メイドごっこ④ (Pixiv Fanbox)
Published:
2018-05-18 15:57:49
Edited:
2019-12-26 12:25:36
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2023-05
Content
第八章
梅雨は好きじゃない。雨が降ると練習できないし,遊びに行くのも億劫になるし。空は今日も曇天模様。もうすぐ練習試合だってのに,勘弁してくれ。授業が終わる頃には,豪勢にザーザー雨が降っていた。川をひっくり返したかのような勢いで,鋭い雨滴が地面に突き刺さっている。部活は中止。
「早く帰れるんだからいいじゃん。たまには芽依ねえに孝行しなよ」
サユはそう言って部室にいってしまった。自分だけ部活楽しみやがって。だいたい孝行ってなんだ。俺が代わりに家事するとか?
空と同じぐらいモヤモヤした気持ちを抱えて,俺は一人帰路についた。近道しようと路地に入ったが,かえって時間がかかる結果になってしまった。傘を差した状態たと一人分の幅しかない。その路地で,俺は年上のお姉さんと正面からバッティングした。どっちもかわせない。どちらかが後ろに退くしかない。
お姉さんはほどよい肉つきの長身で,まるで人形のようなスタイルの良さを誇っていた。長い黒髪は艶やかで優雅に編み込まれている。傘は俺の安物と比べようもない高級なものであることが,傘のことなんかわからないはずの俺にもわかる。互いに牽制しながら相手の出方を待っているだけなのに,おっとりとした気品をビシバシと感じる。圧倒されてしまう。俺が後ろに退かないといけないという気にさせられる。それはまるで自然の摂理であるかのように思えた。
(……ちぇっ)
俺は敗北した。路地の入り口まで下がり,お姉さんを先に通らせたのだ。
「ありがとう,遼太郎くん」
「えっ……?」
お姉さんは優しく微笑みながら,俺の名前を呼んだ。知り合い!? いや,こんな綺麗なお姉さん,いたっけ……。誰かの姉とか……?
「私だよ,わ・た・し」
俺はアホ面を晒しながら,お姉さんの顔をマジマジと眺めた。どこかで見たぞ。それも割と最近に。どこで? 誰だっけ?
「そんな熱く見つめられると照れちゃうな」
お姉さんはそう言って照れ笑いした。俺は赤面して,直視できなくなった。くそっ。
「粕森お姉さんだよー。粕森絵・里・香」
「えっ!?えええ~!?」
お姉さんの正体は粕森さんだった。人形の時はピンク髪の印象が強すぎてわからなかった。こんな……美人のお姉さんだったのか。
近道を諦め,俺は気がついたら粕森さんと一緒に並んで歩いていた。一つ一つの動きに気品と大人の余裕を感じる。芽依姉ちゃんやサユなんかには死んでも出せそうにない雅なオーラに俺は萎縮しっぱなしだった。蛇に睨まれたカエルみてーだ。違うか。
「遼太郎くんって,藤原さんのことどういう風に思ってるの?」
「え,それってどういう……」
「んー,そうだね。まずはメイドさんとして」
「えっと……すっごく助かってますし,ありがたいなって思ってます。足向けて寝られないっていうか」
「じゃあ,家族としては?」
「姉って感じです。というか,そのものです」
「女の子としては?」
「えっ,えーと……その……」
恋愛的な意味で芽依姉ちゃんに好意なんか,抱いたことねーし,これからも多分……ないはず。だって,姉みたいなもんだし。そりゃまあ,パンツ見せられたり,不意に近づかれたりするとドキッとくるけど,それはその,男としての生理反応的な? というか,何でこんなこと聞いてくるんだよ。
「ふふっ,ごめんね」
粕森さんは悪戯っぽく笑った。その微笑みは天使のようだった。
「私はね,勇くんが好きなんだー。ずっと昔から」
ちょっぴり胸が締め付けられるような気がした。なんでみんな言水さんばっかり持て囃すんだ。まあ,手先が器用で,いい奴だってのはこの間わかったけどよ。俺だって高校生になれば,きっともっと……。
「だから,そっちもそうなのかなー,って思って。それだけ。……あ,雨止んだね」
気がついたら,雨が上がり,雲の隙間から日差しが出ていた。俺達は傘をたたんだ。
「サッカー部だって聞いたけど,試合とか出るの? 一年生はまだまだ練習?」
「基本,練習ですけど,今度一年同士の試合あるんです。東中と。んで,俺,先発決まって……」
「ほんと?すごいじゃない。もしよかったら,応援に行っちゃおうかな?」
「えっ,ほ,ホントですか? ぜひ!」
粕森さんと別れた後,俺は気分が高揚し,家までスキップで帰った。雨上がりの澄んだ空が頭上で光り輝いていた。いつもこうなら,梅雨の雨も捨てたもんじゃないかもしれない。
「ふーん,だからそんなに上機嫌なんだ」
家でサユとカードゲームで対戦しながら,俺は次のデビュー戦に粕森さんが応援に来てくれそうだということを鼻高々に報告した。サユは何故か言葉少なになり,いつもよりプレイングが荒かった。
「っしゃ,俺の勝ち」
「あーあ」
「もう一戦やるか?」
「いい」
なんだ。今日のサユは戦意が低いな。
「そんな美人だったの? 人間モードの粕森さん」
「ああ。すっげー美人だった。人間でも人形みてーっていうか,あれこそ大人の女って感じ……。芽依姉ちゃんと一つしか違わないなんて信じられねーよ」
「そうですか。子供っぽくてすみませんでした,ご主人様」
いつの間にか芽依姉ちゃんが後ろに立っていた。気のせいか,雰囲気が刺々しい。
「あーいや,別に芽依姉ちゃんが子供っぽいなんて言ってない,けど……」
「はい,存じ上げております」
何だよ二人して。うちの女子陣はこれだから。それに比べて粕森さんのあの上品な立ち振る舞いと表情。はあー……。よかった。試合,見に来てくれるといいなあ。
試合終了のホイッスルが鳴った。西中2-1東中。俺はセンターフォワードで先発出場。一ゴール一アシスト。つまり全部俺。勝った……! パーフェクト・ヴィクトリー。格好良すぎだろ俺……!
