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「はい……はい……この度は力になれず、誠に申し訳ありません……いえ……いえ……はい」 吐き気がする。胸が左右からギュウギュウに締め付けられ、圧迫された何かが首元まで押しあがってくる。 「心からお悔やみ申し上げます……はい……失礼します」 僕はおぼつかない足取りで席に戻り、頭を抱えた。察したような雰囲気で周囲が静かになり、僕は言わなければならない報告を口から絞り出した。 「青子ちゃん、亡くなったそうです……」 一瞬オフィスがざわめくが、またすぐ各々の仕事に戻っていく。が、さっきまでの喧騒はなく、静かだった。「あー……」「やっぱり」「だよなぁ」みたいな声がぼつぼつ聞こえてくる。 ハッキリ言うと、こうなることはわかっていた。半月前にはもう間に合わないだろうと見通しが立っていたので、今更対応に慌てることはない……が、それでもやはり、例えようのない喪失感と後悔で僕はその日一日体も頭も満足に動かせなかった。思考にぼんやりと薄暗い霧がかかり、全身に鉛が入っているかのようだった。 青子ちゃんの葬儀では、一秒以上彼女の遺影を見つめることができなかった。「悲壮感」というものを視覚化したような父親、取り乱す母親、そして開けられることのない棺、記憶は途切れ途切れでよく思い出せない。脳が記憶に刻み付けるのを拒否したかもしれない。結果的に、僕はあの子に嘘をついた。何度も何度も。君はプリガーになれるんだよ、と。その約束を果たすことはできなかった。会うたびに縮んでいるのがわかるあの子の闘病姿だけはハッキリと思い出せる。どのプリガーが好きなのか、どんなところが好きなのか、色々とヒアリングして演出を詰めていった。こんなことになるのなら、いつものようにもっと簡単な叶え方でよかったのでは? その疑念と後悔だけが、プロジェクト解散後も心のしこりになって僕の中に残り続けた。 僕が勤めているのは、難病で苦しむ子供たちの夢を叶える非営利団体。対象は園児から高校生まで。多くは小学生ぐらいの子たちだ。警官になってみたい、玩具に囲まれたい、作家になって本を出したい……そういう子供たちの願い事を、方々と調整して実現させるのが仕事。青子ちゃんの夢はプリガーになりたい、だった。日曜朝にやっている女児向けの魔法少女アニメ。普段通りなら彼女にプリガーのコスプレをさせて、手の込んだごっこ遊びをする方向だったろう。 「でもあの子小っちゃくなるんですよね? だったら本当にアニメの世界に入れてあげることもできるんじゃないですか?」 ある女性スタッフの思いつきで、突如自体は大がかりなプロジェクトに発展することになった。彼女が患っていたのは縮小病という正体不明の病気で、今のところ治療法はない。文字通り体が縮んでいく奇病で、女性だけが発症する。多くは数ミリ縮む程度だが、人によっては半分に、酷い時は十分の一サイズまで体が縮んでしまうケースも報告されている。勿論、そこまでいってしまうと社会復帰は困難を極める。縮むのは止まっても、その後酷い目に遭っている人は多いらしい。だが命が助かっているだけまだマシと言えよう。極々稀に、青子ちゃんのようなケースもある。縮小病で体が壊れないのは十分の一サイズまで。それ以上縮小が進んだ場合、体が綺麗な相似縮小をすることができず、全身がグシャグシャになって死んでしまう。僕は見せてもらえなかったし見る勇気もなかったが、青子ちゃんの遺体はだいぶ悲惨な状態だったそうだ……。人の形などとどめておらず、出来損ないの溶けたハンバーグの欠片のようになっていたらしい。ある学者が提唱するには、これは胎児に戻ろうとして失敗しているのだというが……全く理不尽な話だ。縮小病は発祥の理由が未だにわからず、ある日突然発症して、強引に日常を奪っていく。小さくなるというだけで体自体は健康な分、普通の病気よりも納得しづらく理不尽感が強いのか、世を呪う怨嗟の声は後を絶たない。