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「あー、文化祭ずっと続けばいいのになー」 なんてことをボヤキながら友達と別れた帰り道。滅茶苦茶楽しかった文化祭準備は終わり、明日から二日間の文化祭本番が始まる。一人になったところを、見知らぬ老婆に声をかけられた。 「文化祭をずっと続けてみたいのかえ?」 「?」 突然話しかけられたので戸惑った。周囲には誰もいない。私に言っている。何だろう……ちょっと怖い。 「えーっと、すいません、私……」 「これ」 サッサと立ち去ろうと思ったけど、お婆さんは食い気味に私の言葉を遮り、手招きした。どこからともなく、四角形のケースのようなものを取り出している。厚く黒い台座の上に、丈夫そうな透明の箱が乗っかっている。何だろう……アクリル? 中学の美術で見たかも。透明な板に囲まれた空間には何も入っておらず、曇った世界が渦を巻いているように見えた。その渦を二秒ほど眺めているうちに、警戒心が溶けていき、私は不思議な興味を抱いた。 「なんですか、それ?」 四角形のスノードーム? 中身空っぽだけど。お婆さんは、これは時空を記録できる「思い出箱」だと言った。彼女が箱の中央を上から魔女みたいに長い爪でトン、とつついた瞬間、箱が四つに分裂した。 「わ!」 「これを、記録したい空間の角の隅に置くさね。四角形で囲むように……」 木製の机がいつの間にか置いてあった。こんなものあったっけ? でも私はその疑問がどうでもよいことのように感じられ、静かに御婆さんの説明に聞き入っていた。彼女は四等分された箱を机の角に設置し、向きが大事だと述べた。箱の角がちゃんと空間の外側に向き、かつ、隣り合う角と直線になる場所に置かなければならない。 (要するに……閉じ込めるみたいなイメージでいいのかな?) お婆さんは分割されたままの箱を私に手渡し、好きなだけ文化祭を楽しみな、と告げた。 「え? あっ、えっと、でも……」 これって売り物? だったらお代は? ていうかお婆さん何者? 等々、急に疑問が頭に湧きだす。しかし、気づいた瞬間お婆さんはいなかった。道には私一人で、誰もいない。机も消えている。私の手に台座ごと四つに分割されたアクリルの箱だけが残っている。 (え? あれ?) 何これ。魔法? 幻覚? 妄想……。私、おかしくなっちゃったんだろうか。それとも何かの撮影だろうか。ユーチューバーのドッキリ企画みたいな……。 しかし数分ほどあたりを探しても、お婆さんも撮影者も見つからなかった。やっぱり今のは……私の妄想か何か? でもコレは……。私は分割されたまま箱の四隅を眺めた。これは幻覚じゃない。この箱は本当にある。 (どーしよ……) この箱、もらっていいの? いやこんなのもらっても困るけど。切断されたアクリルの箱とか使い道ない。捨てていいのかな? いや拾い物ですって交番に押し付けた方がいい? 私はお婆さんの言葉を思い出した。思い出箱だっけ。本当かな? でもそんなの普通ありえないよね。やっぱりドッキリ……もしくはボケた徘徊お婆さんに捕まったのか……。 (でももし、本当だったら?) 突然現れたり消えたり。お婆さんも机も。もしかしたら……。まあ、よく考えてみたら別に私が困るわけじゃないか。私は来た道を引き返し、高校へ戻った。あのお婆さんが仮に魔女だか妖怪だったとして、この箱が本物だったとする。そしたら……文化祭を「記録」してみたいと思うし、別のことに使って祟りとかあっても嫌だから、言われた通りに使おうと思ったのだ。 高校についた。まだ人はまばらに残っているけど、流石にもう静かだ。日が落ち、運動場にも誰もいない。えーっと確か、これで囲えばいいんだっけ? 高校を四角形で囲むよう配置すればいいのか。 