シェアハウスメイド (Pixiv Fanbox)
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「藤原です。よろしくお願いします」
私は頭を下げて、これからひとつ屋根の下で暮らすことになるハウスメイトたちに挨拶した。そんな固くならないでいいよーとか気楽にねーなどと声が飛ぶ。そんな中から私の耳が一番聞き取ったのは「ちっちゃーい、可愛いー」という声。気にしてる言葉ほどよく聞き取ってしまう。やだなあ。
しかしそんな反応になるのは仕方ない。身長が140センチちょいしかないチンチクリンであることは事実だからだ。同学年で私より背の低い人は見たことない。きっと大学でもそうなんだろうな。
自己紹介が終わると、四人の先輩方はシェアハウス内の施設やルールを口頭で教えてくれた。女子大生四人が暮らしているにしては中々綺麗に維持されていて生活感が薄い。それを成しているのは、さっきからリビングの脇で石像のように鎮座しているあの子の力なんだろう。私の荷物の搬入を手伝ってくれた、小さなメイドロボット。私と同じ体格で、身長も同じ。見上げないでいい相手の存在が、私はちょっと嬉しかった。
「あ、この子はマリンちゃん。ここの備え付けだから、自由に使っていいよ」
「メイドロボ7091号、マリンです。藤原芽衣様は本日よりユーザー登録されております。何なりとお申し付けください」
可愛らしいメイドロボが、スカートの裾を軽くつまんでお辞儀した。体型は大人だけど、身長は140ぐらい。私と同じだ。
「よろしくね」
おかげで私は目線を上げることなく返事できた。でも、体型もやや幼めの私としては、同じチンチクリン仲間なのにその中でさらに負けているような気がして、ちょっと嫌な気分になった。……まあ、作り物のロボットが整った容姿なのは当然なんだけど。
「何か困ったことあったら言ってね、メイちゃん」
先輩が私の頭を撫でる。小さい子供みたいに扱われるのはいつものことだけど、やっぱり嫌な気分になる。大学生になるのに……。
しかし先輩方は皆私よりずっと背が高く、大人な体型で、格好いい服着てて、私にはとても眩しく見えた。いいなあ。私もあんな風に……なれるかなあ。チラッとマリンちゃんの方を見る。アニメのように鮮やかな水色の髪を白いリボンで結んでいる。短いスカートはフリルで縁取られ、白いニーハイソックスとの間に除く太腿には緑色に光る製造番号が刻印されているのが見える。現実の人間がコスプレ会場以外でやっていたらおかしい服装だけど、とても可愛らしく、似合って見える。自分と同じ背丈の人間……みたいな存在がすぐそこでこんな格好していると、何だか落ち着かない。そのうち慣れるのかな。
そんなこんなで大学生活が始まった。家に他人が四人もいるのはちょっと戸惑うこともあったけど、次第に慣れていった。このシェアハウスを選んだ理由は安かったのもあるけど、メイドロボ付きだというのが大きい。家事をしなくてもいいのは楽でいい。マリンちゃんがいなかったら入居者同士で衝突やトラブルもあったかも。特に私なんか、集団では絶対に妹ポジという名の雑用係みたいになってしまうのがお決まりだったので、彼女の存在は実にありがたかった。
最も、トラブルが全くないかといえばそんなことはない。例えば……。
「メ~イちゃん、新作出来たんだけど、ちょっと着てみてくれない?」
「は、はあ……」
ハウスメイトの一人が服飾の勉強をしているとかで、服を作らせてほしいと言われたのを気軽にオーケーしてしまったのが運の尽き。想像もしていなかったような少女趣味の服が完成し、私は皆の前でそれを披露させられる羽目になった。最初にどんな服作るのか詳しく聞いとけばよかった。「出来てからのお楽しみ」ではぐらかされた結果がコレだ。
「きゃー、可愛いー!」「似合ってる~」「腕上げたじゃーん」
「でしょでしょ~?」
先輩が盛り上がる中、私は手持無沙汰に両手の指を絡めながら、俯いて嵐が過ぎ去るのを待たなければならなかった。小学生でも高学年になれば着ないだろう、どピンクの服装。大学生にもなってこんな格好させられるなんて……。
パシャパシャ写真を撮られながら、私はもうこの人の作った服は着ない、と心に決めた。決めたのだけど……。その後も勝手に私用の服を作ったりフリフリの子供服を勝手に貰ってきたりして、定期的に私は着せ替え人形にされた。アリス衣装、魔法少女、甘ロリ、パステルカラーの女児服……。恥ずかしくってたまらない。もっと大人っぽくなりたいのに……。皆はどうしても私に可愛い格好をしてもらいたいらしく、自分で買ったまともな服を室内で着ていると、ちょくちょく嫌味を言われた。メイちゃんはもっと可愛い服が似合うとか何とか……。余計なお世話です。
しかし、クローズドな女の園で一度与えられたポジションは覆らない。とうとう、お風呂に入ると勝手に着替えをフリフリな子供用パジャマに取り換えておくとか、休みの日はマリンにコスプレ衣装を私の部屋に届けさせるとかやりだした。しつこいのと無言の圧に押し負け、私は嫌々ながらも子供サイズの魔法少女衣装やロリータ風パジャマに袖を通すようになった。その格好でリビングをうろつくと皆が寄ってくる。褒めているのか馬鹿にしているのかわからない賞賛と甘やかしを受けながら、私は耐え忍ぶしかなかった。
(うう……この歳でこんな部屋着おかしいよね……?)
余りにも皆が押し付けては褒めてくるので、うっかりしていると私の感覚もおかしくなってしまう。鏡の前に立ってみると、中学生ぐらいの子に見えてしまう。大学生なのにい。うっかりこんな格好のまま外出しないよう気をつけなくちゃ……。
そんな新生活に良くも悪くも慣れきった六月のある日。帰宅するとマリンちゃんがリビングの床に倒れ、辺り一面は緑色の液体が広がっていた。その脇で金属の大きな缶を持った落葉さんが呆然と立ち尽くしている。
「あの……どうしたんですか? これは一体」
「ああ~助けてメイちゃ~ん!」
「うわっ」
フリーズしていた落葉さんが缶を放り捨てて私にしがみついてきた。こうなると体格差で逃げられない。仕方なしに私は彼女のやらかしを聞く羽目になった。
内容はこうだった。個人的な工作に使うため、大学で使っている薬品を持ち帰ってきたところ破裂して、運悪く隣にいたマリンちゃんに薬品の大半が直撃、機能停止したらしい。
「なんでそんなもの家に持ち込むんですか! ていうか大丈夫なんですか? 身体に悪影響とか」
「あっ、だ、大丈夫、ちょっと皮膚が溶けるだけ……だから」
「ひぃ!」
私はその場から飛びのいた。しかし落葉さんは私を見逃してくれず、延々と粘着して後片付けを手伝ってと私を拝み倒す。そんなことしている間にさっさと片付ければいいのに! 色々ツッコミたいところはあるものの、共用リビングだからしょうがないと観念して、私は彼女を手伝うことにした。
ちょっと粘り気のある緑色の液体は蒸発もせず、ゴム手袋をはめて注意して扱えば特に害はなさそうだった。ふき取った後の床は染み一つない。一体何の薬品なんだろう。皮膚だけ溶かす薬? ……なんの工作をするつもりだったのさ。怖いよ。
問題はマリンちゃんだった。お風呂で洗うしかないという落葉さんの提案に従い二人で運ぶことになったけど、流石に人間と同じ体重だけあり重い。しかも気を失った状態となれば尚更だ。でも機械のロボットよりは軽いのかな。生体ロボットでよかった。
お風呂場の床に転がしたマリンちゃんを落葉さんがシャワーで洗う。その間に私は運ぶ途中床に落ちた液体を拭いていた。その時
「あっ!」
と嫌な予感しかしない声が背中から響いた。壊した?
