立場が決める② (Pixiv Fanbox)
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2019-07-13 13:12:26
Edited:
2019-12-26 12:32:34
Imported:
2023-05
Content
よくよく調べてみると、私たちの変化は肌だけじゃなかった。安っぽいペラペラのコスプレ衣装が、いつの間にか厚くてしっかりとした硬度のある服になっていたのだ。触るとゴムみたいにブニブニした感触がある。形が固定されていて変えられない。普通に考えれば、動くとつっぱるはずなのに、何故か手足や腰の動きに柔軟にフィットした。だから気がつかなかったのだ。最大の問題点は、脱げなくなったこと。自力では脱げないという意味ではなく、物理的に脱げなくなっていた。プリガー衣装は私たちのツルツルお肌と癒着して、月夜ちゃんがいくら引っ張ろうが、一ミリずらすことさえできなかった。
「ねえ月夜ちゃん! 一体どうなってるの!? これじゃあ、立場どころか……本当に人形みたいじゃない!」
「まあまあ。相手は子供なんだから……」
「春香は黙ってて」
「えー」
月夜ちゃんは「わかんないよー」を繰り返すばかりで、ちっとも頼りにならない。しかし、原因はたった一つしか考えられない。彼女の術。
「多分だけどー」
春香の推測だと、書き換えた立場「月夜ちゃんの人形」に、私たちの体が適合し始めているのかもしれない、ということだった。うん、私も大体そんな感じなんじゃないかと思う。しかしどうにも信じられない。中学生が独創した霊術が、ここまでの影響力を持っているなんて。腐っても朧家の血ということか。
「も、もういいわ。今すぐここで元に戻して」
「う、うん」
流石に月夜ちゃんも大人しくなり、術式を展開した。
「はい、じゃあ書き換えるよ。……あれ。何にすればいいんだっけ」
「『人間』でしょ」「『退魔師』じゃなくて?」
「なんでもいいから、お願いね」
「う、うん……」
月夜ちゃんはしばらく無言であれこれ陣を操作していた。だけど、その手の動きは明らかに震えていた。段々指先の動きが早くなり、あっちへいったりこっちへいったり、フラフラと落ち着かない。表情もだんだんと余裕がなくなっていくのが見て取れた。
「うまくいかない?」
「あ、はい……。おかしいな。あれ? どっちだっけ? こっちがこっちで……」
「ちょ、ちょ、ちょっと、大丈夫?」
「あっ」
そんな不安になるような声出さないでよ……。
五分後。月夜ちゃんが展開していた陣を消した。
「元に戻ったの?」
私は自分の体を眺めた。光沢のある綺麗なピンクの手は、どこか樹脂っぽい質感を残したままだ。髪もピンクのポニーテールのまま。腰より長い。スカートも花びらのままだ。春香の顔は中学生ぐらいに見える。肌きれい。
「ごめんなさーい。なんかうまくいかなくって……」
やっぱり。だろうと思った。
「どこで躓いたの?」
「人間とか、退魔師とか、お姉さんとかに書きかえようとしたんだけど、なんか弾かれちゃって……」
「ええっ、人形から戻せないの?」
「うん……」
月夜ちゃんはしょんぼりと項垂れて、縮こまった。叱られるのを待つ幼児みたいだった。
「何か、心当たりとかは?」
「わかんない……」
「じゃあ、今までこの術が上手くいかなかった時は、どんな時?」
「それはほら、無茶な書き換えとか……。あっ、そっかぁ。だから弾かれたんだ」
原因はおそらく、私達の体が「人間」という立場を与えるのが難しいほど、人間から遠ざかり、人形に近づいてしまっていることだろう、というのが彼女の結論だった。
「何それ、確かにコスプレしてるし、なんか肌も樹脂みたいだけど、私たちは現にこうやって、生きてるじゃない。人間そのものでしょうが」
「でも、誰も私達を人間だとは思ってくれてないよ」
「だから、それは、立場を書き換えているから……」
「お嬢様。こちらにお出でですか」
突然、ノックと同時に渋い声が響いた。月夜ちゃんは反射的に「うん」と答えて、ドアを開けた。
「お夕飯の支度が出来ました」
壮年の男性が顔を覗かせた瞬間、私たちを更なる災いが襲った。
「……っ!?」
突然、時間が停止した。体が全く動かない。髪の毛まで空中で固まり、揺れもしない。目線も動かせず、声も出せなかった。
(……なっ、なにっ!? これは!?)
(金縛りの術!?)
金縛りならすぐ解ける。霊力を開放して、解除しようと試みた。しかし、私達に金縛りの術はかけられていなかった。
(う、うそ!? なんで? どうして動けないの!?)
