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周囲との経済格差を思い知らされる憂鬱な修学旅行から帰ってくると、家が静かになっていた。気配がしない。鍵もかかっておらず、ドアは軽く開いた。玄関には何もない。靴も傘も。数歩進むとすぐ、何が起きたのか察した。夜逃げだ。家の中はがらんどうで、一切の家財がなくなっていた。私の鞄や教科書、筆記用具までない。あるのは散らばったゴミと埃だけ。引っ越し前後の人が入居していない部屋のようだった。ゴミゴミしていて狭い家だと思っていたけど、何だかとても広く感じる。物がなくなったせいだけじゃない。私が親に捨てられたこともきっと、ある。 私は居間だった部屋の中央に座り込んだ。引っ越すのを娘に言うのを忘れていた、なんてことは流石にないだろう。一縷の望みをたくし、目立つところに書置きがないか数秒だけ目を走らせたけど、まあ、ない。当然か。そもそも両親はずっと私を疎ましく思っていて、面倒なんか何も見てはくれなかったんだし。二人が興味あるのは私の持ち帰るバイト代だけだった。捨てられたショックはあるにはあるけど、涙が出るような感情はあまり湧かなかった。むしろ解放感さえある。 これからどうすればいいのかな。誰に何を言えばいいのかさっぱりわからない。警察? 大家? 先生? ……いいかもうどうでも。疲れた……。 かつてテーブルがあったはずの場所に寝転がった時、家のドアが開いた。誰かが入ってくる。大勢だ。彼らはすぐ居間に姿を現した。黒いスーツに身を包んだ怖そうな大人。私を見つめてニヤニヤ笑っている。 「のう嬢ちゃん。状況わかっとるか?」 うち何人かは見覚えがある。親の借金相手……の取り立て? に何度か来ていた人だ。 「夜逃げ……ですよね?」 「せや。んでな、借金がおまんねん、まだまだぎょーさん」 「はぁ」 「親御さんから話は聞いとるか?」 「……いえ」 笑いが起こった。私はブルっと体が震えた。ひょっとして私は売られたんだろうか。捨てられたんじゃなくて……。 その予感は的中。あの二人は私を差し出すことで借金の大半を消してもらうことにしたらしい。最後の最後まで、なんて親だ。 ここは三階、そして玄関へ向かう廊下は男たちでいっぱいだ。逃げられない。どこかに助けを求められるような機会も与えられない、よねえ……。私は彼らの話に気の抜けた相槌を打ちながら、せめて臓器じゃなくて夜のお店かなんかでありますようにと願うことしかできなかった。 持ち物を全て奪われ、着の身着のまま私は黒塗りの車に乗せられた。目的地へ行くまでの車内で、私は自分がどういう形で借金のカタにされるのか、その説明を受けた。結論から言うと死なずに済む。が、死ぬ方がマシだったかもしれない。神様は私の願いを意地悪く叶えた。メイドロボ。家事や簡単な仕事を人に代わってやってくれる生体ロボットがある。私はその素体にされるんだと。血の気が引いた。世の中には変わった嗜好のお金持ちがいて、ただのメイドロボではなく、本物の人間を生きたまま改造したメイドロボを欲しがる人がいる……。私はその人に売る商品にされるのだ。 (嘘、でしょ……?) 絶望のあまり、私は二度と声を出すことができなかった。メイドロボは知ってる。同級生に持っている人もいた。人とよく似ていて、遠目だと人間と見わけもつかないくらいだ。私より綺麗な肌と服を持ち、なんで人間の私よりいい暮らししてるんだろうと密かに心の中で思った。でもまさか、自分がその仲間に……ロボットに改造されてしまうだなんて考えたこともなかった。 ロボット……ロボットにされるって、どうなるの? 私は一生、見も知らぬ悪趣味なおっさんの命令を聞くだけの人形になってしまうの? 一生……ずっとそのまま? 私の意志は残るの? 心まで改造されて、私は自分を買った人間に仕え続けることを心から喜んだりしてしまうんだろうか。ゾッとする。私が私でなくなる? 嫌だ。夜のお店とかの方がずっと……。いやいっそ臓器になって「終わり」にしてしまった方がマシかもしれない。ロボットになったらきっと、逃げることはおろか「終わらせる」ことすらきっとできない……。「壊れる」までずっと働かされ続けるの? 嫌だ……いやだよぉ……。私は恐怖に打ち震え、泣きながら両親を恨んだ。なんであんなクズどものせいで、私がこんな目に遭わなきゃいけないわけ……? 私が連れていかれたのは、山に近いところにある工場だった。周囲には田畑が多くて、町からは遠いみたい。あと二時間ほどで日付が変わる時刻。あたりは真っ暗で虫の声もする。真っ黒な男たちに囲まれ、猫背で歩く私は何か言わないといけないと思いながら、嗚咽すら漏らせないまま静かに歩いた。今からでも臓器ルートにできないかな。提案……提案しないと。聞き入れてもらえるかわからないけど……とにかく言わないと始まらない。でも声が出ない。家を出てからほとんど喋っていないのに、喉がカラッカラだった。 いや、死ぬよりはロボットの方がマシかも? 