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「では、プロフィール記入が終わりましたら、お呼びください」 担当の女性は地響きと共に歩き去った。パッと見同年代だけど、その背丈は私の十倍はある。十六センチの私には、彼女の産毛、肌の染み荒れ、血管、全てがハッキリ目視出来てしまう。他人の汚れなんて見たくはないけど、どうしようもない。私はベッドほどもあるタブレットの上に座り込みながら、ため息をついた。あまり人の顔を見たくない理由は、ただ気持ち悪いからってだけじゃない。今の自分が一層惨めに思えるからだ。体が縮む奇病、人形病に罹った私は、十分の一サイズまで縮んでしまった。親戚中を盥回しにされた挙句、最後に辿り着いたのがここ、縮小病支援センターだ。自活できない程に縮み、かつ引き取り手がいない女性を預かり、その引き取り先を探す活動を行っている。ここに着いて早々、私はフィギュアクリームなる肌色のクリームを全身に塗られた。元々はフィギュアの艶出し、修復、洗浄に使うものらしい。汚れを分解するナノマシンが混入されているので、全身に塗ればお風呂に入らなくても清潔さを維持できる。特に股間を大盛に塗りつけると、排泄物の処理も間に合ってしまうため、トイレに行かなくてよくなると説明された。十分の一まで縮んだが故の恩恵。でもちっとも嬉しくなんかない。身長十六センチになって良かったことなんて何一つないのに、担当の女ときたら、笑顔で「良かったですねー」とか「かわいいー」とか、まるで猫か何かのように見下して接してくる。それがたまらなく悔しかった。クリームで全身を覆いつくされた今の私の肌は、光を反射してテカテカと輝いていた。曇り一つない、肌色一色の皮膚。アニメキャラのフィギュアみたいな質感。生きた人間のものとは思えない。顔もクリームで覆いつくされ、細かな個性が埋没し、量産型アニメキャラみたいな印象を受ける。これが私だなんて……。髪の毛も一塊のパーツみたいで、丸っきりフィギュアのソレだった。でも、手で触れると髪は前と同じようにサラサラと別れる。視覚が得る質感は「樹脂の塊」なのに、指先は「固い髪の毛」だと伝えてくる。感覚が混乱して、薄気味悪くなってくる。タブレットに僅かに映る自分の姿は、到底ヒトとは思えない。フィギュアが動いているようにしか。自分が本当に人形になってしまったかのように思えて、このクリームの鎧を脱ぎ捨てたい衝動に幾度となく襲われる。でも下の処理から解放されるのは、本当に素晴らしいことだった。何せ、全ての親戚と喧嘩別れした理由は、正にそこにあったから。ウンチやおしっこの世話を、法事でしか会ったことのないような人たちに任せるのは耐えがたい屈辱だったし、相手も同じ理由で苦痛だったに違いない。もっと早くこのクリームの存在を知っていれば、こんな姥捨て山に来ることはなかったかもしれない……。 うっすらと涙が滲んだ頃、担当者が戻ってきた。 「記入終わりました?」 本人にはそのつもりがなくとも、大巨人の醸し出す圧は凄まじいものがあった。マンション並みの巨人が私を見下ろし、指示を飛ばしてくるのはやはり慣れようがない。本能的な恐怖がぬぐい切れない。 「えっと……」 「え?」 担当の人は、勢いよく屈み、耳を机……私が立っている地面に近づけた。私は風圧と威圧で後ろへよろけた。怖いよ……。それに吐きそう。窓程もある耳の穴がハッキリ見えてしまう。汚い。オエ……。 私が記入しなければならないのは、施設に来た「お客」たちに見せるプロフィールだ。ここには、人形病患者の女性を引き取りたいと思っている人たちがやってくる。その時に見せるのだそう。だけど、項目がおかしかった。年齢とか略歴とかはいい。けど、コスプレの可否とか、キャラ作りできるか否かとか、如何わしい項目がズラリ……。最大の問題は、私からの希望を出せないこと。担当の人に聞いても、私たち患者側から、「どういう人に引き取られたいか」の希望を出すことはできないらしい。 「一体、どうしてですか?」 「まあまあ。可愛くしないと嫌われちゃいますよ~」 彼女は質問に一切答えず、指先で私の胸をツンツン突くばかりだった。完っ全に、対等な人だと看做されていないのが伝わってくる。幼児かペットか、って感じ。怒ってみせても無意味だった。大きな指先が私の頭を撫でまわすばかり。16センチの小人、それも一切の後ろ盾を持たない女がどんなに凄んで見せても、普通の人たちには子猫の戯れぐらいにしか受け取ってもらえないのだ。生物としてのスケールが違えば、それに合わせて本能的な上下関係が構築されてしまうのだろう。 私は世の理不尽に憤りつつ、ケッタイな項目全てにノーをつけ、プロフィールの記入を終えた。 「えー、これじゃあ売れないですよー」 ”売れる”って何。人身売買じゃあるまいし……。 無機質な白い壁で区切られた空間に、私は運び込まれた。他に私と同じ境遇の人たちが五人ほど。私も彼女たちも、無地の白いワンピースを身に着けている。この施設が用意しているもので、親戚たちが着せてきた人形用の服やハンカチに比べると、雲泥の差だった。ちゃんと人間の服してる。着心地そこそこ、サイズもそこそこフィット。こういう所は、流石に専門施設だけあって充実してるみたい。白い部屋にもベッドが人数分設置されている。水槽で飼われていた時と比べると天国みたいだった。ここ来てよかったかも……。ただ、妙に生活感に欠けるのが気になった。真っ白な壁、透明な天井、照明、ベッド。終わり。