(お、落ち着いて里奈!)
(こ、これが落ち着いていられる!?)
春香とは霊力を用いて意思疎通ができた。春香も固まっているらしい。この執事みたいな人が……?
「すぐいくー」
月夜ちゃんは執事の後を追って、部屋を出ていこうとした。私たちが固まっていることには気づいてない。
「あ、お姉ちゃんたちも食べる? 後でなんか持ってくるねー」
(あっ、待って! 月夜ちゃん! 体が動かないの!)
ドアは静かに閉じた。ピンクの遊び部屋には、私と春香だけが取り残された。静まり返った部屋の空気が痛々しい。
(ちょっとぉ……本当になんなの!? この金縛り、全然解けないんだけどっ)
(落ち着いて春香、これは多分、金縛りじゃないわ)
(じゃあ、何なの)
(それは……)
固まっていた手足が、徐々に動き始めた。それは、私が動かそうとして動かしたのではない。何かに引っ張られるかのように、私たちの意志とは無関係な力によるものだった。そして、その力は体内からきていた。「元に戻ろう」とする動き。まるで伸びたゴムやバネが元の位置に戻ろうとしているかのようだった。
(あっ、ちょっ、うんん……)
(体がっ……勝手に……っ)
私は両足を肩幅に開いて立ち、左手を腰に当て、右手で横ピースを作って頬に当てた。手足はそこで止まり、再び停止した。まるで、最初からこの形で整形されたフィギュアであるかのように、ピクリともしない。私はこの強制ポージングに対し、全く抵抗することができなかった。力んで動きを遅くすることさえ。手足に指令を出せない。
(ああぁっ……)
表情筋も独りでに動き、明るい笑顔を作らされた。勿論、楽しくて笑っているわけでは断じてない。泣き叫びたいくらいだ。そして朗らかにウィンク。加えて、髪も動いた。風も振動もないのに、生きているかのようにうねる。感触からすると、S字になったっぽい。ピンクのポニーテールは躍動感のある形を取り終わると、嘘のように固まった。カチンコチンだ。樹脂みたい。そこで私の時間は凍結された。私のとらされたポーズと表情に、物理的な苦痛や抵抗は一切感じられない。永遠にこの姿勢でい続けても、体を痛めることはないだろうと思うぐらい、「自然」に感じられてしまった。まるでこれこそが本来あるべき姿だとでも言わんばかりに、「楽」だった。
(やだー、これ昨日の撮影会のやつじゃーん)
首も視線も動かせないのでわからないけど、春香も可愛らしいポージングを強制されて、固まってしまったようだ。確かに、これは昨日やったポーズ。死ぬほど恥ずかしい。ただでさえ恥ずかしい格好をしているのに、こんな全力でポージングとらされちゃ、まるで私たちがノリノリでやっているみたいに見えるに違いない。それが一番嫌だった。
何がどうしてこうなったのか……。理由は明白だった。あの執事は関係ない。私達に与えられた「月夜ちゃんの人形」という立場が、いよいよその効力を増してきたのだ。
(で、でも……まさか、本当に人形になっちゃうなんて)
いくらなんでも、ここまで立場に適合させられるとは思わなかった。どうしよう。さっきから頑張っているけど、やっぱり体は動かない。私たちの体には、既に骨や筋肉がないのかもしれない。どこを切っても変わらない、均一な樹脂の塊に……。ゾッとする。そんなはずはないと思いたい。現に私たちは、まだこうして生きている。
(そういえば、今日何も食べてないけど……)
春香の呟きが、ますます私に冷や汗を流させた。もうあの時から、人形化が始まっていたんだ。気づきもしなかった。もうちょっと早く……。服が脱げなくなった時点で……。うぅっ。
(で、でも、すごい術だよね。こんなの、初めてだよ)
あ、当たり前でしょ。こんな恐ろしい術がその辺にあっちゃ困るよ。今までいろんな妖怪や悪霊と対峙してきたけど、ここまで抵抗できない状態になったのは初めてかもしれない。術を解こうにも、ただの変化術ではないので難しく、抵抗もしづらい。ただの金縛りや石化なら、内部から解く自信はあった。しかし、立場という概念の変化は初めてで、解決の糸口がつかめない。
(ていうか、もしも月夜ちゃんが見放したら、私達って……)
これ以上悪化しようがないと思っていたけど、まだあった。私たちは、今や完全に封じられていて、手も足も出ない状態だ。その上、私たちを人形になってしまった「人間」だと認識している……いや、「できる」のは彼女だけ。月夜ちゃんが私達を助けようとしなければ、永遠にこのままかもしれない。今更その事実に思い至り、私は焦った。
(な、なんとか……私達でできないかなぁ?)
