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「石田さん、行方不明なんですって?」 「ええ……そのようで」 「その子、何かいじめとか受けてましたか?」 「さあ……あまり友達はいなかったようですけど」 「なるほど」 またアレかな。俺は夜中、学校に残ることにした。もしも地蔵に願ったのなら、この校内のどこかにいるだろう。 生徒も教師もいなくなった真夜中。俺は一人で校内を散策した。静かに耳を澄まして。うめき声が聞こえる。しかし、その発生源は勝手知ったる3Bの教室からだった。俺は中に入り、微かに震えながら嗚咽をする机に近づいた。 「ちょっと静かにしてくれないか。また誰か転生したかもしれないんだ」 俺の言うことが聞こえているのか、意識があるのか未だ定かではないが、机は静かになり、震えるだけとなった。俺は教室を後にして、再び耳に神経を集中しながら校内を歩いた。その後同じようにピアノと人体模型に注意した。最終的に美術準備室から新しい泣き声が聞こえることを発見し、鍵を持ってきて中に入った。 明かりを点けると、奥に置かれた彫刻が泣いているのがわかった。我が校の制服を着た女子生徒の彫刻。目の下だけが水で濡れている。スマホに石田さんの写真を映して見比べた。うーん、まあ石田さんをモデルにしたと言われればそんな気もするが。 「石田か?」 俺が尋ねると、泣き声が止んだ。代わりに油の切れた機械が擦れながら動くような鈍い音が鳴った。動こうとしたのかもしれない。が、特にどこかが変わったようにも見えなかった。等身大の彫刻ともなると重すぎてダメなのかもしれん。 「まあ……なんだ。頑張れよ。じゃな」 行先が判明しスッキリしたので、俺は準備室の明かりを落としてその場を去った。また泣き声と、表現しづらいうめき声が背中から聞こえてくる。可哀相だとは思うが、俺にはどうしようもない。第二の人生……いや彫刻生を頑張ってくれとしか。 駐車場に行く際、ちょっと寄り道した。校舎裏の陰に設置されたもの寂しい地蔵。気の毒な石田さんに代わり何か言ってあげようかとも思ったが、何も思いつかなかったのでやめた。今回は割と恵まれた方か。人の形してるもんな。生前の顔やスタイルも概ね反映されてるし。 俺は納得してその場を離れ、駐車場に向かった。学年も違うし、俺には関係ないことだ。どうしようもないしな。……これで七不思議がまた一つ増えるか。 この高校には古くから不思議な伝説があった。自分がここの生徒だった時代からある、寂しい地蔵。いじめられっ子があの地蔵に願うと、新しい人生に生まれ変わらせてくれるという。いわゆる怪談みたいなもので、基本的には話のネタにしかならない。しかし、いじめられて絶望に陥った生徒の中には、そんな藁に縋る者も出るらしい。それで、この学校は数年に一度、生徒が消える。いじめや生活苦を理由にしての失踪ということになっているし今回もそうなるのだろうが、俺は真相を知っている。そいつらは全員、伝説通り生まれ変わっているのだということを。 転生先が人間だとは誰も言っていない。小学生のような屁理屈で、地蔵に転生を願った人間は、この高校の備品になってしまうのだ。……いや、ひょっとしたら実際はまともな転生ケースもあるのかもしれないが、そんなことは確かめようがない。俺が知っているのは、この高校の生徒が失踪するたびに、夜中すすり泣く備品が増えるということだけだ。 このことを知っているのは俺だけだ。もしかしたら他にも察している人間はいるのかもしれないが、誰も口にするのを聞いたことがない。まあ、信じちゃもらえないだろうからな。俺も人に話したことはない。何故俺がこのことを知っているのかは、在校時にたまたま同級生が人体模型になるのを見たからに過ぎない。 隣のクラスでいじめられていたらしいトロい男が、ある日家に帰らなくなった。その数日後、忘れ物をとりに高校に忍び込んだ俺は、生物室の隣の部屋から聞こえる恐ろしい嗚咽に気づいた。しかも偶然、鍵がかかっていなかった。失踪の件で先生方は慌ただしかったのだろう。