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「なんか、変な感じ……です、ね」 私が照れながらそう言うと、黒田くん……さんは少し寂しそうに笑いつつ、 「いいよ、ため口でも」 と答えた。しかし六十過ぎの先生に同級生感覚で接することは中々難しかった。このおじいさん教師が、昨日まで同世代だったあの黒田くんと上手く結びつかない。理屈ではわかっているし、顔見れば面影もあるんだけど。 「まあまあ、仕方ありませんよ。昨日まで同世代だったんでしょう? 赤枝さんからすれば」 奥さんがお茶を持って現れ、そう言った。 「いやホントすまんな。予定よりだいぶ早くて……」 「ああ、いえ。お気になさらず……に」 また敬語で答えてしまう。黒田くんはまた寂しげに、でもどこか楽しそうに笑った。予定ではあと数か月、12月3日まで石化している予定だったんだけど、思わぬアクシデントで私の封印は八か月ほど早く解かれた。まあ、五十年飛んでその程度の誤差なら甘んじて受けるべきかもしれない。けど私の年齢で急に八か月ズレたら成長とか色々不安な気もする。周囲に何も思われなければいいけど。 まだ家に帰るわけにはいかない。現代の私が家にいる。現代の私が消えるまでの間、黒田くんの家にご厄介にならなければならない。事情を知るのは彼ただ一人なんだから。あ、奥さん入れれば二人か。しかし中学生の女の子をそんな長期間家に泊めて彼は大丈夫だろうか。私のせいで捕まったりすることになったら私はどう謝ればいいのか……。 「大丈夫よ、何か聞かれれば私の親戚って答えればいいから」 「いや、ホント……何から何まですみません」 「だから気にするなって。友達なんだから、さ」 「はい……」 いやホントに頭が上がらない。黒田くんに世話になってばかりだ。昔、そう五十年前から……。 私が常識外れの運命に巻き込まれたあの日。忘れもしない今年の12月3日。あと八か月でやってくる。あの日私は、中学から帰る途中、紫色の尻尾を持った狐を見かけた。小さな山の麓、木々の中にいた小さな影。それでも派手な紫色はよく目立った。もっと近くでよく見たい、バズるかも、もしかしたら大発見かも……驚きと好奇心に支配されるがまま、私はその後を追いかけていった。町中にある小さな山は、古い神社がポツンと立っているだけの本当に小さな山。厳密には丘かもしれない。けどみんな山と言っていたので山だ。 狐は木々の間を駆け抜け、参道の階段に移動した。私も駐車場を駆け抜けて階段へ回った。何とか近づいて一枚撮りたかった。階段に佇む狐は大きな尻尾をこれ見よがしに振り、鮮やかな紫色をアピールしていた。見間違いじゃなかった。本当に紫色だ。それも何だか……毛っぽくない。誰かに被せられたのだろうか? テカテカとした、まるでタイツのような光沢を放っている。でも布やビニールの類には見えなかった。確かに体毛……染色したんだろうか? 確かに毛なんだけど、見方によってはまるで一つの塊のようでもあった。樹脂で狐のフィギュアを作れば尻尾はこんな表現と質感になるだろう……と私は思った。不可思議な尻尾の質感に驚き、私は写真を取り損ねた。 不思議な狐は階段を駆け上り、私は「待って!」と叫びながら続けて階段を駆け上る。小さな丘とはいえ一気に走って上るのはきつかった。神社までたどり着いたころには狐を見失い、辺りは静まり返っていた。その辺を調べてみたものの、狐は見当たらなかった。あるのは狐の石像……狛狐だけだ。ガッカリした私は、代わりに小さな山の頂から一望できる夕暮れの街並みを一枚撮った。綺麗だけどまあ、そんだけかな……。 帰ろうとしたその瞬間、目の前が一瞬、全て紫色に染まり、私の意識はシャットダウンした。 「おい? おい……大丈夫か、おい」 気づいた時、私は同じ神社の境内で目覚めた。起き上がると同い年ぐらいの男子が一人、屈んで心配そうに私を見つめていた。 「ああ……うん?」 私はゆっくりと辺りを見渡し、そして……どうやら神社で倒れてしまったらしいと察した。なんでだろう。貧血かな……。 「大丈夫。ありがと」 私は男の子に礼を言って、神社をあとにした。階段を下りながら、猛烈な違和感に襲われつつあった。おかしい。何か違う。暖かいような……。それにここはあの神社じゃない。私のいたところじゃない……? いや、そんなはずはない。