縮小病患者生活支援員 (Pixiv Fanbox)
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2022-06-06 13:05:06
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2023-05
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(はぁ……めんどくせー)
縮小病患者生活支援員。それが俺に与えられた仕事だった。縮小病というのは、最近流行っている体が縮む奇病のことで、何故か女性だけが発症することで知られている。多数はほんの少し縮むだけで気づかない者すら多いのだが、中には30センチ、或いは15センチ程度まで縮んでしまう重い症状の人もいる。治療法はないため、彼女らは残る一生をずっと人形みたいなサイズで生きていかなくてはならない。家族等の介護を受けられない、一人暮らしの女性だと生活そのものが困難になる。そこでいくつかの自治体が始めたのがそいつらの生活を助けるサービスなのだが、まさか俺にお鉢が回ってくるとは思わなかった。
「庭瀬です」
今日の一人目。役所から近いので徒歩移動。マジで怠い。俺は呼び鈴も鳴らさずに合鍵でドアを開けた。このサービスを利用する人たちは大抵返事もできない状態なので、これがデフォルトになっている。ドアの鍵を開けることすらできないなんて、可哀そうだとは思うが、もうどっか施設にぶち込むべきなんじゃないのかと内心思う。一人暮らしする意味ねえだろ、もう。
「おはようございます~」
家の奥からトコトコ走り寄ってくるのはとても小さな人間。身長16センチの花咲さんだ。遠くからだと人形にしか見えないが、近くからだとハッキリ人間だとわかる。その分、生理的な嫌悪感も強い。正直、これだから俺はこの仕事が嫌だった。サイズ感は明らかに非人間的なのに、見た目は完全に人間だ。脳がバグを起こす。そのまま相似縮小されているのだから当然と言えば当然だが、見てはいけないものを見てしまっているこの感覚は中々慣れるものじゃない。役所勤め三年目、ようやく仕事にも自信が出てきたとこだったのに、変な部署に回されて全部パーだ。
「おはようございます、お変わりありませんか?」
「はい、おかげさまで……」
数分間内容のない雑談とどうしようもない愚痴に付き合わされた後、俺は買い出しに出かけた。彼女のための食料品や生活物資を俺が用意するのだ。やれやれ。小人の使い走りなんて冴えねえなあ。まあ16センチじゃ何も持って帰れないし、そもそも道中で踏みつぶされたり猫かカラスに襲われて死んだりしそうだから、仕方ないと言えば仕方ないのだが。だからこそ、何故一人暮らしなんて続けるのかがわからねえ。介護してくれる家族がいないからって、どっか施設に行けばいいのに。そういう施設、調べたら結構あるぞ。我がままなんだよな、正直。
内心でグチグチ思いながら、俺は買い出しを済ませて花咲家へ戻る。使うのは彼女が発症前まで使用していた自転車。鍵は俺が預かっている。本来、彼女に鍵は返して、使う時だけ借りるというのが正しいのだが、もうめんどくさいのでずっと俺が持っている。向こうも特に文句は言わない。まあ16センチで鍵の管理は厳しいだろう。
「ありがとうございます、いつもすいません」
「いえいえ、大したことじゃありませんから」
しかし買い出しはこれで終わりではない。買ってきたものを彼女が利用しやすい形に直し、手の届く場所に配置するのも俺がやらなければならない。家に上がるときは、いつも彼女を踏みつぶさないか不安になる。人殺しなんて冗談じゃないぞ。廊下の脇に彼女が下がっていたとしても、緊張は解けない。
家の中のドアや引き出しは基本的に全て開け放して固定している。俺が初回訪問時にあくせく働いてセッティングした。トイレの便座には特性のカバーを装着し、落ちずに用を足せるようにしてある。そして便座に上る階段、独力で流せるようレバーに装着した細長いアタッチメント。家の中にはそこら中、まるで工事現場のミニチュアのように、プラスチック製の足場が組まれている。彼女は快適かもしれないが、俺たち普通の人間にはだいぶ手狭になっている。足場に触れないよう移動し、買った食料を開封、床に直置きされた棚に詰めていく。
