嘘つき人形② (Pixiv Fanbox)
Published:
2019-05-09 12:12:28
Edited:
2019-12-26 12:31:41
Imported:
2023-05
Content
「なんで嘘ついたの~? 嘘ついちゃいけないんじゃなかったの~?」
雄太くんは執拗に私を問いただした。心底腹が立つ。
「わ、私は別に、やりたくてやったわけじゃ……。あの子が可哀想だったから……だ、大体、君たちが月夜ちゃんを仲間外れにするなんていうから!」
「へ~? 持ってないと遊べないじゃ~ん」
「あのね~」
「嘘つき~。嘘つきおばさ~ん」
「いい加減に……!」
突然、私の全身が硬化した。手も、足も、首も全く動かない。ポーズライトだ。
(こ、こら! やめなさい!)
「このまま帰っちゃおうかな~」
(ちょ、ちょっと! 冗談じゃすまないからね!)
ゾッとする。ポーズ状態にされた私は、本当に身動きがとれないのに。誰かが解除してくれないと、永遠に固まったままだ。この子は自分の身に置き換えて想像することができていないに違いない。
「あ、昨日のスパフィギュ嘘だったって、みんなにバラしちゃおうかな~」
(……やめてっ、ね、ちょっと!)
そんなことをされれば、月夜ちゃんの立場がなくなってしまう。恥を忍んで頑張った私の努力も水泡に帰ってしまう。しかし、今の私は顔の筋肉を僅かに動かすことさえできない。ジッと一点を見つめたまま、雄太くんの言葉を聞くだけだった。
「嘘つくのはさぁ、いけないことなんだよね~?」
(……うぅ)
「じゃあさぁ、昨日の嘘をホントにやるんだったら、内緒にしてあげてもいいよ」
(ど、どういうこと?)
彼の説明は、今後も本当に月夜ちゃんの人形として暮らしてくつもりなら、クラスのみんなには黙っておいてやる……という内容。私のポーズ状態を解除して、返事を聞いてきた。
「……わかった。やる。やるから。それでいいんでしょ?」
別に普段どー過ごしてるかなんてこの子にわかりっこないし。月夜ちゃんが学校で何か訊かれたら「一緒に遊んでるよ」って言えばいいだけの話。それに、断ればポーズライトで固められたまま放置されるかもしれない、という恐怖も手伝い、私は二つ返事で了承した。
すると、雄太くんはニヤリと笑い、鞄から香水みたいなものをとりだした。
「じゃあさじゃあさ、これできる?」
私の前にドスンと置かれた黒い瓶。知ってる。使ったことある。これはちょっと前から流行りだした、自己暗示水だ。ノズルを押せば、霧状になって噴射される。吸っている間に言葉を三回ほど繰り返すことで、自分に暗示をかけることができる。大体はスピーチ直前に使われる。「俺は緊張しない」とか「上手くやれる」とか言って自信をつけてから壇上に上がるのだ。最もそんなに万能でもなくて、効果は一時間ぐらいだし、どんな暗示でもかけられるわけじゃない。例えば性格を180度反転させたり、複雑な指令を自分に仕込んだりとかは不可能だったはず。この子はきっとそこまでは知らないのだろう。大方、両親か兄姉が使っているのを見て、どんな暗示でもできる魔法の薬だとでも勘違いしたってところかな。
拒否して固められたり、私が人形じゃなかったことをバラされたりしても面倒だったので、私は受けた。
「わかった。……で、何て言えばいいの?」
ちなみに、この暗示水は他人には使えない。あくまで自分の言葉でなければ意味がないのだ。録音も口を動かさないため効果なしだったはず。
「……うーんと」
考えてなかったんかい。雄太くんはしばらく頭をひねった後、二つの暗示「可愛い人形になるのが夢」「人形じゃないことは内緒」を提案した。
(なにそれ……)
ずっと月夜ちゃんの人形遊びに付き合う、とかじゃなくて? あー、ひょっとして暗示水が複雑ワードに使えないということは知っているのだろうか。どっちにしろすぐ解けるんだけど。
