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部活が終わり、部屋の明かりが落ち、私は真っ暗な部室の中で泣いていた。泣くと言っても心の中でだ。涙も流せないのだから。 突然、部室に光が戻った。 (んっ……誰?) 誰か戻ってきたらしい。 「あ、先生……」 (石田さん?) すると急に私の体が元通りになった。 「ひゃっ!?」 私はバランスを崩して転倒した。体が……動く!? 元に戻った! 「あ、あのねっ、石田さん! 私……」 「ご、ごめんなさいっ!」 「!?」 石田さんは急に頭を下げて、私を固めたのは自分だと明かした。 「ど、どういうこと!? 一体どうやって……!?」 「そ、それは……これ、です……」 彼女が見せてくれたのは一本のライト。懐中電灯のちゃっちいやつ。子供の玩具みたいな、安っぽそうなプラスチック製だった。 「わ、私……その、先生の、その力に……手伝えたらって……」 彼女の説明を要約すると、ポーズライトという人形を固める玩具があって、それをこっそり私に照射したらしい。人間だとバレないように。 「そ……そうしたら、先生、その……楽、かなっ、て……」 そういうことだったの。あービックリした。二度と動けないんじゃないかと思って焦っちゃった。しかしそんな便利なものがあったとは。 石田さんは昨日家に帰ってから色々調べて、ポーズライトの存在を知り、午前休んでまで調達してきたのだとか。 「ちょっと、それはよくないわ。ちゃんと授業には出なくっちゃ」 「ぁう……。ご、ごめんなさい……」 「あ、いや、そんな、泣かないで……。助かったから、すっごく」 「そ、そうですか?」 「うん、まあね」 動けない間はずっと怖かったけど、それはどうして動けなくなったかがわからなかったからで。種が割れればどうってことない。それより、彼女の入部とポーズライトがなければ、早々にあの三人にバラされ、おそらく晒し上げられていたことだろう。間違いなく私の窮地を救ってくれた。 私と石田さんは相談して、部活の間はポーズライトで彼女に固めてもらうことに決めた。見た目ではまずバレないし、その上何があっても独りでに動き出したりしないとなれば、バレる確率はほぼゼロのはず。嫌でもリアクションを返せないんだから、三人の妨害にも耐えられる。それに、頑張ってパントマイムする必要もない。メリット尽くめだ。 「よろしくね、石田さん」 「……は、はい……。でもごめんなさい、こんなことに……その、つきあわせちゃって……」 「いーからもう。それより、私は三人が約束通り石田さんをいじめないかが心配よ」 あの三人がこれまで通りなら、私がフィギュアごっこなんかやる必要はゼロだ。明日からどうなることやら。 翌日。一人目の科学部員が入ってきた時。彼は数秒間、視線を机上の私に向けた。 (?) ベッド代わりに使ったタオルの脇に、私はゴシックロリータ姿のまま座っていた。 (えっ何? なんか変?) さらに二人入ってきた時、私は過ちに気づいた。 「誰かここで昼食べた?」「ん? なんで?」「ほらあれ。しまっとけよ」 私のことだ。昨日彼らが帰った時、私は棚の台座の上に飾られていた。それが知らない間に机の上に座っているのだ。これはまずい。 (そ……そっか、昨日と同じ場所にいないと……) 幸いその場は石田さんが誤魔化してくれた。昨日忘れ物を取りに戻った時動かしたと。まあ実際嘘でもない。しかし彼女は大変気まずそうで、見ているだけでこっちの心が痛んだ。 (大丈夫よ。そんな気に病むことじゃないって。誰も気にしてないからー) ところが、またあいつらが押し掛けてきた。石田さんが昨日私を片付けなかった、という話を聞いた瞬間、あからさまにこっちを見ながら 「え~、ホントかなぁ~」 とネチネチした口調で言った後、 「実はあれさぁ、気がついたら移動してたりするんだよね~」 と続けた。 「えっ……」 三人は私を呪いの人形みたいに仕立て上げ、よく見といた方がいいかもよ、などと嫌がらせを開始した。くそお……。 「だ、だから、昨日私が……」 石田さんの小さい声はかき消された。誰も聞いてなさそう。 部員が私に手を伸ばした瞬間。体が凍結した。ポーズライト……石田さんだ。身動きできなくなった私を手に取った男子部員は、私を上下逆さまにしたり、クルクル向きを変えたり、手足を伸ばしたりして観察し始めた。 私は息を潜めて、身を任せた。いや、全身カチンコチンで何にもできないけど。彼は横目で嫌そうに三人をチラッと見た後、私を棚の台座に戻した。よかった。信じてなさそう。けど気をつけないといけないな、今後は。 呪いの人形扱いされたからか、部員たちはその日それ以上私に触らなかった。いや他のフィギュアも触ってないから、こんなもんか。フィギュアって基本飾っとくもんだしね。 ところが部活がひけたあと、ちょっとした問題につきあたった。私が机上で寝た場合、自力で棚に戻れないという問題だ。最初の日は教卓がたまたま隣接していたから行き来できたのだけど、今日運び出されてしまい(あの三人が何かやらかしたようだ)、どうにもならなくなった。私からしたらメートル単位の距離、それでいて屋上の高さ。飛び移るのは無理だ。しかし、フィギュアが飾られている三段目はあまり大きなスペースがとれず、タオルを敷いて寝るのは難しそうだった。強引にスペースを作ると怪しまれるだろうし……。かといって、まさか固まったまま寝るわけにもいくまい。 「あ、朝……早めに来ます……」 「いや、いいわ。そんなに、無理しなくても……」 「……でっでも、私の、私のせいだから……」 昼休み……だと人目を引くし、他の部員も来るかもしれない。他には長い物差しで橋をかけてみたが、恐ろしくて渡れたものじゃなかった。 結局、石田さんに早朝の登校を強いる羽目になってしまった。これは……あまりよくない。