石鹸も前回用意した分がなくなったというので、新しい石鹸を細かく細かく砕いて切り刻む。新品の石鹸をほんのわずかな欠片サイズまで砕くのはあまりいい気持ちでもない。だがそこまで小さくしないと彼女には使えないのだ。もっともすぐに溶けてしまうため、意外と消費も早い。
そして風呂掃除。なんで俺が他人の風呂掃除をしなけりゃならんと思うが、仕事なのでしょうがない。次の訪問時にはトイレ掃除をしなければならない。怠い。
「ありがとうございます、ほんとに助かりました」
「いえいえ、とんでもない。お体を大事になさってください」
俺はようやく業務を終えて、靴を履きながら答えた。
「困った時はいつでもお呼びください。えーでは、次は木曜ですね。それでは失礼いたします」
緊急呼び出しとかマジで御免だけどな。
「ふー……」
ドアを閉めて数歩。俺は大きく息を吐き、体を伸ばした。まだまだ午前は終わらない。これから役所に戻って車に乗って、二人目訪問だ。
「あーあ~」
マジで意地になって一人暮らし続けるのやめてくれねえかなあ。全員一か所に集まってればまだ楽なのに。
それから五人ほどの面倒を見て、役所に戻る。そしてまた面倒な雑務処理をして、一日が終わる。変な仕事に回されたせいで、軽く飲みに行ったりしても心から楽しめなくなったのが最大の障害だった。人形みたいに縮んだ彼女たちの姿が浮かび、彼女らはもう二度とこんな店に来て飲み食いできないのかとふっと心によぎる。何も悪いことをしていないのに軽く罪悪感や後ろめたさが残ってしまい、酒が不味くなる。マジでやってらんねえや。せめて彼女らの見た目や対応がよければまだマシなんだか。
大抵の小人たちはそのサイズ差に震えあがり、概ね礼儀正しく下手に出てくるのだが、中には信じられないような横柄な態度で奴隷みたいに扱ってくる女もいる。心底腹が立って仕方がない。俺がちょっとその気になれば、お前なんか簡単に握りつぶせるし踏みつぶせるんだぞと思いながら、我慢して働く。客なんだから当然と言わんばかりの態度が気に入らない。お前ら金なんて払ってないくせに。皆働きもせずに俺の介護におんぶにだっこで、税金すらろくに納めてないじゃないか。はぁ。
縮小病患者は、大抵容姿も悪い。メイクは勿論、髪や肌のケアなんてろくに行えないのが原因だ。風呂に入るのも一苦労だから、人によっては本当に不潔だ。加えて、服もない。入院時に病院で用意される白いワンピースはそのまま支給されるのだが、それ以外に彼女らに合うサイズの服はないため、大抵は着たきり雀だ。よれよれの白ワンピにボサボサの髪、みすぼらしいすっぴん。いくら訪問先が全員若い女だと言っても、これじゃあモチベは上がらない。そもそも、もう男の相手をするのは物理的に不可能な奴らばかりなので、仲を深めようなんて気にもなれん。
早く元の部署に戻りてえなあ、と思いながら、俺は小人の奴隷となり、同期を羨む日々を送った。
ある日、ネットで耳よりな情報を得た。何でもフィギュアクリームという肌色のクリームを塗らせることで、縮んだ人間たちの生活を楽にできるというのだ。元々はその名の通りフィギュアに塗るためのクリームで、折れたり欠けたりした箇所を自動で修復してくれるものらしい。他にも、フィギュア表面に付着した手垢や油汚れを自動で分解し、常に綺麗に保ってくれる機能も。これを縮んだ人間に塗ることで、後者の機能が意外な働きを示した。股間に厚く塗っておくと、トイレに行かなくてもよくなるらしい。30センチ以下に縮んだ人間の場合、クリームのナノマシンによる汚れ分解機能で十分に間に合ってしまうのだ。排泄する間もなく、勝手に分解し続けてくれると。しかも、風呂に入らなくても体表面が常に清潔に維持できる。
(ほー……)
すでに民間の縮小病関連施設では、導入しているところもあるようだ。しかし自治体ではまだだ。
手っ取り早く手柄を立てて戻りたかった俺は、資料をそろえてクリーム使用の提案を行った。民間で前例があったのが大助かり。最終的に、医者の監修のもと、同意を得られた一人で試してみて、問題なければ導入、というところへこぎつけた。よくやったわ俺。これを生活向上成功ということにすれば、ろくでもない介護職から抜け出せるかもしれない。
俺は手持ちの中で最も礼儀正しく従順な態度を示している、花咲さんをテスターに決めた。俺の方から上手く提案すればきっと乗ってくれるだろう。案の定、あっさりと彼女はクリームを全身に塗ることに同意した。フィギュアクリームの噂は、どうやら患者たちの間でも出回っているようだ。すでに動画も結構あるからな。フィギュアが動いているみたいで正直気持ち悪いけど。