生きてるし……生きてるって言っていいの? ていうか結局、「私」は……私自身の意識はどうなっちゃうんだろうか。それがとにかく不安で、恐怖を駆り立てる。親が夜逃げして借金を継がされ酷い仕事を何年も強要されるという事態を想像したことはあった。けど、まさかこんな運命が待っていただなんて思いもしなかった。どうすればよかったんだろう。私が先に家から逃げればよかったんだろうか。でも行く当てもないのに……。 薄汚れた工場の一室に連れていかれた私は、待っていた作業服の人たちに引き渡され、服を脱ぐよう指示された。 「……」 渋っていると怒号が飛んだ。私はますます委縮してしまい、従順に服を脱ぎ捨てるしかなかった。誰か……助けとか来ないのかな……来ないね……来たことないもん……。 下着まで脱がされ、全裸になった私の体に男どもの下卑た視線が突き刺さる……かと思いきや、強い性欲を滾らせるような視線も表情も、作業服の人たちは見せなかった。多少はあるけど、まあそれほど興味ありません、的な静かな反応だった。心外だった。私はこれでも女子高生……なんだけど。一人が接近し、私のあちこちに手を回して擦ったり軽く掴んだりしてきた。でも、何だかお医者さんの検診みたいで、これも男の下心のようなものは感じ取れなかった。次第に羞恥心を困惑が上回っていく。 「よさそうだな。問題ない」 「よし。かかれ」 私は裸で突っ立ったまま、男たちのやり取りを聞いていた。一人が何かの作業に移り、金属製の浴槽みたいなものにヌルヌルした薄い緑の液をホースで注ぎだす。私は改めてロボットに改造されるということがどういうことなのか理解した。もはや私は人間の雌ですらないんだ。この工場で作る製品の部品の過ぎないんだ……。もし声が出て、「夜のお店にできませんか」と言えても全く通じなかったろう。彼らは私に、ナチュラルにそんな価値を見出していなかった。というより、土俵に立っていなかった。今夜起きた怒涛の展開の中で、この事実が最も私の心を傷つけた。 「入れ」 不躾な指示が飛ぶ。金属製の浴槽を指している。中に蠢く薄緑色の液体が何なのか、説明は一切ない。浴槽も、液体も、およそ人が入っていいような雰囲気はまるでない。しかしこうなってしまっては逆らう気力もない。きっと鉄拳が飛ぶだろう。いや商品に傷をつけるようなことはしないかも? いずれにせよ、恐喝されて入ることになるのは間違いない。従順になった方がトータルお得だろう。 私は不気味な色のお風呂に恐る恐る片足を入れた。ヌルっとした感触が私の足首を舐めるように這う。両足入れる。全身浸けるよう言われたので、私は腰を下ろした。生暖かくてまとわりつくような粘性。一体なんなんだろうコレは……。私をロボットにするための第一工程なんだろうか。手術で改造とかじゃないの? その前段階? 顔まで沈めるよう指示が出たので、軽く息を吸って顔を浸けた。するとゴツゴツした大きな手が私の後頭部をつかみ、頭部全体をグイと液体に押し込んだ。目をつぶって顔面を撫でまわすヌメヌメした感触と戦うこと十秒ほど。頭を抑えつけていた手がどいたので、私は顔を上げ、大きく息を吸った。 「上がれ」 私は何も発さず、静かに浴槽から出た。まだヌメヌメした感触が全身に残っている。液体も全身から垂れている。うぇー、気持ち悪い。 ブルーシートの上に移動するよう言われ、従った。男たちがドライヤーで私を乾かす。見知らぬ怖いおじさんたちの前で全裸でいることの羞恥心も薄れ、私は胸や股間を隠すことすらせず、ボーっと両手を垂らして突っ立っていた。 が、すぐに新たな恥辱が私を襲う。シートの上に、ドライヤーでとんだ多くの毛が積み重なっていくのを見たのだ。 (ひっ!?) 体毛。私の毛。熱風が吹き付けられたところから順に飛んでいく。シートに黒ずみが出来るのと比例して、私の顔は紅潮した。さっきのは脱毛の液体だったんだ……で、でも私こんなに毛深かった? そりゃ人並みにお洒落できる家庭環境ではなかったけれど。鳥肌が立ち始める。寒い……。私の手首をよくみると、なんとまあ頼りなくなった私の肌が見えた。肌しかない。産毛という産毛が全て消え去り、赤ちゃんみたいなツルツルお肌になっている。とはいえ「綺麗になったイェーイ」なんて言える状況でも心持でもない。友人宅で見た、メイドロボの綺麗な肌を思い出す。そういえば毛なんか生えてなかったかも。ツルッツルで。髪の毛はあったけど……。 思わず頭に手を伸ばす。不思議なことに髪の毛は抜けず残っていた。睫毛もだ。髪を軽く握っても抜ける気配がない。何でだろう。頭までつけたのに……。要らない体毛だけ選別できるの? 液体が? でも、結果からするとそうとしか思えない。鼻毛はポロポロ落ちていく。みっともないなあ……。 そして、股間の毛も鼻毛同様「不要」だったらしく、子供みたいにツルッツルになってしまった。流石に手で隠してしまうが、男たちはたいして興味を惹かれていなかった。一人は黙々とシート外に飛び散った毛を掃き、一人はタオルで私の体を拭く。何だかお世話されているかのようで、この時だけは気持ちが上向いた。 最も、次からは最悪だった。