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妙に廊下が広い学校だな。受験の時抱いたその感想は、実際に入学するとますます強く感じた。普通の高校の二倍近くある。まるで道路みたいだった。独特な設計の校舎だと思う。というかスペースがだいぶ無駄じゃないか? と思う。廊下の幅が広いから歩きやすいかと思えば、そんなこともない。意味の分からない邪魔な設置物が、どの廊下にも二つほど設置されている。大きな灰色の台座だ。固くてツルツルした石でできている。本来なら何か書いてそうなプレートもくっついているけど、そこには何も書かれていない。本来なら上に彫刻とか銅像とか乗ってそうなものだが、何もない空き台座。昔は何かあったけど撤去された、とかだろうか。 答えは入学後しばらくで先生が明らかにした。委員決めと一緒に、これからこのクラスの石像係の順番を決める、と言い出したのだ。 「なんですかそれぇ?」 馬鹿にしたような女子の問いに、先生が朗らかに答えた。この高校では伝統的に、廊下の台座の上に毎日違った石像を飾ることになっている。しかし本物の石像を日替わり設置することは色々難しいので、代わりに生徒が代わる代わる交代で石像になるのだと。 「……?」 説明が呑み込めない者、意味が分からない者、冗談だと思う者、様々だった。しかしどうも、ギャグではないようだった。先生は俺たちを廊下へ出して、信じなかった女子一人に教室から一番近い台座の上に乗るよう指示した。 先生は台座に登った女子に対し、石になると軽く念じれば、石像になれると言った。 「じゃあ……わた」 女子が可笑しそうにクスクス笑ったその瞬間、信じられないことが起きた。バキン! と乾いた音と共に、彼女の全身が瞬時に冷たい灰色に染まり、ピクリともしなくなったのだ。台座と同じ石で作られた石像にしか見えない。ほんのさっきまで生きて動いていたはずの彼女は、今や一言も発しない、石の塊と化してしまった。手足も表情も何もかも、石化した一瞬を切り取ったまま永遠にその時間を止められていた。変化の瞬間を目撃していなければ、凄まじく精緻に彫られた彫刻だと思っただろう。美術の教科書のすごい彫刻のどれとも比較できない完成度だった。よくよく見れば、身体と同時に石化した制服の身体が一体化しているように見えた。もしも本当にそのまま石に置換されたというのならば、石の彫刻に石の服を着せた状態になるはずだが……。身体と服は一塊とり融合している。髪の毛も一本一本が細い石になっているわけではなく、フィギュアや本物の彫刻のように「髪っぽく見える表現」を施したような状態だ。 一瞬の沈黙の後、女子の悲鳴やらなんやらでしばらく大騒ぎだった。 落ち着いた後、先生が石化した女子を台座から下ろした。するとバリンと何かが割れるような音と共に、彼女の身体と服が鮮やかな色彩を取り戻した。生気を取り戻しても一秒ほど彼女はポーズを維持したまま動かず、次の瞬間崩れ落ちるように座り込んだ。徐々にその顔に驚愕と恐怖を浮かべていく。 先生はニコニコしたまま教室に戻るよう促し、改めて説明を行った。石化は台座の上で石になると念じればよいので、簡単だと。そういう問題ではない気がするが……。それから、元に戻すには台座から下ろせばそれでよい、と。また、石化中は非常に頑丈なので、まずどこかが折れたり割れたりすることはない、とも。 しっかし人が石になる……フィクションでしかありえないような現象が目の前、それも同じクラスの友達に起きるだなんて、今朝には想像もしてみなかった。しかもこれをこれから毎日、日替わりで担当しろというのだからたまったものではない。 そもそも、なんでこんなアホなことを俺たちがやらねばならないのか? 石化というファンタジー現象を抜きにしても、月に一回、授業を受けることができず、廊下で飾り物になるなんて酷い話だ。 先生曰く、昔から続く伝統で、これを怠ると罰が当たるのだと。んなアホな、と言いたいところだが、人が石になるという非現実的な事象を目の前で見せられた今、無下に否定することはできない空気だった。皆不安そうに顔を見合わせている。 「まあまあ、そんな深刻に考える必要ないから。