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すごいアプリを手に入れた。知らない間に私のスマホにインストールされていたそれは、無色透明のアイコンと「設定」という名前だけを持つ謎のアプリ。最初はウイルスか何かかと不安だったけど、すぐにそれがとんでもない力を秘めた魔法のアプリだということがわかった。それは自分の設定を変更することができるアプリ。設定画面にはリアルな私の3Dモデルが表示されていて、顔やスタイルを自在に変更することができる。これのおかげで私は透き通るようなきれいな肌を手に入れることができたし、顔もとても可愛く修正できた。黒子もニキビも痘痕もないし、なんなら永久に毛だって生えてこない。面倒な手入れをしなくても、このアプリさえあれば私は無敵でいられる。体重も自在だし。太ったら設定変更から修正すればいいだけ。 さらに、弄れるのは体だけじゃない。年齢、職業、経歴、それら全てが自由に書き換えることができるのだ。もしも職業欄をアイドルにすれば私は突然芸能事務所に所属していることになるし、マネージャーが出現する。高校生にすれば制服を着て登校しても誰も怪しむ者はないし、名簿には私の名前がしっかりと刻まれているのだ。 顔や職業を変更しても、周囲に面倒な影響が残ることはない。なぜなら、このアプリによって行われた変更は全て自然なもの、以前からそうであったかのように受け止められるからだ。私がある日突然男になっても昔からそうだったかのように皆が認識するし、書類の上でもそうなっている。女に戻せばそれら全ても元通り。まさしく魔法のアプリとしか言いようがない。 ある日のこと、私はアプリに課金することができることに気づいた。自由欄というものを増設できるらしい。勿論、即刻した。金はいくらでも……ってほどの手持ちはないけど、設定を工夫すれば幾らでも稼げるし。 大学もサボり、私は自由欄の研究に熱中した。魔法が使えると書くと軽く手から火を出せたり、ゲーム機ぐらいなら浮かべられたりするようになる。億万長者と書けば口座の金がすごいことになった。 どうしようかな、この自由欄。ほんとなんでもできるんだよね、なんでも。とはいえ文字数制限がキツイのが難点か。8文字じゃあねえ。それに限界はあるらしく、全知全能とか時間を戻せるとかは弾かれて反映されなかった。しかしそれでも十分すぎる。本当に魔法みたいな力を自分に付与できるのだ。金や地位みたいなものでもいいかもしれないけど、せっかくだから物理法則に反するような設定の持ち主になってみたい。何がいいだろうか。空を飛べる……いや瞬間移動? アレコレ試しているうちに、アプリは決断を私に迫った。いつの間にか利用期限が設定されていて、もうすぐアプリは使用不能になるとメッセージが出たのだ。 (えっ、マジ?) これは困った。このアプリで一生バラ色生活を夢見ていただけに。もうこのアプリのない生活には戻れそうにない。しかし救いがあるとすれば、変更した設定はアプリ終了後も反映されるという点。メッセージにそう書いてある。逆に言うと、二度と戻せないから注意しろっていうことかな。うーん……。 自由欄でアプリの期限を延長できないか試したけど、流石にダメだった。どうしよう。何がいいかな……。 三つの自由欄。そこで私は自分に好きな「設定」を付与できる。魔法の力も、超能力も、何か現実的なものでも……。男にモテモテとか。いや変なのが大挙して押し寄せてきたら困るかな。イケメンにモテる……でも頭のおかしい人はいるかも。 逆に考えてみよう。アプリが使えなくなった後私が後悔しそうなことは何か。太っても平気じゃいられなくなること? 肌荒れ? じゃあ……そうだ、自分で自分の体を改造できる能力を付与すれば……八文字でどう書けばいいんだろう? 色々と悩みながらも期限の日は迫る。そんな中前期が終わり、私は実家に帰った。単位のことよりも、今はアプリのことで頭がいっぱいだ。どうしよう。何なら後悔しないだろうか。いや結局後悔はしそうだ。何を書いても。職業も大学生のままでいいんだろうか。