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(あらら……) お風呂でお湯を弾く自分の肌に、私はため息をついた。触ってみると、もう人の皮膚の感触ではなくなっていた。柔らかい樹脂みたいな質感だ。見た目も明かりを照り返し、テカテカとした光沢を放ちつつある。 髪の毛を洗おうとして手が奥まで通らなかった時も、私は胸が痛んだ。こうして少しずつ人間でなくなっていく自分が怖い。でも私はまだ恵まれている。見た目は人間のままなんだから。一応は。フォルムはね。 物理法則を超越した力で人々を加害する謎の存在、怪人が出現するようになってから久しい。人は彼らの手にかかると別のモノに変えられたり、変な改造を加えられたり、言動がおかしくなったり、単純に殺されたり、大変な被害を被る。彼らの「能力」による影響を取り除く方法は見つかっておらず、被害者は悲劇としてただただ己の身の変化を受け入れることしかできない。 そんな怪人たちに対抗するために設立された対怪人特殊部隊に、私も半年前から入隊している。怪人の死体から造り出した戦闘スーツは身体能力を大幅に向上させ、怪人の能力を遮断してくれる。これにより人類は怪人に対抗することが可能となった。私も既に十数人の怪人討伐に尽力してきた。この身を捧げてだ。 お風呂から上がると、鏡に自分の姿が映った。小さくなったなあ。子供用のパジャマを手に取りながら、私は鏡の中の自分から顔をそむけた。アニメのキャラクターのようにデフォルメされつつある顔。気持ち悪い。肌も随分と綺麗になってくれちゃって。染み一つ皺の一本もない、肌色一色の肌。小さいころからあった黒子も消え失せた。 対怪人用戦闘スーツを着ている限り、怪人の力で動物にされたり消されたりする恐れはない。しかし大きな欠点が一つ。改造元の怪人の力が、徐々に肉体を蝕んでくるのだ。私に支給されたスーツは「フィギュア怪人」の死体から作ったスーツ。この半年間、出撃のたびに、私の体は徐々にフィギュアっぽく変化しつつあった。ちょっとずつ小さくなっていく身体。補正のごとく綺麗になっていく肌。彫刻みたいに一塊になりつつある髪。170あった身長は既に120近い。すっかり子供みたいに……いやそれより小さくなってしまった。最初の頃は肌が綺麗になるじゃんヤッターなどと内心喜びすらしていたけれど、随分のんきだったなと我ながら呆れてしまう。しかし、私が恵まれていることは間違いない。 職場へ行くと、異形化しつつある同僚たちと一緒になる。何度も死線を潜り抜けた頼れる仲間たちだが……ある人は蜘蛛の脚が生え、ある人は身体が直方体になりつつあり、また別の人は全身に数十個の目玉が埋まっている。初めてここに来た人は動揺を隠すことができないだろう。これが対怪人部隊の逃れられない宿命。当然、日常生活にも支障が出る。家族が離れていった人もいれば、仕事以外はほぼ引きこもりになってしまう人も少なくない。人間のフォルムを保っている私はかなり運がいい。大当たりといっていい。だから、私は誰にも愚痴をこぼせなかった。 流石にこれ以上は人として暮らすのが難しくなると判断されれば引退の勧告か、辞令が出る。最も、その前に耐えられなくなって辞めてしまう人も多い。当然こんな職場は人気が出るわけもなく、万年人手不足に喘いでいる。私はまだまだ頑張らなくてはならないのだ。肌や髪がフィギュア化したからといって、辞める理由にすることはできない。 そんな意地と遠慮を元に、私は前線で怪人と戦い続けた。変化先がぱっと見わからないフィギュアということもあり、気づけば私は対怪人部隊としてはかなり例外的に長く現場に出続けていた。ようやく引退の勧告が出る頃には、私の体はとんでもないところまで変化が進み、もはやフィギュア人間というより人間フィギュアと言った方がよさそうな酷い有様だった。身長は僅か90センチ、見た目は完全に二次元美少女のフィギュアで、大きな目とデフォルメされた顔で、生の人間らしさは微塵も残っていない。