ここは間違いなくあの神社。昔から勝手よく知る近所の寂れた古神社。ついさっき私が駆け上った階段。のはず。形はそのままだ。けど違う。何かが。手すりが綺麗な気がする。階段の石も何か違うような。整っているというか何か……。目の前に広がる私の町も、なんか違和感があった。……こんな街並みだったっけ? でもじゃあ、私の町じゃないのかと言われれば、私の町の……はず。山並みもビルも同じ場所に同じように……んん? 私は自分のスマホを取り出し、ついさっき撮った写真を見てみた。違う。おかしい。町並みが変わっている。山や道路は同じだ。建物の並び……区画っていうんだっけ? も概ね同じ。だから間違いなく同じ町なんだけど……建物が違っている。それも中途半端に。三割ぐらいは同じだけど、もう七割は……様子がおかしい。次第に心臓がバクバクしてきた。私は寝ている間によく似た別の町に運ばれたのだろうか? 転んで頭を打って記憶がおかしくなった? それとも……いやまさか、異界にでも紛れ込んでしまったのだろうか? 漫画じゃあるまいしそんなことはありえない。でも……私は紫色の尻尾を持つ狐のことを思い出した。うう……怖いよぉ。町に降りるのが。 山から下りて道路に出ると、心臓はますます脈打ち、顔中から嫌な汗が流れ出た。道路や壁の位置は大体同じだ。でもそれ以外が……変だ。おかしい。違う。私は怯えながら自分の家に向かって歩いた。すれ違う人たちの服装がおかしい。全体的に妙に古臭いというか……ドラマで見るような昔のファッションばかり。そして区画が大体同じなのに建物がまるで違う。知っている店が一つもない。家も店も全て入れ替わっているようだった。知っている建物も、すごく新しく見える。まるで立って数年か、或いは新築みたいな……。私の記憶ではかなり古いやつだったと思うんだけど! 店先からものすごく曲調が古めかしい歌が流れている。サラリーマン風の人たちは新聞を手に持っている人もいる。そしてその新聞が軒先で売られていた。同年代っぽい人とすれ違っても、知っている顔と出会わないし、やはりすごく服装が古い。町全体でドラマの撮影でもしているかのようだった。すでに頭の中にある考えが浮かんでいたが、現実に起こるはずのない答えだったので、必死にありえないと却下し続けた。が、自分の家……があるはずの場所にたどり着いた時、私は生まれて初めて「血の気が引く」という表現を体で理解した。映画で見るような古いデザインの家が一軒建っていて、私の家は影も形もなかった。表札も赤枝じゃない。知らない名字だった。 私は来た道を引き返し、軒先で売られている新聞を手に取った。日付は……信じられないことに、ありえないことに……五十年前の、三月だった。通りでなんか……そこまで寒くなかったんだ。見るもの全てが古い印象のものばかりであることにも説明がつく。私は……五十年前にタイムスリップしてしまったらしい。 (って、うっそーっ!?) ありえない。そんなことは……現実じゃない。無理……ないって。私はスマホを取り出した。そして圏外であることに気づく。町中なのに。スマホは変わらず私のいた年の12月3日だと表示していたものの、もはやそれこそが嘘だった。 (えっ……えっ、どうしよう) 私は一応、道行く人に今日が何日か訊いてみた。答えは一緒で、五十年前の三月だった。町の人総出でドッキリを仕掛けているんじゃない限り……この絶対ありえないはずの事態はどうやら現実に起こっているらしい。 私はパニックになった。どうしよう。どうすればいいんだろう。もう日が暮れる。私はこれからどこに……五十年前に知り合いなんていない。警察……いや信じてもらえるわけがない。んーでもスマホを見せれば……見せていいのかな? ダメなんだっけそういうの? ていうか仮に信じてもらえたところで別にどうにもなんないか。誰もタイムマシンなんて持ってないんだから。 私は藁に縋る思いで急ぎ神社に戻った。タイムスリップに原因があるとすれば神社。だってそこで起こったんだから。ひょっとしたら狐の仕業? あの紫色の尻尾を持った狐は妖怪か何かだったんだろうか? 日が沈み薄暗い神社は気味が悪く、相当に怖かった。息を切らしながら私は賽銭箱に十円玉を投げ入れて、現代に戻してくれるよう願った。しかし何も起こらない。倒れていた場所に寝転んでみた。何も変わらない……。 