「わかった。じゃ」
さっさと終わらせたかったので、私は瓶のノズルに手を伸ばした。すると巨大な指が下りてきて、ノズルを掴み発射した。私に向かって勢いよく。
「きゃあぁっ!?」
私は息ができずにむせた。ちょっ、一体どんだけ出すの……。シュッと一拭きでいいんだよ……。
「ごほっ」
「早くー」
「出しすぎだってば」
「……? 一回しか押してないよ?」
「えっ」
あっそうか。私が縮んでるから、普通の一回分があんなに……。改めて、自分の立場を痛感させられる。死ぬまで縮んだままなのかな……。
「早くーぅ」
「はいはい、わかったわかった」
「私の夢は可愛い人形になること、私の夢は可愛い人形になること、私の夢は可愛い人形になること……はい。これでいい?」
黒い霧の中で、私は三回唱えた。といって、特に何が変わるわけでもない。
(私の夢は? ……うーん、元に戻ることかな……)
効果なかったっぽい。そりゃそうか。すると、雄太くんが二回目の噴射をかました。
「うぎゃっ」
「内緒」
あ、二つ目か。
「私が人形じゃないことは内緒、私が人形じゃないことは内緒、私が人形じゃないことは内緒……はい」
一分もすると、黒い霧は雲散霧消し、満足げな顔をした雄太くんの姿が視界に戻ってきた。
「よーし、じゃあ、昨日の嘘は内緒にしてあげるね」
ギーマくんを持って、彼はようやく私の家から引き上げた。
「疲れたぁ~」
しばらく横になった後、私は用事を思い出した。そうそう。アイドル衣装返してこなくちゃ。
「遊んでくれるのー?」
「ああ、いや、これなんだけど……」
月夜ちゃんの部屋。私はたたんだ衣装を差し出した。社交辞令としてお礼を述べた後、自分の服を返してもらう。そう喋るつもりだったのに、私の口からは信じられない言葉が紡がれた。
「私に、もっと可愛い服を着せて欲しいの!」
(……えっ!? ……ええぇぇっ!?)
え、え、え、何、今の。口が、口が勝手に……。
彼女は目を輝かせて、「わかったー!」と叫び、右手で私を掴んだ。
「あっ、こら、放してっ、ち、違うの! 今のは、口が勝手に……」
月夜ちゃんは次々に服をとりだしては私に重ね、似合うかどうかチェックした。
「もうっ、やめてよー!」
聞いてない。私を床に置いてから、昨日よりもっと派手な装飾の衣装を私につきつけた。
「これ! これいい!」
(そ、そんなの着るわけないでしょ! 私はただ服を……)
「ありがとっ、早速着てみるね!」
(えっ!? 私、何言って……!?)
またしても私の意図しない言葉が出た。それどころか、今度は両手が私の意志に背き、勝手に動き出したのだ。
「えっ、あれっ!?」
私の両腕は勝手に月夜ちゃんから衣装を受け取った。さらには、独りでに服を脱ぎだしたのだ。
(何やってんの私!? ストップ! やめて!)
とうとう全身が私のものでなくなり、抗うこともできぬまま、私は一糸まとわぬ姿になった。続けて派手なアイドル衣装を手に取り、着用してしまった。その間、私は自分の体を操ることができなかった。
「これもこれもー」
月夜ちゃんから渡されたブーツと手袋、髪飾りも受け取り、私はあっという間にポニーテールの派手な天使姿になってしまった。
「きゃーん、可愛いー」
彼女の称賛に、私の顔は微笑みを浮かべた。
「えへへ」
(えへへじゃないわよっ、どうして……)
考えられる原因は一つしかない。さっきの自己暗示。だけど、暗示にはかかっていなかったんじゃ……。
(私の夢……元の大きさに戻ること。私は……人間)
改めて脳内で復唱した。うん。暗示なんかかかってない。でも、何故だか私の体は可愛い衣装を着て、ニコニコと笑いかけることに執心している。
(か……体? 体だけに暗示がかかったの……?)