お風呂場に様子を見に行くと、手足をダランと垂らすマリンちゃんが落葉さんの膝にのっかっていた。死体みたいでちょっと気持ちが悪い。薬品はすっかり洗い落とせたみたい。しかし、その姿には違和感があった。何かいつもと違うような……。
視線を落葉さんに向けると、その理由が判明。彼女は蒼白になりながら、純白の長手袋を握りしめていた。マリンちゃんの右手が露出している。いつもなら手袋の下にあって絶対見えないはずの領域が。そして、お風呂場の床には、シャワーによって水色の髪からとれてしまったヘッドドレスが、静かにお湯を弾いているのが見えた。
メイドロボの服装は身体と癒着、一体化していて脱がすことはできない。マリンちゃんは肘まである長い手袋と、ニーハイソックスを着用したデザインだから、その素肌が露出しているところは案外少ない。……が、今このリビングには、一糸まとわぬ全裸となったマリンちゃんが台座の上に直立している。本来なら絶対お目にかかれない光景だ。背が小さくて子供っぽさがある分、すごい罪悪感がある。見てはいけないものを見てしまっている感が強い。実際には、見てはいけない箇所自体が存在してないんだけど。生体メイドロボは基本的には人間と同じ、生きた細胞で構築されている。それをナノマシンで制御しているのが彼女たちだ。人間の裸体と違う点は、乳首と股間のモノが存在しないこと。胸は突起がない平坦な曲面でしかなく、股間はマネキンのようにツルツルで、何もない。
「わあー、これって直せるの?」
「ほっとけば直るはずだよ。多分」
既に入居者全員が帰宅して、事の顛末を今目撃している。リビングに全裸で直立するメイドロボは異様な存在感があった。生体仕様なせいで、文字通り生々しいのだ。デパートのマネキンのようにはいかない。まあ、肌はマネキンっぽいけど。テカテカと光沢があり、髪や眉を除き体毛は一本も生えていない。血管も見えず染みも黒子もない、CGモデルのような身体だ。
メイドロボのナノマシンには自動修復機能があり、ほっとけば直るらしい。だからこうして充電台の上に立たせて「修理」しているわけなんだけど……。問題は衣装の方だ。元通りくっつけるには流石に工場とか送らないとダメなんじゃないかなあ。でもそうすると……。
「お願い~黙っててー! ねっ! ほら! この通り!」
落葉さんが全員に向けて手のひらを合わせて一生のお願いを連打している。このシェアハウスの備品だから、壊したら……弁償ってことに……なる。
「まあ、黙ってればバレないだろうけど……明日までに直れば……」
実は、明日このシェアハウスの大家さんが来るらしい。全裸のマリンちゃんを見られれば勿論アウトだ。不在でも突っ込まれるだろう。買い物で誤魔化せるかは微妙な感じ。
(……まあ、私には関係ないし)
壊したのは落葉さんだ。私は関係ない。そう思っていたのに……。
「ええええっ!? 嫌ですよ! 絶対嫌です!」
「お願い! 一日だけ! 一日だけだから!」
落葉さんは私にとんでもないお願いをしてきた。明日一日、私にマリンちゃんを演じて誤魔化してほしいというのだ! 脱げた彼女の服を着て!
当然断ったものの、普段からああいう服着慣れてるでしょとか、お金払うからとか、落葉さんは食い下がる。す、好きであんなヒラヒラの服着てるわけじゃ……ないって言っても説得力ないだろうな……ていうかそのお金で弁償しなさいよ。
しかし他の皆曰く、落葉さんはこれまでも散々問題を起こしていて、次やったら追い出すと言われているのだそうだ。ええー……。
「今年で卒業だからぁ~、今更移れないのぉ~」
そんなこと私に言われても……悪いの落葉さんじゃん……。
「お洋服いっぱい作ってあげたでしょ~!」
つ、作ってくれなんて一言も言ってないし……いやでも私用に服作って、それ部屋着にしてたのはまあ……事実だけどさ……。
助けを求めようと思ったものの、他の皆の表情は私に冷たかった。「それぐらい、やってあげればいいじゃん」と言いたげだ。他人事だと思って……。
「……わ、わかりましたっ、やりますっ、でもっ……バレても私知らないですからね!? 私のせいじゃないですからね!?」
「ホントぉ~!? ああ、ありがとぅ~!」
最終的に私は無言の圧に屈してしまった。このシェアハウス内で私は一番の新入りであり、子供っぽい服着て喜んでるガキである。そういうポジションを押し付けられている。要はヒエラルキー最下層なのだ。粘っても断ることはできなかっただろう。
翌朝。大家さんはお昼頃に来るらしく、朝ごはんを食べるとすぐ準備開始された。お風呂場でしっかりと洗われたメイドロボの衣装。まさかこんな服を着る日が来るなんて。
落葉さんに下着を全て外すよう言われ、泣く泣く私は全裸を御開帳した。うう……恥ずい。一応家とは言ってもシェアハウス、周りに人がいるのに……。屈辱だった。
手渡されたのは純白のレオタード。メイドロボが下着替わりに装着しているものだ。これまで脱げちゃったんだ……。あの薬品はかなり奥まで入り込んでマリンちゃんの皮膚を溶かしていたらしい。半日じゃ復旧できないわけだ。はぁ……でもわざわざここまで再現する必要ある? どうせ見えないのに。
レオタードは人間が普通に着るものより厚く、ゴムみたいな弾力があり、よく伸びる。何だかソフビ人形の胴体パーツみたいだった。どこにも切れ目がないし。最初からこの中身が空洞の胴体の型に合わせて成形されてるんだろうな。
伸縮性が高いおかげで、手足や頭は何とか通せた。四人で強引に引っ張ればギリギリ私の身体を通せるぐらいに穴を広げられる。脱ぐのが大変だなあ。無事に装着完了して皆が引っ張るのをやめると、レオタードは伸ばしたバネのように元の形に戻り、私の胴体をピチッと締め付けた。
(んっ……)
思わず声が出そうになる。今まで一度も経験したことない密着感。全面が私の肌に張り付くように圧迫してくる。でも不思議と苦しくはなくて、それどころか癖になりそうな安心感さえあった。そしてメインのメイド服。フリルで彩られた短めのスカート。恥ずかしいよお。最近ゆったりとした少女趣味な部屋着ばかりだったから尚更。
そしてこのメイド服もまた、私の身体によくフィットした。元々マリンちゃんとは身長同じぐらいだったけど、それにしてもだ。レオタードの上から隙間なく私の身体に密着してくる。裾を握ると質感はゴムに近く、手触りは滑らかな布という不思議な感覚だった。
そして手袋。肘まで覆ってしまう長い純白の手袋。これもピッタリ私の腕を飲み込み張り付いた。皮膚を白く染めたのかと思うほど、0.1ミリの空間も作らず、皺ひとつなく私の腕に同化している。レオタードと同じ着心地の良さがあった。ずっと嵌めていたいと思ってしまうほど。ニーハイソックスも同じだった。私は腕と脚の大半を白く染め上げられたミニスカメイドに変身してしまった。
「ほら~ピッタリ! だと思ったんだよね~」
落葉さんは私と一緒に並んで鏡を見ながら絶賛した。うう……改めて客観視させられると死ぬほど恥ずかしい。大丈夫かな……バレるんじゃ……。でも確かに体格は同じぐらいだし、メイド服は本物そのままだし、動かなければボロはでな……。
(いや無理じゃん! 絶対バレるじゃん!)