僕もその一員になりたい気分だ。 青子ちゃんは発症してまだそこまで縮小が進んでいない段階だったが、いずれ死ぬまで縮むだろうという所見はあった。病気の研究も進みは進み、死ぬまで縮むパターンに限り、その予兆を早期に発見できるようになってきた。勿論確定ではないが。 青子ちゃんプロジェクトとは、小さくなることを逆手にとって、本当のプリガー体験をプレゼントしてあげよう……というものだった。アニメ塗りの箱庭を組んで、その中でごっこ遊びをさせるという大がかりな企画。僕はそのメインメンバーの一人に抜擢され、本人と何度もあって友好を深めながら、彼女の好みを聞きだし、ごっこ遊びの全体演出に役立てた。そこまでは順調だったが、箱庭とロボットの完成に想定より時間がかかり、結局プロジェクトは無様な強制終了となった。間に合わなかったのだ。間に合わなくなることは彼女が死ぬ前にわかっていたので覚悟はできていたつもりだったが、思っていたよりも心にきた。それは僕がヒアリングを担当していたからだろう。直接彼女と会って一緒にお話して盛り上がった。彼女は小さいということ以外は健康そのもので、もうすぐ死ぬなんてピンとこなかったし、何なら難病患者だということすら疑わしく思えるくらいだった。それは本人にとっても同じだったらしく、よく「パパもママも大げさ」とよくぼやいていた。まだ小学校にも入らない年齢なので、小さくなった後の苦労について、そこまで現実的な想像ができなかったかもしれない。 ビルの大会議室をまるまる使って組まれた大きな箱庭。建物はどれもアニメっぽいデザインに仕立てた手の込んだものばかりだ。特徴はその柔軟性。青子ちゃんが怪我をしないようにと、医者や製作チームの人たちと試行錯誤して、コンニャクのように柔らかく、ぶつかっても安全なビルと家々を実現したのだ。地面もアニメ世界の地面に見えるようにデザインした。ここも工夫を凝らしてあって、アニメ塗りのアスファルトも土も、実態は全部トランポリンだ。プリガーのように飛べるように。 十分の一サイズは人間としては絶望的な小ささだが、箱庭としては特大サイズ。作るのは無茶苦茶大変だった。工期は遅れに遅れ、完成は彼女がなくなる数日前。そして箱庭の中で彼女の遊び相手を務めるロボットたち。人間が人形を動かして相手したのでは興ざめだろうと、密着取材していたテレビ局の提案と伝手でAIロボットを導入することになった。ところが仲間を演じるはずだったプリガー姿の可愛らしいロボットが送られてきたのは、葬儀の翌日だった。 間に合わないとわかった時点で、普通のごっこ遊びに切り替えるべきだったのではないか。そういう声もあった。本人に着せる衣装は間に合っていたから、お人形遊びならやれた。が、思った以上の大プロジェクトとなり、テレビ局の密着取材も入っていたため、方針転換をすることは叶わず、結局、誰も得しない結末を迎えてしまったわけだ。 ドクターストップ等で折り合いがつかず、半端な形になったケース、こちらとしては尽力したものの子供本人はあまり気に入らなかったケースはあった。が、間に合わなかったのは初めてだ。僕がここで働きだしてからは。 「こういうこともある」と励まされても、言い出しっぺの責任者が叱られても、それが青子ちゃんの救いになることはない。僕自身を納得させることもできない。鬱屈とした失敗の怨念を引きずりながら、次の仕事に没頭しようとすることしかできなかった。 大会議室には、ずっと箱庭が鎮座している。「まだ使うかもしれないじゃないですかー!」と元プロジェクトリーダーの最後の抵抗でまだ残してあるのだが、僕にとっては見たくもない負の遺産なので、さっさと見切りをつけて撤去してもらいたかったが、リーダー同様、心のどこかであれを再利用する機会があってほしいと願っているのも事実だった。全部無駄だったことにはしたくない。彼女があまりにも報われない。いや再利用したからと言って今更彼女が報われるわけでもないのだが。