姉妹でフィギュア (Pixiv Fanbox)
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2022-09-08 12:02:01
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2023-05
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「ただいまー……」
長い残業を終えて家に帰り、ベッドに倒れ込むと机上から妹が声をかけてきた。
「おかえり……」
心底申し訳なさそうな怯えた声に、辛そうな表情を見ていると過労で荒んだ私の心がますます荒れていくようだった。
「ごめんねお姉ちゃん、私が……」
「いいってば。メグミのせいじゃないんだから」
退院した時は綺麗だった真っ白なワンピースも、随分ヨレヨレになってしまった。一着をずっと着まわしているからしょうがないけど……。ちゃんとした服を着せてやりたい。でも身長30センチの人間のために作られた服は売ってない。オーダーメイドしようにも中々お金が用意できない。家の中を妹が暮らせるように改造するだけで手一杯だし、それもまだ完了はしていない……。
人間の体が相似縮小していく不思議な病気、縮小病。妹は半年前それに罹って、身長が30センチ前後になるまで縮んでしまった。こうなればもう一人で生活していくことは厳しい。だから姉の私がこうして一緒に暮らしているわけだけど、妹は元気でないし、私も仕事はブラックだしで空気は最悪だ。メグミが一人でドアを開けたりご飯食べたりできるように家の中を改造するのにかなりお金がかかった。賃貸だからドアをくり抜くわけにもいかず、色々と迂遠なやり方をしなければならなかった。当然、私にとっては邪魔になるものばかり、小人用の階段や大がかりなドアノブ動かし機など、通行の妨げにしかならない。壊さないように注意しないといけないし。
日々の生活では当然、妹を踏んだり蹴飛ばしたりしないよう常に気を張らねばならず、小さな配慮の積み重ねが私のストレスを増大させていった。家に帰っても完全に緊張を解けないというのがこんなにも精神をすり減らすものだったとは。もっとまともな仕事に就ければ心に余裕も持てたんだろうが……正直今より給料が上がる、もしくは保てる転職の当てはないし、自信もなかった。とにかく妹メグミの生活環境を整えるためにお金が必要な時だし……。
ストレスが溜まっているのはメグミもだ。いや私なんかよりよほどだろう。もう一生小人のままで、まともな生活なんて望めないのだ。仕事も恋愛も、ただ生きていくことでさえ……。ただ縮んだだけで体自体は問題なく動く分、脳が納得しきれないかもしれない。なのに日中ずっと引きこもって、ただ介護されるだけの日々じゃね。軽い家事すらこなせないから、だいぶ堪えているようだ。最近はいつも落ち込んでいる。髪もボサボサで、肌も荒れ気味。まあ、それは私もなんだけど……。
せめて軽いお洒落でもと着せ替え人形の服を買ったこともあったけど、とても人間が着れるものじゃなかった。ゴワゴワして硬く、チクチクして肌触りは最悪。見た目もだいぶ貧相だった……。
縮んだ人間の肌には刺激が強いという医者の勧めで、メイクや肌の手入れも満足に行えない。退院当初は人形みたいで可愛いと思うところもなかったではないけど。もうそんな気持ちは毛頭持てない。トイレの世話もやってるしね……。それにメグミの暗い顔を見ていると、申し訳なくてそんな風には思えない。
しかしこれからどうしよう。私たち姉妹は身寄りもなく、私には今現在彼氏もいない。仕事はブラック……。死ぬまでこんな鬱屈とした生活が続くんだろうか。最悪。私もメグミも、何も悪いことなんかやってないのに。何か将来の希望になるような、縋れる何かが欲しいと感じる。
私はボーっとしながらスマホの画面を眺めた。メグミの退院からもうすぐ三か月か……。んんー、やっぱ転職先探そうかな。いいところ行ければ私はまだ……。
最悪というのは、最も悪いと書くけれど……。私の人生はまだ最悪ではなかった。まだ世界の悪意には続きがあったのだ。
ある日、気づいてしまった。スーツの、シャツの袖がちょっと伸びていることに、子供が将来を見越して大きなサイズを着せられているかのようだった。私は困惑した。サイズはこれだけで、今まで普通だった。と思うけど……あれ、どうだったっけ。普通に手首が見えたはず。だった気がするけど……。ずっとサイズを間違えていたのだろうか。
しかし会社に遅れるわけにはいかないので、私は小さな違和感を飲み込み、何事もなかったかのように出社した。通勤の間ずっと奇妙な違和感を抱き続け、気分が悪くなった。何も変わらないいつもの通勤風景。なんだけど、どことなく何となく、何かが違っている気がする。新しい家が建ったとか、コンビニが撤退したとかじゃない。会社につくまで、何なら仕事中もずっとついて回ったのだから。
メグミに相談しようかと思ったけど、やめた。余計な気苦労をかけたくなかったからだ。
違和感の正体は数日後、ハッキリとした形を表し、牙を剥いた。袖から指先しか出ない。それどころか、全体的にサイズが合わない。ブカブカだ……。私はこれを知っている。妹がそうだったと聞いたことがある……。
(……嘘だ)
「どうしたの?」
着替えの途中で固まっている私を見て、メグミが心配そうに声をかけてきた。床から私を見上げたまま首をかしげている。そうだ、メグミは……気づかないだろうか。いや、そうでなくて欲しい、私の勘違いか何かであってほしい、でないと困る――けど。「経験者」たるこの子が何も言わないなら違うかな? そうであってほしい。……「巨人」のちょっとした違いなんて、あの目線からじゃわからないだけ……かな。
「うん……大丈夫」
震える声でそれだけ告げて、私は出社した。したように見せた。初めて会社を休み、私は病院に直行。高鳴る心臓を抑えつけ、できれば私の勘違いであってほしいと願いながら。
だが不安は的中。私の体は縮んでいた。縮小病。あろうことか、姉妹揃って罹ってしまったのだ。ウィルスとかではないらしいので、「感染」はないというのは嘘だったんだろうか。たまたま私ら姉妹が外れ籤を引き続けただけ? でもそんなの……あんまりじゃないの?