明らかに人間の口に咥えさせることを想定していないだろう、無骨で固く太いホースを口に入れられ、その中から勢いよく飛び出す謎の液体を延々と強制的に飲まされ続けるという拷問を受けたと思うと、円柱状の大きな装置の中に入れられ、四方八方から紫色の霧を噴射され、全身にテカテカのコーティングを施された。見覚えがある。ロボットの肌。修学旅行先でもいたっけ。テカテカと光沢を放つ生体ロボットの肌。今や私の肌は、ロボットと同じ質感を持つようになってしまったのだ。 (生体ロボット、かぁ……) 麻酔で寝ている間に手術とかの方が、一気に終わってよかったかもしれない。でも生きた細胞をナノマシンで制御するらしい、生体ロボット作りではそうもいかないのだろう。素体が生きた人間であるのなら、口頭で指示して動いてもらう方が効率いい……。段階を踏みながらロボットになっていくのをハッキリと体験させられるのが心底怖くて惨めで、そして強制とはいえ自分が自分で動き、その工程に協力してしまっているのが一層悔しかった。 そうして様々な処理を受けた私の肉体は、見るも無残な姿に変貌してしまった。乳首は溶けて消え去り、私の胸は突起のない人形のような曲面となり、股間もマネキンのようにツルツルで何もないのっぺりした空間に変わってしまった。ロボットは排泄をしないからこれでいいんだろう……。どれが何の処理だか一切説明はなかったけれど、ホースでぐびぐび色々飲まされた中に、二度とトイレに行かなくてよくなる処置もあったに違いない。 もはや隠すべきところさえ失ってしまった全年齢ボディになった私は、両手を自由にさせた。羞恥心も大分薄れてしまった。作業服の改造スタッフは勿論、ちょこちょこ進捗確認にくる借金取りたちも私に性欲を伴った視線を向けないんだもの。 そしてシート状の椅子に座らされた私は、パテみたいなものをグチャグチャ頭に塗りたくられた。パテは私の背中に薄く伸びるよう造形されていく。鏡なんか見せてもらえないけど、私の新しい髪なのだと悟った。私本来の髪の毛とパテが溶けあい、感覚が融合し広がっていく。それは奇妙な感覚だった。ただのパテのはずなのに、その中に私の感覚が潜り込み拡張されていく。 パテが乾くまでの間、私は椅子に座ったままじっと待たされた。彼らはいよいよ、メイド服を準備し始めた。服と言っても普通の人間が着るそれとはまるで違う。布というよりは樹脂のような質感を持ち、私の新しい肌と同じように、薄暗い工場の照明に反射し、テカテカと輝いている。しかもデザインはミニスカで、フリルやリボンがやたら多い可愛らしいデザイン。買い手の要望なんだろうか。それともこういうのが売れるんだろうか。これから一生あんな服のまま働かされ続けるだなんてゾッとする。何歳になっても、私は永遠にフリフリのミニスカメイド服のまま……? しばらくすると、真っ白なレオタードを手渡された。薄いけどゴムみたいな弾力があり、まるでソフビ人形の胴体パーツのよう。着るよう指示された。インナーもなく、裸体に直接だ。おそらくはこれが下着代わりなんだろう……。引っ張るとよく伸びるので、案外苦も無く手足を入れられた。四肢を通して身に着けた瞬間、純白のレオタードは伸ばしたゴムが縮むかの如く収縮し、私の胴体にピチッと張り付いた。着心地はとてもよく、これまで着たどんな服や下着より気持ちよかった。滑らかな肌触り、心から安心するフィット感。軽く体をねじっても、不思議と皺一つできない。さっき見せた伸縮性で、常に私の肌と同化しているかのごとくジャストフィットを維持するみたい。肌とレオタードの間には一部の隙間も生まれない。ずっと肌にピタリと沿うように張り付いたままで、何だかこのレオタードが私の皮膚みたいに思えてきた。 続けて万歳するよう言われたので、そうする。説明もなくスプレーが胴体に吹き付けられる。首回りから脇、股間まで丁寧に全面だ。吹き付けられたところから少しキュッとするような感覚があったので、きっとこのレオタードを体と密着させ、二度と脱げないようにするスプレーなんだと思う。男たちはレオタードを何度も引っ張り、脱げないこと、皮膚との間に一ミリの隙間も生まれないことを確認した。レオタードだけをつまむことはもはや不可能となり、その際は必ず私の皮膚もつままれるので痛かった。 男たちがメイド服の準備に取り掛かった隙に、私はものすごく伸びた自分の髪先を手でつかみ、視界に入れた。もうパテは乾いただろうと思って。そこにあったのは、アニメのキャラクターのように鮮やかなピンク色をした髪……のようなものだった。ぞわっとする。まるでフィギュアの髪パーツみたい。ピンク色の塊に切れ込みを入れて髪を表現しているかのような物体だった。やはり肌や服と同じテカリがある。でも、指で軽く分けることができた。一塊になってしまったかのように見えるけど、ちゃんと髪みたい。視覚情報と指先の情報とが一致せず混乱する。 私はきっともう、作り物のお人形みたいな容姿になっているんだろうな。背中まで伸ばされた、大ボリュームのピンク髪。ツルツルテカテカの肌。