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「それではいきますよー、1、2の……はいっ」 両手で持っていたボールから手を離す。ボールは支えがない状態でふわふわと宙に浮き、地面に落ちることなく漂いだした。周囲から歓声が沸き起こり、拍手が鳴り響く。 「すげー」「どうなってんの?」「ん? ん~?」 横や後ろに回った人たちも、何も支えがないことに驚き、首をかしげていた。誰もこのマジックのタネがわからない。それもそのはず、タネなんかない。ボールは本当に浮いている。私は簡単な魔法が使えるのだ。 「では次は、こちらのコップにご注目ください」 生まれつきだった。私に不思議な力があるのは。魔法と言っても、自力で持てる程度の物体を浮かべるぐらいで、それ以外には何もできないんだけど。騒ぎになりたくないので人前で披露することは基本ない。でも、マジックってことにすれば使ってもバレないと気づいたのは高校生の時。それ以来、私は毎年この公園で開かれるフリーマーケットで芸を披露してきた。簡単なマジックショーと称し、物を浮かべて見せるのだ。まあ、普通のマジックも多少やるけど。 誰も私の「浮遊マジック」の正体を見抜く人間はいない。私は青空の元、芝生の中心に突っ立ってマジックをやるのだけど、必死にタネを見破ろうとしていろんな角度から見て回る人間は毎年必ずいる。終わった後直接訊いてくる人も。私は心の中でクスクス笑ってしまう。「マジック」と言えば「魔法」だとわからなくなるなんて、皮肉なもんだね。 でも、今年は違った。ショーの終了後後片付けをしていると、一人の女の子が尋ねてきた。 「お姉ちゃんも魔法使いなの?」 その時の驚きと狼狽は中々言葉では言い表せない。私は二十一年の人生の中で、自分以外に魔法のような力を使える存在に出会ったことがなかった。家族にも同級生にも、大学にもそんな人間はいなかった。ネットでも本物らしい魔法使いの情報やコミュニティは見つけたことがない。彼女の全身から溢れる魔力のオーラを感じた時、私は「タネ」と嘘を見破られてしまったことの狼狽と、生まれて初めて自分以外の魔法使いに出会えた、存在していたことの衝撃で返事ができなかった。 彼女は証明する必要があると思ったのか、指さすだけで私のテーブルを宙に持ち上げた。 「ひぇっ!?」 衝撃の連続。このテーブルを数十センチも一気に持ち上げるなんて! 私ではあまり重い物は浮かべられないのに。しかもこの子はまだ……何歳ぐらいだろう、中学生、ワンチャン小学生にも見えるのに。 「つ、使えるの? ……きみも?」 少ししゃがんで目線を合わし、小声でひっそり聞き返す。彼女は頷いた。すごい……本当だ、ホントにいたんだ、私以外にも……それも、おそらく私より強力な魔法の使い手が。 フリマ会場を歩きながら、私たちは互いに自己紹介をした。彼女はレベッカといい、高校生らしい。本当に? 背が低く可愛らしい童顔で、もっと下かと思っちゃった。それになんか全体的に言動も幼く感じるけど。 その幼さの正体はすぐにわかった。同時に、私は恐怖した。やっと出会えた仲間は、とんでもなく恐ろしい怪物として育っていたのだ。気に入ったフリマの商品を勝手に取り上げ、持ち主に手をかざす。すると何故かその商品はレベッカのものだと認めるのだ。お金払ってないのに。 「おっ。お嬢ちゃん、いい湯のみ持ってるねえ」 つい数秒前まで自分のものだったモノに対して、何の屈託もなくそんな言葉をかける。彼ら彼女らは「売った」という記憶や認識すら見せず、最初からレベッカのものであったかのような反応をする。そしてレベッカの手が光り、湯飲みは瞬く間にシュルシュルと小さく縮み、一センチあるかないかのミニチュアとなった。彼女は自分の箱にそれを仕舞った。 