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「病気治ったって? よかったねえ」 「ええまあ、はい……ちょっとだけ」 見舞いに来てくれたバイト先の店長と話していると、私は自分が「人間」に戻れたことを実感できて、嬉しかった。体が縮む原因不明の病気、縮小病。私はそれによって一時は体が30センチ程度まで縮んでしまった。もうこうなってしまうと自力で日常生活を送ることはできない。トイレすら一人では行けない。周囲の人間は全て巨人と化し、世界は残酷に牙を剥く。便座、ドアノブ、階段、その全てが私には到底普段使いできないものに変貌していて、もう私はこの世界の住人ではないのだと語りかけてくる。ちょっと前までは同じ「人間」だった人たちを、本能が同族判定しない。なにせ自分の五倍六倍の背丈のある巨人たちだ。まるで怪物たちの住む世界に一人取り残されてしまったかのような孤独と恐怖だった。病院のベッドに寝転がっているだけでコレなのだから、退院したら一体どうなってしまうのだろう。 絶望している最中、臨床試験の話がやってきた。縮小病で縮んだ体を元に戻すための施術を行ってみないか、と。少し悩んだけど、私はそれを受けた。これから一生こんな体で生きていくくらいなら、可能性に賭けてみたい。そう思った。 勿論、まだ成功するかどうかはわからない。効果でないかもしれないし、最悪の場合後遺症が残るような副作用が出てもっと酷いことになるかもしれない。縮んだというだけで、体自体は不思議と健康である分、恐怖心は強かった。 よくわからない液体で満たされたタンクに閉じ込められること半月ほど。溺死ってこんな具合なのかなあ……とぼんやり頭で感じ続ける、かなり苦痛を伴う治療だった。意識は半分寝ていて半分起きている感じ。全身麻酔みたいにパッと終わってほしかった。 苦しみに耐えた分、結果は悪くなかった。手放しで喜べる結果では……先生は大喜びだったけど、私、当事者としては……悪くはなかった、とまとめたい結果だった。私の体はなんと倍にまで巨大化し、見事縮小病に一矢報いることができたのだ。まあ、それでも身長は60センチ程度だけど……。副作用もあった。肌が溶けたのか巨大化が上手くいかなかったのか、作り物のようにツルツルした肌になってしまったこと。まるで人形のように。マネキンみたいだった。鏡で自分を見た時はあまりの気持ち悪さに衝撃を受け、この試験を受けたことを後悔したほど。マネキンが生きて動いているようにしか見えなかった。が、先生たちは特に私を不気味がるような素振りは見せず、以前よりずっと優しく親和的になった。先生たち目線だと、私のことは可愛い人形みたいに感じるのかもしれないということを察し、幾分気持ちが楽にはなった。でも自分にとっての自分はどんなサイズだろうがずっと「等身大」なので、慣れるまでずっと生理的嫌悪感は消えなかった。 とはいえ「人間」に戻れた、元の世界に戻ってこれたというのは素晴らしい結果ではあった。30センチが60センチになるだけで、まるきり違う。何とか一人でトイレに行けるし、台座さえあれば人間用に作られたものをちゃんと私も使うことができる。30センチの時は手が届いてもドアノブを満足に回せなかった。手が小さすぎ、力が弱すぎて。今なら大丈夫。 本能が「巨人」判定を下していた普通サイズの人たちも、元通り同じ人間だと思えるようになり、私は医療技術の進歩に心から感謝した。 ではなぜ、「悪くない」なのか。副作用がもう一つ。不意に全身が硬直してしまうのだ。間隔もタイミングもバラバラで、予想できない。一日に数回、手足が芯からピリピリしてきて、あっという間に筋肉がカチコチに硬直、私は指一本動かすことができない状態になってしまう。これじゃあ本当にマネキン……いや人形だ。この副作用は残念ながら今後もずっと残るらしい……。