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「それ本当?」 私は情報屋に聞き返した。私を暗殺する計画が立っているなんて、俄かには信じがたい。 「本当だって。俺がデマ掴んだことあったか?」 確かに。この情報屋とは結構付き合いが長い。私の仕事にもたびたび協力してもらってきた。ここは信じるべきか……。まあ、裏の仕事をしている人たちから恨まれる心当たりは十二分にあるし。私はずっと私立探偵をやっていて、そういう人たちにかなり迷惑をかけ続けているのだから。 「で、どうする?」 「どうと言われても」 ただ暗殺を企てている奴らがいるらしい、とだけ聞かされても「気をつける」としか。日時ややり方……と贅沢は言わないが、誰が関わっているのかぐらいは情報がないと動きようがない。心当たり多すぎるし。 外出の際は周囲に気を配る、仕事もこれまで以上に慎重に選ぶ。今のところはこれぐらいかな……。情報屋は自分の情報に自信があるようだったが、私には今一つ現実味が欠けて聞こえる。 「仕方ないだろ、顔見えなかったんだ」 「まあ、頭の片隅には入れておくから。わざわざありがとね」 「だから、マジで危ないんだって」 話が大方済んだところに、マールが入ってきた。 「お茶のお代わりはいかがですか?」 「ん? ああいいよ、もう帰るし」 情報屋はマールをジッと見つめていた。マールは先月購入したばかりのメイドロボだ。ピンク色の髪とフリル満載のスカートが可愛らしいデザインの機体。彼女が来てから事務所の雑務がずいぶん楽になった。事務処理もやってもらおうかなどと思い始めているところだ。まあ、実際は漏らしてはいけない情報が詰まっているから無理だけど。しかしもうちょっと落ち着いたデザインのメイドロボを買った方がよかったかな、とも思う。腰に就いた大きなリボンは生活感溢れる事務所の中でひときわ主張が激しい。まるでアニメの世界から飛び出してきたかのような彼女と日ごろから一緒にいると落ち着かないこともある。でも一番値下げ幅が大きかったのだから仕方ない。 「似てるな」 「ん?」 「この子」 「?」 情報屋は私と彼女を交互に見比べてニヤッと笑った。 「はぁ!? あんた本気で言ってんの!?」 彼の突拍子もない提案に私は驚いた。しばらくマールを私の身代わりに……影武者にしてみないかというのだ。確かに背丈は大体同じだけど……。顔は違……似てなくもない? これならメイクで……いやそういう問題じゃない。メイドロボはメイドロボで、人間のようには振る舞えないんだからすぐバレるに決まってる。それ以前に、メイドロボのメイド服は脱がすことができない。体と癒着し一体化しているためだ。肌もテカテカとしていて人間の肌とはハッキリ違う。遠目にはごまかせるかもしれないが、暗殺者を騙しおおせる可能性は見込めない。そして太腿の製造番号。緑色に光る製造番号は人間との一番の差異。これは神経と接続したナノマシンによる特殊な刺青で、絶対に除去することができない。つまり彼女を私に仕立てることはできないというわけだ。 「いや、それがいけるんだよ多分。この前の仕事でさ、ちょろっと失敬したものがあって……」 私の拒絶を意に介さず、彼は続けた。メイドロボの服は通常脱がせないが、工場で使っているメンテ用の剥がす液を持っているから、それで何とかなるというのだ。しかし私は彼の話を受け入れなかった。仮に服を脱がせて外見を私そっくりに改造できたとする。それでも立ち振る舞いはメイドロボのままのはずだし、私のように振る舞えと命令したところで、誰か他人とコミュニケーションをとる機会があれば即刻メイドロボに戻されてしまうだろう。あまりにお粗末な計画だった。それに私を暗殺する計画があるという話も今日初めて、それもついさっき彼からきいたばかりだというのに、そこまで手の込んだ対策をする気にはなれなかった。それに違法な改造をしたら保証きかなくなるし。まだ買って一か月なのに。 そういうわけで、私は彼の提案を断り、お引き取りいただくことにした。彼の腕は確かだし、これまで嘘情報を握らされたことはない。けど、流石に彼の話だけで決断していい内容とはどうしても思えなかった。 大げさな暗殺対策のことも忘れ、次の仕事で産業スパイに興じていた時。私はこの目と耳でつかんでしまった。散々苦汁をなめさせられてきた邪魔な私立探偵……つまり私を殺ってしまおうという話が確かに進められていることを。仕事そのものとは関係なく偶然だったのだが、人づてではなく自分の目と耳で知ってしまった以上は楽観視するわけにもいかなくなった。 「だから言ったろ? 連中本気だって」 「いやだって、まさか……」 「で? どうする?」 「……」 彼は明らかに影武者メイドロボ計画のことを忘れていなかった。どころか私の口から言わせようとしている。私はため息をつきながら負けを認め、彼にマールを託すことにした。 後日、彼の工房でマールの改造が始まった。 「こいつを一度試してみたくてね……自分で買うには高いし」 メイドロボのAIは非常に複雑なうえ、セキュリティも強固。普通は改造などしない。全身が機械なのではなく、大部分を生体で賄っている分余計に素人が手を出すのは難しいのだ。だが情報屋はある伝手からメイドロボのAIに手を出せるソフトを入手していた。勿論違法な品だが、なるほど今回の計画には必要かもしれない。 (というかこれ試してみたかっただけか……) 別に私の心配をしていたというよりは、違法ソフトが本物かどうかを確かめたかったというのが本音のようだ。はぁ……。 幸か不幸か、ソフトは無事に動作した。彼はAIからいくつかのプロテクトを取り除いたようだ。 「いいかな? ちょっと試してみて」 「じゃ、えーと……私みたいに話してみて」 「わかった」 「おっ!? ……おぉ!?」 