かけ忘れたのだ。 中に入ると、声が止んだ。部屋には一度も授業で見たことないような器具が置かれた埃臭い棚が両側に並んでいた。その奥、棚の隣。人体模型があった。高校にこんなんあるんだなと思いながら近づくと、その模型の顔と体型は、消えたトロ男にそっくりだった。そして、目から透明な液体を流しながら、カタカタと全体を揺らしていたのだ。そしてその口から再びうめき声が流れ出すと、今度は俺が叫ぶ番だった。全速力で逃げたのを覚えている。 日中はその人体模型は静かだった。動きもしないし嗚咽もしない。俺の話は誰も信じちゃくれなかった。放送部が新たな七不思議として採用しただけに終わり、そいつは未だに行方不明だと聞いている。 既に存在していた七不思議のひとつ、すすり泣くピアノを確認しに高校へ忍び込んだのはその年の夏だったか。ピアノは誰も触れていないのに散発的に音を鳴らし、ピアノの音に混じって時折人の声のようなものを聞いた気がした。ピアノの足を撫でると、どことなく柔らかいような感触を覚えた。 昔のこの高校の失踪事件や自殺を調べ、俺は候補と思われる名前をリストアップし、後日ピアノに尋ねた。夜中ピアノに名前を尋ねる自分の方が恐ろしいなと内心呆れつつ。が、ある名前が出た瞬間、ピタッとピアノの音が止まり、人の声だけになった。大人が赤ちゃんの声真似をしているかのような、不気味な女性の鳴き声だった。また怖くなって俺は逃げ去った。 七不思議の一つに、例の地蔵は既にあった。七不思議調査の最中、その二つを結びつけることは自然な流れだったろう。俺はあの地蔵がいじめられっ子たちをピアノや人体模型に転生させたのだと結論付けた。証拠は何もなかったし、別に何か解決策が浮かぶわけでもなかったが。 スッキリしたので、俺はそれ以上深入りしなかった。呪われそうで嫌だったし、模型の奴も話したことすらない奴だったから、別に興味はなかった。 大学卒業後、母校に教師として戻ってきた後、また一人この高校から生徒が消えた。机からすすり泣く声を聞いた時は流石に俺も黙っていられなかった。地蔵に対して俺はもう少しましな転生をさせろ、ていうか転生させるなと懇願したが、地蔵が俺の言葉を聞いたかどうかはわからない。机になった赤枝を地蔵の前に運び再転生できるかどうか実験してみたが、特に何も起こらなかった。再転生はできないのか、あるいはもう赤枝の意識はないのか……。泣いたり震えたりしているからあってもおかしくはないのだが、地蔵に転生を願うような複雑な思考はもうできないのかもしれない。 地蔵の処分はできなかった。俺自身何か罰を受けそうで怖かったのと、赤枝たちが永遠に元に戻れなくなることを自らの処断で確定させることができなかったのだ。そんなわけで、地蔵とその犠牲者(?)たちは今も変わらずこの高校に居続けている。 しかしまあ、彫刻なら人の形を保っているからまだマシな方かもしれない。簡単に捨てられることもないだろうし。もしかしたらあの地蔵は俺の言葉を聞いていたのかも。車を運転しながら、俺はぼんやりとそんなことを考えていた。特に何か出来るわけでもないので、それで納得して日々に帰るしかなかった。 文化祭前。これから椅子や机はあっちこっち動く。赤枝の見分けがつくように、俺は裏にペンで適当な落書きをしておいた。ちょっといつもと違う声がしたような気がしたが、まあいいだろう。文化祭当日、個人的に目を引いたのは手芸部だった。着せ替え人形……いやドールと言うのか。可愛らしいヒラヒラの服を着てチョコンと座っているのが記憶に残った。教師になってからの文化祭は毎年のことなので、いつもと大きく違うものがあると注意を惹く。 「これは私物かい? 高そうだが」 「部の備品ですよー。手芸部の人形です」 「ほう」 学校の金でドールなんか買ったのか。内心呆れつつ、関係ない部の活動に口出しすまいと俺は褒めるだけにしておいた。よもや来年に俺が顧問になろうとは、この時は夢にも思わなかった。 年末、また一人生徒がこの世を去った。今度はいじめではなく生活苦による心中ということだったが、娘の方の遺体は何故か発見されなかった。