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「せんせい、さようならー」 多くの椅子がガタガタと音を立て、教室から子供たちが帰りだす。半数は教室にとどまり雑談にふけっているが、それも十分ほどで姿を消した。誰もいなくなった教室の後ろには、ランドセルを収める棚の上に、ズラっと拙い工作が並べて飾られている。中に不相応な完成度を誇るものが光った。艶々とした肌色一色の肌と、鮮やかなピンク色の髪。白とピンクのチェック柄で出来た可愛らしいアイドル衣装に身を包んだフィギュア。遠くから子供たちの声が響くばかりになった静かな教室で、そのフィギュアがゆっくりと動き出した。 「んんっ……」 最初はおずおずと遠慮がちに、そして次第に大きく動き、フィギュアは両手を上に伸ばして背伸びした。 彼女は自らの胸にペタリと貼られた金賞の紙を撫でてから、ため息をついてその場に座り込んだ。何事か考えている様子で、時折頭を抱える仕草も見せた。 「あ……あの」 第二の声が響き、ピンク髪フィギュアは驚いて飛び上がった。そして背中でチョコレート箱を改造したロボットを倒してしまい、再度慌てた。 「えっと……」 貯金箱の影から、人影がスッと現れた。長い金髪を広げた、可愛い顔つきのドールだった。青いワンピースに白いエプロンをつけた、アリスのような格好。その胸には銀賞とかかれた紙が貼りつけられている。その手足が動くたびに、関節の球体がキイキイと音を立てた。 フィギュアは目を見開いてアリスを見つめたあと、恐怖の表情を浮かべて叫びそうになるのを何とか堪えた。お互い気まずそうな沈黙が流れたのち、フィギュア側が声をかけた。 「え……っと、その……人間の方、ですか……?」 フィギュアの珍妙な問いに、ドール側も緊張の面持ちでコクンと頷く。 「あなたも、その……そうなんですか?」 「えっ、ああ、まあ、はい……」 ドールの返しにフィギュアが答える。互いに相手がお化けじゃないらしいと理解した瞬間、緊張が解かれ、両者の表情に照れ笑いが浮かんだ。 「あっあの初めまして、花咲クルミです。あの子の叔母なんですが、その、病気で……縮んでしまって」 「アリスです。……家族ではないんですが、助けていただいたもので、はい……」 互いに思ってもみなかった出会いに、奇妙な自己紹介が始まった。フィギュア側は病気で体が縮み、自力では生活できなくなったので、姉一家のお世話になっていると説明した。ドール側は変な会社に騙されてドールに改造された挙句売り飛ばされたものの、買った人が人間だと気づいてくれたのでそのまま面倒を見てもらっていると明かした。 「ええーっ、そんなことあるんですか。人間をドールに……?」 フィギュアは信じられないという面持ちで、相手の関節の球体を眺めた。フィギュア側は人間と同じ作りで関節に切れ目はない。しかし、その樹脂みたいな質感の肌と一塊の髪に対し、ドール側も同じように感じていた。身体が縮む病気のことは知っているが、だからといってフィギュアみたいになるのはおかしい、と。 「これはですね、えっと……生身のままだと流石に生きてるってバレちゃうんで、フィギュア用のクリームを塗ってきて……そしたら本当にフィギュアみたいになっちゃってですね」 フィギュア側はもっと踏み込んで事情を説明した。フィギュアの修復や艶出しに使うクリームを塗ったら本当に体がフィギュア化したのだと。 「ふふっ、じゃあ、一応『工作』ではあるんですね」 ドール側が笑った。それに対してフィギュアは少しばかりの怒りを込めながら、甥と姉夫婦の倫理観の欠如を愚痴った。夏休みの自由工作を忘れていたからといって、まさか叔母を人形として提出するなんて信じられます? と共感を求めた直後、おそらく相手方も同じなのだろうと気づきちょっと気まずそうな表情を浮かべる。 「ああ……ウチもです。お互い大変ですね……」 とはいえドール側はもう少し真面目なようだった。アリス服はお世話になっている家の娘がちゃんと自分で作ったものだと明かした。