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第五章 町の大きな本屋で,私は心理学のコーナーを漁っていた。メイドの呪いの原因を探る手がかりにならないか,と考えて。最も,物理法則をねじ曲げたんだから,私の脳への刷り込みとかでは有り得ない,とは思うんだけど。まったく解決の糸口が見えないし,わらにもすがりたい状況……ってほど切羽詰まってもないか。リョウくんはいつも通りに私に接してくれて,変な命令もしてこないし。ホントいい子に育ってくれちゃって。信頼してもっと早くに打ち明ければよかった。 「あれ,藤原さん?」 振り向くと,眼鏡をかけた茶髪の男子が隣に立っていた。ヒョロッとした長身。私が入部した手芸部の言水先輩だ。 「心理学とか,興味があるの?」 「あ,はあ,まあ,はい」 私が手芸部を選んだ理由は,メイド服作りとかで経験が結構あることと,緩い空気の部だったことの二点。上下関係もないに等しいし,放課後無駄に時間を取られることもない。事実上の帰宅部員となるような幽霊部員も結構な数抱えていて,メイド生活に支障をきたさないだろうと踏んだからだ。 「僕も心理学に興味あるんだけど,理系だからねー」 進学先の話か。私も年末には文系か理系か選ぶんだっけ。……大学どうしよう。考えてなかった。「メイドごっこをやめられない」のって,どこまで縛られるんだろう。もしかして県外の大学は不可能な感じだったりする? 「藤原さんは文系に進むのかな?」 「えっと……まだそこまでは」 卒業までに何とかなるかな,この呪い。 「あはは,そうだよね。僕も去年の今頃は進路なんて真面目に考えてなかったし」 「そういうのって,みんないつ頃から意識するもんなんですか?」 「うちの高校来るような子だと,実際に受験が始まる三年まではあまり考えないんじゃないかな。『普通の普通科』の西校だからね。僕の周りもみんなまだそんな雰囲気じゃないしね」 「あー,中学の時みんなそれ言ってましたねー。言水先輩は真面目に進路考える切っ掛けとか,あったんですか?」 言水先輩は照れくさそうにはにかみながら,頭を掻いた。落ちた視線の先には,小脇に抱えた本がある。本のタイトルは……ユニバーサルデザインが何とかかんとか。 「僕の知り合いにね,何というかまあ,普通には暮らせない子がいるんだけど,その子が不自由なく生きていけるようになる手助けがね,できたらいいな,って思っているんだ」 私は感嘆した。部では二年生の中の弄られポジだった先輩にそんな立派な志があったなんて。謝りたくなってきた。 「へー,すごいですね……カッコいいです」 「はは,ごめん。忘れて。恥ずかしいな」 「そんなことないですよ,立派だと思います。はー」 「ふふ,ありがとう。藤原さんも頑張ってね。じゃあ,ゴールデンウィーク明けに部室で」 言水先輩はレジに向かって立ち去った。私なんて先のことなんか考えたことないのに。カッコいいなぁ。大人って感じ。自分と一歳しか違わないなんて俄には信じがたい。 でも,真面目な話,私はどうなるんだろう。あくまでもメイドを強制させられるなら,私はリョウくんと離れて暮らすことは不可能ってことになるけど……。一生リョウくんのメイド? リョウくんとその奥さんにメイドとして尽くしている未来の私を想像すると,胸がズキンと痛んだ。そんなの嫌だ。リョウくんの奥さんに傅くなんて。 (……あれ?そこ? 大人になってもメイドをすることが嫌なんじゃなくて?) リョウくん単体に傅く自分を想像した。キシリとした胸の痛みを感じる。そりゃ,そうだよね。でも,それほどでもなかった。 (私,何が嫌なんだろう?) 知らない人にメイドごっこを知られたあげく,その格下の存在であり続けることに自尊心が傷つくから……。だよね,私? ゴールデンウィークの間,リョウくんに付きあってもらって,自分の呪いの現状を詳しく調べてもらった。 「んで,『大金持ちになれ』はバツ,と」 リョウくんは命令をいくつかのグループ(物理的に可不可,私の能力的に可不可,単独実現の可不可など)にわけて分類し,それに属する命令を出して,実現するかどうかを記録していった。。リョウくんがまるで科学者みたい。別に勉強好きもないくせに。サッカー部の練習で疲れているはずなのに。男子ってこういうのになると,なんか生き生きするような。 「大体分かってきたな」 リョウくんは実験結果をまとめだした。学校の勉強もこれくらい自発的かつ精力的にやってくれればいいのに。 「自分一人では完結できない命令,つまり金持ちになれとか,世界を平和にしろとかは無理。でも芽依姉ちゃんだけで完結する命令は物理法則に反するものでもいける。若返れとか,飛べるようになれとか。能力的に無理なものも,一人で完結する内容ならいける。英語ペラペラになれとか,絵がうまくなれとか」 私は感心しながら聞いていた。リョウくんまだ中一なのに,なんかすごい。 「例外的に拒絶されるのは二つ。まずはメイドごっこをやめろ系のやつ。言い回しを変えてもこれだけはNGぽい」 理由はわからないけど,これは本当にどれだけ日本語をこねくり回しても無理だった。 「もう一つは,芽依姉ちゃんの心は操作できない感じだね」 そう。私の記憶を消すとか,○○を好きになれとか,そういうのも無理だった。ただ,「○○が好きなように振る舞え」は通った。つまり,私の動作や肉体は好き勝手弄れても,精神には干渉できないらしい,ということ。これには結構ホッとした。 