。……あぁ~、私と一番遠い人種だ……。 放課後、ちょっとグラウンドの部室棟を眺めていると、奇跡的に朝の男子が私の横をすっと通り過ぎた。 「あっ」 思わず声が出た。私は意識しない方が喋れるかもしれない。 「?」 男子が振り返って私を見た。ここが最後のチャンスに違いない。 「あっ……、の、今朝は、ありがとう……」 フニャフニャの消え入りそうな声でそう呟いた。 「ん? あー、朝の校門の。や、別にいいっすよ」 爽やかにブレない声で答える。彼はそそくさとグラウンドに出ていった。恥ずかし……いたたまれない。けど胸のつかえがとれた私は、帰る前にしばし野球部を観察していた。その結果、あの男子が一年だとわかり、自分の情けなさに穴があったら入りたい気分だった。 数日後、黄土さんからメッセが届いた。珍しい。何だろう。彼女は私の二個上の先輩で、左手の継承者だった人だ。彼女の泣き落としで私は左手を黄色く染める羽目になった。 連絡の内容は、継承の心配と、弟のアカウントの紹介だった。あの坊主の男子、なんと彼女の弟だったらしい。驚いた。弟に力になってあげるよう頼んでおいたから、とのこと。……気持ちはありたがいけれど、惨めすぎるう……。恐る恐る弟君に対して、別に何もしなくていいから、という内容のメッセージを送った。すると早めに既読がつき、返事も来た。 「うっす。まあボチボチやっていきましょう」 ん……ん~? どういう意味? どう受け取ったらいいの? 私の話は伝わったの? わかんない……。運動部と……ていうか年下の男子と話したことないから……。 その日から、ちょくちょくお互い近況を交換しあうようになった。向こうが送ってくるので、仕方なく返す。だって無視は失礼だし……。そうしている間にそういう感じになった。 学年も違えば風紀と野球部でフィールドも異なるので、校内で会うことは基本なかった。が、向こうは何故か私を見つけているらしく、私の「おもろい」行動をメッセで送ってくる。私は顔をほんのりピンクに染めて枕に顔をうずめることとなった。どっから見てんの……? 渡り廊下か。そんなすぐ私だってわかる? ……わかるか。私は自分の左脚を擦った。ツルツルと滑らかな手触り。部屋の照明を照り返しテカテカとした光沢を放っている。衣替えしたらますます目立つなあ。 半袖になると、私のレモンイエローの左手が本領を発揮しだす。まーた皆がギョッとする期間が始まる。今までは袖に隠れて手しか見えていなかったもんね。存在感が違うよ。 でも、不思議と今までほど心が委縮しなかった。それどころか、これなら黄土くんがもっとよく見つけてくれるなあ、などと変なことを考えてしまう始末。自分でも何を考えているのかわからない。目立つの嫌なのに。 ある日、黄土くんから呼び出された。今度の休みに買い物手伝ってくれませんか、と。……なんで? 家族とか友達とかは? と思いつつ、気がついたら「了解」とそっけない返事を爆速で出してしまっていた。お、おかしい。最近の私は変だよ。 それから週末までの数日、私はずっと悩みに悩まされた。何着ていけばいいんだろう。左手がレモンイエロー、左脚が水色だと何を着ても合わない。……いや、合わせる必要ないって。見えないんだから、普通の人には。でもスマホに映る自分の姿はあまりに奇妙で……こんな格好で黄土くんと会うなんて嫌だとがなり立てる私が心の奥にいる。……なんで? 別に良くない……? ていうか奇跡が起きてこの左半身と合うコーディネートに成功したとして、道行く人には左手の手袋と左脚のニーソ見えないんだから、結局おかしくなるんだよ。あー、花咲さんとかどうしてんだろう。あの頭で遊びに繰り出すの勇気がいると思うけど。見えないって言い聞かせれば気にならないのかなあ。 チラッと相談してみると、「え? なに? デート?」と勘違いした文面が送られてきたので、慌てて相談を打ち切った。ビックリした。デートじゃないよ! デートなわけないじゃん! 結局、手袋とニーソはないものとして、普通に可愛い服装をして私は待ち合わせ場所に立った。視線が気になる……大丈夫かな。