鏡を見て、私はマリンちゃんになれないことに気づいた。鏡に映る私がメイド服を着た藤原芽衣でしかなく、メイドロボマリンちゃんでない最大の理由。それは……。
「はいじゃー座って座って! 髪、染めるから!」
落葉さんが怪しげな缶を携えて近づいてくる。そう。髪だ。生まれてこの方一度も髪を染めたことない黒髪と、マリンちゃんのアニメみたいな水色の髪。彼女に化けるということはそういうこと……。考えてなかった……。
「あっあっあの、ホントに直接染めるんですか!? ウィッグとかは……」
「そんなん今から用意できないしー。へーきへーき、後で戻したげるから」
(とほほ……)
ヘアカラー剤とも違う水色の粘性ある液体が頭にかけられていく。うう……まさかよりにもよって、アニメみたいにビビッドな水色に髪を染めることになるなんて。外に出られない、出たくない……。
あっという間に、私の髪と眉毛は落葉さんの薬品によってとても鮮やかな水色に染め上げられてしまった。鏡に映る私は……少なくとも普通の人間には見えない。メイドロボ用の服を着て、ビビッドな水色に染めた髪。そこにヘッドドレスをくっつけ、白いリボンでポニーテールを作れば……。
「はい、マリンちゃんの出来上がり~」
こ……これが、私……? 信じたくないような出来栄えだった。でも……肌が汚いな。今まで自分の肌にそんなことを思ったことはなかった。むしろ常人より綺麗な方だと自信ある。でも、今目の前にチラつく比較対象はメイドロボットのマリンちゃん。あの修正写真並みの綺麗すぎる肌に比べると、随分劣って見えてしまった。
「来るよ! 充電台乗って!」
昼過ぎ。ついに大家さんがやってきた。私はリビングの脇で、朝までマリンちゃんが直立していた白い円形の台座に立った。ほ、ホントにやるの……? 知らないよ、どうなっても……。私はマリンちゃんが日頃どんな姿勢でここに立っていたかを思い出し、両脚を閉じた。姿勢よく背筋を伸ばし、ジッと前を見て、両手をスカートの前で重ねる。これがメイドロボの待機姿勢。髪を直接染めてまでこんな恥ずかしいコスプレごっこを外部の……大家さんの前でさせられるのかと思うと逃げ出したくなってくる。でももう引き返せない。本物のマリンちゃんは落葉さんのベッドの中で布団にくるまっている。全裸のままで。想像すると、何だか彼女から服を剥ぎ取ってしまったかのような気がして、チクリと心が痛んだ。
「これ、実家でとれた野菜です、よかったらどうぞ」
「これはご丁寧に」
私以外の四人の入居者たちが大家さんと話している間、私は一人リビングでジッと立ち尽くしていた。バレてない。まだ。でもキツイ。パントマイムなんてしたことないよ。緊張と羞恥と罪悪感で胸がはちきれそう。ただジッとしているだけのことがこんなに難しいなんて。
「お茶いれて」
「……」
「……?」
一瞬、何があったのかわからなかったけど、四人の険しい表情で察した。大家さんが私に言ったのだ。メイドロボにお茶を淹れるよう言ったのだ。
(え……? え、え、どうすれば)
頭が真っ白になる。どうしよう。ここは……えっと。メイドロボなら……そう、メイドロボとして……動かないと。日ごろマリンちゃんがどんな風に家事をしていたか必死に思い出しながら、私は意を決して体を動かした。
「……かしこまりました」
スカートの裾を両手で軽くつまみながら、お辞儀。それからキッチンに向かった。大家さんはレスポンスの遅さに違和感を抱いたらしく、「故障かねえ」とこぼした。
「いえっ……そんなことありませんよ。ねえ?」
「そうですよ……あー、そう、昨日マリンちゃんとゲームを……」
後ろから流れてくる皆の誤魔化しを聞きながら、私は静かにお茶を淹れた。はぁ……なんで私がこんなこと……。ていうかこれ運ばないといけないのか。近づいたら肌が汚いのバレちゃうよ……。落葉さんも同じ懸念を抱いたのか、こっちにやってきて私に耳打ちした。
「私、運ぶから」
落葉さんが全員分のコップを持っていく。大家さんは自分への点数稼ぎと捉えたらしく、特に怪しむこともなかった。逆説的に彼女が本当にこれまで色々やらかしてきたのだと察せて、ちょっと溜飲が下がった。
やることが無くなったので、私は充電台の上に戻った。さっきまでと同じように足をそろえて気をつけし、両手はスカートの前で重ねる。そしてすべての動きを止める。
(ふう……)
最大であってほしいピンチを脱し、少し落ち着いた。……早く帰ってほしいなあ。こんな恥ずかしい茶番、いつまで続けなきゃいけないわけ?
私だけがいないリビングを眺めながら、私は一人輪から外れてマネキンのようにその場に立ち続けた。
「帰ったぁ~!」「お疲れ~」
大家さんが帰ってから十数秒の沈黙のち、ハウス内の緊張の糸がほどけた。私も大きく息を吐いて、ようやく姿勢を崩すことができた。
「ありがと~! マリンちゃん」
睨みつけると、
「おっとと、メイちゃん」
落葉さんが訂正した。ともあれ、これでようやくこの恥ずかしい姿から解放される。彼女は自分の部屋から素っ裸のマリンちゃんを運び出し、さっきまで私が立っていた充電台の上に立たせた。
「まだちょっとかかるかなー」
あれこそマネキンだねえ、と思いながら私は手袋を脱ごうと手をかけた。
(……あれ?)
脱げない。肌に隙間なく張り付いていて動かない。浮かせようにも……指が入らない。皮膚と手袋が信じられないぐらい癒着していて、手袋を浮かそうとすると必ず皮膚も引っ張られる。
「あ、あの、ちょっと手伝ってください!」
皆はだらけムードで私の話を聞かない。近づいて手袋が脱げないことを訴えると、
「ポテチだしてー」「あ、私コーヒー」「ウチの掃除しといてー」
(……は?)