「まー,こんなとこかなぁ」 リョウくんはファイルを保存してタブレットをテーブルに置き,ソファに寝転がった。 「お疲れ様です,ご主人様。とてもよくわかりました」 ちなみに,「猫になれ」「本の中に入れ」的なやつは,後が怖いのでやらないことにした。 私は用意していたデザートを準備した。私のために夜も頑張ってくれたリョウくんへのプレゼントだ。 「おっ,やったーっ」 リョウくんは大喜びで飛びついた。こういうところは小学生だった時と何も変わっていない。可愛い。 その時,私のスマホが振動した。メッセージが来ている。言水先輩からだ。 「今日は話を聞いてくれてありがとう。でも,恥ずかしいからできれば部のみんなには秘密にしといて欲しいな」 最後に困り顔の熊さんが添えられている。先輩,結構可愛いところあるなー。「わかりました。約束です」と……。 「誰から?」 リョウくんがデザートをムシャムシャしながら尋ねてきた。 「部の先輩からです」 「手芸部だっけ? 男? どんなやつ?」 「はい,手芸部で男です。眼鏡かけてて,背は高いんですけど,筋肉はなくてヒョロッとしています。地毛で茶髪です」 「ふーん」 「どうかしましたか?」 「別に。なんかニヤついてたから」 リョウくんの言葉に少し苛つきを感じた。どうしたんだろう。デザートが舌に合わなかったかな。そんなはずはない。昔から好きなケーキ屋のフルーツいっぱいのやつだもん。 少ししてからピンときた。 「あ,ご主人様,もしかして妬いてます?」 「んぐっ! ゴホッ!」 当たった。わかりやすい。可愛い。 「大丈夫ですよ。そんなんじゃありませんから」 そう言って頭を撫でると,リョウくんはプリプリ怒り出した。 「こ,こっちだってそんなんじゃねーよ!」 「はい。わかりました」 「嘘だ,その目わかってねーだろ」 「わかってますって」 「くそっ……」 リョウくんをなだめながら,食べ終わったデザートの食器を片付けた。祝日はピンクのメイド服。この格好でデザートの片付けなんかしてると,メイドというよりはウェイトレスみたい。 ゴールデンウィーク後半のある休日,私は遠征した買い物先で,バッタリ言水先輩と遭遇した。 「あはは,なんか最近よく会うね」 「そうですね」 「この間はごめんね。ついペラペラ喋っちゃって」 「いえ,いい話でしたし。参考になります」 「ならよかったけど。この辺に住んでるの?」 「おえ,今日はちょっと足を伸ばして」 私が横目で牛肉を見ると,先輩はすぐに察したらしい。先輩も普段から自分で食材の調達してるのかな。男子では結構珍しいような。 「ああ,わかる。うん。今日はステーキ?」 「あはは……はい」 う。なんか恥ずかしい。大食いみたいに思われたらいやだなー。大食いはリョウくんだよ。 「男の兄弟とかいるの?」 あ。まずい流れだ。 「え,ええ,まあ,弟,みたいな……」 隣の中学生とメイドごっこしてるなんて絶対知られるわけにはいかない。流石の先輩でも引きつった笑顔を浮かべながらそそくさと退散するに違いない。内心で「こいつやべー」と思いながら。 私がまごまごしていると,言いたくないことがあると察したのか,会話を切り上げた。 「まあ,中学生とか,小学校高学年とか,それぐらいだと食べ盛りだからね。じゃ,食材が傷んでもいけないし,僕はこれで」 助かった。と思ったのも束の間,会計を終えて自転車置き場に行くと,また先輩と会ってしまった。 「あ」 「どうも……」 帰る方向も一緒だったため,私達は自転車を押してしばらく並んで歩いた。 「へー,先輩,ドール趣味だったんですか」 「そう。幼稚園のころから,人形遊びが好きでね。そのせいで男子グループからハブられてたんだけど」 先輩は人形の服とか小物とかを小さい頃から手作りしていたらしい。先輩がそんな手芸部ガチ勢だったなんて。意外。 「でもね,弱みは強みになるんだよ。女子には引っ張りだこだったから,それを餌にして,男子を何人か釣ることに成功してね」 「あはは,先輩,何というか,結構……」 「高校デビューさ。昔は嫌な奴だったんだよ,僕は」 「まったくそんな風に見えないですけど」 「うまく誤魔化せてるってこと」 先輩は悪戯っぽく笑った。私も釣られて笑った。 「じゃ,僕はこれで」 路地の前で先輩と別れようとした時だった。 「あ,芽依ねえ!」 サユちゃん!?なんでここに……。っと思っていたら,後ろからリョウくんも姿を現した。 「ごしゅ……リョウくん,何してま……るの?」 危ない。思わず先輩の前で「ご主人様」呼びするとこだった。慣れって怖い。 「あ,弟さん?」 「えーっと,隣に住んでる子なんですけど,昔から家族ぐるみの付き合いで,まあ,弟みたいな感じです」 「へえ,そうなんだ」 「その向かいに住んでます,明庭小百合です!」 サユちゃんは元気に先輩に挨拶した。 「ははは,よろしく。僕は言水っていうんだ。変わった名字でしょ?」 先輩とサユちゃんはすぐに仲良くなったが,リョウくんはムスッとしたまま不機嫌そうだった。 「じゃ,デートの邪魔しちゃ悪いし,この辺で」 「ちげーよ!」 リョウくんが吠えたが,先輩はまったく動じず,ニッコリ笑い返した。相手にされてなさげ。 「すみません,わちゃわちゃと」 「いいよいいよ。小さい子好きだから。じゃ,連休明けに部室で」 「小さくねえよ」 リョウくんは小声でボソッと呟いた。先輩の耳には届かなかったようだ。言水先輩はサユちゃんにID交換させられた後,ようやく去った。 「ねえねえ,今の彼氏? の予定?」 「違います。二人は何してたんですか?」 「デート!」 