僕らが自分の心を軽くしたいだけのエゴだ。 その三か月後。箱庭の撤去が決まった。同時に、僕はまた縮小病患者の担当となった。今度は十七歳の高校生。一応子供の範疇ではあるが、うちでは中々珍しい年齢だ。この子もやはり、十分の一以下……つまりは縮んで肉塊になり死ぬという予兆が確認されていることで、ウチで扱う難病相当に認められた。本人の夢はあるバンドのライブに行くこと。調べてみるとかなり激しいライブをやるらしく、既に半分まで縮んでいる彼女を連れていくのは危険に見えた。医者も同様の意見で、一般客の中に連れていくのはNGが出た。バンドを呼んで特別に演奏してもらうことも考えたが、彼女は曲を聞きたいのではなく「ライブ」に行きたいらしく、拒否された。周りを全員スタッフにして……というのも検討したが、やはり安全性に難があるのと、ライブの空気が壊れるという本人からのNGでこれもお流れになった。 (またか……) どうあがいてもこれは、後ろの方から眺めてもらうしかない。首を腕をブンブン振り回し、人で波を作り、客同士激しくぶつかり合うらしいこのバンドのライブを九十センチ以下の体格でフル体験させるのはどう考えても無理がある。また不完全燃焼の「叶え」になりそうだな、と内心ため息をつく。この三か月はずっとそんな調子だ。 面会日、ご両親との雑談中、以前担当した箱庭の件に触れた。ちょうどその日、取り壊し決定の報があり、同じ病気ということで話題がそこに飛んだのだ。すると母親の目が輝き、思ってもいなかった反応が返ってきた。 「素敵! ねえ! ツグミもやってもらいましょうよ!」 「ええ!?」 父親は狼狽えた。ベッドに不機嫌そうに寝転がっていた本人も起き上がり、「はあ!?」と声を上げた。 「だって、ツグミ、昔プリガーになるのが夢って言ってたじゃない」 「いっいつの話してんだよ!?」 真っ赤になって怒り出すご本人。そりゃそうだ。高校生だぞ、高校生……。同じ縮小病患者でも、青子ちゃんとこの子とでは全く印象が違う。縮んだ青子ちゃんはぬいぐるみのような雰囲気だったが、もうツグミちゃんの体型は大人そのもの。スラリと伸びる手足も入院生活で細くなり、人形のような雰囲気だ。 「ライブ行くんじゃないのかよ!?」 勿論、ライブだ。すでに予定も組んであるし。しかし高校生の子にプリガーごっこしろというのも酷に思えるが、母親が心底残念そうにしているのが意外だった。ツグミちゃんはもう身長が九十センチを割っている。小さくなったせいで、親としては幼稚園ぐらいの頃の感覚になってしまうのかもしれない。僕は彼女の小さいころは知らないので、普通に高校生にしか見えないが。残酷な死を予言された可哀相な女子高生に。 母親の冗談はともかく、問題はライブを後ろの方から眺めるだけ……ということを納得してもらうことだが、これが難航を極めた。本人は別に死んでもいいから死ぬ前にライブに本当に参加したいのだと繰り返し訴えた。しかし安全面からは容認できない。医者の見立てだと、ライブの日には彼女の身長は五十センチ程度だと見込まれているからだ。 「じゃーいーよもう、行かねえよ! したらぜってー安全だもんな!」 まったく子供みたいな我がままを……。いや子供か。普段相手してる難病の子供たちよりずっと年上だし意思疎通も容易なので、ついつい心の中で毒づいてしまう。しかしいたって健康だったのを突然縮められてもうすぐ死ぬと言われたら、そりゃ荒れるのも仕方ないか。 「じゃ、プリガーでいこっか」 「……っからしねーよ! ふざけんな!」 プリガーネタはこの子をからかい、話を戻すのに格好の冗談となったので、よく使わせてもらう。単なる冗談だったのだが、次第に彼女の本音が垣間見えるようになってきた。 「子供の頃の話だし、んなもんとっくに卒業したし」「アタシああいう服マジで似合わんから」 女の子らしい格好……ヒラヒラフリフリした服への憧憬が顔を覗かせる。彼女が好きなバンドやファッションとは全く逆の方向性なので気づかなかったが、心の奥底では違うのかもしれない。