「えっ……?えっ、何、してるの? さっきから」 「え? お姉ちゃんしないの?」 悪びれなく、心底不思議そうに聞き返してきた。彼女の魔法の力は想像以上にトンデモだった。記憶や認識までホイホイと気軽に書き換えてしまうことができるらしい。私は内心恐怖で震えた。彼女から離れたかった。私と同じく物心ついた時から魔法が使えたのなら……彼女の中では幼児時代の万能感が途切れることなく今も続いているのだ。倫理観も育っていない。やりたい放題の力のせいで。ちょっと見ている間だけでも、おじさんを理由もなく犬に変え、困惑ぶりを見てケラケラ笑ったり、商品のダルマを巨大化して転がして遊んだり、人の命を何とも思っていないことは明らかだった。こんなヤバい子とはとっとと別れて、そして……二度と会いたくない。でもこのままこの子をほっといていいんだろうか。普通の人間では、この子に正面切って道徳を諭したり悪行を叱ったりすることは不可能だろう。いずれ必ず……いや既に、世の中にとんでもない迷惑をかけるモンスターに育ってしまうだろう。 私は年上として同じ魔法使いとして、責任を感じた。私がやらなければならない。私しかできない。はず。 やんわりと、私は注意した。そんな風に魔法の力を使ってはならない、と。人に迷惑をかけてはいけない、役立つような、喜ばせるようなことに使って欲しい、と。 レベッカはとんでもなく不満そうな表情を見せた。心の中で「うわ、うっざ、うっせ」と言っていることがハッキリわかるほどに。お説教の耐性がまるでないのであろう、言葉のチョイスにはかなり気を遣ったつもりだったけど、それでも他人に口を挟まれることそれ自体が心底嫌そうだった。 が、彼女は特に言い返すそぶりは見せず、「はーい」とだけ言って口を利かなくなった。やれやれ……本当に高校生だろうか。あまりに強力すぎる力はかえって本人のためにもならないのかもしれない。 その日はほどなくして彼女と別れ、私は帰宅した。何か魔法の力で仕返しとかされないか不安だったものの、特になかったのでほっとした。私のお粗末な浮遊魔法じゃ何の抵抗もできそうにないし。最低限の理性はあるのかな。でもフリマでやりたい放題した挙句元に戻さなかったのも多かったなあ……。やれやれ。世の魔法使いってあんなのばかりなのかな。だったら一生会わなくてもいいや。 翌日。フリマ二日目の昼。私が芝生の上でマジックショーをやっている最中、再びレベッカは姿を現した。見つけてしまった瞬間、私は情けないぐらいビクッと震えてしまった。 「手伝ってあげるね」 邪悪な笑みを浮かべて彼女がそう言った瞬間、私の「人生」は終わりを告げた。突如体が私の意志ではないものに乗っ取られ、勝手に動き出したのだ。突如マネキンのようにピンと背を伸ばされ、両脚をピタリと閉じたかと思うと、私の表情筋はひとりでに笑顔を浮かべて、口は 「はいっ、じゃあ次は変身ですっ」 と叫んだ。 (ええっ!?) 信じられなかった。体が言うことをきかない。勝手に、自分ではない意志によって操られ、思ってもいない言葉を喋らされてしまうのだ。全く抵抗することもできない。手足が私のものではなくなってしまっている。顔も、口も。何もかも。 「それっ」 レベッカがそう言うと、私の全身がボワンと白い煙に包まれた。 (な、なに!?) 煙が晴れると同時に、服装の感覚が変わった。ピチッと胴体に密着するテカテカしたエナメル質の黒いレオタード。脚全体に張り付くような網タイツ。黒いテカテカしたハイヒール。頭にはカチューシャが装着されていて、そこからウサギの耳を模した物体がぴょーんと伸びている。 「おおーっ」「すげー」 歓声が沸き起こる中、私は見る間に顔を真っ赤に染めた。私はレベッカの魔法でバニーガールに変えられてしまったのだ。