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「こら! なんで嘘ついたの!」 私は目の前の男の子を叱りつけた。少し前まで溝の側で泣いていたこの子は、ニヤニヤと笑うだけで、悪びれもせず、誠意がこもっていない謝罪を繰り返すばかりだった。挙句の果てには、 「別にいーじゃん、みんなやってるし」 と開き直った。 「やりません」 「おねーさんだって嘘ついたことあるでしょ」 「君みたいな嘘はついたことないから」 何しろこの子ときたら、ウソ泣きして同情を誘い、嘘八百を並べ立てて、私にカードのセットを買わせて逃げようとしたのだから。 「こーいうのはね、詐欺っていうの、詐欺。大人がやったら捕まるんだよ」 「僕大人じゃないもん」 「子供でもダメなの。将来悪い人になっちゃうから」 「悪い人って、あの人みたいな感じ?」 「?」 私が振り返った瞬間、その子は肩を掴んでいた私の手を振り払い、全速力で駆け出した。 「あっ、こら! 待ちなさい!」 その子の姿はあっという間に小さくなり、やがて消えた。子供ってすごいなー……。はぁ。ムカつく。クソガキ。 私はカードセットを鞄に押し込み、帰路に就いた。1080円も無駄にさせられちゃった。最悪。次から子供は無視しよう。 あの子は見た感じ小学校低学年かな。溝の側で泣いているから、私は親切心で声をかけて事情を訊いた。曰く、お小遣いを貯めてようやく買ったカードを全部溝に落としてしまった、あれがないとみんな遊んでくれない、ハブられる……ということだったので、可哀想に思って一個買ってあげたのだが、店員さんのおかげで、全部嘘だったことが判明したのだ。 「まったくもう……」 最近の子供はどうなってんだか。ヘンなユーチューバーか何かに影響を受けたのかなぁ。質が悪い。ホントにもう。 また会うことがあったら、親御さんに苦情の一つでも入れよう、と思ったけど、それが叶えられることはなかった。一週間もしないうちに、私は病気を患い、入院したからだ。 体が縮む奇病、人形病。女性だけが罹患することが知られていて、現時点で治療法はなし。私は半年ほどかけて、身長30センチにまで縮んでしまった。幸い、そこで寛解し、それ以上の縮小は避けられた。それでも、退院した後は辛く困難な日々が続いた。30センチではまともな日常生活を送ることはできなかった。食事の用意にトイレ、お風呂……。台所など使えないし、トイレで何度も落ちかけた。風呂を沸かすことも、シャワーを浴びることも面倒だった。そもそも手が届かない。手間をかけて足場を構築しても、お風呂はちょっとした池みたいに深く、体に紐を巻かないと怖くて入れなかった。 東京には頼れる親族も親しい友人もおらず、私の精神は見る間に摩耗していった。これまでしていた仕事は無論、退職。しかし次の職場も見つかりっこない。30センチではまともな仕事は不可能だ。ちょっとした外出だって死ぬほど恐ろしかった。自分の6倍もある巨人たちが我が物顔で闊歩する世界が、半年前まで私が住んでいた世界だとは信じられなかった。踏まれたり、蹴り上げられたりしたら最後だ。私は目減りしていく貯金に苛まれながら、ほぼ引きこもりみたいな日々を過ごした。 碌に手入れもできずに荒れる肌、ツンとくる体臭、重い髪……。耐えきれなくなった私は、プライドを捨てた。以前からネットで噂になっている、ぶっ飛んだ解決法。それを試してみることにしたのだ。それはフィギュアクリームという商品を全身に塗りつけること。元々はフィギュアの手入れに使うためのもので、人が触れることでできる汚れを分解するナノマシンが組み込まれているらしい。それをフィギュアに塗っておけば、手入れ不要で常に清潔に保てるというわけだ。ネットの情報によると、人形病で一定以上縮んだ人の場合、このクリームで汚れの分解が間に合ってしまうのだとか。