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私たちは朧邸の門前からにべもなく追い返された。こらえて下手に出ても、正面切って抗議しても、取り付く島もなかった。こんな横暴が許されていいのだろうか。かといって、私たちの業界は訴訟とかはできないし……。私と春香は肩を落とし、しょげ返ってお屋敷から離れた。 私たち二人は、県北の小さな町で退魔師を営んでいた。田舎なのでまだ妖怪なんかがそこそこ生き残っていて、割と商売繁盛していた。しかし半年ほど前に、業界大手の朧一門が私たちの地域にも乗り込んでくるようになった。私たちは別にどうでもよかったし、喧嘩する気など微塵もなかったのにも関わらず、近くの依頼を独占したいがために私たちに嫌がらせを始めた。余りにもやり口が理不尽だったので、私たちは意地になった。最終的に、何と彼らは私たちを罠に嵌め、術をかけて私たちの霊力を封印してしまったのだ。これでは退魔師を続けることなどできっこない。休業に追い込まれた私たちは、封印を解いてもらおうと、知り合いを片っ端から訪ねて回ったが、朧一門と対立するのを恐れ、全て断られてしまった。どうしようもなくなった私たちは、死ぬほど悔しかったけど、故郷を出ていくことにして、霊力を復活させてもらうことに決めた。にも関わらず、彼らは私たちにかけた封印を解くことを拒んだのだ。業を煮やした私たちは今日こうして敵の本拠地・朧邸に直接やってきたのだが、まるで取り合ってもらえず、今は近くの公園で意気消沈していた。 「ねえ……どうする?」 「粘るしかないよ……。許してもらえるまで」 「はぁ……」 許してもらう、かぁ。どう考えてもあっちが悪いのに。悔しい。でも封印されたままじゃ、余所に引っ越しても仕事を再開できない。転職も嫌だ。本格的にはないにしろ、子供のころから修行も積んできたのに……。こんな終わり方はあんまりだよ……。 公園のベンチに座って、行き交う人々をボーっと眺めているうちに、空が赤紫色に染まった。もう一度行こうか……と思った時、突然女の子が声をかけてきた。 「お姉さんたち、どしたの? 元気ないよ」 「え? ええ……」 中学生……だろうか。制服がとても高級そうだったので、さぞかしいいところのお嬢様なのだろう。健康的でスポーティな体に、溌剌としたスマイルが眩しい。 「もしよかったら相談乗るよー」 「ははは……ありがと。でも別に」 「んー? なんかすごーく困ってること、あるんじゃない? 妖怪とか絡みで……さ」 「え?」 私と春香はビックリして、互いに顔を見合わせた。子供の表情は自信に満ち満ちていた。 驚くべきことに、その子は名前を月夜ちゃんといって、にっくき朧家の子供だった。彼女は私たちに霊力を封印する術がかかっていることを見抜いた上で声をかけてきたのだった。信用すべきかどうか不安だったけど、藁にも縋りたい一心で、私たち二人はこれまでの経緯を彼女に話して聞かせた。 「えー、ひっどーい! お兄ちゃんサイッテー!」 ありがたいことに、彼女は私たちに同情し、味方になってくれそうだった。 「もし……もしよかったらでいいんだけど、月夜ちゃんからお兄さんに取り次いでくれない?」 「そーだねー。わかった。ちょっと待っててね」 彼女は快諾し、走って家に帰っていった。ひょっとしたら何とかなるかも。私と春香はちょっぴり気分が上向き、さっきまでよりはマシな気持ちで時間を潰すことができた。 夜になった。公園を横切る人影はまばらになり、辺りも肌寒くなってきた。この間、あの子は戻ってこなかった。ラインで「ちょっと待って」という連絡が来たきりだ。 「ねー、もう帰らない? 上手くいかなかったんだよー」 「でも、もうちょっと待ってて、って」 「電車なくなっちゃうよー。お腹空いたし」 「呑気ねえ」 近くのコンビニに寄って寂しい夕飯を済ませてすぐ、彼女が戻ってきた。大きな紙袋をいくつも持って。暖かそうな私服に着替えている。 「ごめんなさーい。遅れちゃったー」 半ば諦めかけていたのが嘘のように、私の心はドキンと大きく鳴った。 「ど……どうだったの!?」 「あー、それがですねえ……」 月夜ちゃんは苦笑いしながら、事の経緯を話し始めた。兄に頼んで私たちを許してあげるよう交渉してはみたものの、どうしても首を縦に振らなかったらしい。私たちに会おうともしないし、逆にもうそんな奴らと会うなと釘を刺されてしまったとのこと。 「そっか。わかったよ。色々ありがとね」 私と春香は肩を落とした。もう諦めるしかない。今までずっと、私たちなりに真面目に退魔師やってきたんだけどな。はぁ……。 「でね、私がちょっと作戦考えてきたんですよ」 月夜ちゃんは両手に持った紙袋を私たちにグイっとつきつけてきた。暗くてよく見えないけれど、中に入っているのは……服? 「お姉さんたち、プリガー知ってる? 私大好きなんだー」 えーっと、日曜の朝にやってる、女の子向けのアニメだっけ。そりゃ名前は聞いたことあるけど、そんなものこの年で観てるわけない。というか月夜ちゃんも中学生で見てるのはどうかと思う。 「あ……これ、その衣装?」 春香が呟いた。え? どゆこと? 紙袋の中にある服をちょっと引っ張り出すと、それはまさしく魔法少女のコスプレ衣装だった。話の流れからして、そのアニメの物だろう。 「???」 「あのね、私もお兄ちゃんたちほどじゃないけど、結構ほら、色々できるんだー」 月夜ちゃんは、自分が開発した独自の術式について自慢げに話し始めた。彼女はどうやら、「立場」を書き換える術が使えるらしい。 「ええ? そんな術、聞いたことないけど」 「当然でしょ。私が作ったんだから」 彼女は鼻を鳴らし、胸を張った。本当かな。朧一族が霊力強いのは知っているけど、この子は系統だった修行をしているようには見えない。霊力が封印されていてもそれぐらいはわかる。才能はありそうだけど。