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プロローグ 今から八年前,私がまだ七歳だった頃。メイドがブームだった。テレビやインターネットで連日のように取り上げられ,あるネットドラマがヒットした。両親に先立たれた裕福「だった」男の子。周りの大人たち全員が彼を見捨てて去っていく中,あるメイドだけがたった一人,哀れな少年に献身的にサポートしていく。そういう筋だった。私もそのドラマにハマって,メイド役のお姉さんに憧れ,ドラマのごっこ遊びに興じた。でもメイドは一人ではできない。仕える相手が必要だからだ。そこで当時,私が目をつけたのが隣に住んでいる三歳年下の男の子,リョウくん。親同士が旧知の仲で,以前からよく一緒に遊ぶ……いや,お守りを押しつけられる機会が多くあった。私はリョウくんをドラマの少年に見立てて「ご主人様」と呼び,メイドごっこを敢行した。そのうち段々本格的になり,メイド服を着るようになったり,実際に咲村家の家事を手伝ったりするようにもなった。家事のお手伝いやリョウくんのお守りをやること自体は「良いこと」だったので,双方の家族から余り文句も冷やかしもでなかった。そんな風に咲村家の……いや,「咲村遼太郎のメイド」でいることが次第に当たり前の日常になっていき,そのうち私はやめ時を失った。 第一章 私の目覚まし時計は六時に鳴る。起きるのは六時二十分。顔を洗ったらメイド服に着替える。朝だからヴィクトリアン風のやつ。脚を完全に覆い尽くすくらいの長さ。戸口から庭に出る。朝日が眩しい。背伸びしてからお隣の咲村家にお邪魔。おじさんとおばさんが長期出張に出てしまって以降,朝の咲村宅は寂しげにもの静かだ。私は欠伸しながら,勝手知ったるキッチンで朝食の準備を始めた。私の分と「ご主人様」の分。 準備を終えたら二階の寝室に上がる。子供部屋でリョウくんがグッスリ寝ている。中学生になったんだから,そろそろ自分で起きられるようになって欲しいなぁ。と思うけど,こうやって起こしに行くのも結構楽しみだったりする。部屋に入ってカーテンを開ければ,部屋の中に心地いい朝日が充満する。ベッドの上では,薄いタオルケットの中からひょっこりとリョウくんの顔が飛び出ていた。お母さんに言わせれば美少年らしいけど,私から見ればまだまだあどけないガキの寝顔だ。かわいいっちゃかわいいもんだけど。 私はしばらく脇に腰掛けて待機した。七時。目覚まし時計が鳴る。リョウくんはモゾモゾと腕を伸ばし,時計を止めると腕をベッドの上に戻し,起き上がることはなかった。やっぱ駄目か。 「ご主人様ー。朝ですよー」 左手でリョウくんの体を揺らすと,ようやくうっすらと目を開けた。まったくもう。 「ほらほら早く。朝ご飯できてますから」 「ふぁー……」 寝ぼけ眼で欠伸しながら階段を下りてきたリョウくんと一緒に朝食をとった。三月まではおじさんとおばさんも一緒で,賑やかだったのに。二人だけだとちょっと寂しい気がする。食後にコーヒーを淹れるようになったのは去年からか。リョウくんが何かの影響を受けてリクエストしたんだっけ。まあ砂糖とミルク入りだから,あんまり格好はついていないね。 食器を洗って片付けたら,朝のメイドごっこはお終いだ。私はリョウくんに声をかけた。 「忘れ物しないようにして下さいねー」 「わーってるよ」 覚醒したリョウくんは少し反抗的な物言いになる。小五辺りからかな。機嫌が悪い日はイラッとくるけど,今日はそうでもないので,むしろ可愛げを感じる。 私は戸口から庭に出た。メイド服で行き来するのもすっかり慣れっこ,何の変哲も無い日常の一場面になっている。普通じゃないのはわかってる。でも,なんか……やめられないんだよね。 「おはよー」 自宅に戻ると,お父さんとお母さんに挨拶。