刑務所か、さもなければディストピア映画のセットみたい。まあ、お風呂もトイレも用なしの体となれば、案外こんなものかもしれないけど……。 先輩たちと挨拶を交わし、ここでの生活の説明を受けた後、私は思わず尋ねてしまった。 「あの……その髪は……?」 私より先に入所していた人たちは、アニメキャラみたいにカラフルな髪色をしていたのだ。ピンク、黄色、青、白……。樹脂みたいな質感となった顔や肌との相乗効果で、ますますフィギュアっぽくなっていた。 「その方が可愛いでしょ?」 えっ……。みんないい年してそんな……。恥ずかしくないんだろうか。二人はアラサーなのに。社会から隔絶されているからだろうか。私には絶対無理だ。 「花咲さんは、明後日の衣装何にするの? 和で攻めるの? だから黒髪?」 「え、え……っと……?」 明後日の衣装? 何のことだろう。というか、カラフルに染めるのが常識みたいで、なんか怖い……。 話を聞くと、毎週末に「お客様」たちがやってきて、引き取る人形病患者……私たちの品定めを行うのだとか。ちゃんと可愛くしていないと売れない……と説明され、私は震えた。何それ。奴隷市場かなんか? 私たちは人権を持った人間なのに。売る? 品定め? いちいち言葉のチョイスが引っかかって仕方がない。互いに顔を突き合わせるのはいいとしても、何で髪をカラフルにする必要があるの。アラサーになって髪をピンクにしてる女なんて、真っ先にお断りされる案件なんじゃ……。でも、確かに、私も自己紹介がなければ、彼女がアラサーだとは気づかなかっただろう。フィギュアクリームで覆われた均質な肌のおかげで、なんなら十代設定のキャラクターのフィギュアにさえ見える。違和感ない。でも、なあ……。 そして、衣装。今は全員、ややダボっとした白ワンピ姿だけど、「市場」が開かれる日は、色んな衣装を貸し出してくれるらしい。可愛い服は人気が高く、予約がずっと先まで埋まっているとか……。 「私、明後日はプリガーになるのよ~」 ピンク髪のおばさんは、ニヤケながら言った。プリガー衣装は二か月待った、明後日で決める、などと語る彼女の顔はとても嬉しそうだったが、私は引いた。アラサーにもなんてそんなコスプレを……。そのためのピンク染め? しかも、衆人環視の環境でそれを……? 「まあ、婚活みたいなもんよ」 「はあ……」 それなら、もっとちゃんとした格好をした方がいいんじゃ……。周りに促されて、私は部屋を連れ出された。タブレットが置かれている広い部屋に入ると、たくさんのフィギュア……いや患者たちが集まっていた。みな熱心にタブレットを操作し、眺めている。 「さあさ並んで並んで。好きな服を選んで予約するのよ」 初日からえらいことになってしまった……。とはいえ、部屋に戻ってもやることもないし、私は大人しく従った。 順番が来た。タブレットはそこそこわかりやすいUIで、苦も無く操作できた。特定キャラクターのコスプレ衣装が想像より豊富に取り揃えられていた。こんなところに予算使うぐらいなら、生活環境の改善に回してほしいなあ。テレビ置くとかさ……。メイド服やバニーガールなども一種類ではなく、それぞれに色んな種類があった。だけど私は不満だった。なんでこう、「コスプレ」にこだわるんだろう。普通の服が少なすぎだよ。あるにはあるけど、種類が少ない。デザインも今一だし……。「これは」と思うものは既に予約済み。しかもだいぶ先まで埋まってる。あー……。今から取れそうなのは、顔も名前も知らないキャラクターのダサい衣装だけ。もういいや。別に。というか、私は来たばっかりだし。明後日は様子見、ってことで……。 「市場」当日。慌ただしい喧噪の中で、私は目を覚ました。時計を見ると、まだ朝の五時。なんでみんな起きてるの……。十時からじゃないの……? 「ほら早く。いい席とられちゃうよ!」 「……?」 「花咲さんは今回パスだから」 「あ、そだっけ」 先輩方五人は、一度は起こしかけた私をほっぽって、部屋から出ていった。いい席……? 別にどこでも一緒じゃないの? お花見じゃあるまいし……。私はそのまま二度寝を決め込んだ。 朝の九時。身支度……といっても、トイレもメイクも肌ケアも無駄毛処理も不要だから、髪を整えるだけだけど……を終えて、会場へ向かった。一面真っ白で無機質な居住区には既に人気がない。あれ? 残ってるの私だけ? もうみんな会場? 真っ白な壁の中にポツンと佇む寂しげな扉を開き、会場と呼ばれていた場所に入ると、私はアッと息を呑んだ。簡単な柵すらない、切り立った崖の手前に、ズラリと並べられたフィギュアの隊列。崖に沿って並べられた彼女たちの足元には、白い円形の台座が設置されている。おそらくは人数分、五列に渡って並べられ、前の四列には空きがない。誰も乗っていない空台座は最後列にポツポツとみられるだけだった。恐る恐る横から様子を伺うと、崖が机の端っこであることがわかった。遥か崖下にカーペットが見える。あれは床だ。普通の人用の。スタジアムのような巨大に開けた空間は、会議室のような趣だった。台座に乗った人形病患者たちは、誰もかれもが可愛らしく着飾り、これから撮影会でも始めるかのように、思い思いにポージングを研究している。前列の人たちはコスプレが完璧に決まり、アニメキャラクターの既製品フィギュアのようにしか見えない。それが生きて動いている。私はビックリした。痛々しい格好をしたおばさんはどこにもいない。綺麗で可愛く、今か今かと開場を待ち望んでいるようだった。 (でも……この人たち、恥ずかしくないのかな、本当に……) 「こら、あんた後ろでしょ」 「何、その格好? 風邪でもひいたの?」 「え……」 私は自分が普段通りの白ワンピであることに気がついた。あれだけコスプレは嫌だったのに、アニメの世界から飛び出してきたかのような彼女たちの視線を浴びた途端、自分が場違いな貧民であるかのように感じてしまった。私は後ろへ下がり、壁にもたれかかった。想像していたのと大分違った。私は児童養護施設の視察か、或いは婚活パーティーのような雰囲気なのかと思っていたけど、これじゃあまるで……フィギュアのお店かバーゲン会場だ。 あの列に加わる気にもなれず、しばらく後ろで茫然としていると、職員の人たちが入ってきた。懐中電灯のようなものを握っている。 「はーい、あと十五分で開場でーす。ポーズ希望者はいますかー?」 「はーい!」 何人かが手を上げた。その返事はまるで女子小学生みたいで、痛々しい。年齢考えなよ……と毒づきたくなるけど、見た目はみんな幼げで可愛いので、内情を知らなければ違和感ないのかも。ていうか、ポーズってなんだろう……。 「はいじゃあいきますよー」 職員の人がそう言うと、希望者が可愛らしく微笑んで、媚び媚びのポージングを始めた。素面じゃ絶対やれないようなぶりっ子ポーズ。あんなんドン引きでしょ、引き取る人いるの……? 次の瞬間、職員の方がライトのスイッチを入れ、黄色い光が彼女に照射された。すると、まるで時間が止まったかのようにピタリと動きを止めたのだ。微動だにせず、可愛らしいフィギュアとなって、二度と動き出さなかった。声も発さない。樹脂みたいな質感の体と衣装、それに固定された笑顔と媚びポーズ。最初からそういう形で造形されたフィギュアのようだ。 (なっ……何、あれ……?) 私の心臓はドクドクと脈打った。何をしたの? 大丈夫なの、あれ? まさか死んだわけじゃ……ないよね? 「よっす。初めて?」 「ひゃっ……は、はい」 いつの間にか隣に並んでいた人に声をかけられ、思わず変な声を出してしまった。彼女も私と同じ白ワンピだった。なんでも、今回は希望の衣装がとれなかったので見送るらしい。その彼女が色々と教えてくれた。職員が浴びせているのは、人形のポーズを固定する玩具で、ポーズライトというらしい。私たちはフィギュアクリームを塗っているので、効果があるのだとか。 (う、嘘……。私たち、誰かがその気になれば、あっさりとカチコチに固められて、動けなくされちゃうってこと?) クリームにこんな欠陥があったなんて……。いや、もともと人に塗る物じゃないから、仕様なのか……。でも、怖い。あんなプラスチック製のライト一本で、体を完全に拘束されてしまうだなんて。それも高価な機器でもなんでもない、子供用の玩具で……。 隣の人曰く、朝十時から始まる「市場」は、十六時まで続くから、ずっとアピールしているのが辛い人は、ああやって固めてもらうんだとか。私には絶対無理だ。理解できない。もしも、あの状態で、何か手違いが起こり、別の場所に紛れ込んでしまったら……。それこそ、本物のフィギュアの中に……。誰にも人間だと気がついてもらえず、それっきりになってしまうんじゃないだろうか。動くことも声を出すこともできず……。そうでなくとも、六時間も身動きできないなんて相当辛いだろうに。平気なのかな……。 希望者全員を固めた後、職員は脇の椅子に座り、手持無沙汰にスマホを弄りだした。楽そうでいいな……。 五分ほどすると、巨大なドアが開き、知らない顔の巨人たちが次々と姿を現した。 (うわ……) いかにもモテなさそうな男たちが多めだった。鳥肌が……立たない。本当の肌はクリームの底に沈んだからだ。立ちそうで立たない鳥肌の感覚がこそばゆくてもどかしい。男たちはスマホで写真を撮りだした。許可も撮らずに、何なのこの人たち。職員は口頭で注意事項を述べたが、撮影禁止は入っていなかった。ええ……。こんなノリノリでコスプレした挙句、カチンコチンに固められた姿なんてネットで出回ったら、もう私表歩けないんだけど。この人たち平気なの……? ところが、先輩方はむしろノリノリで、スマホを向けられる度に、ニッコリ笑ってポーズまでとる始末だった。コスプレ撮影会じゃないんだから……。酷い。その内、壁にもたれかかっている私たちにも向けられ、数枚撮られた。だけど、私は文句を言えなかった。十倍の背丈を持つ巨人相手に、たった一人で喧嘩を売ることなんて恐ろしくてできない。見た目もキモイし……。撮影ターンが終わると、「お客」たちはポーズライトで固まっている子へ手を伸ばした。 (え? え? ちょっと、まさか……) あろうことか、そのまま掴み上げ、持ち上げたのだ。 「ひっ」 持ち上げられた子は笑顔でポージングしたまま、一切の反応を示さない。ただ為されるがままだった。男はスカートの中を覗いたり、色んな方向から確認したり、触れるか触れないかって距離まで顔を近づけたりした。無理無理無理。私絶対無理。というかいいのあれ? あの子、絶対心の中で泣き叫んでるでしょ! 私の悲痛な表情を見て、隣の人が言った。 「あれくらいならオーケーなんだよ、そういうルールなんだ」 「ええっ、いいんですか、アレ!?」 「ポーズ状態の子はお触りオーケー。ポーズライトの利点の一つだね」 「り、利点……!? 巨人に鷲掴みされてセクハラされるのが!?」 駄目だ。ここは私の住んでいた世界とは全く違う世界なんだ。とんでもないとこ来ちゃったな……。 逆に、固まっていない子はお客の質問に答えたり、リクエストに応えて色々と違うポーズをとってみせたりしていた。