月に一、二度出席扱いでお休みってだけさ」 先生の軽そうな口調がどうにも受け入れがたい。とんでもない高校に入ってしまった……口には出さないが、全員がそう思っているのは明らかだった。 しかも「石像係」は早速今日から始まり、さっき石化した子の次の出席番号の女子が記念すべき最初の贄となることになった。誰も自分が石像になって放置されたくはないので、異議もなくスンナリ決まった。彼女は怯えながら台座に上がり、諦めたような表情でその身を服ごと全て石に変えた。 その後は何事もなかったかのように、他の取り決めが進んだ。その間、教室の机はずっと一つ空いたままで、そこに座っているはずの女子は、廊下で物憂げに教室を見つめ続けていた。 放課後になるとようやく彼女は台座から下ろされ、解放された。最初に石化された子も言っていたが、石化中は意識も感覚もあるらしく、身動きできないのは中々苦しいし、ジロジロ見世物みたいに鑑賞されるのも嫌だったとこぼした。石像係は隣のクラスもやらされたらしく、今日の日中はずっと廊下に二体の石像が展示されていた。休み時間は両クラスから大勢の見物人が出て、互いの石像を割りと無遠慮に鑑賞していた。中には写真を撮る者もいて、まさしく盛況だった。当人からすればさぞ不愉快だったろう。 明日に順番が来る子も不安そうだった。明日休もうかな、などと漏らしている。しかしそれでも結局、次の次の子が石像やらされるんだろうな。 皆こんなわけわからん制度を受け入れているのか? 気になった俺は、二年生の教室に向かった。するとそこには、驚きの光景が広がっていた。同じように幅の広い廊下に、いくつかの台座が置かれている。そこまでは同じだが、その上に乗っている石像……いや人が俺たち一年生のものとはまるで様相が異なっていた。アニメみたいに派手なフリフリの格好をして笑顔でポージングしている女子の石像が台座の上に立っている。もう一つの方には両手にポンポンを持ったチアガールの像が飾られている。……上級生は本物の石像を飾っているのか? と思ったが、あの精緻で生きているかのようなオーラは、とても作り物とは思えない。 三年生の方へ行くと、ちょうど台座から下ろされて石化が解かれるところだった。ついさっきまで廊下全体を華やかな雰囲気に染めていた可愛らしいドレスの石像が、見る間に可愛らしいコスプレをしている生きた人間に変わり……いや、戻っていく。さっきまで石像だった女性は周囲の子と和やかに談笑しながら、ウィッグを外していた。 (うーん? どういうことなんだ?) どうやら上級生たちは石化することを苦に思っていないようだ。それどころか楽しんでいるように見えた。皆、笑顔だし可愛いポーズとってるし、コスプレまで……。どうやら石像係は上級生たちには受け入れられているらしい。何故そうなる……? 日々を過ごしていると、次第にその謎は解かれてきた。石化という現象そのものに皆が慣れてくると、石像係となった女子は恐怖よりも優先する事柄ができてくる。出来れば体裁の良い格好で固まりたいという欲求。何しろ朝から放課後までずっと彫刻と化して廊下に、皆が通る道に展示されることになるのだ。あんまりみっともない姿や表情を一日中固定されて晒され続けるということに耐えられなくなってくるらしい。それにちゃんと毎日、当番の子が戻してもらえて安全だという実績、実感を積むと、段々と恐怖は感じなくなってくるらしい。潜んでいた女の見栄が勝ってくる。最初は軽く、体育座りとか気をつけに近い姿勢だったり「やだなー」みたいな表情とかで控え目に見た目を整えるだけだが、それは次第にヒートアップしていった。あくまで「おふざけ」という体で笑顔をとる女子が増え始め、ピースサインだったりモデル立ちみたいに割としっかりポージングするようになったりしていく。隣のクラスの子も同じ廊下に石化状態で展示されるのも対抗意識を生むらしく、露骨に石化を楽しむような素振りは見せたくないが、かといって隣のクラスの子や昨日の当番の子より見てくれの悪い石像にもなりたくはない。女子たちの見栄と同調圧力は、一月ほどで「石化する時は可愛く」という空気を作り上げた。 