おかしい。何でこんなことに……。ひょっとして、あの暗示水を吸いすぎたから? 縮んだ私には量が多かったのかな。それで何かおかしな効果を発揮しているのかもしれない。
(そ、そんな……)
じゃあ、まだあと30分ぐらいはこれが続くってことか……。私は時間経過で暗示が解けるのを待つしかなかった。
その後も屈辱的な着せ替え……いや、ファッションショーは続いた。月夜ちゃんが無理やり私に着せるのではなく、私が好きで着ているという状況がますます羞恥を煽る。月夜ちゃんは絶対、私が昨日の一件を切欠にして、可愛い服着るのが大好きになった、と勘違いしてるだろうな……。暗示が解けたらすぐに誤解も解かなくちゃ……。そうこうしている間に、私は魔法少女のコスプレをしてしまった。日曜朝にやっている、子供向けのやつ。月夜ちゃんですらとっくに卒業した幼児向けのアニメ……。白とピンクで構成された、フリフリの衣装。恥ずかし過ぎて、頭がどうにかなりそうだった。今の自分は一体どんな風に見えるんだろう……。あぁ考えたくない。
月夜ちゃんはなんだか少し不満げだった。飽きてきたかな? だといいけど。
「髪も染める~? その方が絶対可愛いよ~」
(えっ!? い、嫌だ、絶対!)
「うんっ、染めるっ」
(……!)
私は満面の笑みで頷いた。そ、そんな……。駄目、それだけは……。月夜ちゃんは人形用の染料をとりだし、私の頭をピンク色に染め始めた。
(やっ、やめてー! この年でそんな色……)
抗議することも、逃げ出すこともできない。体が言うことをきかない。為されるがままだ。
「はい、できたー」
背中まで伸びる私の髪は、鮮やかなピンク色に染め上げられ、衣装と合わせて、完全にアニメのキャラそのものになってしまった。今の私は「プリガーのフィギュア」だと紹介されれば、百人中百人が疑問を抱かないに違いない。涙がでそうだった。
彼女は小さな絵本を開いて見せた。プリガーの本らしい。変身時の決めポーズが載っている。
「このカッコして!」
(い、嫌よ絶対!)
「こう?」
私は目の前のイラスト通りになるよう四肢を動かした。両手でハートマークを作って顔に近づけ、姿勢はやや前かがみ。両足を閉じ、ニッコリ笑った。
(や、やだー!)
私は絶叫した。冗談じゃない。いい年して、子供の前でプリガーのコスプレだなんて……。それも、こんなノリノリに。
「可愛いー。ね、ね、ポーズしていい?」
月夜ちゃんはポーズライトを取り出した。ま、まさか……私をこの格好で固める気っ!?
「うん、いいよっ」
(嘘っ、今の嘘よ! やめて!)
ライトが照射された。あろうことか、私は全身プリガーのコスプレで決めポーズをとったまま固定されてしまった。
(イヤーッ!)
体が全く動かない。動かないのは百も承知なのに、もがかずにはいられなかった。よりにもよって、こんな姿で固められちゃうなんて……! 知人に見られでもしたら……! ど、ど、どうしよう。
月夜ちゃんは自分のスマホで私の写真を撮りだした。
(待って! 撮らないで!)