私を知る人……親や先生、同級生たちが居間の私を見て私だと気づくだろうか? 最後に、私は自分を永遠に封印するメイド服を自ら着なければならなかった。どこにも切れ目がなく、着脱するための機構がない。布とは異なる厚みがあり、均質な色合いや質感は樹脂みたいだけど、一応布っぽい手触りだ。そしてゴムのように伸びる。何とも奇妙な物体だった。 強引に伸ばして体を入れ、私はロボット用のメイド服で体を包んだ。レオタード同様、着ると同時にピチッと収縮し、私の体に張り付く。真っ白なニーハイソックス、肘まで覆う長い白手袋も装着され、仕上げに可愛らしいヘッドドレスをつけ、とうとう私はピンク髪のミニスカメイドに変身を完了した。スカートの裾はフリルで彩られ、腰には漫画みたいに大きな白いリボンがくっついている。顔が赤くなる。全裸とはまた別の恥ずかしさだった。こんな服、着たことない……。私みたいなのが着ていい服じゃないし。 万歳させられ、丹念に蒸着させるためのスプレーが吹き付けられる。メイド服が体に隙間なく張り付き、レオタードと、手足と、融合して溶けあっていく。私はもう二度とこの衣装を脱ぐことができないんだ。そう思うと涙が出そうだった。 「動作テスト」 黒服の人がそういうと、突然に私の最期が訪れた。全身が気をつけの姿勢をとり、私は二度と自分の意志で体を動かすことができなくなった。猫背だった背がピシッと姿勢正しく伸ばされ、私はまっすぐ前を見つめたまま、視線すら動かせない。何の事前説明も予兆もなかったので、私は狼狽えた。 (うっ……そんな……?) 身体の改造ばっかりだったし、まだメイドロボに精神まで改造されているだなんて思ってもいなかった。飲まされた謎の液体が複数種あったけど、あれがそうだったんだろうか。私はとっくに内部をも……体の支配権を奪われていたのだ。 「待機」 その一言で、私の体が勝手に動いた。スカートの前に両手を重ねて固まる。ピクリとも動けない。手足の感覚は、私の意志は変わらないのに、自分の意志で動かせない。全く反映されない。私は私の目でただ世界を、成り行きを眺めていることしかできない存在と化したのだ。 (……い、いや……こんなの……) 私の意志がそのまま残されたのは喜ぶべきだと一瞬は思った。でも、考えてみれば……最悪かもしれない。私は二度と自分の意志を表に出すことができないのに、このメイドの牢獄の中で永遠に生き続けなければならないのだ。こんな残酷な運命があるだろうか。 「こい」 「はい」 作業服の人に言葉に、私の声が勝手にでた。私は返事しようと思いもしなかったのに、私の口は独りでに言葉を発し、足は歩き出し、あの男に追従している。 (わ、私……もう、ロボット、に……? うそ……) あまりにも唐突かつあっけなく終わった自分の人生に戸惑いながら、抵抗することはおろか、嫌がっているという意思表示さえできぬまま、私は背筋良く体を伸ばしたまま、男の後をついて歩いた。勝手に歩いていく体。動かせない体。今まで経験したこともないような奇妙な時間だった。 より油臭い、いろんな機械や作業台が並ぶ部屋に着いた私は、スカートをめくりあげるよう指示された。 「はい」 一瞬の躊躇も許されず、即座に両手がスカートをつかんでは景気よくたくし上げ、私の股間と太腿が露になった。そして両足を広げて仁王立ち。私はこれから一生、人の指示を全てきかなければならないんだ。抵抗もできず……。私の股間は白いレオタードで、さっきまで長く全裸でもいたのに、この状態で時間を止められてしまうのは耐えがたい恥辱だった。さっきまでは、強制されていたとは言っても、私の体はあくまで私のものだった。つまり、私が動かさなければ動かない、そういうものだった。でも今は違う。私からは、それさえ奪われた。逃げることはおろか、嫌がる素振りも見せられず、真っ赤に熱したコテのようなものを持って私に近づく男を、スカートをたくし上げたまま一ミリも動けない状態で待ち続けなければならなかったのだ。 (……やめて、何をするの) 目の前まで接近した男が屈む。煙を上げる熱された金属板が、私の太腿に押し付けられる。 (いやあああーっ!) 経験したこともないような痛みが太腿を襲った。熱い。熱いよ痛い痛いいたいぃ! 皮膚が切り裂かれ中に槍が撃ち込まれるかのような鋭い痛みが続く。絶叫しのたうち回りたいのに、私の体はピクリとも動かない。黙ってスカートをたくし上げたまま石像のように突っ立っているまま。それがますます私の痛みを倍増させた。 (――っああああ! ダメぇ! っやめてえええー!) 永遠にも感じた拷問が終わり、男がコテを太腿から離しても、ジュウジュウ熱された火傷のような痛みは続く。体が許せば私はみっともなく泣き出し声を上げていただろう。しかし私は真顔で視線すら動かせないまま、彫像のように固まっていることしかできない。私は心の中であらんかぎりの声を振り絞って泣いた。 「終わったか」 「はい」 「コード0」 突如両手がスカートを離し、両脚をピタリと閉じる。私の口から私とは思えないハキハキとした喋り方で、高いトーンで私は告げた。 