地声で話している子は一人もいない。みんなが高いアニメ声で、それもわざとらしささえ感じさせるような、あざとい喋り方だった。動きもアニメや漫画のキャラみたいに芝居がかっていたり、幼児みたいな振る舞いだったりした。うえー、クリームがなかったら大惨事じゃないのコレ……。お互いに。 「固まっていない時は、ああやって直に話せるのが利点だね」 「はあ、なるほど……」 しかし、観察している限りでは、お客が「ウチに来たらアレをやれるか、コレをやれるか、ナントカは大丈夫か」と注文をつけるばかりで、こっちから注文をつけている子はいないみたい。 「ははは、そんなことしたら引き取ってもらえないじゃん」 隣の人はそう言って笑った。えー、信じられない。自分の保護者になる人なんだから、こっちからも条件つけて当たり前でしょ……。何でこうも一方的なの。十分の一サイズしかない人間は権利を主張しちゃダメだっていうの? 時間が経つにつれ、気持ち悪い男性客は減っていき、昼頃になると、比較的まともそうな男性や女性客が増えだした。あー、そういう……。各自の売り込みも熱を帯び始め、さながらオーディション会場のようだった。ポーズ状態の人たちも、次々と手に取られた。人が多い時には、机に戻さず、直接次の人に手渡しする場面もあった。まるでお店の棚に並べられている商品みたいな扱いだ。酷い。それでも、全身が硬化した彼女たちは、髪の毛一本揺れることなく、変わらぬ笑顔で、その全てを静かに受け入れていた。 十六時。私はもう居住区に引っ込んでいた。あっちはどうなったんだろう。さらに三十分ほど経つと、先輩方がゾロゾロと戻ってきた。白ワンピに戻っている。落ち込んでいたり、晴れやかだったり……。ポーズ状態で固まっていた先輩に話を聞いてみたかったけど、勇気が出なかった。 三日後、職員が先輩方を呼び出した。どうやら全員に一件以上の申し出があったらしい。当然、私だけがゼロ。なぜだか悔しさが滲む。別に……。あんな恥ずかしい格好して媚びを売るぐらいなら、いいもん……。 床も壁も染み一つない真っ白な居住空間。六人が暮らしてるのに、一向に新築セットみたいな雰囲気。トイレもお風呂も食事もいらない体だと、部屋を汚しようがないのだ。それがたまらなく嫌だった。人として生きているって実感が湧かない。ここはまるでフィギュアの保管場所みたいだ。こんなところで暮らしていると、次第に世間から感覚がずれていって、人前であんな風に振舞えるようになるんだろうか。 二時間後、先輩方が順番に戻ってきた。落ち込む人、晴れやかな人……。五人中三人が引き取られることに決まったらしい。みんなでお祝いしたけど、私はどうも本心から祝えなかった。変な人だったらどうするんだろう。酷い扱い受けたりしないのかな……。流石に簡単な身辺調査くらいはやってるだろうけど……やってるよね? 二日後、先輩方は施設を去っていった。居住区の広場に出て、他の人に話を聞く限り、他の部屋からも結構な数が引き取られていったそうだ。どうも、ここは思ったよりも回転率が高いらしい。入居時に一年しか預からないって説明されたけど、どうやら半年以上この施設にいる人はほとんどいないらしい。そんなもん……なのかな……。 二週間。あっという間だった。私は部屋の「最年長」になってしまった。先輩方はみんな引き取られていったからだ。流石の私も焦らずにはいられない。髪をカラフルに染めてコスプレする勇気は出なかったけど、実社会でもそれなりに通用しそうな服を予約して、「市場」に参戦した。席はいっつも一番後ろだった。先輩たちが早起きしていた理由は、最前列を確保するためだったのだ。最前列は一番多くの人に見てもらえる。それだけいい人に巡り合える可能性も高くなる。最後列で地味な格好してる私には、チャンスそのものが巡ってこない。たまに話しかけてもらえることがあったものの、巨大な顔に気圧されて、うまくアピールすることができなかった。フィギュアみたいな見た目と十六センチの体では、年相応の女性として対等に振舞うことは不可能だ。かといって、他の人みたいにキャピキャピするほど吹っ切れてもいないので、いつもウケが悪かった。 二か月もすると、職員に呼び出され、色々と「改善案」を押し付けられた。花咲さんはポーズライトを浴びたほうがいい、プロフィールの条件が厳しすぎる……等々。コスプレやキャラ作り可にして、あとは笑顔で固まっていれば引き取り手が現れるはずだと。冗談じゃない。私は生きてるの。二十六歳の人間なの。一ミリも動けないほどにガチガチに固められなければならない謂れなんかない。それになんでコスプレしてキャラ作んなきゃいけないわけ? そのままじゃダメなの? コスプレペットの中身として私を欲しがる人なんて、こっちからお断り! 私は頑として改善を拒んだ。一応、愛想はよくして、前にも出るようにしたつもりだけど、他の子に埋もれて全然申し出がこなかった。 段々、施設から「先輩」が消えていく。三か月もすると、私は最も長期間、この施設にいる女になってしまった。それにつれて、周囲の扱いも変わった。みんなが私を馬鹿にして、陰口を叩くようになった。「お局様」「売れ残り」「お嬢様気取り」「ぶりっ子」……。私が一番腹を立てたのはぶりっ子呼ばわりされたこと。年甲斐もなくフリフリの服来て甲高い声で男に媚びてる人たちがそれ言う!? 唯一それをしてない私がどうしてぶりっ子!? でも狭いコミュニティで事を荒立てても仕方ないので、私は黙って耐えた。