自力で何とか解決しないといけない。でもどうやって……。あーあ、私が飛べたらいいのにな。 それからの一週間は、なんとも情けなくて、キツくて、そして馬鹿馬鹿しかった。朝、石田さんに起こされて棚に運ばれ、固く冷たいスチールの床で半日過ごす。寝転がるとすぐに背中が悲鳴を上げるし、座っていてもお尻と腰が痛くなるので、なかなか辛いものがあった。棚板というのは人間が上に乗ることを想定していないからだ。白い台座の上にいるのが一番マシである。 授業が終わる時間帯を迎え、人の気配や音がしたら、昨日自分がとっていたポーズを思い出し、最後にしまわれた場所に立つ。一晩経ると、細かいところは曖昧になってしまう。置く場所は大体白い台座の上だからわかりやすいが、オカルト疑惑のついた新しいフィギュアということもあり、みんなが目ざとく私の変化に気づくし、毎日弄ってポージングを変えられる。毎日、覚えなおしなのだ。記憶力のいい子が多くて、腕の位置が違うとか、首の傾きが違うとか、あれこれ突っ込まれるので心臓に悪い。三人が囃し立てるので、写真で検証までされる始末。 一番焦ったのは表情が違うという指摘。私は表情のことなんて全く気がつかなかったので、相当に焦った。顔が動かせたならば、蒼白になっていたことだろう。 ほとんどは石田さんが「自分が動かした」で庇ってくれたものの、その度に自分が情けなかった。生徒に無用な早朝の登校を強要し、フォローまで任せっきりとは……。それに、段々石田さんが遠巻きにされているのが一層心苦しかった。友達もいないのに、微妙な時期にいきなり入部、そして勝手に部のフィギュアを毎日弄る……。変なヤツだと思われるのは当然だ。 唯一の救いは、部活中は石田さんがポーズライトで固めてくれるため、うっかり動いてしまうミスが起こり得ないこと。私は毎日のように三人にくすぐられたり、耳元で怒鳴られたり、空中へ放り投げられたりと、正気じゃいられないイビリを受けたが、ポーズ状態になっているおかげでボロを出さずにすんだ。三人はどうしてここまでやっても私がパントマイムを続けられるのか不思議がった。しまいには正気じゃないとか、死んでんじゃないかとか、割とマジで引かれ始めた。 (ふん……ざ……ざまあみろ……よ……) とはいえ、私も本当はゲロ吐きたいし、耳痛いし、転げまわりたいのだ。自分の力で耐えてるわけじゃない。強制的に「動く」という概念を封じられているから動けないでいるだけ。私の全身は必死に体を動かそうとしているのに、石のように硬化した筋肉は、一筋たりとも動いてくれることはない。苦痛に耐えかねて苦悶の意志表示を求める本能、それを一切許してくれない凍った体のせめぎ合い。頭がおかしくなりそう。 金曜日には、とうとう三人が根負けしたのか、姿を現さなくなった。しかし代わりに石田さんが寝坊してしまい、私は窮地に立たされた。石田さん含み誰も触っていないはずなのに、何故か机に移動しているフィギュア。 「今度は誰だよ~」 流石に誰も本気で呪いの人形だなんて信じちゃいない。その日は深く追求されずに乗り切れたけど、これが続くと不味いだろう。 (うーん、このままじゃいけないわよね……) 石田さんの朝を奪うのだけは何とかしてあげないといけない。私は土日の間に、ある施術を受けることに決めた。 「あっ……。ど、どうしたんですか……。それ……」 日曜の晩。私は自宅の玄関で石田さんを出迎えた。ふわふわと空中に浮きながら。もう石田さんの顔を見上げる必要はない。目線は同じだ。しかし恥ずかしい。私は照れ笑いを浮かべて顔を背けてしまった。蝶の形を模した、半透明なピンク色の羽。それが私の背中から伸びて、パタパタはためく。 人造細胞を使った空を飛ぶための羽。縮小病で一定以上縮んだ人は、これをくっつけることで地面から1,2メートル程度なら飛べるようになるのだ。とはいえ派手で目立つから、私は避けていたのだけれど、思い切って導入してみることに決めた。これで石田さんに頼らず棚に戻ることができる。 「かわいい……です。妖精……みたい、で……」 「うん……」 私は顔を赤らめて俯いた。もー、だから嫌だったのに。そう、どうみても妖精。いい年して体からこんなもの生やさないといけないのが恥ずかしい。クリームで美少女フィギュアみたいな見た目になっているからなんとか見れるが、肌ガサガサ髪ぼっさぼさのアラサー小人のままでこんなもん背負っていたら、相当酷い絵面になっていたことだろう。 しかし、自由にあちこち飛び回れる快感は、何物にも代えがたい解放感があった。めんどくさい居住環境整備なんかやらなくっても、多くの機器や施設がそのまま使えるようになるのだ。つい、最初から羽つければよかったと思ってしまうが、鏡を見ると我に返る。全身均質な肌色で染めあげられた体、背中に切れ目の入った白いワンピース、デフォルメされた顔、ボリューミー過ぎる髪……。病院に行くまでも、いる間も、帰る時も、周囲からの好奇の視線を集めっぱなしで、心底恥ずかしかった。写真撮られるし、子ども扱いされるし、待合室で人形の忘れ物だと思われた時は二度と顔を上げられなくなりそうな気がしたほどだ。 かといってクリームなしだったら相当痛々しい姿であったろうことも事実。もっと大人しいデザインの羽もあるにはあったのだが、即日施術できるのはこの少女趣味なやつしかなかったのだ。蝶のような薄いピンク色の羽。触るとブニブニとした触感がある。この羽のもう一つの機能は光合成。私はもう食事しなくても最低限の栄養はこれで賄えるようになった。先週は部のお菓子や石田さんの差し入れで食いつないでいたが、流石に元教師として盗み食いはどうかという気持ち、石田さんにあまり負担をかけたくないという思いから、光合成機能のある羽を選んだ。 その日の晩、科学部室に入った私は、何度も机と棚の間を飛んで往復した。すごい……自由だ。部のパソコンだって弄れる。