「私はメイドロボ6324号です、メイとお呼びください」 (……そんな) 人間、藤原芽衣は死んだ。私は人間を素体として改造された、違法メイドロボとして生まれ変わってしまった……。 「完成」した私は、白い円形の台座の上に立たされた。そこでスカートの上に両手を重ね、待機姿勢を取ったのち全身がカチンコチンに固まり、マネキンのように鎮座していることしかできなくなってしまった。男たちが改造の後片付けを始める。私は手伝わされることもなく、時折視界を横切る男を固定された視線で眺めるだけだった。 たまに作業服の男が私に近づくと、触るなよ、汚すなと声が飛ぶ。変なの……。人間だった私は酷い扱いだったのに、メイドロボになった瞬間大事にされるだなんて。 そういえば、さっき太腿に当てられたのは何だったんだろう……。絶対すごい火傷してると思うんだけど、大事な商品なら何で傷つけるわけ? わけわかんない……。自分の太腿を見て確認したいけど、それはできない。命令があるまで私は動けない。この台座から降りることも、スカートをめくって焼かれた自分の太腿を覗くことも、首を一ミリ動かすことさえも……。 「いかがです?」 「おお、よくできているな」 後日、私は悪趣味なギラギラ装飾のお店に移され、そこで高そうなスーツを着たおっさんの前にお出しされた。動作確認以来、私は一瞬も体の支配権を返してはもらえなかった。これから一生、本当にメイドロボとして生きていくんだろうか……。嫌だ。だれか助けて。こんなおっさんに買われるなんて。お願い……。 おっさんは素体の情報を知りたがった。すぐに店員がタブレットを渡す。視線動かせないから見えないけれど、私の顔写真とか経歴とか載ってるんだろうか……? 現役女子高生だったことを知ったおっさんは満足したらしく、私は彼に購入されることになった。 (いやぁ! 助けて! やめて! 私……売り物じゃない!) 淡々と進む所有者登録をどこか他人事のように体の奥から眺める。私はあまりに理不尽な運命を呪った。この目に遭うのは借金をした両親たちであるべきじゃないの。どうして私がメイドロボになって……人生を、人権を見も知らぬおっさんに奪われて捨てられなくちゃいけないわけ? こうして実際に売買されると、自分がもはやただのロボットであることを嫌と言うほど実感させられ、惨めな境遇と裏切った身体を呪いたくなった。 「じゃ、行こうか」 「はい」 契約が済み、おっさんが私の「所有者」となった。私は笑顔でスカートをつかみお辞儀する。やめて。こんな奴に頭なんか下げたくない。でも体は勝手に動き続ける。これからずーっと、私はこいつの命令を聞かなければならない。何でも……何でも? 車内で私は頭を撫でられたり頬をつつかれたり、太腿を擦られたり、相当のセクハラを受けた。私は笑顔で黙って全てを受け入れる。嫌がる素振りも許されない。絶望しながら、私は自分がこれからどうなるのか真剣に考え始めた。自分が具体的にどういう目に遭わされるのか、っていうのは考えていなかったけど……。やっぱり、「そういうこと」何だろうか。そりゃそうだよね、わざわざ生きた人間をロボットに改造するくらいだもん。あぁ……。 大きなお屋敷につき、長い庭を歩いて玄関まで向かう折、ふと疑問が湧いた。 (あれ? この服脱げないんじゃないの?) このミニスカメイド服、さらにレオタードが私の体と一体化している限り、「そういうこと」をするのは物理的に不可能じゃない? 私の思い込みで、実は脱げるんだろうか。……いや待って。そもそも、私の股間はもう閉じちゃってて、入れる穴が一つも残ってない……あれ? もはや存在するというだけの残滓である私の意志など介されず、マスターさんは屋敷の家事を他のメイドロボたちと協力して行うよう私に言いつけた。 「かしこまりました、ご主人様」 スカートの裾を両手でつまみ、笑顔でお辞儀する。したくもないのに。 家事のデータを移すということで、私は先輩メイドロボが待つ待機室に行かされた。白い円形の台座が何個も壁に沿って並んでいる。ほんとにお金持ちだぁ……。こんなにメイドロボ持っている人初めて。そして自分がそのメイドロボ隊にメイドロボとして加わるのだということが信じられなかった。 私の前に「先輩」が立つ。数秒間、互いに見つめ合ったまま動かない。何? 一体何? 「データリンク完了しました」 私の口が答えを出した。私は知らないのに、私の体は知っている……変なの。 「じゃ、今日からよろしくな、メイちゃん」 マスターさんは私のほっぺに軽く口づけし、部屋から出ていった。ゾッとしたけど、表には出せない。私は笑顔で 「かしこまりました、ご主人様」 とお辞儀するだけだった。 その日から、私のメイドロボとしての新生活が幕を開けた。最初は笑顔の内側でビクビクしていた。一体どんな酷いことをされるんだろうか、と……。しかし、実際に私がやらされるのは文字通りの家事や雑用ばかり。先輩ロボからデータを移されたおかげか、初日から私の体は屋敷のどこに何があり、どのタイミングでどの家事をすればいいかを完璧に把握していた。