それを自分に着せて、提出したのだと。名前がアリスなので不思議の国のアリスの衣装を作ってもらったと。 「はー、立派ですねえ。ウチの連中はホントにもう……」 「いえいえ、私も絶対嫌だって言ったのに、それしかないからって無理やり工作にされちゃったんですよ。こんな格好恥ずかしいから絶対嫌だって言ったのに」 「えー、似合ってるじゃないですか。すっごく可愛いと思いますけど」 「花咲さんこそ、アニメのキャラクターみたいに可愛いじゃないですか」 フィギュア側は顔をピンク色に染め、髪と同化している大きな白いリボンを手で弄りながら呟いた。 「……い、いやいや、私だってこんな格好……もういい歳なのに、しかもこんな見世物みたいな……甥が無理やり、それしか3Dデータないからって」 互いに自虐しながら相手を褒め合う時間が過ぎると、二人は少しだけ気持ちが楽になった。人形みたいな体になった挙句、フリフリの衣装を着せられ子供の夏休みの工作として提出されてしまうという屈辱的な仕打ちを受けているのが、よもや自分一人じゃなかったとは想像もしていなかったからだ。その恥と苦しみを分かち合えるママ友……いや人形友ができたことに、二人は大いに勇気づけられていた。 「わっすれもの、忘れ物~」 そこに突然、教室のドアを開く者が現れた。替え歌を歌いながら教室に戻ってきた小学生は、自らの机からプリントを一枚取り出した。そして棚に起きた異変に気づく。……ロボットが倒れている。 チョコレート箱のロボットを立て直し、隣に立つフィギュアに目を向けた。ウィンクしながら両手でハートマークを作るピンクのフィギュアはピクリともせず、昼間と寸分たがわず同じポーズだった。金賞と書かれた紙を細目で睨んだ後、彼は教室から出ていった。あいつが手製したなんて絶対信じらんねー、大人に作らせただろと思いながら。 再び教室が静まり返ると、両足を開き笑顔でハートマークを作っていたフィギュアが、そのポーズを解いた。死ぬほど気まずそうに隣に向き直り、 「あの、その、誰か来ると勝手に、あのポーズになっちゃうんです。自分じゃ動けなくって、しょうがなくて」 また顔をピンク色に染めながら弁解を続けた。決して自分の意志であんなポーズ得意気にとっているわけじゃない、と。 「あはは。大変ですねー……」 ドールは気の毒そうに笑い、まあ自分も似たようなものですから、と新たな友達を慰めた。自分はデフォルトで人前では動けないと。 「えーっ、それじゃ大変じゃないですか?」 自宅でも自由には動けないのだと聞き、フィギュア側は心底ドールに同情した。身体もプラスチックで球体関節で人間離れしているし、自分より可哀相な境遇ではないかと感じだした。 「最初は大変でしたけど、今はまあ、画面越しでコミュニケーションとらせていただいてるので」 金髪の先端を指でクルクル巻きながら、ドールは照れくさそうに笑った。そして、こんな風に直で誰かと会話できたのは久しぶりだから嬉しい、とも。 「それはそれは……私でよければいくらでも話し相手になりますよ。……暇ですし」 自嘲的に笑い、フィギュアは胸につけられた金賞の紙を撫でた。 翌日。児童たちを迎えた朝の教室は、子供たちと先生の声だけがけたたましく鳴り響いていた。棚に並べられた工作たちは一言も発することなく、一ミリも動くことなく、何事もなかったかのように鎮座していた。誰かが近くにいるというだけで物言わぬ人形に、それも可愛いポーズと笑顔を強制されて見世物とされる恥辱に耐えなければならないのは、フィギュアにとって相当の苦痛だった。しかし、隣に同じ境遇の仲間がいるとわかった今は、昨日ほどの孤独感はない。フィギュアは隣に座る金髪のドールの存在に心底感謝した。ドール側も、これから何日も一人で冷たい棚の上でジッとしていなければならないと思っていたところに現れた予想もつかない友人の出現を嬉しく思っていた。自分は一人じゃない。 「いつまでここにいなきゃいけないんですかねー」 「早く帰りたいですねー」 二人は放課後になり体が自由になるとすぐ会話するようになった。