ここでの夜の生活が相当に改善されそうだ。問題は私の羽を部員たちがすんなりと受け入れてくれるかどうか……。 「これ石田さんがつけたの? すげーじゃん」 誰の思い入れもない新参フィギュアだったからか(複雑……)、「石田さんの改造」はあっさりと受け入れられた。私はワンピースを剥がれ、全裸のまま部員全員に手回しされて、穴が開くほど背中を凝視された。 「継ぎ目見えねー」「動くじゃん」 と男子たちは結構興奮気味で、私の羽は指ではさまれたり、つっつかれたり、ちょっと引っ張られたり、手荒い歓迎を受けた。この羽は疑似神経が通っているので、触られる度に私は耐えがたいこそばゆさと妙な情に襲われ、「ひゃうっ!」と情けない叫び声を上げた。いや上げるところだった。本来なら自分の意志ではこらえきれず、体が条件反射で声を出すような場面だったにも関わらず、ポーズライトで固められた私は、その情動を完全に封じ込められてしまった。行き場のない快感が全身を激しく駆け巡り、私は心の中で絶叫した。身悶えしたい。いやしなければ死んでしまう。でもできない。 (ひゃうっ! ……あんっ……あっ……っめ! 助け……んっ!) 地獄から解放されたあとも、私の体内に残された欲求が灰になるまで、悶絶への衝動とポーズライトの拘束が戦い続けた。しかし勝つのは常にポーズライトだった。恐ろしくなるくらい。ここまで強烈な身体拘束は世界にないんじゃないだろうか。どれほど強く縛られたり、何かに閉じ込められたりしたって、体を動かそうという意志表示そのものは行えるんだから。今の私にはそれすらできない。髪の毛がほんのわずかに揺れることもないのだ。 元通りワンピースを着せられ、棚の台座に置かれると、ようやく一息つくことができた。 (はぁ……はぁ……) 両手を斜め下へ伸ばし、じっと前を見続ける妖精のフィギュアが息を切らしていることなど、石田さん含め誰一人気づきはしない。部員たちは私の外形にしか興味関心がないらしく、衣装を着せられなくなったことを残念がっていた。そう、私に服を着せるには、背中に穴をあけるしかない。つまり、もう恥ずかしいコスプレをさせられることはないわけだ。羽がもたらした嬉しい副作用だった。 (それに……男の子に着せ替えられるのって、ちょっとね……) ツルツルのフィギュアの裸になんて、この中の誰一人として邪な視線を向けてくることはない。しかしだからといって、事実上の裸を高校生たちに晒してしまう私が恥ずかしくないことにはならない。それどころか、ちょっぴり悔しくもあった。 (み……みんな、そこまで興味ない、っていうのも……どうなの……) これじゃ、本当に隣のフィギュアたちとまるっきり同じ立場じゃない……。いや、それでいいんだけど……。でも……、モヤモヤする。 翌日。私は日中ずっとタオルの上に転がっているが、部室のパソコンでネットサーフィンして過ごすことができた。部室内は天井まで自在に飛べるようになったから、行動範囲がグッと広がった。パソコンが使えるようになったのは暇つぶしにはありがたい。六限が終わったら、私は棚へふわりと移動して、台座の上で両手を斜め下に伸ばし、ジッと前を見つめた。楽だ。いい。 ところがその日、部員の一人が厄介なものを持ち込んできた。フィギュア用のリモコンである。彼が私の二つ隣に置いてあるフィギュアにそれを向けると、誰も触っていないのに、そのフィギュアが動き出したのだ。 (え? え? え?) 私は既に石田さんに固められてしまったので、直接目で見ることができない。しかし音と振動、部員の様子から何が起こっているかは窺い知れる。 今度は隣のフィギュアが。かなり大きくポーズ変更された。 (あれ……? ひょっとして、私も……?) 心臓が徐々に鼓動を早くした。フィギュアにリモコンがあるなんて知らなかった……。どうしよう。操作通りに動かなかったなら怪しまれてしまう。でもここからじゃ、あの子がどういう操作してるのかわからないから、合わせられない。石田さんは……。すっかり狼狽している。チラチラとこっちを見ている。 (ど……どうしよう) 彼が私の視界に入った。リモコンをこっちに向けている。ああ……まずい。 (……っ!?) だが、心配は杞憂だった。私の手足は独りでに動き出し、私は台座の上で操り人形と化したのだ。 (えっ、えっ、効くの!? なんで!?) 私は人間なのに、どうしてフィギュアと同じように操作されちゃうの? まるでロボットみたいに。原因はクリームしかないけど……。よく考えたらポーズライトも効果あったから当たり前かもしれない。私は片足を後ろに折り曲げ、片足立ちを強要された。それでも何故か体は倒れることなくしっかりと直立している。そして両手がピースサインを形作り、それを自分の頬っぺたにあてられた。 (な、なに、このポーズ!?) ま、まさかこんな媚び媚びの恥ずかしいポージングを強制されるなんて。アラサー教師が妖精のフィギュアに扮してぶりっ子ポーズ……。私はますます、絶対にバレたくないという意志を固めた。 (うわっ、顔までっ!?) なんと、表情筋までリモコンで操られてしまった。私は満面の笑みでウィンクを決めさせられ、その格好で固定されてしまった。 (そっ、そんなぁ……) なんという羞恥プレイ。せ、せめてもう少し普通のポーズにしてよ。でも部員達には好評で、かわいいだのなんだのと褒められ、写真も撮られる始末。 (こ、こんな姿撮らないでよ~) 私は抗議の意思を示すこともできず、黙って笑顔でポージングし続けることしかできない。とてつもなく恥ずかしい。それに加え、生徒たちに体を支配されてしまったこと、フィギュア用の玩具が自分に有効だったという事実も、一層私を惨めにさせる。悔しい。 (わ……私、玩具じゃないのよーっ!) 私は心の中で叫んだ。 その日の夜、部活がひけてから、一旦は帰った石田さんが部室に戻ってきた。