そう。フィギュアクリームの問題点は、見た目がフィギュアみたいになるという点。フィギュアの色や形状を検知して自動的に修復する機能があるので、色合いや質感は肌色の樹脂なのだ。実際にクリームを塗った人とも会って話をしてみたが、アニメキャラのフィギュアが生きて動いているようにしか見えなかった。正直言うと不気味だったが、人間不思議と慣れるもので、終わりごろには気にならなくなっていた。それどころか、普通の患者たちよりずっと抵抗感が少なかった。生々しさが消えるからだろうか。アニメみたいにデフォルメされた顔、彫刻のように一塊に表現された髪が作り物感を醸し出す。人間っぽくなくなることで、かえって素直に見れるようになるというのは皮肉だ。
そして俺は医者の立ち合いの下、花咲さんにフィギュアクリームを塗ってもらった。塗ると言っても、実際には浸けると表現した方が適切だろう。お湯に溶かした肌色のクリームは、まるで人間を溶かしたかのようで少し不気味だ。この中に裸のまま全身浸してもらえれば、あとはナノマシンが彼女の体の形を検出して、自動的にコーティングしてくれる。本来はフィギュア用の自動修復機能だが、それがここで役立つというわけだ。
もはや別種の生物にしか思えない小人とはいえ、女性は女性。医者の先生だけ残し、俺は別室待機だった。まあ楽でいいけど。
一時間ほどすると、ようやく中に入れてもらえた。そこには生まれ変わった花咲さんの姿があった。俺は驚いた。わかっていたとはいえ、見知った人間がフィギュアに変貌したのだ、そのギャップに思わず戸惑ってしまう。ノーメイクで手入れも行えていなかった彼女の顔は、可愛らしい漫画キャラクターのようにデフォルメが効いた顔に変身している。大きな瞳、一点の曇りもない肌色一色の肌。テカテカしていて、とても綺麗だった。髪の毛は一本一本の毛を束ねたものではなく、大きな塊に髪のような切れ込みや凹凸をつけて表現した状態になっている。まるでフィギュアのように。だが決して固まってしまったわけではない。医者の先生が彼女の髪を触ると、サラリとわかれて指を通した。うーん、不思議だな。見た目と実際が一致しない。頭がバグりそうだ。
首から下もまるで樹脂のように硬そうで、皺も染みもなく、血管も見えない。産毛一本生えてはおらず、全てがクリームに覆いつくされ消滅していた。花咲さんは裸みたいで恥ずかしいと真っ赤になって俯いていたが、もはや彼女の体に隠すべきところはない。胸には乳首がない。ちょうど乳首を自然に覆いつくすようにクリームが胸を増量している。そのため一回り大きくなったようだ。もっとも、テカテカ艶々とした滑らか過ぎる曲面でしかないため、こんなものを見たところでもはや何とも思わないが。
そして問題の股間。マネキンのように平坦で、何もない。一切の穴が塞がり、どこに出しても恥ずかしくない全年齢ボディと化している。数日経過を見て、本当に排泄が必要なくなったどうかを確認する手筈だが、まあこれなら大丈夫だろう。
「上手くいって良かったですね。綺麗ですよ」
とりあえずそう言うと、彼女はますます顔を赤らめて、急ぎ白ワンピを羽織った。ヨレヨレの白ワンピは、新品フィギュアのような新生花咲さんには似合っていない。もっと綺麗な……フィギュアが着るような、アニメキャラが着るような衣装が似合うだろう、と何となく感じた。
経過も充分で、クリーム実験は成功に終わった。彼女はもうトイレに行かなくていいし、お風呂にも入らなくてよくなったのだ。16センチの彼女にとって、これは大変な喜びであったらしく、訪問するたびにお礼を言われた。生活が楽になった、とても助かっている……と。
だが、明らかにフィギュアクリームの効用はそれだけではなかった。彼女は以前とは比べ物にならないぐらい明るくなり、立ち振る舞いも何となく可愛くなってきた。オドオドして俯いていたこれまでとは異なり、まるで自分の容姿を俺に見せつけているかのように動く。顔を上げ、子供みたいに跳ね、一挙一動がオーバーだ。それこそまるでアニメの世界の人間のように見える。
どうやら、フィギュアみたいな容姿を得た彼女は、自分に自信を取り戻したらしい。これは思わぬ収穫だった。もっとも、表だって彼女がそれを認めることはない。こんなの恥ずかしいです、みっともない、だってホントにフィギュアみたいじゃないですか……。彼女は口では常にそういうが、態度は明らかに真逆だった。見せつけるかのように手足を広げ、危ないと言っているのに積極的に俺の体に触れてくる。