胸の乳首は消滅、股間もマネキンのように何もない平坦な曲面になってしまい、もはや全裸を晒しても隠すところがなかった。じゃあトイレはどうするのかというと、もう行く必要がない。お風呂にも入らなくていい。汗もかかず垢も出ず。事情を知らない人が私を見れば、人間がフィギュアみたいになったというより、フィギュアが意志を宿したように見えるだろう。 それでも容姿のシルエット自体は人間で、異形ではない。だから私も周囲も油断というか、見過ごしてしまったのだろう。他の怪人スーツならとっくに引退するラインを大幅に超過してしまった。それでも、自分で辞める勇気がでなかった。もっとひどい変化に耐えて皆頑張っているんだから、と。だから勧告が出た時、私は正直ホッとしてしまった。これで現場を離れられる。これ以上人間を止めなくてもいいんだと。私自身、道を歩いているだけでギョッとされ振り返られる日常に大分疲弊してきていたし。 とはいえ、今後スーツを着ないからといって、これまでの変化がチャラになってくれるわけではない。相当にフィギュア化したこの体とは生涯付き合っていかなくてはならない。先の事を思うと気が滅入る。変に我慢せずもっと早く辞めるべきだったかなあ。1メートル割る前までならまだ「ちっちゃくて可愛い~」の範疇だったかも。今はもう「フィギュアが動いてる」不気味さが勝つ。 ……というのは同じ目線での話、つまり私が鏡を見た時の話であり、普通の人たちからすると必ずしもそうじゃないらしい、と私は新しい戦場で思い知らされた。新人を訓練するための教官として若い後輩たちの前に立った私は、明らかに舐められていた。恒例ならば、異形と化した歴戦の猛者の姿に震えあがるのがお決まりなのだが……。出てきたのが90センチのフィギュアでは、怪人と戦うことの覚悟と矜持を伝えるには不足だったらしい。ニヤニヤしながら私を見下ろす男、小声で「可愛い~」と呟く女。全く若いやつはこう……なってないな。勿論その後の模擬戦闘で全員ボコボコにしてわからせてやったが。 対怪人スーツは身体能力が大幅に向上するため、しっかりと訓練しないと満足に身体操作することもままならない。生まれたての小鹿みたいになっている若造をしごくのは中々爽快だった。それでも全員どこか私を下にみている節が治らないのが癪だったが、鏡を見ると怒る気力も失せてくる。どんなに強くたって、怒鳴ったって、教官らしい振る舞いをしてみせたって、90センチの小さな……美少女フィギュアというだけで、真の尊敬は勝ち取れないらしい。私は初めて、他の異形教官たちをちょっと羨ましいと思ってしまった。一目で皆従順になるもんなあ。 訓練用のスーツの副作用も、私の舐められっぷりに拍車をかける。通常、訓練に使うスーツは比較的害のない物、増毛怪人とか快眠怪人とか、体に侵食してきても何とでもなる怪人のものを使う。教官となった私に割り当てられたのはピンク怪人から作ったスーツ。カラーシリーズは髪や瞳の色が変わるだけなので、訓練によく使われる。ピンク怪人は死体の損傷が酷くこれまでスーツはなかったのだが、90センチの私用になら作れるということで新造された。案の定、私の髪は新人たちを鍛えれば鍛えるほど、鮮やかなピンク色に染まっていった。本来ならば染め直せばいいんだけど、私にそれはできなかった。フィギュア化した私の髪は人間用の染毛剤が使えない。戻すなら「塗料」を使うことになると言われた私はビックリ仰天。思わず断ってしまった。プラモじゃないんだから。髪にそんなもの塗りたくないよ。 しかし、私の髪がもはや一本一本独立していないのは確かだ。でも、プラモとかに使う塗料を髪に使うのは、自分が人間でなくなったことを認めるような気がして受け入れられなかった。 そんなわけで、腰まで伸びて、胴体より膨らむ大ボリュームの髪をアニメみたいなピンク色に染め切った私は、いよいよ美少女フィギュアみたいな容姿になってしまった。なんで髪がここまで伸びているのかというと、ハサミで切れないからだ。……とことん人間じゃなくなってしまっている。 