彼女がポーズ状態を解いてくれるまで、私は棚の片隅でぶりっ子を演じ続けたのだ。 「あーっ、もう……」 「ぉ、お疲れ……様、です……」 リモコンの件に関して、私は自分の意志と関係なく、無理やり操られたのだと知ると、石田さんは驚いていた。……私が自分であんなポーズを、かつての教え子たちの前でやる訳ないでしょ。全く……。 と思っていたのも束の間、翌日の六限終了直前。棚に飛んで、台座の上に立った時、私は気がついた。これからみんなが部室にやってくる。その時私は……昨日最後にとらされていたポーズ、あの片足立ちダブルピースでいなければならないことに。 (うそっ……やだぁ~) しかし、四の五の言っていられない。私は渋々と、片足で立ち、両手でピースを作り、自分の頬にあてる。そして…… (ウィンク……だっけ……) 私はぎこちない笑顔を作り、ウィンクした。まさか自分の意志でこの格好をしなければならないなんて……。昨日は他人に強制されてのこのポーズだったから、まだ自分に言い訳ができたけど、今日はそうもいかない。私は他ならぬ自らの意志で、いい年して生徒の前でこんなあざとい姿をとっている……。 (ううぅ……) そして、しばらくすると足の筋肉がブルブル震えだした。片足立ちなんて、そういつまでも維持していられない。倒れたら余計な注目を集めてしまう……。いや、倒れたらとっさに、私は受け身をとろうとするに違いない。バレる……。動くとこ見られちゃう……。 一旦ポージングを止めた。ギリギリまで待ってから……。きた! ドアから鍵の音が鳴った! 私はまた片足立ちでウィンクを決めた。石田さんが早くて来てくれるといいけど……。 その日、石田さんは中々姿を見せず、私は足が吊りそうだった。もう限界だ。たとえ倒れなくても、ガタガタと震えだすところを見られたら、一巻の終わり……。 (は……早くー!) 永遠にも感じられる数分間ののち、ようやく石田さんが部室に姿を現した。そして、鞄で隠しながらポーズライトを私に向けた。 突然、ピタッと筋肉の動きが止まった。負荷もスーッと抜けていく。私は一瞬で全身が硬化して、微動だにしないフィギュアに変わった。 (ふう……助かった……) いや、身動きを封じられて喜ぶのもおかしい話だけど。石田さんがもう一回ポーズライトを浴びせてくれない限り、私はずっとこのポーズのまま動けないんだから。 リモコンのせいで、以前に増して無茶なポーズや細かい仕草が増えてきて、私は翌日自力でそれを再現するのが大変だった。やっぱり人間がずっとフィギュアのフリをし続けるなんて無理なんだろうか……。いやいや、あとちょっとなんだ。部活終了後の石田さんの話によると、意外にもあの三人は彼女にちょっかいをかけてこなくなったらしいのだ。案外律儀だな……と思ったけど、約束を守るというより、私に「負ける」のが癪に障るだけかもしれない。今週は科学部にも突撃してこないし、このまま無事にいけるかと思った矢先。木曜の夜。部活が終わり、さらに石田さんも定例報告を終えて帰った後。また部室のドアに鍵がささる音がした。 (えっ誰? 石田さん!?) 嫌な予感がした私は、とっさに棚に戻り、台座の上で背伸びした。今日最後にリモコンで指定されたポーズ。ニッコリと微笑みながら、腰を少し曲げて、両手を組みながらの背伸び。 部室に入ってきたのは、久々に顔を見るあの三人。石田さんはいない。怯えた科学部員が一人同伴している。 (よ……よかった、咄嗟にポーズとれて……) でも、どうしよう。石田さんがいないということは、ポーズライトを浴びせてくれないということ。こいつらが帰るまで、マジのパントマイムでこの姿勢と表情を維持し続けなければならないということだ。 (こ……これを狙って……?) あの三人がポーズライトのことなど知るはずもない。でも、石田さんと組んでバレないよう上手くやっている、ということだけは察したのだろう。不意を突いてきたというわけだ。 「え? 何あれ何あれ」「ちょっマジ!?」 案の定、私の羽を見た瞬間、三人はゲラゲラと大袈裟に笑いだした。 (くっ……うぅ……) 悔しいけど、正直自分でも痛いのはわかる……。教師が桃色のでっかい羽つけてあざとくポージングしてたらね……。 巨大な手が伸び、私を掴んだ。勢いよく棚から引き抜かれ、命綱もなく屋根より高い位置まで急上昇。酔いはなくなってきたけど、本能的な恐怖は克服しきれない。たとえ今は飛べたとしても。 「あっこれついてる。チョーくっついてるし!」 (ひゃっ、だめぇ!) 頑張って手足の姿勢を維持し続けていたものの、羽はダメだ。そこは結構敏感だから、絶対我慢できない。反応しちゃう。部員が一人いるのに……。 彼女が私の羽を指に挟み、グイっと引っ張った。まるで雑草でも引っこ抜くかのように。 (あああんっ!) 痛みとこそばゆさが同時に背中を駆け巡り、とてもじゃないが笑顔で背伸びポーズなんてやっていられるものじゃなかった。思わず体をくねり悲鳴を上げようとした瞬間。 (痛いっ! ちょもう無理やめ……んんっ!?) 体が動かない……!? 私の本能はもうその場で悶絶すべく全身に指示を出しているのに、私は笑顔で背伸びしたまま、ほとんど動けなかった。ビクッ、ビクッと時折痙攣するのが精一杯。 (あっ……あっ……!) 次第に羽を弄る指の動きが乱暴になっていき、私はもう何も考えることができず、世界一狭い牢獄の中で、たぎる不快と快感に身を委ねる他なかった。 「……チッ」 頭が真っ白だったので、覚えているのは苦々しそうな舌打ちの音だけだった。気がつけば私は机の上に仰向けで放置されていた。 (あっ……終わった……の……?) 真っ暗だ。周囲から人の気配は感じない。体も自由になっている。私はゆっくりと起き上がった。目が暗闇に慣れてから、私は宙を飛んでドアに接近した。 (確か……この辺に……) 明かりのスイッチを探し当て、部屋に光を取り戻した。