それでも、大半の縮小病は数センチ縮むだけだ。発症に本人はおろか、周囲の誰も気づかないケースもあるという。ならそれで。それでお願いしたい。だって私がヤバいレベルで縮んだら、一体どうなっちゃうのさ? 妹は? メグミは……いや私ら二人、どうして暮らしていけばいいわけ!?
泣きっ面に蜂というやつで、私の縮小病は数センチでは止まらなかった。入院をすすめられた私はとうとうメグミに自分も縮小していることを明かさなければならなくなった。妹の悲痛な表情に心が痛む。私が入院したら、誰がこの子の面倒を見てくれるんだろう。トイレは一人で入れるようにしてあるけど、食事とお風呂は……。30センチの体で買い物に行かせるわけにはいかない。かといって配達で届けさせても、そこから梱包を解き食べられる状態に持っていくまでが……。
次第に縮んでいく私を見ながら、妹は早く入院してくれと叫んだ。治療法ないんだから入院しようがしまいが同じなんだけど、次第に小さくなりながらも頑張って会社へ行き続ける私を見ることが辛いらしい。そしてそれが自分の面倒を見なければならないからだということも察している様子だった。でも、どうしたらいいの……。だぶだぶになったシャツの裾を垂れ下げながら、私は何か方法がないか探した。縮小病患者の引き取りをやっている施設というのはいくつかあるみたいだけど、両親を早くに亡くしてからずっと一緒に過ごしてきた妹を得体の知れない施設に放り込むことはできない。全体的に胡散臭いとこばっかりだし。お金もかかるし……。でもタイムリミットは近づいている。私が一人で外出できなくなる日はもう来月には訪れるはずだ。何とか……何とかしなくちゃ……。私が姉なんだから。
親戚はいない。友人も……。電話帳は仕事関係か、高校時代の友人ばっかり。もう数年連絡とってない。生活費を稼ぐため大学には行けなかったので、私の交友関係はそこで終わっているのだ。妹の方も友人がいないわけではないけど、自らの生殺与奪を預けられるほど信頼できる人、となると二の足を踏むようだ。それにどれだけ親しくっても、いきなり「介護してくれ」とは言えない……。普通の家じゃトイレやお風呂も一人では無理だし、部屋を行き来することもままならないのだから。そんな居候を引き取ってくれる人なんて……。
施設……施設に行かないといけないんだろうか。いやメグミだけじゃない。いずれは私も……。
藁にも縋る思いで、私は高校時代の友人たちをあたってみた。みな気の毒がってくれたが、それだけだ。引き取ろうという人は誰もいない。でもしょうがない。責める気にもなれない。私も同じ立場だったら絶対断っただろうから。そんな中、同じ部活だった落葉さんが言った。
「大畑くんなら引き取ってくれるんじゃな~い? ほらぁ、あのオタクだった」
ああ、そういえばいたっけそんな人も……。一年と三年生の時同じクラスだったっけ。でも話したことなんてないような気がするけど。連絡先も知らないし。
落葉さん曰く、彼はフィギュアが好きだったから小さくなったあなたたちも面倒見てくれるかもよ、と本気だか冗談だかわからないお勧めをされた。連絡先送ってくるし。でも流石に当時話したこともないような人に頼めない。なんか不安だし……。
結局引き取り手は現れないまま、時間だけが無慈悲に過ぎていった。私はとうとう会社を解雇され、様子を見に来た先生から入院するよう説教を受ける始末。
「でも」
ドレスのように床に広がる大きなシャツを体にまとったまま、私は言葉が出てこなかった。後ろで不安そうにしている妹が、とうとうそれを守り切れなかった自分が、残酷すぎる運命が、何もかもが嫌になって子供のように泣いてしまった。私は半ば強制的に入院させられ、唯一話を聞いてくれた(?)落葉さんに改めて病院のベッドからスマホで相談した。ことは急を要する。妹は、メグミは今日の晩にもご飯を食べられず、お風呂にも入れない日々が始まる。本人は大丈夫大丈夫、何とかするからお姉ちゃんは病気の方に専念して、と言っていたけど。不安で仕方ない。退院したら妹が餓死してたとか野良猫に殺されてたなんてのは絶対に嫌だ。
「わかったー。私に任せといて!」
落葉さんは明るい声でそういうと電話を切った。まかせ……メグミの面倒見てくれるの? それとも……。何度かメッセージを送ったが、既読がつかない。移動中? 思い切りだけはいいんだよね落葉さん……。もっとちゃんと説明してくれないとわかんないよ。
数時間後、ようやく変身代わりの電話がかかってきた。私の妹を大畑くんのところに預けてきた、彼女はあっけらかんとした口調で告げた。
「えっ!? ちょ、ちょっと勝手に何やってるの!?」
「大丈夫だよー。可愛いお洋服もいっぱいあったし」
「いやっ、そうじゃなくて……!」
服? 人形の服なら人間は痛くて着れない……ってそうじゃなくて、大畑くんを信頼していいのかどうかってこと! 第一男なのに、妹の介護をさせるなんて!