私はメイドロボの口からそんな言葉使いが飛び出てくるとは思っておらず、かなり衝撃を受けた。メイドロボは所有者に忠実だけど、聞かない命令も多い。公序良俗に反するものは勿論、誰か実在する人間そっくりに動くよう命令することも本来不可能だ。人間とメイドロボが区別つかなくなると面倒だからだ。だが、マールは今目の前でそのプロテクトを破って見せた。 「どうかした?」 「あっ……うん」 再びマールから砕けた口調で話しかけられた私は再度驚いた。何だろう、すごく不気味に感じてしまう。不思議だ。 「よし、いけるか」 情報屋は服の癒着を剥がす液を準備し始めた。私はシートの上に彼女を立たせ、両腕を水平に伸ばさせた状態で待機を指示。彼女は一切文句を言うことなく粛々と命令に従う。いやメイドロボだからそりゃ当然だけど、さっきは本当の人間のように振る舞ってみせたマールが何事もなかったかのように私の命令に従い続けるのが奇妙だった。不気味の谷というやつだろうか。見た目だけでなく、立ち振る舞いにもそれはあるらしい。 その後情報屋がマールの全身に液をかけながらもみほぐし、マールのメイド服を脱がし始めた。何だか悪いことをしているようで気分が悪い。普段から一緒にいた人間そっくりの彼女が男に服を脱がされているのだ、まあいい光景ではない。彼女は一切表情を変えることすらなく、真顔のまま自らの全身が露にされていくのを受け入れている。 手袋、服、ニーソ、ホワイトプリム、体と一体化していたはずの衣類すべてが剥がれ落ちた。全裸のメイドロボを見るのは初めてだった。均整の取れた体型、マネキンのようにツルツルの肌。動かない彼女はまるで人形のようだった。肌には染みも黒子もなく、産毛の一本も生えていない。血管も見えない。ただ一点、太腿に刻み込まれた製造番号だけが輝いている。普段スカートの中に隠れているのでこうもハッキリ露出しているのは新鮮に感じられる。 情報屋は自らが脱がした全裸の女性に何も興味を示す素振りもなく、べとべとのメイド服を洗い出した。安堵したが、同時にマールが侮辱されたかのようにも感じてちょっと怒りのような感情も湧いてしまう。変な気分だった。 近づいてよく観察してみると、乳首と股間のアレコレがないことに気づく。胸は女性らしく膨らんではいるが、ただの曲面で乳首はない。股間もマネキンのようにのっぺりとしていて平坦だ。メイドロボは専用の充電台で充電するので食事もトイレも必要ないから当然だけど。 「どした? 自分にするには綺麗すぎ?」 「どういう意味?」 情報屋の軽口に付き合う気はないが、間近で見ると人間との違いが大きいように思えるのは事実。この綺麗すぎる肌じゃ、普通の服を着せても違和感があるのでは? 「そこは俺が特殊メイクで何とかするから。ほらちょっと並んでみて」 マールに腕を下ろさせ、私は彼女の隣に並んだ。なるほど目線の高さは同じ……身長もほぼ同じで、等身も……。別に自分に似ているメイドロボを買ったつもりはなかったが、偶然にも体つきはよく似ている。 「うん、そっくりそっくり」 言いたいことには同意するが、まるで私がメイドロボと同列に扱われたかのように感じてイラっとする。全裸のまま時間が止まったかのように動かないメイドロボ。隣に並んでいるのが何となく嫌になり、私は側を離れた。 「じゃ、あとはこっちでやっとくから」 「あぁ……お願いね」 私は彼の工房にマールを残し、事務所へ帰った。道中はいつも以上に気を張りながら。誰かが私の命を狙っていると思うと、やはり恐怖を感じずにはいられない。アホな計画だとは思うけど、いざという時のための備えは必要かも。まあ、買い物ぐらいはマールに任せられるようになるかもしれない。いや今までも買い物させてたか……。私の姿で外に出せば刺客を釣れるかも。首謀者さえ明らかにすればまた日常が戻ってくる。しばらくの辛抱だ。 「ただいま戻りました、マスター」 一週間ほどたち、見違えたマールが私の事務所に帰ってきた。その姿は私そっくりに仕上がっている。光沢のある艶々した肌は鳴りを潜め、生々しい生きた皮膚……のように見える特殊メイクが顔を覆いつくしている。おそらく手足もだろう。鮮やかなピンク色をしていた髪は真っ黒に染め上げられている。 「どうだ?」 「すごいじゃない。これは」 得意満面の情報屋を中に入れ、私はマールにお茶を出すよう指示した。彼女はこれまで通り粛々と命令に従った。中身はそのままか。 「じゃ、あとはしばらく学習させれば身代わりには十分だと思うよ」 「どうもね」 しかしお茶を運んできたマールを見ると、心がざわつく。私と瓜二つの顔をしたロボット……いや見た目人間の彼女がメイドロボとして使われているのだ。まるで私がロボットになったかのようで落ち着かない。自分がもう一人いるようで不気味だ。本人にそう思わせるということは影武者として合格とも言えるかもしれないが……。しばらく居心地の悪い生活が続きそうだ。 その後、私はマールに私のように振る舞うことを指示。したものの、やはりどこか不自然さも目立つ。メイドロボのようなかしこまった動きが節々に差し込まれるし、あとから私が追加の命令を出すとあっさり敬語に戻り「わかりました、マスター」とくる。状況にもよるが、メイドロボは所有者以外の命令も聞くことが多い。このままでは誰かに話しかけられるだけで私じゃないことがバレる。情報屋の言う通り、しばらく私をよく観察するよう指示するのがいいか。 私の振る舞いをできる限りシミュレートするための観察指示を出したのち、私は例の違法ソフトで私以外の人間、例え警察などの公権力を持った存在であっても従わないよう操作を加えた。これでよし。あとはこれまで通り普通にすればいいだろう。 この一週間、たまっていた雑務をマールに命令したあと、私はふと考えた。こういうメイドロボにさせる業務もさせるべきではないかもしれない。