こんな写真がネットに流れでもしたら、もう生きてけないよ。何とか……何とかしなくちゃ……。けれど、どれだけ筋肉に指令を送っても、筋一本も動かせない。全身の筋肉は時間が止まったかのように微動だにせず停止している。私は満面の笑みを浮かべながら、心中で絶叫した。
(暗示……暗示が解ければ……)
月夜ちゃんは撮影した写真を私に見せつけた。案の定、そこに映っていたのは可愛らしい「プリガーフィギュア」で、生きた人間だとは到底思えない代物だった。これが自分だなんて……。
(い、いや……これなら私だってバレないからセーフかも……)
って、いやいや。そんなわけない。
三枚目を見せられた際、スマホの時刻が見えた。もう暗示が解けていいころだ。でも、今度はポーズ状態が解けない。
(早く元に戻して)
必死に念を送っても、中々ポーズライトを浴びせてくれない。やきもきしてる間に夜となり、ご両親が帰ってきた。私は焦った。こんな姿見られたくない。いい年した大人が子供部屋でコスプレして媚び媚びポーズで固まっているだなんて、非常識もいいところ。でも、見られたら絶対に解放してくれるはず。見て欲しい。でも見られたくはない。二つの相反する感情が渦巻く。
「ご飯だぞー……お」
結局、私は生まれてから一番惨めな姿を曝け出す羽目になった。ポーズ状態は解除してくれたものの、私は耳まで真っ赤に染めて俯いているしかなかった。とてもじゃないが顔を上げられない。
「すみませんねー、うちの月夜が無理を……」
「い、いえいえ、大丈夫です。こちらこそ、こんな……こんな……」
「こら月夜。謝りなさい」
「だってー、里奈ちゃんが可愛い服着たいって」
「あら、そうだったの?」
母親の言葉に、私は思わず言った。
「そ、そうなんです、私、可愛い人形になるのが夢でっ! ……あっ、あっ、嘘っ!」
私は慌てて口を閉じた。自分が口走ったセリフが信じられない。もうとっくに暗示の効果は切れているはずなのに。
「あ~ら、うふふ、そうだったの」
母親はニコニコと笑いながら、私の頭を撫でた。それも、完全に幼い子供か、猫でも愛でるかのような雰囲気だった。私がアラサー近くの成人女性だと知っているにも関わらず。悪意抜きに、ナチュラルに対等な存在だと看做されていない。これまでもそういう気はあったけど、ここまでハッキリと示されたことはなかった。やっぱり、服装のせいだ……。
私は夕食をご馳走になったが、顔を上げられず、味もわからなかった。死にたい……。
家に帰るとすぐ、私は暗示水について調べた。けど、やっぱり一時間で切れるとしか書いていないし、数時間も効果が続いたって人も見つけられなかった。
(どうしよう、どうしよう……)
夜になっても、一向に暗示が解ける気配がない。何しろ、私は今だにプリガー衣装のままなのだ。私は脱ぎたかったし、何度も脱ごう、脱ごうと思ったのに、体が従ってくれない。月夜ちゃんに「脱がせて」と言うとしても、黙って可愛らしく微笑みかけることしかできなかった。脱ごうと手をかけても、そこで動きが止まってしまう。
「あー、もー!」
昔使った時にはこんなおかしなことにならなかったのに。縮んだからって効きすぎ……。ん?
私は、まだ家に暗示水が残っていたことを思い出した。最後に使ったのは人形病で入院するよりさらに前……。縮んで以来化粧台なんて放置していたから、すっかり忘れていた。
(そうだよ、逆の暗示をかければ解けるはずだよね)
頑張って化粧台に上り、瓶を探し、慎重に下まで移動させた。後1,2回分残ってる。これなら十分足りそう。
てこの原理でノズルを操作し、自分に向かって噴射させた。
「ぶっ!」
例によって、一瞬息ができなくなるぐらいの量が出た。やっぱ吸いすぎが原因だったのかな。ゲホゲホと咳をした後、私は暗示を解く暗示を唱えた。
「私の夢は可愛いお人形になること!」
(……えっ!?)
「ち、ちがっ……今の無し! 取り消し! 私のっ、夢はっ!」
(人形になることじゃない!)
「可愛いお人形になること! ……なんでっ!?」
私はパニックになった。否定形で言うはずだったのに。何故か、口が勝手に肯定させてしまった。
「だ・か・ら! 私の! 夢は! 可愛いお人形になる……こと……っ!!」
(嘘ッ……なんでっ……言葉が出ないっ……)
霧が晴れた。大失敗だ。一体どうして……?