私はこれから死ぬまでずっと毎日、突然体が動かせなくなってしまう体質と戦わなければいけない。これは本当に厄介。ギリギリ働けるサイズに戻れたと思ったらコレだ。仕事探しはだいぶきつそう。日常生活も気をつけねばならない。硬直して洗面器に倒れ込み溺死なんて洒落にならないしね。 だから、店長が店に戻ってもいいと言ってくれた時は嬉しかった。 「え、いいんですか? 私、ちょくちょく体が……あっ」 ちょうどその時、体の芯が痺れた。痺れは瞬時に硬い波動と化し、手足を、腰を、表情筋を固めていく。私はすぐに動けなくなってしまった。細胞の一つ一つが全て硬化し、一つの塊として連結しているかのような不思議な感覚。今この瞬間、私の体には骨も筋肉も何もなく、最初からこの形で彫りだされた石像か何かなんじゃないかと思ってしまうほど。店長は軽く私を叩いたり話しかけたりして興味深そうに観察している。ああ……恥ずかしい。完全に無力化されてしまうこの時間、何故か不思議な羞恥心が働く。 数分するとまた動けるようになったので、照れ笑いで誤魔化しながら私は話を再開した。 「……こんな風になっちゃうんですけど、ほんとに大丈夫ですか?」 「へーきへーき。むしろウケるかもね。お人形さんみたいで」 (に、人形……) 正直一番言われたくない例え。肌も人形みたいだから、硬直時は正真正銘の人形なのだ。せっかく人間に戻れた……という自負がある分、あまり気分はよくない。 でも仕事は欲しい。見知った人たちのいる職場なら尚更。 「よろしくお願いします」 私は退院したらバイト復帰することを約束し、店長を見送った。うーん、でも、大丈夫かなあ……。料理運べるだろうか。 「えーっと、あの……なんですか、この服?」 退院後、めでたく職場復帰した私を最初に襲ったのは、存在しなかった制服だった。雰囲気喫茶店よりの飲食店であるここは、ファミレスとは違ってシンプルなエプロン姿でバイトしていた。お客さんも大体地域の見知った人たちばかりで、だいぶくだけている。実際、他のバイトの子は高校の制服にエプロン姿だ。なのに、私に提示された服は、鮮やかなピンク色のワンピースに白いエプロンをつけた……コッテコテの「衣装」だった。ピンクのメイド服と表現するのが一番近いかもしれない。これを……着るの? 私が? なんで? 「どう? クルミちゃんのために特別に用意したんだ、絶対似合うと思って」 「あーん、早く着てみてくださいよー」 店長とバイトの子はほっこりしながら私を見下ろしている。うう……やだあ。恥ずかしすぎる。確かに可愛いとは思うけど、私はそういうの似合う人間じゃないし……ていうか歳でもない……いや二十半ばならまだギリ……隣の高校生がきつい。 しかし好意を無碍にするわけにもいかない。サイズは小さいけれど、絶対普通の服よりお金かかったはずだし……。一言相談してほしかったけど。 観念して私は可愛らしいどピンクウェイトレス衣装に袖を通した。実際着てみると案外着心地がいい。まるで肌に吸い付くようなスベスベ感。縫製もしっかりしているし、何より私の体に、つまり60センチの成人女性の体型に沿って作られているのが嬉しかった。だぼだぼのみっともない子供服じゃない。 「ど、どうですか?」 着替え終わってフロアに戻ると、バイトの子はサッとスマホを構えて連写した。可愛いと連呼しながら。私は真っ赤になってやめるよう言ったけど、聞き入れてもらえなかった。店長も満足気。ていうか店長のあんな顔初めて見たような。すごくほっこりした笑顔。なんかまるで、そう……子犬か何かを見て癒やされているかのような……。 肌色一色のツルツルした肌を持つ60センチの女性。人間に戻れたと思っていたのは私だけで……どうも周囲にとってはそうじゃないみたい。私は幼児とか猫とか、その辺にカテゴライズされる存在になってしまっているようだった。実際に接客してみると、それがよりハッキリした。 「あらー、花咲さん? 