ピンク髪の生きた美少女フィギュア教官となった私は、中々思うように迫力を出すことができず舐められ、想像以上に苦労する羽目になった。特に女連中が友達感覚で接してくるのがどうも。上官にする態度じゃないと叱っても、こっちが必死に顔を上に向けながら言う構図になるので、やはり迫力に欠けた。すれ違いざまに頭を撫でてくる奴などもいて、私はもう情けないやら不甲斐ないやらで泣きたくなる日もあった。 不幸は重なるもので、さらなる異変が私の体を襲った。怪人スーツの交差反応と呼ばれる現象で、私のフィギュア化が僅かに進んでしまったのだ。本来、別の怪人スーツを着て以前に来たスーツの侵食が進むことなどありえないが、ごくまれにそういうことも発生する。私はいやーな宝くじを引き当てたらしい。身長は85センチに、そして……声が出なくなってしまった。声を出そうともがいても、ただ静かに口をパクパク上下させることしかできないし、とうとう喉から奥がなくなってしまった。もう何も飲み込めない。食事ができない。でも不思議と飢えたり喉が渇いたりすることもなく、私は普通に生きている。こうなると生きていると言えるのかも微妙だ。 当然、これ以上教官は無理ということで、私はいよいよ自分の進退を本気で考えなければならなくなった。引退した元対怪人部隊の人たちは異形でもできる仕事、雇ってくれるところなどを紹介しあったり一緒に暮らしたり助け合うケースも多い。が、私はその輪に入れなかった。見た目が整っているからだ。どこが人間なのよちゃんと見なさいよと叫びたくなる気持ちをぐっとこらえて、私はまあ、やっぱり……恵まれている。半分蜘蛛になった人、冷蔵庫になった人に比べれば。理屈ではそうだけど、感情は中々納得できない。非人間化したのは私も同じなのに。 それでも見た目が美少女フィギュア……つまり、まあ……認めるのは色んな理由で癪だけど、可愛いというのも客観的な事実では……ある。ので、私は自力で再就職先を探さなければならなかった。しかし身長85センチで喋れない、見た目もフィギュアとなるとまともな仕事にはつけない。かといって、この身体を生かしたくもなかった。例えば、フィギュアコレクターの家で面倒見てもらうとか、どこぞのコンカフェでアイドルデビューだとかは……死んでも嫌だ。 そんな私を見かねてか、かつての上官が呼び出した。ピッタリの仕事があると。それは……討伐されたフィギュア怪人の置き土産の訓練を行う仕事。 (ど、どういうことですか?) 声が出ないので、意思疎通は筆談かジェスチャーになる。ジェスチャーだとホントに幼児っぽくなってしまうので嫌だった。廊下とかで話しかけられると困ってしまう。一方的に可愛がられたりするだけで、こっちは子供みたいに全身を使った感情表現しかできない。それが子ども扱いを受け入れているようで気に入らなかった。 話を戻すと、私のスーツの元になったフィギュア怪人は、討伐される前に四人の部下を生み出していたのだという。それは美少女フィギュアを実体化したもの。知能は低く力も弱いため、全員捕獲して閉じ込めてあるらしい。話は聞いていたけど、まだ残ってたんだ。 無害に調教できれば良し、こちらの戦力にできれば最高ということだけど、怪人の指導なんてできるのかな……。いや怪人ではないのか。準怪人? 一旦様子見、ということで私は彼女たちの入れられている部屋に案内された。怪人でも出られないよう設計された、重い頑丈な扉を開けた先には、拍子抜けする光景が広がった。その部屋はまるで子供の遊び場……デパートか何かの、子供用プレイルームって感じで、ビビッドでカラフルな床と壁に囲まれ、いろんな玩具がそこかしこに転がっている。 四人の生きたフィギュアがこちらに気づき、わらわらと群がってきた。私は驚いた。どれも背丈が私と同じぐらいだし……何なら等身も。肌の質感も髪の具合も、デフォルメされた顔面も、私とそっくり同じタイプ。私とこの四人をジッと同じポーズでとどめておけば、同じ会社から出た同じシリーズのフィギュアたちだよ、と人を騙せそうだ。 