(……ま、まだ暗示が続いてた……から?)
原因はやっぱり……それしかない。私の夢は人形になることだと刷り込んだままだから。……でも、それって自力で暗示を解くのは無理ってことじゃん……。私は恥を忍んで、メーカーに問い合わせてみることにした。しかし、何故か操作の途中で手が止まる。
(な……なんで?)
これも暗示のせい? でも、人形になりたい夢と、連絡できないのとどういう関係が……あ。もう一つあった。
(そうだ……。私、人形じゃないことは内緒なんだっけ)
メーカーに連絡して事情を説明する、という行為は、私が人形ではなく人間であることを明かす行為。だから、体が言うこときかないんだ。
(えーっ、どうしよう……)
このまま、時間経過で解けるのを待つしかないのだろうか。でも、本来一時間で済むものが六時間ぐらい経過しても済まないんじゃ、どうしても不安になる。深くかかりすぎていて、時間経過では解けないのではないかという不安が。
(あ……ひょっとして……)
否定形でやろうとしたのがいけなかったのかな。上書きする形、あるいは抜け道を追加する形でやればいけるかも……? あと一回分はギリギリ残ってる。
(ど……どういう言い回しをすればいいんだろう……)
早急に解かなければならないのは、「人形じゃないことは内緒」の方だろう。これがなければ、まあ何とでもなるはず。
(うーん……そうだ!)
閃いた。「私は真実を明かせる」これでいこう! 先の暗示と直接ぶつからない形でいけば、いける気がする。元々、そんな大した効用の薬じゃないはずなんだし。
私は深呼吸して心を鎮め、最後の噴射をした。わかっていてものけ反らずにはいられない量が顔面にぶつかる。
(大丈夫……よし!)
「私は真……実は……人形! 私は本当は人形! 私は……っ!?」
嘘っ!? 何で……これもダメなの!? 何に抵触したの!?
諦めようかと思ったけど、これが最後の噴射だということを思い出した。何か……何か手を……。
「嘘……! 今の嘘……! 私は人形なの! 人間ってのは嘘!」
私は自分の頬をつねった。
「もー! 馬鹿ー! 何でー!」
行き場のない苛立ちと焦りを抑えきれず、私は駄々っ子みたいにジタバタと暴れた。そうしているうちに霧が晴れ、暗示水はなくなった。
「あうぅ……」
私は自分の馬鹿さ加減に絶望して、床に転がった。もう起き上がる気力もない。
(ばっかみたい……)
目を覚ますと、既に日が高く昇っていた。あのまま寝ちゃったらしい。
(はぁ……。昨日は散々だったな……)
相変わらずコスプレしたままだし。この衣装も返さないと。
(脱げるかな?)
髪のデカいリボンを取ろうとしてみたけど、優しく先っぽをつまむことしかできなかった。
(ま、まだ暗示が解けないの……? いくらなんでも、長すぎじゃ……)
昨日暗示をかけてからもうすぐ丸一日なのに。一体どんだけ……。いや、待って。昨日の夜……あれ、ひょっとして……。
(わ……私、重ね掛けしちゃってた……?)
ただ暗示の解除に失敗しただけだと思ってたけど、よくよく考えてみると、結果的に暗示をもう一回かける形になっていたかもしれない。
(さ、最悪……)
ただでさえ異常に深くかかった自己暗示を重ね掛けしちゃうだなんて……。元に戻れるまで何十時間かかるのだろう。
今日もまた友達が遊びに来るというので、私は月夜ちゃんに駆り出された。プリガー姿の私は子供たちを大いに沸かせた。
「プリガーだー」「なつかしー」「あたし見てたー」
(見てないんだ……もう)
こんな小さい子供たちでさえ卒業するようなキャラのコスプレをさせられている屈辱。しかも畳みかけるかのように、
「どうどうっ? 可愛いっ?」
私は両手で軽く握りこぶしを作り、それを顎の下に当てながら、子供たちにそんなことを訊いてしまった。こんな痛々しいぶりっ子仕草、私が望んでやっていることじゃない。体が勝手にそう動いてしまう。
「可愛いねー」
子供たちはお姉さんぶって、自分より小さい子供のお世話をしているかのような体で相手する。それが私の自尊心を切り刻む。
(ううっ、やっ、やめてぇ)
もっと普通に、年相応に振舞いたいのに、立ち居振る舞いが幼児みたいに、それもあざとく媚びを売るような方向に矯正されてしまう。「可愛い人形」になろうとしているからに違いない。重ね掛けしてしまったせいで、昨日よりさらに悪化している。
雄太くんは何も言わず、後方で笑いこけていた。
「ねー雄太くん、何がおかしいのー?」「ふふっ、ひひ……内緒」
(ちょ、ちょっとー! 君のせいでしょ! 何とかしてよー!)