しかもこんな……大勢の人の前で! マジック中に! (やっやめてぇ! 元に戻してぇ!) と叫びたかったものの、まだ体は自由にならない。私は笑顔を浮かべて両腕を掲げて振りながら、心の中で絶叫した。 「そして本日最後は! 石化マジックです!」 (はあぁぁっ!?) 再び口が勝手に高く嬉しそうな口調でそう叫ぶと、私は恐怖と絶望で泣き叫びたくなった。昨日あの子がおじさんを犬に変えたショッキングな瞬間はまだハッキリと覚えている。石化……石化て、石にするってこと……だよね? 私を!? 石に!? (まっ待って! お願い! 石になんてなりたくない!) いつのまにか芝生の上に出現していた大きな石の台座。プレートが張ってあり、そこには私の名前が高らかに刻み込まれていた。私はこれから何が起こるのか察してしまい、今すぐ何としてでもこの場から逃げ去りたかったが、それは不可能だった。体はレベッカに支配されたまま、自分の体はひとりでに動き続ける。ニコニコと笑顔を振りまくばかりで、助けを求めることもできない。その笑顔は当然、観衆に混じる彼女にも向けられている。私はレベッカに「嫌がっている」と意思表示することすら叶わなかった。 私の体は台座に上り、少し足を開き、胸を張り、左手を腰に当て、右手を大きく頭上に掲げた。 「それじゃあいきますよ~!」 (いかないでっ、許してっ、やめて!) 「1、2の~3!」 右手をパチンと鳴らした瞬間、足先からパキパキと乾いた音を立てながら、硬く冷たい感触が駆け上がりだした。その感触を受けたところから体が信じられないほどに強く固まっていく。石化しているのだ。 (お願い許してっ、昨日のことは謝るから、気分を悪くしたなら謝るからっ!) 心の中でどれだけ叫んでも、嘆願が声になって出ていくことはなく、私は掲げた右手をパチンと鳴らした瞬間のままポーズが固定されてしまい、絶望の処刑を受け入れることしかできなかった。 足先から始まった灰色の侵食は瞬く間に網タイツごと私の両脚を単なる石の塊に変えてしまい、続けて腰、そして胴体にも及んだ。 (ああっ!) 石に、石にされちゃう。そしてその様子を皆が見ている。誰も怖がっていない。目の前で現実ではありえないような現象が起こっているにも関わらず。ワクワクと目を輝かせながら、私が石像になってしまうのを待っている。それを望んでいる。胸がギュッと締め付けられるような絶望だった。その胸も灰色に染まり、肩から両腕に石化は進んでいく。左手は腰に当てたままその形を永遠に固定され、掲げた右手と首も均一な石の棒に変えられていく。私の体内からあらゆる複雑な構造は取り払われていき、全く均質な石材に置き換えられていく。私が私じゃない何かに、石像に……バニーガールの石像になっていく。 (だっだめえ!) 自分の魔法で抵抗できないか試みたが、無駄だった。レベッカがどうしてこんなすごい魔法を行っているのか、全くわからない。私にできるのはちょっと物を浮かすことだけ……。当然、重い石の塊となりつつある自分を浮かばせて逃げることなど不可能に決まっていた。人間の時でさえ飛べたことないんだから当然だ。 いよいよ私の顔も無機質な灰色一色に染め上げられてしまい、私の浮かべた満面の笑みはその瞬間を刻まれてしまい、二度と動かすことはできなくなった。すぐに右手も完全に石に変わり、遂に私は……自分の名前を刻んだ台座の上にたつ、バニーガールの石像と化してしまった。 (そんな……!) 全身からうねうねした魔力の感覚がなくなった。レベッカの身体支配が解けたらしい……。でも、今度は違う理由で身動きすることは叶わなかった。指先から髪の先まで、全てが硬く冷たい石の塊と化した私の体は、どれだけ頑張ってもピクリとも動かなかった。手足に力を込めるという動作自体ができない。