彼女らは大きな瞳をランランと輝かせながら、屈んだり背伸びしたり体を左右に揺らしたり、随時オーバーなリアクションを見ながら私と上官を見上げた。いや、私は見上げられていない。目線が同じだ……。 (話せないんですか?) スマホで上官に質問すると、そうだと答えた。知能は推定で幼児程度、一年以上経つが発達は見られない。言葉を喋ることもできないらしく、四人で遊ぶような行動を永久に取り続けているのだという。ただ、怪人の産み出した存在ゆえ、害がないとも断定できない。だからこうして捕まえてあるのだが……。 (う~ん) 幼稚園の先生みたいだな、と私は思った。ここで働くなら。しかし今更この子たちを訓練とかする必要ある? 処分してもいいんじゃ……。と思ったものの、初めて出会えた自分と同じ「等身大」の存在に、私は大分心を動かされた。見た目は完全に私と同じだ。思わず自分が処分されるところを想像してしまい、すぐ情が移った。 「どうだ? 花咲くんならもしかしたら意思の疎通ができるんじゃないかと思ったんだが」 (う~ん……) それって、私はこの子たちと同じような存在ってこと? 少しイラっとしたものの、ぶっちゃけ否定しきれない。目の前でニコニコ笑いかけるフィギュア人間たちは、鏡に映る私と同じだ。 (わかりました。やります) 私は彼女たちの訓練を引き受けることに決めた。まあ対怪人用の雑兵にすることは不可能としても、雑用ぐらいはできるんじゃないかなあ。 後日、正式に就任した私は再びカラフルな子供部屋に降り立った。後ろで頑丈な扉が閉められロックされた瞬間、言いようのない不安に襲われた。私と彼女たちの見た目は変わらない。顔とスタイル、あとは……髪色だけ。このまま彼女たちと一緒くたになってここに幽閉されてしまうという恐れを全く抱かなったといえば嘘になる。まあ、流石にありえないけどね。 (改めてよろしくね。今日から皆の……えーと、先生になる花咲だよ) と心の中で挨拶してみたものの、別に生きたフィギュア同士だからといって、テレパシーができるわけでもなかった。喋れないんだよなあ。どうしよう。向こうは気さくにすり寄ってきて、お気に入りらしいぬいぐるみやら玩具やらを私に紹介してきた。彼女らの方がコミュニケーションが上手いことにちょっとヒリつきながら、私もニコニコ笑って肯定……の意を示したつもりで対応した。元アニメキャラのフィギュアだからなのか、どの子もすごく芝居がかったわざとらしい動きをする。ちょっと見ていて赤面するぐらい。けど、見た目が二次元美少女だからか、素直に可愛いとも思える。 (わ、私もあんな風に振る舞わなくちゃいけないのかな……?) 流石にそこまでは心の整理がまだつかない。しかしそうこうしているうちに、彼女たちは私の手を引っ張り、狭いスペース内をルンルン気分で楽しそうに連れまわした。なんか私の方が接待されているというか、教えられているような……。もしかして私、新入りのフィギュア人間だと思われてる? その可能性は高そうだった。頭を撫でたり抱き着いてポンポン背中を叩いてきたり、「不安な新入りを落ち着かせてる」のだと私も悟った。 (ええ~、わ、私は人間で……教官なんだけど) しかし言葉が話せない以上、誤解を解く方法はない。ジェスチャーを試みたが、大して通じなかった。初日はそうして私が歓待されるだけの結果に終わり、部屋から出ると今度は人間の職員から散々からかわれた。 (ま、まだ初日ですから。まずは仲良くなることからですよ) 強がりながらも、私は正真正銘のフィギュアたちにすら舐められた、下に見られたことに内心ショックは隠せなかった。はぁ……傷つくなあ。 それから私は彼女たちの輪に溶け込むこと、様子をしっかり観察することに努めた。というかそうせざるを得なかった。彼女たちと混じって遊び、あざといオーバーなリアクションも徐々に会得して合わせていく。部屋の外に出てもうっかりぶりっ子みたいな振る舞いをしてしまった時は真っ赤になったけど。