(不可能じゃ……ないと思うけど、時間がかかりそう……)
月夜ちゃんがなかなか帰ってこないので、私たちはやきもきした。幸い、部屋に戻ってきた彼女は、すぐにまた解呪にとりかかってくれたので、私たちは安心した。
「えーと、ダメか。こっち……あっ、やば」
首も視線も動かせないので、音で判断するしかない。ものすごく不安を駆り立てる言葉ばかりがこぼれてくるので、私たちはドキドキさせられた。
「……うん、やっぱり人形の立場を人間に書き換えるの無理っぽい」
(ええーっ! そんなこと言わないで、何とかして!)
「だから、ちょっとアプローチ変えるね。さっきアイス食べてた時思いついたんだ~」
(何……なにか方法があるの?)
私たちの問いかけは通じない。どうやら、彼女は霊波で連絡する術を知らないようだ。こんなすごい術は持っているのに。チグハグな子。
「あっ、駄目か。あ、でもうーん……。プリガーだと怒るよね……」
(プリガー……? う、うん、いいよ、それでいいから。人間でしょ、プリガーって。多分)
プリガーだろうがコスプレイヤーだろうが、人間に戻れるのならなんでもいい。人間にさえ戻れれば、その辺は簡単に書き換えられるはず。今までの理屈通りなら。
「……よし! できた!」
月夜ちゃんが歓声を上げた。そして、腕で額の汗をぬぐう仕草を見せて、いかにも大変だったかのようにアピールしてきた。汗なんか流れてないくせに。
(何も、変わんないけど……)
私たちはプリガーの等身大フィギュアと化したまま、指一本動かせない。一体何が「できた」の?
「一日で人形になったんだからー、そうだねー、明日の夜まで待ってみて、ダメだったらまた別のやつ考えるね」
うっ……そうか。あくまで立場を変えるたけで、私たちの体を直接変化させる術じゃない。
「じゃ、おやすみー」
(え? ちょっと待って! 結局どうなったの!? 私たちは!? 明日までここで固まってるの!?)
月夜ちゃんは明かりを落とし、部屋から出ていってしまった。プリガーのグッズが一杯の薄暗い部屋に、私たちは再び取り残されてしまった。どうやら、今日はもうこのままらしい。うっ、キツイな。カチコチに固まったまま一晩放置だなんて。幸い、姿勢はすごく楽に感じるから苦痛ではない。でも、身動きがとれないのはやっぱり苦しいし悔しい。こんな格好で固められてしまったんじゃ尚更だ。
(里奈ー。里奈って今どんなポーズしてるのー?)
(どうでもいいでしょ、そんなことは!)
やることもないので、私は春香とだべり続けた。
(なんか、この部屋にいると、本当に月夜ちゃんのお人形になっちゃった気するね)
(冗談でもやめてよ)
春香の言う通り。遊び部屋に立ち尽くす今の私たちは、たとえ立場の書き換えがなくとも、月夜ちゃんのプリガーコレクションの一つに見えるだろう。もしも術が解けなかったら、本当にそうなってしまうわけだけど。それだけは、それだけは御免被りたい。
目が覚めても、私の体は昨日と寸分違わぬ姿勢で、しっかりと固まっていた。今何時だろう……。何にもわからない。月夜ちゃんは学校か。
何も動きのない部屋。動かない体。時間が長く感じる。春香と一緒じゃなければ、耐えられなかったかもしれない。
昼過ぎ(多分)に、お手伝いさんがこの部屋を訪れた。昨日春香を担ぎ上げて運んだ、あの人だ。彼女は私達をみて目を細めた。
「どっこいせ」
両手で私の腰を掴み、持ち上げた。空中に持ち上げられた私は驚いた。この人、そんな力持ちだったんだ!?
数秒、奇妙な浮遊感を体験した後、私は部屋の奥……プリガーコレクションが並べてある一角に置かれた。続けて春香も。この時ようやく春香の姿を見ることができた。私同様笑顔でウィンク、内股気味に立ち、両手を両頬に添えている。
(あはは、春香可愛い)
(でしょ?)