俺はチームメイトや先輩,先生たちから褒められ,どつかれ,賞された。俺こそがナンバーワンだ。いやチームメイトのプレーあってこそだけど。特に同じフォワードだった杉森。残り一ゴールはあいつが決めた。俺のゴールも,あいつがいたからこそだった。練習の時から思ってたけど,相当上手い。
保護者集団から少し離れたところに,芽依姉ちゃんと粕森さんがいた。俺が手を振ると,二人とも返してくれた。サユはあちこち移動して写真を撮っていたのを見た。今はどこいるんだ? まあいいか。とにかく,粕森さんに超カッコいいとこを見せられた。その事実だけで何でもできそうな気がしてくる。
解散後,芽依姉ちゃんに駆け寄った。
「すごいです!格好良かったですよー,ご主人様ー!」
芽依姉ちゃんは人目も憚らず,俺を抱きしめた。
「ちょっ,おいっ」
粕森さんが見てるじゃねーか,やめろって! と言いたかったけど,俺のために心底喜んでくれてる芽依姉ちゃんを無下に突き放すこともできず,最後まで抱きしめられてやった。弁当も作ってくれたしな。抱擁から解放されると,粕森さんが褒めてくれた。
「ホントにサッカー上手くてビックリしちゃった。中学初勝利,なのかな? おめでとう」
「いやあ,こんなの,全然,なんてことないですよ……」
カシャカシャとシャッター音がした。
「鼻の下を伸ばすエースストライカーの写真ゲット!」
「うわっ,いつからいたんだよ!?」
サユが俺に向かってカメラを構えていた。さっきまで姿が見えなかったのに。
「ふーんだ。デレデレしちゃって,きっも」
「うるせーな,お前は杉森でも撮ってろ」
「そうさせてもらいますー」
サユは小走りで去った。何だあいつ。からかいに来ただけかよ。
「こらこら,もっと優しくしてあげないとダメだよ」
粕森さんが言った。うー。あいつのせいで恥かいたじゃないか。
「じゃあ,私はそろそろ」
「またねー」
「今日は応援ありがとうございました!」
「どういたしまして。またね」
粕森さんは優雅に歩き去った。背中から見ても綺麗だなぁ。
「いやー,粕森さん本当に美人でしたねー。私ビックリしちゃいました」
やっぱり芽依姉ちゃんもそう思うよな。うん。
サユが戻るのを待ってから,三人で家路についた。道中で,芽依姉ちゃんが粕森さんと話したことを教えてくれた。
「粕森さんも言水先輩と『けいやくしょ』を交わしたって言っていたじゃないですか。なんでそんなもの書いたのって,尋ねたんです」
なるほど。俺と芽依姉ちゃんは,ドラマに影響を受けたから,契約書を真似して書いたんだった。あの二人は人形を壊したってだけなのに,わざわざ幼稚園児が「契約書」なんか交わす必要――発想がないはずだよな。
「たまたま,幼稚園で契約書ブームだったとか」
「どんな幼稚園だよ」
サユは真面目なのかふざけてるのかわからん時がある。
「でも,子供の落書きで書かれた『けいやくしょ』が物理法則をねじ曲げてでも現実になっちゃうなんて,やっぱ普通じゃないよね。芽依ねえも粕森さんもそれでメイドと人形になってるわけだし。そこにさ,何か共通の秘密があるんだよ。あたしね,思うんだ。粕森さんと言水さんに『けいやくしょ』の概念を吹き込んだ,二人の周囲にいたはずの大人。そいつこそが『犯人』なんじゃないかって」
「っても,俺らとあっちで幼稚園も違うし,書いた時期も違うし,共通の黒幕的なのは考えにくいんじゃねー? そもそも犯人側に動機とメリットないしな」
「今度,その幼稚園行ってみよっか」
「話聞いてた? 大体,行ってどうすんだよ。十年以上前の話だぞ。関係者が残ってるわけないだろ」
「でもさ,三年後には芽依ねえは大学受験な訳だし,それまでには解決しときたいじゃん?」
「あー,まあ……それはそうだけど」
俺はチラッと芽依姉ちゃんを見た。頬をポリポリ掻いて,少し気まずそうだった。それから,おずおずと提案した。
「幼稚園に押しかけるのはダメだと思いますけど……。今度,二人の卒園アルバムでも借りてきましょうか?」
あー,それがよさそう。うん。