西の校門の角、つまり駐輪場の隅に一つ目を置いた瞬間、いろんな不安に襲われた。ここだいぶ目立つなあ。文化祭の小物を誰かが落としたと思って朝に拾われないだろうか。ていうか、小さい……。箱は高さ20センチあるかないか。15センチぐらいかもしれない。とにかく定規ぐらいだ。こんなものを置いたところで、高校全体が入るんだろうか。地面と校舎の基礎だけ「記録」されるかも……まあ別にいいか。どうでも。 でも、他人に拾われるのはよくない。結果は見たい。本当に記録されたらすごいし、ダメだったらそれはそれで、徘徊お婆さんのボケだったのだと、不思議な出来事に結論づけてスッキリできる。 見つからない場所はないかな。高校の敷地にこだわる必要もないか。私は校門から少し出て、道路の脇の草むらに最初の角を設置した。立って通り過ぎると……うん、見えない。かな? あとはこれを基準に四角形か。私は道路をずっと東に歩き、校舎全体が直線内に収まる位置にきた。ここも草むらでいいか。設置する際、箱の切断面から赤い線がちょっとだけ伸びた。 (?) 少し動かすと消える。ある範囲にくると出現する。これってもしかして……直線になってますよってサイン? わあ親切。でも、この赤い光どっから出てるの?中に何も入っていなさそうな、黒い台座から伸びている。ジョークグッズにしては手が込んでる。もしかしたら……本物? そこから北へ向かい、高校が四角形に収まりそうな位置に来た。が、ちょっと迷った。駐車場を入れようか、どうか……。どうでもいいような気もするけど。まあ入れといて損するわけでもないか。私はちょっと幅を広くして、駐車場を収めた。 最後の角は、駐車場を入れたせいで要らない住宅が数件入ることになった。直線じゃないとダメだから、最後の一個はズラせないんだよね。勝手に人さまの家の庭に置くのもなあ。どうしよ。全部置きなおし? それはちょっと。もう時間もかなり押してるし。帰らないとまずい。私は見つからないことを祈って、見知らぬ人の家のアプローチの隅に箱の角を設置した。赤いマーカーが二方向、直角に伸びる。オーケー……かな? 家の人に見つからないうちにと、私はそそくさとその場を離れ、逃げるように帰宅した。 翌日。いよいよ文化祭の始まり。寝て起きると、昨日の私は何ともアホな真似をしたものだと呆れる。最後の一個は通報されてもおかしくなかった。 まあいいか。全部忘れて文化祭を楽しもう。 登校の際、駐輪場近くのやつが誰にも拾われていないことを横目でチラッと確認。それ以降はクラスのコスプレ喫茶で接客したり、友達と一緒に回ったりして文化祭を楽しんでいるうちに、思い出箱のことは頭の中から綺麗さっぱり消え去ってしまった。 思い出したのは二日目の夜。片付けがほとんど終わり、名残惜しくみんなでゴミ出しに行っている時。 「あ~あ終わっちゃったあ」 「ねー」 「劇見れなかったなー」「たこ焼き食べたかったなぁー」 「来年また行こうよ」 「でもさあ来年受験じゃん?」 「今年の文化祭はもう回れないんだよねー」「あーなんか寂しい~」 うんわかる。本当に楽しかった。今年の文化祭。また回れたら……また……あ。そういえば思い出箱どうなったろう。まだ残ってるかな? 文化祭が終わり、一人また一人と帰っていく中、次第にそっちの方に意識が向いてきた。回収しとかないと。でも、できれば人に見られたくない。説明するの面倒だし、しても……ていうか知られたくないな。 私は隙を見てゴミ袋を一つ拝借して鞄に入れた。クラスの片づけが終わった後、私は鞄からゴミ袋を取り出し、急ぎ校舎北西の住宅に駆けた。が、既に家の明かりが点いており、庭に侵入するのはかなり憚られた。チラッと覗くと……ある。まだ。 しかし家人がいるのに回収する勇気が出ず、私はまた逃げるように立ち去らねばならなかった。