可愛くなったわねー」 「あー、かわいいーっ」 「大丈夫? 大丈夫? そっとでいいよ、だいじょーぶ、おじさん怒らないからねー」 足をプルプルさせながら懸命に皿を運ぶ小さな私の姿は、とてもじゃないけど大人の人間に対するそれじゃなかった。まるで子供のお使いみたい……。私は料理やコーヒーを落とさず運ぶのに全神経と筋肉を集中させなければならなかったので仕事中はそれほど気にならなかったけれど、時間が空くと惨めさが押し寄せてくる。この格好も大概恥ずかしいし、いい歳して幼児気取りみたいに思われてないかとか、どうしてもマイナス方向にいっちゃう。開き直って媚び媚び愛されキャラをやれる性格でもない。でも仕事はここだけだし、店側客側に理解がある環境なんて本来天国のはずなんだから、我慢しないといけない。 こうして再開したバイト。私は精一杯普通というか、大人として振る舞った。けど、フリフリのピンクのウェイトレス衣装に身を包んだ60センチの女性……いや「女の子」という物理的現実は私の態度や振る舞いなど全て消し飛ばしてしまうらしく、頑張ってお店の手伝いをする小さな子供みたいな扱いを受け続けるばかりだった。年下のバイトの子にすら子ども扱いされて撮られたり甘やかされたり撫でられたりするのが癪だけど、黙って耐えた。しかしそうするとこの扱いを受け入れているみたいに勘違いされ、ますます幼児扱い化が進む。 まあ……そこはもう最悪開き直って愛嬌振りまきでもいい。働く上での最大の問題はそこじゃない。 「お下げします」 「あらありがとね~」 私が皿を抱えてテーブルを離れた瞬間。手足の芯がピリリと痺れた。 (やばい) 皿を床に置こうとしたけど、もう私の腰は固まりだしていて曲げられなかった。 (……ああ!) 全身は二秒もしないうちに硬化してしまい、私は皿の重みで前に倒れた。手足が姿勢を変えぬまま、まるで石像みたいに倒れ込む私。ガシャーンと聞きたくない音が鳴り、私の手から滑り落ちた皿が割れてしまった。 (あっ……う、そんなぁ) 私は皿がないのに皿を持ったポーズのまま床に倒れ、滑稽に固まっていた。「あらあら~」「大丈夫?」などの声が飛び交う中、年下のバイトの子に後始末を任せるしかない自分の惨めさ無力さが身に染みる。表情すら変えられず、この場から立ち去ることもできない。黙って数分間物言わぬ人形になっているほかないだなんて……。 最終的に、私はバイトの子に抱きかかえられてカウンターまで運ばれた。いたたまれない……。心の中で謝りながら、私は情けないやら恥ずかしいやらで泣きそうだった。 皿を割らなくとも、いきなり身動きしなくなると驚くお客さんも多いし、その間はうめき声一つ漏らせず数分間カチコチなので、何もせずとも気まずくていたたまれない。常連だとペタペタ触ってくる人も多い。指一本動かせないし、表情も変えられないし、目線すら動かせないので、抗議はおろか嫌がる素振りすら見せられない。なにせ見た目がお人形なせいか、セクハラという感覚と概念が消失してしまうみたい。或いは飾りの置物感覚か。店の前で固まってしまった日などには、お客さん以外の通行人にもジロジロ見られるし、子供に遊ばれるし、散々な目に遭う。常連のおじさんも「これがほんとの看板娘ってか、ガハハ」などと言って笑うばかり。どうも私が真剣に困っているということが理解も想像もできかねるらしい。客商売だし他に行くところもないので私自身強く出られないせいもあるけど、やっぱり見た目が……。家に帰って鏡と対峙すると、自分自身嫌でもわかってしまう。マネキンや着せ替え人形のように均質な色合いで塗りつぶされた肌には、毛は一本も生えてこないし、血管も見えない。これが微動だにせず動かずにいるってなれば、そりゃもう……「人間」として接しろと言う方が理不尽な話なのかもしれない。 それでも何とか小人のフリフリウェイトレスとして仕事を続けること数か月。SNSなんかでも定期的に話題になるらしく、遠方からのお客さんも増えてきた。