「だからちげーって!お前がぶらついてから帰ろうって言い出したんだろ!」 要するに,サッカー部の練習が早く終わったから,一緒に帰っていたらしい。 「小百合お嬢様は学校で何してたんですか?」 「ほら,私,写真部入ったの! 今日は運動部の写真撮ってたんだ」 いいなあ。リョウくんの中学校での様子とか,見たいなぁ……。 「リョウくんの写真だけ後で芽依ねえに送っとくから安心して」 「んなっ……」 べ,べべ別に体操着のリョウくんの汗まみれの横顔見たいとか思ってないし。何言ってんのサユちゃんは! 家族みんなでステーキを食べた後,リョウくんは自宅に帰っていった。私は一人自室でリョウくんの写真を食い入るように……なんてことは全然なくて,興味ないけどまあちょっとだけ見てあげていた。もっとズームしてリョウくん写せないのかなぁ。入部したてだからしょうがないのかな。うーん,しかしこうしてみると,リョウくんも中々決まってるなあ。もっと背が伸びたらカッコいいのに……いや,そのうち伸びていくんだろうけど。でも長身になったら可愛くなくなっちゃうかも。先輩の話を思い出した。弱みが強みか……。 そういえば,私の呪いも強みになるのかな? お風呂に入ってリラックスしていると,素晴らしいアイディアが浮かんだ。なんで今まで思いつかなかったんだろう。 暖まった体が冷えるのも厭わず,大急ぎで咲村家にお邪魔した。 「ご主人様ー,ちょっとお願いが……!?」 リョウくんはサユちゃんとカードゲームをして遊んでいた。何故に。 「こんばんはー。今晩泊まりまーす」 「はい,それ破壊」 「うえー。でもソイツの攻撃力は半減したままだからね」 「破壊したのに?」 「残存効果だよ。発動済みの効果は残るの。発射した大砲の弾は,砲門を破壊されても消えてなくなったりせず,飛んでいくでしょ」 「うーん……」 散らばった箱やゴミを見るに,サユちゃんが新しいカードゲームを手に入れたので,その遊び相手が欲しかったようだ。 「芽依ねえは何しに来たの? 逢い引き?」 「えっと……この紙に書いてることを,ご主人様に……読んで欲しくて……」 私は赤面しながら,恐る恐るメモ用紙を手渡した。受け取り,内容に目を通したリョウくんは段々耳まで赤くなっていった。ごめん。ごめんね。 「うわ……」 サユちゃんはマジトーンで引き気味だ。あう……。やっぱなしで。 「わ,わかった。これを言えばいいんだな?」 リョウくんはリンゴのように顔が火照っていたが,読み上げてくれた。 「命令。無駄毛なくなれ」 全身に痺れるような感覚が走り,すぐ消えた。脚を見る。毛がない。やった! 「命令……せ,生理痛……軽く,なれ……」 リョウくんはソファに倒れ込み,突っ伏した。 「警察ですか? 中学生にセクハラして喜んでる高校生がいます」 「うわーん,ごめんなさい! すみませんご主人様!」 「いや,いいってこれくらい。別に,全然なんてことねーし? うん,こういうことに使う権利はあるよな,俺わかってるから」 ソファからくぐもった声が流れた。私は平身低頭謝罪してわびた。 第六章 ゴールデンウィーク明けの日本史小テスト。結果はイマイチだった。大体,何で歴史なんか勉強しないといけないんだよ。こんなもん暗記ばっか。 「昔のこととか知らねーしー」 友田が声に出して言った。同意すっけど,今いうか普通。古田先生に聞こえたぞ。 「温故知新と言ってね。昔のことを知ることで,今に繋がる新たな発見があるものなんだよ」 ふうん。何か良いこと言ったっぽいな。でも,昔のことを知っても昔のことしかわからなくね? まあいいか,どうでも。次の小テストの時は芽依姉ちゃんに教えてもらおう。 昼休み,一組の教室前を通りかかると,なにやらサユが人気者になっているらしかった。 「何してんだ?」 「あ,咲村くん,知ってる? 明庭さんが高校生とID交換したんだって!」 ん? ああ,なんだ,あいつか。 「知ってるけど,それが?」 「高校生だよ高校生ー。それに結構カッコいいし」 カッコいいか? 腑抜けた優男じゃん。まあ,顔は整ってるとは思うけど。 「てか,中学生に手出すとかヤバくね」 「いやいや,こっちから手を出したから問題なしだよ」 「きゃー!」 うーん,サユのやつ,調子に乗ってるな。ったく,どいつもこいつも。女って,なんでみんな年上が好きなんだ? 芽依姉ちゃんもサユも,あんな奴にキャーキャー言って,みっともないったらありゃしない。大体,俺だって,高校生になれば……。 考え事をしながら廊下を歩いたのがいけなかった。俺は友田とぶつかった。 「いてっ」 「すまん」 「前見ろよー,咲村ー。あっ,さては彼女を高校生に取られたのがショックか!?」 「取られてねーし,ていうか彼女じゃねーって言ってんだろ」 「否定の順番的に,お前は心の中ではおぐっ!?」 俺は軽く友田をひっぱたいて購買へ急いだ。付きあってられっか。 教室に戻ると,友田がドラマの話をしていた。さっきの「お前は心の中ではうんたらかんたら」は今流行っているクライムドラマのセリフだったらしい。 「お前,すぐ影響受けすぎ」 あ,今盛大にフレンドリーファイアした気がする。一体誰にうっ,頭が……。 「今SNSでこのセリフ流行ってんだぞ」 「ああ,そう……」 「お前サッカーとゲーム以外に好きなことないわけー?」 「あるって,色々」 「明庭さんとかねー?」 「あのなー」 なんでみんなして俺とサユをくっつけたがるんだよ。芽依姉ちゃんもいるってのに。……って,何考えてんだ俺。そりゃどういう意味だ!? チャイムが鳴ったので,みんな席についた。