私は何故か、暗示で人形にされたということを誰にも説明することができなかった。それを言おうとすると、口が開かなくなる。多分、自分が人形じゃないことを明かすことに繋がってしまうからだろう。人形じゃないことは秘密という第二の暗示も効いている。
その後も色々と服を着せ替えられ、その度に私はいちいち可愛く媚びたポーズをとっちゃって、私は泣き出しそうになるのを必死にこらえた。着替えの最中、全裸を雄太くんに見られてしまうし、その上雄太くんが私の裸に一切興味なさそうだったのが、さらにショックだった。本当に人間でなくなってしまったかのような気がして。
その日の晩、再び夕食をご馳走になった。その際、月夜ちゃんのご両親が言った。
「あら~、随分仲良くなったわね~。そうだ、里奈ちゃん、いっそのことウチにすまない?」
(い、いやです!)
そんなことになったら、四六時中この子の玩具になって、逃げ場がないじゃない。断ろうと口を開いた瞬間、
「はいっ、喜んで!」
(ええっ、何で!?)
私はそれを受けてしまったのだ。慌てて撤回しようとするも、私の体はニコニコと笑って、頭を差し出し、ナデナデを要求する始末だった。
(ギャーッ! 何やってんの私!)
ご両親からの扱われ方も、隣人からペットに堕しつつあった。フリフリのロリータ衣装を着た、ピンク髪の人形がこんな風に振舞えば当然だろう。でも、私は人形じゃないし、子供でもない。そのことは知っているはずなのに。うぅ……。この暗示、いつになったら解けるんだろう。
夜。私は家に帰れず、止まる羽目になった。
「明日からよろしくね~」
月夜ちゃんはすっかり、私と一緒に暮らすつもりだ。
「うんっ、一杯可愛いお洋服着せてねっ」
(やだっ、何言ってんのっ)
丸二日経つというのに、元に戻らない。私はリボン過多の少女趣味な服を着せられた挙句、自動的に可愛くポージングしてしまった。右手でピースサインを作って横向きにして顔にあて、左手を斜め下に伸ばし、腰を曲げて躍動感を出す。
(何でこんな格好を……)
「あっ、それいいー。ねえねえ、ポーズしていい?」
月夜ちゃんはポーズライトを取り出し、私に向けた。ま、まさかこんな恥ずかしいカッコで固めるつもり!?
(だ、ダメに決まってるでしょ!)
「うんっ、バッチリ固めちゃって!」
(そんな!)
ライトがピカっと点灯し、私の全身はただの樹脂になってしまった。動けない。丁度母親が来たので助けを求めようと思ったけど、ポーズ状態ではどうにもならない。
「いつまで起きてるの、早く寝なさい」
「はーい」
母親が出ていった後、月夜ちゃんは
「お休みー」
と私に告げて、部屋の明かりを落とした。
(ま、待ってよ! 私を元に戻して!)