正直言って自分の働きぶりが店に役立っているとは思えなかったけど、広告塔としてはそれなりかもしれない。流石の私も猫かわいがりに慣れてしまい、二度とこないであろう地域外のお客さんに対してはぶりっ子するようにもなってしまった。相手は明らかに私にそれを期待して店に来ているのだから。「可愛いお人形のウェイトレスさん」に。 「オーダー。コーヒーに……あっ」 体内の芯か震える。固まる。私はとっさにスカートの裾を両手でつまみ、両脚を閉じた。 「おっ、お人形タイムだ」「お人形の時間だね~」 耳が赤くなるような野次の中、私は悔しくもお人形と化してしまった。常連客は私の硬化をお人形タイムと呼ぶようになり、皿を落としたりコケずに固まったりすると褒めてくれる。いい歳してそんな程度のことで褒められるのも心の中がモヤモヤうずうずするけど、受け入れるほかない。 そしてただでさえ恥ずかしいお人形タイム、変な姿勢や表情で固まると尚更恥ずかしいし床に倒れると痛いので、自然と私は少しでも体裁のいい、バランスのとれたポーズをとるようになった。最初はただの直立だったり体育座りだったりしたのだけど、お客さん視点だと「固まる前にバランスをとっている」のではなく「ポーズをとっている」ように映るらしく、私は固まる前に出来るだけ可愛いポーズをとろうとするみたいに誤解され、それは否応なく広まっていった。ただバランスとろうとしているだけだと注意はしたけど、幼児の強がりみたいにとらえられてしまうので誤解は解けなかった。次第に周囲の期待という名の圧力に負け、こうして段々誤解を真実にしてしまいつつある。今は軽くスカートの裾を握ったり笑ったりするぐらいだけど、この先は……来年の私は媚び媚びのアイドルポーズをとって固まったりするようになってしまうんだろうか、恐ろしい。 姿勢のほかにもう一つ、お人形タイムを平穏無事に迎えやり過ごすため必要な要素がある。場所……位置取りだ。お客さんが座る椅子の真ん前で固まりトイレに行けなくしてしまったり、通行の邪魔になる場所で固まりバイトの子が料理を運ぶのを妨害してしまったり、やらかしは数多い。そうなると私自身心苦しいし、無能な邪魔者認定だって受けたくない。対策はただ一つで、私が硬化の予兆を感じたらすぐわきに飛びのくことだった。邪魔にならない位置に急いで移動し、そこで静かに物言わぬオブジェと化して、数分間フロアの飾り物になるのだ。 頑張って私が硬化対策をしていると、店長も協力的に。テーブルの配置を工夫し、私が入れる……いや、私を飾るためのスペースが次第に設けられ始めた。円形の白い台座がフロアに数点配置され、出来る限りそこで固まれ……とハッキリ明言されるようなことはなかったけれど、そういう空気になった。白い台座の上に立ち、慎ましくもポーズなんかとって固まっちゃっている私は、まさしくお人形に違いなかった。 衣装も段々派手になり、白い長手袋やらニーソやら、まっピンクの大きなリボンやら追加されていき、私はますます成人女性らしさを失い、可愛いお人形らしくなりつつあった。私が固まったタイミングで来店した一見さんが解凍前にさっさとコーヒー一杯すまして出ていくことなどあると、心の奥がザワザワする。今のお客さんは絶対に、私のことを単なるお人形だと思ったはずだ。私は人間、あなたと同じ生きた人間だったんですよと追いかけて説明したい衝動にかられる。完全に、正真正銘のお人形だと誰かに思われることが怖かった。私が人間であることが世界からまた少し忘れられたような気がして。 「んもー、考えすぎですよお」 バイトの子はそう言って私を笑う。いい歳してツインテールに結わった私の髪を撫でながら、コスプレに興味ないか訊いてくる。私は全力で拒否しているけど、固まっている間に着せ替えとかしてこないかヒヤヒヤものだ。なにせ、既に私の髪は鮮やかな金髪に染められているのだから。