これには驚かされると同時に、悲しくなった。自分が完全にロボットになってしまったことを痛感させられたからだ。初めての屋敷、初めてのお仕事……のはずなのに、私の体は何もかもを承知しスムーズに家事をこなしていく。道に迷うことも食事のタイミングを誤ることもない。昔からずっとこの屋敷で仕えていたベテランのメイドのように淡々とこなしていく。私はその間、ずっと見ていることしかできなかった。手足に指示を出すことがどうしてもできない。歩みを遅らせることすら。 夜はメイドロボの倉庫というか待機部屋みたいな部屋で、円形の充電台の上に立つ。私はそこで他のメイドロボたちと全く同じ待機姿勢をとらされ、マネキンのようにまとめて並んだまま眠ることになる。当初は苛立ったし、焦燥感も募った。メイドロボたちに混じって全く同じように扱われてしまうことに。 (んっ……んん……違う、私はメイドロボじゃないんだから……っ) 反対側に立ち並ぶロボットたち、両隣に並ぶロボットたちに、心の中でそう言って、私は自分を保たねば正気でいられなかった。メイドロボたちと全く同じ時刻に起動し、同じ足取りで家事に取り掛かっていると、何だか本当に自分はメイドロボだったかのような錯覚さえ起こしてしまう。人間の脳というのは案外いい加減で、メイドロボAIが動かす手足が、次第に私の意志で動かしているかのように感じてしまうのだ。この皿は私が私の意志で洗っているのだと……。 (そんなわけ、ないじゃない。私じゃない。メイドロボAIが……全部……) 必死に抵抗しても、体の感覚は消えない。人間の脳は、自分以外の存在が手足を支配し動かすケースなんて想定してないはずだから当然かもしれない。でも納得できない。理不尽過ぎる。私は人間。メイドロボなんかじゃない。でも、頑張らないと自然にメイドロボ気取りにさせられてしまう……。 何より不可解かつ、腹立たしいことは……私をお買い上げしたマスターさんは、私に何もしないってこと。普通にメイドロボとして働かせるだけなのだ。エッチな命令とか、何もしてこない。わざわざ生きた人間を、女子高生を素体に改造して、逮捕リスクまで背負って高いお金出したのに!? 廊下ですれ違う際軽くお尻を揉んだり、酔った時にスカートめくってきたりはするけど、それだけだった。マスターさんは普通にいろんな生きた女性、普通に人間してる女性を家に呼んで楽しんでいる。沸々と怒りが募る。どうして私じゃないの? なんのために私をロボットにさせたの? いや別に彼にそういうことしてもらいたいわけじゃないんだけど……ただ、これじゃあ自分が何のためにこんな目に遭ったのかがわからなすぎ、無意味過ぎて狂いそうになってしまう。普通の人間がお好みなら、普通に私を買えばよかったじゃん! それとも、私に価値なんてまるでなかったんだろうか。そう思うと胸がギュッと締め付けられるような気持ちになる。 余りに普通のメイドロボ過ぎて失念していたけど、私の先輩……同僚たちは、本当にメイドロボなんだろうか。もしかして全員、元は人間? だとしたらますますわからない。普通に合法のメイドロボを買えばよかったんじゃないの? 月日が経つにつれ、否応なくマスターさんの人となりを知る中で、その答えは出た。彼は普通のメイドロボじゃ我慢できなかったんだ。ただ、それだけ……私は、私たちはきっと、それだけの理由で人生を奪われた。付き合いのある金持ちたちの誰も持っていないメイドロボ、人間を改造したメイドロボを自分は持っている……。ただそれだけの見栄。自己満足。彼が欲したのは人間を奴隷化することではなく、「高級なメイドロボ」だったのだ。だから私たちにエッチな命令なんかしない。ただメイドロボとして運用するだけ。これを理解していくに従い、私の腸は煮えくり返りそうだった。たったそれだけのオプション、付加価値のためだけに私は……。永久に人権を奪われ、意思表示の法を封じられ、脱げないフリフリメイド服を二度と脱げなくされたわけ!? 酷い。酷いよ。あんまりだ。私は一体、何のために……。 私が内心で何を願い、何に憤ろうとも、私の体は自動的に動き続ける。淡々と家事をこなすだけ。 「これ以上は流石に多すぎじゃねえか?」 「うーん、やっぱそうだよな」 ある日、マスターさんは友人とそんな会話を交わしていた。もうすぐ欲しいメイドロボが出てくるので買いたいが、もうメイドロボは充分な台数持っている。口ぶりから言って、おそらく人間素体っぽい……。なんて連中だ。また罪もない……かどうかは知らないけど、くだらない自己満のために全てを奪われる子が出るの? 「処分すっかなあ」 身体が私のものなら、きっとビクッと震えたことだろう。処分……処分って何? まさか……捨てる? メイドロボを捨てるっていうのは、つまり……廃棄? ……死ぬ? 頭の中で嫌な可能性ばかりが想起される。一生死ぬまでメイドロボとして強制労働させられるのを体の内側から見守るだけの人生。そう思っていたけど、まさかそんな……早く……うそ。 (大丈夫。私はまだ「新品」) 私の次の子は入ってきていない。廃棄されるのは先輩の誰かのはず。