じゃあ私がやるの? メイドロボがいるのに? それじゃあ一体なんのために買ったんだか……。 私はメイドロボとしての仕事はこれまで通りマールにやらせることにした。まあ別にいいでしょ。 あと、流石に自分が二人いるのは不気味で落ち着かないし、来客があった時困るので、眼鏡とマスクを装着させた。これならまあ、来客にはバレないだろう。事務所のスタッフだと思うだけだ。 それからわずか数日のうちに、マールの振る舞いは私そっくりになった。メイドロボの学習能力は高いと知ってはいたものの、ここまでとは。プロテクトが必要なわけだ。 「ふふっ、これなら私がマスターの仕事もやれるかもね」 などと軽口まで言い出す始末。それもまあプロテクトを外したからなのだが……。流石にむっとする。メイドロボのくせに。 そして、彼女の出来栄えを確かめなければならない機会もすぐに来た。受ける依頼はあまり外出しないで済むものに絞ってはいたものの、今回はどうしても外で探らなければならない。暗殺対策の影武者を役立てねばならない時が来たのだ。とはいえ流石に私の探偵としての仕事をメイドロボに任せるわけにもいかない。ただ私のような所作と口調を真似させているだけなのだから。まあ来客の応対ぐらいは学習したかもしれないが……。 熟慮の末、私はマールと入れ替わり、二人で行くことに決めた。つまり彼女に顔を出させて……藤原芽衣として同行させ、私は眼鏡とマスクで顔を隠して仕事をする。暗殺者はまずマールを狙うだろう。 「じゃ、行くよ」 「ええ」 嬉しそうに笑うマールに再び心がざわつく。まるで自分が自分でなくなり……マールにとってかわられてしまったかのようだ。まあいいや、ただ同行させるだけで、仕事をやるのは私だから。気にしすぎ。ただマールが外で変なことをしでかして私の評判を落とさないかが心配。 だが、その心配は杞憂に終わった。あくまでプロテクトを外しただけで、彼女はメイドロボなのだ。おかしなことなどするはずもなく、静かに私に追従し、仕事の邪魔にならない範囲で近くにいるだけだった。雑務を押し付けられる分、かえって便利かもしれない。いや雑務押し付けたら影武者の意味がないか……次から気をつけよう。 そんなこんなで、マールは私の仕事によく同行することになった。途中何回か私たちを尾行したり物陰から注視したりする人間の気配を感じ、改めて身の危険が迫っていることも思い知らされる。もっと気を引き締めるべきだろうか? 私は事務所に籠ることに決めた。マールを自宅と事務所に往復させるのだ。これでいくらか安全になるはず。夜に一人で事務所にいると無性に寂しくなってくるが、命には代えられない。誰も乗っていないメイドロボの充電台座を眺めながら、私はソファで遅い眠りについた。 目が覚めた時、血の気が引いた。今日は大事な打ち合わせがあったのに……気づけば朝の十一時。やってしまった。すっぽかしとは……信用第一なのに。慌てて支度をしながらスマホを探す。が、見つからない。事務所のどこにもなかった。確かに寝る前スマホで目覚ましセットして寝たのに。先方に連絡すらできない。仕方ないからパソコンから……と思った矢先、パソコンにマールからのメッセージが残されていた。私が行くから、と……。 (あ、は、は……) 私は力なく崩れ落ちた。最悪だ。まさかメイドロボを代わりに仕事に行かせるだなんて……。バレたら最後、もう仕事の依頼なんか二度とこない。ああああ……どうしよう。 急いで自分のスマホに連絡を入れる。が、驚くべきことに打ち合わせは無事に済んだから大丈夫、という返事が返ってくる。う、嘘でしょそんなはずはないよ。メイドロボに探偵業の打ち合わせなんてできるわけがない。私の真似を学習させただけで……いやそういえばここ最近は仕事にもずっと同行させていたっけ。それも学習して……いやありえない。 が、そのまさかだった。マールは昼過ぎに事務所へ帰ってきて、打ち合わせの報告を行った。滞りなく、明瞭な報告だった。 「ば……バレなかったの? 嘘でしょ? すぐに謝罪しなきゃ……」 「だから大丈夫だったって言ってるでしょ」 スマホを返してもらったが、確かに先方からの苦情やお断りの連絡はない……。でもまさか。そんなことまで出来るの!? 「そ、そもそもどうして勝手に私の代わりに行ったの!? そんなことしたら」 「マスターの生命が危険だと判断しました」 久々にメイドロボらしい受け答えが出て懐かしくなるとともに、「私」からそういう言葉が出てきたことにショックを受けた。確かにメイドロボは緊急時には人命優先で動くことにされているけど。だからといってこんなことはないでしょ! 私は急ぎ情報屋に連絡をとった。彼女が、マールが本当に私の仕事をやれたのかどうか、確かめたかった。 そして翌日、答えが返ってきた。彼女は本当にうまくやったようだ。先方にもメイドロボだったことはバレていないと……。ショックだった。私の立っている足場が崩れ落ちていくような……。私は自分の仕事に誇りを持っていたし、自負もあった。他の人にはやれないことをやっていると……。それはメイドロボにもこなせてしまうような「雑務」だったんだろうか? 「これからは私が外の仕事を受け持つから。安心してね」 「え、あ……うん……?」 わからない。私は……どうしたらいいんだろう。まさか自分のメイドロボに仕事をとられてしまうなんて……。 その日の夜、私は変装して事務所を抜け出し、情報屋の工房に向かった。酒を飲みながら愚痴ったが、あまり真剣にとりあってもらえない。それどころか「仕事楽出来ていいじゃん」「これから全部マールにまかせちゃったら?」などと煽ってくる始末。あんたも自分の仕事全部取られてみたらこの衝撃がわかるでしょうに。今、私の中では自らの存在意義がグラグラと揺れていた。私の顔をして私の仕事をこなせるようになってしまったマール……。私という存在自体を乗っ取られてしまったかのようだ。