(調子乗らないの)
私たちを片付けたお手伝いさんは、簡単に床を掃除した後、ベッドの手入れを行った。部屋の中央に陣取っていた私たちが邪魔だったからどけたのだろう。ホントに、私達人形になってるんだ。頭でわかっていたつもりでも、改めて第三者から突き付けられるとショックだった。そういえば、この人昨日も私達を廊下で見かけて、人形扱いしていたっけ。この人には、昨日の私と、今の私が、まるっきり同じに見えているんだろうか。昨日は体を動かせたし、声も出せていた。そんなことは些細な違いなのだろうか。
彼女は私たちを元の位置に戻すことなく、部屋から出ていった。私たちはプリガーコレクションの中に混ぜられてしまったのだ。
(……っ)
嫌な感じだった。私という存在がすっかり消えてしまいそう。
(「立場」が何よ。プリガーフィギュアになんて、絶対なってやらないんだから)
(ねえ里奈、なんかおかしくない? ここ、こんな広かったっけ?)
(えっ、何が? どういう意味……)
今自分が置かれているのは、プリガーのグッズがまとめてあった場所だ。大きさなんて気にも留めてなかったけど、確かにおかしい。等身大フィギュア二体を並べて設置できるようなスペースはなかったはず。というか、この部屋自体がそれで結構余裕なかったはず。なんで私たちは、そんな狭くて小さいスペースに収まっているのだろう。
(里奈! ここだけじゃなくって、部屋全体が広くなってるよ!)
ほ、本当だ。さっきまではドアしか見えなかったからわからなかったけど、ここに置かれた今ならわかる。部屋が大きくなっている。いや、これは、ひょっとして……!
(私達、縮んじゃったみたい!)
(う、うそお! そんな!)
恐ろしいことに、人形という立場への適合は、固まって終わりではなかった。私たちは昨日より一回りも二回りも小さくなっている!
(ど、どうしよう?)
(どうにも……なんないわよ。月夜ちゃんが帰ってこないと……)
そういえば、昨日の処置はどうなったのだろう。失敗してしまったのか。とにかく、今はこの状況をなんとかしないと。流石に本物のフィギュア並みに縮んではいないようだけど、目線の高さは子供並みだ。正確にはわからないけど、百三十センチ……ぐらい?
(月夜ちゃーん、助けてー)
春香が悲鳴を上げた。流石に縮んだのは堪えたらしい。私もだ。だけど、今何時かわからないし、いつ彼女が帰ってくるのかもわからない。静かな部屋の一角で、私たちは黙って待ち続けるほかなかった。
更に時間が経過した。どれだけかはわからない。大分待ったような気がするけど、そうじゃないかもしれない。窓もない部屋なので、時間の感覚が麻痺してしまう。
(……? ねえ里奈! ちょっと動けるかも!)
春香が嬉しそうに叫んだ。こんなカチコチに固められちゃってるのに、動けるわけないでしょ? とは思いつつ、一応力を込めてみた。驚くべきことに、僅かながらも体を揺らすことができた。ほんの僅かだけど。
(ほ、本当だ!)
昨日、月夜ちゃんが行った施術がうまくいったのかな? 時間が経つにつれ、少しずつ体が動かせるようになっていった。それでも、ちょっと力を抜いてしまうと元のポーズに戻されてしまう。全身全霊で、ようやく手足がちょっと曲げられるって程度。グッズコレクションの中から抜け出すことは出来そうにない。それでも希望を抱くには十分だった。
「ただいまー。あれ? どこ?」
ついに月夜ちゃんが帰ってきてくれた。でも、私達を見失っている。
(ここ! ここだよ!)
私たちは、必死に手足を曲げてアピールした。その甲斐あってか、無事に彼女は見つけてくれた。もしも動けなかったらどうなったんだろう。このまま、ただのフィギュアとしてコレクションの中に埋もれてしまったんだろうか。恐ろしい……。
「あはっ、うまくいったみたい」
(昨日は何をしたの? 私たちは元に戻れるの?)
訊きたいことは山ほどあるけど、声はまだ出ない。
「書き換えるのは諦めてねー、付け加えることにしたんだー」
(加える?)
月夜ちゃんはさも革新的な閃きであるかのように、胸を張り芝居がかった口調で語った。人形の立場がマッチしすぎて手が出せないから、それはそのままに、新しい立場を書き加えたらしい。「月夜ちゃん専属メイド」という……。
(な、なななんで!? なんでメイド!?)