これは決して私の趣味ではなく、開店前に固まっている時、この子にやられたものだ。染め直す時間もないままフロアに出され、私の新しい髪色はお披露目されてしまい、そのまま定着してしまった。それも普通の金髪の色合いではなく、人形の、フィギュアの金髪みたいな色と質感なのがたまらなく恥ずかしい。そしてなんだかんだ言って染め直しに行こうとしない自分自身も嫌だった。ふと鏡を見た瞬間、アニメみたいで可愛い、ピンクの衣装とよく映えるなあと思ってしまった自分が。 固まる際たま~に手でハートマーク作っちゃうようになってきたある日。常連さんの一人が興味深い話題を出した。息子さんが東京で催眠術を使って困った体質を改善する、という技術で売り出しているというのを自慢された。もし人形タイムを何とかできたらいいなあ、と思ってそう返した結果、息子を呼ぼうか、一度試してみてはどうかね、という話になったのだ。 「えっ……いいんですか?」 「いいともいいとも。クルミちゃんは孫みたいなもんだからねえ」 す、すみません……多分息子さんより年上です……こんな格好だけど。金髪ツインテにピンクメイド服だけど。 休日に訪ねてきてくれた息子さんは、私の硬化そのものを催眠で消したりすることは不可能だけど、条件付けで制御することは出来るだろうと診断した。つまり、不随意に固まるのではなく、自分で日に数回能動的に固まるようにするのだ。なるほどそれならかなり楽になりそう。でも、ほんとにそんなことできるの? 「いいかい、まずはこれを見て……」 白い厚紙に書かれたよくわからない抽象的な図形を眺めていると、段々意識がボーっとしてきた。すかさず吹き付けられたスプレーで、私の意識は朦朧となり、気づいた瞬間には施術が終わっていた。パン! と彼の手を叩く音で目覚めた私は、軽く体調を見てから改めて説明を受けた。私の硬化をあるワードと関連付けてみた。催眠がうまくいっていれば、そのワードを聞いた瞬間に硬化する。日に数回、不都合ない時間帯にそれを能動的にやることで、突然の硬化は予防できるだろう、と……。 「えっ……ほ、ほんとですか?」 「うん。試してみようか」 「お願いします」 「『お人形タイム』」 手足の芯がピリッと震えた。いつものくせで咄嗟に両手を重ね、祈るような姿勢をとった私は (しまった!) と後悔したけどもう遅い。私は息子さん一人相手に可愛らしくポーズをとって固まるという何とも言えない痴態を晒す羽目になった。 「うん……大丈夫かな? 念のためもう数回やってみようか。……数分かかるんだっけ?」 私は数分間彼の前でポージングしたままという辱めを受ける羽目になったけど、感心した。すごい。本当に固まっちゃった。いやでも偶然って可能性も……。 「『お人形タイム』」 固まる。 「『お人形タイム』」 まただ。 実験は見事終了。私は無事に彼の催眠にかかったらしく、硬化を自分の意志で行えるようになったのだ。 「あ……ありがとうございます。まさかこんなことができるなんて……」 「お役に立てたならよかった。大変だろうけど頑張ってね」 息子さんに重ねて礼を述べて見送った後、私はその日寝るまで一度も固まらなかった。 「いらっしゃいませー!」 心が軽い。まるで羽が生えたみたい。朝開店前、昼休み、それから四時ごろ。暇な時間に予め固まっておくことで、私は接客中に固まることがなくなった。小さいのは治らないけど、これなら十分人並みに働ける。可愛いポーズとって見世物になるなんていつの間にか癖になってた羞恥プレイもやらなくていいし、最高。 でも、それも長くは続かなかった。ルンルン気分で接客すること一週間、常連客の一人が言った。 「そういえばクルミちゃん、最近『お人形タイム』見ないねえ。治ったの?」 「あっはい! 催眠……!?」 手足が震えた。一週間程度では抜けなかった習慣が発動し、私はいつの間にか一番近くの白い台座の上に立ち、困惑しながら微笑み固まってしまった。