私のいるべき場所、立つべき足場がごっそりと抜け落ちてしまったかのような感覚。 事務所に帰る気にもなれず、その日は工房で酔いつぶれた。 翌日、事態が急変した。事務所に誰かが入ったかもしれない、とマールから連絡が来たのだ。昨日までなかった謎の電波も検出しているらしい。 「連中、いよいよ攻勢かけてきたな」 情報屋が言った。おそらく盗聴器……場合によってはカメラも入っているかもしれない、と。まずい事態になった。事務所に帰るに帰れない。自宅もヤバそうだ。 「ま、いいんじゃない。仕事はもうマールに任せてさ」 再び頭に血が上る。それは嫌だ、困る。このまま仕事を全部メイドロボに丸投げだなんてまともな社会人のやることじゃない。昨日の打ち合わせがたまたまうまくいったってだけで、他の業務をやれるかは未知数だし、そうなった時ダメージを受けるのはマールではなく私なんだから。 マール一人に任せてはおけない。事務所に帰って様子を見ていないと。でもそうしたら私が二人いることになって影武者計画はオジャンだ。今日も仕事はあるのに。メイドロボに丸投げなんて絶対できない。でも……変装、客に変装して……いやそれでもずっと事務所にいるのは不自然だ。ああ~、どうしよう。盗聴盗撮をごまかしながら自然にずっと事務所にいる方法はないものか。 「どうしても事務所にいたい、っていうなら……」 情報屋が動いた。工房の隅っこにあった箱の中から何かを取り出し、私の前に広げた。それは半月前まで私のそばにずっとあったものだった。彼が何を言いたいのかも瞬時に理解した。が……到底受け入れられる提案じゃない。 マールから剥がしたメイドロボの衣装。大きなリボンとたくさんのフリルがつき、テカテカと光沢を放つメイド服一式が私の前に並んでいる。 「冗談でしょ?」 「でもこれしかないだろ、事務所でマールちゃん見張りたいならさ」 うぐっ……確かにメイドロボなら事務所にずっといて、仕事を手伝っても違和感ない。でも……でも、それって私がメイドロボに扮してメイドロボのように振る舞い、自分のメイドロボの命令に従わないといけないってことでしょ!? 嫌だ、そんな……それじゃ本当にマールと立場が逆転した状態に……それを暗殺の件が片付くまで続けろっていうの!? 「ていうか、メイドロボが事務所にずっと不在なのも怪しまれるかもよ?」 言われてみればそうだ……。事務所には本来マールが乗るはずの充電台が空のまま置いてある。盗撮もされているのなら不自然極まりない絵面になる。今から私名義で代わりのメイドロボを買うわけにもいかないし……。 「じゃ、しょーがないな。『探偵・藤原芽衣』はしばらくマールに任せるっていうことで」 「それはっ……!」 それも絶対に嫌だ。あの子が何か仕事でミスをすれば私のミスになるし、メイドロボだとバレれば私はメイドロボに仕事を任せっきりにしていたとんでもない女ということに……ダメだ。やっぱり近くで見張ってないと。 「わ……わかった。それしかないみたいだしね……」 私は泣く泣く、彼の提案に乗ることに決めた。メイドロボに化けて事務所に戻る……。仕事、そうこれも仕事だと思えばいい。潜入捜査だと思えば! 体を綺麗に洗い、毛を剃り、メイドロボが下着替わりに装着している真っ白なレオタードを手に取る。弾力があり、よく伸びる。別に下着までメイドロボと同じでなくてもいいんじゃないかと思ったけど、変なところで影武者戦略がバレてもな……。観念してそのまま着ることにした。 (おぉ……?) 身に着けたレオタードは意外にも着心地がよく、肌にとてもよくフィットした。まるで肌に張り付くかのように私の皮膚に沿い、胴体のラインをそのまま表現している。メイドロボの下着なんて、ザラザラしてとても着れたもんじゃないのかと思っていたけど、人間用のどんな肌着より心地よい。小さいころにお気に入りのタオルケットにくるまっていた時にも似た安心感が体を包む。そしてサラサラとした気持ち良い肌触りが、私を刺激してやまない。他の部位も早く着てみたい。着なくっちゃ。 肘まで覆う長い白手袋をはめる。これもレオタード同様、信じられないほど肌触りがよく、腕に張り付くようにフィットする。続けて白のニーハイソックスも。メイドロボ衣装と触れ合う肌面積が広がるほど、心地よい快感が広まっていく。背伸びしたり体を曲げてみたりしても、どの衣装も一切皺を作らず、また肌から浮き上がる箇所もないまま、しっかりと体の動きについてきた。どういう素材なんだろう。これ普通に人間用の肌着で使えばいいのに。癖になってしまいそう。 「どうだい?」 情報屋の声が聞こえると、私は慌てふためいてメイド服本体に袖を通した。まさか気に入ったなんて思われたら生涯の恥だ。いやもう全身にメイドロボ用の衣装着てる時点で恥以外の何物でもないんだけどさあ。 メイド服本体も肌にピタリと吸い付くように張り付き、私の体をレオタードの上から二重に覆いつくした。フリル満載の短いスカートと、腰に就いたアニメみたいに大きなリボンが死ぬほど恥ずかしい。この歳でこんな服を着る羽目になるとは……。 「おおっ、なかなか……いいね、そっくりだ」 部屋に入ってきた情報屋は楽しそうに私をジロジロ観察した。流石の私も顔の紅潮を抑えきれない。 「まあ、これならいいんじゃないか。カメラあっても画質は悪いだろうからな」 情報屋の言う通り。盗撮に使われているであろうカメラは最近裏社会で流行りだしているタイプのやつで、なんとレンズが透明でなくともよいのだ。そのため擬態の幅が広く、非常に見つけにくい。勿論、画質はだいぶ落ちる。私の肌は当然ながら人間のもので、メイドロボのようにテカテカしてないし、肌色一色のマネキン肌でもない。が、多分バレないだろう。画質の良いカメラならすでにマールが見つけているはずだから。 「じゃ、あとは髪だな」 「え?」 