まあ、噂によるとヤーさんに借金していたそうなので、推して知るべしという空気だった。だからすっかり油断していた。今回は地蔵関係なしだと思っていたので、ひっそりと「新人」が現れていることにしばらく気づかなかった。俺が彼女を見つけたのは年越し前。皆の様子を見に夜まで居残った日のことだった。 家庭科室の隣からガタガタと音がする。何か軽くて固い物の振動音だった。気になったので中に入って明かりを点けると、やや清潔な棚の奥、机の上に鎮座している人形が目にとまった。手芸部が文化祭で展示していたドールだとすぐわかった。着ている服は変わっているが、その見た目は……んん……何か違うような。 次の瞬間、ドールがカタカタ震えた。全身を振動させながら。そして驚くべきことに、表情が……変わった。俺をしっかりと見据えて、まるで助けを求めるかのように懇願する憂いの表情だった。俺はビックリして固まった。ドッキリか何かか……? いや。この現象は……あの地蔵の転生……でもあれは校内の備品限定では? いや……このドールは部の……備品、か? 「……花咲か?」 俺が声をかけると、ドールはピタッと動きを止め、顔がぱあっと輝いた。肯定だと思っていいだろう。しかし……まさか。地蔵とは関係ないケースだと思っていたのですっかり不意を突かれてしまった。……一応確認しておくか? 「あの校舎裏の地蔵。使ったのか?」 ドールは押し黙ったまま、瞼を上下させた。肯定……か? 「そうだったか。まあ、その……達者でな」 そう言って立ち去ろうとすると、また花咲がガタガタ動いた。俺は驚いた。今までこんなに激しく動けたケースはなかったぞ。人形だからか? 関節あるもんな……いや、全体の姿勢は一切動かせていない。ポーズは両足を伸ばしてぺたんと座り込んだままだ。 しかも、表情を変えられるとは……。人間に近い姿だからか? 人体模型と彫刻の時はここまで動かなかったが。 いつもならサッサと引き上げるのだが、あまりに悲痛な表情をするので、俺は負けた。知っている限りの情報を話し、俺は何もしてやれることがないと言うと、花咲ドールはしょんぼりと落ち込むような表情を浮かべた。ここまで人間っぽい反応をちゃんと返されると心が痛くなる。 別れを告げて教室へ。机は相変わらず声にならない声を絞り出すだけで、表情などない。まあ、顔自体存在しないのだが。生きてる(?)ことだけ確認したらいつもならサッサと立ち去るのだが、何となく今日はそういう気分じゃなかった。人形の新人が来たこと、そいつはもっと動けたぞと伝えると、机はしばし動きを止めた。それからちょっと激しく振動するようになった。 「まあ……頑張れ」 ピアノと人体模型と彫刻にも同じように伝えてから、俺は駐車場に向かった。しかし人形とは……。大当たりだな。俺は素直にそう思った。過去あそこまで人間っぽい姿で備品化した例はないんじゃないか。まあ人体模型はそうだが……見た目がグロいとこあるからな。ドールだから当然と言えばそうだが、あんなに整った可愛らしい姿に転生できたのは大当たりと言っていいはず。ましてや女子だ。元の花咲がそこまで美少女だったかというと疑問が残るが、まあドール化の際に美化されたのだろう。 もしかしたら、地蔵は地蔵なりに改善を試みているのかもしれない。……手芸部にもっと人形を買わせるべきだろうか。俺の脳裏にそんな発想がよぎった。でも表向きの通す理由もないし厳しいか。 それから、俺はちょいちょい手芸部の様子を顧問の先生に尋ねるようになった。花咲ドールはこれまで通り可愛がられているようだが、誰も死んだはずの生徒の成れの果てだとは気づいていないらしい。日中は動かないんだよな。備品たちは。 見た目が可愛いのと、感情表現が比較的豊富なのとで、俺は以前より高頻度で彼女を尋ねるようにもなった。大体いつも可愛らしいドレスとかアリスの衣装とかロリータとか着せられていて、可愛らしく仕上がっていた。可愛いじゃないか、似合ってるなどと声をかけると、恥じらい混じりの照れるような表情を浮かべた。 翌年度、顧問の入れ替えがあった。