誰もいない。帰ってしまったらしい。 「はーっ……。良かった……」 いや、どうだったんだろう。バレなかった……のかな? 何となく自分の両手を眺めてみた。樹脂みたいなテカテカの肌が、蛍光灯に照らされ光沢を放っている。 (なんで……動けなかったんだろう) 私を助けたあの硬化は……。ポーズライトを浴びた時と似ているような、でもちょっと緩かった気もする。石田さんが戻ってきたのだろうか。それとも、ひょっとしてあの科学部員が? 石田さんが黙っているだけで、実は口裏合わせが済んでいるのだろうか。 (う~ん、あの石田さんが……?) 引っ込み思案な上、友達もいない彼女に、そんな根回しができたとも思えない。いや失礼かな。でもでも……。 (っま、いいか。明日聞けば) 翌日。六限が終わった時間。パソコンの電源を切り、棚へ向かって飛び立った瞬間、体が方向を変えた。 (……あれっ?) 私はゆっくりと机の上に着地した。なんでだろう。私は棚へ行こうとしたんだけど。疲れてるのかな……。昨日は棚で背伸び……。違う! 部活終わった後、あいつらに羽を引っ張られて、それで……。科学部員が一人見ていた。それなら……そうだ。机の上に仰向けだ。それが正解だ。うん。じゃあ、机に飛んでよかったんだ。 (いやでも……思い出す前に、なんか勝手に動いたような) 少しすると、私の体がゆっくりと独りでに動き出した。 (えっ!? ……あれっ?) 自分で動かそうと思えば動かせるのだけど、ほっとくと勝手に……あっ。 私は仰向けになって倒れた。あ……そうそう、こんな感じだった。うん。 両手は静かに体の脇へ伸び、顔も次第に笑い出した。 (顔まで……) この感覚はリモコン操作された時と似ている。でもちょっと弱い感じ? それに、まだ誰も来ていないのに……。 私が困惑している間に部員たちが入ってきたので、私はそのまま動けなくなった。……ん? (硬い……固まってる!?) 手足が硬い。まるでポーズ中みたいに。石田さんが来たのかと思いきや、話し声を聞く限り来ていないっぽい。仰向けだから断言はできないけど……。 一人が昨日の顛末を語りつつ、私を棚の台座に戻した。三人がいいもの見せてやるといって強引に部室を開けさせられた、と。結局、いいものはわからなかったらしい。私が人間だとバラせる予定だったんだろうなぁ。よく切り抜けられたよ。しかし、この感じだとこの子は私を人形だと思ってる? じゃあ、誰が私を固めたんだろう? その後、リモコンで簡単なポーズをとらされた。胸の前で祈るような感じで両手を組む。リモコンで体を操られる時は、いつも体の芯が冷えるような本能的恐怖に晒される。一時的とはいえ、自分の体の支配権を玩具に委ねるというのは、気分のいいものではない。 石田さんが来た。彼女は私にポーズライトを浴びせた。すると全身が一瞬で石のように固まった。髪の毛一本揺れやしない。まるで時間を止められてしまったかのよう。やっぱり、何か違う。ポーズライトじゃなかったんだ。どうして、私、昨日から動けなくなっちゃうんだろう……? その日の夜、私は石田さんに相談してみたが、理由はわからずじまいだった。石田さんも他の部員には話していないらしい。 (うーん、無意識に私が頑張ってたのかな……?) 変な生活をこれで二週間も送ってきたわけだし、疲れているのかもしれない。 跳べるようになった私は、石田さんの送迎を断った。先週の金曜は彼女に家まで送り届けてもらったけど、今週からは一人で大丈夫。 生徒と先生全員が帰ったであろう時間。私は部室から飛びだした。真っ暗な廊下は少し怖いけど、懐かしい。またここを自由に行き来できる日が来るとは思わなかった。同時に、公園みたいに広い教室、大きな大きな机、椅子、黒板を見ると、やはり違う世界の住人になってしまったのだと痛感させられてしまう。はぁ……。寂しいな。 あれっ、でも、ここまで飛べるなら、教職復帰も不可能ではないんじゃ……。いややっぱりキツイかな。うん。無理だ。 昇降口に差し掛かると、人の話し声が聞こえた。えっ、まだだれかいるの? でもまあこっそり飛んでいけば見つからないよね。暗いし。 ところが、飛びだした瞬間、体が急ブレーキをかけ、私は空中で静止してしまった。 (えっ、ちょっと!?) 直後、私はクルリと反転し、来た道を引き返し始めたのだ。何度も向きを変えようとしたものの、羽が言うことを聞かない。 (ま、まさか……故障!?) 気がつけば、私は部室の棚の前にいた。 (こ、こら! いうこと聞きなさい! 何でここに戻るのよっ) 私は自分の台座に静かに着地し、壁を背にして直立した。 (あっ……そんな!?) 信じられないことに、体も言うことを聞かなくなっていた。動かせない。その上、両手が勝手に胸の前で組まれ、表情までも私の意志を離れ、ニッコリと微笑まされた。 (どうなってるの!? 誰か来たっていうの!?) これは今日の最後にとっていたポーズ。いや、誰か来たからってこんなことになるのもおかしい。 数分すると、また体が動くようになり、羽も元通り操れるようになった。 (なんだったの、一体……?) しかし、その後も私は学校を離れると突然引き返し、離れてはまた引き返し……という現象を延々と繰り返し体験させられた。結局、その日私は家に帰ることができず、部室で一夜を明かす羽目になった。 (なんなのよ、もう……) 休みなのに、家に帰れないって……。土日は科学部やってないから無意味なのに。 しかし、本当にどうしちゃったんだろう。間違いなく、このUターン現象は私自身の意志じゃない。流石に無意識だとか慣れだとかで片付けていい問題じゃない。誰か、私じゃない誰かがこの体を操っているとしか思えない。 原因を特定できたのは土曜の昼過ぎだった。帰ろうとすると、また途中で引き返してしまう。体が独りでにこの部室へ向かってしまう。この現象が発生するのは、決まって近くに誰かがいる時だった。 (人がいたら、ここに戻って、元のポーズで固まっちゃう……の?) それじゃまるで、フィギュアごっこのために採っていた方策がいつの間にか強制されるようになっているみたい……。いや、もしかしなくてもそうなの? 私は部室のパソコンで調べた。最新のフィギュアについて、羽について、そしてクリームについて……。 大当たり。直接の原因はフィギュアクリーム。どうやらこれには学習機能というのが搭載されていて、何度も繰り返し行った行動を学習し、段々自動的にこなしてくれるようになるらしい。間違いない。この二週間で、体を包むクリームが「学習」してしまったのだ。 (えっと……でも、どうすればいいのかしら……) 「設定画面」で学習結果のオンオフや追加・削除が行えるらしいのだが……。わからない。だって、私人間だもん。フィギュアじゃないし。「設定」なんて言われても。 さらに詳しく調べると、そこはスマホでできるらしい。しかし、部室にスマホはない。 (あーっ、困ったな……) 石田さんを呼ぼうか。でも、石田さんに連絡する術がない。部のパソコンには、部員の連絡先が登録されていない。私の時代はメーリングリストというのがあったのに……。今はみんなスマホでグループ作っているのかなあ……。 仕方がないので、私は土日ずっとを部室で過ごした。セルフ軟禁だ。なんて間抜けな状況だろうか……。 月曜。鍵を開ける音がした瞬間、私は独りでに棚へ飛び、台座の上でポージングして固まってしまった。誰も私にリモコンやポーズライトを使っていないにも関わらず。 (やっぱり、間違いないわ……) 科学部員たちがドヤドヤと入ってくる間、私は屈辱と羞恥心に苛まれた。だって、誰かの力で身動きとれなくされるならまだしも、一人で勝手に固まってポージングしちゃうなんて、余りにみっともないじゃない。 石田さんも来た。この上さらに、私にしっかりとポーズライトを浴びせてくる。ほんのわずかに体を振動させることすら封じられ、私は物言わぬフィギュアとして完成した。 (石田さん……もうそれ、要らないかもしれないわ……) 夜。事情を一通り説明し、私は石田さんのスマホに登録してもらった。これで学習機能のオンオフができる。と安心したのも束の間、画面がバグっていて、操作ができない事態に陥った。他のフィギュアを試してみると、既に登録済みで、彼女には設定画面を開けなかった。しかし概ね問題なく動いてるみたい。なんで私だけ……? 「先生は、その……人間、だから……でしょうか……?」 「え、ええ……そうね、きっと……」 しかし困った事態になった。私は人の気配を感じると、部室に戻って最後に見られた位置で、最後に見られたポーズで固まっちゃうという妙な性質をずっと強制されることになる。 「あの、えっと……。だ、大丈夫ですよ……。ほら、えっと……バレません、よね。これがあったら……絶対……」 フォローのつもりだろうけど、あんまり嬉しく……いや。確かにそうかな? この間三人にバレなかったのはまさにこの学習機能のおかげだし……。オート発動なら、確かにこれで私が人間だとバレるリスクはうんと減った。それに、ポージングもクリームが記憶して再現してくれるなら、私が一生懸命昨日のポーズを思い出す必要もなくなるわけで……。確かに。土日は……もう石田さんに運んでもらえば。 視点を変えれば、ありがたいことかもしれない。けれど、究極的なところで自由を奪われるのは恐ろしい。自力じゃここから出られないなんて……。当面、出る必要がないとはいえ。 「わ、私……いるんで、その……困ったら、……します」 「うん。お願いね」 まあ、石田さんがいるんだから、大丈夫だろう。本当にどうしようもない時、フィギュアごっこを辞めたい時は、彼女に言えば……。 甘かった。あの三人は、とうとう強硬手段に打って出た。机に置かれた巨大な装置。中心にはちょうどフィギュア一体が丸まる収まりそうな透明な容器がある。フィギュアに専用の衣装を3Dプリントする機械らしい。よくもまあそんなものを……。金持ちの娘というのは恐ろしいことをする。問題は、一度プリントすると、二度と脱げないということ! 「そのフィギュアさ~、羽あるせいで着せ替えできないでしょお。でもこれならピッタリな服ができるじゃん」 教卓のお礼とかなんとか言って部員たちを言いくるめた三人は、ハッキリと私に向かって択を迫った。一生脱げない服を着せられるか、それが嫌なら負けを認めて名乗り出ろ、と。 「でっ、でも……」 「いーじゃん、こんな安っぽいのより、綺麗な新しいのもらった方がぁ、フィギュアだって嬉しいじゃあん?」 石田さんは怯えてこっちを見下ろしている。こうしてジッとしている間にも、黙々と準備は進められていく。私は白いワンピースを剥がれて全裸になり、羽はマスクされてしまった。 (ど……どうしよう?) ふと、体の縛りが緩んだ。ほんの僅かだけど、プルッ、プルッと震えることはできる。石田さんがポーズ状態を解いたみたい。でも……でも、学習機能の力で、私は彼女以外の人がいたら動けないのよ! 石田さんは私に選択権を与えたつもり……なんだろう。気が動転しているのか、多分私がポーズ状態でなくとも動けないことに気がついてない。 (んんっ……) いくら力を込めても、やっぱり時折体をちょっと揺らすのが精一杯で、意思表示を行うのは無理そうだった。 (ま、待って……。私、自力じゃ動けないの……) しかし、三人は私が意地を張っていると思っているらしく、次々と条件を悪化させていく。 「これさぁ~、髪にもプリントできるんだけど~、ピンクとか似合う感じじゃない~?」「わかる~! 羽とあいそう~!」 ぴ、ぴ、ピンク!? 髪の毛をピンク色に染めるって、今そう言った!? (じょ、冗談じゃないわっ……) 駄目だ。うめき声も出せないし、身をよじることもできない。このままじゃ……。 「これよくな~い!?」