素直な小さい子供と異なり、社会的立場による干渉にまみれた高校生とでは。 ライブの一週間前。事態が急変した。ツグミちゃんが縮むスピードが想定よりかなり早いというのだ。最悪、ライブまでに死ぬ可能性もあるという。急遽見舞いに駆け付けると、弱り切りながらも強がって「よおおっちゃん。元気?」とか細い声を出す彼女が、大きな白いベッドの中央にちょこんとのっかっていた。小さい。すでに十分の一近い。間に合わない……か? また? 悲壮な両親の姿は見覚えがある。いや青子ちゃんの時より酷いかもしれない。何しろ十七歳だ。十七年一緒に過ごした娘が溶けて消えようとしていることがここまで視覚化されて平常でいられるはずもない。 「あーあ、ほんま最悪。せめてライブまで待ってくれりゃあいいのにな」 本人は強がっているつもりでも、声は震えて、小さな小さな瞳には涙も滲んでいた。流石にもう、ライブのパフォーマンスに混ぜてくれとは本人も言うまい。自分が小さく無力な存在になり果ててしまったことを誰よりも本人が痛感している。そして無力感を抱いているのは彼女だけじゃない。僕含めここにいる全員がそうだ。 ライブまで生きているかは……おそらくその日まではまだ大丈夫だと医者は言うが、ダメな可能性もあると……。今からライブ日程をズラすことは流石に不可能か。バンドを急遽病院に呼び出して……それも本人の夢見たライブではないな。バンドメンバーと生で会って話でもできれば喜びはするだろうが……。 オフィスに戻ると、大会議室から業者が出入りしていた。箱庭を三日後に壊して撤去してしまうらしい。それなら最後に一目見ておこうか。僕は大会議室で、手塩にかけた箱庭を眺めた。結局日の目を見ることはなかった無駄な努力の結晶を。元リーダーと同じく、感傷的になってしまう。やはり勿体ない、使えないか。一度ぐらい……。 二日後、僕は再びツグミちゃんの病室を訪問した。時間は夜の遅く。自分でも信じられないことをやろうとしているが、どうせ最後なのだから、やるだけやっていいじゃないか。今度は後悔したくない。 「ツグミちゃん、行こっか」 「あ? どこに?」 「内緒」 訝しがりながらも、彼女はすんなりと承諾した。何度も会って信用してくれているのか、もうすぐ死ぬのだからと投げやりになっているのかはうかがい知れない。移送用の箱に入ってもらい、急ぎ駐車場へ。 車を発進させてから、僕は独断で彼女を連れ出したことを説明して詫びた。勿論病院とご両親の承諾は得たが、ウチの承諾は得ていない。あとで問題なるな。はは。 「ええ? マジかよ、何するん?」 「それはついてからのお楽しみってことで」 「マジかよー、髪とかボサボサなんだけど」 おそらく例のバンドが生演奏してくれるとでも予想しているのか、しきりに見た目を整えていないことを気にしている。気にしなくても見た目は整う。勝手に、派手に。 大会議室に明かりを灯し、箱庭の広場に移送用の箱を置き、ツグミちゃんを出した。 「んん? ここ……これ何だ?」 十分の一同士、スケールがピッタリなおかげでよく溶け込んでいる。ただの置物だったこの箱庭に、生気が吹き込まれたような気がする。 「これに着替えて。箱を更衣室に使っていいよ」 「はぁ?」 彼女に制服一式を手渡す。プリガーアニメの学校の制服だが、彼女は気づかない。まあ、見ているわけもないか。 「これどこの制服? まあいいけど……さ?」 病院で支給されたペラペラの白ワンピースよりはマシだと思ったのか、彼女はすんなりと着替えだした。ちゃんとした服が着れる、というのはやはり嬉しいのだろう。……女児向けアニメのコスプレ衣装だと知っていたら絶対着なかったろうな。 僕はその間に準備を進めた。箱庭の四方に壁を設置してロックする。倒れないな。よし。これで彼女はこの箱庭から出ることができない。 「これでいいのか?」 着替え終わった彼女が箱から出てきた。可愛らしい制服が、人形サイズの彼女とよく親和していて似合っている。