俺は手芸部を積極的に引き受けた。日中の彼女の様子を見てみたいと思ったからだ。 女子部員に文字通り着せ替え人形にされて、アレコレ服を着せられたり、ポーズをとって撮影されたり、中々の人気ぶりだった。ピクリともせず表情も変わらないが、どことなく漂う生気は皆も感じているのかもしれない。まるでペットみたいな接し方だった。 そういうわけだから、彼女だけ七不思議にも未登録だった。夜の間も俺が尋ねるまでは静かなことが多く、他の連中と違って気がつかれないらしい。見た目が可愛い上に割といい扱いされてるもんだから本人も意外と満足なのかもしれない。 しかし、彼女の問題は本人の外にある。俺が余計なことを言ったのが悪かったのか、夜の校内は七不思議が全体的に活性化しつつあった。見物に来る生徒も増えて、余計な対応をとらされる羽目となった教職員は憤懣やるかたなしといったところ。夜の学校に来るなとお触れを出しても、それがまた呼び水となってしまう。 人体模型も表情を変えだすし、彫刻は日に日にちょっとずつ指が動いているし、ピアノも輪をかけて煩い。机に至っては驚くべきことに、脚を持ち上げ一歩を刻んだ。やれやれ……そのうち妖怪の巣窟になるんじゃないのか、この高校は。 春。年度の切り替わりに赤枝の机が捨てられないよう、神経を尖らせないといけないので地味に気を遣う時期だ。ただでさえ通常業務もいっぱいいっぱいなのに。その上、今年はまた嫌な役を引き受けなければならない。新入りの備品である花咲ドールに最初の試練が訪れる。同級生の卒業。真に人間から備品になるための通過儀礼と言っていい。自分だけが動くことも喋ることもできないまま高校に取り残されるという現実をいよいよ実感を持って突き付けられる季節。今だけではなくこれからも、同じ年齢、同じ人間だったはずの同級生たちが巣立ち大人になっていくのに、モノになったまま世界から取り残されていくのだ。可哀相でならない。花咲も卒業式後は流石に精神に来たのか、以前ほど明るい表情は見せなくなった。これから死ぬまでずっと人ですらない存在としてただただモノ扱いされ続けるだけの人生が続いていく絶望。それを味わうのが同級生の卒業となる。……だろう。赤枝もその時分はずいぶん落ち込んでいた……ように感じたものだ。 容姿が人間に近く愛らしいせいで、赤枝の時より不憫に感じた俺は、頭を軽く撫でたり動画を見せてやったりなどしてスキンシップを図った。冷静に考えたら机になった赤枝の方が絶対不憫なのだが……まあ、人間というのは自分に近いものの方に感情移入しがちというし。 不公平かなと思った俺は、赤枝机の方にもこれまでにない対応を図った。撫でてやったり雑談してみたり。すると日に日に赤枝の反応も大きくなってきた。金属とは思えないほど、グニャグニャ脚が曲がるのだ。まるでリアクションをとっているかのように。花咲ドールもちょっと手を一瞬上限させることがあった。興味深い変化だった。ひょっとして何か? コミュニケーションとったら可動域が広がるのか? ……何故? 疑問に思いながら生きた机とのスキンシップを続けていると、いよいよおかしくなってきた。柔らかい。机に触ってみると、まるで人肌みたいな感触があるし、少し指が沈む。木製のはずの天板が布のようだ。以前落書きした裏側の金属部分を撫でると全体がビクッと揺れる。大丈夫か? そろそろ壊れるのかな……。と思った矢先、さっき触れたところから、天板の色が変わりだした。まるで水に入れた絵具が溶けて広がっていくかのように。肌色が徐々に伝搬していく。それもただの肌色じゃない。文字通り、人の皮膚のような皮……いや肉だ。木製の天板が肉感を持った人の肌に変わっていく。その光景は言葉にしがたいような気味の悪いものだったが、不思議と目を逸らすことができなかった。 変化は天板全体に行き渡ることなく途中で止まり、さっきとは逆にまた固い木製に戻っていく。最終的に何事もなかったかのように単なる机に戻ったが、俺は興奮を抑えきれなかった。これってひょっとしてもしかして……元に戻ろうとしてるのか? 