才能だけでそんな術を作った? うーん、本当だとしたら凄いけど……。心配だな。 「あーわかった。それで私たちの立場? を変えれば、会ってくれるかもしれないってことだね?」 春香が確認すると、月夜ちゃんが頷いた。 「で、この衣装がどう関係あるの?」 私の言葉に、月夜ちゃんが照れくさそうに笑った。 「んーと、それがね……」 「え……ええええええ!」 「そ……それはちょっと、流石に……」 「でもー、それ以外にこっそりウチに入れる方法ないんですよー」 月夜ちゃんが提案した作戦はこうだった。月夜ちゃんの「立場」を書き換える霊術を使って、私たちを中に招き入れ、兄を騙して封印を解いてもらう。問題はどんな立場に書き換えるか。朧家の邸宅は結界によって守られていて、許可のない人間や妖は立ち入れないようになっている。よって使用人等にしても、機械的に弾かれてしまう。弾かれた時点で怪しまれるから、例え立場を書き換えていようと許可は多分でない。結界を騙して入るには、人でも妖でもない立場にする必要がある。そして月夜ちゃんが導き出した答えが、「人形」だった。私たちを「月夜ちゃんの人形」という立場に書き換えて招き入れるというのだ! 「い、嫌よ! そんな恥ずかしい格好で……」 彼女曰く、立場の書き換えは無制限ではなく、ある程度の説得力が必要らしい。人間をホッチキスにしたり、猫を兄貴にしたりとかは出来ないのだそうだ。……「そのまま」では。見た目や立ち振る舞いを近づけ、説得力を増すことができれば、一見無茶な書き換えも可能になることがある……とか。つまり、私たちに人形っぽい格好、プリガーのコスプレをしろというのだ! 「べ、別に、人形っぽい格好っていっても、もっと他に」 「私、プリガーのフィギュアしか持ってないんですよー。それ以外に人の形した持ち物とかないし……」 プリガーのコスプレをすることによって、「月夜ちゃんの人形」に近づき、霊術で立場を書き換える……話はわかった。でもできない。 「え、何でですか? お姉さんたち、若くて綺麗ですし、似合うと思うんだけどなー」 「えー、ほんと? えへへ」 「こら!」 春香ときたら、中学生のお世辞を真に受けるなんて。 「そんなの出来っこないじゃない……。第一、仮に術式が上手くいったとして、私たちは……その、プリガーのコスプレをしたまま、ここから貴方のお家に行って、プリガーのまま中に入る……んでしょ? そんなの……絶対無理!」 冗談じゃない。ただでさえ憎い敵相手に、そんな生き恥を晒すだなんて。 「でも、じゃあどうするの? 退魔師、諦めるの?」 「う……」 「まあまあ、試すだけ試してみましょうよ」 「ええ……春香はいいの? この……これ着るの?」 「いいじゃない、可愛いし」 「えー……」 結局、私は二人に押されて、渋々ながらも了承させられてしまった。立場の書き換えが可能になるかどうかを見るだけ、本当にやるかどうかは別、ということで私は手を打った。 「きゃー、お姉さんたちチョー可愛いーっ!」 「そ、そう?」 「うぅ……」 公園のトイレで着替えた私と春香は、誰もいないことを念入りに確認してから外に出た。私の衣装は余すところなく白とピンクで彩られ、腰と胸元には巨大なリボン、スカートはフリル満載で数段重ねという酷い代物。ピンクの長手袋は肘まであるし、リボンもついているしで死ぬほど恥ずかしい。ブーツも同様。ピンクのウィッグは大きなリボンでポニーテールを形作っている。春香の衣装は、丁度私のやつを水色にした感じの青い衣装だった。春香はまあ……昔から美人だったからまだ見れる……かな。私は……どうなんだろう。さっきトイレの鏡で見たけど、やっぱりキツイ……。 「里奈ちゃん、可愛い~。やっぱ里奈ちゃんがピンクでよかったね!」 「ちょっ……やめてよ! 恥ずかしい!」 春香がスマホで私の醜態を記録に残そうとしたので、私はコイツの腕を掴んで捻じ曲げなければならなかった。 「ちょっ……痛い痛い!」 シャッター音が鳴った。春香は抑えてるのに……誰? 気づくと、月夜ちゃんが私たちの写真を撮りまくっていた。 「あっ……ちょ、ダメダメ! 消して! それダメだから!」 「いいじゃないですかー、減るもんじゃなし。あっそうだ、今度私と合わせしません!?」 「もう! もういいから! ほら早く! 術式試すんでしょ!」 「あっそうだ、いっけなーい」 月夜ちゃんはスマホをしまい、右手をかざして印を唱えだした。六角形の真っ赤な術式が展開され、ゆっくりと私たちに近づいてきた。 「……ちょっとみるだけだからね?」 「わかってますって」 術式は私たちの胸の中に入り込み、姿を消したが、妖しい赤光は私たちの体内を突き抜けて輝いている。霊力を封印されているのでうまく感じ取れないけど、これ……実行してるんじゃ……? 「っし! できた! できちゃった! すご! 私すご!」 「ちょ、ちょっと待って。できたって、何が?」 「え? だから書き換えですよ、立場の」 「いや、見てみるだけだって……」 月夜ちゃんはちょっと申し訳なさそうな表情を浮かべ、 「あっ、ごめんなさい。出来そうだったからつい」 「もー、勝手に……」 「まあまあ、別にいいんじゃないの? これで中に入って封印解いてもらえるんでしょ? ね?」 「はい、これならいけると思いますっ!」 私は頭を抱えたかった。断りもせずに術かけちゃダメでしょ。大丈夫かなこの子。 「でも、特に何か変わったって気はしないけど、本当に効果あるの?」 「あ、はい。もうみんな、お姉ちゃんたちのことを『私の人形』と認識するはずです。上手くいってれば」 「へー、すごい術だね。ねえねえ里奈、終わったら教えてもらおうよ」 「ほ、ホントに平気? 私たちがコスプレしてるってバレない?」 「さあ。でもまあ多分平気ですよ、きっと」 月夜ちゃんは楽しそうにスキップしながら私たちを手招きした。しかし私も春香も、中々その場を動けなかった。