高校生になった娘が平日の朝っぱらからメイド服を着ていても何も言わない,驚かない。やめられない理由の一つがコレだ。誰も「高校生になったんだし,そろそろごっこ遊びは卒業した方が……」とか「別にメイド服着る必要はないんじゃないか」なんて言ってくれない。両家共にお馴染みの日常風景になっちゃってるからだ。そういうわけだから,家族はみんな「やめる切っ掛け」を提供してくれない。正直言うと,私はやめたいと思っている。流石に普通じゃないのなんて身にしみてわかってるし,高校生にもなって恥ずかしいとも思ってる。でも理由もなく「やーめた」って言い出すのは妙に気恥ずかしくてできずにいる。リョウくんがクラスメイトに「母親の呼び方をママからお母さんに変えたいと思っているけど中々できない」子がいるって昨日雑談で言っていたっけ。それと似たようなものなんだと思う。八年も続けて私の日常に完全に溶け込んでしまったから,今更特別の理由もなく「もうやめる」とは言い出せない。そういう空気になっちゃってる。 今朝もまたいつものようにメイドをしてしまった。自分に若干の失望を感じつつも,私は学校の準備を始めた。必要なものを鞄に詰めたら,高校の制服に着替える。メイド服はここでお終い。一旦ね。 うちの高校はブレザーだ。制服になると一気に別の漫画の住人にでもなったかのように感じる。まともで普通の女子高生に。 「いってきまーす」 家を出て高校に向かう。道中で同クラの友達なんかと出会うと,改めて世界の断絶を感じる。三歳下の中学生に恩も給料もないのにメイドとして仕えてるなんてやっぱ変だよね。このごっこ遊びのことを知るのは,同級生には一人もいない。昔っからの付き合いの親友たちに対しても,「もうとっくの昔にやめた遊び。そーいや昔そんなこともしてたっけねー,あはは」ということにしている。とてもじゃないけど,恥ずかしすぎて知られたくない。絶対に校内中に広がってネタにされまくるに決まっている。変態だとか,ショタコンだとか。 高校生になったと言っても,まだ四月。部活動も始まっていないので放課後は時間がある。友人と遊びに行くこともちょいちょいあるけど,特に用事が無い日は買い物をして帰る。中学校以来ずっとそう。中身は晩御飯用の買い出し。勿論ウチのじゃない。お隣,咲村家のだ。中学では部活やってなかったけど,高校はどうしようかなぁ。もうすぐオリエンテーションなんだよね。部活入ったら晩御飯の用意できなくなっちゃうかな。部にもよるか……。 って,なんで私はメイド続けること前提で,それありきで考えちゃうのか。こんなだから,一向にやめることができずにいるんだ。 そして私が帰るのは自宅ではない。咲村家だ。リョウくんはサッカーをやっているから私の方が先に帰宅することが多い。小学校では地区のスポーツクラブ,三日前からは中学のサッカー部。買ってきた食材を仕舞ったら,二階の自室に向かう。そう,こっちの家にも私の部屋があるのだ。タンスとクローゼットの中には十二種類のメイド服一式が収納されている。我ながら重傷だと思う。でもせっかくだからお洒落に色々……。楽しんでいるわけではない,決して。って,誰に言い訳しているんだ私は。 今日は月曜日だから,クラシカルなロングのメイド服。曜日によって種類が変わる。間違っても,私が自分の意思でそう決めたわけじゃない。かといってリョウくんが「月曜は髪型もスカートも黒のロングがいいな!」などとリクエストしたわけでもない。誰が示し合わせたわけでもないけど,八年の間になんとなく,そういう空気が出来上がったのだ。所謂「暗黙の了解」ってやつ。「月曜はクラシカルメイド」というのが私達二人の間のお約束だった。とはいえ,お互いにこのことを明言或いは明文化したことはないけど。 時間のある日は宿題か,簡単な掃除をする。とはいえ晩御飯までそう時間もないから,ほんの一部。目についたところか,埃や汚れが酷かったところだけ。