私は正真正銘のフィギュアになったまま放置された。このまま寝ろ、っていうの……? 文句を言う手段も、相手もいない。薄暗い子供部屋の中で、私は悲嘆に暮れた。
なし崩し的に、私はそのまま月夜ちゃんの人形として同居することになってしまった。何しろ暗示が解けないので、自分の意志であざとくしている訳ではないこと、月夜ちゃんの人形になんてなりたくないこと、何一つ伝えることができなかった。あれよあれよという間に話も進み、私は部屋を解約させられ、本当に帰る場所が失われてしまった。
(そ、そんな……なんてことに……)
私の媚びも日に日に悪化していった。声が日を追うごとに高くなるのだ。半月もすると、元の私の声とは似ても似つかないアニメ声に様変わり。全ての言葉があざとい猫なで声で紡がれるようになってしまった。低い声、落ち着いた口調を出そうと意識しても、勝手にアニメ声のぶりっ子口調に直される。
一か月後、私は子供部屋で運命を罵った。
(なんでっ、なんでっ!? いい加減解けてもいいじゃない! いくら縮んでるからって効きすぎよ!)
一時間で解けるはずの暗示はなおも私の身体から出ていこうとしない。それどころか、その支配をますます確固たるものにしていくばかり。月夜ちゃんが学校にいく平日昼間、私は可愛く固められているか、鏡の前で可愛さの研究に励むかの二択だった。色んな服を着ては、鏡の前に立ち、より可愛く見えるポージングや仕草を探すのだ。勿論、やりたくてやっているわけでは断じてない。母親も、そんな私の姿を見ては、
「あらあら~。熱心ねぇ」
などと、いかにも「私はわかってますよ」的なポーズをとるので、私はその度に死にたくなるぐらい恥ずかしかった。
(わかってない! わかってないです! 体が勝手にやってるんですーっ!)
私を苦しめる要素は、コスプレぶりっ子強要だけじゃない。
「もうっ、私は人形だって言ってるじゃないですかっ ぷんぷん!」
「あら、ごめんなさいね~、そうだったわね~、里奈ちゃんはお人形なのよねぇ」
私は、家族の誰かから人間として扱われた時、いちいち人形宣言を出して訂正するのだ。
(人間ですっ、いーんです、それでっ!)
そのうちに私を人形として扱うことが、この一家での暗黙の了解として定着してしまった。本人が望んでいるのだから、という理由で……。
(いやーっ、私人間ですよぅ、人形じゃありませんーっ!)
どうしても、私は人形宣言を覆すことができなかった。間接的にであっても、自分が人間であることを仄めかすような発言さえも封じられていた。不味い。これは本当に不味い。今はまだ、「人形として扱ってあげている」という認識だけど、万が一暗示が永遠に解けず、ここで数年も過ごすようなことがあれば……。出自を忘れて、本当に人形だったことにされてしまうのではないか。その恐怖が常に私の心から離れなかった。
それもそのはず、私が月夜ちゃんの人形になってから、いつの間にか三か月も経過していたのだ。その間、暗示は解けなかった。流石にここまで来ると、深く強力な自己暗示にしてしまったせいで、時間経過では解けなくなってしまっているのではないか、と考えざるを得なくなってきた。
(でも……どうすればいいの)
私が暗示水で人形にされたことを、この一家は知らない。世界でただ一人、雄太くんだけが知っている。当初は私を馬鹿にして遊ぶためによく姿を見せたものの、最近はサッパリだった。月夜ちゃんたちもあと半年で小学校三年生になる。そろそろ学校でも男は男同士、女は女同士で遊ぶようになってきたらしく、雄太くんの近況は全く把握できなくなりつつあった。きっともう私のことなど忘れて、新しい遊びに夢中になっているのに違いない。
自力で暗示を解くことも不可能だった。この三か月で検証した結果、「暗示を解こうとする行為」そのものが、「自分が人形でないことを明かす行為」だと看做されるらしく、途中で体が止まってしまうのだ。誰かが私に催眠でもかけて、暗示を解いてくれるのを待つしかない。でも、私が人形じゃないことを知っているのはこの一家だけ……。そしてこの一家は、私が自分の意志で人形化したと思っている……。
(わ、私……ずっとこのまま、なの……?)