私は30センチなので該当する。もしもこれが本当ならば、お風呂に入らずとも清潔さを保てることになる。今の私にとっては願ってもないことだ。毎日私の体力と気力を根こそぎ奪っていくあの過酷な労働から解放してくれるのなら。さらにネットによると、かなり縮んだ人の場合、排泄物の分解もクリームで追いつけるケースがあるらしい。例によって私は該当する。トイレにもいかなくてよくなる、ということになれば、本当に奇跡だ。人形病患者が忌避される主要因は「介護」にあるのだから、それから解放されるのならば……。面倒みてくれる人も探しやすくなるし、ひょっとしたら仕事だってできるようになるかもしれない。どん底に落ち込んでいた私は、この怪情報に縋らずにはいられなかった。胸に希望を膨らませ、私はフィギュアクリームを注文したのだ。 粘性のある肌色のクリームは、思ったよりも気持ち悪かった。生クリームみたいな感触。ネットによると、お湯に溶かして浸けるのがいいらしいけど……。心身ともにボロボロで、とてもお湯の用意なんてする気力がなかった。今の私にはかなりの手間だし。後片付けも考えるとね……。私は容器の中に、直に入りこむことにした。そのためのお徳用サイズ。右足をそっと浸けると、ベタッと生ぬるい感触が足首を襲う。 (うぇ……) 一瞬躊躇したけど、思い切ってジャンプした。大きな音もなく、私の下半身は肌色のクリームの海に沈んだ。溶けたアイスクリームみたいでかなり気持ち悪い。でももうやるっきゃない。私は容器が倒れないよう、慎重に身を屈めた。首元まで浸けた後、大きく息を吸って、頭もクリームの中へ。いよいよ全身がフィギュアクリームの中に沈んだ。ドロドロしていて動き辛い。私は頭上に手を伸ばし、髪も全部浸かるよう抑えた。 (どれぐらい潜っていればいいんだろう……) ていうか、潜るだけでよかったのかな。今更だけど……。 (あっ、そうだ。股間……) 厚く塗らないといけないんだった。私は両手を頭から離し、股間へ伸ばした。クリームがしっかりと私の股間にくっつくよう、必死こいて塗りつけた。穴も毛も埋もれていき、段々平坦になっていくのが指先の感触からわかる。 (あっ……) 頑張りすぎたのか、奥にクリームが入り込んでしまった。ど、どうしよう……。平気かな? いやそもそも人間用じゃないし、不味いかやっぱし……。 (……ッ!) 限界だ。もう息が続かない。私は立ち上がった。粘々ドロドロしたクリームが、私の直立を遅らせるので、かなり焦ってしまった。まさか、このまま溺死したら恥ずかしすぎる……。 「っはぁー……」 なんとかダーウィン賞を回避した私は、容器から出ようとした。両手で淵を掴み、体を引っ張り……上げられない。クリームの粘性が私を引っ張る。 (ちょ……ちょっと) 何度頑張っても駄目だ。20分ほど格闘したのち、私は無傷脱出を諦めた。 「せーのっ」 勢いよく一方向にもたれかかり、容器を横に倒し、流れ出るクリームと共に、私は床に転がった。 (あーあ……) ゆっくりと起き上がると、床一面に肌色のクリームが広がっていた。大惨事だ。掃除……したくないなぁ。 次に、自分の体を眺めた。ドロドロの肌色のクリームで全身べちゃべちゃ。私の体のラインがまったくわからない。あちこち糸も引いてる。 (うぇー、これで放置? 最悪……) ネットだと、ナノマシンが浸けたフィギュアの形状に沿って、自動的に綺麗に合わせてくれるって書いてたけど。人間でも大丈夫なのかな? でもでも、これ洗い流しちゃったら勿体ないな。洗ったせいで失敗したら? 全部こぼれちゃったからやり直せないんだよね……。 (しばらく待ってみようっと) 10分ほどすると、体にくっついているクリームが動き出した。まるで意志を持った生物であるかのように、私の体表面上で整形を開始した。