それに実際、彼女たちの煽りを否定しきれないところもあった。私がいつまでも選ばれずに残り続けているのは事実。私はお高くとまっているんだろうか。自分を捨て、自由も捨てて、人形に徹するよりほかにないのだろうか。 ある日、ギャルっぽい子に言われた。 「あんた、何様のつもりなわけー?」 「別に、私は……」 「アタシらさー、何もできないわけじゃん? 仕事できないし、家の手伝いも無理だし。一方的に面倒みてもらうんだから、せめて見た目ぐらい楽しませてあげないといけないんちゃう? ギブアンドテイク」 「……」 私は何も言い返せなかった。でも……だからといって、あんな風に固まるのはイヤ。何もできないからって、体を動かす権利さえ認められないっていうのは絶対おかしいよ。 キャラ物やフリフリの衣装はどうしても自分の中で折り合いをつけられなかった。それでも、比較的おとなしいデザインのメイド服を着たりガーリーファッションに転じたりして頑張った。その結果、ポツポツと引き取り希望が来るようになった。それ自体はとっても嬉しかった。けど、相手はどうにも冴えない独身中年男性ばっかりで、気が進まずに全て断ってしまった。次はきっともっといい人と巡り合えるはず、ここで決めるのは早計、もうちょっと粘ればもっとマシな人が……。月日が経つにつれて、「このぐらいの人なら、前にもいた」「ここまで頑張ったんだから、それに見合う人がいい」という思いも加わり、中々良縁に巡り合えず、いつしか半年が過ぎてしまった。 とうとう職員に呼び出され、最後通牒を受けた。次の市場できた申し込みを受けろ、嫌なら施設からも出ていってもらう……と。私は話が違うと抗議したものの、聞き入れてもらえなかった。期限は一年って契約だったのに。まだ三か月残ってる。なのに、どうして……。でも、どうすることもできなかった。私には弁護士のアテもお金もないし、もう主だった親戚は全員私を見限っている。助けを求める先はない。進退窮まった私に追い打ちをかけるのは衣装の予約状況。いい服がとれなかったので、次の市場は捨て回の予定だったのだ。よりにもよって次で決められちゃうなんて……。こんなことになるのなら、少し前のあの人か、或いはあの時のあの一家で決めておけば……。次の次の次なら、着物の予約がとれてたのに……。 当日の朝、更衣室にいくと、係の人から別室へいくよう促された。そこでは三人の巨人が私を待っていた。なんだろう……。結果待たずにお終いなのかな……。と肩を落としたのも束の間、職員たちは、私に特別な衣装を貸してあげるから、今日はそれで臨みなさいと告げた。 「えっ……本当ですか!?」 「本当だよ。昨日届いたばかりなんだ。おい、出してくれ」 目の前に、衣装一式を装備した本物のフィギュアが置かれた。私の希望は一転して絶望に様変わりした。特別な衣装とやらの正体は、新しく始まった女児向けアニメの主人公、ドピンク魔法少女のコスプレ衣装だったからだ。肘まで覆う長い手袋、リボン付きのニーハイソックス、三段重ねのフリルが眩しいド派手なスカート。背中側には大きなリボンもくっついている。胸元にも。頭に乗っかるのはティアラのような髪飾り……。フィギュアの金髪ツインテールと非常によく調和している。……無理。私には絶対合わない。そういうキャラじゃない。自分でわかってるから、こういうのはずっと選ばなかったのに。 「……すいません、これはちょっ……」 断ろうとした瞬間だった。ポーズライトが点灯し、私は凍結されてしまった。僅か一瞬で、体の全てが一つの塊となって、動かすことが出来なくなった。 (あっ……ちょ、ちょっと! 何するんですか! 早く解除してください!) 肺が振動しない。声が出せない。筋肉の筋も、髪の毛も、ピクリともしない。信じられなかった。今までは、せいぜい「どんなに力を込めても動けなくなるのかな」なんて思っていたのだけど、とんでもない勘違いだった。力を込めるという概念そのものが、私の体から消え失せてしまったのだ。最初からこの姿勢で造形された、彫刻かフィギュアのよう。私の意志がどれだけ頑張っても、体を動かすどころか、神経に指令を出すことさえ禁止されているみたいだ。紐で縛られるのとは根本的に違う。私は固い鎧に閉じ込められたのではなく、体そのものを石にされてしまったのだ。 余りにも惨めで理不尽だった。何も悪いことをしていないのに、頼んでもいないのに、どうしてこんな罰を受けなくてはいけないのか。もしもこのまま放置されたら、私は永遠にそのままだ。意思表示の手段がないのだから。本能がけたたましく警告を鳴らした。私の体は受け身がとれなくなっている。誰かが私を小突き、床に倒れたりすれば、身構えることができず、全ての衝撃をありのまま受け取らざるを得ない。ゾッとする。 (やめてっ……やめてください。お願いです) 焦る私を尻目に、職員はポーズライトを机に置いて、今度は別の玩具を用意した。 (わかりました……着る。着ます。元に戻してください) もう泣きそうだった。でも、今の私には瞳を潤わせる権利さえ、認められていないのだ。 突然、手足がビクッと振動した。一瞬、ポーズ状態が解除されたのかと思ったけど……。手足は動かせないままだ。 (な、何!?) 次の瞬間、私の体が勝手に動き出した。私の意志とは無関係に。 (あぁっ、何で、どうして!?) 両手が真横にピンと張り、股も大きく広げられ、私は大の字の姿勢をとらされた。 「はいじゃあ、着せて」 「はい」 (えっ?) 職員の一人がフィギュアから衣装を脱がし始めた。