人間に? これまで夜の見回りは週に一回程度だったが、思い切って毎日通った。そして他のメンツは切り捨てて、俺は赤枝の机に出来る限り構い、話しかけたり撫でたり抱きしめたりしてみた。肌色の広がる範囲と速度は日に日に増していく。半月あまり続けると、ついに金属部分も肌色に変わるようになった。 そして、ついにその日がやってきた。天板も金属部分も全てが肌色の、生々しい肉感ある物体に変わると、徐々に四本の脚が太くなりだした。右側の二本の脚は、そのうち先端が溶けるように床に広がり、人が溶けたような肌色の流体に切れ目が入っていく。机の足先が四股に別れ……手だ! 反対側も同じような変化が起きていた。足先がやや長方形のように広がると、右側よりも短い切れ目が入り、五本に分かれていく。それは足の指に相違なかった。 人の手足のように太くなった四本の脚。それを繋いでいた貫は対照的にやせ細り、プツリと途切れて消えていく。木製の天板と金属の幕板は同じ肌色に覆われ一体化し、徐々に角が取れて丸みを帯びていく。人の……人間の胴体のように。そしてその右側から、ぷくっとした膨らみが突き出たと思うと風船のように大きくなっていく。頭だとすぐにわかった。やがて机だったものは四つん這いの人間を不器用な人間が粘土で模したかのような、中々生理的に気持ち悪い肉のオブジェに変貌した。そこからは簡単だった。形が整い爪が生え膝や肘が埋まれ、肉のオブジェはあれよあれよというまに四つん這いの人間に変身していった。 最後に蒸気が噴き出すかのように、頭部分から黒い髪が一気に生えそろった。俺は息を呑んだ。もはやどこにも机はない。そこにあるのは、四つん這いで佇む若い女の子だった。……全裸の。 「赤……枝?」 おずおずと声をかけると、ジッと床を見つめていた彼女の頭がゆっくりと持ち上がった。バキバキと音がする。俺は彼女の真正面に回った。 「せん……せ」 焦点のハッキリしない濁った眼。動かない唇から初めて聞く声になった声。次の瞬間、 「あっ」 と彼女が叫び、また下を向いた。そしてさっきとは逆の変化が起こった。まるで逆再生を見ているかのようだった。髪が溶けて消え、頭が徐々に小さくなっていき、胴体の中に溶けていく。四つん這いの姿勢から一切動かないまま、手足は単純な細い棒となり、そこから溶け出した貫に繋がれ、やがて……肌色を失い、元の木製の天板と金属の脚に戻ってしまった。 「赤枝……」 俺は彼女を撫でてやり、存分に労わった。まさか……こんな日が来るとは思いもしなかった。元に……人間に戻るなんて。わずか一瞬だったとはいえ。でもきっと次は、そしてそのまた次は……ちゃんと元に戻れるんじゃないか? それからも毎夜俺は赤枝の人間復帰を応援しに夜の学校に通った。人間に戻れる時間は僅かなものだったが、間違いなくその時間は日に日に伸びていた。そしてある夜、とうとう彼女が十年近く強要され続けた四つん這いから姿勢を変える日がやってきた。身体中バキバキ骨を鳴らしながら、彼女はゆっくりと、懸命に手足と腰を動かした。 「ゆっくり……ゆっくりな。無茶するなよ」 そしてついに、彼女はやり遂げた。床に腰を下ろし背中を伸ばし、座り込んだ。人間らしい姿勢をとることに成功したのだ。 目の焦点も合うようになってきて、言葉も呂律がしっかりしてきた。 「せん……せ。あり……がと……」 「いや……すまない。何年もほとんど放置してて……」 ただ見回るだけで済ませていた最初の数年が悔やまれる。あと、状況が状況なのでお互い言及することなく無視していたが、夜中に全裸の女子高生とこうして相対しているのは色々と不味いな……。次から何か羽織るもの持ってくるようにしよう。 やがて彼女がおぼつかない足取りで立ち上がり、五分以上人間を維持できるようになると、俺は下着や簡素な上着を持って訪ねることにした。だが、下着は失敗だった。机に戻るときパンツは破れてしまうし、夜な夜な机の脚にブラジャーを絡ませる中年男性の図が誕生してしまうからだ。観念してゆったりしたワンピースだけにした。それも机に戻ると大概やばい絵面になってしまうのだが。誰も来ないことを祈るばかりだ。 