余分なクリームがボトボトと千切れ落ち、残ったクリームがウネウネと波打ちながら蠢く。不思議と皮膚にくすぐったさや不快感はなかった。だけど目に映る光景はグロテスクだ。肌色のスライムに飲み込まれて、今まさに消化されかかっているかのよう。クリームは脈打ちながら、次第に私の身体と一体化していく。余分な質量がほとんど床に落ちると、一塊になっていた指先が姿を現した。広げてみると、まだちょっと糸を引いていた。指と指の間の糸は、中間でプツリと千切れ指の中に吸い込まれていく。ビニールみたいに膨れていた指も次第にディティールが細かく刻まれてゆく。関節と爪が形成され、爪はうっすらとピンク色に染められる。手の変化はそれまでだった。まるでフィギュアのように均質で綺麗な肌。そこには一本の産毛も、毛穴も、染みもない。血管も見えない。作り物の手だった。だけど、いつも通りに動かせた。視線を落とすと、手以外も整形が終わっていた。足先も手と同じ。脚も、腰も……。いや、股間には大きな変化があった。私が頑張った成果か、股間はまったく綺麗に整頓されてしまっていた。一切の凹凸がない、ツルツルの股間。まるでマネキンみたいだった。手を伸ばし触れてみると、人の体の温もりや柔和さは感じられなかった。まるで人形に触れているかのような硬く冷えた感覚。 (えぇっ!?) だ、大丈夫……なの。そういえば、息切れで忘れちゃってたけど、奥にもクリームはいっちゃってたよね。平気かな。股間を軽く擦ってみたけど、どうにもならなさそう。取り出しようがない。穴が完全に塞がれてる。 (うーん……) まあいいや。しばらく様子見て、体調が悪くなったら……ってことで。クリーム落としてまた塗るの面倒だし。 視線を少し上げた。お腹もフィギュアの腹みたいに、均質で整った色に染められている。おへそっぽい窪みがあるけど、ほんのちょこっとだけで、後は埋まってる。そして胸。思いがけない変化が生じていた。乳首がない。一瞬、とれてしまったのかと思って肝を冷やしたけど、すぐに違うとわかった。大きくなってる。ちょうど乳首を覆い隠すぐらいに盛られてる。 (えーっ、何で、なんでぇ……?) 困惑したけど、元々フィギュアに塗るためのクリームであったことを思い出した。フィギュアに乳首は……ないか。人間に使うことで、ちょっとおかしなことになってしまった……のかもしれない。 予め用意してあった鏡の前に移動した。そこで初めて、自分の新たな顔と、全身像を目の当たりにした。鏡に映る私の顔は、細かな特徴がクリームに覆われ埋没し、デフォルメされたアニメキャラクターのフィギュアのような様相を呈していた。 (えっ……えぇ~っ!) 私は驚き、慌てふためいた。鏡の私も、表情を変えた。特にどこがつっぱることもなく、自然に、これまで通りに動く。視界から得られる情報と、顔の神経が伝える情報の不一致。奇妙だったけど、すぐに慣れてしまった。顔より、全身の衝撃が強かったのだ。フィギュアみたいな肌になったのはさっき把握したはずなのに、改めて客観視すると、私の想像以上だった。「縮んだ人間」はそこにおらず、代わりに「動くフィギュア」がそこにいた。艶のある等質な肌はまさしくフィギュアの質感。ややデフォルメ調な顔は幼く見える。そして髪。髪は一つの塊になっていた。型に樹脂を流し込んで作り上げられたかのようだ。それが背中まで伸びているせいで、ますますアニメか何かの登場人物っぽさを増している。しかし触ってみると、実際に一体化してはいなかった。サラサラと別れる。体、顔、髪。変質したこの三つが組み合わさり、私は生けるフィギュアと化していたのだ。 (えっ……ど、どうしよう……。まさか、ここまで……変わっちゃう、なんて……) こんな姿を誰かに見られたら……。恥ずかしすぎて死ぬかも。でも、昨日までのボロボロな私とは比較にならない美しさ、可愛さだった。