「あのねー、ただ『人間』とか『プリガー』とかじゃダメでさー、理由はなにかなって思って……。閃いたの。所有格じゃないかって。一昨日の術、よく思い出したら『私の人形』にしてたんだよね。だから自由な存在にするとバッティングしちゃうから弾かれてたっぽいの。だから、私のメイド。お試しだったんだけど、弾かれなかったからそのまま書いちゃった。まあメイドさんって人間だから、いいでしょ?」
(うん、まあ……別に構わないけど……)
メイドかあ。ま、この体で扱き使われるなんて物理的にありえないか。とにかく人間にさえ戻れれば、あとはメイドを退魔師に書き換えて終わりだ。うん。問題なし。
私達には、今二つの立場が混在している。一つは月夜ちゃんの人形。もう一つはその専属メイド。彼女曰く、メイドの方の影響が出始めれば人形色が薄まるはずだから、そしたら人形の方を書き換えてしまえばいい、という理屈。
(うん、いいんじゃない?)
実際、少しずつだが体が動かせるようになってきている。動けないんじゃメイドは無理だからだろう。
(うー、でも今日もお泊りかあ)
春香がぼやいた。まだ二日だけど、さらに数日かかりそうだし。こんな長期滞在になるとは夢にも思わなかったね。
ともあれ、しばらくは様子を見るしかない。願わくばメイド成分が勝ってくれることを祈るばかりだ。
翌日。体の縮小が止まった。現在約百センチ。三桁は死守。体も大分自由になって、歩けるようになった。でも特に体を動かしていないと、元のポージングに戻ってしまう。まだ人形成分が強くて、書き換えは無理らしい。
さらに次の日。ちょっと大きくなってきた。百二十センチ。服に変化があった。プリガーの衣装が、少し単純なつくりに。「あ……」とか「う……」とかなら声を出せるように。私たちは遊び部屋でゴロゴロして過ごした。やることもないし、廊下に出ても恥ずかしいやら惨めやら……。そうしていると、ベッドの手入れを始めたお手伝いさんから
「あんたたち、ちゃんと働きなさい」
と叱られた。私たちは何が起きたのかわからず、しばし茫然としていた。そして、嬉しくなった。私たちは、もう「人形」ではなくなったのだ。しかし、まだ人形という立場も残っているためか、それ以上は強く言われなかった。
(そっか。月夜ちゃんのメイドってことは、このお屋敷の人……あの人の部下ってことになるんだ)
明日からはもっとしっかりと「メイド」として扱われるようになるはず。この体で家事をするのは大変だ。明日にはもう少し戻っているといいけど。
さらに一日。休日なので、朝から月夜ちゃんがいた。私たちは一通り喋れるようになり、ポーズの矯正もなくなった。私は春香と手を取り合って喜んだ。身長は百二十センチのままだけど。
「よかったねー」
「はいっ、お嬢様のおかげですっ!」
(えっ……あ)
私は真っ赤になって口を両手で覆った。そんなつもりは全くなかったのに、自然と敬語に直されてしまった。しかもお嬢様って……。
「えっ、何それ何それ! もっと聞かせて!」
「おっ、お断りしますっ、お嬢様! ……あ」
「きゃー、可愛いーい」
月夜ちゃんは私たちを抱きしめ、愛でた。今の私たちは小学校低学年ぐらいの身長しかないので、全身彼女の腕に埋まってしまう。大人の体型はそのままに縮小しているから、実際の手足は子供より細い。まだまだ人形……小人という印象を受ける。
「は、離してくださいっ」
春香も私同様、敬語で話すことを義務付けられてしまったようだ。やれやれ……。
その日から、私たちはこの部屋の清掃を任された。大分お世話になっているし、まだ数日は泊まることになりそうなので、大人しく従った。事故があったとはいえ、霊力を取り戻してくれた恩もある。とはいえ、このサイズではやれることに限りがある。ベッドは「上司」になったお手伝いさんにお任せして、私たちはもっぱら床や棚の掃除にあたった。特に棚やグッズスペースはお手伝いさんが手を出せなかったところなので、月夜ちゃんに喜ばれた。
さらに数日が経過した。おかしなことに、身長はこれ以上戻らなかった。待てども待てども、百二十センチのまま。体は動くとはいえ、樹脂みたいな質感を残しているし、顔はアニメキャラみたいだし、髪もカラフルなままだ。衣装も体と一体化しちゃって、脱げないままだ。その上、日に日におかしな方向性を見せ始めていた。プリガー衣装は少しずつメイド服っぽくなってきたのだが、完全にメイド服に変わり切ることはなく、二つが融合したデザインで止まった。もはやプリガーではないけど、メイドともいえない。エプロンドレスにカチューシャはメイドっぽいけど、私のはピンク、春香のは水色のままだ。過剰なフリルが施され、胸や腰にある大きなリボンも据え置きだった。「メイドをモチーフにしたオリジナル魔法少女」という表現が一番しっくりくるだろう。私の髪型がピンクの長いツインテールに、春香がふわふわした水色ロングに変わった時点で、変化が止まった。私たちは「メイドっぽい魔法少女」の姿で固定された。この衣装も、相変わらず体と一体化していて脱げない。