流石の春香でさえ、町中をこんな格好で歩くのは恥ずかしいらしい。そりゃそうだ。 「だーいじょうぶですってば」 月夜ちゃんは私の手を取り、引っ張った。 「まま待って。心の準備が……。ねえ、一枚だけでも羽織っちゃダメ?」 「そしたら人形っぽさがなくなってバレちゃいますよ。逆に」 「そ、そんな……」 「ほら、行きますよ」 月夜ちゃんに引きずられるようにして、私たちは公園から足を踏み出すことになった。プリガーのコスプレをした状態で……。通りがかる人たちは、皆一様にこちらに顔を向けてくる。 (うう……) 恥ずかしすぎて、私はずっと俯いて歩かざるを得なかった。恥ずかしい。恥ずかしすぎる……。痛いコスプレイヤーだと思われてるだろうな。ていうか、プリガーのレイヤー二人と一緒に歩く月夜ちゃんは恥ずかしくないんだろうか。 しばらくすると、周囲の反応が薄いことに気がついた。皆こっちを見るものの、特に陰口を叩いたり、写真を撮ったりするようなこともなかった。ちょっと個性的な子が歩いてるので目を引いた、ってぐらいの感じだ。 「ね、気にされてないでしょ」 「そ……そうかな」 余りにヤバそうな三人組なので触れないようにしてる、とかじゃなくて? いずれにせよ、自分が中学生に唆されてプリガーコスで往来を歩いているという事実は強固として変わらない。顔が衣装に負けないぐらいピンクに染まっていく。春香も大分恥ずかしそうに、頬を染めて内股気味で歩いていたが、次第にいつもの調子に戻っていく。 「いやー、なんか、あれだね。解放感……いや違うか。背徳感あるね」 「ちょっとは恥じなさいよ」 朧邸。娘だけあって、月夜ちゃんは顔パスで通過した。私たちはドキドキしつつ、顔を下に向けて、恐る恐る後をついていった。見張りをしていた門弟は、昼に私たちをゴミのように追い出した男。羞恥心が最大に膨れ上がった。そんな男の前で、こんな格好を晒すなんて。昼に追い払われた商売敵がプリガーのコスプレをして正面から乗り込んでくる……。頭おかしい。やるんじゃなかった。もしもバレたら……。想像するだけで恐ろしい話だ。 「早く早くー」 月夜ちゃんは声を出して私たちを呼んだ。ちょ、ちょっとやめて。バレたらどうするの。私たちに注意を向かせないで……。 門弟は私たちを目で追った。だが、特に何も言わず、私たちを無視した。……入れた。入れちゃった。 「ね、だから言ったでしょ」 信じられない。こんなイカれた姿の二人組が娘と一緒にアポもとらずに入ってきたのに。まるで、それが普通だと言わんばかりに、門弟はもはや私たちを見ていなかった。結界も発動しなかったようだ。 「やったー! むぐっ……」 「馬鹿! 大声出さないで!」 私は春香の口を抑えながら、足早に玄関へ向かった。 「ただいまー」 「おかえりなさいませ、お嬢様」 朧一門の退魔師と思われる男性や、家政婦などが私たちを……いや、月夜ちゃんを出迎えた。私たちには何も言わない。怪訝そうな表情は浮かべるが、それだけだ。とはいえ、相変わらず、敵地でプリガーのコスプレをしているという状況は変わらないわけで……。心臓は平常に戻らないし、恥ずかしさは募るばかり。 「こっちこっち」 月夜ちゃんに招きで、私たちは六畳ぐらいの部屋に通された。ファンシーなピンク色の部屋で、可愛らしいぬいぐるみに、女児向けの玩具が一杯あった。棚にはプリガーを始めとした、女児向けアニメのグッズが所せましと飾り付けられている。 「ここ、月夜ちゃんの部屋?」 「そうだよ。私の遊び部屋」 中学生の部屋にしては幼すぎる印象を受ける。でも彼女は特に気にしていないようだった。 「じゃー、私お兄ちゃん呼んでくるから、ここで待っててねー」 「えっ、い、いきなり……」 「封印解いてもらうんでしょー?」 「そうだけど……」 すんなりと解いてくれるだろうか。交渉は……。 「へーきへーき。お兄ちゃんもお姉ちゃんたちを『私の人形』だって思うはずだから」 そんなに強力なの? この術。不安だな。見抜かれるんじゃ。 月夜ちゃんはさっさと部屋を出ていってしまった。私たちはキラキラな女児部屋に取り残されてしまった。 「可愛いねー、この部屋。いいなー」 春香は呑気に部屋をうろつき始めた。まあ、私も小学生ぐらいの時なら、きっとこの部屋に憧れたろうけどさ。ピンクの壁紙が目に痛い。何だか落ち着かない。棚に収められたプリガーのフィギュアは、今の私たちと同じ格好をしていた。改めて傷つく。アレと……同じ服で、公園からここまで歩いてきたのだと思うと……。なんてことをやっちゃったんだ、私。 春香は水色の魔法少女衣装に身を包んだまま、部屋の隅に立ち、本棚を眺めていた。腰の大きなリボンが目立つ。何だか、春香もこの部屋の一部として溶け込んでいるように感じた。視線を落とすと、自分の胸元で存在感を放つ大きなリボンが視界に飛び込んできた。ピンク色な分、私の方がこの部屋に合っちゃってるかも……。やだなあ。 部屋の外から話し声が近づいてきた。一人は月夜ちゃん。もう一人は……朧だ。空気が張り詰め、私と春香は部屋の中央で固まった。それこそ、本当の人形のように。またドキドキしてきた。汗がとめどなく流れてくる。嫌な緊張感。ど……どうなるんだろう。まさか、こんな格好で朧と対面することになるなんて……。私は花びらを模したスカートの先を、両手でギュッと掴んだ。 「ほらっ」 月夜ちゃんと朧が入ってきた。朧は眉を顰め、「納得いかない」という顔をしている。 「ほらお兄ちゃん、私の人形の封印解いちゃって」 「ええ……うん……うん?」 朧はジッと私たちを見つめ、足のつま先からカチューシャのリボンの端まで、隅から隅まで観察していた。腑に落ちない、何かおかしい、と言いたげだ。……どうやら、月夜ちゃんの術は朧にも有効に働いているらしい。そりゃ混乱するはずだ。どうして自分が「妹の人形」に霊力を封印する術をかけたのか、皆目見当もつかないに違いない。 「はーやーくー。