在校生と先生以外には見えないはずだと頭で何度自分に言い聞かせても、自分には見えるし着ている感触もあるので自意識過剰になってしまう。……いやていうかなんで可愛い服とか着てるの私は! これじゃなんかもう勘違いしてる感じじゃん! 心の中で頭を抱えた時、 「うぉ、早いですね」 と堅い声が聞こえた。黄土くんだった。変わらずの坊主頭に、飾り気のないラフな服装だった。私は恥ずかしさのあまり今日ここで死ぬのだと覚悟した。マジで私だけ勘違いして浮かれた風じゃん! 「ふふっ」 しかも彼が可笑しそうに私を見て笑う。 「いやーヤバいっすねそれ」 「え? ……ああ、うん。ホントにね」 が、幸か不幸か彼は私の黄色い左腕と水色の左脚に注目してくれたので、服装に関しては不問だった。脱げないデコイに今日だけ感謝。 ショッピングモールを歩きながら、彼は継承の隠された効能について質問してきた。 「それって、継承したらしたとこ怪我とか治るんですよね?」 「ああ、うん。治るというか怪我しないというか」 継承した部位は常に清潔、健康に保たれるシステムになっているらしい。洗わなくても嫌な臭い一つしないし、皮膚病にもならないし、爪も伸びない。伸びないどころか、適切な形にかってに補正してくれる。 私は去年、先生から聞いた話を思い出した。 「足を継承したら水虫とか治るんだって」 「えっ……水虫なんすか?」 彼が距離を取った。私は慌てた。 「違う違う! 先生がそう言ってたの!」 「ビビったー。でもまー腕なら水虫関係ないっすよね」 「だから違うって!」 ん? 腕? 見ると彼は自分の左肘をさすっていた。 「怪我したの?」 「いや、してないっすよ。怪我してないから、怪我しないようにしたくって」 「?」 「俺、左なんすよ」 彼は左手でボールを投げる仕草をした。左利きなんだ。初めて知った。 「今日はお願いがあって来てもらったんです」 彼は私に向き直った。 「左手、継承させてもらっていいですか?」 「……えっ? ええーえっ!?」 全く予想もしてなかった申し出に私は心底驚いた。えっ……でも何で? これ脱げないよ? ずっとそのままだよ? 「ヤバいっすね」で過ごすんだよ!? 「あー、大丈夫っす。ってか逆に面白くないですか」 そうなの? 陽の男子はそうなの? 「マジで怪我しないっていうなら、もー無限に練習できるってことじゃないですか。肘無敵はすごいすよ」 ひ、肘以外はダメじゃないかな。私は彼が本気なのか冗談言ってるのか疑っていた。 「あの、それで。俺じゃダメですか?」 「ひっ!? ……いや、でも、いいの? 本気? 脱げないよ? これ」 「本気です。ていうか俺らアンダー着るし」 心の中で二人の私が戦った。千載一遇のチャンス、このまま継承させろ派と、継承の辛さを理解していないのにダメよ派が。 (でも、私だってそうだったし) 実際継承しないとわかんないことをわかるまでダメなんて言い出したら誰にも継承できない。私は別に……悪くはないはず。でも男子、いいのかな。もっと恥ずかしくない? (いやでも……黄土さんの弟だし) 本人から話はきっと色々聞いているはず。その上で継ぐと決めたんなら……いいよね。 「わ、わかった、わかったから。左手はあげる」 「っしゃーす!」 「……はぁ」 「んで、継承ってどうやるんですか?」 「それはほら、継承させるところを密着させて……」 あ。私は自分が黄土くんと密接に体を絡み合わせているところを想像し、顔に血が集中しだした。 フリーズした私の左手を、彼が自分の左手でつかんだ。 「こうっすか?」 「あっ……!? ちょ……」 固い。大きい。お父さん以外の……ていうか同年代の男子の手の感触は、生まれて初めてだったかもしれない。左手で握手されただけなのに、その力強い握りと迫真の感触に、私は屈服してしまった。 「……青葉さん?」 「あっ、あっ、ごめん。ちょっと……」 握手したまま、私は彼を引っ張ってトイレ前の狭い通路に移動した。ドキドキする。私が男子と手繋ぎなんて、思ってもみなかった。話さないしこの子。