より良い石像になれた方がえらい、イケてる、可愛いの証。……徐々に因果が逆転し、そんなムードが醸成されていく。自然に俺たち男子は当番を減らされつつあった。入学当初には信じられないようなことに、女子たちは割と積極的に石像係をやりたがった。女子でも地味でムサい子は、気づけば石像係の当番が回ってくる日が少なくなっているようだった。 五月になり部活が始まると、先輩方との交流が本格的に始まる。当然、あのコスプレ石化の概念が俺たち一年生の間にいよいよ流入してきた。別に制服で石化する義務はない。 最初は部活のユニフォームから始まった。流石にいきなりアニメのコスプレで石化などやりだす子はいない。あくまで「仕方なくやってる」のだから。しっかし俺にはもう女子たちはノリノリにしか見えなかった。体操服やチアの格好で石化する子が出てきて、体操部の子はレオタードで石化した日にはちょっとした騒ぎだった。体のラインにピッタリ沿うような服だと、石化すると裸に見える。柄や色は全て灰色の石の質感にとってかわられるからだ。 そこで初めて学校から指導が入る。エッチに見えるのはダメだ、と。逆に言うと、それ以外ならアリだという言外のメッセージでもあった。だからコスプレ方面に進んでいくんだな、と俺はようやく理解した。石化後は色や柄は使えない。「カタチ」の勝負。フリルやリボンはよく映える。それに、小物の持ち込みも流行った。服が一緒に石化するなら身に着けている物も一緒に石化する。帽子とかステッキとか鞄とか、粘土でエフェクト演出を表現した者もいた。どんな石像になるかは、今や女子たちの表現であり競争の場であった。石像係を言い訳にすれば、普段着る勇気の持てなかったような服も着られるらしく、女子たちの石化時の格好やポーズはどんどん盛り上がった。 そんなこんなで、すっかり男子とカースト底辺女子は追い出され、石像係は女子たちが持ち回りで行うようになった。先生の指示とか一切抜きで自然にそうなったことに、俺は驚きを隠せない。俺としちゃ楽だからいいんだけどさ。それに今日はどんな石像が見れるかなというのもちょっとしたお楽しみの一つになりつつあるのも事実。 人間は皆、慣れる能力を持っている。そんなこんなで毎日廊下で女子が可愛く自分を盛って石化するのが当たり前の日常となり、違和感や非日常感はなくなった。すっかり日常風景だし、よくあることのように感じるようになってしまった。他の高校に行ったり映像を見たりすると、廊下の狭さに驚くし、誰も石になっていないことの方に不自然を感じる始末だった。 夏休み前、俺は部活で他のクラスの女子からある相談を持ち掛けられた。挙動不審で顔を赤く染め、周囲に誰もいないことを念入りに確認してからだったので、てっきり告白かと思ったくらいだ。実際の内容は「石になってみたい」だった。 最初は冗談かと思ったものの、真剣らしい。イケてない女子は石化当番があまり回らないし、回ってもネチネチとあそこがダメでここがよくないというお叱りを遠回しに受け続けるので、次第に皆追い出されるのだという。だから休みの間にこっそり「お洒落して石化」をしてみたいというのだ。俺に相談したのは、台座から下ろす人がいないと石化したままになってしまうから。女子に相談すると「抜け駆け」が噂になる恐れがあるから無理だという。……そんなことになってるのか。心底面倒くさいな女子社会。 いや、ていうか石化とかしたいかそんなに? まずそこが疑問なんだが。数回俺もやらされたけど、いい心地だった記憶はないぞ。女子は違うんだろうか。 でもまあ、部活では仲良くやっていた子だったので、俺はオーケーした。こじれても嫌だしな。 夏休みが始まって数日。いつもより閑散とした校舎に、グラウンドから運動部の声が届く。教室前の廊下には俺と例の子の二人だけだった。 「あ、じゃあ、その……着替えてくるから待っててね」 いつになく照れながらそう言って空き部屋に消えていく彼女の姿に、俺は初めてちょっと彼女を……石田さんを女子として意識させられた。 戻ってきた彼女は前かがみで、真っ赤だった。ゾロっとしたロリータ衣装に身を包んだ彼女の姿は、いつもの石田さんとだいぶ印象が違った。目が合うと彼女は顔ごと逸らした。 