世界が暗闇に沈んでいく中、私は泣いていた。誰も知る人のない五十年前の世界。私はこれから一生ここで……身寄りも何もない状態で生きていかなければならないんだろうか? 両親も生まれていない時代に。元の時代に戻った時私は……六十半ば? お婆さんになった私が友達が学校に行くのを遠くから眺めているところを想像すると、胸がギュッと締め付けられる思いがした。嫌だ。嫌だよ。誰かお家に帰して……。誰か助けて……。 うずくまって泣きじゃくっていると、誰かが私に声をかけた。さっきの男の子だった。気絶していた私を起こしてくれた……。 孤独と絶望に押しつぶされそうだった私は、気づけばありのまま全てを話していた。五十年後からタイムスリップしてしまったのだと。最初は信じてくれなかったけど、スマホを見せて写真とか適当なゲームとかパッパッと見せてあげると、彼は「すげー! やべー!」と興奮しながら私の話に乗ってきた。信じてくれたかは知らないが、取り合えず話は合わせてくれるようになったので、私は大いに安心した。 彼は近くに住んでいて、名を黒田くんといった。今日は泊っていけばいいというので、私はありがたく彼についていった。ご両親には未来人だということは伏せて、迷子の家出娘ということにされた。それで納得するのか不安だったけど、私は歓迎された。昔の人って大らかだなあ。いや黒田家が細かいことにはこだわらない家系なのかもしれない。 家の中はまるでドラマの世界に迷い込んだみたいで、今度は私が興奮する番だった。レトロチックな家具、食器、そして糞みたいに画質が悪いテレビ。スマホどころかパソコンもない。これが昔の暮らしかぁ。とりあえず寝床と理解者(?)を得られたことで、さっきまでの絶望はどこやら、ワクワクが勝っていた。 黒田くんも未来の話を知りたがった。何だかあまり言わない方がいい気がしたので、スマホのゲーム以上のことは答えなかった。でもスマホと手持ちの教科書だけで割と興奮のキャパシティを満たしてくれたようで、少しホッとした。歴史と社会科の授業がない日で良かったのか悪かったのか。 そして、スマホを充電しようとしてできないことにようやく気付く。アホだ私は。そそくさと電源を落とし、出来るだけ使わないことに決めた。ううー、スマホ切れたらそれっきりかあ。 朝ドラで見るようなデザインと作りの布団、そして寝間着に少し興奮しながら、私は過去の世界で最初の一日を終えた。元の時代に戻るまであと何回の夜が必要なのだろう。そして戻った時にはおばあちゃんか……。 急に心細くなり、私は声を押し殺してまた泣いた。 翌日。黒田くんは高校に出かけた。どうやら年上だったらしい。未来人と接触したことはできれば秘密にして欲しいと言っておいたけど、どうなることやら……。そういえば私がこの時代でなんか色々動いたら未来が変わったりするんだろうか? 日中は黒田家の家事を手伝うことになったものの、家電とキッチンの低性能ぶりに辟易した。買い物はあまり現代と変わるところがなかったけど、見たことない古いお札と硬貨を見た瞬間、昨日お賽銭に投げ入れた十円玉はちょっとまずかったのではないかと思い出し、気が気じゃなくなった。いつの十円玉だったろう。見てなかったし気にしてなかった。平成か令和の十円だったら回収した方がいいかも……いやそれぐらいなら別に……よくない? しかしどうしても頭の片隅に十円玉のことが残り続けた私は、翌日黒田くんと一緒に賽銭荒らしを敢行した。見つかったらどうしよう。気が気じゃなかったけど、黒田くん曰くここの神社は普段誰もいないから別に構わないとのこと。 やがて平成の二文字が刻印された十円玉を見つけた私は、ようやくホッと一息つくことができた。これで安心してグッスリ寝られる。いや安心していい状況でもないけど。そしてこの罰当たりな「悪行」を共に乗り越えたことで、私と黒田くんは一層仲良く話せるようになった。ひとしきり笑えるようなおかしな話を交わし合ったのち、彼は言った。 「なあ、やっぱ未来に戻りたいよな?」 「うん……でも戻る方法ないし」 「ひょっとしたら、力になれるかもしれねえぜ」 「え?」 「お前を未来に戻す方法が、たった一つだけあるかもしれねえ」 「ほ、本当に? どうやって?」 「だがそれには……お前に高校に入ってもらわないといけねえ。それには会長の力を借りる必要がある。