ゲームの相手をしている時に、私は月夜ちゃんに尋ねた。
「あの、月夜お嬢様」
「ん? なーに?」
「私共の立場をお書換えになってください」
「あー、それねー、なんかできないの。ゴメンねー」
「そ、それはどういう意味でしょうか? もう十分、人間に近づいていると思います。一昨日から変化も止まっておりますし、そろそろ」
「えー、待ってよー。もうちょっとだけー」
「いけません」
月夜ちゃんはゲームを打ち切った。不機嫌そうに眉を吊り上げ、聞き返してきた。
「私のこと、嫌いー?」
「いえ、そんなことは……」
ああもう、鬱陶しい。いちいち敬語に直されるのは心底ストレス。
「お姉ちゃんたち、可愛いし、優しいし、遊んでくれるし、掃除してくれるし、もっと一緒にいたいんだー」
「私共にも、自分の生活というものが……」
「もうちょっと! もうちょっとだけだから!」
「しかし……」
「ダメ?」
うーん。二週間。もう十分すぎるほど御厄介になっちゃったし、遊び相手や清掃要員も務めてきたとおもうんだけど、まだ足りないの? いい加減に解放してほしいよ。
「お嬢様、私共は……」
「あと一日! もう一日だけ! お願い!」
月夜ちゃんは勢いよく両手を叩きつけ、手のひらを合わせて懇願した。
(まあ、いいんじゃない?)
(春香ってば、またそんな……)
(いつでも元に戻せるとこまできたんだしさ、封印解いてもらえた恩もあるし)
(そりゃ、そうだけど……。でも、流石にもういいでしょ。この格好も恥ずかしいし……)
(えー、里奈チョー可愛いのにー)
(もうっ、やめてよ!)
「いいの? いいんだね? やったー!」
「あっ、いえ、その……」
少し春香と話している間に勝手に押し切られてしまった。……まあしょうがない。霊力を封印されてからずっと本業は休業状態だったから、急ぎの用事があるわけでもなし。私たちはもう一日だけ、月夜ちゃんに付き合ってあげることにした。
翌日、最後の日。平日なので、夜まで待つ羽目になった。彼女が学校から帰ってきてすぐ、私は切り出した。
「お嬢様。昨日の……」
言い終わらないうちに、月夜ちゃんが甲高い声で騒ぎ出した。
「やーだー! お姉ちゃんずっといてくんなきゃやだー!」
あーもー。我儘な子だなぁ。中学生とは思えない。末っ子だとこんなもんなの?
「ずっとここにいてよー! ね? いいでしょ? 大切に遊んであげるから!」
私たちが遊んであげてるんでしょ! ほんとにもう。昨日もそれで、結果「あと一日だけ」って約束したんだから、ちゃんと守らなきゃダメじゃない。そう言おうとしたのに、
「かしこまりました。私はずっとここにいます」
と口が独りでにセリフを変えた。
(えっ!? 何今の!?)
「ほんと!? やったーっ! 春香ちゃんは!?」
「私もです」
(あれ?)
私はパニックに陥った。確かに、私は今断るつもりだったのに。
「ち、違います。お嬢様。今のは間違いです」
「だーめっ、言質とーったっ。約束したからねー!」
「で、ですから、今のは、口が勝手にですね、ええっと……」
「はい、この話題お終いっ!」
「……っ!」
突然、私はそれ以上異議申し立てができなくなってしまった。声が出ない。空しく息を吐くだけだった。
(春香! あなたから言って! 私、言えなくなっちゃった)
(ごめん里奈。私もなんか、言えない……)
(ええっ!?)
また喋れなくなってしまったのだろうか。私は違う話題を振ってみた。
「お嬢様。ご一緒にゲームをしましょう」
あれっ、言えた!? おかしいな。
「やるやるー!」
その後しばらく遊び相手を務める羽目になったが、何故か立場の書き換えに関してだけ、言葉を形にすることができなかった。それ以外は話せるのに。
(春香! 理由わかる?)
(月夜ちゃんが言うなっていったからかな……?)
(なんでこの子が言うなって言ったら言えなくなるのよ!)
(ひょっとして、メイドの適合が進んだのかな?)
(えっ!?)
寝耳に水だった。人形の立場さえ薄れれば、とにかくそれでいいと思い込んでいた。メイドという立場が濃くなることに、そんな落とし穴があったなんて。
(私達、月夜ちゃんの命令なんでもきいちゃうってこと!?)