生きた人が袖を通してくれたことで、少し報われた気がした。が、流石に過剰に可愛いデザインであること、何より以上に分厚いことからただの服ではないことを敏感に察知しているようだ。かなり怪しんでいる。 「なあ、これってもしかして」 周囲をキョロキョロし、凹む地面に戸惑いながら彼女は言った。ここが「アニメの世界」だと気づいたようだ。手早く移送用の箱を回収し、変身用のベルトを彼女の前の地面に置き、僕は告げた。 「ああ。ここは今放送中のプリガーの町を再現した箱庭なんだ。どう? 気に入ってくれた?」 彼女は段々顔が赤くなり、自分が着ている制服が何なのかも理解し、叫んだ。 「ふっざけんな! だましたなてめえ!」 「じゃ。もうここには誰もいないし、僕もしばらく席を外すから。楽しんでくれるといいな」 「あっ! 待て! コラ! おい! 出せ! こっから出せ! ……やらねーからな! ぜっっったいにやらねーからなあ!」 トランポリンで跳ねながら猛抗議する彼女をしり目に、僕はそそくさと大会議室を後にした。急ぎデスクのパソコンの前に移動し、予め立ち上げてあった箱庭管理用のプログラムの操作を始める。仲間ロボット起動。広場へ向かうよう指示した。 箱庭内に設置されたカメラから、彼女の様子を観察しつつ、話を進めていくのだ。 「ツグミじゃーん! 何してんの、こんなところで!」 「おわっ!? 誰だよお前!」 突如現れた「人間」に彼女はだいぶ驚いていた。すぐに人形だと気づいたようだ。まあ、とてもじゃないが人間には見えない。綺麗すぎる肌、整った容姿、切り替わる表情、録音間の強いセリフ。 「ね、ね、今日はどうする? パフェいこーよパフェ」 「いや……だから、ていうか何なんだよコレ……」 彼女は紅潮する顔を手で覆いながら、相棒役である「桃子」について歩きだした。作中でも登場する商店街へ案内する桃子。モブロボットがいないのが玉に瑕だが、そこは仕方がない。ツグミちゃんは嫌そうな素振りを続け、「全くこんな茶番早くおわりゃーいいのによ」とでも言いたげだが、顔は少し綻んでいた。彼女が二度と得られないと絶望していたであろう当たり前のこと、「同じスケールの人間と町を歩く」という営為を体験できているからだろう。この箱庭の中にいる間だけでも、自分が小さくなって世界から隔絶されてしまった孤独感を忘れて欲しいという当初の狙い通りの効果が出ているようだった。相手がただの人形で、ここが箱庭だとわかっていても、日々巨大化し続ける病室の中にいた彼女には特別なものであるはずだ。 もう一体のロボットに指示を出す。商店街へ向かわせる。大きいのですぐに接近を気づかれた。 「ん? な、なんだありゃ?」 ツグミちゃんはちょっと動揺している。「慌てふためく町の人たちの声」を箱庭内に流すと、急に表情が真顔になり冷静さを取り戻した。……流石に高校生は騙せないな。 「なあおい、見てんのか、見てんだろこれ! いいって、マジでいいから、やんねーからあ!」 明後日の方向を向きながら腕をブンブン振る彼女。僕は桃子に次のセリフを言わせた。 「たいへん! カタメズキーが街を襲っているわ!」 「だーっ、もうやめろ! いいってもう! 帰せよ! わかったわかったから! ここから出せって!」 「ツグミちゃん! 変身よ!」 「しねーよ!?」 いいツッコミだ。 「このベルトをつけて叫ぶのよ! 『プリガー、メタモルフォーゼ』」 「するかあっ!?」 彼女のツッコミが炸裂した瞬間、桃子のベルトが輝き、制服がグニョグニョ形を変えて、プリガーのコスチュームに変形していく。花びらを模した二段スカート、白とピンクで構成されたドレス、桃色の手袋、白いブーツ。茶髪だった彼女の髪は長いピンクのポニーテールへ変形する。 「希望の力と未来の光!夢幻の守護者・プリティー☆ピンク!」 唖然としているツグミちゃんに、僕は申し訳ないが笑ってしまった。あのツンツンしていた子がこれから……コレをやるのかと思うと。 「さあ! ツグミちゃん!」 