彼女の容姿がアニメ見たいに可愛くなったことは、彼女に女としての自信とふるまいを蘇らせた。そして同時に、俺のモチベ向上にも繋がった。何しろ可愛らしい生きたフィギュアが好意的に接してくれるのだ、楽しいに決まっている。トイレや風呂掃除もほぼ必要なくなったことがさらに拍車をかける。
(こりゃ、いいや)
彼女のケースを成功として報告し、俺は俺の手持ち全員をフィギュア化することを了承させた。役所の上にも、本人たちにも。
俺に反抗的で生意気だった女どもも、見る間に態度が変わっていった。皆最初はフィギュアみたいな容姿になったことを嘆く。これじゃ本当に人形じゃん、もう人間じゃいられないのね……などと。だが当然、これらは本音ではない。いや彼女らにとっては本音であるのかもしれない。が、深層心理下、本能的な部分では明らかにフィギュア化を喜び、歓喜の下に受け入れている。本当に嫌なら断ればいいんだからな。
フィギュア化後は、ハッキリと笑顔が増えて、顔を上げるようになった。性格も明るくなり、刺々しい態度も軟化していく。女としての自信を取り戻したのと、生活がぐっと楽になったこと、それらが複合的に彼女らの余裕を取り戻したのだろう。当初の部署出戻り計画はいつしか頭の中から消えて、俺は彼女らの家を尋ねることが楽しくなっていった。
ある日、手持ちの一人が可愛らしいアイドル衣装を着て俺を出迎えた。すぐに赤くなって「すみません、すみません」と言って引っ込もうとしたので、俺は慌ててフォローした。確か彼女はすでにアラサー近いはず。そして元アイドル……なんてわけでもない、一般人だ。彼女がこんな格好してたら普通は痛々しいだろうが、フィギュアの美貌を得た今の彼女には、それほど違和感のある格好ではなかった。惜しむらくは服のクオリティが低いこと。着せ替え人形の服らしく、かなり粗雑な作り。本人も着心地は最悪と照れくさそうに述べた。せっかく綺麗な体なのに、服がこれでは勿体ないな。だが、作りがしっかりしていればそれでいいかと言われるとそれも違う気がする。
本当の、生きてないフィギュアを買ってきて観察すると、すぐに分かった。彼女らにはこういう服が似合うはずだ。つまり、樹脂みたいな質感の服。布ではツルツルの綺麗すぎる肌、アニメキャラみたいな顔や髪とマッチしない。アニメのような服が必要なのだ。
あくる日、同業や縮小病患者の介護施設等の人たちとの交流会が行われた。その中で俺は有用そうな情報を耳にした。フィギュア用の衣装プリンターがある、というのだ。専用の特殊な繊維を吹き付けることで、フィギュアの体にピッタリ沿った衣装を生成できる。基本となる衣装のモデルデータがあれば、違う体型にも自動的に対応できる優れものらしい。ただ惜しむらくは、一度吹き付けて成形したものは脱がせないという点。まあ、フィギュア用だから仕方がないか……。
ん? でも、彼女らは全身にクリームを塗ってるんだよな。すっかりそれがデフォルトになっていて忘れていたが。クリームを落とせば繊維も一緒に剥がせるのでは? だとしたらギリギリいけるのでは。そもそも、トイレも風呂も必要ないんだから、服を脱ぐ必要もないんじゃないか。
だが、流石に一職員の身でそんな人体実験をするわけにもいかない。残念だがパスだな。俺は衣装プリンターのことはあきらめることにした。ま、一生脱げない服なんて可哀そうだしな。
一年経ち、俺は他の部署に移ることになった。人形たちを訪ね歩く日々は終わり、屋内仕事に戻る。俺の手持ちたちは担当交代のことを伝えると、皆一様に寂しがった。俺も懐いたペットと別れるような辛さを感じる。まさか俺がこんな気持ちになるとはな。かといってどうしてもこの仕事がしたいというわけでもない。残念だがここまでだ。俺は一人一人全員を激励し、仕事を後輩に引き継いで支援員から抜けた。後輩は可愛いものが好きな女性で、この仕事に就くことを心底喜んでいるようだった。俺とはえらい違いだ。まあ、すでに全員分の生活基盤は整っているし、クリームのおかげで介護もえらく楽になっている。困るようなことはないだろう。ただ可愛らしい小人たちと触れ合っていればいい後輩を少し妬ましく思いながら、俺はちょっとした功績を手に新たな部署にキャリアを進めた。
「落葉です! よろしくお願いします! きゃー可愛い! ホントにお人形さんだぁ~」
「よ、よろしくお願いします……」