日が過ぎると行動も大胆になり、棚から降りて教室をうろつくようにもなった。懐かしい小学生時代を思い出しつつも、その小学生用の椅子や机より小さくなった自分たちに、改めて人の世からの疎外感を抱き、それを二人で共有し慰め合った。 「帰ってもまた二人でお話したいですねー」 「お互い家の人に話せば会わせてもらえるんじゃないですか? 子供同士が遊ぶ時に」 「うーん、ウチ男の子だから……人形持って女の子の家に遊びに行くのは了承してもらえないかも」 「じゃあ、ウチから行かせますよー。私を持ってってくれるよう頼みますから」 「受けてくれるかなー、ウチの人たち」 「まあ、結局は当人が仲良くなれるかどうかですねー」 最近は二人とも保護者気分で、自分の家の子の様子を観察するようになっていた。といっても最大の関心事は、自分たちの今後のため二人が仲良くなるかどうかだったのだが……。男子と女子ということもあり、現時点では特に接点がないようだった。 日が経ち、とうとう夏の工作を持ち帰る日が来た。前日までに予告があるわけではなかったので、二人は固まって動けないまま、それぞれの持ち主の手提げ袋に入れられた。別れの挨拶も交わせないうちの唐突なお別れに寂しさを感じつつも、二人は家に帰れる、恥ずかしい姿で子供の工作扱いで展示されている辱めが終わる安堵の方を流石に強く感じていた。 ただ、フィギュアの方にとっては想定外のことで、家に持ち帰られても中々手提げ袋から出してもらえないし、クリームも落としてもらえなかった。夜に脱出し机上に立っていても、朝になればカチンコチンのフィギュアに戻されてしまう。笑顔でハートマークなど作っているのが悪いのか、筆談で助けを求めても中々戻してもらえない。 よもや自分はこのまま二度と人前で動けない存在のままなのかと絶望しだしたころ、ドールが彼女の家の娘と共に訪ねてきた。向こうはそれなりに大事にされているらしい。フィギュアは彼女を羨んだ。 娘はアリスちゃんに友達ができたことを喜び、意気揚々とドールとフィギュアを挨拶させた。とはいえ人がいるのでお互いピクリともできない状態ではあった。相変わらずアイドルのコスプレをしたままハートマークを作るポーズで相対させられたフィギュアは内心かなり羞恥を煽られた。 フィギュアの甥は人形遊びはやりたくないらしく、別々に遊ぼうと提案した。人間は人間同士、人形は人形同士で、と。フィギュアは内心怒りを感じた。自分も彼女も人間であり、人形ではないのに、と。しかし動くことも喋ることもできないままでは、何事も黙って受け入れることしかできなかった。 やがて二人の子供が外に遊びに行くと、ようやく二人は自由を得られた。久々の再会に二人は互いの苦労を労い、フィギュア側は甥の愚痴をこぼした。ドールは新しいロリータ風の衣装を着ており、大切にされていることが一目でわかる。放置されインテリア扱いされていたフィギュア側はまた彼女を羨んだ。 やがて何回かの訪問を経て二人の子供が仲良くなると、フィギュアもようやく人前で固まる仕様を解除してもらい、以前より扱いがよくなった。しかし、クリームは落としてもらえないし、こっぱずかしいアイドルのコスプレも体から切り離せてはもらえなかった。 時折交換したり預けたりで人形サイドもお泊り会をするようになると、段々甥はフィギュアに相手の娘の情報を聞くようになった。相手の娘を好きになっていると察したフィギュアは甥をからかってこれまでの恨みを晴らしてやろうかとも思ったが、踏みとどまった。このまま仲良くなってもらいたかった彼女は、出来るだけ二人の仲を取り持つように努めた。 将来アリスちゃんと一緒に暮らせるようになるといいなあ。そんな無邪気な夢を抱えながら。 数年後、治療法の発達と子供たちの成長に伴い、相手方から恋のライバルとして敵視されたり、甥にちょっとドキッとしたりするような未来が待っているとは、このフィギュアは夢にも思っていなかったのだった。

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