まるで生まれ変わったみたい。 (……っていやいや! 何考えてんの私は! こんな格好見られたら絶対馬鹿にされるじゃん!) っていうか、人だと認識してもらえるのかなぁ。今の私は全裸だったが、乳首と股間の諸々が消滅したおかげで、本当に作り物っぽい。それが生きて動いているんだから、違和感がすごい。 (……動いて喋るんだから、誤解なんてあるわけないか) それからの生活で、クリームへの不安は消し飛んだ。ネットの情報通り、私はお風呂に入らずとも清潔でいられたし、トイレにも行く必要がなくなったのだ。これは全く最高だった。これなら、30センチでもなんとか一人で暮らしていける。段々気分も明るくなってきて、外に出ることもできるようになった。 丁度そのころ、隣の部屋に家族連れが越してきた。その一家の一人娘がいたく私を気に入り、よく部屋に招くようになった。といっても、待っているのはおままごとと着せ替えなんだけど。その度に、私は丁寧にお断りしなくてはならなかった。流石に、人形役はちょっと、ねえ。見た目はフィギュアでも、私は生きた人間なんだし。自分の数倍ある巨大な子供に着せ替え人形にされるのは本能的恐怖がぬぐい切れない。それに服もキラッキラのアイドル衣装ばっかりで、私の年だとキツイ。 それでも一家はよく食事の面倒を見てくれたりして、なんだかんだとお世話になる機会が多かったので、娘の話し相手ぐらいは付き合ってあげていた。そんなある日のことだった。彼女が顔をクシャクシャにして、私に泣きついてきたのだ。何事かと思えば、スーパーフィギュアなるAI人形が欲しい、みんな持っているのに私だけ持ってない、という愚痴だった。 私は「なんでもかんでも欲しがるもんじゃないよ」とオブラートに包みつつ伝えたけど、あまり効果がなかった。さらに、持ってないと友達からハブられる、と嘆いた。そんなことで仲間外れにするようなら、それは本当の友達じゃないよ、と言えれば楽なんだけど。そういうわけにもいかないか。 「まあまあ。月夜ちゃんには私がいるじゃない」 宥めるためにそう言った時だった。彼女はピタリと泣き止み、目を輝かせて言った。 「ねー! 里奈ちゃんがいるもんねー!」 彼女は嬉しそうに私を掴んで上下させた。 「ちょっ……やめ……」 巨人に捕まって激しく揺さぶられるのは何度体験しても慣れっこない。僅か1,2秒であったとしても、脳が死を予感させるし、ゲロゲロに酔う。グッタリとなった私を見て、彼女は流石に申し訳なさそうにシュンとなった。 「ごめんねー」 「うっ……ん……」 ところが、私の言葉は大変な勘違いをさせていたらしく、事態は思いもよらない展開を見せた。月夜ちゃんは学校で「あたしもスパフィギュ持ってるもん!」と宣言してしまったらしく、私に代役を依頼してきた。 「こないだ、里奈ちゃんが言ったでしょー!?」 「そういう意味じゃないの!」 彼女の中では、私がスーパーフィギュアの代わりを務めると約束したことになっていた。子供って怖い……。けどどうしよう。早速、今日これから友達が訪ねてくるそうだけど、月夜ちゃんが見栄を張ったことがバレたら、ハブられちゃう……のかな、やっぱし。でも人形の代わりなんて……。恥ずかしいし、パントマイムとかやったことないし、できる気しない。 「……正直に話して、謝っ……あれ」 私がまごついている間に、月夜ちゃんは離れたところで引き出しを漁っていた。聞いてない。何かをとりだすと、ニカッと笑って戻ってきた。その指がつまんでいるのは、着せ替え人形用のアイドル衣装だった。原色で彩られた数段重ねのスカートと、ゴテゴテとした硬そうな装飾がズラリと垂れ下がっている。あ、あんなの着れっての!? 「さー、お着替えしましょうね~」 「え……ちょっと、私やるって……!」 カチッ、とプラスチックを弾く音が鳴った。