それが終わったら晩御飯の用意を始める。食べるのは私とリョウくん。平日はほとんど咲村家で食べている。おばさんもよく「私の娘な気がしてきたわー」なんて冗談を言うくらいだ。そんな調子だからホントにやめづらくなっちゃうんだよね。高校進学と同時におじさんおばさんが家からいなくなったし,やめるのは今しかない……と思うんだけど。なんか……うん。私は頭の上のヘッドドレスに手を伸ばした。頭の上にこんなもののっけて「メイドやめたい」なんて言っても説得力出ないな……。 「ただいまー」 芯のある健康的な声が玄関からこだました。 「おかえりなさいませー,ご主人様」 「あ,カレー?」 リビングに入ってきたリョウくんは弾んだ声で尋ねた。中学生になっても全然変わってない。子供よのう。 「カレーですよ」 「おっし!」 「手洗って下さいよー」 振り向くとリョウくんの姿はなかった。階段から走る音が響く。やれやれ。男子って落ち着かないよね。 リョウくんはカレーを凄い勢いでかっ込んだ。日増しに食欲が増している。 「サッカー部,どんな感じですか?」 「あー,いい感じ。一年レギュラー目指すから俺。お代わり!」 口元にルーをつけながら朗らかに笑うリョウくんの顔は輝いて見えた。若いっていいなあ。 「はいはい」 カレー二杯目をよそって渡すと,今度はリョウくんが尋ねてきた。 「芽依姉ちゃんは?部活どうすんの?」 私の高校は帰宅部禁止で,どこかに籍を置かないといけない。 「んー,私は……どうしましょうねー,絶賛悩んでます」 三歳下の子に敬語ってのも冷静に考えたら不自然だけど,八年これだったからタメ口の方が違和感を抱いてしまう。メイドやめて敬語だけ残ったら……それもなんか,気恥ずかしいな。落としどころが難しい。 「あんまり時間とるとこ入ると,晩の用意ができなくなっちゃいますからねぇ」 「いいじゃん,あっちで食べれば」 『あっち』というのは私の家,藤原家のことだ。でも最近ウチの親も忙しいみたいで,あんまり負担かけたくないんだよね。というか,私が晩御飯咲村家で食べるの前提の生活習慣が出来上がっちゃってるからキツイかも。だが一番の問題点はそこじゃない。 「ウチのは料理できませんから……」 「あー……だったなー」 私の親はどっちも料理ができない。私の料理は全ておばさん仕込みなのだ。 「っんーでも,芽依姉ちゃんは元々運動部って柄じゃないし,文化部でいいんじゃねえ?それなら帰りもそんな遅くなんないっしょ」 それもそうかな。文化部といっても吹奏楽とかはキツそう。いや音楽なんてやってこなかったし,今更入らないけど。まあ来週のオリエンテーションみて,色々見学してから決めればいいか。 「もうないの?」 リョウくんのお皿は綺麗に空になっていた。食欲お化けか。これが男子中学生。先月までランドセル背負ってたのに。んもう。 後片付けが終わったらお風呂が沸くまで自由時間だ。大体は一緒に宿題やったり,テレビやネットの動画を見たり,ゲームしたりすることが多い。月に二回くらいはリョウくんの耳掻きをしてあげたりもする。今日は宿題を軽く片付けた後,一緒にソファに座ってテレビを見ていた。昔はリョウくんが私の膝の上に座ることもあったけど,最近はめっきりなくなった。ちょっと寂しい気もする。もう中学生だもんねー,仕方ないか。でもヨレヨレのシャツとズボンでうろつくリョウくんの姿は,小学生の頃と何一つ変わっていない。ただまあ,ちょっと体はたくましくなってきたかもしれない。いっぱい食べてるもんね。 お風呂が沸いたので,二階に上がってリョウくんの着替えを準備し,脱衣所に運んだ。 「お風呂入って下さーい」 「ん」 リョウくんがお風呂に入っている間,スマホにお母さんから電話がかかってきた。 「お風呂沸いたわよー。入りなさーい」 「うん,わかったー。