玄関にそびえたつ二人の巨人。双方ともに私の10倍の背丈がある。片方はおよそ一年にわたって面倒を見てもらった庭瀬さんだ。変な病気で十分の一まで体が縮んでしまった私のために、骨を折ってくれた恩人。何となくずっと彼が一緒にいてくれるものだと思い始めていた矢先だったので、ショックは大きかった。彼が部署移動するというので、新たに縮小病患者の生活支援担当となったのが、彼の隣に並ぶ巨人だった。
庭瀬さんは私の家を例として、業務内容を落葉さんに教えていた。足場の組み方、設置場所、食べ物管理、等々……。踏まれては大変なので、私は離れた場所から眺めていることしかできなかった。こっちを向いていない巨人の顔を見ることは難しいけど、何となく声のトーンや全体的な雰囲気から、彼女があまり話を理解していなさそうだったのが気にかかる。
「それでは、今までお世話になりました。私はこれで担当を外れますが、何か困ったこと……彼女が粗相などしましたら、遠慮なく市のほうにご連絡ください」
「あっいいえ……私の方こそ、ずっとお世話に」
「もーひどーい! 粗相なんてしませんよー!」
しそう。不安……。大丈夫かな、この人……。
次の訪問日、新担当落葉さんが一人で訪ねてきた。買い物を頼んだが、買ってきた食べ物の中には、今の私には食べられないものが多かった。冷凍食品とか、缶詰とか、紙パックのジュースとか……。わざとやってんのかって怒りたくなる。でも自分の10倍ある巨人に怒ることなんて、怖くてできやしない。
一応やんわりと伝えると、
「えー、わかりましたよお。でもね花咲ちゃん、好き嫌いはしちゃダメだよー」
彼女は屈んで私を見下ろし、ケラケラ笑いながら言った。な、なに「ちゃん」って。私、多分あなたより年上なんですけど。でも言い出せない。今の私がどういう容姿をしているか、よーくわかっているから。
「ふふっ、でもかわいー。いーなー、私も縮小病罹ってみたいなー」
は? 何? それ。私たちがどれほど苦労してるかも知らないで。一生、二度と元に戻れないまま、ずっと小人として生きていかなくちゃいけない絶望がわかってるの!?
「……良いことなんか、ないですよ」
「もー、むくれちゃってー」
ああダメだ。怒りで頭がどうにかなりそう。堪えるので精一杯。でも彼女がどうしてこんな上から目線というか……小動物を見て癒やされているかのような態度なのかはわかってしまう。今の私は、綺麗すぎる肌色一色の皮膚、漫画みたいに大きな瞳、彫刻みたいな髪を持つ、生きたフィギュアになっているからだ。生々しくないデフォルメ人形は、どうしても深刻さに欠けてしまうのだろう。それにしたって限度があると思うけど。
けど、この調子ならきっと他の人たちからもクレームがいくでしょ。わざわざ私がいまここで注意しなくってもいいか……。
すでに生活基盤が整っている段階でよかった。最初からこの人だったら、ホント大変なことになっていたかもしれないもんね。余計なことさえしなければいいよ、もう。
だが、半月もしないうちに余計なお節介が始まった。彼女は私に服をプレゼントしたいと言って、大きな装置をリビングに設置した。
「な、なんですかコレ?」
中心に透明な円柱状の容器があり、その周りを黒い機械が囲んでいる。容器には多数のノズルが。
「お洋服を作ってくれるんだよー。さあ入った入った」
断る間も与えられず、巨大な手が私を掴んだ。
「ひっ!?」
怖い。恐ろしい。そのまま宙へ全身が持ち上げられる。抵抗などできようはずもない。私は機械の中心にある透明な容器に入れられ、蓋をされてしまった。
「だ、出してください! これ大丈夫なんですか? 許可は……」
クリームを塗るときはこんなじゃなかった。お医者さんもいたし、庭瀬さんはしっかり色々説明もしてくれて、正式な支援サービスだって教えてくれたのに。これは……なんなの? まさか落葉さんの単独……。
突如、四方八方からカラフルなシャワーが噴射された。
「あぁっ!?」
あっという間に容器の中はカラフルな霧に覆われ何も見えなくなってしまい、私は狭い容器の中で右往左往するしかなかった。全身に何かが張り付いてくる。布……いや違う。絹のように滑らかな、でもどこか硬い肌触りが全身を覆いつくしていく。フィギュアクリームに浸かった時のように、私の体のありとあらゆる面、胴体から指の合間までしっかりと張り付き、ピンク色の斑点がそこかしこで生まれ、広がっていく。私の体に隙間なく張り付き、這うように覆われる。
(んんっ!?)