あいつは会長の息子だからな」 話が見えてこなかった。会長の会長? ていうか高校? 「見てもらえりゃ話ははえーんだけど……見るには高校に入らねえとな」 「?」 黒田くん曰く、彼が通う高校には不思議な風習があるらしい。それは「継承の儀」と呼ばれていて、両手両足、胴体、首、そして頭に該当する七つの部位が継承され続けているというのだ。継承者はその証として該当部位にカラフルなタイツを付与されるのだとか。そしてそれは、高校関係者にしか視認できない。 (えっえっえっ、何それ) 突然ファンタジーな設定を聞かされた私は困惑した。最初は冗談かと思った。しかし彼の話ぶりは真剣で、嘘とは思えない。 彼は続けた。実は彼はその継承者の一人で、首を継承しているのだという。何も見えないけど……。彼の首を触ってみると、彼は赤くなって「なっ何だよ!? だから関係者じゃ……ねーとだな……ゴニョニョ」と私の手を払いのけた。 「あはは、ごめんて」 初心な反応に思わず笑ってしまうと、彼は気分を害したらしい。未来に戻してやらないぞ、と言い出した。 「もー、ごめんてばー」 再度謝り、許しを得ると、彼はようやく本丸に入った。継承者は高校を離れるまでの間に下級生の誰かに部位を継承しなければならない掟があり、それを破ったものは石になってしまうらしいのだ。それ呪いじゃん……と私は心の中で突っ込んだ。彼は私に高校へ入学し、わざと石になればいいと告げた。この呪いを逆手にとって、五十年間を石のまま過ごせば未来へ戻ることができるかもしれない、と。 ファンタジー設定にファンタジー設定を重ねた突拍子もないアイディアに、私はぽかんと口を開けて返事ができなかった。どこまで信じればいいんだろうこの話。私が継承の話を信じていないことを見透かし、彼は少し怒り気味の説教を行った。自分はお前の未来から来たとかいう話を信じたのに、お前は俺を信じてくれないのか、と。私はドキッとした。恩を仇で返そうとしている自分の恩知らずぶりと、自分ことしか考えていない浅ましい精神性をあぶりだされて鋭く突かれたように感じた。私は彼に真剣に謝った。そして信じることに決めた。彼の高校ではファンタジーな風習が実在し、呪いも存在するのだと。よくよく考えてみればタイムスリップよりはありそうだ。 「わかった。よろしくね黒田くん」 「おう。任せとけって」 三月下旬、私たちは生徒会長に会いに高校に出向いた。コネ入学でねじ込んでもらうためだ。もう受験終わってるから正攻法だと一年待たなきゃだし、よくよく考えてみれば中学卒業してないし戸籍もないし、それしか方法がない。 この高校は私の時代にもある。来たことはないけど、名前も校舎もそのまんまだ。実は現代における私の志望高の一つでもある。理由は単純に同じ町で近くて、そこそこの普通科だからっていうだけ。こんな継承なんて行われていたなんて知らなかったなあ。現代でも続いているんだろうか。 生徒会長はビシッとした学ラン姿で、七三分け、いかにも真面目で固そうな男だった。黒田くんは面白そうに 「見えないだろうけど、あいつ右手ピンク色なんだぜ」 と囁いた。袖から覗く右手は普通に見えるけど……想像したらおかしくてちょっと笑ってしまった。会長は軽く自己紹介を済ませてから私を一瞥して言った。 「で、君が未来人? ふふっ……」 明らかに信じていなさそうな口調だった。黒田くんが反論した。 「だーかーらー、言ったろ。マジなんだって。いいかお前、ションベン漏らすなよ」 「どうだか」 「おい赤枝、見せてやれよ。未来の道具」 「う、うん」 スマホの電源を入れて、彼に画面を見せた。彼はあっけに取られて固まった。私がネット無しで動くアプリやゲーム、それから写真などをタッチ操作で続々見せてやると、彼は 「あっあっ、え?」 と声にもならない感嘆と恐怖の入り交じった声を上げながら、すっかり圧倒されていた。それから触っていいか私に確認を取ってきたので、軽く使わせてあげた。その後彼は困惑しながら何度もスマホを裏返してはまた画面を見て、指で触り、また裏返していた。薄さが信じられないみたい。まあ仕方ないか。黒田くん家のテレビすごい奥行あったもんねえ。私は異世界転生物の主人公になったような高揚感と圧倒的な勝利の気分に浸った。まあ私がこのスマホ作ったわけじゃないんだけど。