卒業はまだ二年先だけど、今のうちにどっか大手に勤めていることに……えー、やだなあ。大学生活消えちゃうじゃん……。 「おばさーん、こんにちはー!」 実家に帰ってから数日。姪っ子が訪ねてきた。この間生まれたばかりだと思っていたのに、もう幼稚園に行っているらしい。うーん、お姉ちゃんが結婚してからもうそんなに経ったかなあ。ていうかおばさんと呼ばれるのが地味にショック。 好きに遊ばせておきながら、私はずっとアプリのことを考えていた。若返りの能力。一つはこれがいいかもしれない。不老不死だとやばい気がする。あとは……瞬間移動? 体重操作? 何しろ期限は今日の夜。早く決めないと……。 お風呂に入っている時、私は久々にアプリから思考が離れた。 (ん?) 手が変だ。なんか……。綺麗というか、テカテカしているような……。前から肌はアプリで滅茶苦茶綺麗にしてあったけど、こんな風だっけ……? 手だけじゃない。腕も、お腹も、そして脚も、肌が光沢を放ち、人間の体とは思えない質感をしていた。血管すら見えない。まるでマネキンのようにツルツルで……。 (あれっ、えっ、何?) 突然の異変に困惑していると、今度は周囲がおかしくなった。デカい。広い。狭かったはずの実家風呂が、いつの間にか相当に広くなっている。 (え? え? え?) いやっ、これは……違う。椅子も桶も、シャンプーの容器も、本棚のように大きくなっている。これは……ひょっとして私が……。 (小さくなってるっ!?) パニック寸前で縮小は止まった。私は人間並みのサイズになった椅子にもたれかけながら、突然の出来事に固まった。なんで? 何が起きたの? 私が……人が突然小さくなるなんて、普通ありえない。魔法かなんか……魔法!? 私は小さくなった体で必死に椅子に上った。鏡に映る小さな自分は、とても哀れで情けなく思えた。ツルツルとした光沢のある肌は樹脂のよう。そして私の髪は鮮やかな金髪にそまり、背中まで長くなっている。さっきは気づかなかったが股間からあそことアレが消滅している。マネキンのように平坦な曲面だ。これじゃまるで……。 (人形!? 私、人形になってるっ!?) 急いで風呂場から出ようと扉に向かった。絶対アプリだ。それしかない。自分の部屋に置きっぱなしで……誰かが私の設定を弄ったかも。そういえばまだ姪が……まさか!? ヤバい。まさか「おばさんの設定」をリアルにどうこうできるものとは思わず、ゲームか何かだと思って弄ったかもしれない。お父さんやお母さんだったら「人形」にはすまい。 しかし問題が発生。今の私の力では、お風呂のドアを開閉することができないのだ。登れるようなとっかかりもないし、下部で人形にされた私が押しても引いてもビクともしない。 「ちょっとー! 出してー! 誰かー!」 あのアプリはもうすぐ期限だ。まだ三時間ぐらいはあったはずだけど……。一瞬、永遠に人形として生きる羽目になった自分を想像してゾッとした。このまま放置すればそれは現実となる。 「おかあさーん! ねえー!」 いくら声を振り絞って叫んでも誰も来ない。なんで? 娘が絶叫してたら普通……。あっ、あっ、そうか。私は以前から人形だったことにされて……。当たり前のように「便利」として享受してきたアプリの特性に、まさかこんな落とし穴が……。 しばらくするとようやくお母さんが入ってきてくれたが、私の声を聞きつけて……という風ではなかった。裸で、ただお風呂に入りに来た、という感じ。 「あら?」 (……っ!?) そしてお母さんの視線が私に向けられると同時に、私は全身が硬直して動けなくなってしまった。全身が瞬時にカチコチに固まって、指一本動かせない。瞬きすら不可能。視線も動かせず、私は時間と止められたかのように静止したまま突っ立っていることしかできなくなった。 (体が……な、なんで?) 人形だから? 人形は動かないから……でもさっきまでは! 「んもー」 お母さんは私を掴み、風呂場から出た。洗面台の脇に私をおいて、のそのそとお風呂に戻っていく。姪が遊びでここに置いたと思ったのかな。ついさっきまで自分の娘だったのに、一切木津育素振りはない。アプリの効果はよく知っているとはいえ、ショックだ。 (あれ?) しかしいいこともあった。急に体が動くようになったのだ。急いで洗面台から降りて、私は自分の部屋に向かって走った。姪はいない。どうやらお父さんが送りに行ったようだ。チャンス。 自分の部屋につくと、やはり私のスマホが無造作に床に捨て置かれてある。姪が私の設定を弄ったのだ。迂闊だった。もっとちゃんと管理を……。でも自分以外の人間がこのアプリを弄るなんて思いもしなかった。こんな危険性もあるんだ……。私は急にこのアプリが恐ろしく思えてきた。ただただ私の得になるだけのアプリだと思ってた。 まあいい、とにかく弄られた箇所を戻せば……。うわっ。 案の定、職業欄が人形にされている。髪は金髪ロングに。身長は20センチ。とんでもないな。私の3Dモデルは女児向けアニメのCGみたいになってしまっている。目が大きく、肌色一色のツルツルの肌。そして驚いたのは自由欄。三つすべてが埋まっている。「魔法のお人形」「動けるのは秘密」「羽で飛べるよ」……いかにも子供らしい可愛い設定だけど、設定される方としてはたまったもんじゃない。さっきお母さんに見られた時動けなくなったのはこのせいか。動けるのは秘密。……ん、ていうか飛べるの私!? えっと……どうするんだろ。 ちょっと試してみたくなった私は、背中を手でまさぐった。羽は生えてないみたいだけど……。「魔法のお人形」か……。自分に魔法能力を付与した時のことを思い出し、背中にあの時の魔力の感覚を集中させた。するとポンっと音がして、私の背中に透き通るピンク色の羽が出現した。 「おお……?」 しかし、背中から生えているわけではない。体から少し離れて浮いている。しかし体を動かすと羽も動く。ゲームで自キャラに大きなアクセサリーをつけたときのことを思い出す。あれに似てるかもしれない。 羽を動かすと、本当に飛べることがわかった。慣れると自由自在。これはこれで面白いかもしれない。広くなった自室と合わせて、妖精になったみたいだ。 とはいえもうすぐアプリの期限が切れるし、さっさと戻そう。十分子供の空想は堪能してあげたし。私は職業欄をタップし、大学生に戻そうとした。……が、何故かスマホが反応しない。 (あれ?) なんど画面を叩いても変更できない。アプリの不具合ではない。スマホの方が反応しない。まさか故障? いやいや、だとしたらマジで最悪タイミングなんだけど!? 「ちょっとちょっとなんでよ、動いてよ!」 何度叩いてもコツコツと無機質な音が鳴るばかり。スマホは頑として私の操作を拒む。一体どうして……。再び私のちっちゃな手がコツっと音を立てたとき、私は青ざめた。 (あ、ひょっとして……) 今の私が人形だから。何かの樹脂みたいな物質に変わってしまっているから、それでタッチパネルが反応しない!? だとしたら……この設定どうやって元に戻せば……。 アプリの期限は……あと二時間半。それまでにこれを何とかしないと、私は永久に職業:人形に固定されてしまう。それだけではない、動けるのは秘密……誰にも生きていると認識してもらうことができない。人前で私は本物の人形でい続けなければならない。 (う、嘘……そんな) いやだ。いやだいやだいやだ。人形になるなんて。必死にスマホを叩き続けるが、反応なし。どうしよう。何でたたけばスマホって反応するの!? そうだ、お母さんに……ダメだ。私は誰かの前だと動けなくなっちゃうみたいだし……。そうだ、書置きか何かで。とにかく「初期設定に戻す」の操作だけしてもらえれば。 だが、そこでも問題が発生した。居間のパソコンを操作しようとすると、急に手が止まったのだ。 (あ、あれ?) お母さんがお風呂から上がった? いや、居間には誰もいない。私だけ。それに体は動く。首も足も、手だって。でも……キーボードを叩いてメッセージを残そうとすると、何故だか手が言うことをきかなくなる。キーボードの上でプルプルするだけ。 (あっ、ひょっとして……?) 「動けるのは秘密」って、まさか……いや嘘でしょ、そこまで効果があったら……。 私はパソコンを諦め、テーブルにメモを残そうとした。だが16センチの体では筆記具を持つこと自体が中々大変だったし、書こうとするとやはり……体がうまく動かなくなる。