お風呂入るんだからー」 「あ、ああ……うん」 結局、朧は自分のミス(?)を認め、私たちの封印を解いてくれた。最後まで納得いかなそうだったが、妹に押され、渋々と従った。 朧が部屋を出ていった後、私は春香と顔を見合わせ、手を取り合って喜んだ。 「やっ……やったー!」 「よかったー!」 私たちの霊力が戻った。これで……これで、また退魔師としてやっていける。良かった……本当に、良かった……。 「ありがとー! 月夜ちゃんのおかげだよー!」 「まー、ざっとこんなもんよぉ。あっはっは!」 私たちは月夜ちゃんにお礼を言って、しばらく三人で盛り上がった。 「ねえねえ、お姉ちゃん、私と一緒に合わせやらない?」 「合わせ? 何?」 「私もプリガーやるから、一緒に写真撮らない、ってこと」 「え? ええ~」 出来ればさっさとこの衣装脱ぎたいんだけど。でも助けてもらった手前、断りにくい。月夜ちゃんは目をキラキラさせているし……。 「ちょっとだけ、ね」 「ぃやったー!」 月夜ちゃんは黄色いプリガーの衣装に着替え、カメラをセットした。私たちは言われるがままにポーズをとって、撮影に応じた。しかし三人で並ぶと、年の差が強調されるようで、ますます恥ずかしくなる。だって中学生……若いなあ。 恥じらいのせいか、私としては精いっぱいポージングに応じているつもりでも、月夜ちゃんからみるとまだまだらしい。 「これでも、目いっぱいやってるつもりなんだけど……」 「だーめ! やり過ぎ、ってぐらい思い切りよくやんないと、実際には全然できてないんですよ!」 撮影した画像を見てみると、確かに言う通り。私と春香は、ほんのちょびっとしか手足に動きをつけていない。精一杯伸ばしたつもりだったんだけど。 月夜ちゃんによる熱心なポージング指導が始まった。仕方がないので、彼女に自分の体を託すことに決めた。彼女が手取り足取り指示をして、さらに実際に手足や腰を触って伸ばし、(ここまでやる必要ある?)と思うくらい全力で腰をひねり、大袈裟に手足を動かし、その状態を保ったまま、残り二人の準備が終わるまで待機。 (いてて……あ……足がつる……) コスプレがこんなに大変なものだとは思ってもみなかった。その甲斐あって、写真に写る私と春香は劇的に改善されていた。ちゃんとポーズと呼べるものを決めている。 「うん! いー感じいー感じ! じゃあお姉ちゃんたち、次はもーっと笑ってみて! ニコーって!」 「ま、まだやるの……」 言われてみれば、写真の私たちは大分硬い表情に見える。ぎこちない作り笑顔。 「ほれほれー」 「きゃはははっ、ちょ、やめ、あははは!」 月夜ちゃんに脇をくすぐられたり、口角を引っ張り上げられたりしながら、撮影会は続いた。 落ち着いてから時間を見ると、既に私たちの家に帰るのは難しい時間になっていた。 「ありゃ……あっちの終電間に合わないね」 「じゃあさ、お姉ちゃんたち、今日泊っていきなよ」 「え? でも、それは流石に……」 「へーきへーき。バレないバレない。さっきの見たでしょ?」 結局、私たちは彼女の好意に甘え、朧家に一泊することに決めた。でも、まさかあの朧家に泊まる日が来るなんて。 「お風呂入ろお風呂! 疲れちゃった!」 確かに。前半の緊張と後半の撮影会で、体はヘトヘトだ。服も……気がついたら汗まみれのような……。 「あっ、ごめんね、衣装、クリーニングして返すから」 「いーよいーよ。うちで洗えるから。さ、いこ」 月夜ちゃんは部屋から出ていった。私たちも後を追う。そして廊下に出た瞬間、急に冷静になった。さっきまではプリガーしかいないピンクの部屋で撮影会をしていたから、すっかり慣れちゃっていたけど、この格好で朧家の廊下を歩くのは……きつい。 「あれ? どしたの?」 「あー、いや……着替え、じゃなくてそうだ、私たちの服は?」 「今洗濯中じゃない?」 「えーっ!?」 「どうせお風呂入るんだから同じでしょー」 「えっ、あっ、いや……」 そこに朧が通りがかり、月夜ちゃんに早く風呂に入るよう促した。私たちは真っ赤になって俯いている他なかった。彼は去り際に 「それ、しまっとけよ。邪魔だから」 と言い残した。私は一瞬、何に対して言ったのかわからず、呆気にとられた。 「うん、わかったー」 彼が去ってから、月夜ちゃんに尋ねると、 「ん? あー、お姉ちゃんたちのことだよ。『私の人形』だと思ってるから」 「あ、そっか……」 まだ続いてたんだ、それ。まあ続いてなかったら叩き出されてるか。でもさっきの言葉、完全に私たちをモノ扱いしてる風だったな。やな感じ。 朧家ともなると、風呂場も旅館みたいだった。脱衣所も広い。 「適当に入れときゃいいから」 月夜ちゃんは次々と服を脱ぎ捨て、すっぽんぽんになった。男子小学生みたい。走って浴場に消えていく。 私も脱ごっと。ああ、やっとこれを脱げる。私はコスプレ衣装のファスナーに手をかけた。でも、不思議に手の動きが止まった。 「ん?」 どっかひっかかった? いや、違う。引っ張れてない。あれ? 私の手はファスナーに手をかけることはできたものの、それ以上動かせなかった。どうしても、ホックを上下させることができない。力が入らない。 「あ、あれ……?」 どうやら春香も困っているらしかった。変ね。こんなことって……。どこかでつっかえている感じじゃない。私の指先に力が入らない。撮影で普段使っていない筋肉を酷使したから疲れたのかな。しかし、手を離すと、私の手は元通り自由に動かせるようになった。 (ヘンなの) あっ、そうだ。先にウィッグとらなくちゃ。なんで忘れてたんだろう? しかし、やはり同じ現象が起きた。私の手はウィッグを取り外そうとすると、動きを止めた。 「え……えー?」 「ねえ、里奈も脱げないの?」 「春香も?」 「なんか、脱ごうとすると手が利かなくなっちゃって」 「お姉ちゃーん。何してるのー?」 浴場から月夜ちゃんが戻ってきた。事情を説明してもポカンとしていたので、月夜ちゃんの前で実演し、やっと理解してもらった。 