一年後、月夜ちゃんは私にシックな大人っぽい洋服をプレゼントしてくれた。といっても、リアルならガーリーファッションに分類されるであろうものだけど、これまでのに比べたら月と鼈だ。
「わー、綺麗ー。似合ってるよー」
「えへっ、ありがとうっ。でも……」
「でも?」
「私の夢は、とっても可愛いお人形になることだから……。やっぱり、もっと可愛いお洋服がいいなっ」
(う、嘘! 今の嘘! これ! これがいい!)
「えー、せっかく買ってもらったのにぃー。もー、里奈ちゃんはお子ちゃまなんだからー」
(ああっ、また……こんな結果に……)
これが切欠だったのかはわからないけど、後日、月夜ちゃんは新しいスーパーフィギュアを父親に買ってもらった。私みたいなインチキじゃない、正真正銘、本物の人形。
「青子です。よろしくお願いします」
落ち着いた口調で丁寧にお辞儀する、青い髪の人形は、私と同じ30センチサイズ。肌の質感も同じ。ただ、顔は私よりずっと可愛かった。
「里奈はねー、里奈だよっ、よろしくねー」
私はと言うと、一人称も下の名前になってしまい、ますます幼稚で痛々しいキャラに成り下がっていた。
「……あ、はい。よろしくお願いしますね」
(ひ、ひいてる……?)
私は衝撃を受けた。目の前の人形は、明らかに私の挨拶と格好にドン引きしていたからだ。自分でも痛々しいとは思っていたけど、まさか、人形にひかれるだなんて……!
「青子ちゃーん、ほらーっ、この服! 青子ちゃんに似合うと思うんだけど」
「わぁーっ、素敵な服」
青子ちゃんはシックな洋服に着替え、私の隣に並んだ。
(うっ……)
胸が痛くなってくる。シックな衣装は、青子にとてもよく似合っていた。髪の色は青く、その顔はデフォルメされたアニメキャラそのものなのに、不思議と大人びてみえる。私のような痛々しさや幼稚さとは無縁だった。
そんな美人が、今私の隣に並んでいる。周りからはどう見えるだろう。クリームで全身コーティングされているとはいえ、所詮私はアラサー女性。
「ねえねえ、手つないでいい?」
「ええ、構いませんよ」
(や、やめて)
私はアニメ声で腰や首をクネクネさせながら、青子と手をつなぎ、可愛らしい……いや、あざとい媚びポージングをとった。青子は「やれやれ、お付き合いしないといけませんわね」とでも言いたげに苦笑した後、可愛らしく微笑んだ。その姿は深遠のお嬢様のようだった。対する私は、鮮やかなピンクの髪に、数年前の魔法少女コスチューム。鏡など見なくても結果はわかる。余りにも残酷な対比だった。
(くぅっ……やだっ……)
今すぐ手を放してこの場から逃げ出したいのに、私の身体はそれを許してくれない。彼女と手を繋いだまま、よりあざといポーズを探す始末。
「月夜ちゃんっ、ポーズしてっ」
ポーズを決定した私は、語尾を上げつつお願いした。自分から固めて欲しいと言い出すなんて、こんな惨めなことがあるだろうか。
「いいよー、はい、ポーズ」
ポーズライトが照射され、私と青子ちゃんは手をつないだまま固められてしまった。そんな……。
(嘘っ、嘘よ、今のは……固めないでよぉ……よりにもよって、こんな……)
私の幼稚さ、痛々しさ、あざとさが、青子ちゃんの存在によって、より明瞭に浮かび上がっている。昨日までの子供部屋に比較する相手もおらず、世間の目も存在しなかった。私は自分とだけ戦っていればよかった。しかし、今日からはそうもいかなくなった。青子ちゃんが私という、人間にも人形にもなり切れない半端な存在を貶めてくるだろう。ただ、そこにいるだけで……。
(嘘よ、嘘なの、全部嘘。可愛い人形になんてなりたくない……私は……人形でもないの……全部嘘なのよーっ!)