キョトンとすると、数秒置いて皆が
「あ、ごめーん。マリンちゃんかと思って」
と口々に軽いノリで謝罪した。……私の話聞いてなかった? ていうかマリンはそこの全裸マネキンでしょ! こんな間違いする?
「あの、この手袋……」
「ん~?」
ようやく会話が成立したものの、他の人に引っ張ってもらっても手袋は脱げなかった。それどころか……。
「これ、服もくっついてなーい?」
「え?」
あろうことか、メイド服もニーソもレオタードも、全てが私の肌に皺一つ作らずフィットしたまま、脱げなくなっていた。引っ張ってもダメ。あんなに伸縮性があったのに。指一本、いやもう紙一枚入れる隙間も生じない。私の皮膚と完全に一体化してるんじゃないかと思うほど。な、何これ……これじゃあまるで、本物のメイドロボみたいじゃない!
「ちょ、ちょ、ちょっと、どうするんですかこれ!?」
皆は気まずそうに顔を見合わせた後、
「私関係ないし……」「知らなーい」「あー、課題あったわ」
と言って私から離れていった。
「え? え、え、ちょっと」
じょ、冗談じゃない。これじゃあトイレにも行けやしない。どうしろっていうの。
その後一人でハサミやニッパーやヤスリを工具箱から取り出して色々試してみたものの、どうしてもダメだった。わけがわからない。なんで脱げないの!?
「あー、メイドロボって服の方にも修復機能あるんだって~。だからマリンちゃん直るの遅かったみたい。あはは」
一時間後、メイド姿のまま自室で丸まった私に落葉さんがそう告げてきた。ど、どういうこと? 服の自己修復機能で……癒着しちゃったってこと!? 本当のメイドロボのように!?
「じょ、冗談じゃないですよ! 何とかしてください!」
「え~、でも、メイドロボの服って脱がせないから……」
「私はメイドロボじゃないよ! ていうか、落葉さんのせいじゃん! あなたがどうしてもっていうからこんなことしてあげたのに!」
ふざけてる。悪いのは全部落葉さんなのに。何で私がこんな目に……ていうかコレ本当にどうするの。病院とか行かないとダメ? ……は、恥ずかしすぎる……。メイドロボの服を着たら脱げなくなっちゃいましたなんて……大学に噂が広まったらもう外歩けない。ていうかこの格好で病院行かないとだよね!? あああ最悪!
しかし、病院とかメイドロボの製造元とかに行くのは落葉さんが反対した。そうなれば当然、事の成り行きを明かさねばならず、落葉さんはここを追い出されるばかりか「余計な罪」まで背負わされることになるから嫌だと。
「じゃあ、私に一生メイド姿でいろってこと!?」
「まーまー、そう熱くなんないで。リラックスリラックス」
あ、あんたねえ……誰のせいだと……。
「ていうか、アレでよくない? 元凶の脱がすやつ」
部屋の前にきた先輩が言ったその一言で、流れが決まってしまった。皮膚を溶かす薬品を私にぶっかければ同じように脱げるはずだと。私は反対した。皮膚なんか溶けたらとんでもないことになる。そんなことするぐらいなら恥を忍んで普通に病院に行きたいと。しかし私の反対は通らなかった。今一番集団内で立場が弱いのは私だからだ。元々低身長かつ新入りのせいで弄られポジだったのに加えて、今や髪を水色に染めたミニスカメイドじゃ、いつも以上に「下」に見られるのも仕方なかった。
(ううう……トイレとかどうすんのマジで……)
落葉さんの部屋でぶちまけてやろうかと思ったけれど、幸か不幸かその日、尿意も便意も催すことはなかった。問題はお風呂。脱げないということはこのまま入らざるを得ない。しかし着衣でお風呂に入るのは相当抵抗がある。でもお風呂入らずに一日終えるのも嫌だ。
結局、私はメイド服をバッチリ着込んだままお風呂に入った。
(うう……ごめんなさい)
罪悪感……。メイド服の上からシャワーを浴びると、いつにない虚無感に襲われた。何をやってるんだろう私は……。
身に着けたメイド装備一式はグッショリ濡れることはなく、静かにお湯を弾き続けた。
翌日。大学は休み。土日でよかった。こんな格好で大学なんて行ったら死んじゃう……社会的に。
と思ったのも束の間、休日だから薬品持ち出せないと落葉さん。
「どうしてですか? 入れますよね? 中」
「いやあ、なんかねえ、行ってきたんだけどねえ、厳しくなってて」
やっぱり持ち出しちゃいけないやつだったんだ。ホントにこの人はもう……。
「わ、わかりました。私、行きますから」
「や、ダメ。人いるから」
落葉さんは薬品持ち出し犯人であることも絶対バレたくないらしく、私を研究室に連れていくのにも断固反対した。じゃあどうするの、私明日講義あるのに。
「明日! 明日なんとか盗んでくるから!」
遂に堂々と盗むとか言い出したよこの人。でもそれじゃ講義に間に合わない……はあ。しょうがない、のかなあ……?
「……絶対ですよ?」
「うん! 約束約束! はー終わったー、遊び行こ」
終わった? 何も終わってませんけど。外に出られない体になった私を置いて、落葉さんはそそくさと遊びに出かけた。し、信じられない。自分のせいで人がこんなことになっているのに……。
私はため息をつきながら、自分の髪を結ぶ大きな白いリボンをつまんだ。これも髪と一体化していて取れなくなっている。アニメみたいに大きく、風船みたいに膨らんだこっぱずかしいリボンだ。
(あ……そうだ、髪……)
昨日から水色のままだ。これも染め直してもらわなくっちゃ……。他のハウスメイトたちは何事もなかったかのようにくつろいでいる。休日に私が可愛い服着て室内うろついているのは慣れっこだからだろうか。私は充電台の上でずっとマネキン化しているマリンちゃんを一瞥してから、部屋に引きこもった。
いつの間にか昼寝してしまい、起きると晩だった。リビングに出ていくと、知らない子がいた。油断していた私はビックリして、固まった。挨拶しようかと思ったけど、今の自分がメイドロボの風体であることを思い出し、どうするのが正解かわからなくなってしまったのだ。メイドロボのフリなんかこれ以上したくないけど、バレても面倒だしメイドロボのコスプレをする女だと思われるのも嫌だ……。
「すごいでしょ?」
横に立っていた落葉さんの言葉で、私は我に返った。隣に立っている子は、人間じゃなかった。よーく顔を見てみると、二か月半を一緒に暮らした知ってる顔。マリンちゃんだった。髪を黒く染めて、私の服を着ている。
「え? ……マリン、ちゃん?」
「ね。そっくり」
テーブルにメイク……いや、プラモや機械用っぽいペイントの器具が並んでいる。引き寄せられるようにして私は生まれ変わったマリンちゃんに近づいた。顔が汚い。汚いというのは、人間っぽいという意味だ。テカテカしたメイドロボの肌じゃなかった。
「これなら出席とれるよね」
「は?」
事態が呑み込めず困惑する私も、ようやく合点がいった。こいつまさか……マリンちゃんを私の身代わりとして講義いかせるつもり!?