私は大丈夫……。バクバク言う心臓と戦いながら、必死に自分に言い聞かせた。そっか……私が死ぬときっていうのは、そういうことなんだ……。あまりにも残酷な未来の確定に私は絶望した。私はいずれ、壊れた機械として廃棄処分されるんだ。人間なのに。人間だったことも忘れられ、誰にも気づかれることなく……。葬式すら出ない。墓にも入れない。ただのゴミになるんだ。 (……嫌だ。いやっ……!) 久々に、私は自分で体を動かそうと試みた。しかし不可能だった。笑顔で皿を下げるだけ。 「売ればいいだろ、もったいない」 「そうだな、売るか」 (……売る? 売るって誰に? それならまあ……死なない? かな?) 少しだけホッとした。でも、いずれは同じ結末……だよね。そのことに気づいたこの日、私は慣れてしまった絶望をさらに深め、夜の充電台の上で震えた。いや震えたかったが、私は笑顔で待機姿勢を取り続けるだけだった。 (……どうして! 私が一番新しいのに! ねえなんで!? お願い! 売らないでえー!) 一週間後。屋敷に来た業者が私に一番高い値をつけたことで、私が売られる運びになってしまったのだ。信じられない。まだ一年ちょっとなのに……。私、ただのメイドロボじゃないんだよ? 人間なの。人間をわざわざ改造して作らせたメイドロボでしょ。それを……売る、ってどういうこと? 嘘でしょ? 私……たった一年あなたのメイドロボにつけるオプションになるためだけに改造されたっての!? 心の中で猛抗議し、何度も怒号を飛ばした。しかしマスターさんは安値で古株を売るより、高値で私を売ることを選んでしまった。信じられない……どうしてこんなことが……。 さらに一週間後、引き取りに来た業者の人に、私は懸命に呼びかけた。 (助けてください! 私人間なんです! メイドロボに改造された人間なんです!) 「では、以上を持ちまして所有者登録の更新が完了しました」 (だから私は人間! に・ん・げ・ん!) 「今後とも御贔屓のほどよろしくお願いいたします」 (ねえ!) 業者の人は、借金取りの一味じゃない。ごく普通の会社の普通の人のように見える。それが気がかりだった。もしかしたら、もしかしたらだけど、この人は……私を。 「来なさい」 「はい」 私は業者の人と一緒に、一年勤めた屋敷を後にした。ああ……出ていっちゃう。私が人間だと知っている所有者が遠ざかっていく。コーティングされてなければ嫌な汗がドバドバ流れていたに違いない。ひょっとしたら、私が人間だということをこの人は知らされていないかも……。 (大丈夫だよね? 聞いてるよね? そっちの人、なんだよね?) 清潔感があり素朴そうな人柄の彼は、私にとってこの上ない恐怖だった。カタギじゃありませんように! 私がこんなことを願う日が来るなんて。 不幸な予感は的中。私を買ったのは、ありふれた普通の家電屋だった。洗浄と動作確認の後、デパートの中古品コーナーに連れていかれた私は、そこに並ぶ中古メイドロボの列に加わるよう指示された。 「はい」 (いやだぁ!) 最悪。最悪だ。私の足は止まらない。止められない。あっけなく中古品たちの中に加わった私は、通路側に振り返り待機姿勢をとると、そのままマネキンのように動けなくなってしまった。 (違う、違うの! 私は違う! 人間なの! メイドロボじゃないんですーっ!) 間違いなく彼らは知らない。私が人間を改造したメイドロボだということを。あろうことか、私は本当に、ただの、普通のメイドロボとして売却されてしまったのだ! (お願い気づいて。検査……何か検査とかしてよぉ……) 周囲に並ぶのは正真正銘、普通のメイドロボだろう……。私は今度こそ、自分が本当にメイドロボに変えられてしまったかのように感じ、とてつもない焦燥間に襲われた。逃げなくちゃ。まずい。ここにいちゃダメ……。何とか、何とかしないと……。 視界に映るのは冷蔵庫たち。私があの冷蔵庫たちと同列の存在になってしまったという事実がどうにも受け入れ難かった。私は今やありふれた中古家電に過ぎないのだ。 (違うっ……人間なのっ、私は……) 目の前を通り過ぎていく買い物客たち。自分がミニスカのフリフリメイド服であることを思い出し、内心赤面した。こんな格好で表に、家電屋に陳列されるだなんてぇ……。ち、違うの、私の趣味じゃないし、着たくて着たわけじゃ……いやそれどころじゃない……。 心の中で必死に呼びかけても、答える人は現れない。この世にテレパスはいないんだろうか。一人ぐらいいてもよくない? どうしていないの? 中古メイドロボを買い求める人たちが現れるたびに、私はドキドキした。買われたらどうしよう。私が人間だと知らない人から知らない人へ渡る。もうおしまいだ。助かる見込みはゼロになっちゃう。ぞんざいな扱いを受け、すぐに壊されてしまうかもしれない。要らなくなったら廃棄する人かもしれない。そうしたら私は……。 (買わないで、買わないで) 私は必死に自分が買われないことを願った。ずっとこの店にいれば、もしかしたら前のマスターさんが買い戻しに来てくれるかも。