あーどうしよう。思い出箱が本当かどうかは知らないけれど、家のやつだけは回収しとかないとまずい。 その日の深夜。私は決死の回収作戦に打って出た。家族が寝静まった中、音を立てないようこっそり家を出る。もし誰か起きて私がいないのに気付いたらまた面倒なことになる。私自身眠いし、迅速にやらないと。夜危ないし。 深夜の世界は静かだった。まるで世界に誰もいないような、私一人しかいないかのような寂寥感。あの文化祭が同じ日に……日付回ってるけど、起きてる間に行われた出来事だなんて信じられなくなるぐらいだった。 草むらから南側の二個を回収。すると、透明なアクリルの中に赤い靄が蠢いた。 (綺麗……) 電飾も何もない空間に、それも密閉されていない光られた空間に赤い光だけがあるのはおかしい。けど、回収時の私にはそんな疑問もわかなかった。ただ綺麗だと感じた。そして駐車場の一つ。そして問題の住宅。家の明かりは落ちている。よし。私は抜き足差し足で庭に侵入し、赤い霧を発する箱の欠片を回収した。よくバレなかったなあ。……ひょっとしてこの赤いモヤモヤも、マーカーラインも、私にしか見えなかったりするんだろうか? 住宅分の回収に成功した私は心底ほっとして、急ぎ帰路に就いた。家に入るときがまたドキドキ。深夜に徘徊したなんて知られたら叱られるなあ……。ようやく自室にたどり着いた時、私は心から安堵した。 (ふーっ、終わったぁ!) 全部終わった。……文化祭も。何だか寂しいな。私も全部の出店や体育館の出し物は見れなかったんだよね。クラスや部活のお店の手伝いもあったし、一緒に回る友達の都合もあったし……。 私は思い出箱をゴミ袋に入れて部屋の隅の放置したまま、遅い眠りについた。そして朝起きた時、寝不足で頭が回らなかったのと、元通り授業が始まることの残念さで、思い出箱のことは再び頭の片隅に追いやられてしまった。 その日の夕方、高校から帰った私は、思い出箱をゴミ袋から取り出した。四つに分割された箱。それぞれが赤い靄を発している。明らかに電気か何かじゃない。魔法のようだった。分割されたせいでアクリルの箱としては密閉されていない状態なのに、靄は箱の欠片から離れていかない。 (えー、でもこれ、どうすればいいんだろ) この後のこと、聞いてなかった気がする。くっつければいいのかな? 接着剤あったっけ? 私は四つを元通りの形になるよう、手でくっつけてみた。すると驚くべきことに、箱は切断面から一瞬赤い光を放ち、くっついたのだ! (うわっ!?) 切断など一度もされたことがないかのように、傷一つない。透明なアクリルの箱は完璧に復元された。黒い台座も。次の瞬間、四つの靄が中で混ざり合い、次第にはっきりとした形をとっていく。それは私の通う高校だった。高校のミニチュアが出来上がっていく。私は目を見開いてその過程を見つめていた。 校舎が、運動場が、駐輪場が、端っこには道路が、あの箱で囲った空間が再現されていく。透明なアクリルの中で、真っ赤な高校で形作られていく。靄ではない、質感のあるミニチュアになる。 (すご……) 本物だったんだ。私はお婆さんを疑ったことを心中で詫びた。そしてミニチュアは次第に色づいていく。赤から白……いや緑も。アスファルトも。まるで世界をそのまま切り取ってきたかのように、緻密に全ての色が再現されていく。ものの数分で、思い出箱は完成した。その中には、本物を縮小して閉じ込めたんじゃないかと疑うぐらいの、「文化祭の日の高校」を模したミニチュアが封じ込められている。出店、垂れ幕、門の飾り、全てが昨日までのままだ。終わったはずの文化祭がすっかり再現されている。 (はー! すごっ!) 私は箱をくるくる回転させて、四方から眺めた。どこもしっかりピッタリ再現されてる。端っこの駐車場も、住宅までも。