「だだだダメですよ! そんなの! バレますって!」
「だーいじょうぶ。出席とるだけだから。私も様子みとくから」
メイドロボを代わりに行かせたなんてバレたら私が罰を受けるじゃん。とんでもないことを……。それなら清く休みますといっても、落葉さんは聞く耳を持たない。どうも変な方向に責任感を発揮してしまっているらしい。要らないのに……。
「と、とにかく! 絶対ダメですからね!」
しかしこればっかりは絶対引き下がれない。私の責任になるもん。その日床に就くまで、私は何度も念を押した。
「わかーった、わかったーってば」
わかってるかなあ……。落葉さんはどうもヘラヘラしていて本気かどうか図りかねる。
夜、部屋に入る前に私は充電台の上に佇む「私」を見つめた。ただ髪を染めて私の服を着ただけじゃない。落葉さんのメイクで、かなり私に寄せてある。不気味だった。私そっくりの生きた細胞を持つ存在が、瞬き一つせず白い台座の上に直立している光景は。まるで私が魔法か何かで動きを止められてしまったみたいだ。
「明日、大学行かないでよ。いい?」
マリンちゃんは答えない。胸中に不安が渦巻く。落葉さん、ホント余計な事はしないでよ……。薬品とってきてくれればいいんだからさ……。
それだけを祈りながら、私は今日もメイド姿のまま眠りについた。
私が起きたときには既に手遅れだった。時計は十時を回り、リビングに落葉さんと……マリンちゃんの姿がなかった。行ってしまった。おお、終わった……私の大学……生活……。へなへなと崩れ落ちた私は、先輩の
「あ、起きた? ごめんだけどコーヒーいれといてくれる?」
の言葉に、気がつけば従っていた。放心状態のままコーヒーをいれて、私はヨロヨロとリビング隅の充電台に向かった。
(ううう……どうかバレてませんように)
こうなったらあとはもうそれを祈るしかない。両脚を閉じてスカートの前で両手を重ねながら、私はマリンちゃんが誰とも会話せず帰ってくることだけを願った。
数分後、自分が充電台の上で待機している必要がないことに気づき、気まずい空気の中私は顔を赤く染めて自室に戻った。な、何やってんの私……バカみたい。
昼過ぎ、ようやくマリンちゃんが帰ってきた。落葉さんはいない。
「ただいま帰りました」
「バカ! 行かないでって言ったじゃん!」
「申し訳ありません。そのような指示を受けた記録はありません」
あ、ああ、そうか……昨日はまだ起動してなかったっけ……。いやそんなことより
「で、出たの!? 講義に!?」
「はい、藤原様の代役として出席しました」
「ああー……っ。ば、バレなかったの!?」
「はい」
「スマホ見せて!」
彼女が持っていった私のスマホを奪い取り、メッセージやメールが来ていないか確認した。メイドロボを出席させてサボったことに対する連絡は……ない。友達からの怪しむようなメッセージも……ない、みたい……。
「よ……よくバレなかったね……。でも、もう二度とこんなことはやめてね」
「かしこまりました」
ほんと? 本当に大丈夫だったの? こんないかにもロボットですみたいな対応で?
ともあれ、詳細は落葉さんに聞くしかない。落葉さんを問いただすメッセージを送り、私は充電台に戻った。マリンちゃんが私の部屋に入っていくのをボーっと横目で眺めたのち、
「逆!」
と叫んで自室に駆け込んだ。な、なんなの今日の私……。なんか変だよ……。
キッチンから笑いが起こった。ノリツッコミだと思われたらしい。ううう……違います……。
「とにかく、脱いで! 私の服返して!」
「かしこまりました」
マリンちゃんはあっという間に全裸になった。脱いだ服を丁寧に折りたたむ。いいなあ、服脱げて。メイドロボが服を脱げるのに人間の私が脱げないなんておかしいよ。
そして、裸のマリンちゃんは直立したままジッと私を見た。ただ次の指示を待っているだけのはずなのに、圧を感じた。私にも脱げ、服を返せと言っているかのような。
「あっ……と。私は……脱げなくて」
「はい。メイドロボの服は着脱できない仕様になっております」
「……」
なんか、メイドロボに私がメイドロボだと言われたかのように感じてカチンときた。いやでも気のせい。考えすぎ。うん。リビングに戻るよう指示して私はベッドに転がった。はぁ……。
その後リビングに出るとギョッとした。「私」が全裸で充電台に立っていたからだ。
「ふふふ、服着て服!」
「申し訳ありません、服がありません」
「~っ!」
私は仕方なく、さっき自分の指示で脱がせた服を彼女の前に置き、もう一度着るよう言った。彼女は手慣れた手つきでスルスルと人間の服に袖を通し、着こなした。ああもう……ごめんね脱げといったり着ろといったり。
そして、リビングには私の姿をしたマリンちゃんと、メイドロボの姿をした私という構図に戻った。ものすごくいたたまれない。気まずい……。
服を着せても、充電台の上に立たせていると、落ち着かない。何だか私自身を固めて飾りにしているみたいだ。
「ね……ねえ、待機してなくていいよ」
「何か御用がおありでしょうか?」
「ないけど……うん、えーっと……その辺でくつろいでてよ」
「かしこまりました」
マリンちゃんは充電台から降りてソファに座り込んだ。大分マシな空間になった。そして空いた充電台の上に立とうとして、ハッと気づいた。何で私は隙あらば充電台に立とうとするの!? なんか今日起きてからおかしいよ!
晩。ようやく落葉さんが帰ってきた。が、肝心の薬品は持っていなかった。
「ごめーん、やっぱ厳しくてぇ~」
「ふざけないでください! 私が今日どんな気持ちで……」
「でも大丈夫。明日は人来ないから」
「……」
睨みつけても効果がない。140センチしかないチビ助、それも水色の髪とミニスカメイド姿では。
「明日の講義……」
「大丈夫。マリンちゃんが行ってくれるもんね」
「いや、明日はグループの……」
「じゃ、教えてあげてよ。私部屋戻るねー」
「あ、ちょっ……!」
信じられない。自分のせいだってわかってるの? 人をこんな目に遭わせておいてなにその態度! こっちは別に明日病院や警察行ってやってもいいんですけど!
(……あ、でも)
メイドロボを代理出席させたのもバレちゃうな……。そっちは……たとえ下手人は落葉さんだとしても私の責任に……。ううぅ。
死ぬほど悩んだのち、仕方がなく私はマリンちゃんを自室に呼んで、明日の講義でなるべくボロが出ないよう、知っていることを教えた。誰が友達か、どんな話をするか、その辺のことを。話したところでメイドロボなんかに演技できるのかは甚だ疑問だけど……まさかこんな格好で大学行くわけにもいかないし。冬ならまだ厚着で誤魔化せたのにな。
「では、行ってまいります」
「うん……でも、そういうメイドロボっぽい言動は控えてね……」
私はとうとう、自分の目の前で……彼女を大学に送り出してしまった。これで完全に同罪……。やっちゃった。でも……でもでも、こんな格好で外に出られないし!