しかしついさっきまで私を胡散臭い目を見ていたお堅そうな男が宇宙猫状態になっている様子が痛快でないと言えばウソになる。何より黒田くんが嘘を言っていたわけじゃないってことをどうやら信じてもらえたのが嬉しかった。 「……わ、わかった。とりあえず話を聞いてみようじゃないか」 会長は今更ながら動揺なんてしていないというポーズを取りながら椅子に座った。私と黒田くんが笑うと会長は「いいから話せ!」と叫んだ。 狐の話から順番にタイムスリップの顛末について話せることを全て話すと、彼は興味深そうに 「紫色の尻尾の狐を見たのかい?」 と私に尋ねた。そこ引っかかる? と今度は私が疑問に思いながら「はい」と答えると、彼は「ふーん……」と言ってしばらく押し黙った。 しばしの間の後、 「わかった。親父に頼んでみよう。……どうせすぐ『退学』するんだ、かまやしないだろう」 「よっしゃ! サンキュー会長! ピンク男!」 黒田くんの頭に野球のボールがぶつかった。 数日後、黒田家家政婦として頑張っている最中、黒田くんが駆け寄ってきた。入学が認められた、と嬉しそうに報告し、私を抱きしめた。 「よかったな、未来に帰れるぞ! ……多分」 黒田くんに抱かれていると、実感が湧いてきた。何もかも本当なんだと。希望を感じた。私は未来に帰れるかもしれないんだって。 「うん……ありがとう」 それからはてんやわんやだった。すぐ「退学」するから教科書とかは必要ないが、制服はいるだろうと。 「ええ!? いいよ別に! お金かかるでしょ!?」 「気にすんな。俺が友達のお古借りてくるから。タダだぜ」 私はちょっとムッときた。友達って? 女子……だよね? 黒田くんに制服を借りれる仲の女友達がいるなんて初耳だ。……別にどうでもいいけどさ。 「入学式ぐらいは出ないと認めてもらえないかもしれねーしな。ん? どした?」 「別に?」 「変な奴」 四月の入学式。お古の制服を着て私は高校の入学式に臨んだ。何だか不思議な気分だった。これから受験する高校決めるところだったのに、受験も何もかもすっ飛ばして入学なんて。なんかズルしたみたいで周囲に申し訳なかった。いやズルしたんだけど。 ドラマみたいに厳粛な入学式を終えた後、一応配属されたクラスで私はいたたまれなさに落ち込んでいた。き、気まずい……。周りは誰もそんなこと思っていなかったろうけど、私は勝手に針の筵みたいになっていた。 ようやく初日を終えたのち、赤枝くんが迎えに来てくれた。 「よう赤枝! 見えるか?」 「何が?」 「首だよ首!」 彼は自分の首を指さした。彼の首はテカテカと光沢のある黒い布で覆われている。ダサかった。 「首どうしたの? その黒い……」 「よっしゃ!」 彼はガッツポーズを決めた。そして私は、継承の儀が本当だったのだと知れた。 「触っていい?」 「お? ……おう」 彼が少し屈んだ。私は彼の首を覆う黒い謎の布に手を振れた。ツルツルしていて何となく手触りがいい。事前の話通り、タイツのようにぴったりと彼の首筋に沿って張り付いているようで、黒田くんの喉仏に触れることができた。 「も、もういいか?」 顔を赤くした黒田くんが言った。そして周囲からジロジロ見られていることに気づき、私も赤くなって慌てて指を引っ込めた。 会長とも会った。本当に右手が鮮やかなピンク色に染まっている。私の視線に気づいた会長はばつが悪そうに右手をポケットに入れると、授業が始まるまでに石になってもらうから、やり残したことがあればそれまでに済ませるよう告げた。 (やり残したこと……) ああ、そうか。石にするって、それで未来まで送るって話も本当なんだ。じゃあ私はやっぱり……。チラリと黒田くんの方を見た。もしも未来に戻れなかったら、このまま黒田くんと一緒に高校生活を過ごして、それで……というのも悪くないかなと内心思い始めていたところだっただけに、私の心は揺れた。でもやっぱりそれはダメなんだろう。私はこの時代の人間じゃないし、家族も友達も皆未来で待っているし、インチキ入学だし……。 「……わかりました」 私は受け入れた。黒田くんが私のために東奔西走して整えてくれた未来行のチケットだもん。ちゃんと受け取らないとダメだよね。 翌日、私と黒田くんは学校をさぼり、最初で最後のデートに出かけた。この時代を堪能してから行きたい、という私の願いに彼は出来る限り頑張ってこたえてくれた。