「ちょっと試してみていーい?」 月夜ちゃんは私の手先と腕を掴んだ。 「それっ」 自力ではどうしても脱げなかったピンクの手袋が、あっさりと腕から外れた。脱げるようになったのかと早合点した私は、すぐウィッグに手を伸ばしたけど、やはり手が途中で動かせなくなってしまう。 「あ、あれ……」 「あはは。月夜ちゃんに脱がせてもらうしかないねー」 どうやら、春香の言う通りのようだ。 「ぬふふー。はいじゃあ里奈ちゃーん、お洋服脱ぎましょうね~」 「うぅ……」 私たちはまるで着せ替え人形のように、月夜ちゃんに服を脱がされた。さっきまでとはまた違う種類の羞恥心がうずく。 「はーい、お姉ちゃんたち、万歳してー」 「……っ」 わざわざ幼児相手みたいにしなくていいじゃん、もう……。中学生に自分の着替えを頼まないといけないだなんて、情けない……。 衣装を全て脱ぎ、下着姿になると、月夜ちゃんがそれも脱がせようとするので、流石に断った。 「し、下着は自分で……あ」 パンツに手をかけると、手が止まった。力が入らない。そ、そんな……。 「はーい、じゃあそこ立ったままで……。パンツ下ろしましょうね~」 「……っ!」 私は泣きそうだった。流石の春香も、両手で顔を覆っている。子供に自分のパンツを脱がせるとか、これもう変態じゃん……。 リボンカチューシャを取り外してもらって、ようやく全裸になれた私たちは、大きな浴場で至福の時を過ごした。 「ねえ里奈。あれ結局何だったのかな」 「い~よもう。はぁ~っ」 湯船が快適すぎて、さっきの異変のことなど、全く考えられない。いーじゃんもう別に。どうでも。 「お姉ちゃん、髪洗ったげよっか。そんなに長いと大変でしょー」 「うん、お願いー」 月夜ちゃんが春香の後ろに回った。確かに、あんなに長いと自分じゃ無理かも。床を這って広がる、大ボリュームの水色の髪。 (……って、あれっ?) 「ちょっと春香! それウィッグじゃん!」 「え? あれ、うそっ」 どうやら春香は、今の今までウィッグをつけたまま入浴していたらしい。ばっかじゃなかろか。普通気づくでしょ。……あれ。なんで私も今まで気がつかなかったんだろ。ウィッグなんて一番最初に外すとこでしょ。 私は自分の髪を撫でた。綺麗なピンク色の髪が湯気でふわふわに……ん? あれ? 私は自分の髪先を手繰り寄せて、目の前に掲げた。長い。重い。こんなに伸ばしていた覚えはない。それに、髪が……鮮やかなピンク色に染まっている! 「えっ、これ、ウィッグ……えっ!?」 自分もウィッグをつけたまま入浴していただなんて。すぐにとろうとしたが、様子がおかしかった。違う。ウィッグじゃ……ない!? この髪は、間違いなく私の頭から直接生えた、本物の髪の毛だった。引っ張ると、一本一本の付け根が痛む。 「……!?」 何が何だかわからない。確かに、さっきまでプリガーの格好をしていたけど、あれはただのコスプレで……。ピンクの髪はウィッグで……。私の勘違い? ひょっとして、直接染めちゃってた? そんな馬鹿な。そもそも、ここまで長くなかったし。今の髪は腰より長い。おかしい。絶対おかしい。 湯気や浴場の光の加減で、ちょっと色がおかしく見えているのじゃないか。そう思って、注意深く、念入りに自分の髪を観察した。……やっぱり間違いない。アニメのキャラクターみたいな、本物のピンク色だ。 「里奈里奈ー! たいへん、ウィッグがくっついて……? あー! ちょっと、里奈もじゃん!」 春香の背中全てを覆う水色の長髪は、やはり本物の髪の毛だった。 私たちは月夜ちゃんに詰問した。どう考えても、彼女の術以外にありえない。 「えーっ、私何にもしてないよー。お姉ちゃんたちが気に入ったんじゃないのー?」 月夜ちゃんは、立場を書き換えただけで、ウィッグが癒着する術なんかかけてないし、そもそもそんなピンポイントな霊術は存在しないと強弁した。でも、朧の封印が解けた今、私たちにかかっているのは彼女の立場書き換え術だけなのだ。ひょっとしたら、さっき服が脱げなくなったのも同じ原因かもしれない。 「別にいいでしょー。明日お姉ちゃんたちが帰る時に解くからー。それで」 「それで、この髪は元に戻るの?」 「だからぁ、知らないってばー。切って染めればいいんじゃない?」 「えー……」 こんな髪で家まで帰らないといけないの? 周囲の視線が……。ていうか、術を解いたら、今度こそ「ヤバい髪の女」になってしまうわけで。どうしよう。月夜ちゃんに家まで来てもらって、それから解いてもらおうか。いや無理か。この子中学生だし、明日も学校あるだろう。 「ま、でも、いいじゃん。帰ったら切っちゃえば」 春香は途中で月夜ちゃん側についた。多分、術を解いたら、ただのウィッグおばさんになることがわかっていない。このボリュームだと、到底隠しようがない。明日どうやって帰ろう。やだなあ。 中学生相手に口論しても仕方がないので、私も退いた。助けてくれた恩もあるしね。でもやっぱり、この子の術は不安なところがある。 脱衣所に戻ると、私たちはちょっと困ってしまった。着替えがない。コスプレ衣装はいつの間にか消えていた。月夜ちゃん曰く、お手伝いさんが洗濯に回したのだろう、ということだった。当の彼女は、入浴中にお手伝いさんが用意してくれたパジャマに着替えている。 「私たちは? 何着ればいいの?」 「あーうん、そうだね、ちょっと待っててねー」 月夜ちゃんはいそいそと駆け出していった。せっかくお風呂入ったのに、冷えちゃうな……。誰か来たらどうしよう。あんな格好でうろついておいてなんだけど、タオル巻いただけの半裸姿を朧家の人たちに見られるのは絶対嫌だ。 (誰も来ませんように……) 月夜ちゃんが口を利いてくれたのか、はたまた願いが通じたのか、彼女が戻ってくるまで、誰も脱衣所を訪れなかった。 「えっ……え~!」 月夜ちゃんが持ってきてくれた服に、私たちは悲鳴を上げた。