私はボールペンに抱き着いたまま、メモ用紙の上でうめいた。あとちょっと。体が……体さえ言うことをきいてくれれば。でもダメだ。書けない。動けるのは秘密という設定を遵守させられているに違いない。私がメッセージを残す行動をすることは、その設定に反してしまう……とアプリは解釈したらしい。 (えっ、じゃ、じゃあ……どうすればいいの?) まさかこのまま人形になるのを待つしかないの? もうすぐ……あと二時間。いや、なんでもいいからその辺のものでスマホに反応するものを探そう。それしかない。まだ二時間あるんだ。 その時、お父さんが帰ってきた。哀れ小さな私には居間のテーブルから自室に戻るのに地味に時間が必要だった。お父さんが居間に入ってくると同時に私は全ての自由を奪われ、完全な人形と化した。 テーブルから棚の上に移動された私は、必死にお父さんに心の中で呼びかけた。だけど我が家にテレパシーの使い手はいない。お父さんとお母さん、どちらかは常に居間にい続け、私は一歩も棚から動くことができないまま、時間だけが過ぎていった。 (やめてお父さん! どっか行ってよ! このままじゃ私本当に人形になっちゃうんだよ!) 娘のピンチが目前に迫っているのに、どうしてこんな……。二人とも私が人形であることを当然だと認識しているからだ。あのアプリを散々使ってきた私が一番よく知っている。アイドルになった時、芸能事務所の誰一人として私を疑うことはなかった……。 (あーっ、あーっ、あーっ!) 私は脳内で絶叫した。視界の中に入る時計が刻一刻と時を刻む。私はその間、髪の毛一本揺らすことすら許されず、永遠に人形となる時を待たされている。 (お願いやめてっ、どうしてこんなことになるのっ、それだけはやめてっ!) もう若返りも瞬間移動もいらない、初期設定でいい、人形は、人形だけは嫌、一生人形のままだなんてそんな……ああーっ! 居間の時計は無常にも期限となる時間を指し示す。終わった。私は「魔法のお人形」という設定を持つ存在として、これから永遠に誰ともコミュニケーションをとることのできない一生を強いられることが決定されてしまったのだ。 深夜にようやく自室に戻った私は、寝たお母さんの指でスマホを操作し、必死にアプリを探した。だが、あの魔法のアプリはどこにもなかった。私のスマホには残っておらず、ストアにもなく、ネットで探しても出てこない。ある日どこからともなく突然現れた魔法のアプリは同じように忽然と消え失せ、あとには人形の設定だけが残されていた。 (わ、私……一体どうなっちゃうの) 全てが夢だったらよかった。が、翌日も私は金髪の人形のままだった。両親がいると指一本動かせなくなってしまう。そして私が人形になっていることを誰一人として不自然だとは思っていない……。 そうだ、姪なら。あの子なら。勝手にスマホを操作して私を人形にしてしまったあの子。悪気はなかったろう。とはいえ、私はやり場のない憎しみを彼女にぶつけずにはいられなかったし、ひょっとしたら操作した本人であるあの子なら私が人形じゃないとわかってくれるかもしれないという希望の求め先でもあった。 お姉ちゃんの家にいくしかない。こっちからは連絡をとれないから。「動けるのは秘密」のせいで。しかし16センチの体で、しかも人前だと動けなくなっちゃうという厳しい条件で、どうお姉ちゃんの家に行けばいいのだろう……。 (あっ、そうだ、私飛べたんだ) 幸か不幸か、私に残された唯一のプラス設定。飛んでいけばどうにかなるか。でも人目についたらアウトだし……夜しかないか。 再び一日が過ぎ、深夜に私は実家を飛びたった。自分の生まれ育った町はまるで巨人の町のように見える。見慣れた通路全てが広く長い。自分が改めて人形になってしまったのだということを痛感させられる。 (急がなくちゃ) 流石に姪に会えば元に戻れるとは思ってはいないが、もしも私を私だと認識さえしてくれれば、あのアプリを探してもらえるかもしれない。私は懸命に羽ばたいた。 深夜とはいえ、人はいる。視界に入ったら最後だ。その瞬間私はフィギュアのように全身が硬化し、身動きがとれなくなってしまう。