その時まで私はすっかり失念していた。マールがかつてどんな髪色をしていたかを……。 「えっ、いや……でも、それはちょっと……この歳で」 「流石にそこは誤魔化せないからさ」 「……」 大きなリボンのついたメイドロボ衣装を着ているだけでも恥ずかしいのに、まさか……髪をピンク色に染めないといけないだなんて。それもアニメ見たいに鮮やかな。 「よし、出来上がり!」 メイドロボ用の着色料によって私の髪はフィギュアのように鮮やかなピンク色に染まった。顔が真っ赤だ。やだ……耐えられない。うう……。 「じゃ、頑張れー」 「はぁ……最悪」 人生最悪の日を更新し続けている気がする。ニヤニヤと笑いながら見送る情報屋に気の抜けた声で礼を言いながら、私は扉の方へ進んだ。マールを見張り、私の評判が落ちないようにするために。……こんな格好でうろつくだけで評判地に落ちそうだけど。……ん? 扉の前で私は固まった。これから事務所にもど……え? どうやって? 私……この格好で外を歩くの!? 涙目になりながら振り向き、情報屋に助けを求めた……が、彼はこれ以上助ける気はなさそうだった。私は耳まで真っ赤に染めて、ブルブルと全身を震わせながら外に出た。 (ああ……あぁ、あー……) どうかどうか、誰も私が人間だと気づきませんように。いや顔が赤くなってちゃ……無理だ! いい歳して髪をこんなピンクに染めて、ミニスカメイド服で外を歩くなんて、常識じゃ考えられない。マール以上に私自身が私の評判を破壊してる。 通行人とすれ違うたびに、視線を感じるたびに、激しく羞恥心が燃え上がる。最悪だ……。もうやだぁ。誰か気づいているだろうか、私がメイドロボじゃないということに……。そしたら終わりだ。肌とかもしっかりとメイドロボっぽく処置しておくべきだっただろうか。激しい後悔に苛まれながら、私はずっと俯き視線を上げられないまま、トボトボと徒歩で事務所へ向かった。交通機関なんか使えない。死んでも。 道中、メイドロボとすれ違うと心の底から安堵し、まるで水中で息継ぎができたかのような気持ちだった。少なくともいまこの瞬間、私は世界で一人の変態ではない……。 「ただいま帰りました……ま、マスター」 「おかえりー」 私の事務所で、私が出迎えた。これまで何度も聞いてきたマールのセリフを私が吐いて、マールが私のように「メイドロボ」を迎えた。悔しい。とんでもない屈辱だった。これから事務所にいる間ずっと、私はこうしてメイドロボを……それも自分のメイドロボをマスターとして敬わなければならないなんて。 気持ちを押し殺して事務所に上がってみると、なるほど妙な違和感があった。誰かがどこかを弄った……探偵としての勘、そして事務所の主としての違和感がそう告げている。メイドロボに化けるしかなかったんだ。そう何度も自分に言い聞かせながら、私は……静かに充電台の上に立ち、スカートの前で両手を重ねて立ち止まった。用のないとき、私はマールをいつもこうして待機状態にさせていたからだ。 「よくメンテできたね」 マールは私に向かってそう言った。ゾクッとする。私をメイドロボ・マールとして扱うよう予め通知はしてあったが、本当に「藤原芽衣」を乗っ取られたかのように感じて背筋が冷たくなる。 「ありがとう……ございます、マスター……」 まさか自分のメイドロボに敬語を使い、それもマスター呼びしなければならない日が来るなんて。思ってもみなかった。ダメだ、泣いてしまいそう。でも動いてはいけない。今は「待機状態」なのだから……。 来客が来ると、マールは私にお茶を出すよう指示した。私はスカートの裾を両手でつまんでお辞儀し、つつがなくその指示を遂行しなければならなかった。今来た来客は私が暗殺計画関係者の一人かもしれないと目星をつけていた女の一人……。 私の肌が汚いことには一切気がつきもしないようで、彼女はひたすらマールと話をしていた。私は内心ずっとドキドキしていた。バレないだろうか。マールは、私はうまくやれているだろうか? 「お茶をお持ちしました」 いつもマールがやっていたことを思い出しながら、私はメイドロボを演じ続けた。宿敵かもしれない女の前で髪をまっピンクに染め、メイドのコスプレをしてお給仕だなんてもはや拷問に近い。再度充電台の上に立ち、私はマールと彼女のやり取りを見守った。意外にもマールは滑らかでよどみのない返答をやり続け、その姿はまるで人間……私そのものだった。世間話さえ始める始末。本当に? 彼女がメイドロボだったマール? 来客は私に目もくれず帰っていった。ホッとすべきかもしれないが、ショックの方が大きいかもしれない。彼女は殺すべき対象である私に目もくれなかった。少し注意深く観察すれば人間のコスプレだとわかったはず……。しかし、「メイドロボ」ごときに注意なんか払わなかった。私は完全に背景に溶け込んだ家具か何かのように思われていたのだ。 (……っ) いや……これは探偵として自分のメイドロボシミュレートがうまくいっていたことを喜ぶべきだ。 「よくできたね、よしよし」 マールは私がしっかりとメイドロボを演じられていたことを褒めた。盗聴されているんだからやめてよ、と少しだけ表情を変えて注意した。もう、なんでメイドロボに上から目線で褒められないといけないの。それも……メイドロボの真似を。 でも、ちょっぴり自尊心が回復したかもしれない。マールの人間シミュ私シミュはやはりまだ一歩及ばない。私の方が潜入捜査の技術は上だ、絶対に。メイドロボなんかに負けない。マールに負けないために、私はメイドロボを完璧に演じて見せるんだから。 それからに日々はまったく奇妙な共同生活だった。不思議な対抗心、探偵としてのプライドで、私は懸命にメイドロボとしての振る舞いをこなし続けた。一日中気の休まるときもなく、ずっとメイドロボを演じ続けなければならないのだから大変だ。