またしてもプリガーのコスプレ衣装……それも、さっきより数段派手な代物だった。 「パワーアップフォームなんだー。可愛いでしょー」 「え……また撮影会でもするの?」 「あははー。流石にもう寝るよー。あ、お姉ちゃんたち、コスプレハマっちゃった?」 「そんなわけないでしょ。……だから、もう寝るんだよね? これで寝るの?」 「うん」 月夜ちゃんは楽しそうに頷いた。何だろうこの子……。 「いや、その服じゃ寝られないよ。ていうか、衣装クシャクシャになっちゃうと思うけど、いいの?」 「へーきへーき。どうせ私にサイズ合わないしー」 何でサイズ合わないやつを買ったんだろう。……グッズのコレクションとして? だとしたら、やっぱりこれを寝間着にしちゃうのはまずいんじゃ……。 「早く早く。他の人きちゃうから」 「えっ」 彼女の言う通り、数人の声が外から聞こえてきた。男だ。男の集団。おそらくは朧家住み込みで働いている人たち。月夜ちゃんが声を出した。 「待ってー。まだ私いるからー」 「お嬢様? さっき上がられたのでは?」 「ちょっと待っててー」 月夜ちゃんはこっちをみて悪戯っぽく笑った。その笑みは「早く着ないと入れちゃうよー」と言っている。 「ああ、もうっ」 毒を食らわば皿までだ。どのみち、プリガーコスはさっきまででたっぷり見せちゃったんだし、今更気にする……気にする……。気になるなぁ、この服。お姫様みたいなふんわりとした大きな大きなスカートは、さっきよりだいぶ派手だ。各所のリボンもさらに大きさを増している。 「下着だけ……あいや、ドレスだけで……」 春香は、ブーツや手袋、ティアラは着けないことにしたらしい。確かに、時間ないし、つける意味ないしね。私もそうしよっと。 しかし、また奇妙な現象が起きた。二人がかりでドレスを着て、外へ出ようと思った瞬間。私の体が、私の意志を離れた。 (あれ?) さっさと脱衣所から出よう……と一歩踏み出したはずなのに、私は装飾過多なニーハイソックスとブーツを取り出し、いそいそと履き始めたのだ。 (あ、あれ? ちょっ……!?) ボリュームのあるドレスを先に着てしまったので履きにくい。私は必死に、自分のアホな行為を止めようとした。しかし、手足が言うことをきかない。私じゃない何かに突き動かされている。 「あはは、お姉ちゃんたち、やっぱりコスプレ好きになったんだ」 月夜ちゃんが微笑みながら、私たちを眺めていた。まるでペットのハムスターでも眺めているかのような雰囲気だった。 「ち、ちがっ……体が勝手にっ……」 「いーからいーから。私、みんなを待たせとくから」 月夜ちゃんは先に出ていき、使用人や門下生たちと何か話し始めた。私は焦った。何やってるのホントに! 「春香っ、ちょっと助け……」 「待って里奈っ、体がっ! 体が勝手にっ……!」 驚くことに、春香も私同様、ニーソとブーツに悪戦苦闘していた。今にも泣きだしそうな情けない顔。自分の意志じゃないことは明らかだ。 「私も……。一体全体どうなってるのよ!?」 「やっぱり、月夜ちゃんの術の影響なのかな?」 「で、でもあれって……。周りの認識を変える術なんじゃないの? どうしてこんな……あ」 下半身のドレスアップが完了した。どうせドレスでほとんど見えないのに。馬鹿馬鹿しい。ともかく、これでようやく……と思ったのも束の間、私は勝手に屈んで、残されたティアラと手袋に向かって手を伸ばしてしまった。 「ちょ、ちょっと……いらない! いらないってば!」 「えーっ、これもー?」 春香も私に続いた。結局私たちは、プリガー強化フォームのコスプレを、上から下まで完璧に揃える羽目になってしまったのだ。 手袋をはめ、ティアラを戴き、ようやく私たちは自分の体の支配権を取り戻せた。 「あ……」「動ける……の?」 私たちはドレスの裾をつまみ上げ、急いで脱衣所から出ようとした。動きにくい。この服、全然走れない。 外に出ると、月夜ちゃんと若い男たちが楽しそうに歓談していた。それがピタリと止まり、視線が一斉に集中する。私たちは情けないやら、恥ずかしいやらで真っ赤になって俯いた。どうかバレませんように……! 「きゃー、可愛いー。やっぱり似合ってるー」 月夜ちゃんが一人で盛り上がる中、若い男衆の一人がため息をつきながら言った。 「お嬢様、もう中学生になられたのですから、人形とお風呂に入るのは……」 「わかってるわかってる。今日だけ今日だけ。お休みー。あっ後でお茶持ってきて」 月夜ちゃんは私たちの手を引っ張り、廊下を進軍した。私たちは慣れないドレスで歩きづらく、どうにも居心地が悪かった。髪をピンクに染めて、プリガーのドレスを着て、中学生にエスコートされる……。酷いや。これ以上恥ずかしい夜が今後訪れるだろうか。 ピンクの部屋は、さっきより大分手狭に感じた。ドレスのせいだ。 「じゃあ、そこのベッド使っていいから。お休みー」 「月夜ちゃんは? どこで寝るの?」 「私? 自分の部屋だけど?」 「ここって月夜ちゃんの部屋じゃないの?」 「ここは遊び部屋だってば」 部屋がいくつもあるのか。お金持ちはいいな。私たちみたいな零細なんてほっといてくれれば良かったのに。まあ案件そのものが希少な業界だから仕方ないかもしれないけど。 月夜ちゃんが出ていった後、私たちは一息ついて、ドレスを脱ぐことに決めた。まさか本当にこの服で寝るわけにもいくまい。ベッドは一人用だから、ただでさえ狭いのに。 しかし、いざ脱ごうとすると、またあの現象が起きた。 「どうしたの? 早く……。まさか」 「ご、ごめん里奈。手が……動かなくって」 「えっ、また……!? ちょ、ちょっと変わって」 私が春香のドレスを脱がそうと手をかけたが、その途端、不思議と手に力が入らなくなってしまった。 「あ……」「やっぱり?」「ダメ……みたい……」 私と春香は、月夜ちゃんに頼んで脱がせてもらおうかどうか話し合った。