手足が白く染まっていく。やだ、やめて……装置を止めて!
繊維のシャワーが収まり、カラフルな霧が晴れたころ。
「ああ……」
私は自分の両手を見つめて、呆然としていた。肘まで覆う白い長手袋が、私の両腕を真っ白に染め上げている。指を動かしても突っ張ることなくスムーズに動かせるけど、隙間はまるで生じない。常に私の肌に張り付き、一ミリも浮き上がることなくピッタリ張り付いている。まるで皮膚と同化してしまったかのよう。
「はい、出来上がり~」
蓋が開き、巨大な手が私を外へ連れ出す。変な服で全身をコーティングされてしまった。それだけはわかる。落葉さんがハイテンションに私の写真を撮りまくる中、私はふんわりと広がるスカートをつまんで絶望した。三段重ねのピンク色のスカート。白いフリルが満載。真っ白なパンストで染め上げられた両脚が覗く。腰に手を回すと、大きなリボンがあるのがわかる。アニメでしかお目にかかれないような、大きな大きなリボンだ。
「あの……写真、見せてください」
「うんっ、いーよー」
落葉さんが得意満面に差し出したスマホには、見たことのない美少女フィギュアが映っていた。ピンクを基調に、白が差し込まれた可愛らしいドレス。肘まで覆う純白の手袋。真っ白に染まる脚。そしてそれを上から覆う白とピンクのチェック柄のながい靴下。腰には正面からでも存在がわかるような大きな真っ赤なリボン。そして驚くべきことに、噴射されていたカラフルな霧は、私の髪の色まで勝手に作り替えていた。アニメキャラクターのように鮮やかなピンク色の髪。それが腰まで伸びている。そして、大きな白いリボンが私の頭上に、斜めにポンとくっついている。何より特筆すべきは、質感。これは布じゃない。フィギュアの服パーツと全く同じ色合い。樹脂のようだった。それが今の私の肌とマッチしてしまい、最初からこういう形、デザインで作られたフィギュアのようになってしまっていた。
(これが……私!? 嘘でしょ……?)
落葉さんは沈黙を肯定と受け取ったらしく、とっても可愛い、似合ってる、最高と誉めそやした。い、いやだ、やめてよ。こんな服恥ずかしくて無理。私もう二十五歳なのに!
「はいじゃあ、次は木曜ですね~。元気でね!」
彼女はまっピンクにされた私をおいて、嵐のように去っていった。私は一人鏡を見ながら、改めて現実と戦わないといけなかった。このいい歳して信じられない格好をしたフィギュアが私だという事実と。私が動くと鏡の中のフィギュアも動く。うそぉ……。
(と……とにかく脱ごう)
一人暮らしで訪ねてくる人もいないとはいえ、いつまでもこんな服着てるわけにもいかない。私は手袋を脱ごうと左手を掴んだ。
(……あれ?)
けど、おかしい、いくら引っ張っても、手袋が脱げない。全く動かない。代わりに肌が引っ張られてしまう。真っ白な長手袋は、いついかなる時も肌を道連れにし、肌と手袋の間に隙間が生じることはなかった。
(ちょ、ちょっとー、やだー、どうなってるのー)
頭のリボンもとれない。靴下も脱げない。ドレスも……。どれも体と一体化してしまっていて、ずらすことすらできない。
(そ、そんな……嘘、どうしよう)
そういえば、この服、直接体に噴射して作られたんだっけ。まさかまさか……この服って脱げないの!?
改めてドレスを確認すると、ボタンもチャックもない。着脱のための機構がこの服には存在しなかった。私は慌ててネットで調べた。ヒット。フィギュア用の衣装プリンター……。間違いなくさっきの機械だ。あの人、フィギュア用の機械に私を入れたの!? そしてそこにはハッキリとこう書いてあった。一度生成したら脱がせない、と……。
(う……う……嘘でしょー!?)