もう一人は私を掴み、持ち上げた。やっとわかった。この人たちが私の体を操作したんだ! ……でも、体は相変わらずカチコチなのに、どうやって? 私は自分の体を動かせないのに、外部からは動かせるの? そんなの滅茶苦茶だよ。 私を掴んでいる職員が、空いた手で私のワンピースをつまんだ。……脱がせる気だ! (やっやめて!) 抵抗することはおろか、その意志さえ示せぬまま、私はあっさりとダボダボの白ワンピを脱がされてしまった。当然、下着などつけていない。肌色一色の私の裸体が姿を現した。顔が真っ赤になる感覚があったが、クリームで覆われた私の表情に変化は起こらない。職員二人は男性なのに、あんまりだ。なんとか胸と局部だけでも隠したかったけど、どうにもならない。私は大の字で固まったままだ。微動だにできない。 (見ないで! 見ないでよ! セクハラですよ! 犯罪……) もっとも、私の全身はフィギュアクリームでコーティングされていて、乳首と股間の諸々は埋没して見えないんだけど……。それでも、実質的には裸を見られているのと変わりない。身寄りのない小人だと思って好き勝手に……! だけど職員の人は私の裸を見ても眉一つ動かさず、淡々と着せ替え作業を続けた。その視線に、性的な欲望は一切感じ取れない。 (……あ、あれ……?) 目の前で二十六の女性が裸で大の字になっていたら、良くも悪くも、もっと反応が……。何で? 小さいから? 樹脂みたいな質感だから? フィギュアから脱がせたニーソ、靴を履かされ、手袋をはめられると、再び姿勢を弄られた。両足を閉じ、両手を真っ直ぐ上に伸ばして万歳ポーズ。そこから、リボンとフリル満載のコスプレ衣装が私の体に降りてきた。羞恥心が膨れ上がり、今すぐこの場から消えてしまいたかったけど、なおも体は動かない。小学生でも恥ずかしがるだろう衣装を着せられるのも屈辱だったが、それを他人の手で着せられているこの状況が、何よりも私のプライドを貶めた。 (ひ、一人で着られますっ、やめてください!) 私は成人した人間で、赤ちゃんでも着せ替え人形でもないんだから、こんな……介護みたいな扱いは嫌っ。 (着ます、着ますから! 一人で……お願い) 私の硬化は解除されることがないまま、次々と衣装を飾り付けられていく。また両手を操作され、斜め下に伸ばされた。まさしく人形のような姿勢。さっきまでこの服を着ていたフィギュアと同じポージングであることに気がつき、ますます恥ずかしさが募った。フィギュアそっくりに仕立て上げられるなんて最悪……。人形病に罹って以来、一番嫌だったのが「人形みたい」と言われること。あの言葉は、否応なく決定的な上下関係の完成を明示するものに相違なかった。人間よりも人形に近い存在、もはや対等な人間同士ではありえないのだと……。それが今や比喩でなく、本当にそのものになりかけている。私とあのフィギュアを隣に並べた時、果たして見分けがつくのだろうか。 世界が逆転した。逆さにされたのだ。こんな体なのに、頭に血は昇る。苦しいのに、私は少し安心してしまった。ああ、私は生きてる。血の通った人間なんだ……。 私の髪が、液体に浸けられた。クリームでコーティングされているとはいえ、まだ感覚はある。何? 私の髪に何をしているの? 頭がクラクラしてきたころ、ようやく髪が謎の液から引き上げられて、反転した天地が正された。そして職員が私を床に置く時、「コトッ」と無機質な音が鳴った。固い物を置いた時の音だ。これが私から出た音だなんて信じられない。 この期に及んでも、誰も私を自由にしてくれない。軽くドライヤーで髪を乾かされた後、許可も取らずに私の髪を束ね始めた。 (さ、触らないでよ!) 私にできることは、黙って前方の一点を凝視することだけ。まったく無力な人形だった。現実のファッションじゃまずお目にかかれないような、巨大なピンクのリボンが視界を横切った。ああ……わかった。ツインテールにするつもりなんだ。あのフィギュアとそっくり同じ形にする気なんだ。ただ自分が着せ替えられているというだけではなく、フィギュアそのものに作り変えられているかのような気がして、内心忸怩たる思いだった。 その後頭上にティアラを接着され、ようやく全ての作業が終わった。 「はいっ、できましたよー」 女性職人が楽しそうに言った。まるで幼い我が子に新しい服を着せてあげたかのような口調。 (わっ……私、多分、あなたより年上なんですけどっ……!) 彼女は鏡を私の前に立てた。 (……!) そこに映っていたのは、さっきのフィギュアそのものだった。衣装はもちろん、ポーズも同じ。黒髪だった私の髪は、鮮やかな金髪のツインテールに。……さっき浸けていたのはこれだったんだ。酷い。勝手に人の髪を染めるなんて……。 フリフリのピンク衣装、髪を束ねる大きな二つのリボンが、私の印象を幼くしている。中学生……へたすれば小学生に見える。生きた魔法少女フィギュアの完成だった。ピクリとも動かない私の姿は、本当に鏡に映った私なのだろうか。さっきのフィギュアの写真じゃなくって? 信じられない。というか信じたくない……。 「仕上げいきますねー」 (ええっ、ま、まだ何かあるの!?) 先端に星と翼のオブジェクトがくっついたステッキ。私はそれを握らされた。その動作さえ、玩具によって外部から制御され、私の意志は封印され続けた。私自身に握ってもらった方が絶対早いだろうに。 (じ、自分で……自分でやります。お願いですから、動けるようにしてください……) 心の中で何を言っても、彼らには届きっこない。