何が起きたのかわからない。ちゃんとさっき昼休み固まっておいたのに……。 「おっ、でたー」「やっぱ『お人形タイム』くると来たーって感じあるねえ」 均質な石の塊のようになった自分の体内に、再び芯の痺れを検知した。 (あっ、やばい) 動けていたら冷や汗がダラダラ流れていただろう。ワードチョイスを間違えた。息子さんはお客が気軽に連発するワードだと思っていなかったのかもしれない。スタッフ間の隠語か何かだと……。トイレ行くのを何とか番と言うように。 「お人形タイム」と声に出せば私が固まってしまうことは、あっという間に知れ渡った。皆面白がって私を固め、まるで動けない日も多発した。最悪の誤算は、硬化中に再び「お人形タイム」と耳に届くと、硬化時間がリセットされてしまうらしいことだった。これまでなら数分で解けていた硬化が全く解けない。別に私がいなくてもフロアは回るので、店側が積極的にやめさせようともしてくれない。 「いらっしゃいませー」 「おっ、クルミちゃん今お人形タイム中?」 (やめて!) そろそろ解けそう、って時にお客さんが来てワードを出された日などには滅茶苦茶に怒りが湧く。あ、あとちょっとだったのに……。 「最近、いつ来てもお人形タイム中だねえ」 (……ああー!) やめてって言ってるでしょー! いや喋れないけど! あなたたちがそういうたびに時間が伸びていくんだからー! 例の催眠術師のお父さんが来店するたび、私は催眠治療のやり直しを依頼しようと思うものの、最近は文字通りお人形になってしまっている時間が圧倒的で、体が動かない。お店の飾り付けになっている間に、彼はお店から消えてしまう。内心で焦燥が募るも、私は笑顔でポーズをとったまま身動きがとれない。 そして、ポージング自体もいつの間にか私の意志を介していないことに気づく。店が開いてない時間、周囲に誰もいない時、一人で「お人形タイム」と呟いた時。体が自動的にポージングしてしまった。 (あ、あぁ……) 全く気付かなかった。癖になっているから、で納得しちゃってたから。どうも催眠の際無意識に組み込まれてしまったらしく、ワードで能動的に硬化する際は笑顔で可愛いポーズをとることを強制されてしまうようだった。そうじゃない普通の硬化だと、ポージング強制は起こらなかったので間違いないだろう。 (うぅ~、どうしよう) 店長やバイトの子にも相談したものの、軽いおふざけのノリでワードを唱えられ、固められて話を流されてしまう。皆視点だとお人形が可愛らしく固まっていることになんの不都合も不自然もないのだろう。でも私は人間だ。お店の看板でもオブジェでもない。店長に固められ表に看板みたいに飾られた日は流石に激怒した。 「わかったわかった、また呼んであげるから」 ようやく父親と会話できた日には心底ほっとした。これで人間に戻れる。一安心。 と思ったのは甘かった。どうも変な伝言ゲームが発生したらしく、ただワードを変更すればそれでよかったのに、変な催眠をプラスされる羽目になった。 「はい、これでよし。「人間タイム」って言えば硬化を解除できるよ。ワードで固まった時だけだけどね」 (違う! 違います! 硬化ワードを変えて欲しいんです!) しかし、誤解をといて真実を伝えることは不可能だった。来店直後に彼がかました 「久しぶり。『お人形タイム』でえらく不便してるって。ごめんね、ほんと」 という言葉で私は固まってしまい、その間に新催眠を進められてしまったからだ。 「『人間タイム』」 「……ぁ」 彼の言う通り、まだ数分残っているはずの硬化が途中で解かれた。急いで説明しようとした私は慌てて 「あっあの違うんです、ワードを『人形タイム』から変えて欲し……」 と口走ってしまい、セルフ硬化してしまった。その間に店長と彼が挨拶を交わして帰ってしまい、私は失望しながら店長を恨んだ。 「ほら、人間タイムっ」 硬化が解け、体が自由になると同時に「すげー」「ほんとに動いた」「どんな仕組み?」