私の身体は瞬間的に凍結し、指一本動かせなくなった。ポーズライトを浴びせられたのだ。読んで字のごとく、人形のポーズを固定する機能をもった玩具のライトである。クリームを全身に塗っているせいで、私にも有効なのだ。この子はもう数回ほどこうして私を固めて遊ぶ。大体はご両親が注意してくれるんだけど、今日はそのご両親がいない。 (あぁ……っ。こら! やめなさい! 元に戻して!) カチコチに固められた私の体は、震えることさえ許してくれない。視線も固定され、ずっと一か所を見つめ続けるだけ。勿論、声も出せない。髪の毛も硬化して、一本たりとも動かない。今の私は、正真正銘のフィギュアだ。このポーズライトが、私は大嫌いだった。大して高価でもない、プラスチックの玩具一つに屈服させられてしまうことが自尊心を踏みにじる。ただでさえフィギュアみたいな見た目になっているのに、動けなくなってしまったら、本当にフィギュアにしか思えないはずだ。万が一、このまま誰かの手に渡ってしまったら……。人間だなんて気づいてもらえず、一生このままかもしれないという恐怖。動けないことへの苛立ち、苦痛。ポーズ状態にされるたびに、人権を蹂躙されるどころか、ゴッソリ剥ぎ取られて裸にされてしまうかのような孤独と不安に苛まれるのだ。 だが、今回は違う意味で裸にされた。月夜ちゃんは人形みたいに私を持ち上げ、服を脱がし始めた。 (こらぁ! やめなさい! ちょっと! ダメ!) 抵抗することはおろか、嫌がっているという素振りすら見せることができない。今の私は無力な人形でいるしかない。あっという間に全裸にされ、私の肌がテカテカと光沢を放った。 (や、やだ……。ホントに着せ替え人形じゃない……) 意志を封じられて小さい子供に服を着せ替えられるのは相当の屈辱だった。それも、キラッキラなアイドル衣装を被せられるのは。 (な、何でこんな服着ないといけないの!?) 私ももういい年だ。こんな派手な服、素面じゃ着られないよ。合ってないってわかんないかな……。しかし月夜ちゃんはご機嫌だった。服を着せると、これまた派手な手袋とヒールを私に装着し、髪をでっかいリボンで束ねた。アニメでしか見ないぐらい大きなリボンだ。リアルなら月夜ちゃんの年齢でももうしないだろうってぐらい。 (ひー!) アラサーがノーメイクでアイドル衣装を纏っている姿を想像すると、空恐ろしくなった。私は床におろされ、ポーズライトを浴び、やっと自由を取り戻した。 「里奈ちゃん、かわいいー」 「……っそんなわけないでしょ! 私の服返して!」 私は真っ赤になって怒った。しかし、アイドル衣装を身に着けた、30センチのおばさんが怒っても全く迫力に欠ける。月夜ちゃんはニコニコと笑みを浮かべて、私の前に鏡を立てた。……見たくない! 思わず目をつむり、顔を横に向けた。 「ほらー! ちゃんと見て!」 「ヒッ、わかった、わかったから!」 彼女が私の頭を掴もうと指先を伸ばしてきたので、私は観念した。怖い怖い。首折れるからやめて。 ところが、薄目を開き、恐る恐る見た鏡には、思い描いていた痛いおばさんは映っていなかった。そこにいたのは、可愛いアイドルフィギュアだった。 「……えっ!?」 ビックリした。本当にビックリした。派手なアイドル衣装にそれほど違和感がない。クリームでフィギュアの質感を得た肌、細かい特徴が埋もれて、結果デフォルメチックになった顔、一塊のパーツみたいになった髪、全てが上手く調和している。顔も幼い印象になっているおかげで、痛々しさがあんまりない。どっかのアニメキャラのフィギュアみたいに見える。……こ、これが私!? うっそー……。 チャイムが鳴った。 「はーい」 月夜ちゃんが部屋から駆け出して行った瞬間、私は正気に戻った。一瞬で耳まで赤く染まり、両手で顔を覆い、絶望した。 (なっ……何可愛いじゃんとか思っちゃってんの私! ただ人形っぽいってだけじゃん! 