しかし、彼女の寝室の場所がわからないことに気がつくと、それは一気に難しい相談となった。この広いお屋敷のどこにあるのだろう。例え術の効果で不審に思われないにしろ、この格好であちこち練り歩き、片っ端から人様の部屋を覗いて回るわけにもいくまい。余りにも非常識だし、歩きにくいし、恥ずかしいし……。人に訊くわけにもいかない。人形じゃないってバレるかもしれない。 「もう寝ちゃったかなあ。起こすのも悪いよね……」 いつの間にか、時刻は零時。明日平日だし、中学生の女の子を起こすわけにもいかないだろう。結局、私たちはこのまま寝ることに決めた。 「もうちょっとそっち寄れない?」 「これ以上詰めたら潰れちゃうよ」 大仰なドレスを着たまま、私たちは一つのベッドに強引に入り込んだ。このドレスダメになっちゃうな。まあいいか。しょうがないんだからしょうがないよね。弁償すりゃいいし。 縦に長く、横に広がるカラフルな髪も相当に邪魔だった。布団じゃなくて、髪の上に寝てる気がする。何しろボリュームが過ぎて、まとめようもない。 薄暗い部屋の中で、私はちょっとでも寝心地を確保するため、もぞもぞと位置調整した。顔を横に向けると、春香と目が合った。近っ。春香の顔がすぐそこにある。狭いから仕方ないけど。春香はじーっと私を見つめている。何だか照れくさくなって、私は目を閉じた。 「何?」 「いやー、なんか……里奈ってやっぱ可愛いなって」 「何言ってんのもう。寝るんだから静かにして」 「髪の毛ピンクでも全然いけるよ」 「もう……」 現実でピンクがイケる人なんかいるわけないでしょ。しかもこの幽霊もビックリの毛髪量は絶対気持ち悪いって。目を開けて、春香の顔を見た。私よりか、よっぽど春香の方が合ってる気がする。現に今だって、髪の毛水色なのに可愛い……いや。そうでも……んん。春香の顔ってこんなに綺麗だったっけ……? 肌が瑞々しいような……。 「なーに見てるの?」 「べ、別に……お休み」 私は顔を上に向けて、再び目を閉じた。あーもう……。変な感じ。よくよく考えたらこの状況、何もかも変だけど。でもまあ、封印解いてもらえて助かった。これで退魔師やっていける……。春香と一緒に。 「うわっ、やばっ! 起きて春香! 早く!」 次の日目覚めると、既に午前が終わろうとしているところだった。こんなに寝坊するなんて。月夜ちゃんは……学校か。不味ったなあ。朝一緒に出て、術を解いてもらって、お別れのつもりだったのに。 「うーん、よくわかんないけど、私たちで解けばいいんじゃない? 帰っちゃえばいいよ」 「そんな、挨拶もなしに……」 いや、朧に挨拶はしなくていいか。というかしちゃだめだ。不法侵入だし。 「ラインでいいでしょ」 そういやそうだった。じゃあスマホで……。ん? 私のスマホどこだっけ? 確か鞄の中に……。鞄は確か……。昨日公園で着替えた時、紙袋に……。あ。 私たちは、自分の服と荷物を探さなければならないことに気がついた。月夜ちゃんに連絡とれないから、自分でこのお屋敷の中を捜し歩くしかない。やだもう。ただでさえ、こんな恥ずかしい、動きにくいカッコなのに。 案の定、コスプレ衣装は脱げなかった。 私たちはそっと廊下に出て、おずおずと歩き出した。まだ月夜ちゃんの術は効いているのだろうか。脱げないから多分そうだろう。途中でお手伝いさんや門下生とすれ違ったが、声をかけられることはなかった。やっぱり、私たちは人形だと思われているらしい。すごい術だ。 「これ後で教えてもらおうよ。色々使えそう」 春香はすっかり慣れ切ってしまったのか、堂々と顔を上げて歩いている。私にはまだ無理だ。 「服と一緒に洗濯しちゃったってことはないよね?」 「まさか、鞄だよ?」 そういえば、私たちは人形だというのはわかったけど、私たちの持ち物はどうなっているんだろう。朧家の人たちが私たちのスマホ見つけたらまずいのでは? お手伝いさんの後をついて歩いたが、私たちの服が洗濯に回されている様子はなかった。昨日の衣装だけだ。今のドレスと比べたら、あっちの方がマシだなあ。子供っぽくて恥ずかしいけど。 「いっそ聞いてみちゃう?」 「駄目だって、流石にそれは」 最終的に、多分月夜ちゃんが自分の寝室に置いているだろう、という結論が得られた。しかし彼女の部屋は鍵がかかっていて、私たちにはどうすることもできなかった。 「……どうする?」 「月夜ちゃんが帰ってくるのを待つしかないね」 はー、まさか朧家にこんなに長く滞在することになるなんて。昨日ちゃんと月夜ちゃんに言っとけばよかったな。 「まったくもう、お嬢様ったら……」 後ろで女性の声が響いた。私たちはビックリして、固まってしまった。……まさかバレた!? ゆっくりと後ろを振り返ると、お手伝いさんがご立腹だった。 「……ええと、これはですね……」 小声で言い訳しようとした時、門下生がもう一人近づいてきた。ヤバ……。 「どうしました?」 「お嬢様の人形ですよ。まったく、廊下に出しっぱなしにするなんて……。あんたも手伝いなさい」 「へい」 私たちは顔を身わせてホッと一息ついた。バレてない。良かった。 「よっ……と」 「きゃあっ!?」 突然、門下生が私を抱きかかえ、担ぎ上げた。 「なっ……何するんですか、はなし……」 「静かにっ」 春香の一言で私は黙った。そうだ。いくらなんでも、暴れだしたらバレてしまうだろう。 「よいしょ、っと」 春香もお手伝いさんに担がれ、私たちは遊び部屋に運ばれる流れとなった。私の胸中は屈辱で一杯だった。なにせこの男ときたら、全く遠慮や配慮のない手つきで、私を粗雑に扱っているからだ。脚だけ支えて上半身は支えないせいで、私は落ちないよう必死にバランスを取り続けなければならなかった。一切躊躇することなく、力強く脚を持つので、かなり痛い。どうしてわざわざこんな酷い運び方をするのか。 「いちちち、あのっ、もうちょっと、そのっ……いちち」 春香も音を上げ始めた。しかし、誰も私たちの声に耳を貸さない。