「まあまあ、お試しってことで」
しかし私の苦情など馬耳東風で、彼女は電話を打ち切った。メッセージもスタンプで誤魔化すばかり。病室で一人不安ばかりが膨れ上がっていく。ど、どうしよう……。大畑くんが変態で、メグミがえらい目に遭っていたら……。いや元クラスメイトを悪く想像しすぎかな……でも話したことないし、どんな人だったっけ……。大人しかったのは間違いない。うー、でも30センチじゃ何されても抵抗できないよね、ああ~。
その後、妹から大丈夫だから安心して、という内容のメッセージを受け取り、ようやく私は一息つくことができた。よ、よかった。事件にでもなったらどうしようと……。いやでも大畑くんが書いてよこしたかも……。人を疑いすぎだろうか。紹介した落葉さんのこともあるし、酷いことはしない……と思うけど。
その日一日、私は頼りない記憶を探り、大畑くんのことばかり考えていた。よく考えてみれば二年も同じクラスだったのに全然知らないんだなあ……。こんなことになるなら、仲良くなっておけばよかったかな?
その後一か月ほどかけて、私の縮小は進みに進んだ。何とか社会生活できるラインにとどまってほしいという私の願いも空しく、妹と同じ30センチまで……フィギュアのようなサイズに縮み、そこで症状はストップした。先生曰く最悪の事態は免れたらしいけど、最悪も最悪だよ……。これで私も要介護。姉妹揃って残りの人生……お終い。何で? どうしてこうなるの? 大学も諦めて必死にブラックな会社でも我慢して働いて、その挙句がコレ? 神様なんていないんだ。
真っ白な白いワンピース。今後は病院から支給されたこの服が、私の唯一のまともな服になる。多少高くついてもいいから、妹用に小さな服作ってもらった方がよかったかな。そしたら多分私も着られてた……。いや服なんてどうでもいい。問題はこの先どう暮らしていくか。家の中での暮らしは概ね何とかなるとしても、仕事は……買い物ができない。30センチ二人で生きていくことは無理かな、やっぱり。せめて60センチあれば……。
メグミからは毎日励ましと無事の報告が届いていた。寛解を知らせるといたく喜んでくれ、退院日に大畑くんと迎えに行くというメッセージが返ってきた。私は驚いた。いつの間にか私も彼に引き取られる流れになってない? ……まあ一度は会って妹の面倒を見てくれたお礼を言わないといけないけれど。でもまさか二人一緒に彼のお世話になるの? それはちょっと……考えてなかったなあ。メグミもよく承諾……っていうか、そんなに楽しく暮らせているんだろうか。可愛がられているのかな、というのは感じていたけれど。うーん……。まあ、一度その生活環境を見てから決めてもいいかな。どうせ時間はたっぷりあるし。発症前とは違って。
「どうも……」
「退院おめでとう。大変だったね」
退院日、約束通り彼は病院に現れた。会うのは卒業以来か……。慣れない巨人の登場に本能がビビり散らす。高校時代の印象はほとんど覚えてないけど、まあ大人っぽくなったように見える。ただ私が小さくなって見上げているだけかもしれないけど。
「メグミは?」
一緒に迎えに来るという話だったはずだけど、彼は大きな肩掛けバッグを持っているだけで、床にも手にも肩にも、いるべき小人の姿が見えなかった。
「ああ、ちゃんといるよ、ほら」
彼は信じられない行動に出た。鞄のファスナーを開け、中に手を突っ込んだのだ。えっ……。鞄に押し込めてきたの!? 信じられない。なんて酷い……。
しかし、鞄から取り出されたのはフィギュアだった。白とピンクのチェック柄でできた、可愛らしいアイドル衣装のフィギュア。髪は肩まで伸びる長髪で、白い大きなリボンが頭の斜め上にくっついている。きっと何かのアニメのキャラクターのフィギュアなのだろう。彼はそれをベッドの上に置いた。
「ほら」
「?」
訳が分からなかった。からかっているんだろうか? これはどう見てもただのフィギュアだよ。鮮やかなピンク色の髪、ツルツルとした光沢のある樹脂の肌。デフォルメされた可愛らしい顔。妹や私と同じスケールだけど、流石に騙されるわけがない。
「いや、これはフィギュ……」
その時、彼が小さな懐中電灯のようなものを取り出し、その光をフィギュアに浴びせた。すると突然フィギュアが動き出したのだ!
「さぷらーいず!」
斜め下に伸ばして微動だにしなかったフィギュアの両腕が高く掲げられ、フィギュアは言葉を喋り、唖然とする私に駆け寄ってきた。
「退院おめでとう、お姉ちゃん!」
「……ん? え? ああ……うん? えええ!?」
メグミ!? いや……でも見た目はフィギュア……妹を名乗るフィギュアが私の手を取った。温かくない手。真っ白な長い手袋は、間違いなく樹脂の感触だし、ほんのりと硬い。
「あはは。ビックリするよね。うん。でも私だよ。青葉メグミ。本物!」
メグミ? はアニメみたいなオーバーリアクションを取りながらにこやかに笑った。見覚えのある、懐かしい笑顔に似ている。綺麗すぎる肌色一色の顔と、樹脂の質感、デフォルメされた大きい瞳が邪魔をしているけど、確かにメグミ……の顔に似て……メグミを二次元にデフォルメしたらこんな感じかも……?
「まあまあ、とにかくお家に帰ろ。ねっ、マスター」
(マスター……?)