あくる日,俺はまた下校中に路地で粕森さんと遭遇した。俺はすっかり舞い上がって,一緒に帰った。
「藤原さんとはその後どう?」
「いつも通りですよ?」
「そう」
粕森さんはしばらく無言だった。俺も雰囲気に呑まれて,何となく黙った。沈黙……。何か話題ないかな。
「私ね,家に帰ると人形になっちゃうんだ」
「ああ,はい。そうらしいですね」
「だからね,ホントに何もできないのよ。料理も,掃除も,お洗濯も……」
粕森さんはどこか儚げな表情を浮かべた。
「全部,勇くんに任せっきり。あの人がいないと私,生きていけないの」
ドキッとした。急所を突かれたかのような痛み。俺と……芽依姉ちゃんみたいだ。
「私が少しでも生活,楽になるようにって,私サイズの服とか,家具とか,作ってくれて……」
俺は芽依姉ちゃんの弁当を思い出した。早起きして作ってくれたんだっけ。中学生になってからは,毎日のご飯も……。
「でも,私は何もお返しができなくって。それがすっごく心苦しいの。勇くんは気にするなって言ってくれるけど」
あいつが,芽依姉ちゃんみたいに……? 早起きして料理を作ったり,家中掃除したりする言水さんの姿が一瞬,脳裏に浮かんだ。俺はなんだか,言水さんを嫌っていた自分の言動が急に幼くて恥ずかしいものだったように感じた。
「だからね,藤原さんのこと,私すっごく尊敬してるの。中々できることじゃないのよ」
俺は何も言えず,ずっと俯いたままだった。
「送ってくれてありがとう。じゃあね。藤原さんとも仲良くしてあげてね」
家路の最中,俺は芽依姉ちゃんへの感謝や負い目を感じなくなりつつあった最近の自分を恥じた。全然,大人なんかじゃない。言水さんを芽依姉ちゃんとオーバーラップさせることで,俺はやっと,言水さんの人を惹きつけるその魅力がわかったように思えた。
ダメだな。今の俺と粕森さんとじゃ,釣り合わねーや。
第九章
言水先輩から借りた卒園アルバムの中に,一際目を引く大人の写真があった。当時の幼稚園の先生らしい。鼻が高く,彫りが深い,外国人っぽい顔立ち。名前も載っていた。羽竜レベッカ。ハーフなのかな? しかも,ちょうど先輩と粕森さんが契約書を交わした年に担任だったようだ。
「絶対この人だよ! なんか魔女っぽい!」
「小百合お嬢様,見た目でそういうことを決めつけるのはよろしくないかと」
「えー,でも」
私のスマホが唸った。リョウくんからだ。「今日は遅くなるから,先食べといて」か……。最近,多くなってきたなー。ちょっと心配だし,寂しい。
「最近,遼太のやつ調子乗ってるんだよね。この間の新人戦で大活躍したからさ,杉森くんと一緒にかなり学校で人気出てて」
サユちゃんはわかりやすく不機嫌だった。リョウくんがモテ始めたのがあまり気に入らないらしい。実際,大活躍だったんだからいいと思うけどな。
「なんか,最近口を開くと喧嘩ばっかりだし……」
そう言うとサユちゃんはシュンとなって,悲しげな顔を見せた。
「まあ,中学生っていうのはそういう時期ですから」
「芽依ねえもそうだったの?」
「私は……年の差がありましたし,『立場』が違いましたし……」
そうだ。私は昔からずっとリョウくんより年上で,「メイド」だったから,喧嘩なんてしたことないな。険悪になりかけても,年上として大人の態度を見せるか,或いはメイドとして謝罪しちゃうか……。今思ったけど,私,もしかしてリョウくんと対等な関係になったことって,実はない?
そういう点では,同い年かつ友達のサユちゃんが羨ましいかも。二人が大きくなって,そのまま恋人にスライドしているところが容易に想像できた。私は? なれないのかな。……ってダメダメ,リョウくんでそんなこと考えちゃ。まだ中一なんだし。粕森さんが変なこというから,こういう話題になると意識しちゃう。そもそも,私はリョウくんのメイドだし。……メイドだったら何? メイドだったら恋人になれないの?
当たり前か。私,リョウくんのいうこと何でも聞いちゃう体だから,そもそも対等な恋人関係なんて物理的に構築不可能じゃん。いやそもそもリョウくんと恋人になんてならないけど!