そんな努力を重ねて、徐々に彼女たちのルールが見えてきた。どうも、可愛さで序列が決まっているらしい。彼女たちは金髪ツインテメイド、黒髪スポーティー少女、緑髪エルフ、水着みたいに布面積の少ないウェディングドレスを着た銀髪の子の四人。最初は横並びで仲睦まじく遊んでいるだけに見えていたけど、解像度が上がると銀髪がリーダー格らしいことがわかってきた。次が金髪で、最下層が黒髪の子。私は実験として、黒髪の子を改造してみることにした。まずは特殊なパテで髪を増量した上で、塗料を使ってピンク色に染め上げた。私と同じ色。で、可愛らしく布面積の多い魔法少女衣装を着せる。生まれ変わった黒髪の子はどこに出しても恥ずかしくない立派な魔法少女フィギュアに変身した。 見る間に効果が現れ、リーダーの座が入れ替わった。魔法少女はその可愛らしさで新リーダーと認められたらしく、一番前に出たり遊びを決めたりするようになった。 (なるほど……) ということは、私が先生と認められて訓練を行うにあたって必要なことは……かわ……可愛くなること……? フィギュアより可愛く!? 真っ赤になりながら状況報告を行い、私は淡いピンクと白を基調にしたドレスを作ってもらうことになった。ああ、恥ずかしい。可愛くなりたいから服くださいだなんて。しかも……リボンとフリル満載の少女趣味なドレス。担当の人が妙に張り切り、事前に聞いていたものよりすごいのが出てきた。 (か、可愛いですね~) 想像の三倍は重そうなドレスを見て、私は懸命に作り笑いを浮かべた。これを……着るんだ、私が……。あの子たちの前で……。しかもご丁寧に素材は布だけではなく、樹脂みたいな質感を持つように特殊なコーティングが施されている。だからこれを着ると……。 「おーっ、すごい、可愛い!」「似合ってるよ~」「ぷ……ぷぷっ」 (わ、笑うなぁー!) 最初からこういうデザインで成形されたフィギュアのような仕上がりに。張り付くようにピチッと肌に張り付く、白い長手袋。コーティングのおかげでずっと膨らみ続けるフリフリスカート。ピンクで縁取った白いリボンカチューシャ。無茶苦茶恥ずかしかった。けどもう行くしかない。 (お……おはよー!) 子供部屋に突貫すると、フィギュアたちは皆驚き、うっとりと敬うような目つきで私を見つめた。やっぱそうだ。可愛い格好してるやつがボスなんだ。私はようやく、フィギュア人間たちのリーダーの座を手に入れ、彼女たちに指示を出せるようになった。ようやく訓練開始だ。長かったなあ……。しかしこの格好で教官気取りも中々気まずい。 集合、整列、気をつけ……。言葉が使えないからジェスチャーと、あとは……自ら手本の例示をしつつ、私は彼女たちにいろんな指示を教え込んだ。お手本となるため一緒に並んで気をつけしていると、まるで私もフィギュアの仲間入りを果たし、同列の存在になってしまったかのようで落ち着かなかったけど。 そんなある日、元黒髪の魔法少女が休憩中に私のドレスの裾を掴んできた。ぐいぐい引っ張る。 (ん……何? どうしたの?) 何だか物欲しそうな目に、私はピンときた。このドレスが着てみたいのだ。思い返せば、「格好を変えた」ことがあるのはこの子だけだ。美少女フィギュアが巨大化して意志を持った存在である彼女たちは、衣装が体と一体化していて脱がすことができない。この子は元々黒髪ショートに、上下セパレートの動きやすい陸上ユニフォームみたいな格好だったから、上から魔法少女衣装を着せることができたのだ。他の子は生まれた(?)時からずっと「着替えた」ことがない。この子だけが服を着ることの楽しみ喜びを知っているわけだ。 (よしよし) 可哀相になった私は、指で「一度だけね」とジェスチャーしてから、ドレスを脱ぎだした。ずっと一方的にこっちの訓練を押し付けていて遊びの時間も減っていたし、ちょっとぐらいいいだろうと思ったのだ。フィギュアとはいえ女の子、可愛い服も着てみたいだろう。 しかし着替えは教えていなかったので、彼女の魔法少女衣装を脱がすのも私がやらなければならなかった。全く大変だ。