と声が飛ぶ。僅かひと月半で、状況は様変わり。私は固まっているのがデフォルトになってしまい、「人間タイム」のワードが唱えられた時にだけ、数分間動けるようになる……そういう体質になってしまったのだ。 催眠治療とやらは魔法ではなかったらしく、二つ混ぜ混ぜに乱用されているうちに、おかしな、そして最悪の結果を生んでしまったのだ。しかも質の悪いことに、私自身がワードを唱えても効果が出なくなった。人形タイムも人間タイムも。 「最近の技術ってすごいわねー」「だろ?」 私の評判を聞いて遠方からやってきたカップル客。私は叫んでやりたかった。私は人間なんだって。どう見ても、私を人形、ロボットだと思っていることは明らかだったからだ。 「……オーダーを」 しかし、その勇気はでない。事実上、今の私がお人形であることは正直否定できないと、私自身認めてしまっているからだ。だって普段はずっと台座の上で可愛いポーズをとって固まっているのが、特定の時間だけ動いてお給仕……なんて完全にロボットだもんね。誤解するのが普通だし、SNSでも「そういう設定のロボット人形」として扱われてしまっている。 僅か数分間のお仕事が終わると、また手足の芯がピリッと痺れる。私は自動的に台座の上に戻り、ほっぺに両手でピースをあてて固まってしまう。 (や、やだぁ) もう少しまともなポーズがよかった。でも固まってしまえばどうしようもない。誰かが人間タイムと唱えてくれない限り、私の体が動き出すことは決してないのだから。 「クルミちゃんはねー、ちょっとだけ人間になれるのよ」 私のことを良く知るはずの常連客ですら、娘にそんな紹介をする。私はすっかりお人形扱い。私は本来人形であり、イレギュラー的に人間にもなれる人形……すっかりそんな風な扱いだ。怒鳴り散らしたいこともあるけど、体は筋肉の筋一本動かせないし、可愛らしい笑顔も崩せない。この笑顔とポーズがいけないんだ、きっと。これじゃあ私も楽しんでいる、人形扱いされることを受け入れているようにしか見えないはずだ……。 なし崩し的に住み込みとなり、そして今や放置時間が支配的。清掃や明日の仕込みが終わると、フロアで固まっている私を置いて店が閉まる。誰も私に声をかけない……。人間の時間を与えてくれない。そういう扱いをしても文句を言わず笑顔なんだから。わずかな自由時間に強く苦情を言えない理由は、あまり本気で怒ってしまうと、もう二度と私に「人間タイム」が与えられないのではないかという恐怖だった。私の人間タイムは数分間で自動終了する。その後は物言わぬ笑顔の60センチのお人形に戻ってしまう。その後誰もワードを唱えてくれなければ、私は永遠にこのお店を飾り付ける置物と化してしまうのだ。 正直、自分の置かれている状況が理解できない。夢なんじゃないかと思う時もある。けど夢から目が覚めてくれることはなく、厳しい現実が今日また始まる。誰かが私に人間の時間を与えてくれることを祈り続ける。その時間、私は働く。可愛らしいお人形ウェイトレスとして。私がこの店に必要だと思わせれば思わせるほど、きっと人間タイムが長くなる。少しでも長く多く人間でいるために、私は自分をアピールしなければならない。お客の求めるぶりっ子にもなるし、事情を知らず本当にロボットか何かだと思っている新人バイトの子にもしつこく事情説明はしない。気に入られないといけない。そしてわかってもらえなければならないのだ。この子は人間でいてくれた方が役立つなぁと……。可愛くお人形になっている方がいいだなんて言わせない。私は人間でいたい。ちゃんと働けるんだもん……。 誰もいなくなった閉店後の暗いフロアに無意味な愛嬌を振りまきながら、私は明日与えられるかもしれない、数分間の人間タイムを待ち続けた。

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