メグミはベッド脇に立つ巨人の方を向いて言った。そしてメグミが大畑くんのことをマスターと呼んでいるのだということを理解して、ぞわっとした。え、何それ……なんで? ちょっと怖いんだけど……。ていうか、ほんとにメグミなの……。
目の前でくるくる回りながら笑っているピンクのフィギュアがあの子だなんて、中々信じることができない。ていうか、あんな楽しそうにしているところ、見たことない……。この半年ぐらい。メグミはずっと落ち込んでて、暗くなってて……。
「まあ、車の中で話すよ。荷物は? これだけ?」
大畑くんは前日にまとめてもらった荷物を軽く持ち上げ、鞄にしまった。私はまだ困惑したまま、持ち帰られてしまっていいのかわからなかった。生きて動く美少女フィギュアがメグミ? 縮小病にそんな症例はなかったよね? 体がフィギュアみたいになるって……。ドッキリ? 特殊メイク? そういえば大畑くんはフィギュア好きで集めてたんだっけ? じゃあそういうこともできる……のかな? でも確かにこのフィギュアの声は、喋り方はメグミだ。昔の、明るかったころの、縮む前の。……全体的に仕草がおかしいけど。なんか芝居がかってるというか……。アニメか漫画の登場人物みたい。だいぶあざとく見える……。
その後先生に確認してもらったけど、大畑くんで間違いなかった。メグミもだ。先生は特に驚いた様子もなく、生きたフィギュアを受け入れたのでなおビックリ。
「あー、あのクリームね」
(クリーム……?)
どうも釈然としないけど……先生が何も言わないならいいのかな? 私は駐車場まで看護師さんに運んでもらい、とうとう大畑くんの車に入れられた。だ、大丈夫かな……。どうなるんだろ。ていうかどうなってるんだろ。
隣に座ったメグミは、楽しそうに私にじゃれついてきた。流石にメグミ本人なのはわかったけれど、フィギュアが動いているようにしか見えず、不気味さが残った。でもメグミとまた同じ目線で話せるようになったことの嬉しさも徐々にこみ上げてきて、私は涙を必死にこらえた。
「フィギュアクリーム?」
「そう。本来はフィギュアに使うクリームなんだけどね……」
車の中で、大畑くんは妹を変貌させた秘術について話してくれた。その肌色のクリームに配合されているナノマシンの働きはフィギュアの艶出しや修復、汚れの自動分解など多機能にわたり、人間にもそれが適用されるらしいということ。そのクリームを全身、髪の先から足のつま先までいたるところに塗った結果、メグミはまるでフィギュアのような見た目になっているのだということ。そんなもの塗って大丈夫なのかと質問したけど、健康に影響はないらしい。本当だろうか……。でも確かに先生も何も言わなかったなあ。メグミも実際、元気してるし……ていうかすごく明るくなった、ほんとに。見慣れて不気味さが薄らいでくると、段々妹の気持ちがわかってきた。自分も縮んだから尚更わかる。綺麗に可愛い姿になれたことが嬉しいんだ。二度とメイクはおろかまともな服を着ることもできないと思っていたのに、こんな……美少女フィギュアみたいに可愛く変身できたら、そりゃまあ気分も昂ろうというもんだ。現に今、普通の成人だったら恥ずかしくて着れないようなどピンクのアイドル衣装を着こなしているわけだし。違和感持てないほどよく似合っているし、わが妹ながら可愛いと思う。でも冷静に考えたら髪をピンクに染めてこんな服着て人前に出るのどうかと思うけど……。これほどの可愛さ前回の衣装を着ても自然なぐらい顔と肌が綺麗になれたんだもん、まあ明るくもなるかな。今の自分がくたびれたノーメイクの女だからこそ、その気持ちがわかってしまう。隣の美少女フィギュア化した妹と比べると、自分が一人とても醜い存在であるような気がして、気が滅入ってくる。これからこれと毎日見比べられると思うと……。
「……でさ、家に着いたら青葉さん……メグミちゃんもいるし、名前で呼んでいい? ツグミさんもフィギュアクリーム塗ってもらいたいんだけど、どうかな?」
「ふぇっ!?」
私は驚いた。彼の話によると、クリームの汚れ分解機能はお風呂やトイレ問題を解決するのだそうだ。普通の人間に塗っても無駄だけど、30センチにまで縮んだ人間ならば、日々の汗や垢、おしっこやウンチの分解がナノマシンだけで間に合ってしまうそうだ。だからクリームを全身に、特に股間に厚く塗れば、お風呂に入らなくても常に清潔、そしてトイレに行かなくてもよくなる……という話。
俄かには信じられなかったけど……メグミは実際にフィギュア人間になっているし……。見知らぬ男性に介護される生活を強いられたのに愚痴一つ送ってよこさなかった理由がコレだと言われれば納得もできる。トイレやお風呂の世話なんかしてもらわなかったのだ。もはや必要なかったから……。
「まあ、試してみるだけなら……」
私だってそうだ。昔クラスが同じだっただけの男性に下の世話とか任せたくないし、そこまで傲慢になれない。それに……急速に芽生えつつあった妹への容姿コンプレックス解消のためにも、断る手はなかった。
大畑くんの家はマンションの二階。部屋が多く、中々にいいところに住んでいるようだった。そういえば今なんの仕事してるのかとか全然聞いてなかった。自分たちのことで頭がいっぱいだったからしょうがないか。状況が状況だったし。