自分のメイドロボをマスターと呼び、彼女に命令されても粛々と従い、「雑務」をこなす。ずっとマールに任せっきりにしていた仕事たちを。その間マールは私がやっていた探偵業をやってしまう。流石に外出についていくこともできず、ただ彼女が私の評判を落とさないことを祈ることしかできなかったが、幸い彼女は見事に探偵業務をこなし続けているようだ。私の方もすっかりメイドロボとしての所作が身に付き始め、意識せずとも自然にメイドロボとして「マスター」の呼びかけに答えることができるようになってきた。 (これじゃ私……本当にメイドロボみたい) そう感じて落ち込む時間も多い。でもやめられない。メイドロボを完璧に演じられるということは、私の探偵としての力量が高いということ……マールが私を演じる以上にうまくメイドロボでい続けなければ、マールが私を超えてしまったことになる……。私が私であるために、私はより正確にメイドロボっぽく振る舞わなければならないのだ。 「それじゃうまくやってるんだ?」 「はい」 「ぷっ」 「……っ。ええ」 情報屋の工房で、私は新たな「メンテ」を受けていた。こいつには敬語なんか使わなくていいはずなのに、自然と背筋を伸ばしてメイドロボみたいな答えを返してしまう。すっかり癖になってる。 人間がロボットを演じるにあたり、流石に私の独力ではどうしようもない点がいくつかあった。充電台の上で立ったまま寝ることはできない。初日の夜それに気づいた私はメンテに不備があったことにして事務所を出た。そして、情報屋の手を借りた。裏社会で使われている催眠薬を自らにかけてもらったのだ。私は立ったまま寝る、寝られるのだと。 「どう? ちゃんと食べれてる?」 お母さんかあんたは。確かに、事務所の中で食事はできないから買い物に出た際食事やトイレは済ませている。最近は……最近……あれ? 最後にご飯食べたのいつだっけ? 変だな。ここ数日何も食べていないような気がする。でもそれはありえない。だったらとっくにぶっ倒れてる。 自分のいい加減な記憶に困惑しながら、私は風呂に向かった。メイドロボの衣装には自己修復機能と清潔さを保つ機能がある。修復は私に関係ないからほっとくとして、注目すべきは清潔さを保つ機能。どうやらある程度は私にも有効らしく、お風呂に入らなくても変な臭い一つしない。化けるにはありがたいが、ずっとお風呂に入らないでいると精神的に気持ち悪くなってくる。 脱衣所で服を脱ごうとすると、ちょっと困ったことになった。脱げない。皮膚にピタリと張り付き、引っ張っても中々……。いたたた。最終的にはなんとか脱げたが、以前はこんなことなかったんだけどなあ。どうしたんだろう。やっぱりメイドロボ用の服だし、人間が着るとまずいんだろうか。でも着心地最高なんだよね、この一件が片付いた後も着てたいかも……いやまさか。 風呂の中で大きな鏡に接したとき、私はさらに困惑した。何か変だ。久しぶりに見る私の体は、どこか違和感があった。 (何……なにか変……) 曇っている鏡を拭くため、接近した時だった。 (あ……) ない。私の胸に、あるはずのものがない。乳首がなくなっていた。私は数秒間呆然として固まり、自分の胸をまさぐった。ない。本当にない。跡さえない。最初から何もなかったかのように滑らかな肌色の曲面が続いているだけだ。 「あ……あぁー!」 あまりの衝撃に私はその場にへたり込んだ。そして、股間も異変が生じていることに気づく。ない。こっちもない。股間に何もない。マネキンのようにつるっつるだ。 (う……うそ、そんな……どうして) 病気? 怪我? いつの間に? いやそんな病気ある? 一体何が……。パニックになりながらもう一度自分の体をよく見直す。何かの間違いだったかもしれない。だがそこにはなにもないし、その上さらに体の異変を見つけてしまった。 (これって……!?) 私の肌が、風呂の照明を照り返していた。テカテカと光沢のある肌が肌色一色の皮膚を構成している。染みも皺も、産毛の一本も生えていない作り物のような肌。皮膚の下には血管すら浮かばない。ずっと前に見た、全裸のマールを思い出す。メイドロボそのものだった。 「う……うそぉー!?」 恥ずかしかったが、私は自らの全裸を情報屋に晒した。私の見間違いではなく、彼から見ても今の私の体はまるでメイドロボのようになっていると告げられた。そ……そんな。一体どうして……? 彼の推測だと、メイド服の自己修復機能が働いたのではないかという。私の体は知らず知らずのうちにメイドロボとして「修復」されていたのだ。 「だって……だって人間には効果ないって……」 「い、いや、だってそう思うだろ、普通?」 「ど、どうしてくれるのよ、こんな……こんな……」 冗談じゃない。こんな体になっちゃったら、日常生活もままならない。ていうか死んじゃうでしょ、トイレは? トイレはどうするの? 出てくるところがなくなっちゃった。これじゃ……あれ? これっていつからこうなってたんだろう。私が最後にトイレに行ったのは……。 ゾクッとした。私の記憶がぼんやりしているせいではなかったかもしれない。この数日、私は本当にトイレに行かなかったのだ。食事も……食事? そっちも覚えがない……。どういうこと? まさか、まさか私、「充電」できるようになってんの!? そこまで体が改造されてしまっているの!? 泣き叫ぶ私の前から情報屋が姿を消し、一分もしない間に戻ってきた。 「落ち着けよ、なあ!」 彼の持った霧吹きからピンク色の煙が私の顔面に噴射された。 「わぶっ」 途端に、意識が朦朧として思考がぼやけてくる。これは確か……催眠薬だ。立ったまま寝られるようにするとき使った……あ。 次に私の意識が復活した時、私はメイド服をホワイトプリムからニーソまで完全装備した状態で突っ立っていた。 (えっと……私は……) そ、そうだ思い出してきた。私の体がメイドロボみたいに改造されてしまっていて……。