ただ一つ難点があるとすれば、そういうところまで含めてしまったせいか、肝心の校舎が相対的に小さくなってしまったこと。校舎に絞ればよかったかな。しかも暗い。まるで夜のようだ。顔を箱に押し付け、目を細め、校舎の中を窓から覗く。中まで再現……されているのかな? あー、よく見えない。勿体ない。 思い出箱っていうのは、要するにミニチュア製造機なんだ。私はそう理解した。写真は結構撮ったけど、流石に迫力が違う。 (ありがと、お婆さん) 私は箱を棚に飾り、宿題に取り掛かった。箱の中で豆粒のような存在が動いていることに、その時の私は気づかなかった。思い出箱の中が夜だったからだろう。朝起きた時も、思い出箱の中が明るくなっていることに気づかなかった。現実も朝だったから。 その日開かれた文化祭の打ち上げで、私は思い出箱を自慢しようかと思ったけど、入手経路とかなんとか色々聞かれたら面倒だなあと思って結局何も言わなかった。明らかに魔法か何かだし、あんまり言いふらすべきものじゃないと思って。 打ち上げから帰った日、私はようやく思い出箱が本当に魔法の品なのだということを理解した。いる。誰かいる。中に。人が。全然気づかなかった。てっきり、単なるミニチュアなんだと……。 透明なアクリルで区切られた箱庭の中で、本当に文化祭が開かれていた。私は仰天して、二分ほど固まってしまった。え? 嘘でしょ? これ……マジ? 豆粒のように小さな生徒たちが、文化祭を楽しんでいる。これは……初日? だろうか? それとも二日目? 出店に人が並んでる。よーく見ると、焼いてる。たこ焼きを。焼きそばを。クレープも売ってる。それを小さな小さなお人形が受け取り……食べている。多分。 うわあ。すごい。これもう、本当の本当に魔法じゃん。あのお婆さんは魔女だったんだ。そうとしか思えない。思い出箱は、本当にあの文化祭そのものを「記録」していたらしい。 ほんの数日前のことなのに、私は懐かしいなあ、あ、そうそうこの時こういうのやってたやってたと感慨に浸りながらジッと箱の中の文化祭を眺めていた。そのうち箱世界も夕方になり、人が帰っていく。片付けないってことは初日か。豆粒みたいな人たちは箱の外に向かって歩き、消えていく。一日たてば、また箱の淵から現れるのだろうか。 (ああ。でも勿体ないことしたなあ) 駐車場や住宅まで含めたせいで、相対的に校舎や運動場が小さくなっちゃった。この辺に絞った方がよかったな。そしたらもっとよく見えたのに。 よく見ようと思って箱を持ち上げた時、指が黒い台座に触れた。すると赤い光が台座上に浮かび上がった。 (……?) それは、バーだった。スマホやパソコンで動画を見る時に出る、あのバーのようなもの。左端には二本の縦線も光っている。ひょっとしてこれは……一時停止? 二本の縦線にそっとタッチすると、箱庭が止まった。中で蠢いていた小さな人形たちの動きが。時間が止まっている。木の葉も動かないし、光……太陽も動いてないっぽい。すごい。こんな機能ついてたんだ。じゃあ、バーは? 私はバーを指でタップして、左右にスワイプしてみた。すると期待通り、箱庭の時を操作できた。右へ進めば夜に二日目に片付けに、左に戻せば初日に、前日の夜まで。 (わぁ……) すごいなあ。本当に全部記録されてるんだ。この中に全部……。 私は自分がどこで何をしていたのか、スマホの自撮りも確認しながら思い返してみた。校舎から出てクレープ食べたのは初日の昼間だったな。バーを操作して初日の昼に。箱を机上に置き、上面からジッと中庭を観察する。私は確かあっちの方から……きた! いた! わたしが! 豆粒みたいに小さな私と友達のお人形が、確かにそこにいた。中庭を歩き、クレープの出店に並ぶ。おお……そうそう、確かにこんな風だった。この時間に、こういう風に買って……あ、食べた。