ポーズを取ったまま芯から全てが固定された私の体に、もはや骨も筋肉も存在しない。動くことも、喋ることもできない。私は石の台座という何の柵もない狭い牢獄の中に、永久に封じ込められてしまったのだ。 「おお~」「すげえ~」「ガチみたい~」 ワッと拍手と歓声が沸き起こった。私の「石化マジック」成功に対して。 (ち……違います、これは……マジックじゃなくて……本当に) しかし、私の浮遊魔法が誰にもそうだと気づかれなかったのと同じく、この石化も誰もが「マジック」だと信じ、よもや本当に人間が石になってしまったのだとは思っていない。こんな……こんなありえないようなことでさえも。 (た、助けて、お願い……誰か……) マジック終了に伴い、徐々に人が引いていく。皆が去っていく。近づいて触ったり記念撮影したりする人もいるが、それもすぐに帰っていく。誰も私を助けようとしない。マジックだと思っているならば脱出パートがあると思う人がいてもよさそうなものだけど……昨日のレベッカが大騒ぎにならなかったように、私の石化も当然の現象として世界に受け入れられてしまったのだろうか。いや、無理やり受け入れさせられたのだ……あの子の手によって。 「大ウケだったよ、よかったねーお姉ちゃん」 レベッカが私の視界に現れ、私に向かってそう言った。悪戯っぽく笑い、クルリと背を向けて去っていく。私は必死になって呼びかけた。 (ま、待って! お願い、元に戻して! ねえ! いかないで! 昨日は注意なんかしてゴメン! ごめんってば! ねえ! ……いやあぁー!) 彼女が視界から消え数分。私はバニーガールの石像として指一本動かせないまま、台座の上に立ち続けるだけだった。これがこれからずっと、一生、永遠に続く……かもしれない、その可能性が高いと悟ると、あまりの絶望に私は心の中で泣きわめいた。満面の笑顔を浮かべたままで。 時間が経って日が落ちる。フリマが終わり、人が去る。私はこの公園の新たなモニュメントと化したまま、その間どうすることもできなかった。体が全く動かない。うめき声一つ出せやしない。多くの人が視界を横切ったが、誰も私が人間だと気づいてくれない。昼間にマジックを見ていたはずの人でさえ、もう私の事を「以前からこの公園に設置されている石像」だと認識しているらしかった。恐ろしい。こんな簡単に私の……人の一生が、存在が塗り替えられてしまうなんて。なんで、なんであんな子に関わってしまったんだろう……。とっとと逃げるべきだった。大人ぶって注意なんかするんじゃなかった。そのせいで私は、私は……これから一生、こんな所で石像になったまま身動きのとれない苦痛を味わい続ける。しかもよりにもよってバニーガール姿で。屈辱だった。しかも台座には私の名前が刻まれている。私という存在は、過去も未来も現在も、バニーガールの石像ということに固定されてしまったのだ。 (んんっ……) 夜。懸命に動こうともがいたものの、やはりダメだった。微動だにできない。目線すら固定されたまま僅かにも動かない。魔法は使えるものの、台座と一体化し重い石像と化した自分を持ち上げることなど到底叶わず、近くの草の切れ端を浮かべることができる程度。どうすることもできない。 (わ、私……これから一生このまま、なの……? そんな……) 誰もいない、暗い夜の公園の中で、私は昨日の行動を心底後悔しながら、失意の眠りについた。 起きたら全てが夢だったことになればいいのに。そう願ったが。起きても私は台座の上でポージングして笑顔を浮かべたままだった。体は当然、石のままだ。バニーガールの石像として新たな一日を迎えた私は、暗澹たる気持ちの中で道行く人々を見つめていることしかできなかった。心の中で助けを求めても、誰に届くはずもない。魔法がテレパシーとかにも使えたらなあ。 