「ぶふっ」 あいつらはスマホ画面に衣装を表示し、私に見えるようつきつけてきた。他の部員たちは頭を抱えているか、所在なさげにスマホを弄っている。なんで彼女らがフィギュアにわざわざ衣装を見せているか、意味わかんないだろうな……。というか、この行動のせいでバレるかもしれない。そんなのはあまりにもズルいというか、ルール違反じゃないの? しかし、三人はもうそんなこともお構いなしに、派手な衣装や恥ずかしい衣装を次々とスライドして私に見せてくる。い、嫌だ……一生そんな格好だなんて……。 この装置の存在は、以前フィギュアクリームについて調べた時に知った。こいつらの言うことは本当で、このプリントは自己修復機能を持ったナノ繊維を吹き付けて生成するもので、基本的には脱がすことができない。フィギュアのラインに沿って完璧にジャストフィットする衣装が作れるというのが売りだ。問題はクリームを溶かせなくなってしまうこと……。これを吹き付けられてしまったら、上からコーティングされる形になって、クリームを落とすのは困難になる。そして繊維は自己修復するので、容易に除去できないらしい。 「か……」 「ん?」 「かっ……可哀想、だよ……」 (石田さん!?) あの石田さんがまた三人に反抗を。 「あぁ!?」「ねえ、ちょっと……」「?」 三人は額を寄せ合い、何か話し合った。そして 「っし。じゃあ、あんたが選んでよ」 「えっ!?」 「ま、よく考えたらここのフィギュアだしぃ~、そうだよね~」 「……」 うわっ、こいつら……。石田さんに衣装選択を投げやがった。いや、私にとってはありがたいかも……。どうか変な服は……。 (いやっ、そうじゃないでしょ。止めさせて! 石田さん!) しかし、彼女の反抗はそこまでだった。三人に囲まれ、凄まれた彼女は、小さく縮こまりながら、衣装を選び始めたではないか。 (ま、待って! 私、受け入れてないからね!) 石田さんは、ポーズを解いたはずの私がピクリともしないので、覚悟完了してると勘違いしてしまったのだろうか。三人に負けるのは癪だけど、正直私はそこまでつきあえない。一生脱げない服だなんて……。しかも、クリームまで固定されてしまう。そしたら、私はどうなるかわかってるの!? この学習結果だって、一生消せないかも……。 「こ……これ……」 石田さんが私にスマホを見せた。まず頭はピンク色のポニーテール。大きな白いリボンで結われている。アニメの世界じゃないとまずお目にかかれないサイズだ。しかも、銀色のティアラのような装備も乗っけるつもりらしい。 (ちょっと、ちょっと、ちょっと!) 体は白を基調にしたドレス。薄いピンクがところどころに差し込まれている。例えば胸元。大きなピンクのリボン。そして腰までは体のラインピッタリに沿って、スカートはフリッフリのフリル。白とピンクの二段重ね。そして肘まで覆う長い白手袋。同じく膝まで覆う純白のニーハイソックス。ぺったんこのピンクの靴。リボン付き。 (えーーっ!) 私は絶叫した。こ、これじゃ……まるで、女児向けの魔法少女アニメみたいな……。わ、私に一生この格好でいろっていうの!? (無理無理無理! ギブ! 嫌よ! 私降りるから!) しかし、どれだけ頑張っても私の体は動かない。駄目だ。このままじゃ……。 「いい? いい?」「これ最後ね。いい?」 三人が笑いをこらえつつ、代わる代わる訊いてきた。 (よくない!) しかし、反応できない。視線さえ動かせない。どうしよう。このままじゃ、「やってやろうじゃないの!」という態度だと思われかねない……。 「おっし」「後悔すんなよ~」「やっちゃえー」 やっぱそうとられた。私は容器に入れられてしまった。 (違う! 違うんだってば!) 声……せめて声だけでも……。目が動けば……。容器の蓋が閉じられた。冗談でしょ!? まさか、本当に私、永遠にコスプレイヤーにされちゃうの!? よりにもよって、フリルとリボン満載な魔法少女の! 石田さんはずっと申し訳なさそうに頭を垂れている。何とかして意思疎通できないだろうか。無理だ。動けない……。やっぱり、なんとかして学習結果を消しとくんだった……。 とうとう、プリンターのスイッチが入れられてしまった。 (待って! お願いストップ! ここから出してえ! 動けない! 私動けないんだってばー!) あっという間に視界がカラフルな煙で満たされ、外の世界と遮断された。クリームの上から、ナノ繊維が私の体に次々と張り付き、私をコーティングしていく。こうして四方八方から吹き付けられている以上、当然塗り残しはない。一見服ではない箇所……今回なら顔や太腿も、実際には透明なナノ繊維で覆われることになるのだ。 少しすると、肌に張り付く繊維の感触がハッキリとわかるようになった。まるで水の中に落とした絵の具のように、私の肌に広がり、染みていく。 (や、やめて……お願い) 今しがた見せられた、あの白とピンクの魔法少女衣装……。あれが私の体表面に形作られていく。泣き出したかったけど、私は笑顔で噴射の中心に立ち続けることしかできない。横に広がっていた私の髪が段々中心に束ねられてゆく。見えないけれど、きっとピンク色の斑点があちこちにできて、私の黒髪を飲み込み始めているに違いない。私の体は次第に布のような感触に包まれていく。しかし私の知る服の感触とはまるで違う。肌と繊維の間に僅かの隙間も生じずに、ピッタリと私のラインに沿って付着し、そこからさらに広がっていく。世界一フィットするタイツだ。そして二度と脱げない拘束具でもある……。私の全身はあっという間に繊維でコーティングされた。顔までも。表面上は変わっていないように見えると思うけど、実際には透明な布に覆われているのだ。 (やっ、やめて……) 願いも空しく、さらに大量の繊維が私に付着し続ける。胸元に大きなリボンを形成していくし、腰回りにはフリルスカートが伸びていく。