パシャッと,スマホのシャッター音が鳴った。
「あたし,クラスの人に聞いてみるね。この羽竜レベッカって先生のこと。見た目も名前もインパクトあるから,結構すぐ知ってる人見つかると思う!」
いいのかな,そういうの。
サユちゃんが帰ってしばらくすると,リョウくんが帰ってきた。
「ただいまーぁ」
「お帰りなさいませご主人様」
リョウくんは無言で私に鞄を差し出した。持てってことか。本当に調子に乗ってるんだなー,可愛い。そうこうしていると,体が勝手に動き,鞄を受け取った。
(あ,やっちゃった)
コンマ数秒反応しないでいたのが「反抗」と受け取られたのかはわからないけど,謎の力に体を乗っ取られ,私は二階のリョウくんの部屋まで鞄を運ばされた。
(これぐらい,自分でできるよっ)
心の中でそう叫んでも,体は鞄を置くまで,私に支配権を返してくれなかった。
体を取り戻すと,私はすぐに一階に戻って料理を温めた。その間に,リョウくんにちょっとだけ小言を言おうと決めた。
「小百合お嬢様がっさきまでいらしていました」
「ふーん」
「寂しがっておられましたよ。本当はもっとご主人様と仲良くしたいのに,って」
心当たりがあったらしく,リョウくんは急激にトーンダウンし,バツが悪そうな顔をした。
「……わかったよ」
特に反論することもなく二階に上っていった。晩御飯を配膳している間,微かな話し声が漏れ聞こえた。サユちゃんに電話してるみたい。いい子なんだよね,やっぱり。
会話内容まではわからないけど,楽しげな声が聞こえてくる。仲直りできたみたい。温め直した料理がまた少し冷えてきちゃったけど,私の心は温まった。
次の日には,リョウくんは大分早く帰ってきた。道中で粕森さんと会ったらしい。私を褒めてたとかなんとか。
「芽依姉ちゃん……その」
「なんでしょう?」
「……いや,なんでもない」
「?」
その日のリョウくんは随分としおらしく,洗い物を手伝おうとまでした。自立心でも芽生えてきたのかな。嬉しいけど寂しいかも。
羽竜レベッカはいともあっさり見つかった。幼稚園時代の自身や兄姉が担任だったという子が中学に結構いたらしく,サユちゃんは持ち前の行動力でアポまで取ってきた。
「行動力ありますねー,お嬢様」
「人気の先生だったらしいよ。マジックが得意だったんだって! 何か臭わない?」
マジックかー……。もしかして,本当にタネも仕掛けもない方のマジックだったりして。だったらちょっと怖いけど……。評判聞く限り,良い人らしいから,大丈夫かな。
梅雨明けの日曜日。リョウくんとサユちゃん,そして私の三人で,羽竜レベッカ先生の自宅に伺うことになった。言水先輩と粕森さんにも連絡したけど,他に用事があるらしい。
着いたところは何の変哲も無いアパート。ここの三〇一号室。
「何の話すんの? 会話もつ?」
リョウくんは不安げだった。私もだ。恩師ならともかく,私達全員違うし。というか,先方もよくオーケーしたよね。
「何とかなるでしょ,へーきへーき」
場をつなげられそうなのはサユちゃんだけだ。って,年上なのに情けないな私。よし,頑張ろ。
ピンポンを鳴らした。
「どちら様?」
「あの,今日伺うことになってた明庭です」
「ああ。お入り」
通話が終わると,ドアが勝手に開いた。自動ドアには見えないけど。背筋がゾクッとする。夏にはまだ早いんだけど。これには流石にサユちゃんもビビったらしく,顔を見合わせたまま踏み出そうとしなかった。ここは私が年上としての意地を見せるしかない。
私が先行して中に入った。玄関には複数の靴が並んでいる。あれ? 他にお客さんがいるのかな?
「いらっしゃい」
しわがれ声が奥から響いた。羽竜レベッカ先生だろうか。
「あ,来た来た」
「藤原さーん,大丈夫だから,ほら」
聞き覚えのある声も奥から続けて届いた。言水先輩?
「あれ!? 今の声,粕森さん!?」
「お,お邪魔します……?」
リビングまで行くと,テーブルに二人座っていた。一人は羽竜レベッカ先生。当然だけど,卒園アルバムより大分お年を召している。すごく魔女っぽい。もう片方は言水先輩だった。テーブルに置かれた箱の中から,少し聞き取りづらいけど,粕森さんの声も聞こえる。
「だから,教えてあげようって言ったのよ」
「そりゃ,僕だってそうしたかったけど……先生が,ねえ?」
「はあー,やれやれ。また大所帯でゾロゾロと」
渋々ではあったけど,羽竜レベッカ先生は自身の身の上を明かしてくれた。先生は魔女の末裔の一人で,魔法について詳しいらしい。ただ,本人が使える魔法はほんのちょっと。先輩方に「契約書」の概念を教えてしまったのは多分自分だ,と。そのつもりはなかったが,どっかでポロッと話題に出たのが耳に残ったのだろう,と語った。この話の証拠として,先生はグラスを宙に浮かせて見せた。
そして,何故私達がメイドや人形になっているのかも教えてくれた。先生の見立てでは,古代魔法の一つ「魂の契約」によるものらしい。(古代魔法というのは古代から存在が伝えられているという意味だそうだ)
魂の契約とは,純粋無垢な子供同士だけで成立する魔法契約。互いが心から純粋に望んだ契約を結んだ時,希に魂同士で契約が結ばれた形になることがある。その内容は絶対遵守されることになり,契約書を破棄しない限り効力は続く。これが先生の語った,「けいやくしょ」の真相だった。
「でも,それなら子供同士でうまく契約を結ぶよう誘導すれば,やりたい放題できるんじゃないですか?」
サユちゃんの質問を先生は否定した。「魂の契約」は純真な心を持つ子供たちが,自らの意思で,心から望んで「契約」した時にのみ発動する可能性がある魔法であり,大人が誘導することは不可能なのだと。だから修行もいらない強力な魔法であるにも関わらず,滅多にお目にかかることはない,非情にレアな魔法契約らしい。
「子供同士の約束って日常茶飯事だと思うんですけど」
先生はリョウくんの質問も否定した。互いに「契約」だとわかっていて,書面を介して行われなければならないのだ,と。契約の概念を理解している子供同士が自発的に書面で交わし,かつ本当に心から互いに望んでいる内容の時。これだけの条件がそろった上で,希にバグ的に発動するのが魂の契約であると語った。
「それがこんな近くに二例も出るんだもんねえ。あたしゃ相当の果報者だね」
「なんで教えてくれなかったんです?」
私は言水先輩に質問した。とっくに羽竜レベッカ先生と知り合いで,この魔法契約のことも知っていたらしい。
「ああ,ごめんね。でも先生はあんまり身の上を人に知られたくないらしくて」
魔女の末裔,だっけ。色々あるんだろうな。多分。
「じゃあ,契約書を破っちゃえば解けるんですね」
「そうさ」
なんだ。やっぱりそれで良かったのか。でも,だとしたらどうして粕森さんはそうしなかったんだろう。実は人形でいるのが好きなのかな?