それでも、言わずにはいわれない。私の手足は独りでに動き続ける。右手に握ったステッキを高く掲げて、左手は横ピースで目にあてられた。左足を折り曲げ、右足だけで片足立ち。倒れないのが不思議だった。あざとい魔女っ娘ポージングを強制された挙句、とうとう表情までもが私のものではなくなった。 (あっ……んんっ、やめ……やめて) 私の表情筋が私を無視して動き、一点の曇りもない、満面の笑顔を作らされた。最後にウィンクも決められてしまい、とうとう私は媚びっ媚びの魔法少女フィギュアと化してしまった。 (そ、そんな……) しかも、その様子を鏡で全て見せつけられたのだからたまらない。自分の体の支配権を玩具に奪われてしまった、惨めな自分の醜態を目の当たりにして、泣き叫びたくて仕方なかった。今すぐここから逃げ出したい。こいつらに鉄槌を与えてやりたい……。同僚の女性を拘束して、勝手に着替えさせたりしたら、即刻逮捕に違いないのに、どうして私にはそんな狼藉を働くことが許されちゃうの? 十六センチじゃ人権はないっていうの? 「きゃー、可愛いー」 女性職員は一切悪びれることなく、私の写真を撮りまくった。 (だめっ、撮らないで! すぐ消してーっ!) 「これならきっと、いい人来てくれますよー」 (……え?) あ……すっかり忘れてた。なんで私がこんな目にあったか、それは市場で……。ちょ、ちょっと待って。私、ずっとこのままなの? こんな恥ずかしい姿で、さらし者にされるのーっ!? 「じゃ、プロフィールも直しときますねー」 (そんな、勝手に……) 市場に並んだ台座の最前列。その中央に私は置かれた。ずっとポーズ状態のまま、指一本動かすことも、うめき声一つ漏らすこともできないまま、私は目玉商品として今日の市の主役にされてしまったのだ。まだ十時前で、部屋に人は来ていない。だけど周りには仲間が大勢いるわけで……。 「誰あの子?」「花咲さんらしいよ」「えーっ! うっそマジぃ?」「うぷぷっ、ウソでしょ、ちょーウケる」 案の定、爆笑が沸き起こった。死ぬほど悔しかった。アニメキャラのコスプレ、それも幼児向けアニメのピンクキャラ、それでノリノリの媚びポーズ……。何しろ、私が今まで散々拒否してきた戦略そのものなのだから。 「ねえねえ、アタシがコスした時、めっちゃ馬鹿にした目で見てたよね」「散々意識高いこと言ってたのに、結局コレとかマジ笑う」「花咲さん、今日もらえなかったら追い出されるんだって」「へー、あ、じゃあそれでなりふり構わずぅ?」「あっはっははは!」 みんなが私を小突いて揺らした。わざわざ視界を横切り、嘲った。反論も反撃もできないのをいいことに、やりたい放題。全身が熟したトマトみたいに真っ赤に染まるんじゃないかと思うほどに恥ずかしくって、悔しくって、惨めだった。目の前の崖から飛び降りて死んでやろうかと思うほど。でもできない。私は笑顔でウィンクし、片足立ち横ピースでステッキを掲げたまま、筋肉の筋一本も動かせない。とりわけ屈辱だったのは、私が自分の意志でこの服とポーズを選んだと思われていること。職員の人たちが何も言わなかったせいで、「後がなくなった私が職員に土下座して最新衣装を掠め取り、全力でお客に媚び売ろうとしている」ことにされてしまったのだ。 「恥も外聞もないのねー」「ないわー」 (ち、違う、職員の人が勝手にやったのよ!) 反論したい。それは違う、逆なんだって、大声で叫びたかった。喋れないことがこれほどまでにもどかしく感じたことはない。 そうこうしている間に、朝の十時を迎え、市場が開かれた。先手必勝を狙う冴えない男たちが雪崩を打って乗り込んでくる。最前列中央に飾られた私は、否応なく注目の的となった。 「おおっ、これは……!」「新しいプリガーですな」「もう服が用意されたとは、流石……」 男たちは一切の遠慮なく、私を手に取り、持ち上げた。汚らしい肌が私の視界一杯に広がる。 (は、離して……) ひっくり返してスカートの中を覗こうとしたり、オタク仲間同士で私を回し、品評したり……。引き取る人間を選ぶ態度と会話ではなかった。新しい商品、フィギュアを吟味しているようにしか思えない。い、イヤ……。こんな人たちの慰み者になるなんて……。内心でどれだけ彼らを嫌っていようとも、今の私は可愛らしくウィンクを振りまくことしかできない。無力感が私の心を支配した。ああ……もうどうにでもなって……。 「その子、ちょーっと性格悪いかな、って……」 (……?) ようやくオタク全員が私の品評を終えた直後だった。ポーズ状態じゃない誰かが、お客との会話の最中、私を貶めているのに気がついた。 「おふう……それは残念ですな」 オタクは私をそっと元の位置に戻し、私から離れた。それは嬉しいけど……。なんてことするのよ。他人の悪口を吹き込むなんて、ルール違反じゃない!? 悪口ばかり言うと自身の印象が悪いため、あからさまに連発されるようなことはなかったけど、機会があれば、彼女たちは節々でさりげなく私をディスった。 (や、やめて。もしも今日、私を引き取ってくれる人がいなかったら……) 私は十六センチの体で路頭に迷うことになる。彼女たちがそのことを知っているのは、さっきの噂話で間違いない。なのに、その上でこんなことをするの!? 「ホントは私があの服着るはずだったんですけどねー」 (ちょっと!? なんでそんな嘘をつくの!?) 清潔感はある男性が一人、それを真に受けてしまった。一旦は私の前に来たのに、別の人を手に取った。 (違うんです! 嘘です! 