「……ごめん」 「えっ? いや、何が?」 「いや、その……こういうの合わないよね、ごめん」 「いや、そんなことは……」 続く言葉を出すのに少し勇気が要ったが、吐きだした。 「可愛いと思うよ」 「……」 石田さんは俯いたまま俺の前を横切り、夏の熱を帯びた台座に上がった。 「えっとじゃあ……」 俺の方に向き直り、真っ赤になりながらスカートの前で手持無沙汰に両手をウロウロさせながら、すぐ元に戻してほしいと言ってから、静かに彼女は時を止めた。泳ぐ視線を固定し困ったように照れた表情、身体と一体化し同一の石と化したフリフリのロリータ衣装が、灰色に染まり昼の鋭い日差しに照らされていた。さっきまで生きて動いただなんてとても思えない。髪の毛一本一ミリも揺れず、全てがその場に固定されたまま、ピクリとも動かない。 綺麗だと思った。ゴクリと唾をのむ。俺は正面から彼女の写真を撮って、それから他の角度からも撮った。 ぼーっと彼女を見つめていると、いつの間にか十五分も経過していたのに気づき、慌てて彼女を台座から外す。重い。申し訳ないが足はゴリゴリと引きずらざるを得なかった。まあいつも皆こうしているし良いだろう。台座にも靴にもかすり傷一つついてないし。魔法だな本当に。 バリンと硬い物が割れる音が響き、俺に抱かれた格好で彼女が生命を取り戻した。遠慮がちにモゾモゾ動きだし、俺に顔を向けた。一分ほどやや気まずい時が流れ、石田さんは 「あ、その、大丈夫だから」 とか細い声で言って俺の腕から離れ、廊下の床に両足をつけた。 それから改めて桃色の顔を俺に向け 「すぐ戻してって言ったじゃん!」 と文句をつけた。 「あ、ごめん。その……見てたら、なんか。時間経ってて」 「……見すぎ」 彼女はプイっと顔をそむけた。あぁ、そういえば意識あるんだった。俺もちょっと恥ずかしくなり、また気まずい沈黙の一分が流れた。 「……で?」 「?」 「……どうだった?」 俺は正直に答えた。 「綺麗だなーって思ったけど。石像として」 石田さんは一瞬顔が明るくなったが、嫌そうな素振りを込めた複雑な表情を浮かべた。 「誰もいない?」 「ああ」 「……じゃ、じゃあ、もう一回、ね」 彼女は再び台座の上に立ち、今度は……さっきと異なり、おずおずとポージング……のようなものをつけ始めた。いつもの女子陣がやっているのに比べると不自然で野暮ったく、動きも小さかったものの、不思議とあいつらの石化姿より俺の心に強く響いた。 照れが抜けきらない、固くやや気持ち悪い笑顔も添えて、彼女は再び石像になった。中の人も服装も変わらないのに、今度の石像はさっきとまるで違って見えた。可愛い。俺はそう思った。 遠くグラウンドから響く声とセミの鳴き声だけが聞こえる静かな廊下で、俺はずっとフリフリ石像になった石田さんを眺め続けていた。もっと石田さんのいろんな石像姿を見たいなあ、と自分でも驚く願望を生み出しながら。こんなこと言ったらひかれるかな。でも……。 カチンコチンになった石田さんのスカートの裾を叩くと、コンコンと硬い音がする。このまま置いて帰ったらどう思うだろう、と意地悪な衝動も生まれた。 人の気配がしたので、今度は言われた通り早く石化を解いた。彼女はまた前かがみになって、そそくさと空き教室に戻っていった。 制服に着替えた石田さんと校舎を出た時、彼女のお礼に合わせて俺は言った。また石像化した石田さんを見たい、と。彼女は斜め上の空を見上げてしばらく黙ったが、 「じゃ、じゃあ……また今度ね」 と恥ずかしそうに答えた。それから、自分がこっそり石化したことは絶対誰にも言うな、と念押しされた。面倒だな女社会は。彼女は自分みたいなのがこういう服着て石化したら色々言われるから、というが、俺はよくわからなかった。可愛かったと思うんだけどな、石田さんの石像。 帰路、他愛もないお喋りを交わしながら、俺は石田さんが思い切り可愛い服を着て、振り切ってポージングして石化したところを想像していた。この夏にそんな光景が見られるだろうか。同時に、何故かその姿は他人に見せたくないなあとも思った。

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