警察が彼を捕まえれば足取りを追って助けが来るかも。でも買われちゃったらどっちも厳しくなってしまう……。 ある日、一人の親子連れが私の前に立った。片方は私と同い年か少し上に見える。目の前で店員と会話を始める。大学に合格し春から一人暮らしを始める息子のためにメイドロボを買いに来たと……。何度も聞いた流れだ。私じゃありませんように。 (わ、私フリフリだよ。買い物とかいかせると恥ずかしいよ!) が、息子の方がジッと私を見ている。う……まずい。私に興味を……あれ? この子どっかで見たような。 (……伊藤くん!?) そうだ。間違いない。高校で同じクラスだった伊藤くんだ。なんか大人びたなあ……わかんなかったよ。 胸が張り裂けそうな悲しみが私を襲う。同じクラスだった彼は春から大学生。そっか……もうそんな年なんだ。私は……私はただのメイドロボ。中古の、家電量販店に並ぶ……。 大学、行ってみたかったなあ。人間だったとしてもお金なかったから無理だけど……。かつて同じ空間にいた同い年の男子に、中古家電と化した惨めな自分、それもピンク髪のミニスカメイドなんてけったいな格好を晒す羽目になった私は、死ぬほど惨めでいたたまれない時間を過ごした。 (うーっ、早く決めちゃってよ、あっち行って……) 「修介、欲しいのある? 性能どれも同じなんだって」 「ん……これかな」 伊藤くんの指は、まっすぐ私を指さした。 (なんでえ、どうしてよりにもよって知り合いに……同級生にっ!) これ以上恥ずかしい恥辱がこの世にあるだろうか。私はかつての同級生に、中古メイドロボとして陳列されているところを見られたばかりか、買われてしまったのだ。嘘でしょ。私これから……伊藤くんに仕えるの!? メイドロボとして!? 伊藤くんは同じクラスだったけど、話した記憶はあまりない。どんな人だったっけ。そんな悪い人じゃなかった気はするけど。 売買がまとまり、所有者登録を済ませた後、彼が私に呼びかけた。 「コード0」 「私はメイドロボ6324号です、メイとお呼びください」 伊藤くんは明らかに動揺した。何? なにさその顔……。幽霊でも見たような……ああ。幽霊かな私。 肌が均質に肌色一色に染まり、テカテカにコーティングされ、鮮やかなピンク色に染まった髪。でも顔は私なんだよね。修学旅行を最後に失踪した同級生と同じ顔をしたメイドロボが、同じ名前を名乗ったらそりゃドキッと……んん? 待って、もしかして……。 帰りのタクシーに同乗した私は、密かな期待に、すっかり諦めかけていた希望に手を伸ばした。 (もしかしたら、気づいてくれる可能性……ある?) 僅かな期間、伊藤家の家事を手伝ったのち、私は新幹線で伊藤くんと大学のある県に向かって旅立った。切符を買わなくても改札を通れるのはちょっとお得な気分だったけど、改めてモノ扱いである自分の境遇を思い知らされ、気分が悪かった。それに、フリフリのミニスカメイドで駅を堂々闊歩させられるのも耐えがたい羞恥プレイだった。 でも、私の心は以前ほどには落ち込まない。きっと、縋れる希望があるからだ。 伊藤くんは私にはだいぶぶっきらぼうに接してくる。照れが見え隠れしていて、何だか可愛い。以前のマスターさんとは異なり、だいぶ私を意識してくれているようだった。久々に人間扱い……されてないけど、そんな感情を持たれたことが嬉しくて、私はちょっと楽しくさえあった。 大学……四年、四年かあ。流石にメイドロボをポンポン買いなおすほどの裕福な家庭ではないはずだし、それだけ……それだけあれば気づいてくれるかも。私が一年半前に失踪した同級生、藤原芽衣だってことに。 私は一切意思表示できない。だからただ願うばかり。最低でも四年は仕える新しいご主人様が、体内に潜む「私」の存在に気づいてくれることを。 新幹線が発進する。私は席に座れないので窓側に突っ立ったままだ。周囲の視線が恥ずかしいけど……。羞恥心よりも、今は新生活に胸躍らせる気分の方が強い。そうだ、そうだよ、よく考えたら私……大学生活を間近で見られるんだよね。大学に足を運ぶことはきっとないだろうけど……。あはは。 チラチラ私を見る伊藤くんに、内心で買ってくれた感謝を述べつつ、私は願った。 (絶対、気づいてよね。助けてね!) でもしばらくは……伊藤くんと二人でメイド生活もいいかもしれない。大勢のメイドロボのうちの一体だった屋敷や店とは違う。私は彼にとってたった一台のメイドロボだもん。きっと無機質なルーチン家電にはならない。きっとね。私一人に注意を向けてくれるはず。そしたらきっと……いつか気づいてくれる。 (で、でも……そしたらそれはそれで恥ずかしいな……) 彼が気づいた瞬間、私はメイドロボではなく、「髪をピンクに染めてフリフリのミニスカメイド服をきた藤原芽衣」になってしまう。うー、きっついなあ……。 いろんな期待に胸を膨らませながら、私は静かにメイド姿のお荷物として、過行く向かいの窓の景色をいつまでも眺めていた。

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