私の疑問を察したのか,先輩は訊かれる前に答えた。
「僕らの契約書は今手元になくってね。今頃どうしているのやら」
あー,紛失か。そりゃ大変だ。……でも破棄はされていないってことだから,ゴミに出したりはせず,どっかに保管されてるんだよね。探せば見つかるんじゃ……。何か事情があるのかな。今ここで話さないってことは,きっと何かあまり言いたくない理由があるんだろうな。聞かないでおこう。
家に帰ってすぐ,「けいやくしょ」を探した。クレヨンで書いた全文平仮名の落書き。これが魔法の契約書になってたなんて,世の中まだまだ不思議なことが多いなぁ。
「破っちゃう?」
「ん?……えっと,どうしましょう」
いつでも何とでもなる,ってことが分かった以上,特に急いで破棄する理由もなくなった気がする。というか,多分破棄しても,私はこれまで通りリョウくんの世話は続けるつもりだし,破棄してもしなくても何も変わらないような。
「俺は,その,芽依姉ちゃんの好きにしたらいいと思うけど」
その声は少し寂しげだった。
「安心して下さい。破棄することになっても,私はご主人様のお世話続けますから」
「あ,うん」
リョウくんの立場的にはちょっと意見表明しづらいかな。だろうね。
しかしこれ,逆に考えると,これを破ったら小さくなったりできなくなるんだよね。「破棄はいつでもできる」ってことがわかっちゃった途端,何か……色々勿体ない気がしてきた。
「まあ,今すぐじゃなくてもいいよね。好きなときにさ。もうちょっと遊んでからでもいいと思うし」
三人で話し合った末,破棄を保留することにした。うん。いつでもできるからね。
サユちゃんが帰って二人きりになった時,リョウくんがモジモジしながら言った。
「あのさ……話があるんだけど」
「何でしょうか?」
私は出来る限り優しく聞こえるように言った。
「さっきはサユがいたから言えなかったけど……。俺さ,その……これまでありがとう,芽依姉ちゃん」
リョウくんはそう言って頭を下げた。
「ふぇっ,な,何ですかいきなり!?」
「いや,メイドごっこ終わりなのかな,って思ったら……。言わなきゃいけない気がして。お礼。八年分」
「いえ,そんな……私が好きで始めて,勝手にやってたことですし……」
「何の得もないのにずっと遊んでくれて,面倒見てくれて,本当に楽しかったし,嬉しかったよ」
私の顔に血液が集まってくる。リョウくんにこんな正面切ってお礼言われる日がくるなんて。やだどうしよう。嬉しいよ……。
「私にも得,ありましたよ」
「?」
「ご主人様が元気だと,私も嬉しくなれるんです」
リョウくんは腰が抜けたかのようにソファに座り込んだ。顔が真っ赤だ。
「だったら……良かった。結構,負い目感じてたから,それ」
「え?本当ですか?」
「本当だよ。だから尚更ありがたかったんだよ」
あー,もう素直なリョウくん可愛いなあ。私もソファに腰掛けた。するとリョウくんが私の膝に頭を乗せた。
「……ふふっ,久しぶりですね,これ」
「……最後に一回だけ」
「まだ最後じゃないですってば」
私はリョウくんの頭を撫でた。嬉しいやら照れくさいやら,至福の一時だった。
やがてリョウくんが頭を上げると,これからの話を始めた。
「破棄するのはいいよ,うん。でも,その後のことなんだけど」
「はい」
「さっきは言えなかったけど,できればその……続けて欲しいんだ」
「大丈夫ですって。お世話は続けます。少なくともおじさんとおばさんが帰ってくるまでは」
「あーうん,それだけじゃなくって……」
「あ,メイドをですか?」
私はスカートの裾を摘まんで,ちょっとだけ持ち上げる仕草をとった。リョウくんは真っ赤になって慌てて顔を横に向けた。可愛い。
「……うん」
やだもー。こっちが照れちゃう。私はどうしてもリョウくんにあのワードを言わせてみたくなった。たまにはこっちが弄ってもいいよね。
「理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「可愛い,って思うから……」
えへへ。言ーわせた。嬉しい。実はあんまり,直接褒めてくれること少なかったんだよね。男の子はこういうの照れちゃうし。
「ありがとうございます。ご主人様」
私は体を寄せた。リョウくんに「可愛い」って言ってもらえると,すごく嬉しい。疲れが吹っ飛んじゃう。
「あ,いや勿論その,毎日じゃなくていいし,絶対でもないけど……」
リョウくんはあたふたしながら言葉を紡いだ。こんな素直なリョウくんいつぶりだろう。
「……ええっとだから,要するに何が言いたいかって言うと,……破棄しても,メイド続けてほしい。可愛いから」
「かしこまりました,ご主人様」
リョウくんが私の手をとった。目線がぶつかる。いつの間にか顔が正面にきてる。その距離も縮まっていく……。
「ごっめーん!忘れ物ー!」
「!!」
私達はお互い思いきり後ろに飛んで,ソファから転げ落ちた。
「いてっ!」
「いたっ!」
リビングにサユちゃんが来ると,床に無様に転がっている私達を見て言った。
「あれ?何してんの?」
「いや……」
「何でもないです……」
サユちゃんの顔を見ると,胃がギュッと締め付けられるような気がした。私,今何しようとしたの?