私が連れてこられたのはモノトーン調の家具で整えられたコレクションルーム。ガラス棚の中にいくつもの美少女フィギュアが並べられている。どれも私やメグミと同じぐらいのスケールだった。少し背筋に冷たいものが走る。フィギュアが好きだから小人も引き取るだろうって落葉さんは冗談めかして言っていたけど……。もしもメグミを私を引き取ったのが本当にそんな理由なら、深いところで私たちを人間扱いしていないかもしれない……。いや、考えすぎだろうか。
床に下ろされると、メグミが私の手をとり部屋の奥にある撮影セットみたいなエリアに連れて行った。ここが私たちの「部屋」なのだという。
「部屋……かぁ」
壁が三方にしかなく、全面は部屋から丸見え。ドールハウスみたいだ。淡いピンク色のパステルカラーで統一された少女趣味な部屋に仕上がっている。棚やテーブルも過剰に可愛らしいデザインのプラスチック製のものばかりで、流石に成人女性の住む部屋とは思えないけど……。流石にメグミもここまでアレな趣味ではなかったはずだから、大畑くんの趣味だろうか。それでもプラスチックの椅子にはクッション代わりのタオルの切れ端みたいなものが敷いてあり、思ったほど座り心地は悪くなかった。
「どうお姉ちゃん? いい部屋でしょ?」
う、う~ん。全面に壁がないのはちょっと……部屋って感じしないなあ……。大畑くんも見てるし。でも確かに、私たちのためにわざわざドールハウスを用意してくれたのは嬉しいし感謝しないといけないかな。いや、まだここで暮らすなんて決めたわけじゃないけど。女児部屋としか形容のしようがないファンシーすぎる部屋だし、だいぶ恥ずかしい。
けど、私の心は急速に大畑家に傾きつつあった。普通の人間が暮らす用の安い賃貸を、あの手この手で改造して何とか妹が使えるようにしていた自宅。当然、私たちに合わせたサイズの家具や道具なんて何一つ存在しなかった。妹の目線からすれば全てが敵だったろう。家という空間そのものが、もはやお前は世界が「人間」に規定している存在じゃないんだと突き放してくるような感覚だったろう。自分が縮んだ今だからこそ、それがよくわかる。この「部屋」の外にある棚やテレビ、遥か彼方に浮かぶエアコン。窓にドア。その全てが私たちには使えない位置に、使えないサイズでドアノブや鍵が存在感を放っている。
対してこのピンク部屋の家具。椅子は私たちがちゃんと座れるし、テーブルも私たち用のサイズだし、ベッドすらある。まるで天国だ。解放感がありすぎるのは落ち着かないけど……。巨人の世界が全面にそのまま接続されているせいで、何だか見世物にされているような感覚がある。
大畑くんはクリームの準備をするからと部屋を出ていき、私はメグミから入院中のここでの暮らしぶりについて聞いた。初日にフィギュアクリームを塗られて、最初は嫌だったけどすごく便利なので受け入れたこと、わざわざこうして部屋を用意してくれたこと、毎日とても可愛がってくれることなど、妹は嬉々として語り続けた。信頼していい……のかな。確かに、ベッドまで用意してくれるなんて、親戚がいてもここまでやってくれたかは怪しい。いい人を見つけられたのかな。
しばらくすると、大畑くんが呼びに来た。フィギュアクリームを塗るから、と。私はまるで発表会にでも赴くかのように緊張した。目の前に座るピンク髪の生きたフィギュアと化したメグミ。そしてガラス棚に並ぶ本物のフィギュアたち……。自分がその仲間入りを果たして、これから先ずっとああいう容姿で生きていく……と思うと、やっぱり怖くもある。本当に人形になっちゃう。でもクリームがなければ、トイレやお風呂の世話を彼に頼む羽目になってしまう……か。
「さ、この中に入って」
お湯に溶かしたフィギュアクリームは、なんとも不気味な粘り気のある液体になった。まるで人間を溶かしたかのような肌色のお湯。私は大畑くんの前で裸になることに抵抗があったが、彼は仁王立ちして見下ろすばかりで、特に配慮を見せようとはしなかった。メグミも何も言わない。そんなもの……だろうか。もう誰も興味ないのかな、私の裸なんて。
可愛らしいアニメキャラクターのようになっている妹の姿を見ていると、もはや抗う気も湧いてこない。観念してワンピースを脱ぎ捨てた。下着すらつけていなかった私の裸体が露になる。一応看護師さんに頼んで、できる範囲で体毛の処理はやってもらったけど、ブラック労働と入院生活で荒れた肌はそのままに、顔色の悪いノーメイクの妙齢女性でしかなかった。メグミは勿論、大畑くんですら一切何の反応も示さない。それがかなりショックだった。その動揺を悟られないよう、私は急いで肌色のお湯で満たされた風呂桶に飛び込んだ。
ヌメヌメした肌色のお湯は、文字通りクリームのようで、私の足を包み込むように飲み込む。腰を下ろすと、意志を持ってまとわりつくかのように全身に張り付く。顔まで沈めるよう言われたので、従った。顔面に何かが……薄い層が形成され、次第に範囲を広げていく。まるでパックしているみたい。一ミリの隙間もなく皮膚にしっかりと沿ってコーティングされていく。
息が限界になったので顔を上げると、もう出ていいよと一言。これだけ? ずいぶんとあっさり……。塗るっていうから指やら絵筆やらで全身ぐちょぐちょされるかと思っていたけれど。
乾くまで床の上に立っているよう告げられ、大畑くんはすぐにクリームを片付けだした。うう……私、どうなってるんだろう。両手を見つめると、既に効果がしっかりと現れている。光沢のあるツルツルとした肌。皺も染みもない、どこまでも均質な色合いの肌色一色の皮膚。その質感はまるで樹脂のようで、生きた人間の手には見えない。