服ぐらい自分で……脱ぐって発想ないのかなあ、フィギュアだし。 もとの体操服に戻った彼女に、今度はドレスを着せる。大変な重労働だったが、今更やーめたという流れでもないので、頑張った。これを機に着替えを覚えてくれても面白いし。 手袋をはめ、白タイツを履かせ、リボンカチューシャを装着し、遂にドレスアップ完了。かつてこの子が黒髪スポーツ少女だったと言っても誰も信じはしないだろう。私とお揃いの長いピンク色の髪に、可愛らしい少女趣味なフリフリドレス。可愛い。流石に美少女フィギュア出身。私より可愛いかも。 心底嬉しそうな笑みを浮かべてクルクル回る彼女を見守りながら、私は自分を見る他三人の目線に気づいた。真顔でこっちを見つめている。ドレス脱いじゃったからリーダーじゃなくなったんだろうか。それとも……あう。私は自分が全裸であることに気づき、頬を染めた。トイレはじめ生理現象がなくなったのと、サイズの合うものが存在しないのとで、長い間下着はつけていなかったのだが……フィギュアたちみんな服を着ている中、人間の私だけが全裸というのは酷く惨めに感じてきた。しかしこの部屋に着替えの服など存在し……あった。床にほっぽり出されたままの魔法少女衣装が。 深い意味はなかった。周囲に人(フィギュアだけど)がいる中、一人裸でいるのが居心地悪い。ただそれだけの理由で、私は脱ぎ捨てられた魔法少女衣装に手を伸ばした。サイズは合いそうだ。リーダー実験に使っただけありかなり可愛いデザイン。三十近い女が職場で着る服では決してないけど……これしかないから仕方ない。 ドレス部分を着ると、胴体にギュッと密着した。ちょっときついかな。これもドレス同様、樹脂コーティングがあるので、元々身体と一体だったかのように違和感がない。どうせだから一式装着してみちゃったり。私は白いブーツとピンク色の手袋も身に着け、大きな白いリボンで髪をポニーテールに結わった。 (おお……) 部屋に鏡がないから確認はできないけど、きっと今の私はあの子そっくりになっていることだろう。誰かに見られたらと思うとゾクソクする。一生弄られそう。 なんだか恥ずかしくなってきた私は、元に戻ろうと本当の魔法少女に近づき、ドレスの裾を引っ張った。 (ねえ、そろそろいいでしょ? 元に戻そ) くしくもさっきとまるで同じ構図だった。立場が、中身が逆転しているだけ。違うのは、彼女が拒否したことだった。 (ええ?) 彼女は私の手を振り払い、ハッキリとドレスを脱ぐことを拒否した。 (こら! いい加減にしなさい! 気をつけ!) 指示のジェスチャーをしても、言うことを聞かない。もしかしてリーダー判定も失われているのだろうか。強引に脱がそうとしても彼女が暴れて私をはねつける。困ったことになった。もうすぐ部屋を出る時間だし、一旦出てから考えようか。笑われそう。ていうかこんな格好で部屋戻るの? 自分の魔法少女姿を想像し、脱ごうと手をかける。しかし、脱いだら脱いだで全裸になるしかないことに気づき、脱ぐことができなかった。 時間になると重たい扉のロックが外れ、ゴーっと重い音を立てながら開き、職員が迎えに来た。 (やれやれ……すいません、ちょっと服を交換し……し?) 職員は扉の近くでドレスの裾を握りしめていた元魔法少女フィギュアの手を掴み、「時間だよ」と声をかけて……連れて行ってしまったのだ! 予想もしなかった光景に一瞬フリーズする私。その一瞬が命取りだった。 (あっ……待って違います、その子は私じゃなくて!) 慌てて駆け寄るも、二人は既に部屋の外に出て、重い扉が閉められるところだった。 (ああ!) 扉が閉まり、ロックされる。し……信じられない。閉じ込められちゃった……。いやそれより、あの子が……私と勘違いされて外に出されちゃった! どうしよう……人に危害を加えないといいけど……じゃなくて。これって、私がフィギュアだと思われたってこと!? 私は扉を叩いたが、返事なし。部屋から外に連絡を取る方法もないし……。うわー、最悪。