次の保健は小テストもないし,どうでもいいや。俺はさっき頭の中にひっかかったことを思い出そうとした。あ,そうだ。さっき感じた友軍への誤爆は芽依姉ちゃんだ。芽依姉ちゃんって,確か昔見たドラマに影響されて,メイドごっこ始めたんだっけ。実は俺,そのドラマ見てないんだよな。いやメッチャ小さい頃に芽依姉ちゃんが見せてくれたらしいんだけど,まったく内容は覚えていない。 芽依姉ちゃんの呪いって,八年続けたメイドごっこと何か関係があるんだよな? それは多分確実。だとしたら,その発端になったドラマに,何かが隠れていたりはしないか? 何で今まで気がつかなかったんだ。芽依姉ちゃんとかはドラマ覚えてんのかな? 部活が終わった後,帰りにレンタル店に寄ってみた。その時俺はタイトルすら覚えていないことに気がついた。スマホで検索。メイド……ドラマ……八年前……。それっぽいのがあったぞ。多分これだ。『メイドの恩返し』。全十三話。結構長いな。 「えー!『メイドの恩返し』借りてきたんですか!? うわー,懐かしいですー! でも何でですか?」 「うん。もしかしたら,何か手がかりがあるかもって」 「あー,そうですねー! 何で気がつかなかったんでしょう……」 芽依姉ちゃん……。いや俺も人のこと言えないけど。 一日二話。一週間かけて俺達はメイドの恩返しを鑑賞した。正直,自分たちを見せつけられているかのように感じていたたまれなかった。見るのが辛い。芽依姉ちゃんも赤面してプルプルしながら,再生中は隣で震えていた。公開処刑かよ……。作中で「ご主人様」がよくメイドの手を握るので,俺も真似して,羞恥に震える芽依姉ちゃんの手を握ってやると,爆発しそうな顔色になり,ソファの上で体育座りし,無言で膝に顔を沈めてしまった。それでも手を離してきたりはしなかった。 ドラマのあらすじはこうだ。主人公の「ご主人様」は何不自由ない暮らしをしてきたお坊ちゃま。しかし,ある日突然両親が帰らぬ人となる。善意を装って近づいてきた親戚や役員たちに騙され,あれよあれよという間に全てを失ってしまう。一文無しになった世間知らずのお坊ちゃまに,周囲は冷たい。そんな中,たった一人だけが,お坊ちゃまに付き従う道を選んだ。小さい頃から主人公の家庭でメイドとして働いていた女性。一文無しになったにも関わらず,「ご主人様」と呼び,生活の手助けをしてやる。人を信じられなくなった主人公は,最初はメイドを疑い,酷い罵声も浴びせてしまう。しかしそれでもメイドはめげずに忠誠を尽くし,主人公も次第に元の優しい性格に戻っていく。それにつれて,主人公は地位やお金に関係のない,対等に接してくれる真の友人や理解者たちを得るようになる。最終的には一話で財産を騙し取った連中がメイドや仲間たちの協力によって捕まるが,財産は戻ってこなかった。それでも友人たちと,自分の力で生きていく術を得た主人公は気にしない。最後に,メイドに尋ねる。どうして自分についてきてくれたのか,と。メイドは主人公と幼い頃に交わした「契約書」を見せる。クレヨンを使って全てが拙い平仮名で書かれたその内容は,「主人公のメイドを七年務めてくれたら,何でも言うことを聞いてあげる」というもの。ラストシーン,時計の針が十二時を指し,「けいやくしょ」の七年が満了。メイドは主人公に結婚を申し込む。終わり。 木曜の夜。ようやく二人で最終回まで完走した。まあ,感動的と言えば感動的ではあった。男子中学生向きのドラマではなかったけど。芽依姉ちゃんはボロボロ泣いていた。俺はどう接したらいいかわからず,泣き止むのを待った。 二階の寝室で落ち着いた芽依姉ちゃんに尋ねた。 「何かわかった?」 「はい。『けいやくしょ』に心当たりがあります……。あ,今日,月がきれいみたいですよ」 芽依姉ちゃんは赤面して,すぐに話題を変えた。あまり触れられたくないみたいだけど,言ってくれなくちゃ困るだろ。命令して無理矢理言わせようか……と思ったけど,あのドラマを見た直後じゃな。 明日トーンダウンしてから問いただそう。俺はカーテンを開けて,部屋の灯りを落とした。月明かりが寝室を照らし出す。意外と絵になる。 「綺麗ですねー」 月を眺める芽依姉ちゃんの顔が月に照らし出され,とても美しく見えた。 「あ,うん,綺麗……」 「あー,もうこんな時間ですね」 もうすぐ日付が変わる。金曜日になる。ミニスカ金髪ツインテの日だ。……芽依姉ちゃんの服で曜日把握するのはキモいな。やめよう。 「金髪の出所,覚えてますか?」 そっちから訊いてくるのかよ。あ,そういえばドラマではメイドは終始黒髪だったな。何で金曜は金髪になったんだろ。「金」つながり? 「知らねーし。もうどうでもよくね?」 そういえば,ウィッグの管理とかって結構大変そうだよなー。夏なんて蒸れそう。俺はちょっとした名案を思いついた。 「よっし,命令。金曜日にメイド服を着ると金髪超ロングになれ」 「かしこまりました」 芽依姉ちゃんは落ち着いたトーンでそう言った。零時。芽依姉ちゃんの黒髪に変化が起きた。頭頂部から金色の光があふれ出し,髪全体に広がっていった。金色の波が毛先まで達すると,さらにその先へ。伸びているのだ。月明かりに照らされながら,輝く金色の髪が腰まで伸びていく。神秘的で幻想的な光景だった。 「すごい。魔法みたいですね」 長い長い金髪になった芽依姉ちゃんは,まるでお姫様のようだった。俺は直視できずに,思わず顔を背けてしまった。 「ふふっ。ありがとうございます。ご主人様」 金曜の夜。俺はサユと一緒に門をくぐった。