「どう? すごいでしょ」
メグミは威張りながらそう言った。あんたが威張ることじゃないでしょ。まあ……すごいんだろうけど。
乾いた後鏡の前に立つと、そこには裸の美少女フィギュアが映っていた。これが……私? 信じられない。こうして突っ立っていると、単なるフィギュアにしか見えないよ。全身がしっかりと新たなるクリームの肌に覆いつくされ、樹脂のような体になっている。顔は妹と同じくアニメっぽくデフォルメされており、とてもじゃないが現実の人間の顔だとは思えない。でも、鏡に映るフィギュアは私に合わせて瞬きし、表情を変え、首を動かした。行き過ぎた画像修正並に綺麗になりすぎた肌、そしてこの顔。その二つの効果で、私はかなり……若く見えた。いや幼いと言ってもいいかも。高校生……中学生のキャラだと言っても通じるかもしれない美少女フィギュアがそこにあった。くたびれた二十歳過ぎ女の影はどこにもない。
悔しいけど、メグミが明るくなった理由もわかる。自分で言うのもなんだけど、とても可愛いと思ってしまった。今メグミが来ているようなピンクのフリフリアイドル衣装を着ても許されるだろう……って思っちゃうぐらいには。
「どう? 変な感じない?」
「う……うん」
大畑くんはニコニコと笑いながら私を見下ろしている。自分が「裸」であることを思い出し顔が赤くなったが、厳密には私の裸じゃないし、そもそも隠すところも消失していることに気づき、行き場を失った両手が空気をニギニギした。私の胸には乳首がなく、CGモデルのような平坦な曲面になっている。私の見立てが間違っていなければ、胸が一回り大きくなっている。おそらく乳首を自然に覆い隠す程度にクリームが増量したのだ。何でそうなるのかはわからないけど……本来想定された用途であるフィギュアや普通の人形には乳首がないからだろうか。そして股間。何もない。マネキンのようにツルッツルだ。光沢すら放っている。股間の穴は全て塞がってしまい、私は恥ずかしくても隠すところすらない全年齢ボディに変貌を遂げていた。
(トイレ行かなくていいって本当だよね?)
嘘だったら、不具合があったらえらいことになる。でもメグミと大畑くんは楽しそうに「おねーちゃんすっごい綺麗ー!」「可愛くなったねえ」と繰り返すだけで、私は耳まで赤くそめつつ、もはや存在しない股間の秘所を反射的に両手で覆ってしまった。
「じゃあ次は服だね」
メグミがそう言うと、ものものしい大きな機械がデンと置かれた。円柱状の透明な容器が機械の中央に組み込まれている。大畑くんはこれからこの中に私を入れると言う。
「こ、これ何なの?」
「服を作ってくれるんだよ。ほらー」
メグミは自分のスカートの裾を軽く握って上下させた。そういえば、このアイドル衣装……体とマッチし過ぎていて気付かなかったけど、普通の服じゃない。布……に見えない。フィギュアの手足や髪同様、樹脂か何かにしか見えない。でも、樹脂だったら動けないよね。服のように伸縮しているみたいだけど……。
巨大な手が私を掴む。円柱状の容器に上からそっと入れられ、蓋が閉じられた。側面や床、そして蓋には多数のノズルのようなものがある。私はおおよそ理解できた。多分フィギュアに直接吹き付けて衣装パーツを形成する3Dプリンターのようなものなんだろう。人間に使って大丈夫なの。まあ、今は表面がフィギュアクリームで覆われているから直接体にプリントされるわけではないけどさ。メグミも元気にしているから大丈夫……なのかな。
カチッという音とともに、カラフルな霧が四方八方から噴射される。私は目を閉じた。足裏、股間、指の間、髪の毛にいたるまで、余すところなく繊維のようなものが全身に吹き付けられていく。とてもスベスベした心地よい肌触りが手足の上で染みを作り、それが広がり繋がっていく。服……を形作っているらしい。クリームの時と同じように、私の体にピッタリ張り付くように密着していく。
(こそばゆい)
身悶えしたい衝動と戦いながら、私は衣装ができるのを待った。これから一生まともな服は着られないんだと、昨日まではそう思っていたのに……。まさかこんな方法があったなんて。
噴射が終わり、蓋が開いた。瞼越しの光を感じ取り、私はようやく目を開いた。巨大な手が私を装置の外に連れ出す。私はすぐに鏡の前に駆け寄った。
(……あっ)
そこに映っていたのは、まごうことなき「フィギュア」だった。衣装ができたことで、最初からこういうデザインで成形された美少女フィギュアにしか見えない。メグミと同じく、まるで樹脂のような質感を放つ衣装は、肌とよくマッチしていて、まるで融合しているかのようだ。着心地も抜群。絹のように滑らかで、肌にピッタリフィットしていて温かい安心感がある。なのに、手足や指をどれだけ動かしても突っ張ることなく自然に伸縮してくれる。常に肌に張り付いているかのように。
(すごい)
しかしながら、私は次第に顔が赤く染まっていくのを避けられなかった……。デザインが問題。私の髪は噴射された繊維の力で鮮やかなピンク色に染め上げられ、しかもかなり髪が長くなっている。腰近くまで広がるハイパーロング。まるでアニメの世界のようだ。そして頭上にのっかる大きな白いリボンカチューシャ。現実でこんなのつけてたらまず痛い女確定。さらに、両腕は肘より長い白手袋に覆われているし、胴体はピンクと白のチェック柄を基調とした可愛らしいデザインのドレスを着せられている。脚も同じ柄の長い靴下をプリントされていて、靴はぺたんこのピンクの靴。