うなりながらベッドの上を転がっていると、先輩が部屋に入ってきた。
「そろそろ買い物行っといてくれない? もう冷蔵庫空っぽなんだけど」
「はい?」
ここしばらくマリンちゃんを動かせなかったので、家事が滞っていたらしい。こんな格好だから行けないですというと、
「別に大丈夫でしょ。皆メイドロボだって思うよ。じゃ、頼んだから」
先輩も大学に出かけてしまい、断る間もなく私は取り残されてしまった。
(え……嘘。どうしよう……)
冷蔵庫の中は確かに空っぽだ。今、家には私だけ。……そうだ、マリンに買ってこさせれば……ダメだ。今日は私がスマホ持ってるんだった。連絡できない。
まあいいや、私にそんな義理ないんだし。今までマリンちゃんにまかせっきりだったのがそもそもおかしいんだよ、それぐらい自分で買い物行きなさい。心の中で先輩に説教し、私はソファで横になった。
(……んん?)
気づいた時、カッとまばゆい光が目いっぱいに広がった。寝ちゃってた……のかな?
(あれ? ここは……え?)
自分が横ではなく縦であることに気づき、困惑した。空気感が違う。初夏の日差しが私を照り付ける。往来を行く人たちと、目の前を行き交う車たちが見える。
(……は!?)
ここは外だった。いつの間にか、私は家を出ていたのだ!
(なっ……嘘!?)
嘘だ。ありえない。夢……まだ起きてないんだ私。しかし、これは現実だと全身の感覚が嫌というほど教えてくれる。横断歩道の信号が青に変わると、私の身体が歩き出した。
(どうなってるの……?)
何だか身体が勝手に動いているような気がする。私は歩こうとしていない……はず。わからない。寝起きでまだ……ボーっとしているのかも……。
そして、自分がまだミニスカメイドであること、髪をビビッドな水色に染めて大きな白いリボンで結んでいることを思い出し、顔が真っ赤に染まった。
(や、やだ、見ないで、見ちゃ……ダメぇ)
信じられない。何で私はこんな格好で外を……それも近所のスーパー……に向かっているの……。こんなの知り合いに見られたら一生ものの恥さらしに……。
しかし、日中からメイドのコスプレをした女子大生が往来を歩いている割には、周囲の反応が薄かった。特に誰も気にしていない……ような……。
寝る前の先輩の言葉を思い出す。まさか私……本当にメイドロボだと思われてるわけ……?
だとしたらものすごく腹が立つ。私は人間なのに。でも……今はそう思っておいた貰えた方が好都合なのも……間違いない。恥をかかないという点では……。
何でこうなってるかわからないけど、事ここに至ってはメイドロボを演じ続けるより仕方ない。私は必死に真顔と、機械的な歩き方を維持するよう努めながら、近所のスーパーに向かった。
……が、スーパー内をメイド姿で練り歩くのは往来より数倍の恥辱プレイだった。当然だ。頭おかしいよこんなの。
(私は……私はメイドロボ。メイドロボットのマリンちゃん)
心の中で懸命に自己暗示をかけながら、私は言われた通りの買い物をこなした。ていうか、何買うのか覚えてないのに、自然と体が揃えていくのが不思議だった。何でだろう……。
マリンちゃんがここに買い物に来るのはいつものことだからか、特に誰も格別の注意を私に払わない。ありがたいと同時に、自分が単なるメイドロボだと思われていることへの憤りも感じる。それもこれも全部……落葉さんのせいだ。今日という今日はもう目にもの見せてやらなくちゃ。
家に帰って冷蔵庫内に全部仕舞うと、ようやく私は一息つくことができた。ああ……死ぬかと思った。恥ずかしすぎて。でも一体、なんで私は寝ている間(?)に外に出てしまったんだろう。わかんない……。充電台の上に立ち、待機姿勢で佇みながら、私は皆の帰りを待った。
(……だから何でここに立つのよっ)
自分がまだメイドロボの真似事をしていることに苛立ちつつ、私は台座から下りようとした。しかし、驚くことに下りられなかった。足が動かない。
(あ、あれ……何で)
正確には動かないわけじゃないんだけど、台座から一歩前に進めることができなかった。その動作だけが、何故か行えない。台座の上で足を上下するだけだった。何なの……一体、私の身体どうしちゃったの!?
充電台の上で体をクネクネさせながら、私は誰かが帰ってくるのを待つしかなかった。
「ただいまー」
聞きなれた声で聞きなれない喋り。一瞬誰が帰ってきたのかわからなかった。玄関からリビングに姿を現したのは私……じゃなくてマリンだった。
(えっ……な、なにその喋り方?)
まるで私の……普段の話し方みたい。自分の日常を三人称視点で見ているような錯覚を起こし、足元がぐらつくような不安を覚えた。
「あの。大学はどうだった? バレなかった? 大丈夫?」
充電台の上から話しかけると、
「うん、平気。バレなかったよ」
と砕けた口調で返され、私はショックを受けた。
「そ、その喋り方……」
「メイドロボみたいな言動は控えろって言われたから」
「あっ、ああ……もういいよ。家の中では……」
「はい」
いつもの口調に戻ったので安心すると同時に、さっきまで普段の私をかなりの精度で再現していたことへの衝撃で、私は言葉が出なかった。
やがてソファに寝転び、くつろぎ始めたマリンちゃんに私は助けを求めた。
「ねえ……ちょっといい?」
「はい、何でしょう」
「私、昼間から充電台の上に立ってて……降りられないの。足が……言うこときかなくて」
メイドロボにこんなこと言ってもどうしようもないかもしれないけど、仕方がない。
「はい」
「はい?」
「ご指示はなんでしょう?」
「あ……ええと、私をここから下ろして」
「かしこまりました。藤原様、台座から下りてください」
私の足が勝手に動き、台座から簡単に下りた。両足で床を踏みしめながら、私は呆然と彼女を見つめた。……何で? 何が起きたの? さっきまで催眠術にかかったみたいに動けなかったのに。マリンちゃんが一言いうだけで……。
とにかく、自由になれてよかった。でも……怖い。何かとてつもなく不味い事態になっている予感がする……。
「ね、ねえ。どうして私は充電台の上に立っちゃうのか、わかる?」
「用事のない場合、メイドロボは指定の場所で待機する仕様になっております。この仕様は口頭指示で変更が可能です」
はぁ? 何それ? メイドロボの説明……いや、え? ……私がメイドロボだって言ってる!?