「ウィッグじゃないマジの金髪見たい!」と駄々をこねたからだ。 「ただいま」 「お邪魔しまーす!」 「お帰りなさいませ,ご主人様。いらっしゃいませ,小百合お嬢様」 恐ろしく綺麗な金髪が宙を舞った。手入れが行き届いたサラサラの状態だ。現実の超ロングの髪ではまず有り得ない艶やかさだ。 「うわっ,すごーい!見せて見せて!」 サユは興奮気味にツインテールの金髪を撫でながら言った。 「地毛! 地毛だよ! ウィッグじゃないよ! 染めてもないよ!」 「だからそう言っただろ」 それよりも大事なことがある。昨日の様子だと,芽依姉ちゃんはあのドラマの中に,呪いに関する心当たりを見つけたはずだ。昨日はムードに呑まれてしまったが,今日は言わせる。 芽依姉ちゃんが自宅の寝室から持ってきた一枚の紙。昨日ドラマで見た奴に色んな意味で酷似していた。一番上には黒のクレヨンで「けいやくしょ」と書かれている。内容は「わたしがななねんめいどをしたらなんでもいうことききます ふじわらめい」そして日付と俺の署名っぽいミミズばった字。 「逆じゃん?」 サユが低い声で急所を突いた。芽依姉ちゃんは「おっしゃる通りです……」と言ったきり押し黙った。うん。この文面だと,「芽依姉ちゃんが七年俺のメイドをやったら,芽依姉ちゃんは俺の言うことをなんでもきく」ってことに……。まったく芽依姉ちゃんにメリットがない。ガワだけドラマの真似をして,内容と日本語がよくわかっていなかったらしい。一見すると,ただの小さい頃の落書きでしかないけど,今の状況を恐ろしいほどに合致する。 「え,でも,これクレヨンで,普通の紙に書いた,子供の落書きでしょ? ごっこ遊びの。これがマジで発動して,魔法レベルで効力発揮するなんてあり得る?」 サユの言うとおりだ。常識的に考えれば。でも実際,この金髪みたいなことが起こっているんだから,常識では計り知れない何かがこの契約書にあるんだろう,きっと。原因そのものだとはまだ断言できないけど,合致ぶりから見て,関係しているのは間違いなさそう。 「いやもう……まさか自爆だったなんて……死にたいです」 芽依姉ちゃんの落ち込みぶりは相当なものだ。まあそりゃそうだよな。昔の自分がアホな日本語の間違いをしていて,それが原因で今こんな事態に陥ったなんて。俺だったらこの場で舌をかみ切って自害したかもしれないくらい恥ずかしいやつだコレ。 「で,どうするの? これ破っちゃう?」 「あ,いや……まだ早いんじゃないか,破ることで悪化とか,逆に永遠に解けなくなるとか,そういう可能性もあり得るじゃん?」 「そっか。まあ,確かに破るのは最終手段かもね」 そもそも,この『けいやくしょ』がどんな理屈で呪いとなって発動しているのかがわからない以上,下手に手を出さない方がいいような気がする。 「まあ,少なくとも原因は確定だろうし,一安心ではあるんじゃね?」 次のステップは,こいつのメカニズムの解明ということになる。……分かる気しねーけど。 「まあまあ,元気出してよ芽依ねえ。間違いは誰にでもあるから」 「はい……」 俺にはかける言葉が見つからない。芽依姉ちゃんが不憫すぎて,何も言えない。 後日,紙とクレヨンについて調べてみたものの,何の変哲も無い普通のものだった。どうしてこの落書きが物理法則を超越する力を生み出しているのか,さっぱりだ。もしかしたら,これは関係なくって,別の原因があるのだろうか。近所に魔女でも潜んでいるとか。ないな。この『けいやくしょ』を最後に,調査は暗礁に乗り上げた。普通の学生でしかない俺達にはもうお手上げだ。かといって,大人に相談してもなぁ。そもそもこのメイドごっこを外部の人に教えることに,芽依姉ちゃんは絶対反対するだろう。ましてや,こんな間抜けなやらかしが発覚したからには尚更。そんなこんなで,二週間以上,進展のない日々が続くことになったのだった。 第七章 「すごーい!これ言水先輩が作ったんですか?」 部室内に鎮座する巨大なドールハウス。中まで精巧かつ緻密に作り込まれていて,身長十五センチの人間がいれば,実際に住めそうなほどだ。 「うん。古くなったから,持ってきたんだ」 「古くなった?」 「新しいのを作ったんだ」 「すごーい!写真とかあります?」 「これ」 言水先輩はいつもと打って変わって大人気だった。そりゃそうだ。ドール趣味って聞いてはいたけど,まさかここまで凄いものを作れる人だったなんて。 屋根は蓋のように取ることができた。中には十分の一スケールの家具がいっぱい。使った跡まである。すごい彩色技術。信じられない。床のカーペットも,まるで本当に小人が毎日踏んでいたみたいだ。「昨日まで妖精が暮らしていたんだ」なんて言われても信じちゃうかも。 このドールハウスを見ていると,沸々とある欲望が膨れあがってきた。入ってみたい。この中に。今の私ならできるはずだ。 私はリョウくんに頼んで,小さくなる能力を付与してもらった。「小さくなれ1234」と唱えれば発動するようにしてもらった。サイズはドールハウスと同じスケールになるよう,十分の一に。 今日は中間テスト前で部活は休み。誰もいないはず。部室に入って,誰もいないことを確かめた。見られたら面倒なことになっちゃう。ドールハウスが設置されている机の上に腰掛け,小声で呟いた。 「小さくなれ。1234」 グングン世界が巨大化していった。十数秒で私は巨人の国の住人になった。いや私が小さくなったんだけど。さっきまで着ていたブレザーは,今や巨大な布の洞窟だ。