「いやっ……ええっ!?」 人形が本当に「変身」したことに戸惑っているようだ。そう、制服が本当に変形するのだ。……こんなギミック入れなければ間に合っていたかもなあ。青子ちゃんに。ちなみにアニメだとスマホで変身するらしいが、流石に十分の一スケールスマホに変身ギミックを組み込むことは不可能だったので、ベルトとなった。 怪物ロボットが到着したので、一足先に桃子が戦い始めた。トランポリンの力で高く跳ねながら敵ロボットに手足を当てている。たまに吹っ飛ばされるが、どの建物やオブジェクトも柔らかいので安全だ。 「きゃああっ。……くっ、やっぱり一人では……」 ツグミちゃんは気まずそうに目を逸らす。顔は真っ赤で目は泳いでいる。心からの拒絶ではない。僕は自分の見立てが間違っていなかったことを確信し安堵した。 彼女は物陰に隠れながら、一人で戦う桃子をずっと眺めていた。吹っ飛ばされるたびにビクッと震え、心配そうに見つめている。いい感じにノッてきたように見えるが、果てさて。 「……な、なあ、コレ……いつまで? マジで? アタシやるまで終わらんの?」 どこにあるかわからないカメラを探しながら、彼女は何度も独り言を呟いた。自分と同じ背丈……つまり十分の一サイズの「仲間」が必死に戦っている様子に胸を痛めているようだ。桃子が人形で、これが全て茶番だとわかっていても、縮小病に苦しむ彼女としては、今の自分と同じサイズの「人」が叩かれるのは心を痛めてしまうのだろう。うーん、青子ちゃんがノリノリでサッサと変身する想定で作っていたから桃子が何分もやられ続けるのは想定外だった。 「だーっ! わかった! わかった! あーもう!」 とうとう観念した彼女はリンゴのように赤くなりながら、水色のベルトを腰に巻いた。おお。ついに。 「……違うからな! 終わらせるためだからな! さっさと帰りてえから! 違うからな! 絶対違うからな!」 虚空へ向かって言い訳を叫びながら彼女は桃子に近づいた。 「えーと、何だっけ!?」 「『プリガー、メタモルフォーゼ』!」 「……っぷっプリガー、めたもるふぉー……ぜ!」 投げやり気味に彼女が叫ぶと、ベルトが輝き、制服がスライムのように溶けて形を変え始める。桃子と対になるような水色と白のドレス。腰にはアニメみたいに大きな立派なリボンが。水色の手袋、白いブーツ。制服を構成していた素材が髪まで一気に駆け上り、横にぶわっと広がる水色のロングヘアーに変わっていく。 ものの数十秒で、彼女の変身は完了した。可愛らしいプリガー・ブルーのお人形と化したツグミちゃんが突っ立っている。変身シーケンスに問題なし。よかった。 彼女は茹でたタコのように耳まで紅潮し、スカートやリボンを引っ張りながらその場でわちゃわちゃしだした。決めセリフとポーズは……知らないだろうから仕方ないか。知ってても言うはずもないが。 「うっ、あっ、うぅ~、マジかよぉ~っ。ふぇ……」 まるで弱気な女の子のように内股になり、両手を胸の前に抱える。桃子にセリフを言わせる。 「さあブルー! 一緒に戦いましょう! この街の」 「あーっ! もういいわかった! わかったってえー!」 半狂乱になりながらツグミちゃんは地面のトランポリンを利用して大きく跳ねて、ロボットに飛びパンチを食らわせた。ロボットは大きくのけぞり後ろに倒れる。 着地した彼女は再びトランポリンにはね上げられながら、屈辱にまみれていた表情をやわらげた。「建物より高く飛びながら怪物にパンチ」は結構気持ちよかったようだ。 「流石ねブルー! さあ、一気にいくわよ!」 「お……おう?」 その後数発パンチキックをやらせたあと、必殺技シーンに進ませた。 「さあ! 『スターライト・ウィッシュ・シャワー』で決めるわよ!」 「は? え……ごめん、もう一回言って」 「『スターライト・ウィッシュ・シャワー』」 「ああ……必殺技、か……?」 桃子が左腕を突き出し、ポーズをとる。