こっちも今ごしゅ……リョウくん入ってるから,上がったら帰るね」 「んふふっ,そーよねー,リョウくんの湯上がり見たいもんね」 「んなっ!? 何言ってんの! そんなんじゃないってば」 リョウくんは弟みたいなもんだし,大体先月までランドセル背負ってた子の湯上がりなんてまったく興味ないし。 「えーだってー,遼太郎くん,すっごい美少年に育ったじゃない。羨ましいわー」 「あっそ。切るよ」 私は通話を打ち切り,ソファに寝転がった。お母さんたら何言ってんのさ。まあ確かに,リョウくんも不細工って訳じゃ無いけれど。でも「美少年か?」って言われると,んなことないんじゃないの。そんな見惚れるような顔じゃないでしょ。まだまだ子供だよ。前から薄々感じてたけど,お母さんってショタコンの気があるよね……。 お風呂場の方からガラガラと音が鳴った。もう上がったらしい。男子って早くていいなあ。パジャマを乱雑に着て,適当にゴシャゴシャ髪をタオルでこすりながら,リョウくんがリビングに戻ってきた。全体的に紅潮した顔から熱気が発している。顔の輪郭が湯気と照明に照らし出され,その整った顔立ちを強調していた。多分に水を含んだ髪先が房を形成しながら垂れ下がり,えもいわれぬ艶やかなオーラを形成している。 「……何? なんかついてる?」 「えっ!? いえ,何でもありません……」 私は慌てて目をそらした。もー! お母さんが変なこと言うから妙に意識しちゃったじゃん。なんてことなかったけど! 「ちゃんと頭拭いて下さいよ。ほら」 自分の顔が赤くなっているような気がしたので,私は慌ててソファから下り,リョウくんの背後に回った。タオルを奪って丁寧に頭を拭いた。あれ。いつの間にか同じくらいの背になってる? 「自分で拭けるって!」 リョウくんが首を後ろに傾け,私と目があった。その火照った顔と澄んだ瞳の不意打ちに,私の心臓が一瞬跳ねた。その一瞬の隙にタオルを奪い返され,リョウくんは私の手元から去り,ソファに座り込んだ。ソファ越しの背中が少したくましく見えた。気のせい……かな。 「じゃあ,失礼しますね。お休みなさいませ,ご主人様」 「お休みー」 私はリョウくんの気の抜けた返事を背中で聞きながら,戸口から咲村家を出た。外はもう暗い。この辺は田舎でもないから,晴れていても星はあんまり見えない。 自宅に帰り,お風呂に入ってから二階の自室に戻った。朝学校に行って以来だから,十二時間以上経っている。やれやれ。もう自分の名字は藤原じゃなくて咲村なんじゃないかと思うほど,あっちがメインになっている。私はいつまでこれを続けるつもりなんだろう。自分でもわからない。ずっと続けてきたから,誰も何も言わないから。……うーん,責任を周りに押しつけてるだけだよね。私が始めたことだし,私が終わらせないといけないのかな,やっぱり。 今,私はメイドごっこをやめる理由をほしがっている。決してリョウくんが嫌いになったとかじゃないし,あまり面倒くさいとも思っていない。仮に「メイド」をやめてもリョウくんのお世話はきっと続けることになるはずだ。おじさんとおばさんは長期出張で家にいないし,リョウくんが一人で家事できるとも思えない。じゃあなんでやめたいんだろう。ただ恥ずかしいから? 世間体? なんだろう。結局私はどうしたいのかな。 布団の中で,湯上がりのリョウくんの姿を思い出した。今思えば結構まあ,イケメンっぽかったかも? まあ,子供にしてはって程度だし,お母さんが変なこというから気にしちゃっただけだし。どうでもいいや。いやどうでもよくはないな。あの顔が悲痛にくれる場面を想像すると,ギュッと胸が痛んだ。ああ,やっと分かった。私がメイドやめたいって言えない理由。リョウくんが「芽依姉ちゃんに嫌われた」と思って傷つくかもしれないのが怖いんだ……。関係を壊したくないんだ,私。 (……だったら,向こうから……「俺ももう中学生だし? メイドは恥ずかしいからいいよ」なーんて言ってくれないかな……) 第二章 俺は目覚ましを停止して布団に潜った。うるせえ。でも次の瞬間,柔らかい手が俺の額に触れた。 「ご主人様ー。朝ですよー」 あーくそ。もうちょっと寝たかった。俺は渋々目を覚ました。起こしに来るのが母さんなら愚図れるけど,相手が芽依姉ちゃんじゃそういうわけにはいかない。そんなのカッコ悪すぎる。 「朝ご飯できてますから,顔洗ってきて下さいね」 ヴィクトリアンメイド服に身を包んだ芽依姉ちゃんが部屋から出ていった。隣に住んでる三歳上の姉ちゃん。昔からずっと遊び相手になってくれたり,こうやって生活の世話をしてもらったりしている。幼馴染みってヤツ。ただ,俺たちは普通の幼馴染みじゃない。とてもじゃないがクラスメイトには言えないような秘密がある。芽依姉ちゃんは俺の「メイド」だってこと。 食卓についた俺は,芽依姉ちゃんも席につくのを待った。昔は何も気にせず先に食べ始めてたけど,最近は待つようにしてる。正直,申し訳ないし。物心ついた頃から芽依姉ちゃんは俺を「ご主人様」と呼んでた記憶がある。外では「リョウくん」だ。んでもって,敬語で俺に話す。あっちが年上なのにも関わらず。俺もまだガキだった頃は気にしていなかったが,流石に今は普通じゃないのはわかってる。クラスメイトに似た境遇のヤツなんかいやしないし,ましてや漫画やアニメでも見かけないほどだ。俺の家は,まあ中の上か上の下くらいの家庭ではあるけど,メイドを雇うなんて余裕や理由があるような大金持ちじゃない。芽依姉ちゃんは俺や父さんたちに何か恩義でもあるのかっていうと,そんなこともない。昔流行ったネットドラマに影響されて始めたごっこ遊びがズルズル続いている,というのが真相。つまり芽依姉ちゃんは自分に何の得もないのに,ただの中学生である俺に敬語で話して世話してくれているわけだ。聖人かっていう。物事を理解できるようになったころから,俺は多少の負い目も感じていた。けど,隣に住んでる年上の幼馴染みが甲斐甲斐しく面倒みてくれて,いつでも遊び相手になってくれるっていう状況は果てしなく気持ちよかったし,同学年の友人たちに対して優越感も抱いていた。絶対に自慢なんてできねえけどな。これがバレたら学校中から笑われて弄られるのは間違いない。女子からはシンプルに「変態」とか,男子からは「うおぉ~,ご主人様がいらっしゃったぞぉ~」或いは「お前の姉ちゃんラノベヒロイ~ン」とか。芽依姉ちゃんも絶対に高校で気まずい思いすることになるだろうし。 「こぼれてますよ,ご主人様」 ハッと気がついたときにはもう遅い。パジャマにジャムが付着していた。いけね。考え事してたらこれだ。俺はティッシュで適当にジャムをぬぐった。 「ほらほら,脱いでくださーい」 芽依姉ちゃんが裾に手をかけ,脱がそうとしてきたので俺は慌てて抵抗した。もうガキじゃねーんだからやめろって。 「いや,いいって!」 「でも染みに……」 「わーった!」 俺は上だけ脱いで芽依姉ちゃんに渡した。はあ。カッコ悪。小さい頃はわからなかったけど,今なら分かることがもう一つある。芽依姉ちゃんは,結構美人だってこと。俺も中学生になったし,年上の美人女子高校生にメイド服で世話されてドキマギするなってのは無理だろ。今みたいに不意に至近距離まで接近されると結構焦る。でも意識してるってバレたら絶対「照れちゃってーかわいー」という反応をされるのが目に見えてるから,そこは絶対バレないようにしていきたい。 「えー,まだ続いてるんだー。このムッツリめー。しっかし,芽依ねえも相当だねー」 サユが呆れたような口調で俺と芽依姉ちゃんをからかった。サユは幼稚園のころからの付き合いで,外部の人間では唯一俺と芽依姉ちゃんの「メイドごっこ」を知っている人物だ。 「うっせ。いいだろ別に。