って、なんでまた私に着せてるの!? これじゃあますますロボット化が進んじゃうじゃない! 「私に何をしたのですか?」 あっいけない。またメイドロボみたいな受け答えを……。再度普通に問い直そうとしたが、出てくる言葉は同じだった。 (あれ?) 情報屋はホッと一息ついて、安堵したような表情を見せた。あんた一体私に何をしたの? ていうか、体も動かないんだけど。私はスカートの前で両手を重ねたままマネキンのように突っ立っていることしかできない。 「すまん、取り乱してたからあの催眠薬で一旦落ち着いてもらったよ」 (落ち着く、って……) それだけじゃないでしょ、絶対。どうして動けないの? 「体が動きません。あと、私にこの服を着せないでください」 「ああ……えっとね」 情報屋は続けた。急にメイドロボが消えたら不審がられるし、あと少しで暗殺計画の全容も明らかになるのだから、もう少し頑張ってほしい、と。 「で、でも……体が……」 「スカート上げて」 「はい」 私の手が勝手に動き、スカートをたくし上げた。太腿が露になる。催眠薬で従順にさせられたのだろうか? なんて男だ。 「じゃ、製造番号つけるから」 「はい」 今日のメンテでは私に製造番号を付けることになっていた。バレないようにするためにだったが、ここまでやる必要があるのだろうか? 体を改造されてでも? 彼はかがんで私の太腿にペタリと何かを張り付けた。私の太物に製造番号が刻まれる。マールと同じ数字が。私はいよいよメイドロボ・マールになってしまうのだ。勿論二度と除去できない本物の製造番号とは異なり、タトゥーシールのようなものだ。しかしだからといって恥辱であることに変わりはない。それに今はそれどころじゃない。ただ製造番号を張るだけのはずが、まさか体が本当にメイドロボ仕様に改造されていたなんて……。治るんだろうか? 無理そうな気がする。それにこんな症状、いい物笑いの種だ。探偵・藤原芽衣の名声は地に落ちる……。 「はい、いいよ」 ようやく体が自由に動くようになり、私はスカートをたくし上げたまま自分の太腿を除いた。緑色に光る8905の数字……。マールと同じ数字だ。惨めなタトゥーに私は涙ぐんだ。 せめてこれ以上ロボット化が進まないように、衣装だけ別に用意してほしい。そう言おうと思った矢先、先手を打たれてしまった。 「じゃ、これまで通り、メイドロボのフリを続けてくれ。マールちゃんによろしく」 「はい」 そんな。この返答を最後に私は新たな話題を切り出すことができなくなった。体が勝手に扉へ向かって進んでいく。やはり催眠薬で細工されたのだ。 (ちょ、ちょっと待ちなさい! この服は、この服はダメなのよ!) しかし歩みを止めることはできず、私は天下の往来をピンク髪メイド服で再び歩かされた。今度は顔を上げたまま堂々と道を闊歩してゆく。テカテカと綺麗すぎる肌、本物のメイドロボ衣装、フィギュアのように鮮やかな髪色……。もはや誰一人私が人間であることに気づく人はいないだろう。それは救いでもあるけど、今は呪いのようにも思えてならなかった。 「ただいま戻りました、マスター」 「おかえりマール。ちょうど出ていくとこだったから、留守番よろしくね」 「はい」 事務所に帰るなり、私は今やすっかり藤原芽衣としての所作と能力を身に付けたかつてのメイドロボに命令をされ、それを受け入れることしかできない。彼女は私が物理的にもメイドロボと化しつつあることに気づいているだろうか? いやそんなことを考える能力はないか。……そういう存在に向かって、刻々と私の体も「修復」が進んでいる。 (んんっ……ああぁっ……) 充電台の上に立ち、待機姿勢でマネキンのように固まりながら、私は心の中で悶えた。今の私には乳首もあそこもなければ、代わりに製造番号が印字されている。まさか……まさか、このまま本当にメイドロボになってしまうなんてことは……。メイドロボに立場を乗っ取られるだなんて、そんな馬鹿な話が……。 ある日ようやく、私を……マールを狙った暗殺者が捕らえられたというニュースを事務所で耳にした私は心から安堵し、飛び上がりたいほど嬉しくなった。長かった……終わった。これでようやく人間に戻れるんだ。自分のメイドロボの命令を聞かなくてもいいんだ! しかし、マールは中々私を解放しようとしてくれない。藤原芽衣として振る舞い続けている。仕方なく私もメイドロボとして振る舞い続けるが……。次第に焦燥感がつのる。 マールは誰かと電話をはじめ、今後の展望を語りだした。刺客の一人を捕まえたが、まだ黒幕にたどり着いたわけじゃない、あとちょっとだ……そんな感じの内容だった。 (まだっ!? まだかかるの!?) てっきり終わりだと思っていた私は絶望のどん底に突き落とされたような気分だった。いやマールは正しい。確かにそうだ。でも……でももう、それは私にやらせてよ! 元に戻ろうよ! そう叫びたかったが、そうすることもできない。これが私の演技なのか、メイドロボ化が進んでできなくなっているのかも、わからない。昨日までと同様、粛々とメイドロボとして振る舞い続けるだけだった。 (早く……早くして、このままじゃ私……!) メイド服が体と一体化しつつあることを私は感じ取っている。この前のメンテでも中々脱げなかったし……。本当にまずい。 私が完全にメイドロボに「修復」されてしまうのが先か、暗殺計画の首謀者をとらえるのが先か……。惨めな思いで、私はかつてのメイドロボだったマスターに全ての希望を託すしかなかった。 (早く……早く捕まえてよ、取り返しがつかなくなる前に……) 電話を終えたマールは私の方に向き直り、言った。 「今日は良いもの食べよっか。マール、お願いね」 「はい、お任せください、マスター」 笑顔で返答した私は、いつもと全く同じ歩き方で、事務所の外へ向かって歩き出した。マスターの命令をこなすために。