レベッカはどうやって人間を石に変えたんだろう。自分に魔法を使おうと試みても、変化のやり方がまったくわからないので無駄なあがきだった。そもそも、私の魔力自体が恐らく絶対的に足りないんだろうな……きっと。 昼間。今日はフリマの最終日。予定通りならここでマジックを……。でも、私は今や単なる石の塊に過ぎない。人の形をしているだけの……。どうにかならないだろうか。正義の魔法使いが現れて私を基に戻してくれないだろうか。そんな都合の良すぎる奇跡が起きることを祈るしかない。 しばらくすると、また視界にレベッカが出現。私を見て笑うと、こっちを指さしながら軽く手を振った。すると驚くべきことに、私の体に再び血が通いだしたのだ。顔から始まり、徐々に全身がまた生きた人間の体に戻っていく。灰色が駆逐された瞬間、私はその場に崩れ落ちた。 「はぁ……はぁ」 すごい疲労感だった。マラソン大会の後のようだ。息ができる。してる。それが心から嬉しくありがたかった。何で戻してくれたんだろう……流石にやり過ぎたと思った? 最初から一晩のつもりだったのかも? 台座が消滅し、私は芝生の上に落下した。「いっ」と小さく声を上げて倒れた私にレベッカが近づく。私が顔を上げると、今度は彼女がドンドン巨大化し始めた。 「へ?」 え、ちょ、何、今度は……私を踏みつぶす気!? 見る間に巨人になっていくレベッカ。が、すぐ違和感に気づいた。足元の草が……足元じゃなくなっている。デカい。草も大きく……いや、これは……まさか。 巨大な手が私を掴む。レベッカの背後に見える巨大な、あまりにも広くなり過ぎた公園の光景が目に飛び込む。間違いない、私は……私が小さくなったんだ! 彼女が左手を私にかざすと、また服装の変化が始まった。体にしっかりと張り付いていたレオタードや網タイツは余裕のあるふんわりした柔らかい着心地に変わっていく。白タイツとヒールのないピンク色のぺったんこな靴。パニエもなしにふんわりと広がる、フリル満載のスカート。肘まで覆う白い手袋。私はアニメのアイドルみたいな、ピンク主体の可愛らしい服装に変えられてしまった。そして何故だか、見えないはずの髪の変化も何となくわかった。長い金髪にされている。そして白色のリボンカチューシャも。 「こ、今度は何!? この格好は……?」 まるで女児向けアニメのキャラクターか、或いは着せ替え人形のお洋服かってぐらいのフリフリピンク姿に、バニーとは違う理由で顔が赤くなる。大学生の格好ではない。レベッカの歳ですらキツイはずだ。何でこんな人形みたいな服……人形……まさか!? 逃げ出そう。そう思った時には遅かった。突然ピンと体が伸ばされる。両脚は少し開き、両手は斜め下に。石化した時と同様、全身がカチコチに固まっていく。ダメだ。小さくされた私はあっという間に全身硬化され、物言わぬ哀れなお人形に変えられてしまった。 (そんなー!) せっかく助かったと、戻してくれたと……思ったのに。レベッカは私を掴んだまま歩き出した。身動きがとれない、受け身の取りようがない状態で二階ぐらいの高さをブラブラと振り回されるのはかなりの恐怖体験だった。 (ひい……) 私はこのままこの子の玩具にされてしまうのかな。そう思っていた私は、それがとんでもなく甘い憶測だったことを思い知らされた。彼女は私をフリマ会場に連れていき、ある親子連れの店の前に立った。そこには女児向けの玩具が複数並べられていた。 (まさか) レベッカは私をその中に置いて、手を離してしまったのだ。 (そんな!) や、や、や……やっちゃった。この子。無くなったはずの心臓がバクバク鳴る感触を覚える。信じられない、早く私を手にとって。ここから出して、このままじゃ私……。 「じゃあね、うるさいお姉ちゃん」 (待ってぇ!) レベッカはそう言うと、踵を返して立ち去った。