年! 年考えて私!) ドタバタと複数の足音が、床の振動と共に伝わってくる。友達が来たらしい。ということは……。 (えっ、わ、私、こんな格好で見世物になるの!?) 子供たちの前で、アイドルのAIフィギュアを演じる……? 無理! 無理無理無理! 恥ずか死ぬ! (そっそうだ、逃げちゃえ) でも、子供部屋のドアは一つしかない。どこかに隠れて……と周囲を見回したが、遅かった。4,5人の子供たちが部屋に雪崩れ込んできたのだ。 「あ……」 巨大な子供たちが我先にと地響きを立てながら突進してくる。私はあまりの恐ろしさに、逃げようとして転んだ。 「ほんと! かわいいー」 女の子たちは好き勝手に私を評価した。可愛い、衣装が安っぽい、大人しい子なんだね、等々……。私は床に座り込んだまま、黙って俯いていた。ヤバい……。本当に恥ずかしい……。小さな子供たちの前で、フリフリのアイドル衣装を着て品評されるだなんて、どんな羞恥プレイなの……。 「ね! 嘘じゃなかったでしょ!」 「ほんと! ごめんね!」 月夜ちゃんは得意げに鼻を鳴らした。そっか、私、みんなから人形だと思われてるんだっけ……。確かにフィギュアみたいな体になっているとはいえ、誰も私が人間だと気がつかないの? 段々悔しくなってきて、人間だとバラしてやろうかと思った。しかし、それをすれば月夜ちゃんの面目は丸つぶれ、何より私自身も。いい年してアイドルフィギュアのコスプレをして子供たちの前に出た痛いおばさんということになってしまう……。なし崩し的に、私は彼女の目論見通りにAIフィギュアを演じる羽目になった。ボロを出さないようにという配慮、そして羞恥心から最低限の受け答えに徹し、口数を減らした。早くこの公開処刑が終わってほしいと祈りながら。 これ以上悪いことは起こりっこない、と思ったのも束の間、私みたいな肌を持った小人たちが各自の鞄から姿を現した。みんなのスーパーフィギュアらしい。どの子も私とは比肩しようがない可愛さで、アニメの世界から飛び出てきたみたいだった。髪はカラフル。目も大きい。そしてその中に一人、いや一匹、真っ黒でゴツゴツとした怪獣……の人形がいた。ずっと下を向いていたのでわからなかったけど、一人だけ男の子もいたらしい。 AIフィギュアたちは床に降り立つと、私に話しかけてきた。 「こんにちはー! 初めまして、よろしく!」「あたしレモン! よろしくねー」「ギャオー」 「あっ、ど、どうも……初めまして」 技術の進歩は、私が想像していたよりも遥かに進んでいたらしい。フィギュアたちは淀みなく滑らかに動き、自然な発声で会話することができた。すごい……。これじゃあ、私が人間だってわからないはずだよ。サイズや体の質感とか、今の私とまったく同じだし、動作や受け答えもここまで高度なら……。疑念が一つ。仮に騙す意図がなかったとしても、私は周囲の人からAIフィギュアだと思われるかも、ってことになる? 「私青子っていうの。あなたは?」 「えっと……」 この問いで私の思考は途切れた。名前? 名前、どうしよう。考えてなかった。偽名……とっさには思い浮かばない。 「り……里奈。里奈だよ」 とりあえず下の名前で通すことにした。呼ばれ慣れている名前の方が、ボロが出にくいはずだ。それに、子供たちの中に私の知り合いなんて……。 「へー」 やや意地悪そうな含みのある、男児の声が飛んだ。女児巨人たちの列の隙間から、男児の顔がチラッと見えた。既視感を覚えた私は、もっとよくその子の顔を見ようと、立ち位置を変えた。 (げっ!) あの子だった。私が病気で縮むちょっと前、嘘をついて玩具を買わせようとした男の子。あの腹立つ薄笑いは間違いない。な、何で……どうして、ここに……? まさか月夜ちゃんと同級生だったなんて。名前、お店で教えた気がする。いや、落ち着け私。