嘘ですよーっ!) お願い、本当にやめて。あうぅ、体が動けば反論できるのに……。私は何とかして動こうともがいた。 (んっ……んんんっ……!) 無駄に体力を消耗しただけで、息を吐く音さえたてられなかった。そんな……。 逆境の中、それでも多くの人が私を手に取り、悪くない感触を得た。最前列で可愛いコスプレをするというのが、こんなにも強かっただなんて……。 (もっと早く……やっとけばよかったかな……?) ふと、そんな思いも抱いてしまった。 (い、いやいや! そんなことをしても、ペットかインテリアとしての需要しか喚起できないし……) でも、今現在私がそうしている以上、私を引き取ってくれる人は、そういう人になっちゃう、んだよね……。 (お願い神様、いい人……いい人にしてください……!) 午後になると主婦っぽい人、若い人、真面そうな客層に移った。周りがお客と歓談してアピールしていると、焦りが生じてくる。なんで私は固まってるの。点数の稼ぎ時なのに。午前と全く同じ姿のまま、私は動けない。何より、周囲の人形病仲間たちが人として接し接されていると、自分がそうではないような……つまり、賑やかしとして飾られたフィギュアみたいに思えてきて、恐ろしくなってくるのだ。カチコチで動かないから、お客も私には話しかけてこないし、物みたいに観察してくるので、一層自分が哀れだった。 そんな中、一人の男性が目に留まった。ん? あの人、なんか……どこかで会ったような……。ズンズンこっち来る。目の前に立った。もう顔は見えない。やや皴の多いワイシャツで視界が一杯。彼が私を手に取った。至近距離からバカでかい顔を見て、思い出した。……高校時代の元カレ! 突然、現実に引き戻されたような気がした。この隔離施設から、元いた人間の社会に。同時に、自分がどれだけ常識から外れた格好をしているか、改めて思い知らされた。 (み……見ないで! 見ないで! 見ないでえぇーっ!!) 脳内で絶叫しても、私はステッキ掲げてウィンク決めたまま。同い年の元カレは、立派に社会人をやっているっぽいのに、私なんて今や十六センチに縮んだどころか、全身フィギュアみたいな肌をして、いい年して幼児向け魔法少女アニメのコスプレ……それも、人目につくところで、ノリノリで……! 突如現れた知人のせいで、羞恥心が一挙にぶり返した。 (違うっ、違うっ、これは違うのっ! ここの職員が……無理やり……!) 死にたい。こんな醜態をさらすなんて……。昔の知人の間で「あいつ、ノリノリでプリガーのコスしてたぜ」なんて噂になったら……! もうほんとに耐えられない。 元カレが私を台座に戻して去った後も、蘇った社会常識が消えることはなく、視界に人が入るたび、脳内で言い訳をして、「あっち行って!」と叫び、まともに物を考えられなかった。全裸で往来に放り出されているかのよう。 それでも、私の体は髪の毛先からブーツの先まで、石のように固まったまま動けない。媚び媚びのコスプレ女として、私は痴態を晒され続けた。 市場が終わると、ようやく、実に七時間ぶりに、私の体は時間を取り戻した。ポーズライトを照射された瞬間、片足立ちだった私は姿勢を崩してその場に倒れ込んだ。両腕で顔を覆い、床につっぷし、しばらく動けなかった。ダメ。顔を上げられない。これからどんな顔して生きてけばいいの……。いや、これから生きられるのだろうか。今日来た人から引き取りの申し出が来なかったら……最後だ。 周りの人たちは口々に私の肩を叩いて馬鹿にしたり、皮肉を言ったり、中にはちょっぴり励ましてくれる人もいたり……。最後の一人になるまで、私は顔を上げられなかった。 誰も居ない更衣室で、呪われた衣装を脱ぎ捨て、着慣れた白ワンピ姿に戻ると、ようやく気持ちが落ち着いてきた。大丈夫……大丈夫。まとも。普通の見た目に戻れ……あ。 鏡には、鮮やかな金髪フィギュアが映っていた。髪の色は脱ぎ捨てられない。透明な天井から職員の人が点検に覗いてきたので、髪の色を戻したい、と申し出たものの、今日はもう終わりだから、と断られた。そんな……。 翌日、髪の色を戻してもらおうと思ったけど、周囲の妨害にあい、それは叶わなかった。 「いいじゃないですかぁ、花咲さん、金髪似合いますよ~」「可愛いですよぉ」 明らかに本心から言っていない。列に並んでも外されてしまうので、私は仕方なく自分の部屋に引きこもった。 市場から二日後。結果が返ってきた。全てのプライドを投げ捨てて媚びたのに、引き取り希望者は僅か三名。悪口が案外効いていたらしい。 「……酷い」 涙が出た。人の人生がかかった場面であんなことするなんて。……いや、それだけ、あの日の私は強力なライバルだと看做されていたってことだ。うん。もういい。 今やるべきことは、この三人のうち誰を選ぶか。今日中に決定しないと、施設を追い出されてしまう。選ぶしかないんだ。 一人目は独身の男性。写真が趣味で、私に被写体として付き合ってもらいたいらしい。……コスプレ大好き女と思われてる。仕方ないけどさ……。 二人目は専業主婦。子供の遊び相手になってほしい……。魔法少女コスが効いた。けど、あれをやり続けなくちゃならないってこと……だよね? 三人目は元カレ。これは意外だった。理由は空欄。同情……? だけど、同級生が立派に社会人やってる脇で、そのペットとして生を全うするなんて、想像しただけでも胃がキリキリする……。 どうしよう……。

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