全裸ってわけにはいかないので,予め用意しておいた,人形サイズのメイド服を着用する。下着はまあ仕方がないよね。当然,気分はよくないけど。 私はドールハウスに歩いて近づいた。スケールピッタリ。本当に家そのものだ。ゆっくりドアに近づく。取っ手に手をかけると,開いた。このドールハウス,ちゃんと窓やドアが動くのだ。作り込みのすごさに感動する。中は更にすごかった。一室しかないけど,まるで中世の貴族の館みたいだった。すっごい。小さくなったことで,いつもは分からなかったところもよく見える。実際に人が暮らしていたかのような痕跡があちこちにあることに,私は気がついた。まるでお茶をこぼした跡みたいな染み,長年ベッドやクローゼットを動かさなかったことで生じたかのような色の濃淡の違い,どれもこれも凄まじい出来映え。言水先輩,ヤバすぎますよ。私はハイテンションになって,クルクル回りながら部屋を駆け回り,ベッドに横になった。このベッド,本当に寝られる。その上,実際に人が寝ていたかのような汗の跡もある。……んー,ここまで来ると怖いな。言水先輩,すごい執念。ていうか,どうやってここまで作り込んだのかな。小さくなって始めて分かるようなところまで細工や演出が行き届いている。こんなの,私しかわかんないよ。 その時,ガラッとドアの開く音が響いた。ドールハウスじゃない。部室のだ。ヤバっ……。服脱ぎ散らかしたままだ。 「うわっ,ごめん」 誰か女子が着替え中だとでも思ったのだろう,すぐに出ていった。声からすると,言水先輩。なんで中間前に部室に? まあいいや,とにかく,早く戻らないと。元に戻るには「大きくなれ1234」だ。でもドールハウスを出てからじゃないと壊しちゃう。 正面のドアから外に出た。その瞬間,部室のドアの外に人影が見えた。先輩が入ってくる! 私は反射的に,ドールハウスの裏に隠れた。 「……誰もいないの?」 先輩は不審そうに辺りを伺っている。まずい……私の服とスマホだけ残って本人がいないこの状況。大騒ぎになっちゃうかも。でもこのまま出ていくわけには……。いや,元の大きさにもどればいいよ。って,そうしたら私全裸じゃん! テーブルを回って,先輩がこっちに近づいてきた。ヤバい。隠れる場所がない。あ,下だ。床の上に誰かの鞄がある。あれに飛び降りれば,隠れられそう。迷っている暇はないし。 (えい!) 私は鞄に飛び降りた。高さ的にはそれほどでもないし,十分の一に縮んだ今の私からすれば,鞄は結構弾力がある。無事着地し,私は横のポケットに潜り込んだ。先輩がテーブルの裏に回ったのと同時,いやちょっと私が早かった。危ない危ない。 段々足音が近づいてくる。振動が床からダイレクトに伝わってきた。ひぃ……地震みたい。 先輩の歩みが止まった。私には嫌な予感がした。この鞄ってさ,もしかして……。 不安は不幸にも的中。勢いよく世界が上昇した。 (きゃああっ!?) この浮遊感。鞄が持ち上げられたんだ! やっぱり,先輩の鞄だったー! ヤバい,どうしよう。お持ち帰りされちゃう……。 鞄がものすごい勢いで放物線を描くかのように大移動した。私は心の中で絶叫した。やばいやばい怖い怖い。リョウくん……! まるでミサイルに閉じ込められて発射されたかのような恐怖と運動。ぐえぇ。吐きそう。今のは多分……鞄を持っている手を肩に回したのかな。 今更出ていっても「なんで縮んでるの!?」って聞かれる羽目になるだろう。メイドごっこのことは知られたくないし……八方ふさがりだ。どうしよう。何とか隙を見て逃げ出せ……そうにないや。今の私からすれば,上下左右に揺れる高層ビルから飛び降りるようなものだ。出たら死んじゃう。誰か助けてぇ……。私のアホ。 この世のどんな絶叫マシンも敵わない七難八苦を耐えきり,ようやく鞄が動かなくなったころには,私は言水先輩の家に持ち帰られてしまった。言水先輩の住所しらないけど,ここから帰れるかな。遠征先のスーパーの近くだっけ。遠いよぉ。縮んだままじゃ帰れそうにない。かといって,元に戻れば全裸だし。あれ,詰んだ? 「ただいま」 「おかえりマスター」 女性の声が鞄の外から聞こえる。誰? いや,今先輩のことをマスターとか呼んでた気がする。姉妹だか彼女だか知らないけど,そんな呼び方リアルでしないよね。おかしいって。 「ちょっと疲れ気味だね」 「中間だからね。勉強するから,しばらく静かにしてて」 「はーい」 鞄の中央のファスナーが開くのが音と振動で伝わってくる。中のノートや教科書類を取りだしたみたい。先輩の足音と振動の発生源が遠ざかっていく。ドアの開閉音と振動を最後に,静かになった。部屋から出ていったのかな。会話内容から察するに,勉強は別の部屋でやるっぽい。チャンスだ。でも,今の声の主がこの部屋にいるのかな。だけど何だか人の気配がしない。変なの。とりあえず,いつまでこうしていても仕方が無いし,様子をみるだけでも……。 私は恐る恐る頭だけ出して,周囲の様子を観察した。すぐに,ここは「人形部屋」だとわかった。大きなガラス棚が壁に沿って鎮座し,中には人形がたくさん収められている。ドールだけじゃない。女児向けの着せ替え人形に,オタク向けのフィギュアまで。私には人形のことはよくわからないけど,結構なコレクションに見える。 人の気配はまったくしない。女の人はどうしたんだろう。部屋から出ていったのは先輩一人っぽかったけど。何度も見える範囲を見回したけど,人っ子一人いる気がしない。この部屋,シーンとしてる。 思い切って,私は完全に鞄から出てみた。ここはカーペットの上。床だ。作業机が見える。