私は心の中で泣き叫びながら許しを請うも、見えるのは行き交う人々の足だけだった。 や、やばい……どうしよう。人間だったら汗が滝のように流れているところだ。私は、私は……あろうことか、フリマで売られる、中古のお人形にされてしまったのだ! 「でもホントにいいの? この子、お気に入りだったじゃない」 「いいよ。もう人形遊びなんかしないし」 後ろから親子の会話が聞こえる。今のは明らかに私のことだった。ついさっき見知らぬ女の子が勝手に置いていったはずの人形が、いつの間にか昔から遊んでいた古い人形ということにされている。ち、違う。私は今さっきここに並べられたばかりで、貴方と遊んだことなんかない。そもそも人形じゃない。人間っ! (だっ誰か助けて! 私は人間です! 人形じゃないんです! 魔法で人形に変えられて、昔からそうだったことにされちゃってるんですっ) なんて荒唐無稽な叫びだろう。仮に声を出すことができたとして、誰がこんな話を信じるものか。しかし、本当に……ホントにホントにまずいことになった。最悪の事態……。これなら石像の方がマシだったかもしれない。何故ならこのまま売られてしまえば、もはやレベッカでさえ私と再会することは不可能になってしまうからだ。ここはフリマ。記録は残らない。そうなればもう……二度と元に戻ることはできない。仮にレベッカが元に戻そうと思い立っても、戻ることはできなくなってしまう。石像のままの方がワンチャンはあった。 (ぐっ……んん……う) 石像は無理でも、人形なら動けないか。懸命に動こうとあがいたが、ダメだった。指一本動かないや。再度永久に固定された笑顔のまま、行き交う人々の足を眺めていることしかできない。 やがて親子連れが現れた。子供の方は幼い女の子で、ジッと私を見つめている。 (う……嫌な予感) 案の定、その子は私を気に入ってしまったようだ。すぐに話がまとまり、私はその子に売り飛ばされることになった。 (やめて! 売らないで! 私はあなたたちの人形じゃないの! 人形でもないのっ!) しかし心の叫びは届かない。私は顔も名前も知らない幼い子供の手に渡ってしまった。親が百円を払うと、私は大変なショックを受けた。 (ひゃ、百円! 私がっ……私、が……百、円……) 自分がたった百円で売買されたという事実は、ボディブローのように私の自己認識を大きく揺らし食い込んだ。二十一年生きてきて、私の命が、人生が、生殺与奪権が……百円。 子供の大きな頬っぺたにスリスリされたあと、私はその親の鞄に仕舞われた。自分は人間だと必死に訴えたけど、どうしようもなかった。私は遊び倒された百円の中古人形。この二組の親子によって、私の存在はそう再定義されてしまった。そしてこれはもう……永久に動かない。レベッカも知らないところに私はいってしまう。永久にお人形になってしまう。 (やめて、やめて、お願い……元に戻して。なかったことにして) 願いむなしく、私は鞄の中で揺られながら、公園を立ち去る親子に身を委ねることしか許されなかった。 やがて本当に全く知らない家の子供部屋に解放された私は、新たな私の持ち主となった娘によってままごとに使用された。思ってもいないことを言ったことにされ、他の人形と混ぜて同じように使われ、私は気も狂いそうな焦燥感に襲われた。こ、これじゃホントにお人形だ。私はこのままこの子のお人形の仲間に加わってしまうの? そしていつの日か飽きられて、また売られるか、もしくは……捨てられる。 (いやっ、死にたくないっ) 未来の恐怖に打ち震える。このままお人形として死んでいくなんて、絶対に嫌だ。何とか……何とかならないの。 やがて夜になり、私は他の人形たちと共におもちゃ箱に仕舞われた。他の人形と同じように扱われることが、ますます私にかけられた魔法を強固にしていくように思えて、忸怩たる思いに駆られる。 