自撮りしてる。 (いいなあ) 私は私を羨んだ。終わったはずの文化祭を、私の分身が満喫している。私もまた文化祭、回りたいなあ。来年か……でも今年の文化祭は今年っ切り。来年は来年の文化祭だから、違うんだよね……。 校舎内に姿を消していく私を目で追いながら、私は校舎内が見たいと思った。一番見たいのは校舎内にある。でも箱庭はアクリルの中で、校舎内は頑張って窓から覗くぐらいしかできない。融通きかないなあ。ズームアップとか視点変更とかないの? 台座の他の側面を指で擦ってみても、時間操作しかできないらしかった。 (う~) まるでお預けをくらった犬のような気分。この思い出箱はすごい。すごいせいで、もっと求めてしまう。でも流石になんでもって訳にはいかないかあ……。 結局は、外からあの日を眺めるだけ。飾るだけのミニチュアであることには変わりない。数日のうちに、私の興味は思い出箱から薄れ、よくできた棚の飾りとして自室の風景に溶け込んでいった。 ある日埃を払おうと棚から取り出し、上面を払っている時だった。お婆さんがこの箱を割ったことを思い出す。私も割れるかな? 割ったら文化祭消えちゃうんだろうか。他の場所を記録して飾るのも面白そう。何となく上面の中央に爪を立て、コツンつついた。 瞬間、強い引力が私を落下させた。突然飛行機からダイブしたかのような感覚と衝撃に襲われ、自室があっという間に上空へ過ぎ去り、私は真っ暗な空間を落下していた。 「えっ、えっ、えっ、なに、何何なに!?」 パニックとはこういうのを言うんだろう。私の頭は真っ白で、ただただ恐怖で泣き叫んでいた。 「ぎゃあ~!」 「……さん! 田鎖さん! どうしたの?」 「えっ!?」 ハッと気づいた時、私は廊下に立っていた。教室の入り口は鮮やかに彩られ、お化け屋敷とコスプレ喫茶が並んでいる。多くの人が楽し気に廊下を行き来し、私に一瞥していく。 「ここ……どこ?」 「はあ?」 隣では友人たちが呆れたように突っ立っていた。なんで高校にいるの? 今日は日曜で……ていうか私、自分の部屋にいたのに!? あたりを見まわした。中庭にはテントが多く並び、反対側の校舎の壁には飾り付けがされている。今いる廊下は私のクラスのある廊下……。私のクラスはコスプレ喫茶になっており、クラスメイト達がメイド服や魔女衣装で接客していた。隣には暗幕で作ったお化け屋敷……。 「え? 嘘? 文化祭やってる!?」 間違いない。これは文化祭。先月終わった文化祭。そのまんまだ。友人たちは私を心配した。何か体調が悪いのかと。 「あ……ご、ごめん、ちょっと保健室!」 私はその場を離れた。校舎から出ないと。何が何だかわからないけど……確かめたいことがある。さっきまでだらしない格好をしていたはずの自分が制服を着て靴を履いている。そしてここは終わったはずの文化祭。ってことはまさか、もしかして……。 校舎の外に出ると、驚くべき光景が広がっていた。校舎は、運動場はリアルにそのまま、本物にしか見えない。毎日通っている私の高校そのまんま。でも、その外にあるはずの町の風景はそこになかった。厚い透明な板でかなりぼやけているものの、その外側に映っているのは間違いなく私の……自分の部屋だった。ものすごく拡大された、巨大な自室がぼやけて見える。 (嘘……ここって……) 私は全てを察した。ここは思い出箱の中……あの記録された文化祭の中なんだ! 「え~っ!?」 ど、ど、どうしよう。心臓がバクバク言ってる。閉じ込められた……ひょっとして? そんな、私はただ……分割できるのかな、って。まさか中に入れるなんて夢にも思わなかった。 とにかくここから出ないと。入れるんなら出れるはず。多分きっと。 私はピョンピョンジャンプした。が、何も起こらない。