私の絶叫は、発症以来久々に部屋中にこだました。
木曜。可愛らしいピンクのアイドルフィギュアと化したまま、私は落葉さんを待っていた。あれからどうしてもこの服は脱げず、私は恥ずかしくて誰とも連絡が取れなかった。市に抗議しようとも思ったけど、この姿を庭瀬さんには見られたくなかった。知られたくなかった。いい歳してこんな格好しちゃってる私を。
「どうもー、花咲ちゃん元気ー?」
「お、落葉さん! この服、脱げないんですよ! どうしてくれるんですか!?」
「えぇ~いいじゃない。とっても似合ってるよ」
「冗談じゃありません!」
信じられない。この人、私を何だと思ってるんだ。もしかしたら一生、私はこんなトンチキな格好のまま生きていかなくちゃいけないかもって、わからないの!? きっと、真面目に考えたことがないんだ。一生小人のままの上、まさかよりにもよってこんな格好にされるだなんて!
これは正式に生活支援としてやったことなのかどうか尋ねたが、彼女はあっさりと自分の趣味だと認めた。私は全身の力が抜けて、へなへなとその場に崩れ落ちる。やっぱり……。最悪。こんなアホ女の手で、私は一生まっピンクコスプレ女として生きていかなくちゃならなくなったの……?
「まあまあ、今日はこれがありますから。じゃーん!」
彼女はスプレー缶を取り出した。
「な、何ですかそれ?」
「これはねー、素直になるお薬だよー」
嫌な予感がする。私は後ずさりしながら、今日はもういいから帰ってくれと頼んだ。
「もー、そんなじゃ可愛くないよー。もっと素直になった方が、皆可愛がってくれて生活楽になるんだからさっ」
「私は」
間髪入れず、プシューっと紫色の煙が私に噴射された。瞬時に顔面はおろか全身でそれを受けてしまった私は思いっきりむせて、次第に意識がぼんやりしてきた。やめ……何を……これ……ぁ。
パンっと手を叩く音で、私は目覚めた。
(あれ? 私は……ええと……?)
気がつくと、リビングに突っ立っていた。頭がぼんやりする。私は……何を……ええと……。
「起きたー? 大丈夫ー?」
「はいっ!」
私は左手を勢いよく頭に当てながら返事した。そして自分の行動に驚いた。今のは私がやろうとした行動ではなかったからだ。
(何? 体が、勝手に……!?)
巨大な顔が私を見下ろしている。彼女は……そっそうだ! 私は落葉さんに変なスプレーを浴びせられて、それで……。どうなったの? 今のは?
「よかったぁ。そうそう、そうやって可愛くした方がいいよお」
「はいっ、可愛くしますねっ!」
(な、何!? 声が勝手に!?)
舌っ足らずな喋り方と、アニメみたいなキンキンボイス。私がそんな受け答えをしていることに驚愕する。
「落葉さんっ、クルミ、どうしちゃったんですかぁ?」
嘘っ、何この喋り方! 私は今、ちゃんと普通に……話そうとしたのに。しかも今、私、私の事クルミって言った!?
「このスプレーでね、素直になってもらったの」
な、何よ素直って! さっきから勝手に話し方が変えられるんだけど! ものすごいぶりっ子っぽく!
それだけじゃない。体もおかしい。腰の後ろに両手を回し、ニコニコ微笑みながら私は体を左右に揺らしていた。こんなこと、しようとは思っていない。けど、体が勝手にそうしてしまう。
(んんっ、どうなってるの、私に何をしたの!)
「クルミ、素直になれたんですねっ」
「そうだよ、よかったねえ」
よ、よくない! ふざけないで! つ、通報! 警察に訴えるから! 今に見てなさいよ! このバカ女!
結局、件のスプレーが何だったのかは明かされないまま、落葉さんは満足して我が家を去っていった。私は玄関までついていって彼女を見送り、スカートの裾を両手で持ってお別れの挨拶をさせられた。これらは全て私の意志ではなく、体が独りでに動いてやらされたことだ。生涯忘れられそうにない屈辱だった。
「落葉さんっ、可愛いお洋服ありがとうっ」
「どういたしまして。また月曜にね~」
彼女が去るとすぐ、私はスマホで市に警察に連絡しようと走り……走れなかった。可愛らしく体を揺らしながら、笑顔で歩くことしかできない。
(ど、どうなってるのよもう!)