向こうが好きでやってんのに,やめろって言えねーだろ」 「嫌われたくないんだよねー,芽依ねえに。大好きだもんねー,遼太は昔からずっと芽依姉ちゃん,芽依姉ちゃんって」 「そういうんじゃねーよ!」 俺は軽いチョップをサユの脳天にお見舞いした。調子乗りやがって。 「暴力反対ー」 「なら暴力を誘発する言動をとるなっての」 「ねえねえ,今度の土日遊びに行っていい? あたしも久々に参加したいなー」 「芽依姉ちゃんがいいなら,いいけどさ。連絡しとけよ,そっちから」 「ラジャー!」 朗らかに笑いながら敬礼仕草をとって,サユは自分のクラスに戻っていった。 「おい遼太ー。逢い引きかー?」 友田がにやつきながら絡んできた。サユは所謂美人顔ではないけど,たぬきみたいな愛くるしい顔立ちで,あれはあれで男子から結構人気があるらしい。俺にはよくわからんが。そういうわけだから,最近サユと話していると仲をからかわれるようになった。中学進学で違う小学校だった連中も混じったから,幼馴染みだってことも余り知られてないのも原因の一つ。 「ちげーよ,馬鹿。ただの幼馴染みだって」 「あーあ,いいなー。女子の幼馴染みぃー。俺も欲しかったー」 友田は遠い目をして天に懇願していた。手遅れだろ。……もう一人いるってこと,しかもそれが俺にメイドやってるなんて知られたらどうなるか,想像に難くないな。サユですらこれだからな。 サッカー部はまだ仮入部期間だし,ぶっちゃけ地区では強豪ってわけでもないから,それほどハードじゃない。そこまで遅くならないうちに,俺は家に着いた。灯りがついている。ドアを開くと,美味しそうな生姜焼きの匂いが鼻をくすぐった。 「ただいまー」 「お帰りなさいませー,ご主人様」 リアルでこの返しをされる人間,日本で俺一人なんじゃないかと思う。二階に上がって鞄を置いてからリビングに向かった。台所で芽依姉ちゃんが夕食の準備をしていた。今日は水曜日だから水色のメイド服に,縞模様のニーソックスを着用している。メイドというよりは不思議の国のアリスの服ってほうが近いかもしれない。断じて俺が「水曜日はアリスイメージで!」などとリクエストしたわけではない。だからといって芽依姉ちゃんがそう取り決めたわけでもない。八年の間になんとなく,そういうルールが醸成されたのだ。芽依姉ちゃんはいつまで続けるつもりなんだろう。大変だろうに。高校って勉強とかも難しそうだし……。真面目な話,芽依姉ちゃんがどう思っているかが知りたい。好きでやってるんなら口出しすることじゃねーよな。いや権利はあると思うが。イヤイヤだったら……イヤイヤでこんなことやるか? 給料出てるわけでもなしに。俺の親に命を救われたっつーわけでもないし。俺も救ってない。 今日,部活出る前にサユと交わした会話を思い出した。「芽依ねえ,意地張ってるだけかもねー。やめ時見失ってズッルズルとか」だとしたら,俺が「芽依姉ちゃんも高校生になったんだし,ごっこ遊びは卒業しようぜ」って一言いえば,「だよねー,私もそう思ってた!よっしやめる!」って流れに……。いや待て。やっぱ駄目だ。俺から言い出したら,まるで俺が「年上の女性のメイド服姿を意識してしまって平静を保てない」みたいに受け取られかねない。思春期丸出し感が丸出しになる。これは不味い,駄目だ。俺の自意識が許さない。「メイド服とか別に興味もないしどうでもいいけど芽依姉ちゃんがやめたいってんならやめればいいんじゃね?俺は何にも気にしねーけど」というスタイルじゃないと駄目だ。そのためには向こうから「やめる」って言い出してもらわねーと……。芽依姉ちゃんが「メイド服はやめたい」と言い出したのを俺がサラッと認める,その形がベスト。それ以外はありえねー。 生姜焼きを平らげた後,サユのことを切り出した。 「そういや,サユが土日遊びに来たいって」 「聞いてますよ。はい。ご主人様がよろしければ」 あいつはもう芽依姉ちゃんに連絡していたらしい。