爪先立ちして手を伸ばしても、箱庭の上面には到底届かないし、何かが起きることもない。屋上に上ってもダメだろう。 (……どうしよう) もしもここから出られなかったら。永遠に繰り返される文化祭の中を生きる羽目になったら……。最悪だ。思い出箱……思い出し……ああ、言ったっけ。ずっと文化祭続けばいいって。でもそういう意味じゃないよお婆さん……。 とりあえず外に近づこうと駐輪場に行くと、分厚い透明なアクリルの板がデンとそびえたち、私を見下ろした。この箱庭の壁で間違いない。本来ならこの外に町が広がるはずだけど、あるのは道路一本だけで、その先は壁だ。 ボーっと見ていると、突然そのアクリルの壁から男子二人がニュルっと現れた。 「ひっ!?」 「?」 さっきまで箱庭にいなかったはずの二人は私をジロッと見つめ返し、そのまま運動場へ向かって歩き去った。ああビックリした。きっとこの日この時間、コンビニかどこかに行っていたんだろう。道路の外側は記録していないから、箱庭世界のいてあの二人は決まった時間に壁に向かって虚空に消え去り、そしてこの時間にまた戻ってくるんだ。きっと。 あの壁、もしかして出られたりする? 私はそっと壁に近寄り、恐る恐る手を伸ばした。すると粘性のある液体の中に手を突っ込んだかのように、私の指先は波紋を立てながら壁の中にニュルっと入り込んだ。 (うわ) 手首も入る。これ……出られる? 行っていいやつ? でも、箱庭から出られる可能性のありそうな選択肢は、このまま液状化したアクリルに突っ込んで突破するしかなさそうだ。仕方がない。行こう。覚悟を決めて。まさか壁の中に封印されるなんてことには……考えたくないなあ。 私は助走をつけて壁の中に突っ込んだ。全身がヌルヌルした気持ち悪い液体の中に浸され、水中にいるような抵抗感がある。私はその中懸命に歩を進め、壁の外へ向かって歩いた。 あとちょっと。段々輪郭がしっかりしてくる大きな自室の光景に向かって手を伸ばした時、指が外に抜けた。ヌルヌルした液体の抵抗が指先だけなくなった瞬間、勢いよく外に向かって引きずり出されるかのように全身が弾き飛ばされた。 「ぎゃああーっ!?」 ビクッと全身が震え、私は目が覚めた。顔を上げると自分の部屋だった。床に倒れていたらしい。服装も元に戻っている。制服じゃない。私は思い出箱を見下ろした。何事もなかったかのように、床に置かれている。分割もされていない。 (出ら……れた) 私は大きく安堵の息を吐いて、ベッドに倒れ込んだ。ああよかった。一時はどうなることやら。 落ち着くと、私は味わった恐怖をすっかり忘れ、思い出箱の真の力に魅入られた。再体験できるんだ。すごい。 バーを初日の朝に戻す。私が登校してきたタイミングに爪でつつくと、私は再び中に入り込むことができた。文化祭初日の時空に戻ってきたのだ。 あたりは文化祭の高揚感に満ちていて、あの日の空気そのままだ。すごい……もう一回、いや何度でも文化祭体験できるんだ! 私は自分がいけなかった店や出し物を堪能した。私は記録と違う行動をしてしまっているはずだけど、特におかしなエラーが起きるようなこともなく、周囲の誰もが自然に応対する。本当に時間が巻き戻ったかのようだった。 無事に文化祭をコンプリートした私は、箱庭から外に出た。おお……現実も時間が経ってる。ほんのわずかのつもりだったけど数時間。私はどこに行っていたのかと叱られた。箱庭と現実世界は同じように時間が流れているらしい。気をつけないと。 とはいえ、一旦全部回ってしまうと、思い出箱に入って遊ぶことはなくなった。だってもう全部知ってるし。リアルで友達と遊ぶ方が話題も更新されてて楽しいし。箱庭の中の皆もちゃんと受け答えするんだけど、当然ながら文化祭後の話題は知らないもんね。 暇なとき、たまに入り込んで遊ぶぐらいで、私は自分でも驚くほど思い出箱に入り浸るようなことにはならなかった。