(こ、このままだと、ひょっとしたらそうなるかも……って)
(じょ、冗談じゃないわ!)
でも、今月夜ちゃんに何か言うと逆効果かも。変な命令を受ける前に……。逃げてしまおう。
夕食時。彼女が部屋から消えた時を見計らって、私たちは逃げ出してしまうことに決めた。立場は、帰ってから術を研究して、自分たちで解けばいい。もう自由に動けるんだから。
こっそりと廊下に出て、屋敷から出ようと静かに歩き出した瞬間、背中側から声がした。
「あなたたち」
「はい」
私たちはクルリと振り返り、スカートの前に両手を重ねた。勿論、体が勝手にしたことだ。部屋からほとんど出ないせいで、気にしていなかったけど、他のお手伝いさんたちの言うこともきかされちゃうかな……。
「これ。届いてたから飾り付けておきなさい」
心底嫌そうな口調で、手に持っていた小包を私に手渡し、足早に去っていった。月夜ちゃん宛だ。察するに、ついさっき届いたコレを彼女に見せて確認したところ、開封して部屋に飾っとくよう言われたのだろう。面倒だから通りかかった私たちに投げたのだ。
「もうっ……」
抗うこともできず、私たちは遊び部屋に逆戻りすることになった。足が言うことをきかない。まあ夜でも逃げられるか……。逃げられるよね?
中から出てきたのはプリガーの玩具だった。飾り付けるって言ったってなあ。グッズコレクションの目立つところに置いとけばいいか。
設置した時、彼女が戻ってきた。
「あれどこ?」
「ここです、お嬢様」
「あっすごーい。わかってるぅー」
「ありがとうございます……?」
適当に置いたのに、何故か彼女はそれがいたく気に入ったようだった。アニメと同じとかなんとか……。偶然の一致というやつだ。
「そうだっ、これから私のコレクション、お姉ちゃんたちが管理してよ。ずっとこの部屋いるんだしさっ」
「かしこまりました、お嬢様」
私たちは裾を持ってお辞儀した。変な仕事言いつけられちゃったな。プリガーとか全然見てないのに。わかんないよ。
「可愛く飾り付けてねっ。表に出てるのは全部」
「はい」
現状で十分だと思うけど。特に手入れるとこなくない?
彼女がお風呂に入っている間、私達の体は独りでに動き出し、コレクションの整理を始めた。
(もー、なんで私がこんなことしないけないのさー)
(いいじゃない、今日の夜でお別れなんだから)
(そりゃそうだけど……)
というか、既にしっかり飾り付けられているのに、私達はなにをしているんだろう。私の手は、コレクションの中央に大きな空きスペースを作っていた。ここに何か飾るの?
結構大きなものが置けそう。箱から出せていない置物でもあるんだろうか。でも表に出てるやつだけって……。
答えはすぐに出た。私と春香は空いたスペースに自ら乗り込み、ドアの方を真っ直ぐ向いた。
「あっ、これは……」
「ダメっ!」
叫ぶのも時すでに遅く、私は軽く腰を曲げ、右手をほっぺに添えて、左手でスカートの裾をつまんだ。春香は祈るように両手を組み、それを顔のすぐ下まで近づけ、上目遣いになった。駄目だ。体が動かない……。表情もあの時同様、勝手にコントロールされてしま、私は可愛らしいウィンクを強要された。私たち二人は、それでもしばらく抵抗を続けた。体全体がポーズを保ったままブルブルと震える。それもすぐに力尽き、私たちはカチンコチンに固まってしまった。もうピクリとも動けない。
(そんなー! また人形になっちゃった! なんで!? ねえ里奈、なんで!?)
(わ、忘れてたけど……私達、まだ「月夜ちゃんの人形」だからよっ)
そう。「立場」は二つあった。月夜ちゃん専属メイド、そして月夜ちゃんの人形。だから、私たちは……私達も、彼女の「コレクション」の一つなのだ!
(うそっ、信じらんない……)
自分で自分を彼女のコレクションとして飾り立ててしまうだなんて、これ以上の屈辱があるだろうか。
(私はっ……! んー! あなたの人形なんかじゃないんだから! メイドでもないわ!)
脳内でいくら吠えても、聞いてくれるのは春香だけだ。というか、これいつまで続くの? 今日の夜、逃げられる? ひょっとして……ずっとこのまま? まさか!
焦燥感が募る。ど、どうなるの私達!?