五十年前の都会はまるで映画の世界に入り込んだかのようで最高にテンションが上がった。駅で切符にバチンとデカい切れ込みを入れてもらう。ネットで時間を調べられず、座席が決まっていない映画館。私の時代にはない面倒くさい手続きが、どこかロマンティックに感じられるのはなぜだろう。もう未来へ帰るから、一期一会のお客様だからだろうか。それとも……私は隣に座る黒田くんの顔を見た。 初めてみる古い恋愛映画は、画質が酷いし周囲もガヤガヤ煩かったけれど、不思議と集中して見れた。そしてとっても心に響いた。結局は全部、隣に好きな人がいるからなのかもしれない。そうであれば、きっと何もかもが輝いて見えるんだろう。映画館を出た後に寄った、レトロなのに流行の最先端面してる喫茶店で駄弁っている間も、私は行くところ全てが素晴らしいもののように思えてならなかった。 未来に帰りたくない。言ってはならない言葉が何度も喉の手前まで上がってきては、強引にコーヒーで押し返した。しかし体は正直で、涙が滲んでしまった。黒田くんももしかしたら本心は同じだったかもしれない。二人で黙って抱き合い、静かに帰りの途についた。明日私は「退学」して石になる。五十年間。目覚めた時には彼は、黒田くんはもうおじいさんだ。もしかしたら死んでいるかもしれない。そう思うと辛くてまた泣きそうだった。 「頭、継承します」 翌日。二年生の先輩を呼び出し、私は彼女と後頭部をくっつけあった。継承の儀の習わしで、該当部位を直接接触させて互いに継承を唱えることがルールらしい。白い光がフラッシュし、私は思わず目を閉じた。光が収まったので目を開けると、頭が重くなっていた。二年の先輩は満面の笑みで万歳三唱している。もう彼女の頭には何もくっついていない。代わりに私の……私の後頭部には、アホみたいに大きな赤いリボンが接着されていた。アニメか漫画でしか見ないような、本当に大きなリボン。そりゃこんなもんつけて高校生活送ってたら……。彼女が喜ぶのはもっともだろう。そして、頭が選ばれた理由もわかる。どれか一つ、五十年間継承から消せるなら文句なく頭だ。 「か、鏡見ていい?」 仕返しとばかりにニヤニヤ笑う会長に苛立ちながら、私は生徒会室から女子トイレに移動した。 「うわっ」 と声が出る。正面から見てもなお輪郭がハッキリわかる巨大リボン。風船のようにパンパンに膨らみ、光沢のある真っ赤なテカテカした素材は、一体何なのか見当もつかない。軽く触ってみると、ツルツルスベスベしていて、黒田くんの首のやつと同じだった。結び目に指を移動させると、髪と完全に一体化していて外せないこともわかった。ゴムもないのに常に適切な強さで髪を結んでいられる理由は、融合しているからだ。リボンを通る髪の束が、そこだけリボンと継ぎ目なく繋がっている。指でなぞると、まるで髪がリボンに溶け込んでいるかのようだ。そしてリボンから髪の束が後方に生えているようにすら思える。全くこの世はありえないことだらけだ。常識は非常識。 生徒会室に戻ると、もうリボンの先輩はいなかった。私は会長に促されるまま着席し、その場で退学届けを書いた。石化の条件はただ一つ。継承者が次代に継承をせず学校から去ること。卒業、転校、そして退学。会長曰く、死んでも石化するらしい。こわ……。 「よし、いいだろう」 会長は退学届けに不備がないことを確認してから、言った。これから職員室へ届けてくる。すでに話は通してあるからすぐに受理される。それからこの高校の敷地外に出た瞬間、君は全身が石になるだろうと。 会長が部屋を出て行ってからしばらく、黒田くんと二人きり。重い空気が流れた。 「あの……えっと」 「……」 「今までありがとうございました。本当に、本当にお世話に……」 「よせやい、照れくせえ」 「お別れだね」 「ああ……」 「でもまた、五十年後に会えるよ」 「五十年か……」 また沈黙が訪れた。 「い、石になるってどんな感じなのかな」 「うーん、俺実例は一回しか見たことねえからなあ」 「あるんだ……どこにいるの?」 「いや、おふざけでわざと石化しただけだから、普通に卒業してったぜ」 「そーなんだ……」 石化を解く方法も単純で、下級生が該当部位を接触させて継承すればいいだけらしい。石化の言い伝えが本当かどうかの検証、あるいは興味本位でわざと卒業式まで継承せずに石化する人もたまにいるらしい。勿論次の継承者は指名してあり、すぐに石化は解かれる。 