寝静まった子供部屋で、私は懸命におもちゃ箱からの脱出を試みた。しかし不可能だった。体が動かない。声も出せない……。 (うぅ……何とかならないの……?) 無駄だと知りつつも、私は魔法で自分の体を浮かそうと試みた。ふわりと浮いた。はぁ、そうだよねやっぱり無駄……んんっ!? 驚きのあまりバランスを崩し、おもちゃ箱に落ちた。痛い……。で、でも今浮いたよ? 自分を浮かすことはできないはずなのに!? もう一度。浮いた。移動も……できる。手足も表情も一切動かせないけど、ふわふわ浮かぶことはできる。何でだろう……。棚の上まで浮き上がり、鏡の前に立った瞬間理解した。小さなお人形だからだ。軽いから大丈夫なんだ。鏡に映る、フィギュアのような自分を見て理解させられた。アニメ調のデフォルメされた顔。腰まで伸びる長い金髪。可愛らしいピンクと白の服装。樹脂みたいなツルツルで固そうな肌。 (これ、なら……) 私は懸命に自分の体を浮かしながら、脱出経路を探した。ドアや窓の鍵は私の魔法じゃ操作できない。どこかないか……。 あった。お風呂の扉と、その窓が開いている。私はそこから家の外に飛び出した。知らない家……だけど、何となく見覚えあるようなないような……。 人目につかないよう気をつけながら、私はしばらくその辺をふよふよ浮かびながらうろついた。知っている道に出たので、そこから自分の家まで辿れそうだった。幸運にも割と近所だったらしい。まあ、同じ公園のフリマに来ているんだからそこまで分の悪い賭けでもなかったんだ。よく考えれば。 それでも車を使いたい距離ではあり、帰宅には私の全魔力と気力、そして夜明けまでの時間全てを費やさなければならなかった。それでも自分のアパートにたどり着いた時の喜びは、何事にも代えがたい心からの安心感があった。 まあ、ドアは開けられないので入れなかったけど……。 翌朝、ドアの前に放置された人形を同じ階の人たちは怪訝そうに一瞥して大学やらコンビニやらに出かけていったが、特に持ち去られるようなことはなく、ホッと一息つけた。 再び夜になるのを待って、私は大学の友達の家に向かった。魔法の事を明かしている数少ない友達だ。彼女にさえ会えればきっと助けてくれる。 さらに次の日。私は友達と再会できた。声が出せないので当然事情の説明なんかできっこないのだけど、お人形がふよふよ浮かんでいることで、私がどこかに隠れて悪戯しているという推論はすぐに立ててくれた。無事家に持ち込まれた私は、必死こいて周りのモノを色々浮かせながら、自分がまさに本人なのだと数時間かかって理解させることに成功。体は変わらず人形だけど、何とか最低限、私は人間のイデアを取り戻すことができたのだ。 「えーでも、私会いたくないよそんな奴」 (うん……そうだね) 「自力で頑張って。まあ、面倒はみてあげるから、さ。食費かかんないし。ははは」 友人は魔法使えないので私を元に戻すことはできないし、危険なのでレベッカを探してなんて頼むこともできなかったが、家には置いてくれることになった。あああ、ありがとう……やっぱり持つべきものは友達だ。 これで一安心。緊張が解けた私は心の底から安堵した。心に余裕が生まれると、多少のおいたは受け入れる余地が生まれる。例えば彼女がメイド服やゴスロリ衣装やらを買い込んできて私を着せ替え人形にして遊んでも……だ。 「いいよいいよ、可愛いよー」 スマホでパシャパシャ撮られながら、いつか元に戻れるようになったら……つまり人間と人形を行き来させられるような大魔法使いになったら、絶対同じ目に遭わせてやると、私は心に誓うのだった。

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