チグハグな心と体。まごまごしていると体の方に飲み込まれてしまいそうだった。何しろずっと笑顔でいさせられているものだから、本当に楽しいという錯覚を感じそうになってしまう。
「えへへ~、お電話~」
スマホにたどり着くと、こっぱずかしい独り言まで飛び出てくる。誰もいなくてよかったぁ。
が、市に電話すると、想像もしていない事態に陥った。私は自分の本心を喋ることができず、それどころか落葉さんへの感謝を述べさせられたのだ!
「とーっても可愛くしていただけて、クルミうーんと感謝してまぁすっ」
(う、嘘ッ、違う、勝手にそうされるの! 違うの!)
まるで洗脳のような振る舞いの強制、脱げないコスプレ衣装の文句を言うことすら許されず、とうとう諦めて電話を切った。ああ……最悪。やっちゃった。私、気に入ったと、本人も納得だと思われちゃっただろうなあ。記録も残っちゃった……。
この分じゃ警察に連絡しても同じだろう。大変なことになった。どうしよう……。わ、私、まさか一生このままぶりっ子ピンク人形のままってことは……ないよね!?
懸命にネットで検索しても、中々スプレーの正体がわからなかった。半月ほどしてようやく小動物の調教スプレーらしいということを突き止めたものの、全ては後の祭りだった。二回目の調教で、私は誰にもスプレーの事を言えないようにされてしまったからだ。
(ああっ……あ……)
メールで事を伝えようにも、スプレーのことは一切書けない。書こうとすると手が止まる。私に書けるのは落葉さんへの感謝のメッセージだけだった。
(い、いや……そんな。あいつにお礼なんて……)
これじゃあ、私がこの服を気に入っていると、望んでぶりっ子してるとしか思われない。ど、どうしよう。このままじゃますます事態は悪化してしまう。誰か……誰か、見ただけで察してくれる人は……助けてくれそうな人!
(庭瀬さん……)
前任の庭瀬さん。連絡先はスマホに入っている。私はずっと連絡を避けていた。こんな格好見られたくないし、アニメ声のぶりっ子口調も彼の前では死んでも披露したくなかったからだ。でも、もう……頼れる人は……。
しかし、メールを出す勇気が出ない。そもそも、事情が説明できないんだもん。告げ口は封印されている。しかも、私はわざとらしい芝居がかった振る舞いしかできない。私の口から出る苦情は全て、落葉さんへの感謝に変換されてしまう。庭瀬さんと連絡をとっても、私が落葉さんに可愛いフィギュア人間に改造してもらえたことを感謝し認める文面しか出せない。庭瀬さんがそれをそのまま、「素直」に受け取ってしまったらお終いだ。
(う……うぅ~っ、庭瀬さん~っ)
とうとう、私は彼に連絡することができず、なし崩し的に可愛く振る舞うことしかできないピンクのフィギュアとして暮らすことを余儀なくされた。
幸か不幸か、落葉さんは三か月もする前に早々に交代となった。他の人から苦情が出たのか、単純に態度が問題視されたのか……わからないけど、私にとってはこれ以上酷い目に遭わないという救いであり、同時にもう私が洗脳されている事実が失われてしまう絶望でもあった。引継ぎの日、私はいつものようにぶりっ子挨拶で後任を迎えてしまったからだ。
「クルミでぇーすっ、よろしくお願いしますねーっ!」
スカートの裾を持ち上げ、ウィンクしながらアニメボイスで挨拶……。顔から火が出そうだった。当然ながら落葉さんは、自分が改造したことなど伝えていないだろう……。
「ねっ、この子、すっごく可愛いんですよ!」
「そ、そうですね……」
ああーっ、やっぱり! 誤解された、絶対誤解された! 引いてる、引いてるよぉ。そりゃそうだ。二十代後半になる女が髪をピンクに染めて、こんな口調と服で役所の人を出迎えたら、そりゃそうなる。
(違います、私、本当は普通なんです、その女にこの服を着せられて、ぶりっ子にされちゃったんです!)
心の中でいくら叫んでも、本心と真実を話すことは許されない。落葉さんはろくに説明もなしに去り、後には私と後任の人だけが残された。
あざといオーバーリアクションをとりながら、私は彼に可愛らしく買い物を頼んだ。ドン引きしながらもお使いに出かけた彼を見送ったあと、私は音もなく崩れ落ちた。ああ……やっちゃった。あの人、私をそういう人間だと思っちゃったよね。最初からそういう痛い人なんだと……。最悪だ。
「んもーっ、クルミ、どうしようっ!?」
誰もいない玄関の中で、私はあざとくプンプンすることしかできなかった。