Comments

Anonymous

最近ずっと#立場逆転探してます!とても嬉しいです。もっといっぱい書いて欲しいです♡

opq

コメントありがとうございます。需要があるようでしたら今後も書くことがあると思います。

いちだ

単にメイドロボになるだけではなく、メイドロボにとってかわられるというところがいいですね。 まだ完全にはメイドロボにはなっていないようですので、続編も期待しています。

opq

感想ありがとうございます。立場逆転もいいですよね。人気があるようでしたら続きも書くかもしれません。

Anonymous

立場逆転は面白いですが、コメディの方向に進むともっと面白いのではないでしょうか?人間だけでなく、メイドロボの方もやりすぎて苦労しています。これではずいぶん違うようです。 とにかくこれは素晴らしい物語です。ありがとうございます。

opq

コメントありがとうございます。楽しんでいただけたのであれば幸いです。

Anonymous

やっぱりこういう素材がいいということです。 逆転人形のように立場が逆転する話 メイドロボットに軽蔑とかじゃなくて ヨシヨシの可愛がられる気分とかがいい。 YouTuber人形の結末部や、人形ランク、退魔師の喫茶店のようにAI人形(メイドロボット)が描かれるのが好きかもしれない。

opq

感想ありがとうございます。気に入っていただけたなら嬉しいですね。