ていうかなんで年下相手にこんな意識しすぎ。あー! 「……て、手だけじゃなくて、全体くっつけないとダメなの」 通路の奥の奥へ彼を引きずり込んだ私は、震える声で説明した。 「じゃあ……失礼します」 彼の筋肉が私の脆弱な左腕を絡めとり、ピタッと密着した。彼が軽く力をいれるだけで折られてしまいそうだ。私はもう顔面から汗を垂れ流し、初めて体験する男の腕力に飲み込まれていた。こんな……なんか……すごいんだ……。 これ以上は持ちそうにないので、矢継ぎ早に説明した。 「あと、心の中でお互い継承させます、継承しますって思えば終わり」 「はいっ!」 より一層力強く左腕が押し付けられる。あ、まだ本気じゃなかったんだ。え。やば。……じゃなくて。 (……け、継承します) あれ? 継承って学校じゃなくてもいいんだっけ? と思った瞬間、真っ白な光が放たれ、私は目をつぶった。 (……ん) 光が収まると、彼が腕をほどいた。見慣れない生々しいヒトの手がプランと私の左肩から垂れさがる。半年ぶりに解放された、私の皮膚だった。脱げている。黄色くない。テカテカじゃない。とても綺麗な生きた皮膚が、私の左腕と手を覆っている。 (あ……) 脱げた。継承できちゃった。しちゃった。横を見ると、彼の左腕が鮮やかなレモンイエローに染まっていた。私とおな……同じじゃない。形が違う。手袋の。細い一本の棒きれだった私の左腕とは異なり、筋肉の形状が見て取れる。ツルツルテカテカの黄色い手袋は、彼の筋肉にピタリと張り付き、それを強調しているようにも見えた。ピチピチのアンダーシャツみたいだ。 彼はしばらく左腕や指先を動かし、感触を確かめていた。そして 「おお。違和感ないっス。突っ張らんし。爪も立てれますね、安心しました」 と感心したように感想を述べた。 「あ……うん。そうなの……」 私は彼の黄色い左腕に、いつまでも見惚れていた。 その後、スパイク選びに付き合い、ゲームセンターでちょっと遊び、デー……買い物は解散した。何だか後半の記憶はおぼろげで、よく覚えていない。左の皮膚が久々に感じる初夏の空気、そして彼の逞しい左腕の力強い感触の幻覚が、いつまでも頭を離れなかった。 お風呂に入るとき、やっと左手の継承問題から解放されたのだと、自分は左手を黄色く染めたまま水泳の授業に出なくてよいのだと気づき、歓喜できた。あとは……あとは左脚だけ! ありがとう黄土くん。そして先輩も。黄土姉弟万歳! その後、私は黄土くんに何度もメッセで困ってないか、恥ずかしくないか確認せずにはいられなかった。そのたびに心配しすぎ、仮に何かあっても青葉さんの責任じゃないっすよ、と諭された。年下なのにしっかりしてるなあ……私より万倍。 残る左脚の継承は、ちょっと迷いが出来てきた。継承したくない。まだこのままでいたい。そういう不思議な気持ちが芽生えだしたのだ。だってそしたら黄土くんとお揃い継承仲間……じゃなくて! 黄土くんと話すことなくなっちゃ……だからなんなの! 迷う中、 「風紀の伝統ってことにして継承させればいいんじゃないですか」 と提案したのは黄土くん。それはインチキというか嘘つくことになるから嫌だと突っぱねると、考えすぎとか、もっと要領よく生きた方がいいですよと返された。日ごろ気にしていたことを突かれたようでウッとなる。正直自覚はある……。もっと普通に、皆みたいに出来たらなあ、って……。 でもまあ、まだ二年の夏だし、慌てなくてもいいんじゃない。日に日にそういう思いが増していく。もうちょっと黄土くんとこうして色々メッセ送り合う感じでいたい。継承終わったら話すことなくなっちゃうもん。「左仲間」としてもうしばらく……一緒に、仲良くいられたらなあ、って。 (そういえば……もうすぐ野球部は予選かあ) こっそり……こっそり、応援に行ってみようかな。自分は野球部の応援なんてするキャラじゃないとずっと思っていたけれど……。今年の夏はちょっとだけ、自分を曲げてみてもいいかもしれない。

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