もしもそのまま車に轢かれたり、変な人に持って帰られたりしたら……うう、あまり考えたくない。 スニーキングフライトを終え、ようやく姉の家にたどり着いた時には空が白み始めていた。窓やドアは閉まっていたが、お風呂の窓が開いていたのでそこから入れた。 二階の子供部屋へ静かに飛び、にっくき姪のベッドにたどり着く。ああ……よかった。なんとか無事にたどり着けた。 一応、クレヨンでメッセージを残そうとしてみたが、やはり腕が動かなくなる。姪でだめなら姉夫婦もダメだろう……。疲れた。私は床の上で寝転び、いつしか眠ってしまっていた。 起きたときにはままごとの真っ最中。私は綺麗なドレスを着せられ、他に人形と向かい合わされていた。 (んっ……あ、ねえ! 私よ! おばさん! 気づいて! わかる!?) 部屋には姪しかいないようだったが、やはり体は動かない。文字通り、私は姪のお人形だった。子供に人形として、それも犯人といっていい彼女に遊ばれるのがどれほどの苦痛と恥辱だったかは中々伝えられるものではない。目線すら動かせず、「私は嫌がっている」という意思さえ示せないのだから尚更だった。 心の中で懸命に呼びかけるも、無駄だった。私はただのお人形で、以前からそうだったと認識されているらしかった。ああ……お終いだ。何もかも。投げやりになった私は、なされるがままその日一日彼女の遊びに付き合った。夜になるとお姉ちゃんが玩具を片付けるよう言って、私は当然のようにおもちゃ箱に片付けられてしまった。お姉ちゃんも私を人形だと思っている。買ったはずのない人形に疑うそぶりも見せない。 深夜、私は涙目になりながら姉の家を後にした。これからどうしよう。一生、本当にお人形として生きるしかないんだろうか。人前では指一本動かせず、誰にも私が私だと気づいてもらえないまま……。 絶望しながらフラフラと町を彷徨ったのがいけなかった。突如空中で髪の先から指の先まで固まった私は地面に落ちた。 (いたっ) ま、まずい。誰かが近くに……。通り過ぎてお願い。 だが謎の人間は私を拾い上げ、手に掴んだまま歩き出した。最悪だ。拾われてしまった。誰、一体誰なの。私は地面を向いたまま首を動かすことができない。ただなされるがまま、成り行きにまかせることしかできなかった。 謎の男は自宅についてから、熱心に私を観察していた。安っぽい着心地最悪のドレスはあっさりと脱がされ、私は全裸を見知らぬ男に晒す羽目になった。 (ひーっ、やだあ! みないで!) 乳首もあそこもないお人形ボディとはいえ、裸を見られていることに変わりはない。男を罵りながら、私は荒らしが過ぎ去るのを待つしかなかった。 深夜にようやく自由になると、私は謎の男が実は見知った男であることを知った。伊藤くんだった。高校の時クラスが同じだった……えーと、確か一年の時? 三年も一緒だったような。でも話したことは……ほとんどなかった気がする。 地元の大学に進学していたらしい彼は、人形オタクだったらしい。知らなかった。部屋には……ドールというのだろうか、子供向けではなさそうな着せ替え人形が何体も。私も彼のコレクションになるのかと思うとゾッとする。早く逃げよう。 (あ、でも綺麗……) ドールたちの服は粗雑な着せ替え人形の服とは違い、作りがとてもしっかりしていた。まるで普通の服みたいだ。チクチクゴワゴワしたドレスに嫌気がさしていた私は、ドールたちのドレスに興味が湧いた。チラッと後ろを振り返る。伊藤くんは寝てるし……ちょっとだけなら。 流石に人間の服と同じ着心地とはいかなかったものの、ドールたちの服はとても私にフィットした。ああ、いいなあ。帰ったら注文してみようかな。同時にドールたちに嫉妬のような感情が芽生える。なんでただの人形のくせに、人間の私よりいいもの着てるのさ。 (ほかになんかないかな~) ままごと……を伊藤くんがするかどうかは知らないけど、人形サイズの机や椅子、はてはベッドまであった。こういうのはどこかで売っているのだろうか、それとも手作り? (あー、悪くないかも) 人形用のベッドに寝転び、その感触を確かめる。床よりははるかにいい。