今の私からすると,ちょっとしたビルぐらいある。あの机で人形の服とか,ドールハウスの家具とか作っているみたい。部屋の隅に,この前写真で見た「新しいドールハウス」が設置されているのが見えた。すごい。生で見ると感動しちゃう。ましてやこのサイズだと本物の家に見える。って何してんの私。それどころじゃないでしょ。っていうか,よく考えてみたらこれ不法侵入だよね。早く出ないと。 鞄をグルリと回って,部屋のドアへ行こうとした時。鞄の影から女性が一人姿を現した。私と同じスケール。ピンク色の膝まで伸びるすごい長髪。白いワンピースに身を包み,顔や手の肌は部屋の灯りを反射して光沢を放っていた。人形だ。人形は私を見て,目を大きく見開き,後ずさった。あれ。この人形,動いて……る……? 「「人形が動いたぁー!?」」 「あはは……驚かせちゃってごめんね」 「いえ,悪いのは私ですから……」 互いに落ち着くまで時間がかかった。彼女は粕森絵里香と名乗った。人間……らしいけど,とてもそうは見えない。まず身長十六センチってのが有り得ないし,アニメキャラのような毛髪量と,その鮮やかなピンクの髪は,明らかに人間のものじゃない。ワンピースからのぞく手足の肌も,ツルツルで光沢がある。私の手足には当然,皺や血管が見えるし,肌の色も,流石に粕森さんほど均一じゃない。無駄毛がないのは共通か。 「信じてもらえないかもしれないけど……私ね,マスターの人形をやってるの」 「マスターって,言水先輩?」 「そう。勇くん。ちょっと長くなるけど,聞いてくれる?」 粕森さんは,自分が何故人形になっているのかについて語り出した。言水先輩との出会いは幼稚園の時。人形遊びが好きだった「勇くん」はよく女子と一緒に遊んでいた。ある日,勇くんのお気に入りだった人形を,一つ年上だった粕森さんが壊してしまった。あんまり勇くんが悲しむので,思わず言った言葉が「じゃあ,私が勇くんのお人形になる!」だった。それから「けいやくしょ」を交わして,二人で「人形ごっこ」を始めた。という,どこかで聞いたような展開。 「で,いつの間にか,私本当に人形になっちゃってね。ちょっと困ってるの」 粕森さんは自分の腕を私の腕にくっつけて見比べた。私の腕は人間の腕だ。生きた皮膚を持ち,その下に血管が見える。粕森さんの腕はまるで違う。プラスチックだか樹脂だかわからない物質で形成されたカチンコチンの腕。色は肌色一色。どこでも均一。毛もないし,皺も染みも黒子もない。血管も見えない。ジッとして動かなかったら,フィギュアにしか見えないはずだ。 「じゃあ,次は藤原さんの番ね」 「あ,私もですか」 「えー,自分だけ喋らないつもりだったの?」 粕森さんは楽しそうに笑った。うん,こうなったら私も言うしかない。同類みたいだし。こんなところで,同じ境遇の人と会うなんて思わなかったな。 私は幼馴染みの男の子と一緒に「メイドごっこ」をやってて,そのうち本当にメイドになってしまった,というこれまでの経緯をまとめて話した。最後に,あのドールハウスに入りたくて小さくなったことも。 「あれねー,一年くらい,本当に私が住んでたのよ」 「あー,やっぱりそうだったんですね」 納得。あの異次元の作り込みは,住人の手による本物の生活跡だったんだ。そして私達が今いる,新しいドールハウスもかなりの出来映えだ。 「でも嬉しいな。世界中で私一人かと思ってたから。こんな馬鹿な境遇」 粕森さんはニッコリ微笑んだ。私も同じ気持ちだ。よもや「先輩」がいらっしゃったなんて。 「あ,あの,それで,私達って本当に『けいやくしょ』の力で……?」 「うーん,その辺は私達もよくわかっていないんだけど,共通点がそこだから,きっとそうなんでしょうね」 バタバタと巨人の歩く音と振動が近づいてきた。部屋の外からだ。てことは……。 「絵里香ー。お茶飲むかーい?」 ドアを開け,ズシンズシンとすごい音を響かせながら,言水先輩がドールハウスに迫ってきた。 「全部言っちゃうけど,いいよね?」 粕森さんは私に向かってそう宣言した。はい,仕方がないですね。そうしないと帰れないし。みんな心配してるだろうなあ。しかし先輩にバレちゃうのか……。メイドごっこ。 「ごめん! 本当にごめん! 僕の鞄に藤原さんが入ってたなんて,全然気がつかなかったよ。怖かったよね」 「いっ,いえ,悪いのは私ですから……」 私はメイドごっこを知られた恥ずかしさで,もう穴があったら入りたい気分。あああ……。 「大丈夫,誰にも言わないから。その代わり,そっちも内緒にしといてね」 「はい,誰にも言いません」 「あ,でも相棒の子には教えてあげた方がいいね。そうじゃないと納得しないだろう」 ああ,リョウくん……。本当ならもう晩御飯の準備をしている時間だ。 「それじゃ,留守番よろしく」 言水先輩は粕森さんを家に置いて,私を鞄に入れて学校へ向かった。部室まで運んでもらう予定だ。行きとは打って変わって,帰りは快適だった。極力揺れや振動が少なくなるよう気を遣ってくれているんだ。きっと粕森さん相手で慣れているんだろうな。 部室に着くと,私の服はそのまま残っていた。やっぱり中間直前だから,誰も入らなかったみたいだ。本来部活禁止だしね。 先輩は私を優しく鞄から取りだしてくれた。私をそっとテーブルの上に置き,慎重に鞄を持ち上げた。一連の動きは手慣れてる。 「それじゃ,今日は本当にごめん」 「謝らないで下さい。私の自爆ですから……」 しばらく謝罪合戦をした後,帰り際に先輩にお願いされた。 「もしよかったら,今後もたまにでいいから,絵里香と遊んであげてくれないかな。