芽依姉ちゃんはオーケーっぽいな。 「んじゃ,土曜日に」 「かしこまりました。楽しみですねー」 芽依姉ちゃんがニッコリ笑った。外部の人にメイド姿見せるのって結構恥ずかしいと思うんだけど,芽依姉ちゃん的にはそうでもないのか? いや,サユは内部の人間カウントかな。昔からメイドごっこに混じって遊んでたし,小学生時代も月一ペースで遊びに来てたもんな。これが第三者だったら絶対拒否だろう。俺も拒否る。 あ,サッカー部の練習忘れてた。まあ休み取ればいっか。まだ仮入部だし。 一週間ぶりの目覚まし時計が鳴らない朝。起きると十時半だった。一階に下りると,芽依姉ちゃんが一週間分の洗濯物を慌ただしく処理していた。高校上がってから四週間だけど,毎週この調子だ。父さんと母さんが長期出張で家空けてるからこうならざるをえない。本当は俺がやるべきなんだろうけど,やってくれるから甘えちまう。あーあ。我ながらガキだな……。 「おはようございます。朝ご飯必要でしたら,パン食べて下さい」 廊下で芽依姉ちゃんをすれ違った。まだしばらくかかりそうだ。サユ来るの何時だっけ。そういや決めてなかった。 このタイミングでチャイムがなった。芽依姉ちゃんは忙しくしているので俺が出た。というか俺の家だから俺が出るのがあるべき姿だろうが。画面に映る訪問者はサユだった。 「あっはははは! 今!? 今起きたの!? 何その格好ー! あははは!」 顔も洗わずにパジャマ姿で出迎えた俺を見てサユは指さして爆笑した。できれば寝起きに高い声ださないでくれ。 「いらっしゃいませ,お嬢様」 小走りで芽依姉ちゃんがやってきた。サユは「お嬢様」と呼ばれる。昔のメイドのネットドラマにもお嬢様と呼ばれるキャラがいたらしい。悪役で。 「うむ。苦しゅうない」 偉そーだな。サユは靴を脱いで上がり,リビングへ通された。 「ご主人様,そんな格好で恥ずかしいですよ」 芽依姉ちゃんはフリルとリボン満載のメイド服をひらつかせながら俺に注意した。説得力……。 顔洗って着替えた俺がリビングに入ると,もう二人が仲むつまじく談笑していた。芽依姉ちゃんの背中にくっついている大きな白いリボンが揺れる。土曜日は装飾過多なメイド服の日だ。やたらフリルやリボンが多い。肘まである長い白手袋にまでついている。対照的にサユの私服は落ち着いた地味なコーデで,芽依姉ちゃんの格好の空恥ずかしさを増幅させていた。 「そういえばー,芽依ねえっていつまでメイド服着てるのー?」 芽依姉ちゃんが固まった。遂に言いやがった。 「んー。やっぱそろそろやめるべきでしょうか……?」 芽依姉ちゃんは顔を赤らめて,両手をスカートの上でモジモジさせながら俺に顔を向けた。こっち投げるなよ。 「えー……俺は別にどっちでも気にしないけど? 俺は芽依姉ちゃんの好きにすればいいと思う……」 よし! うまく乗り切った! はず! 「ププッ。遼太は芽依ねえのメイド姿いつまでも見ていたいもんねー,今日も学校でかわいい大好きって言ってたしー,やめろって言えないよねー」 あぎゃあああああ!? やめろアホ! 「えっ!? あっ,そうなんですか。ふふっ……」 芽依姉ちゃんが俺を見てはにかみ,照れ笑いした。 「いっ,いやいや,違う! 違うって! 嘘! こいつの嘘!」 俺が何を言っても無駄だった。女子二人は大笑いをやめない。ちくしょー! サユのやつ! 思春期大爆発してるメイド大好き変態野郎にされちまったじゃねーか! クソが! 「ああもうわかったわかった。そういうことにしておいてやる」 俺は最後の抵抗として,俺としてはそんなことはこれっぽっちも思ってないけど仕方なく二人の冗談に付きあってやってる感を出して軟着陸を図ったが,成功したかどうかは二人の表情からすると微妙なところ。 