これからこのサイズで生きていかなくちゃならないんだし、こういうのも……調べた方がいいかな……。などと思っているうちに、私は眠りについてしまった。 起きたときには昼近く。私が散らかした服は綺麗に片付けられて、あとには「勝手に拾ってごめんね」と書かれたメモ用紙が置いてあった。片付けするよう姉に言われていた姪っ子を思い出し、私は一人気まずくなった。人んちで勝手に散らかして寝るなんて、全く酷い。酔っていたわけでもないのに。返事して帰ろう。 が、筆記具の先をメモ用紙に向けると再び腕が動かなくなった。あっそうか、できないんだっけ……ん? (このメモ……私宛、だよね?) 伊藤くんのメモは間違いなく私に向けて書かれたものだ。でもどうして? 皆私を人形だと思っていたのに。ひょっとして……伊藤くんは私を私だと認識できたの!? 彼は大学かどこかに出かけたらしく、いなかった。でも……このまま帰るわけには。ひょっとしたら私を助けてくれるかもしれない。 彼が家に帰って部屋に来ると、再び私は動けなくなってしまった。 (い、伊藤くん……私、私だよ。わかるの?) 彼はちょっとばつの悪そうな顔をして、会釈のような動きをした。私に? ねえ今私にしたよね!? 話しかけたかった。私が変なアプリで人形になってしまったことを説明したかった。しかし体は動かないし、うめき声一つ出せない。気ばかり焦るが、体は石のように固まったままだ。 彼が私を手に取る。ドールたちの棚に私を加えた。 (えっ、あ、ちょっと待って。私は人形じゃないのっ) がっかりだった。伊藤くんも私を人形だと認識しているの? 希望が見えたと思ったのに……。んん、でもじゃああのメモは? 気になった私は、もう一泊してみることにした。昨日と同じことをしてみようか? 何したっけ? 確かドールたちの服を色々着てみて……。 数日間、私は彼の家に泊まり続けた。そして段々わかってきた。残念ながら彼もアプリの効力から逃れたわけではなかった。私が人間であることも、かつての同級生だったこともわかってはいない。だがしかし……私が生きていること、意思を持った存在であることは認識しているらしかった。それは私が服を散らかしたからだ。勝手に服を着て勝手にベッドで寝ていたからだ。それを通じて彼は私が寝ている間に動いていたと推理できたのだ。 この事実に私は驚いた。自分から能動的に動けることを明かすことはできないけれど……私の意志とは関係なく推測させることはできるのだ! この結果を受け、私はズルズルと伊藤くんの家にい続けた。だってしょうがない、現状世界でただ一人私が生きていることに気づいてくれたんだから。実家に帰っても暗くなるだけだ。それにここには私に会うサイズの服や家具も揃っているので、結構楽しい。 伊藤くんも「生きた人形」と心が通じ合えた(?)ことに気をよくしたのか、私に合うサイズの服やアクセサリーを増やしてくれた。勿論正面から「買ってきたよ、着ていいよ」などと言ってくることはなく、そっとドール用の引き出しに増やしておくのだ。私はそれを棚から静かに見つめていた。そして深夜にそれを着て遊ぶ。気に入った服を着たまま寝ると、翌朝伊藤くんはちょっと嬉しそうだった。 そんなやり取りをしばらく続けるうちに、いつの間にか三か月が経過していた。私はすっかり伊藤くんのドールコレクションの一体として過ごしていたことになる。このまま彼のお人形でいいの? 本当に人形として生きるの? と迷うけれど、私はここを出る気になれなかった。飛べるからその気になればすぐにここを出られる。けどそしたら彼が悲しむだろうし……。書置きもできないしね。それに出ていったところで……。 (べ、別に……人形として生きることを認めたわけじゃないもん) 心の中で誰に向けているのかもわからない言い訳をしつつ、私は伊藤くんのドールとして今日も彼の帰りを待った。今日は髪型を変えてみたけど、気づいてくれるかな。似合ってるかな。可愛いって思ってくれるといいな。

Comments

Anonymous

かわいそうだけど、めちゃ可愛い……楽しい人生があることを祈ります

opq

コメントありがとうございます。そうなるといいですね。