文化祭っていうのは終わるから特別なのかもしれない。 ただ、違う楽しみ方も編み出した。一時停止状態でも箱庭に入れることを発見した私は、漫画でしか見たことない「時間が止まった世界」を体験することができたのだ。全く新鮮な空間だった。止まっている。全てが。人も太陽も空気も木の枝も。ピタッと静止したままピクリともしない。それはパントマイムなんかとはまるで違う、次元の違う静止だった。その場に魔法で固定されたかのような、メデューサに石にでもされたのかと思うほど。皆生きていて笑顔で話している風なのに、その言葉が交わされることはない。 私が触ると動かせる。服の裾。スカート。私はかがんで友達のパンツを覗き見た。それでも皆、何も反応しない。私がいるはずのところに笑顔を向けたまま、髪の毛一本揺れることすらない。 (面白……) 男子が妄想するのもわかる。これはちょっかいを出したくなる。私は友達の服を脱がしてみたり、変なポーズをとらせたりして遊んだ。見知った顔が日常の場所でありえない格好をしているのが面白過ぎた。写真撮れればよかったのに。スマホはあるけど、この箱庭世界のスマホだから、データ持ち出せないんだよね。 そういう悪戯をしてから一旦外に出て、時間を再び流したあと中に入って反応を楽しむのも面白かった。我ながら友人たちに酷いことをしているとは思うけど、現実と隔絶された箱庭内の出来事だからまあ、いいでしょ。 中に入った私が記録と違う行動をすると、それ以降は流れが変わっていく。歴史のイフを見ているようで楽しめる。ふざけて知らない男子に告白してみたりとか。バーを最初に戻せば何事もなかったかのように記録通りの世界に戻るので、何やってもいいのだ。告白がうまくいってしまうと、現実でもちょっと意識するようになっちゃったりの弊害はあったけど。 一応、ふっと心配になって確認してみたこともある。現実の記憶記録も書き換わっていないかどうか。でも大丈夫、箱庭の出来事なんて誰も知らない。やっぱり、ここだけの世界なのだ。 三年生になり受験勉強が本格化すると、思い出箱で遊ぶことも少なくなってきた。中と外で時間の流れは同じだし。 思い出箱で確かめたい最後の事項はあることはある。私以外の人間は入れるんだろうか? あの日あの空間にいなかった人はダメかもしれない。でもいた人なら。友達とか先生とか……。複数人で一緒に入れたりしたら、それはきっと楽しいだろうな、と思う。でも思い出箱の存在を知られるのが嫌なので、その検証はできなかった。盗まれたり、なんか研究機関とかに持っていかれたりしても困る。 国語の過去問を解いている際、大人になり過去を懐かしむ主人公の下りに私は心を動かされた。この思い出箱は思ったよりずっとずっと、私にとって……未来の私にとって価値あるものかもしれないなあ。他の時空を保存してみたいという気持ちがなくはないけど、この高二文化祭をずっと大事にとっておこうかな。 私がもっと年をとったら。大学生なり社会人になり……その時にはきっとまた違う気持ちで思い出箱に入るんだろうか。この主人公のような気持ちで。二度と出てこなくなったらどうしよう。まあ、先のこと考えても仕方ないか。今は受験頑張らないと。 後でも高校時代に戻れる……そんな心の余裕こそが、思い出箱の一番の利点かもしれないと、自己採点しながら私はそう感じた。 その過去問の採点結果は、今までの国語過去問で一番高かった。

Comments

Anonymous

素晴らしい作品だ~何も悪いことは起きていないけれど、今までのように楽しくない未来が一番不安かもしれませんね。いい思い出が残るっていいですね:)

opq

感想ありがとうございます。変わり種でしたが気に入っていただけたなら良かったです。