リョウくんと……キ……,キス……!?
「芽依ねえ,大丈夫?」
「あ,はい」
私はおもむろに立ち上がった。私を心配してくれているサユちゃんを見ると,罪悪感が胸中に広がっていく。
「すみませんでした,小百合お嬢様」
「へ,何で?」
「……いえ」
リョウくんはもう二階に逃げていた。その日はもう顔を合わせることなく,私はサユちゃんと一緒に咲村家を後にした。
自室のベッドに寝転がり,リョウくんとキスしかけたことを思い出しては,枕に顔を埋めて転げ回った。
(きゃー! ぎゃー! 何考えてんの私! 何でリョウくんとそんな……)
そうだよ,ダメなの。リョウくんは弟みたいなものなんだから。
本当に,それだけ?
違う。サユちゃん。サユちゃんもリョウくんを好きなはずだ。きっと。本人に自覚があるかはわからないけど……。
(って,『も』って何!?『も』って!)
私は……好きじゃないの! リョウくんを! 恋愛的な意味では!
心の中で何十回と呪文のように唱えた。壊れちゃう。私がリョウくんとそんな関係になったら。私はサユちゃんも大好きなのに。関係が壊れちゃう。嫌われたくない。サユちゃんに。
それに,リョウくんはまだ中一になったばっかりだし。これから,他に好きな人だってできるかもなわけで……。年上の私が,まだ子供のリョウくんに迫っちゃダメだ。人としての矜持だ。たとえ,リョウくんが私を好きだと言ってくれても。封印しなくちゃ。この気持ちは。
私はメイド。恋人じゃない。
第十章
授業にも部活にも力が入らない。芽依姉ちゃんと思わずキスしそうになってしまった時のことが頭から離れない。
「おい,ボケーッとすんな」
「わ,悪い,杉森」
「お前最近変だぞ」
「ホントわり。すまん」
くそ。本当にかっこわりい。別に……キスぐらいでどうこう騒ぐことないだろ,俺。未遂だったんだし。
「今日,サッカー部休みだってよ」
「分かった。サンキュ」
放課後。俺は雨に濡れたグラウンドを窓からボーッと眺めていた。
「遼太!遼太!」
「!?」
「もう。しっかりしてよ。どうしちゃったの?」
サユ……。最近,まともに目を見れない。何故だが胸の奥がチクリと痛む。
「何か悩み事? あるならあたしに言ってよ!」
言えないんだよ。お前にだけは。……何で言えないんだ,俺?
その日の帰り道。俺は真っ直ぐ帰る気になれず,少し遠回りした。
「あれ? 遼太郎くん?」
「言水さん……」
ヒョロッとした長身で眼鏡をかけてる,いけすなかった高校生。
「きみも買い物?」
「あ,いえ……特にそういうわけじゃ」
「藤原さんと何かあった?」
いっ。何で分かるんだ,エスパーか!?
「最近,藤原さんも様子が変でね。部活で」
ああ。同じ部活だったんだっけ。ただ,芽依姉ちゃんが俺と同じことで,同じように悩んでくれていることが,俺には嬉しいことのように思えた。でも,このままだとギクシャクするばっかりだ。誰か相談できる相手でもいればな……。
いや,いるじゃん。目の前に。言水さんならきっと,芽依姉ちゃんやサユにバラさないでいてくれるだろう。プライドがかなり傷つくけど。この際そんなものは捨て置こう。
「あっはっはっは,いやそーか,なるほどね」
「笑い事じゃないです」
「いや,ごめんごめん」
言水さんはしばらく悩んでいた。頼りになるのかな……。人選ミスだったり……。
「破棄はしてないんだよね? 魂の契約」
「あ,はい」
「だったら,多分,君の思っていたキスとは違ったかもしれないね」
「どういうことですか?」
「絶対服従なんだろ?君に,藤原さんは」
「……!!」
脳天に雷が落ちたようなショックだった。あれは……あのキス未遂は……俺が無理矢理やらせてたっていうのか!? いや,口に出してそんな「命令」はしていない。
ハッと思い出した。無言の「命令」,したことあるぞ。鞄持ってもらったり,お代わりとか……。
あのときも,俺がキスを要求していると,契約が勘違いして,嫌がる芽依姉ちゃんの体を操って,無理矢理……!?