明日「私」が出勤してくるまでこのままか……マジ!? いくらなんでも、私じゃないことぐらいすぐにわかるでしょ。明らかに知能低いんだから。そう信じて扉が開くのを私は待った。しかしどれだけ待っても扉が開くことはなく、遂に私はこの部屋でフィギュア人間たちに混じって一夜を過ごすことを余儀なくされた。 (はぁ……信じらんない。確かに私のドレス着ててさ、同じピンクの髪だけど。普通気づかない?) 外に出てから不審な言動はなかったのだろうか。……まさか、私花咲は、普段からこの子たち並の振る舞いをする存在だと看做されていた……いや流石にありえない。けど誰も帰ってこないってことは……問題発生してない、気づいてないってことぉ……? 悶々とした思いを抱えながら、私はフィギュアたちが寝ていたベッドに転がり、とうとう初めて、この部屋で眠りについた。 翌日。扉が開くのを待ちながら、私は自分にも非があると考え直していた。勝手に服交換したのは不味かった。というか何よりも、私が何故か魔法少女の衣装をバッチリ全て着ちゃっているのがダメだったよ。全裸のままだったら流石に気づいたろう。……だよね? というわけで服を脱ごうとしたものの、何故か脱ぐことができなかった。元々サイズがきつかった上、樹脂コーティングで体に皺一つ作らずピッチリ張り付く仕様のせいで、身体から一ミリ剥がすことすら困難だった。 (そ、そんなあ……困ったな) 手袋も、ブーツも脱げない。まるで最初から私の体と共に存在していたかのようだ。このデザインの魔法少女フィギュアを実体化したのが私だったような気さえしてくる。 (な、なんでよ、私は人間よっ) 数多の怪人を屠ってきた対怪人部隊の花咲といえば知らない人はいない。なのに不思議と、今の私と分断された遠い別存在のような感覚がする。気が弱っているのだろうか。 ようやく扉が開くと、ドレスアップした「私」が入ってきた。ニコニコと満面の笑みを浮かべて。そして付き添いはない。そのまま扉が閉まっていく。私は仰天した。ひょっとしてもしかして……本当に誰も取り違えに気づかなかったの!? そんな馬鹿な。私そっくりに外でも振る舞ったっていうの!? 呆然としている間に、「私」が集合のサインを出した。私以外の三人が駆け足で彼女の前に並ぶ。いつもの光景を、逆視点から私は眺めていた。集合しない私を「私」がジッと睨みつけ、再度サインを出した。別にそのサインに従ったわけではないけど、私は立ち上がって近づいた。とにかくドレスを取り戻さないと。 (こら。私ごっこはもう終わり。ドレス返しなさい) 手を伸ばすとすごい勢いではたかれた。 (いたっ!?) 余りに力強く、かつ堂々とした拒否に、私は呆然とした。「私」が気をつけのサインを出す。ボーっとしていると頭を掴まれた。 (なっ何をするの!) 次の瞬間に突き飛ばされ、私は床に転がった。ショックでしばらく立ち上がれなかった。あの子……いやこの子たち、こんなに腕力あったっけ!? もしかして、今までは猫を被っていたとでもいうの!? 再度、集合と整列のサインが出る。私はゆっくりと立ち上がり、少し震えながらフィギュアの列の端に加わり、ピッと気をつけの姿勢をとった。 「私」はそんな私を見て満足気に笑うと、訓練を開始した。昨日までの私とそっくりだ。信じられない。現実とは思えない光景を、私は自分がいちゃいけない、いたらおかしい席から唖然と眺めていた。 指示に従わないと暴力で脅してくるので、仕方なく私は訓練されるべきフィギュア人間の一員として、彼女のサインに従わなくてはならなかった。うう……どうして私が訓練されているの? フィギュア相手に。 指導はおそらく私の真似だろうが、私は彼女たちに暴力を使ったことがない。一体どこで学んだんだろう……。それともずっと人間の前では本性を隠し、機会を窺っていたとでもいうのだろうか。でも他の三人はニコニコ楽しそうで、いつも通りだ。 結局その日はドレスを取り返すことができなかった。腕力で叶わない以上、この閉鎖空間ではどうすることもできない。「私」が帰る時が唯一のチャンスだけど……。 