だと自分に言い聞かせて一縷の望みを繋いでいたが,その日はずっと芽依姉ちゃんが上機嫌で,リボンとフリルをヒラヒラさせながら,やたら俺の視界を横切ってきた。着陸失敗。墜落だ……。 その日は三人で一緒に昼食をとり,午後はゲームしたりして遊んだ。小学生時代に戻ったみたいだ。というか何も変わってないな俺達。 サユが帰った後,俺は芽依姉ちゃんと一緒に藤原家にお邪魔した。中学生になってからの休日は俺がお邪魔してご飯を食べる。父さんと母さんがいないからだ。 「何かいいことでもあった?」 おばさんが芽依姉ちゃんに尋ねた。芽依姉ちゃんは弛んだ顔で「え~,別に~」とだけ答えて俺を見た。いつまで引っ張るんだよそれ。ちくしょう。 「あー,そう。ふーん」 今度はおばさんが俺を見て意味深な笑みを浮かべた。何か誤解していそうだが,俺から言えることはない。うん。 「それより遼太郎くん,サッカー部の調子はどうだい? 中学の運動部は大変だろう」 その時,おじさんが話題を変えてくれた。ありがたい。感謝感謝。 俺は芽依姉ちゃんの後に藤原家の風呂に入った。俺の家に芽依姉ちゃんの部屋があるように,こっちにも俺の部屋がある。今日はこのまま藤原家で床に就く予定だ。 二階に上がって俺の部屋に足を踏み入れると,ほとんど使っていないにも関わらず,綺麗に整えられていた。芽依姉ちゃんが掃除してくれているところを想像し,頭の中で礼を言った。俺の部屋といっても,こっちにある私物は持ち込んだまま置き忘れてった漫画やゲームが少しあるくらい。後はもっと小さい頃の玩具や,低学年の頃の工作で作ったガラクタなんかが主だ。 なくしたと思っていた『ウルトラ・ジャーニー』の三巻を発見したのでベッドの上に転がって読んでいると,パジャマ姿の芽依姉ちゃんが部屋に入ってきた。床に正座して,照れながら俺に尋ねた。 「あのー,ご主人様。提案があるんですけど……」 「あ,うん」 俺も多少姿勢を正そうとしたが,正座するのも変な気がして,ベッドの上であぐらをかく形になった。 「明日,メイド服抜きでやってみようかなー,って……」 「……ふーん,いいんじゃない?」 俺はできるだけ気にしていない風を装った。芽依姉ちゃんは少し慌てた口調で続けた。 「えっと,他意はないんですけど,今日ですね,小百合お嬢様が」 「あーうん,言ってたな。もう年齢的にキツイかもって」 芽依姉ちゃんが悲しげな表情を見せたので,今度は俺が慌てた。 「いやその,似合ってないとかじゃなくって,世間一般では普通の高校生はこういうのしないよなって話。芽依姉ちゃんはメイド服いつも……その……」 「何ですか?」 芽依姉ちゃんは身を乗り出して近づいてきた。後に続く言葉は極力言いたくなかった言葉だが,この期待に瞳を輝かせたワクワクした表情を見ると,ハッキリ言ってやらざるを得ない。 「芽依姉ちゃんはいっつも似合ってて,その……可愛いから,そういう意味ではいいと思う……うん。でも,たまにはメイドじゃない服もいいかも,って……」 俺は視線を逸らしてごにょごにょしながらも言い切った。芽依姉ちゃんはパアッと顔を輝かせて,幸せそうな笑みを浮かべながら「ふふっ,ありがとうございます,ご主人様」と返事した。あー,恥ず。無意味にドキドキするし,やってられねーっての。 芽依姉ちゃんは立ち上がって,俺の隣に腰を下ろした。 「今日,一緒に寝ますか?」 「しねーよ!」 俺は真っ赤になって部屋から芽依姉ちゃんを追い出した。

Comments

sengen

思春期の女の子と男の子で三歳差の幼馴染という絶妙な関係がいいですね。お互いを意識しながらまごまごしてて年頃の甘酸っぱい様子が素敵です。 また全編を通して、脇役たちの存在もみんな魅力的で物語を面白くしてたと思います。例えばサユは、遼太郎とは同級生同士、芽依とは女の子同士で2人の潤滑役になったり、2人の関係の進展や話の展開をうまく進めてくれていたと思います。