お風呂から出た月夜ちゃん。それはもう大変な感激ぶりだった。私たちが自らをコレクションと位置づけ、「おのずと」この部屋を可愛く飾り付けてくれたことが、相当に嬉しかったらしい。
「すっごーい! お姉ちゃんたちサイコー! ……あ、でもずっとそうしてたらお掃除とかできないから、そういう時は動いていいからね。あと私と遊ぶ時」
「かしこまりました、お嬢様」
私たちはポージングと表情を極力崩さずにそれだけ言うと、また物言わぬ特大フィギュアに戻った。喋れない。動けない。そんな。
屋敷が寝静まっても、私たちは自由になれなかった。時間を凍結されたまま、遊び部屋を彩り続けた。これじゃ逃げられない。
(私達、どうなるの? まさか、これからずーっと、ここでカチンコチン!?)
(まっ、まさか……。そんなこと……)
そのまさかだった。翌日、目が覚めても体は固まったまま。昼頃になると急に体が動き出したが、それは遊び部屋の掃除をするためであった。逃げようにも、体は掃除を優先させてしまう。それが終わると、元の位置に戻り、昨日とは違うポーズで固められた。あざといぶりっ子ポーズだった。顔から火が出そう。
(ど、どうする!? これじゃあ……)
(何とかして、自分で解くしかないわ)
(でも、動けないんじゃ……)
悔しいがその通り。既に対策を編み出している術なら、動かずとも解呪できるが、この術は一旦研究する必要がある。人形になっていたのでは、それができない。
(私達、ずーっとこのままなの!? やだぁー!)
春香が叫んだ。普段お気楽な春香でさえ、この状況には絶望してしまうらしい。そりゃそうだ。今の状況を論理的に省みると、「詰み」の状態に近い。自力ではどうにもできないし、月夜ちゃんは私達を手放すつもりはない。というか多分、あの子は自分たちが望んで……いや、承諾したうえで「人形メイド」になっていると思っているのかな。不味い。本当に不味い。そして他の人たちは、「月夜ちゃんの人形」「月夜ちゃんの専属メイド」という立場に則って私達を認識するから、何一つ「おかしい」とは思わないし、疑う術を持たない……。
胸がギュッと締め付けられる。う、嘘でしょ。こんなことってあり得ない。一生、あの子の玩具として生きるだなんて。
私達の嘆きは、誰にも聞き届けてもらえなかった。
ゲームの遊び相手を務める際、何とか自由にしてくれるよう頼めないか頑張ったが、この話題は出すことを禁止されてしまっているため、思うようにはいかなかった。何しろ受け答えは普通に行えてしまう分、月夜ちゃんは私達が納得ずくで人形になっていることを疑えないみたいだった。
(そんなことあり得ないって、わかるでしょ普通!)
(まーまー。怒ってもしょうがないよ。あの子の気まぐれを待つしかないんだからさ……)
死ぬほど悔しいけど、春香の言う通り。自力でどうにもならない以上、自由を得るルートはただ一つ。彼女が私達を解放してくれること。いつかその日が訪れることを祈るしかない……。
「人形」としてのお勤めが増えたからか、体が少し縮んでしまった。最終的に、私たちのサイズは九十センチほどで落ち着き、どれだけ経っても変動しなくなった。縮んだことでますます人形っぽさが強まり、他のグッズやフィギュアたちに馴染むようになってしまった。たとえ立場の書き換えがなくとも、今の私達を見てフィギュアじゃないと思う人はこの世にいないだろう。部屋の掃除と、彼女の遊び相手を務める時だけ動く、メイド風味の魔法少女フィギュア。それが私達だった。
せめて、もうちょっと普通のポーズをとらせてくれればいいのに。プリガーたちのグッズと雰囲気を合わせるためか、アニメキャラじゃないとしないようなあざといポージングと表情ばかりで、毎日死にたくなるほど恥ずかしく、情けない思いをしなければならない。月夜ちゃん以外、誰が見てるわけでもないのに。こんな醜態、見られても困るけど……。
月夜ちゃんがどこからか調達してきた、円形の白い台座。コレクションスペースの中央にそれが設置されるようになってから、私たちの屈辱は増した。メイドとしての仕事である部屋の掃除、グッズの整理。その一環として、私たちは自分を人形として飾る台座を、自ら磨かされるのだ。この時ほど無力感を抱く場面はない。綺麗になった台座の上に立ち、ポージング。そしてカチン。
このルーチンが日課として定着してから、何週間になるだろう。この様子だと、本当に、ずーっとあの子の人形兼メイドでいなくちゃいけないのかな。春香がいなかったら、精神が保てなかったかもしれない。
今日も二人で他愛のない会話をしながら、私たちはピンクの遊び部屋を静かに飾り続けた。