扉が開き、職員が出てくる。今だ。私は飛び出した。次の瞬間、腹に重いパンチを入れられ、私はお腹を抱えてその場に崩れ落ちた。喉の奥が存在しない私の口からは、うめき声すら出てこなかった。 「うわビックリした。何?」 「私」は何でもないですよぉとでも言いたげなジェスチャーを交えながら、上目遣いで首を傾けた。職員はそれだけですっかり納得してしまったようだった。 (待っ……うぐっ……) 痛みでその場にうずくまっているうちに、二人は外へ出ていき扉は閉められた。そ……んな……。あいつは確かに、明確に、私を……ここに閉じ込めようとした。間違いない。状況を理解している。「入れ替わった」ことに。外でも私じゃないと気づかれないようあいつなりに周到に振る舞っているのに違いない。ただ流石に周りが気づ……うぐぐ。痛……。 ようやく楽になってきたところで、職員が「私」のあざとい顔で黙ったのを思い出した。違和感は全て「可愛さ」で黙らせているのだろうか。少女趣味のリボン満載ドレスに身を包んだ85センチの美少女フィギュアなら、普通成人女性が職場ではしない、あざとい振る舞いをしても大目に見てもらえる、いやむしろしっくりくる……んだろうか。私はそんな言動していなかったんだけど……。気づきなさいよボンクラどもが……。 それから、地獄の日々が始まった。準怪人の暴力の前に、スーツを着ていない私では歯が立たなかった。声が出せないので開閉時に一気に事情をまくしたてる、なんてこともできない。部屋には筆談に使えるものは何もないし。 反抗すると手痛いお仕置きが飛んでくるので、私はやむなく彼女の訓練や指導に従った。他のフィギュアたちと同じ列に並び、同じように動く。それが私に突然与えられた新たな仕事だった。 (誰か……誰か気づいてよお、助けて……) 扉の開閉時、職員と「私」のやり取りを眺めていると、日を追うごとにあざとさが下がり、極めて自然になりつつあることに私は気づいた。や、やばい……。このままじゃあいつは本当に「私」になってしまう。乗っ取られてしまう。花咲クルミという人間全てを……。そして私は代わりに単なるフィギュアに、それも幼児程度の低知能の子という立場に辱められている。怪人の残りカスに……。 (う……嘘ようそ、なんで、どうしてこんなことにっ) 能動的な脱出の試みは全て「私」によってねじ伏せられ、いつしか私は脱出しようとしなくなっていた。扉が開閉する時も、私は黙って二人を見送るだけ。飛び掛かることも、職員にジェスチャーを伝えることすらせず、沈黙するのみだった。自分がフィギュアによって調教、訓練されているという事実に、そしてそれが実りつつある恐ろしい現実に私は内心で打ち震えた。 せめてもの消極的抵抗として、私は魔法少女の衣装を脱ぐことを最近試みている。扉の開閉時に全裸になっていれば流石に気づくはず。服を脱げるフィギュアはこの部屋に存在しないはずだから。しかし、印刷でもされたかのように体のラインにピタリ沿って張り付くこの衣装は、脱ぐことができなかった。元々そういう性質で脱ぎ辛かったのに加えて、サイズがちょっと小さいせいで……。そして悪戦苦闘する私を、遠くから可愛いドレスを着た「私」が楽しそうにニコニコ笑いながら見つめている。ゾッとする。もしも脱げたとしても、きっとあの腕力で無理やり着せてくるのだろう……。そう思ったら結局私のしていることは全部無駄なんじゃないかと思えてきた。 とうとう、私は魔法少女の衣装を脱ぐことを諦め、脱出を企図した行動を一切行わなくなってしまった。フィギュアの訓練は完成してしまった。身も心もすっかり「私」に屈してしまったのだ。悔しさと惨めさに目を滲ませながらも、私は「私」によるフィギュア人間の訓練を受け続ける日を過ごさなければならなかった。あの日あいつに同情してドレスを脱ぎさえしなければ。そんな先に絶たない後悔に身と心を焦がしながら。

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