見覚えがある。メグミの服だ。鏡には後ろでとても楽しそうに微笑んでいる妹の顔も映りこんでいた。お、おそろいコーデ……この歳で、このデザインで……。
「うん、やっぱり姉妹だしね、髪の色も揃えた方が映えるね」
い、いや、できれば普通に黒髪にそろえてほしかったかな……。メグミはまだともかく、私の歳でこのピンクはちょっと……キツイ……と頭では思うものの、感情はついていかなかった。可愛い、嬉しい、そんなポジティブな感情が溢れてしまう。だって、鏡に映っているのは可愛らしい美少女フィギュアなんだから……。それが自分だという事実が、二つの相反する感情を想起させる。人間じゃなくなってしまったことへの不安。リアル人間を超越した可愛さを獲得できた喜び。どう受け取っていいものかわからず、私はスカートの裾を彩る白いフリルを掴みながら、モジモジしていることしかできなかった。
新生活最初の夜。私たち用のサイズの食器で、思ったよりしっかりした食事がとれた。これは本当に嬉しかった。見た目は完全に人間やめちゃってるのに、こんな人間らしい暮らしができるなんて。メグミは本当にここでの生活が楽しかったんだ。私を心配させまいと嘘偽りの報告をしていたわけじゃなかった。そして尿意便意は一切催さなくなり、何も感じない。ちょっと感動してしまう。お風呂に入らないのは精神的にはちょっと気持ち悪かったけど、まあしょうがない。体からは何の匂いもしないし、清潔でいられるのも信じていいのかもしれない。
部屋ほど広く感じた病院のベッドとは異なり、私の身長にあったサイズのベッド。周囲はプラスチック製の玩具の家具で囲まれているのに、人間扱いされている、尊厳ある暮らしができているという実感が湧いてくる。妹とも久しぶりに和気藹々楽しいお喋りができて、私は心穏やかな眠りにつくことができた。ここで暮らすかどうか最終確認なんてとっていない……なんてことすっかり忘れてしまったまま。
翌日から、私たち姉妹の新しい生活がスタートした。といっても、特にやることはないんだけど。大畑くんが仕事に行っている間は家でゴロゴロするだけ。ドアノブに手が届かないし、届いても回してドアを開けることは困難なので、私たちはコレクションルームから出られない。それでも不満なんか抱かなかった。同じ目線、同じ境遇の家族がいるし、今や私は美少女フィギュア(いっててはずいけど)だから、惨めな自分に落ち込むこともない。可愛い服を着ては妹と褒め合い、一緒に遊び、昼寝する日々だった。ブラック労働に明け暮れていた二か月前からは考えられないような時間だった。唯一問題があるとすれば、服が脱ぎにくいことと、可愛すぎること……。何しろジャストフィットする形に形成されているせいで、脱ぐのがかなり大変。手袋と腕の間に指一本も入らないんだから。妹と二人じゃなきゃ着脱できない。それでも伸縮性が高いから何とかなってる。そしてデザイン面。オタクの大畑くんだからしょうがないんだけど、生身の成人女性が人前で着られる服はほとんど……いやゼロだ。どれも過剰に可愛い少女趣味な服だったり、アニメキャラのコスプレ衣装だったり、露出が多かったり……。いい歳してこんな服着て日中遊びつくしている自分に内心呆れる気持ちもあるけど……。久しく味わっていなかった承認欲求がドバドバあふれ出し、年甲斐もなくフリフリな格好をして暮らすことはどうにも止められなかった。大畑くんが帰ってくれば必ず「可愛いね」と褒めてくれて、大きな指で私の頭やほっぺたを撫でてくれる。自分でも呆れるほど、堕ちるのはすぐだった。
このままじゃいけない。これはペットの生活で、人間の生活じゃない。そう囁く自分の声は、次第に小さくなっていった。今まで滅茶苦茶辛かったんだから、これぐらい埋め合わせがあってもよくない? その悪魔の囁きが私を堕落させていく。いつの間にか私は大畑くんの前ではとても可愛らしい言動……あざといぶりっ子仕草をするようにもなっていた。メグミがアニメキャラのようなオーバーリアクションをしていた理由も今ならわかってしまう。すっかり癖になってしまったんだろう。私もそうなりつつある。「鏡見ろおばさん」と警告してくる脳内の「常識」もまだ残ってはいたが、やはり次第に力を失っていった。可愛いと褒めてくれる大畑くん以外、「外の目」がないからだ。毎日外出するような生活だったら流石にこんなぶりっ子に堕ちることはなかったろうけど……。誰も咎めてくる人はいないんだからしょうがない。わかっていても止められない。鏡に映る自分も痛々しいおばさんなんかではなく、大きな瞳と一点の染みもない肌を持つ美少女フィギュアなのだから……。
「ただいまー」
「おかえりなさいっ、マスターっ」
大畑くんが帰宅してコレクションルームに顔を出すと、私は地声よりかなり高い声で彼を出迎えた。マスターと呼ぶのも最初は妹をからかっての冗談だったんだけど、いつの間にか定着してしまった。自分でもビックリ。大きな指に軽く体を撫でられると、例えようもない安心感が体を温める。最近は妹が私より可愛がられると、ちょっと嫉妬してしまう。特にヤキモチを焼くのは、大畑くんがガラス棚のフィギュアたちを眺めている時。そんな「死んだフィギュア」はほっといて、もっと私たちを構ってよ、と言いたくなってしまう。
ある日軽ーくそのことを匂わせると、新しい仕事が私たちに与えられた。それは本当にフィギュアになること。ガラス棚の中に二体分のスペースをあけるから、そこで可愛いポーズをとって固まっていて欲しい……という内容だった。