「一緒に石化するのは確か、服とかアクセサリーとかだけなんだっけ。スマホはどうかな……持ってけるかな、未来に」 「どうだろうなあ。ポケット入れとけばいいんじゃね?」 鞄と教科書は十中八九ダメ、ということでこの時代に置いていく。ノート全滅するの痛いなあ。鞄と教科書無くしたって、帰ったら親にどう言おう。スマホも……。 会長が帰ってきた。あとは高校から去るだけだ、と。 ついにその時がきた。私と黒田くんはお互いに顔を見合わせてから、ゆっくりと立ち上がった。私は部屋の隅に置かれた石の台座を眺めた。石化後は生徒会室で保管してくれるよう会長が請け負ってくれた。なら多分大丈夫だ。まあ、上手くいくかは結局未知数ではあるんだけども。何しろ五十年も石化するのは恐らく初のケースだし、ひょっとすると元に戻れないかもしれない。そうしたら一生石像のまま、か……。 でも、もう決めたんだ。私は黒田くんのアイディアを信じる。僅か三日間の在籍となった学び舎(学んでないね)を二人でゆっくりと、本当にゆっくりと外に向かって歩んだ。 なんか……なんか言わなくちゃ。でも何も言葉が浮かんでこない。もしかしたら最後かもしれないのに。 とうとう、校門までたどり着いてしまった。門の前で、黒田くんが言った。 「……なあ、やっぱり……」 私は反射的に彼の口を手で覆った。ダメだよ黒田くん。それ聞いたら私帰れなくなっちゃう。 「ありがとう黒田くん。またね」 「……ああ、また、な……」 決心が鈍らないうちに。泣かないうちに。私はひょいっと校門の外に出て、彼と校舎に向かって振り返った。 「未来で会おうねえ!」 叫んだ瞬間、全身にビリっと痺れが走り、私の両脚は自動的にピタリと閉じた。背筋がピンと伸ばされ、両手はスカートの上に重ねられる。泣きそうな顔をしている黒田くんを励まそうと、私が精一杯の笑顔を浮かべた。次の瞬間、全身が硬化して私は身動きが取れなくなった。筋肉の筋一本すら動かせない。表情も固定されて一ミリも、眉毛一本動かない。ジッと前を見つめたまま、私は一歩歩くことも、声一つ上げることすらできなくなってしまった。全身がすごく硬くて、重く感じる。きっとこれが……石になるってことなんだ。私は頭の継承を放棄したことで、石像になってしまったのだ。 黒田くんの顔が近づいてきた。視界全てが彼の顔に覆われていく。そして彼の唇が私の冷たい石の唇に重なった。石になっていなかったら泣いてたかもしれない。しかしもう私の瞳は単なる石の彫りでしかなく。そこから液体が零れ落ちることなどありえないことだった。 唇が離れ、会長が物陰から姿を現してものすごく恥ずかしくなった時、急速に意識がぼやけだした。あ……あぁ、ダメだ。これまで……か。石に……くろ……。 私は床に横たわっていた。頭がボーっとする。何……なん、なにが……。私は……。自意識を取り戻すのに数分かかった。私……私は、ああ……生きてる、の……? ここはどこ? そして私は……だれで、何をしてたんだっけ? 徐々に体というものの感覚が芽生えてきた。床に力なく横たわっているままだ。起き上がれない。身体を動かす方法がわからない……。 目の前に、見知らぬ美少女が横たわっていた。目を閉じている。誰だろうこの子は……艶々したピンク色の右手が袖から覗いている。しかしそれより目を引くのが……バカでかい頭のリボンだ。美少女さんだけど、流石にそれはいただけない。せっかくの顔がだいなし……あああれ? あのリボン……見覚えが……確か、私の……「頭」! その瞬間、記憶と自意識が連動した。私は……そうだ。未来に戻ろうとして石化した……あのリボンで! あの子は私じゃない。リボンが移った……継承されたんだ! 目の前の美少女が自分の後頭部に手を伸ばした。そして、しばらくリボンをもみもみしたあと、慌てて立ち上がりパニックに陥った。困惑している。自分から継承したはずなのに、まるで「こんなことになるなんて思ってもみなかった」とでも言いたげな困惑ぶりに、私は思わず笑ってしまった。アホじゃん。 美少女と目が合った。ちょっとずつ手足を動かす感覚が戻りつつあった。けどまだ立てない。私は声の出し方を必死に思い出しながら、彼女に尋ねた。 「ぁ……ああ、何年、何月ですか……?」 黒田くんを名乗るおじいさん教師が駆け付けて、対面した時は大層驚いた。