だったら,俺は最低最悪の男だ。浮かれていた自分が馬鹿みたいだ。
「いや,可能性の話だけどね。どっちにしろ,君の言うことに絶対服従って前提がある限り,対等な恋愛は成立しないと思うけど。急ぎすぎなんじゃないかな,色々と。まだ中一だろ?」
「……はい」
「もっと色んなことを経験して,色んな人と会って,それこそ高校生なってから,改めて自分の気持ちに向き合ってみたらどうかな?」
「先延ばしってことですか?」
「そう。決して恥ずかしいことじゃないよ。正しい判断をするためには,知識と経験は多い方がいい。学校のテストもそうだろう」
うーん,なんか丸め込まれているような気がするけど……。とにかく,アレが本心からのものだったのか,契約の強制だったのかを確かめないと。
「わかりました。ありがとうございます。それじゃっ!」
俺は軽く一礼して急いで家に走った。少なくとも,確信したことが一つ。魂の契約,あれはやっぱり破棄すべきだった。
「ただいまっ!」
「お帰りなさいませ,ご主人様」
俺はすぐに,芽依姉ちゃんに尋ねた。サユも家にいたけど,構うもんか。
「芽依姉ちゃん。この間のアレ,強制されてだった?」
俺の言うことには逆らえない。つまり,嘘はつけないってことだ。
「……いいえ」
緊張の糸が一気にほぐれた。良かった。あああ,本当に良かった……。
「ですが,うっかり空気に流されちゃってのものでしたので,その,……できれば無かったことにしていただけると助かります」
「えっ!?あ,うん。……オーケー」
えっマジで。ここ数日悩んでいたのが本気で馬鹿みたい。いや,それとも照れ隠しかなんかで嘘ついてるって線も……。確かめたくなったが,俺は踏みとどまった。無理矢理本心を吐露させるなんて,真っ当じゃない。もしも嘘だったんなら,当然,バレたくないんだろうし。
「え? え? 何なに? なんかあったの?」
サユはずっと当惑していた。何回も「教えろ」とせがまれたが,俺も芽依姉ちゃんも教えなかった。
「ケチ! ふんだ!」
「えっとほら,アレだよ。契約を破棄するかどうかでもめたんだ。なっ,芽依姉ちゃん!?」
「そ,そうです,そうなんです」
「え,なんだー,今更そんなことで? ……んで結論は?」
「破棄するよ。いいよね?」
アレはもういらない。恋愛とか抜きでも,俺は芽依姉ちゃんと対等に戻りたい。きっと芽依姉ちゃんもそうだろう。
「かしこまりました,ご主人様」
記念に「けいやくしょ」を写真に撮ってから,破棄に移った。
「じゃあ……えっと,破ればいいのかな」
「ですね」
破り役には俺が立候補した。当事者だしな。
俺が芽依姉ちゃんと対等だったら,ついうっかり空気に流されて,ではない本気のキスもありえたんだろうか。俺も高校生になれば……。あれ? でもその時芽依姉ちゃんは大学生になっているのか。……追いつけなくね?
「芽依姉ちゃん。ずっと十六歳でいて」
「かしこまりました,ご主人様……ってちょっと!? 何でいきなりそんな命令するんですか!? 困りますよ!」
久々に芽依姉ちゃんがいつもの調子に戻ってくれた。
「ごめん。すぐ破棄するから」
「あーわかった。芽依ねえに年齢追いつきたいんでしょ。ぷぷぷっ,小さいなー」
「うっせ」
「そんなことしなくっても,大人になれば三歳差なんてあってないようなものですよ」
大人になったら,か。なれるといいな。中身もちゃんと。
「ていうか勿体つけすぎ!景気よくいっちゃえって!」
おっと,いけね。サユの言うとおりだ。
「それじゃ,一,二の,……三!」
ビリビリと音を立てながら契約書は真っ二つに破れた。赤黒い閃光が一瞬,契約書から放たれ,消えた。
「あーあ,破っちゃったー」
「なんだよ,文句あんのか」
「別にぃー。あ,そうだ。芽依ねえに命令してみてよ。確認してみよ!」
ああ,そうだ。本当に俺の命令に従わなくてもよくなったのか。ちょっと内心ビクビクしてる。治ってなかったらどうしよう。
「命令!三回回ってワン!」
「嫌です」
一分間の沈黙。その間,芽依姉ちゃんが回り出すことはなかった。
「ふー。よかった。成功だな」
俺は「けいやくしょ」の残骸をゴミ箱に入れたが,サユが回収した。
「せっかくだからとっとこうよ。二人の思い出の品だしさ」
「好きにしろ」
とにかく,よかった。重ーい肩の荷が下りた気分。芽依姉ちゃんを目が合った。芽依姉ちゃんはニッコリ微笑んで言った。
「ありがとうございます。ご主人様」
エピローグ
「おはようございます,ご主人様。ちょっとお時間よろしいでしょうか」
「……?」
次の日の朝。私はいつも通りメイド服でリョウくんを起こした。壮絶にヤバい事態に陥っている。
朝,せっかく自由になれたのだからと,メイド服じゃない服を着ようとしたところ,強制的にメイド服にされてしまったのだ。しかも,メイド服を着ると髪が金髪に染まり,腰まで伸びたのだ!