「それはいいけど……」
ガラス棚に黙って佇むだけのくせに彼の愛情を受けているライバルたち。そんな彼女たちへの対抗心から、私は断らなかった。妹も同じく。しかし問題は、ジッと動かないでいることは大変だってこと……。パントマイムはやったことない。
「大丈夫。コレがあるよ」
彼が取り出したのは懐中電灯……を小さくしたような、玩具のライト。どこかで見たような……。
「あーっ、なるほど!」
メグミは知っているようだ。尋ねると
「覚えてるお姉ちゃん? 退院の時……」
「……? あーっ、あれね!」
思い出した。鞄から取り出したメグミは本物のフィギュアのようにカチンコチンに固まっていたっけ。あれは本人がポーズを維持していたのではなく、あのライトの力らしい。ポーズライトというフィギュアのポーズを固定する機能を持ったライトなのだそうだ。なるほど、それならずっとポーズを楽に維持できるってわけね。
「じゃ、どういうポーズにしよっか」
私とメグミはガラス棚の中に置かれた円形の白い台座の上に立ち、いろいろポーズをとってみた。すると大畑くんから衣装についてリクエストが出た。せっかく姉妹なんだから双子コーデに着替えて欲しい、と。私たちは了承し、最初に着せてもらったピンクと白のチェック柄を用いたアイドル衣装に着替えた。二人ともお揃いだ。リボンカチューシャは二人で左右を反転させた。私は斜め右に、メグミは左側に。
「うん、いいよ。並ぶとすごく可愛いね」
「えへへっ」
照れながら私たちは台座に上り、互いの手を合わせてハートマークを作った。ほんのりと紅潮した顔で笑顔を棚の外に向け、手足全体のポーズも決まった後、大畑くんは最後の指示をした。
「いい。いいよ。そのまま……はい!」
カチッと音が鳴り、光が私たち姉妹を照らした。瞬間、全身が固まり、私は微動だにできなくなった。
(わっ、すごい!)
こんなに固まるんだ、と私は驚いた。光を浴びたその時から、全身がカチンコチンに硬化し、一ミリたりとも動かせない。髪の毛も固まってしまったらしく。一本揺れることすらない。瞬きはおろか視線を動かすことすらできず、私たち姉妹は少し照れの残る笑顔で正面を見つめたまま、その時間を固定されていた。ちょっと動かそうとしてみてもダメ。うんともすんとも言わない。いや、力を込めるという動作自体が禁じられているかのようだ。手足は今や中まで均質な樹脂の塊と化してしまい、骨も神経も存在しないかのよう。
(フィギュア……)
そう。フィギュアだ。私たち姉妹は、正真正銘の美少女フィギュアに変身することができたのだ。
(ふふっ……どーよっ)
私は心の中で、周りのフィギュアたちに勝ち誇った。見た? 私たちだってフィギュアになれるのよ、あなたたちみたいなただのフィギュアじゃ勝負にならないの!
ガラス棚は閉じられ、鍵がかけられた。そういえばいつまでこうしてるんだろ? 芯まで固まっている感覚だから、辛くもないし疲れもしないけど。聞いておけばよかったな。
そして、これが私たち姉妹の最期だった。再びポーズライトが照射されることはなく、私たちは二度と動き出すことのないまま、彼のコレクションするフィギュアの一品となった。
(いくらなんでも長すぎない? そろそろポーズとか変えてもいいと思うなあ)
彼が目の前を素通りしたり、別のフィギュアを取り出して眺めたりすると、嫉妬の炎がメラメラ燃える。ちょっと、なんでそっち見てるの。私たちが……生きたフィギュアがこうやってポーズとっているんだから、そっちのが絶対いいに決まってるでしょっ!
たまに私たちを眺めてくれたり、取り出して撫ででくれたりすると、不満は瞬時に解消された。
(えへへっ、やっぱり私たちが一番よね! ねっ、メグミ?)
メグミは一言も発さない。一緒に固まったんだから当然だけど。……最後に話したのいつだろう。たまにはポーズ解いてほしいかも……。
ガラス棚を彩る住人と化してからしばらく。ある日、予想外の訪問者が現れた。コレクションルームに、知らない小人がやってきたのだ。大畑くんの手に抱かれて。
「うわー、すごいですねえ」
彼女は私たちが飾られているガラス棚に近づき、ニコニコと笑いながら感想を述べた。可愛いフィギュアですね、何だかどれも生きてるみたい、と……。
(もうっ、節穴ね。人間とフィギュアの区別もつかないなんて!)
この子、私たちが急に動き出したらビックリするかな。久々に動こうとしてみたけど、やっぱり駄目だった。表情筋の一筋も動かせない。あの日完全なフィギュアに変身して以来、ピクリとも動けた瞬間はない。
「じゃ、クリームの準備するから、待っててね」「はーい」
小人は後ろを振り向いて返事した。それから私たちの視界から消えた。この部屋を見物しているようだ。クリームを塗る? 大畑くんが? この子に? まさか一緒に暮らすの?
再び嫉妬を覚えると同時に、疑念が湧いた。何故? もう私たちがいるっていうのに。どうして別の子を引き取ったの? 私たちが動かなくなっちゃったから? でも、もう一度ポーズライトを浴びせてくれればいくらでも動いてあげるのに、どうして?
(もうっ……)
しかし、動けない身では何が起きても黙って受け入れることしかできない。私はやきもきしながら、周囲のフィギュアたちに脳内で語りかけた。
(酷いよねっ、私たちがもうこんなにいるのに、新しい子なんてさっ……)
隣の妹も、上下のフィギュアたちも、私の呼びかけに答えることは永遠になかった。