幸い、割と早く遊び部屋に到着したので、拷問が長引かなかったのが救いだ。 「んしょっ」 「いたっ!」 門下生は私の足を床に叩きつけた。私は予想外の下ろされ方に悶絶した。春香も同じ運命をたどり、脚を抱えて苦悶の表情を浮かべている。 二人は私たちを顧みることなく、すぐに引き上げた。脚の痛みがひくまで、結構かかった。骨とか大丈夫かなこれ。 「ひっどーい! なにあれ!」 珍しく春香が怒った。私も。しばし二人で悪口を言い合った。 「あの人たち、ほんっとに人形だと思ってるんだね!」 あっ……。そうか。それで。私たちを固いマネキン人形みたいなもんだと認識していたから、あんなありえない持ち方をしたのか。人形は背中を曲げない。下ろす時も……。 「月夜ちゃん、早く帰ってこないかなあ」 「まだお昼だよ。うーん、部活とかやってるのかなー」 「お昼……」 そういえば、今日何も食べてないや。人形だと思われているから、食事の用意なんてされない。かといって、人様のお家で勝手に盗み食いをするわけにもいかない。またさっきみたいに物扱いで運ばれても困る。 「あーっ、お昼抜きかー」 「朝も抜きだよ」 「うぇー」 しかし、不思議と空腹はあまり感じなかった。 夕方遅く、月夜ちゃんが帰ってきた。 「あれっ、まだいたの?」 その第一声に私はイラっときたが、荷物を預けていたこと、術を解いてもらわないといけないことを伝えた。 「あー、そうだったね。ゴメンゴメーン」 そういった彼女は、一旦姿を消して、その後両手で四つの紙袋を携えて戻ってきた。 「こっちがお姉ちゃんの。こっちは昨日のやつ。上げるー」 見てみると、昨日のコスプレ衣装だった。い、いらない……。 「ありがとう。でも、これは月夜ちゃんの大切なものだと思うから……」 月夜ちゃんは少し不服そうだったが、無理強いはしなかった。 「ここで着替えてく? それともまた公園のトイレで……」 「ここで着替えていいなら、ありがたいけど……。バレない?」 「もう書き換え済みだからへーきへーき」 えっ、何それ。じゃあ、昨日もこんな恥ずかしい格好し続けなくてもよかったんじゃない。くそう。 しばしの沈黙。 「着替えないの?」 「あ、あの、実はね、そのう……」 中学生の女の子に、服を脱がせてくださいと頼むのは、結構な勇気が要ることだった。 「はいっ。次からは一人で脱ぎ脱ぎしましょうね~」 無事全裸になれた私たちを、月夜ちゃんがからかった。何も言い返せない。 「でも、やっと……」 私は自分の服に手を伸ばした。まともな服だ。普通の服だ。恥ずかしくない服だ……。たった一日なのに、随分と懐かしい気がする。 だが、私の手は直前で矛先を変え、違う紙袋から衣装を取り出した。 「あ、あれっ」 「あっ、あ……」 私たちは昨日の風呂上りと同じように、プリガーの通常コスチュームを身に着け始めた。 「ま、待って、ちょっとっ!」 「つ、月夜ちゃん、止めて! 体が勝手に!」 月夜ちゃんはニンマリと微笑み、 「なあんだ、やっぱり好きなんじゃん」 と呟いた。 「だからっ、違うの、着たくて着てるんじゃないのっ」 私はアホみたいに大きいリボンで髪を結いながら叫んだが、まるで説得力がない。数分もしないうちに、私たちは上から下まで完璧にプリガーのコスチュームを身にまとってしまった。 「なんでこうなるの~」 「月夜ちゃん、先に術解いて。お願い」 「えー、でもここで解いたら困るでしょ」 うっ……。結局、また公園のトイレか……。この格好で外に出なきゃか……。 「お嬢様、ご学友がお見えです」 ノックと共に、男の声が響いた。 「今行くー」 月夜ちゃんは私たちに向かってウィンクし、「ごめん、ちょっと待ってて」と告げて、すぐに部屋から出ていってしまった。 「あっ、ちょっと……」 また待つの? もういい加減にしてよ。お腹減っ……てないかな……? 変なの。今日何も食べてないのに、なんか……食欲がないような。 十五分待っても、彼女は戻ってこなかった。 「どうする? 先に公園いっちゃう?」 「うーん……」 それは不味いでしょ。そういいかけた時、妙な違和感を抱いた。 「……なぁに?」 春香は照れくさそうに視線を逸らした。変。何か……ヘン。春香の顔が、いつもと違う……気がする。なんだろう。水色の髪のせいかな? 「……? 近いって、ねえ」 私は春香の顔を間近で観察してみた。若い。いつもより幼く見える。 「んー、春香ってこんなに綺麗だったっけ?」 「え~。なにもう。里奈だって肌ツルッツルじゃん」 肌? あっ、わかった。肌だ。違和感の正体は。いつからだろう。春香の顔はノーメイクなのにも関わらず、染みも皴もほとんどない。艶々として綺麗だ。照明を反射して光沢も……。光沢? おかしくない? 「ねえ。里奈の顔、なんだか変じゃない?」 「えっ!?」 春香も異変に気づいたらしい。っていうか、私も!? うっそお。急いでスマホで自分の顔を確認してみると、そこに映し出されたのは……人形の顔だった。いや、フィギュアだ。プリガーのフィギュア。 「なっ、なっ、なにこれ?」 写真で見ると、目で見るよりも客観的に映るせいだろう。非生物感がすごくって、私たちは大変なショックを受けた。春香はスマホをおっことし、私はバランスを崩して棚にぶつかった。 「嘘でしょ!? これじゃ……これじゃあ本当に……」 「ごめーん待ったー? さ行こ」 勢いよくドアを開いた月夜ちゃんが固まり、ポカンとしながら近づいてきた。無言で目を上下させた後、 「なにそれ、ドッキリ?」 「違うよ!」

Comments

sengen

月夜の未熟さ無邪気さ甘えなどの子供っぽさに振り回されてるのが、月夜も里奈達も共に可愛いです。 立場の書き換えだけで、実際の身体とは無関係に立場通りの扱いを受けたり、立場に引きずられるように身体にも影響が現れたりするのが新鮮でした。

opq

コメントありがとうございます。いつも読んで頂けて嬉しいです。