プリガーの格好をして爽快に跳ねまわったツグミちゃんも、ノせられたのか諦めたのかはわからないが、特に抵抗する様子も見せず、右腕を突き出し、左右対称のポーズをとった。 「こ、こうか?」 「そう! 流石ねブルー! 行くわよ!」 「……」 「スターライト・ウィッシュ・シャワー!」 「すたぁらいと、ういっしゅ、シャワー……あ!」 突き出された腕から光の演出が飛び、それが敵ロボットにあたると、敵ロボットのカラーがピンク色に変わり、大げさにズズンと倒れて動かなくなった。 「やったねブルー!」 桃子がハイタッチを求めると、照れくさそうにはにかみながら、ツグミちゃんはぎこちなくそれに応えた。 大会議室に戻り、箱庭に顔を出すとツグミちゃんは真っ赤になりながら怒った。死ぬほど恥ずかしかった、やりたくてやったんじゃないから勘違いするな、etc……。でも、早く病院に帰せとは言わなかった。何だか箱庭から出たくないかのような雰囲気さえ匂わせる。 彼女に陳謝しお茶を振る舞いながら、僕は思い出話としてこの箱庭ができた経緯を話した。 「へー……」 彼女は興味深そうに耳を傾け、「やりたかっただろうな、これ」と呟いた。 「おっ? 楽しかった? 気に入った?」 「んなっ……わけねーだろ!? 小さい子なら! ってこと!」 「ははは、ごめんごめん」 真っ赤になりながら反論する彼女は子供っぽくてとても可愛らしかった。何しろまだプリガーのままだし。 思い出に写真撮ろっか、とスマホを持ち出すと、彼女はそのことに気づいたらしく、再び真っ赤になって慌てた。が、スマホを下げると「あっ、ちょ……」と残念そうな素振りを見せるので、ついからかいたくなってしまう。彼女は写真を撮ってほしいわけではないけど今の自分の姿が見たい、と言い訳だかなんだかわからない理由で写真を一枚撮らせた。その写真を本人に見せると桃子の衣装並みにピンク色に染まり、急いで衣装を脱ごうと騒いだ。 「お……おい、これ何だ、脱げねーんだけど……おいっ」 激しい運動をしても大丈夫なようにと、身体と密着する仕様のコスチュームは「変身解除」しないと脱げない。脱げない手袋とドレスを懸命に引っ張る小人の姿は、心和む風景だった。 僕が広場に移送用の箱を置くと、ツグミちゃんはマネキンのようにピタッと止まっている桃子に対して、何か言いたそうだった。 「さよならしなくて大丈夫?」 「んっ……に、人形だろ、こいつ」 「ま……確かにね」 僕は明日でこの箱庭を取り壊すことをポロっとこぼすと、ツグミちゃんは狼狽えた。 「えっ!? ……マジ? なんで?」 「いやあ、流石に邪魔過ぎるし、使い道もないし、もういらないって」 「嘘だろ!?」 つい口をついて出た本心に、彼女は再び赤くなった。やっぱり楽しかったみたいだ。 「じゃあこいつも……壊しちゃうの?」 「んー、そっちは確かプリガーの店か何かに行くんじゃなかったかな」 「……そっか」 ツグミちゃんの表情は寂しげだった。僕は悪魔の提案をした。 「……もしよかったら、もう一回やる?」 「はぁっ!?」 彼女は頬をピンク色に染め、口をパクパク開閉し、目を前後左右に走らせた。汗もかいている。しばらくの沈黙のあと、桃子の制服の裾をつまみながら、聞き取れないような小さな声で呟いた。 「……やる」 そして再び制服に着替えた後、モジモジと照れくさそうに、彼女は小声で尋ねた。コスチュームは青で固定なのか、と……。 ピンクを演じる第二幕は、さっきよりも楽しそうでノリノリだった。色々吹っ切れたらしい。青子ちゃんはブルーが好きだったからそっちで組んでいたのだが、ツグミちゃんはピンクがよかったようだ。 その後は撮影会が始まった。最初は恥ずかしがっていて表情もポーズも硬かったが、次第にこなれてきてしっかりと可愛らしいポージングや笑顔をとれるようになっていった。小さな子供の頃に戻ったかのような、天真爛漫な笑顔で、ここまでの彼女の笑顔を見たのは初めてかもしれない。 青くなった桃子と一緒に箱庭の隅々まで見て回ったあと、ようやく彼女は病院に戻ることに合意した。