「うっそ!? 確かに破ったのに!?」
この話を聞いたリョウくんは酷く取り乱していた。破った,確かに破棄した,本当だ……と。
「私に何かご命令をしていただけますか」
「パンツ見せて」
「嫌です」
あれ。命令に逆らえる。じゃあやっぱり正しく破棄されたんだ。
「芽依姉ちゃん,寝ぼけてたんじゃねーの?」
「有り得ないですよ,この金髪見てください!ウィッグじゃないですよ!」
私は金髪ツインテールをリョウくんの顔に押しつけた。
「わ,わかったわかった! でも後で! 学校終わってから!」
晩御飯を食べる前に,三人で緊急ミーティングを開いた。事情を聞いたサユちゃんが叫んだ。
「残存効果だ!」
「な,何ですかそれ!?」
「発動済みの命令は『魂の契約』が発効させ続けるものじゃないから残ったんだよ! 多分! 発射済みの弾丸なんだよ!」
「ええええっ!?」
な,何それ聞いてない!? ていうかメイド服着続けろなんて命令……あ。してた。キス未遂の時……。もしかしてアレ!?
私達は思い出せる限りの,取り消していない命令をリストアップした。
まずは特定の呪文で小さくなれる。これを試してみると,本当に小さくなれたし,元に戻れた。いよいよもって,「残存効果」説の信憑性が高まる。
キスの時メイドを続けてって言われた。多分,今朝と今メイド服を強制着用されたのはこれ……。あれ。この命令,いつまで有効なの? 期限決めてなかったけど……。
羽竜レベッカ先生に連絡すると,残存効果説はおそらく正しく,期限指定していない「メイドを続けて」は生涯有効である可能性が高い,と宣告された。
「うっそーっ!?」
私は泣いた。こんなのってないよ。酷いよー。リョウくんは「やっちまった」感満載で,部屋の隅で小さくなっていた。リョウくんを責めても仕方がない。気がつかなかった私の責任でもある。他に命令は……。
「破棄直前の『十六歳でいて』って有効?」
サユちゃんのその言葉で,リビングが凍り付いた。嘘……私……もう成長できないの!? ずっと体は十六歳のまま!?
「お……落ち着いて芽依姉ちゃん! 何か! 何か対策あるはずだって!」
先生によると,まったく同じ内容で当事者同士なら,一度結んだ「魂の契約」は再度結び直すことが可能だとか。先生の力を借りれば。
私の残存命令を取り消すには,「もう一度リョウくんの命令を何でも聞く体になって,それから取り消す」以外ない。だけど,それには大きな障害がある。
「……七年かかっちゃうね」
再び用意した「契約書」。その文面は「わたしがななねんめいどをしたらなんでもいうことききます ふじわらめい」だ。再び絶対服従になるまで七年,リョウくんのメイドを続ける必要がある。
「あー,もー,やだー! 馬鹿ー! みんな馬鹿ー!」
私はほとほと嫌気がさした。なんで……なんでこんな目に……。正直言うと,リョウくんを責めたい気持ちはある。でも同意責任は私にあるし,年長者は私だし,中一に当たり散らしたって……。やるせない無力感が私をますます苛ませた。
「元気出して芽依姉ちゃん。ポジティブに考えようよ。永遠の十六歳だよ!」
「やだ! やーだー!」
私はまるで小さい子供のように駄々をこね泣き叫んだ。その時,リョウくんが両手で私の手を握った。
「ホントにごめん! 芽依姉ちゃん! 責任は絶対とるから! 必ず!」
「え,それって……」
私は思わず赤面した。リョウくんは私の紅潮を見て,慌てて弁明した。
「ち,違う違う! そういう意味じゃなくって……!」
真っ赤になって慌てふためくリョウくんを見ていると,何だか落ち着けてきた。私の手がリョウくんの手より小さいことにも,私は今やっと気がついた。
「ありがとうございます。ご主人様。もう大丈夫ですから……落ち着きましょう? お互いに」
先生の立ち会いの下,私とリョウくんは「再契約」を行った。二人ともサインした後,先生が契約書に手を置き,よくわからない呪文を唱えると,赤黒い閃光が走った。
「うまくいったよ。成功だ」
「ほっ」
「よかっ……たかなぁ?」
また七年,リョウくんのメイドを務め続けなければならない。でもまあ,冷静に考えてみたら,何も変わんないかも。もとよりお世話は続けるつもりだったんだしね。
夕日に照らされた帰り道のリョウくんの背中は,心なしかいつもより頼もしく思えた。何でかな。私はしばらくリョウくんを観察した。そして気がついた。
「ご主人様,背,伸びました?」
「えっ!? マジで!? やったーっ!」
あ。なんか一気に子供っぽくなった。だけどきっと,この調子でグングン伸びていくんだろうな。私よりも大きくなって,それで……。先輩を超すのかな,超さないかな。七年後はリョウくん一九歳か二十歳か。なんか信じられないな。大人のリョウくん。どんな男の子になるんだろう。頼もしいといいな。胸を張ってご主人様って呼べるような。何でも言うこと聞いてもいい,って思えるような。そんなカッコいい男に育ったら……きっと,私も報われる。大人のリョウくんは誰を恋人に選ぶのかな。私? サユちゃん? それとも別の誰か……。よし,決めた。大人になったら,私のこの思いの封印を解こう。あのドラマのメイドさんみたいに。楽しみだな。