そして、彼女が立ち上がるようになると、少々気まずい思いをさせられた。他の机と区別するために書いた適当な落書きが、人間に戻っても残っているのだ。……ちょうど下腹部に。しかしまだほとんど机なのだから消すわけにもいかないし、そもそも消す行為自体がもう……。お互い言及しないのが暗黙の了解だった。 十数分人間でいられるようになると、脳も調子を取り戻してきたのか、ようやくまともに会話することができるようになった。やはり自殺気分で地蔵に願っていたのだという。いじめから逃げられればなんでもいい。と。しかし当然ながら、まさか机にされてしまうとは思わなかったようだ。動くことも喋ることもできず、歳を抜かしていく後輩たちに机として使われ続ける数年間はどれほど辛かったことだろう。……まあ、これからも当分続くのだが。日中は完全に机になってしまうことはまだ変わらない。 赤枝は俺の訪問だけが心の癒しだったことも明かし、泣きながら礼を述べた。人間だと理解している唯一の存在だったからだろう。俺は素直に礼を受け取る気持ちにはなれなかった。もっと早く助けてやることも出来たはずなのに。 備品化した生徒たちは皆、いじめや生活苦を理由にこの世を去りたかった子たちばかり。人間に戻す方法は、ちゃんとした友達や味方を作ってやることだと言われれば、なるほど納得だ。 俺が知る限りではまだ四人、モノになって苦しんでいる子たちがいる。他にもいるのかもしれないが、俺にはわからない。元に戻す方法が分かった以上、大人として教師として放置というわけにもいくまい。俺はしばらく赤枝はほっといて他の子に回ると宣言したが、彼女は不服そうだった。寂しげで儚い面持ちに胸が痛んだが、わかってほしいと説き伏せた。 同時に、彼女にも働いてもらうことにした。 「生物室の隣の準備室。わかる?」 「どこでしたっけ」 「東棟の3階。あとはいけばわかるよ」 人体模型の友達になってあげて欲しい、とお願いした。自分が赤枝にしてあげたように、優しく接してあげて欲しいと。 「……わかりました」 俺は手持ちの中で最古参であろうピアノと仲良くなることに決めた。彫刻とドールはあとだ。特に人形は見た目で色々得しているし。ラストでも罰は当たるまい。 そうして、毎夜ピアノに語り掛ける、はたから見てれば頭がどうかなったとしか思えない行動が、俺の新たな日課になった。しかし俺が学生だったころ既にピアノ化していた女というだけあり、大分手ごわい感触だ。長くなるかな……。 そして、東棟の廊下で机に戻ってしまった赤枝を運ぶ作業も中々に俺を悩ませた。女もののワンピースを被った机が学校の廊下に放置されているところを誰かに見られたらコトだ。出来ればちゃんと教室に戻ってほしいものだが、机化タイミングは本人にも図りづらいらしく、中々そういうわけにもいかなかった。生物の準備室は狭いので、常時赤枝を置いとくわけにもいかんのだよなあ。生物の先生たちに邪魔だと言われるだろうし。捨てられでもしたら敵わん。 「あの……私、どうすればいいんでしょう?」 「何の話だ?」 「もし完全に元に戻れたら、です」 「うーん……」 赤枝は家庭でも扱いが酷かったらしく、家には帰りたくないらしい。一度調査してみたが、確かに十年近く失踪していた娘を暖かく迎え入れてくれそうな家庭ではなかった。残念なことだ。それに多分、明らかに歳を取っていない理由もでっちあげるのが難しいな。 ピアノの鍵盤を撫でていると、赤枝がもたれかかってきた。 「……私、法的には二十五歳なんですよね?」 「何が言いた」 ジャーン! とピアノがけたたましく鳴り響いた。赤枝は驚いて俺から飛びのき、そして……何かを察したのか、小さく頭を下げてそそくさと出ていった。何だか猛々しいピアノを宥めながら、俺は (先が思いやられるなあ) と頭の中で一人愚痴った。

Comments

festo

この話、次の話もあると思いますが、続編を楽しみにしていてもいいですか?

opq

コメントありがとうございます。続編を書くかはわかりませんが、気が向いたら書くかもしれません。