同じ境遇の友達ができて,きっとすごく喜んでたと思う」 それは私も感じた。私も大分心強くなった。この呪いをなんとかできそうな気さえしてきてる。 「はい,私でよければ」 家に帰るとドッと疲れが出て,動けなくなってしまった。なんだかんだ言って,結構神経にきていたみたいだ。今日はもうメイド無理。お休みにしよう……と思ったけど,体が勝手に動き,メイド服に着替え,咲村家に赴いた。 (あー……このままほっといたらどうなるのかな?) 私は多分始めて,謎の力に全てを委ねた。今から晩御飯を用意するのキツイし。体を自分の意思で一切動かさずにいると,自動的に番の準備を始めた。「こりゃ便利だ」なーんて思ったのも最初だけ。すぐに辛くなってきたし,自分の体なのにまるで映画を観ているかのような傍観者になってしまうのは本能的な恐怖を誘起させた。非情に屈辱的でもある。 「ただいまー」 「お帰りなさいませ,ご主人様」 私は晩御飯を食べながら,今日の出来事をリョウくんに報告した。 「それ,マジ!?」 「はい」 「えー……。あいつか……」 リョウくんは,どうも言水先輩が気に入らないみたいだ。できれば仲良くして欲しいけど。これからは仲間になるんだし。 なし崩し的に,サユちゃんにも二人のことはバレた。サユちゃんとリョウくんを連れて,今度は大きいまま先輩の家に伺った。 「こんにちはー! 明庭小百合です! ……きゃー,かわいいーっ」 この間は,私と同じ大きさだった粕森さん。今回は上から見下ろす形になった。本当に,人間には見えない。可愛らしいちっちゃな人形。生きたフィギュアとしか形容のしようがない。あのガラス棚の中でパントマイムしてたら,本当に生きているなんてわかりっこないよ。 「あれ? これって本物の人形ですか?」 サユちゃんが怪訝な表情で言水先輩に尋ねた。えー,何言ってるの。生きて動いて……ない!? 粕森さんは時間が止まったかのように動かない。完全に人形になってしまったかのようだ。 「あー,人形モードの絵里香はね,僕以外の人間が近くにいると動けなくなっちゃうんだ。声も出せなくってね。だから僕の家で暮らしているんだ」 うわー,大変そう。私よりも苦労してるんだ。私はリョウくんに変な命令されない限りは普通に……でもないか。 私達は人形部屋を離れ,隣の部屋に招かれた。そこに置いてあるパソコンに,隣の部屋の一角が映っている。画面の中に,さっきまで固まっていた粕森さんが入ってきた。さっきの沈黙が嘘のように生き生きと動いている。あー,なるほど……。カメラを通じてなら,こうして会話できるんだ。しかし大変だなぁ。 その日はお互いに「呪い」の話題で盛り上がった。当事者の私と粕森さんは生活していく上での苦労,他の三人は面倒を見る方の観点からの気苦労を語り合った。いつの間にかリョウくんと先輩は普通に話すようになっていた。よかった。 相談できるって,やっぱりいいな。同じ問題に悩んでいる友達がいるってだけで,すごく元気づけられる気がする。 その後,私は再び小さくなってドールハウスにお邪魔した。 「そういえば,小さい私が近くにいても動けるんですね」 「そうねえ。人間カウントされてないのかもね」 うっ。なんかやだな,それ。でも直接話せないのも寂しいからこれでいいけど。 「リョウくん,いい子ね。可愛いし。尽くしちゃうのわかるなー」 「いえいえ,結構生意気なところもありますよ。調子にも乗るし……」 「好きなのね,『ご主人様』のこと」 「えっ!? はあ,まあ,家族同然に育ってきましたから,まあ,弟みたいな……」 「男の子として,好きなんでしょ? そうじゃなかったら,八年もメイドなんてやってられないでしょ?」 「い,いやいや,ないです! だって,中一ですよ!? ちょっと前までランドセル背負ってたんですよ!?」 私はビックリした。そんな……こと,あるわけない。だって,同学年の男子ですら子供っぽくて嫌になることが多いのに。恋愛対象になんて,なるわけないよ。 「ふうん。私はマスター……勇くんが好きだから人形ごっこを続けてたんだけど」 粕森さんはニヤニヤしながらそう言った。もー。何なの,勝手にくっつけようとして。粕森さんがそうだから,他の人もそうとは限んないよ。第一,サユちゃんだっているのに。……ってあれ。どういう意味? 私は今何を考えてたの? サユちゃんがいたから何? 「ふふふ,頑張ってね」 あーもう,何なの。粕森さんも,私も。とにかくないない。そりゃまあ,リョウくんはカッコ可愛いよ。最近たくましくなってきたし,手繋がれた時はドキッと……いやっダメダメ,違うの! とにかく違うの!

Comments

sengen

芽依の体でいろいろな可能性を考えたり試していくのがとてもワクワクします。実際にはやらなかったけれど本の世界に入れたり動物に変身したりする可能性もあることに興奮しました。特にこの呪いはメイドとして服従させるだけじゃなく、髪や年齢や大きさなど体も変化してしまうところが面白いです。 言水先輩や粕森さん達との絡みも良かったです。芽依が小さくなってドールハウスを体験するところから既に胸が高鳴りましたし、しかもそのサイズのまま持帰りされたりドールハウスの住人と出会ったり大好きな展開です。人形化してしまったサイドストーリーが気になったのはもちろん、同じ悩みを持つ者同士相談したりお喋りしたりできるのが和みます。特に粕森さんこれまで寂しい思いをしたこともあるでしょうから同じサイズの話し相手ができて嬉しかったでしょうね。