本当にもう……おじいちゃんだった。一昨日デートしたあの男の子が、もう……本当かぁ、五十年……。私は言葉が見つからず、泣きじゃくって彼の胸に縋って泣いた。彼も黙って何も言わず、私を強く抱きしめてくれた。一昨日のデートで抱き合った時と同じように。 落ち着いてから、私は黒田くん……さんと、頭を継承した花咲さんから謝罪を受けた。黒田くんはピッタリタイムスリップの日に起こす予定だったらしいけど、花咲さんは私の事を何も知らず、興味本位で頭の継承を試みたらしい。本人は納得いってなさげだった。なんでこんなクソダサい真っ赤なデカリボンを移された挙句謝らなければならないのか……と。気持ちはわかる。 「こういうことが起こらないように、って黙ってたんだがねえ」 黒田くんさん曰く、私の石化後に継承者七人で話し合い、石化の解除方法を教えないことにしていたらしい。継承は続いたものの、石化した場合の解除法は伝えられず失われてしまっていたのだ。うーん、それはそれで可哀相というか、継承すごく怖いものになっちゃわない? でもそのおかげで私は五十年の時をジャンプ出来たんだから感謝すべきだね。 私は改めて黒田さんくんに礼を言って、家に帰ろうと思ったが、まだ現代の私がいることに気づいた。あの日まで私はどうすればいいんだろう。家族や私に事情を説明するわけにもいかないし……。 「簡単じゃないか」 黒田くんが懐かしい口調で言った。 「ウチ来いよ!」 彼が保管してくれていた私のノートはすっかり黄ばんでいたが、まだ読めた。驚きながらパラパラめくっていると、鞄と教科書は新しいのを買うからそれで我慢してくれ、と言われ、私はすっかり恐縮してしまった。 「いやあの、ホントすみません、後でお金払います」 「だから気にしなくてもいいんだよ」 「本当よ。まだ子供なんだからお金のことなんか気にしなくて」 奥さんがそう言うと、私は寂しくなってしまった。もう私は子供なのかな。同年代の友達……には見えないのか。私もそんな風に今の黒田くんと接することは出来そうもないけど。 「全く。それに、俺は教師だからな」 黒田くんが教師になってあの高校で教えていることが、私の心に引っ掛かっていた。ひょっとしたら、もしかしたら私のせいで彼の人生を縛ってしまったんだろうか。石化している私を見守るために。 察したのか黒田くんが自分から話し出した。この高校にきたのは定年してからだから気にするな、と。時折様子は見に来ていたらしいけど。 「いやあ、未来の教科書、すごく面白くってなあ」 ボロボロになった私の教科書と参考書は、ノートとよい対比だった。じゃあ教師になったの、やっぱり私のせいじゃん! 「ま、それよりだ……高校はどうするんだ?」 「え? 高校……ああ」 お家帰ったらそうか、すぐ受験だ。……うーん、なんかもう色々と実感湧かないや。入って出てきたばかりだし。 「もしよかったら、ウチに来ないか。花咲のやつ、『頭』がどうしても嫌らしくてな」 そりゃあそうでしょうよ。私だってあんなものつけて高校生活送るなんて御免こうむ……。 「継承してやってくれないか、頭。世話になったんだから」 「ほぇっ!?」 思わぬ依頼に驚いた。えー、いやだぁ……とも言ってられないか。黒田くんのお願いだもんね。それに、私がこうして現代に帰ってこられたのもあのリボンのおかげだと思うと、改めて正式継承してあげる義理はなるほどあるように思える。 「……わかりました」 「よし!」 黒田くんが叫ぶと、奥さんが待ってましたとばかりに大量の参考書とノートを机の上にデンと置いた。 「受験までみっちり絞るぞ、覚悟しておけ」 「え……え、でも」 「まさか八か月遊んでいるつもりか?」 「いや、それは……その」 「大丈夫だ、俺に任せろ。……あ、そうだ、こうしよう。金のことが気にかかるなら、家庭教師代と相殺ってことでどうだ」 うわぁ……まさかこんなことに……なるとは……。でも、あの日の黒田くんの面影を感じ、私は少し胸にこみ上げるものがあった。 「……わかりましたぁ。よろしくお願いします。黒田先生」

Comments

ぐだぐださん

紫の尻尾パーツがある…全身受け継いだら尻尾ついて耳も実はあったり、またはリボンが変化デモするのかな? カラフルなラバー獣人風味??w

opq

コメントありがとうございます。そんな風になっても面白いかもしれませんね。