こっちは平気、バレてない……はず。私が人形病に罹ったなんて知らないはずだし、第一、今はクリームのおかげで自分でもわからなくなるぐらい別人になってるし。その上、今はAIフィギュアという体裁で会っているのだから、わかりっこない。うん。 私は極力、顔を上げないように務めた。しかし、AIフィギュアたちが私の過去を詮索してくるので、気が気でなかった。「どこ産?」「初起動いつ?」「普段月夜ちゃんと何して遊んでるの?」 「えっと……」 焦りで顔が紅潮する。必死に適当な嘘を並べて誤魔化しながら、私はあの子の視線が気になって仕方がなかった。見られてる……いや、私のお披露目という名目で招かれたのだから当然……。バレない、平気。バレっこない。 その後ダンスを踊らされそうになったりしたものの、私は何とか人形を演じ切り、子供たちは帰っていった。 「はぁ~」 大きく息を吐いて、私は床に転がった。疲れた……。ただでさえ、見た目が人形みたいになってイヤなのに、本当に人形として振舞うのを強要されるなんて……。うーん、でも終わってみれば、特に「演技」とかせず、割と自然体だった気がする。ただ嘘ついてただけで。……そんなナチュラルに人形に見えてしまうんだろうか? 「えへへー。ありがとねー」 「もう二度とやんないからね、いい?」 「うん!」 私は体力が回復するのを待って、家に帰った。隣の部屋だからすぐだ。 家で改めて鏡を眺めた。樹脂みたいな肌、アイドル衣装、何より30センチの身長……。確かに、フィギュアにしか見えないや。せめて、もっと普通の服……あ。 私は着替えるのを忘れ、アイドル衣装のまま帰ってきてしまったことに気がつき、一人で赤面した。 翌日、外に出ると、昨日の怪獣人形がポツンと佇んでいた。 「あれ? 君は確か……ギーマくんだっけ?」 「ぎゃおー」 間違いない。あの男の子のAIフィギュアだ。何でこんなところにいるんだろう。ひょっとして、忘れてった? 昨日ネットで調べてみたんだけど、このシリーズ高いんだよね。ほっとくわけにはいかないか……。とりあえずウチに置いとこう。 「とりあえず、中に入って」 私専用のサイズに作られた扉は、ギーマくんにはちょっと狭かったものの、何とか押し込めた。 「ふー……。ここで大人しくしててね」 月夜ちゃんに連絡先聞いてこなくちゃ。再び家から出ようと向きを変えた瞬間、背後からギーマくんが太い両腕を回し、私をガッチリとホールドした。 「え? え? ちょっと?」 怪獣だけあって、腕力が強い。いくら力を込めても脱出できない。 「離してよ、もう。すぐ戻るから……」 「ぎゃおー」 知能は普通のAIフィギュアと同水準らしいから、話は通じるはずなんだけど……おかしいな。ていうか、人の言うこと聞かずに被害を与えるって、どっか壊れてるんじゃない? (……あっ、もしかして) 私、同じ人形だと思われてるのかな? ていうか、そのはずだよね。昨日それで通したんだし。 「あのね……昨日のは嘘なの。私、ホントは人間なの。だから離して」 「ぎゃおー」 やっぱり、人間に危害を加えてはいけないことになっているのだろう。ようやく拘束を解いてくれた。しかし、それと同時に家のドアが開いた。ドアをくりぬいて設置した、私用のドアじゃない。人間用の、本当のドアが。 「やっぱり」 巨大な人影が姿を現す。それは意地悪そうな笑みを浮かべた、昨日の男の子だった。

Comments

Gator

わあ~最後の終わりで感嘆しました。 タイトルと序盤の"嘘"という素材をこのように回収するなんて、小説のストーリーと演出も素晴らしい証拠です。 毎度小説の分量も立派で満足に読んでいます。 後援することができて本当に幸いです。(Translated)

opq

こちらも感想ありがとうございます。そう言っていただけると本当に嬉しく思います。