別れ際、彼女は桃子の手を握って「ありがとな」と呟き、移送用の箱に入った。 何度も飛び跳ねてかなり疲れたのか、車の移動中に彼女はぐっすり寝てしまった。僕も充足感に満ち満ちて、久しぶりに楽しい気分に浸ることができた。よかったかな、これで。相当無茶なことをやってしまったが……ま、この子が楽しんでもらえたならいいじゃないか。子供の夢を叶えるのがウチの僕の仕事だ。 彼女はライブまで耐えた。身長は下げ止まり、無事ライブに行くことができた。勿論、後ろの方からケースに入った状態で、だが。とはいえ、激しさを売りにするだけあり、後ろのほうにいてもズンズンと音が体に響くし、客の熱気も伝わってきた。ツグミちゃんは透明なケースの中、一人で楽しそうに首を振りまくった。 帰り際、僕は彼女から改めてお礼を言われた。プリガーごっこ楽しかった、ありがとう、と。 「なんかさ、思ってみるとバカみたいだよな。もうすぐ死ぬってのに、なんで恥ずかしがらなきゃいけなかったんだろうな」 彼女は照れくさそうに続けた。 「生きてりゃ楽しんだほうが得じゃんね」 ライブも来てよかった、と重ねてお礼を言われ、僕はすっかり素直になった彼女を微笑ましく思うと共に、心がチクリと痛んだ。死を受け入れてしまった人間の素直さだったからだ。 「ありがと、伊藤さん」 病院まで付き添い、彼女と別れた。これでもう彼女と会うことは……二度とないだろう。成り行きで相当踏み込んでしまっただけに、今回の別れは心に重かった。 「はい……はい……それは……おめでとうございます……いえ……いえ……はい」 口角が上がる。胸の中に暖かいものが広がり、全身の重みが消えていく。 「心よりお喜び申し上げます……はい……失礼します」 歌でも歌いだしたい気分だ。席に戻ると、何か良いことでもあったのか訊かれた。 「青葉ツグミちゃん、寛解したそうです」 「えー! よかったじゃないですかー!」 神様も残酷なばかりではないらしい。ツグミちゃんはあれ以来縮小が止まり、とうとう寛解したと認められたのだ。退院日、お祝いに駆け付けると、彼女はちょっと気まずそうに微笑んだ。退院祝いに制服とベルトを上げると、真っ赤になって怒ったので、僕は心から安堵した。この先も生きているから恥じらいはある。 後日、五歳の女の子の夢「ドールフェアリーに会いたい」をどう実現するかの会議が行われた。妖精がわちゃわちゃする内容の、今放映中の女児向けアニメだ。青子ちゃんの時のロボットのノウハウを生かして……という話になった時、僕の中に違うアイディアが浮かんだ。小さな可愛らしい妖精さんなら心当たりがある。 ツグミちゃんはドールフェアリーを演じることを快諾した。かなり恥ずかしがってはいたが。アニメを見て勉強し、彼女は完璧に女の子の前でドールフェアリーを演じきった。フリフリの衣装を着て、髪をピンクに染め、キンキンのアニメ声で喋る彼女を見ているこっちが恥ずかしくなってきてしまうぐらいに。彼女も恥ずかしいのは恥ずかしいらしく、顔はだいぶ赤くかったが。 終わった後、ツグミちゃんはデスクの上で僕に囁いた。 「なあ、ドールフェアリーってさ、指でよしよしされるの好きなんだってさ」 上目遣いで何かを期待している眼差しだった。僕は人差し指を彼女のほっぺたに押し付け、軽くスリスリ撫でた。 「……こう?」 彼女は照れ笑いしながら、しばらく黙って撫でられるがままだった。指を話して数秒後、真っ赤になって移送用の箱に逃げ込んだ。 プリガーの制服に着替えて(普段着にしているようだ)出てきた後、雑談の中でツグミちゃんは僕をジッと見上げながら言った。 「なあ、伊藤さんって彼女いんの?」 「ん? 今いないよ。先月別れちゃって」 「ふーん……」 「何?」 「別に」 彼女はにっこりと微笑みながらそう言うと、小さな小さなコップを手に取り、美味しそうにお茶を飲み干した。

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