頭上にはティアラが。一見銀に見えても、実際にはこれも繊維の塊となる。なんて惨めな冠だろう。 髪の毛は一本の尻尾みたいに集約された。腰まで伸びる、アニメみたいに長いポニーテールの完成だ。そして結び目には馬鹿みたいな白いリボンがムクムクと成長しつつある。 (ああっ、ダメっ……) 絶望だった。あの子供っぽいフリフリな衣装の中に、永久に閉じ込められるだなんて……。どうして石田さんはこれにしたんだろう。確かに、あの三人が見せた候補はどれも酷かった。あれよりは大分マシ……ではあるけど……。いやあの子を責めてもしょうがない。悪いのはあの三人だ……。 繊維の吹雪の中、私はこれが夢であることを天に願った。 容器から取り出された私は、机の中央に置かれた。巨人たちの好奇の視線を一身に集めた時、私の自尊心は雪崩のように決壊した。三人が腹を抱えて爆笑し、部員たちが「かわいい」とか「へー、結構よく塗れるじゃん」などと感想を述べる度に、今すぐこの場から飛び去りたくてたまらなくなる。しかし、私は笑顔で魔法少女コスプレイヤーとしてその場に直立していることしか許されない。 (あっ……ああぁ……。見ないで……見ないでよぉ……) 手足も、ポニーテール風の塊になった髪も、腰も首も動かせない。私は目を逸らすことも閉じることも、俯くことすら叶わず、ただ嘲笑と、フィギュアとしての賛辞を正面から浴び続けなければならなかった。 (この……この……なんてことしてくれたのよ……。自分たちが何をやったか、わかっているの……?) 心の中で三人に怨嗟を送ったが、無駄なあがきだった。こんな状況でも笑顔を固定され、まるで私が受け入れているかのような、或いは嬉しがっているかのような印象を与えてしまうのが死ぬほど悔しかった。 (石田……さん。なんで……止めてくれなかったの……) 私の怒りは彼女にも向いた。向けないとやっていられなかった。それは駄目だとわかっていても。 部活が終わった後の夜。部室にいるのは石田さんと私だけになった。スマホに映る私の姿は、想像以上の破壊力があった。蒸着前に見せられた画像は髪型と服だけだったが、私は自分の羽の存在をすっかり忘れていた。そこに映っていたのはどうみても、魔法少女もののアニメキャラを再現したフィギュアだった。長いピンク色のポニテ、それを形作る大きな白いリボン。髪と同化して外せないティアラ。アクセントとして薄いピンクを差し込んだ白いドレス。胸元はピンクのリボンで飾られている。肘まで覆う白い手袋、膝まで真っ白に染まる両脚。ぺったんこのピンク色の靴。この靴だけ微妙に全体のセンスからズレているのが、隠しきれないダサさを醸し出している。これが本物の魔法少女フィギュアだったなら、きっとヒールがあったはず……。靴だけが絶妙な日常感があり、何ともミスマッチだった。しかも、小さい子供が履くようなデザインの靴。 しかし、全体としては間違いなく何かのキャラクターにしか見えない。何しろ、デフォルメされた大きな瞳も、ナノ繊維の力でピンク色になっているのだ。肌も樹脂みたいな質感を保ったままだ。フィギュア感を醸し出すのは肌だけじゃない。スカートを握ると、そこに薄い布の感触はない。厚みのあるゴムのようにブニブニとしている。一分の隙も無く体に張り付いた魔法少女衣装は、さながら皮膚のようだった。動いても突っ張ることなく、滑らかに伸縮する。 (や……やだぁ、こんな……ずっとこんな格好……だなんて……) 涙が溢れてきた。耐えられない。四十歳になっても五十歳になっても、私は蝶のような羽を背負った派手な魔法少女……のフィギュアみたいな格好で生きていかなければならないのだ。信じられない。信じたくない……。 「ご……ごめんなさい……。で、でも……一番可愛いと思って……」 石田さんも私に負けず劣らず泣きながら謝り倒してきた。そのせいで、私は怒るに怒れなかった。言いたい文句は山ほどあるのに。なんでわざわざこんな、派手な、子供っぽい格好にしちゃったのよ……。でも言えなかった。だって、スマホに映る自分の姿を見れば、何となく察せてしまう。大きな瞳を持つ、デフォルメされた顔。染み一つない肌色一色の皮膚。そして、26センチの体。妖精みたいな透き通る羽。普段からそんな私を見下ろして過ごしていたから、いつの間にか無意識のうちに、私を「大人の教師」ではなく「可愛らしい小人」に分類してしまっていたんだろう。ショック……。 「わ……私なんかのために……」 一番辛いのは、彼女は私が「例え脱げない服を着せられても、フィギュアごっこを続けることを選んだ」と勘違いしていること。ポーズを解いたのに一切動かずに、なされるがままにこの衣装を着たせいで、納得ずくだと思ってしまったようだ。そんなことはない。私は絶対嫌だったし、動けるものならフィギュアごっこなんかやめていた。やっぱり学習機能のせいで動けなくなってしまっていることに気がついていなかったのだ。 (……) 私は言い出せなかった。ただでさえ気の弱い彼女のことだ、勘違いで私に取り返しのつかないことをさせてしまったと知ったら……。そ、それに、本当に一生脱げないと決まったわけじゃない、きっと。壊すか削るか……。最悪、病院やメーカーに相談すればまだ……。私は彼女の勘違いを正さず、厳かに「そういうこと」にしておいた。可哀想で見ていられなかったのだ。 (それに……よく考えたら私、今すぐやらなきゃいけないことがあるわけでもないしね……) こうして魔法少女フィギュアと化した私は、以前にもまして恥ずかしい日々を、この部室で過ごすことになったのだ。

Comments

sengen

どんどんフィギュアらしくなっていったり妖精として飛べるようになったり、益々可愛くなっていく姿が想像できてときめきました。折角なら手のひらサイズまで小さくなってしまうところや可愛い羽を生やすところなど、肉体の変化も見てみたかったです。