「どういうこと!? 私、人間なんだけど!?」
「はい」
「はいじゃなくて……」
うう。何だかよくないことになってる。それだけはわかる。それだけしかわからない……。脱げないスカートの裾をつまみ、私は落葉さんが帰ってくるのを待った。
落葉さんは今日も薬品を持ってこなかった。それどころか、事態を悪化させる用意だけを入念に準備してきた。
「じゃーん! 生物の友達から貰ってきた皮膚シートでーす!」
まるで人間の皮膚を切り取って標本にでもしたのかと思うような悍ましいシールを取り出し、リビングのテーブルの上に置いた。文字通り皮膚だった。生きた皮膚が皮膚だけで生きている。そうとしか言いようがない。
「マリンちゃん、下脱いで」
「はい」
マリンが下半身を露にすると、太腿に刻まれた製造番号が見えた。緑色に輝いている。あれは絶対除去できないんだっけ。ナノマシンの刺青だ。
落葉さんはシートから皮膚を剥がすと、マリンの製造番号を覆い隠すように、上からペタッと皮膚を貼り付けた。製造番号は完全に皮膚シールの下に隠れて見えなくなった。光も漏れない。
「え? ちょっと、何やってんですか」
「まださー、メイド服脱がすのかかりそうでしょー? その間、メイドロボだってバレちゃまずいしぃ」
あ、た、確かに……。ていうか今までよく気づかれなかったなあ。でもこんなことしていいの?
「で、メイちゃんはこっち」
落葉さんは鞄から横長のシールを取り出した。真っ黒な長方形。何だろう一体……。
「何で私に? 何ですかそれ?」
「こっち来て」
体が勝手に歩き出し、私は彼女の目の前に立った。
(あ……また体が勝手に)
「太腿見せて」
「はい」
出そうとしていないはずの返事が口をついて出た。同時に、私の両手が自分のスカートを掴み、勢いよくたくし上げた。
(……はぁっ!?)
レオタードだけの白い股間、そしてニーソとの間に挟まれた太腿の素肌を晒しながら、私はパニックに陥った。まただ。身体が勝手に動いて、言う通りに……どうして? これじゃあまるでメイドロボみたい……。
(ああっ!)
落葉さんが何をやろうとしているのか察して逃げようとしたが、
「動かないの」
その言葉を聞いた瞬間、スカートをたくし上げたまま姿勢を崩すことも声を上げることもできなくなってしまい、私は自分の股間を全力で見せつけながらプルプル震えることしかできなくなってしまった。
(やめて! ダメッ!)
黒いシールが私の太腿に貼られる。彼女は皺ができないよう丁寧に伸ばしながら入念に私の肌に黒いシールを押し付けた。
(んんんっ!)
抵抗できない。身体が動かない。嫌な顔をしてみせることだけが、私にできる唯一の意思表示だった。だが、抵抗せず受け入れていることで合意を得ていると判断されたらしく、落葉さんは私の表情を一切気にしなかった。
「一時間ぐらいで定着すると思うから、ジッとしといてね」
(いやあああっ! 剥がして! 剥がしてええぇ!)
リビングで全力でスカートをたくし上げた無様な姿のまま、私は一時間も飾り物にされてしまった。誰も注意しないどころか、楽しそうに笑っている。誰も……誰も知らないんだ。わからないんだ。私が身体の支配権を失いつつあることを。だから……私が自分の意志で全部受け入れていると……思われてるに違いない。
(体がっ……体が動かないんですうぅーっ!)
心の中の叫びは、誰にも届くことはなく、あっけなく一時間は過ぎてしまった。
太腿から黒いシールが剥がされる。鏡の前に行くよう言われた私は指示に従い、鏡の前に立った。そして再びスカートをたくし上げると、私の太腿にあってはならない光があった。緑色に光る7091の製造番号が……。
「すごいでしょ。洗っても落ちないから安心してね」
「ふ、ふざけないでください!」
よ、よくも……よくもこんな……これじゃあ私、本当にメイドロボじゃない! 百歩譲ってマリンのを隠すのはわかる、でも私にこんなことする必要があるの!?
「大丈夫。本物じゃないから。タトゥーシールみたいなもんだから」
「私、メイドロボじゃありません! すぐとってください!」
「でも、マリンちゃんが大学行く間はあなたが代わりにならなくちゃ」
「何でですかっ! 私は……」
マリンが私の代わりをするのはともかく、私がマリンの代わりをする必要なんてない。そう言おうとした矢先、
「こら、我がまま言っちゃダメでしょ!」
「……っ!」
簡単な一言で、私は沈黙させられてしまった。口をパクパクさせながら、私は声にならない言葉をうめいた。
それからは地獄みたいな新生活が始まった。マリンちゃんが藤原芽衣として大学に行き、私はメイドロボットのマリンちゃんとしてこのシェアハウスの家事一切を任された。やりたくないのに体が勝手に動くからどうしようもない。皆に言っても信じてもらえない。そりゃそうだ。身体が勝手にメイドロボとして振る舞いだすなんて、常識じゃありえない話だ。当の私でさえ、現実だと受け入れ辛いのだから。
何故こんなことになってしまったのか、考えられる原因は……一つ。自動修復機能。確かこの服にもあると聞いた。私はおそらく……いや、間違いなく、その機能で「修復」されているに違いない。つまり……私は本当にメイドロボに改造されつつあるのだ!
余りにも馬鹿げた話だけれど、そう考えれば全ての辻褄が合う。脱げなくなったことも、体が勝手にメイドロボっぽく振る舞いだしたのも、皆の命令を聞いてしまうことも……。この推測の最大の根拠は、トイレに行った記憶がないことだ。思い返してみれば、この服を着てから一度もトイレに行ったことがない。人間の身体のままだったなら……ありえない。
と、とはいえ……完全に自由が失われたわけでもない。
「マリンさ……ちゃん! 台座から下りていいって言ってください!」
「はい。台座から下りていいです」
「ふうっ……」
まさか充電台から下りるのにメイドロボに許可をとらないといけないなんて……。でもこのままじゃそのうちそれすら封じられそうだ。手遅れにならない間に病院……いや警察に行こう、友達に助けを求めようと思っても、
「マリンちゃん、お茶」
「……はいっ!」
誰かが私に用事を言いつけて邪魔をする。いや多分そんなつもりないんだろうけど。しかし困ったことにこれでリセットされてしまう。お茶を淹れた後、私は充電台に戻って待機姿勢に戻される。先輩に下りる許可を求めても出してくれない。うううっ……意地悪……。皆は私が好きで、或いは納得ずくでメイドロボごっこしていると勘違いしているだろうから無理もない……けど……。常識で考えてそんなことありえないって……わからないの!?
日が経つにつれ「修復」度合いはますます高まり、私の自由は奪われていった。時間の大半はシェアハウスの家事。かつてマリンちゃんがやっていたこと全てを、私が担わされている。皆の命令も体が勝手に聞いてしまう。逆らうことができない。空白時間はやはり充電台で待機。とうとう自発的に喋ることもほとんどできなくなってしまい、私は誰かに助けを求めることすら封じられた。しかもいつの間にか皆、私の方をマリンちゃんと呼び、マリンの方をメイちゃん、藤原さんと呼ぶようになっていた。皆からすれば当然の成り行きかもしれない。大学に行っているのはあっちであり、アニメみたいな髪色でメイド服を着て家事をして、太腿に番号が刻まれているのは私の方なのだから。それでお互い何も文句を言ってこないのだから、事態を打開しようとは誰も考えない。落葉さんでさえ、もう薬品のことなどすっかり頭から抜け落ちているらしく、マリンをメイちゃんと呼んで可愛がり、可愛い服を着せて遊んでいる。私はそれをメイドロボマリンちゃんとしてリビングの隅から眺める日々だった。
「マリンちゃん。メイちゃんが忘れ物したみたいだから届けてあげてくれない?」
「かしこまりました」
ある日、私は大学にお使いに行かされた。当然、メイドロボとして、メイドロボの姿のままで。
久しぶりに見る大学。何も変わっていない。変わっているのは……私の方だ。
(やだ……やだ、こんな姿で……こんな格好でっ)
知り合いが大勢いるところを、水色の髪とミニスカメイド服で歩かされるなんて最悪の痴態だ。でも歩みを止めることができない。
「藤原様。お忘れ物です」
「ん? ああ、ありがと」
(何でよ、藤原は私でしょ!)
メイドロボを自分の名前で呼ばなくちゃいけないなんて、こんな屈辱があるだろうか。しかも、友達の前で……。皆が私を見ている。
「この子、マリンちゃんていうの。私のシェアハウスのメイドロボ」
マリンが皆に私を紹介した。私はニッコリ笑いながら、スカートの裾をつまんでお辞儀する。
「メイドロボ7091号、マリンです」
(違う! 私が本物よ! 本物のマリン……じゃなくて藤原芽衣!)
「へー、いいなあ」「可愛いー」「ウチも欲しいなあ」
誰一人、私に気づかない。私が人間だとも、藤原であることも。用事を終えた私は別れの挨拶をして帰路につく。後ろから楽しそうな談笑が聞こえる。誰も気づいていないようだった。彼女が人間でも藤原芽衣でもなく、メイドロボのマリンであることを。疑いもしていない……。
その日充電台の上で、私は一人泣いた。どうして……どうして誰も気づいてくれないの? 誰か……誰か助けて。元に戻して。私を……私の人生を……。
月日が経ち、春が来た。信じられないことだけど、私はあれ以来元に戻ることはおろか、本物の藤原芽衣だったことすら一回も言及されないまま、落葉さんの巣立ちを見届けねばならなかった。
「卒業おめでとー」「よかったねえ。ギリギリじゃん」
「あっはっは。ホントヤバかったーぁ」
(落葉……落葉さんっ……!)
私は心の中で必死に訴えた。こっちに気づいて、思い出してと。まさか……まさかとは思うけど、私をこのまま放置してここを出ていくなんてことないよね? ありえないよね? ね?
しかし、そのまさかだった。私は純粋なメイドロボとして彼女に引っ越しを手伝わされ、シェアハウスを出ていく彼女を見送る一隊に加わった。
「皆元気でね~」
「さよならー」「またねー」
(待ちなさい! 待って! ねえ! ダメ! 置いてかないで! 忘れたの!?)
私を……後輩を、それも毎日同じ家で暮らしている人をメイドロボにしてしまったことを、すっかり忘れてるっていうの!? 本当に信じられない、信じたくない……。彼女がこのまま去ってしまえば、私を元に戻せそうな人、戻す理由のある人がいなくなっちゃう……!
「マリンちゃんも、四年間ありがとね~。ホント助かったよー」
その言葉に反応したのは……マリンではなく、私の身体だった。
「こちらこそ、これまでありがとうございました」
私をメイドロボに改造して人生を奪った相手に向かって、私は深々とお辞儀をさせられた。腸が煮えくり返り、怒りと悔しさで頭がどうにかなりそうだった。
そして私は笑顔で手を振り、落葉さんが視界から消えていくまで見送った。
(あ……あ)
こ、これで私はもう……完全にメイドロボに……なっちゃった……。
「メイドロボ7091号、マリンです」
「キャーかわいい! この子って自由に使っていいんですか? 時間割とかあります?」
「特にないから、好きにしていいよ」
年度が変わると、新しい住人がシェアハウスに入ってきた。この子に向かって、私はメイドロボとして挨拶してしまった。何も知らないこの子は、間違いなく心の底から私のことを正真正銘のメイドロボだと思っただろう。そして、ゾッとした。このまま年がたっても元に戻れず、事情を知る残り三人が皆ここを出て行ってしまったら……。その時こそ、私は永遠に元に戻れなくなってしまう。完全にメイドロボになってしまう。シェアハウス備え付きの、家具に……。
悪い予感ばかり当たるもので、懸念は現実となった。誰一人私を助けることもせず、一人、また一人とシェアハウスから巣立っていく。私だけが残され、私の真実を知らない人が多数派になっていく。
(お願い……神様、助けてください……。わ、私……このまま一生メイドロボだなんて嫌です……)
しかも、あろうことかアニメみたいな水色の髪にミニスカニーソなんてコスプレ染みたデザインで。
しかし私の嘆願が天に聞き入れられることはなく、とうとう最後の一人……つまり、旧マリン、現・藤原芽衣の卒業の時がやってきた。大学生活のほとんどを私に変わって過ごした乗っ取り相手が……いなくなる。も、もし彼女が今後人間として生きていくのなら……私は、私……は……。
(マリン……お願い、あなたなら……私を助けて、私を返して)
でもかつてのメイドロボは自分の身代わりを人間に戻そうとはしなかった。淡々と私のシミュレーションを今も行い続け、どうやら……内定もとったらしい。嘘……嘘でしょ、そんな……。
そしていよいよ「私」の最後の希望を打ち砕き、メイドロボとして生き続けることを確定させる日がやってきた。「藤原芽衣」がシェアハウスから出ていく日が。
四年前、ここに入居する際にマリンが荷物の搬入を手伝ってくれたことを思い出した。今や立場も存在も逆転し、私が彼女の……いや私の荷物の搬出を手伝っている。
(私……私も連れてって。ここに残されたら私……。もう誰もいないの。あなたしか本当のことを知らないの。お願い……)
ここ三年間がそうだったように、私に自主的な発言機会は訪れない。身体が、口が、動いてくれない。私の意志では。
「今まで、本当にありがとう! 皆元気でね!」
マリンが私と後輩たちに向かって別れの挨拶を叫ぶ。私は後列から黙ってそれを眺めていることしかできない。
(ダメっ……行かないでっ……助けて……マリン……)
「じゃあね~!」
マリンが歩みだした。シェアハウスから旅立ってゆく。人間・藤原芽衣として……。私はメイドロボ・マリンとして、凍り付いた笑顔で姿が見えなくなるまで見送った。そして見送りが終了すると、一礼して背を向け、シェアハウスに戻らされた。行く先はリビングの隅……私のあるべき場所。メイドロボの充電台。
(あ……あ、あぁ……)
気の抜けた思いで両脚を閉じ、背筋を伸ばし、スカートの前で両手を重ねた。今、この瞬間をもって私も卒業を迎えてしまった。人間からの卒業。もう私が人間だったことを知る人は……シェアハウスに誰一人残っていない。完全に「修復」された体と、太腿の製造番号が、私を再定義してくれる。シェアハウス備え付けのメイドロボットとして……。
「それから、この子はマリンちゃん。ここの備品だから、自由に使ってね」
「メイドロボ7091号、マリンです。工藤愛子様は本日よりユーザー登録されております。何なりとお申し付けください」