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昔からミステリが好きだった。より正確には探偵に憧れていた。犯人たちの張り巡らした狡猾な罠を掻い潜り、トリックを暴き、真実を明らかにする……。何度そういう小説や映画や漫画に心を躍らせたことだろう。好きが高じて私は探偵事務所に就職を決めた。ただ当然そこにあるのは地味で生々しい浮気調査や素行調査で、殺人事件に遭遇してそのトリックを暴くなんて機会は訪れない。勿論、そんなことはわかってはいた。現実と小説は違うだなんてことは。しかし探偵という名の理想と現実のギャップは覚悟を超えてガックリきたし、燻る非日常への憧れが燃えることなくやがては灰になるのかと思うと、気が滅入る。友達や先輩にこんな話をしようものなら五月病だの社会人一年目あるあるで片付けられてしまう。頭ではわかってるよそんなこと。でも心が納得してくれるのに時間がかかるの。はぁ……。 だから、人形に化けて潜入してみないかと言われた時、私は悩む間もなく「はい」と答えてしまった。ある日突然、非日常への入り口が開いてくれたような気がして。 ある会社の不正調査で、ターゲットの業務用PCを調べたい。だがそこに潜入するのは無理だ。ならばどうするか。その男が好きなフィギュアに化けて潜入するのだ。そういう計画だった。実はこの事務所、グレーよりな調査もこっそりと引き受けていたのだ。私はまずその事実に少しウキウキしてしまった。人間が小さなフィギュアに化けて潜入するなんて漫画みたいな計画を真顔で話していることも気にならなかった。こういうのを求めていたんだと、私の中で誰かが囁く。茶々も入れることなく、私は真剣に話を聞き続けた。課長の個人的な伝手で、食物を「圧縮」して半永久的に保存する技術を開発している研究所に協力してもらえる。圧縮された物体はたとえ生鮮食品でも、その新鮮さや味、その他すべての状態を保持し続けていられるのだという。腐らないし、小さくなるので持ち運びにも便利。それを人間に使えば、フィギュアのように小さくなれる。食事も排泄も不要、風呂にも入らないままでも新鮮……即ち健康でいられるはずだ、と。 「わかりました、やってみます」 冷静に考えたら怖すぎて無理となるような内容のはずだけど、私は即刻了承してしまった。私みたいな二年目のペーペーにこんな話が来たのも、大方に断られたからだろうと想像がつく。それだけ、いろんな意味で危険な話なのだ。でも断る気は一切なかった。これを断れば今後一生、小説や映画のような体験をする機会は訪れないような気がして。 潜入チャンスとなる日が迫っているということで(どれだけ断られたんだ)、すぐに私は研究所に連れていかれた。SF映画で見るような物々しい大がかりな装置を目の前に、同意書にサインさせられる。何かあっても訴えませんと。サインを終えると急に怖くなってきた。今日ここで死んじゃうんじゃないか。元に戻れるんだろうか。一生「圧縮」されたままだったらやだなあ。ていうか圧縮されて本当に生きていられるんだろうか。職員の人からキーホルダーみたいになった野菜や魚を見せてもらったけど、自分もこれからこうなるのかと思うとかえって恐ろしくなった。プラスチックみたいな固く艶々とした質感。色合いもまるで塗料みたいに安っぽく、細かなグラデーションがない。どこも均質な、一色で塗りつぶされた圧縮キャベツが目につく。カチコチで、プラスチックのキーホルダーか何かにしか見えないけど、「解凍」すると元通り食べられるんだそうだ。本当かな……。 装置の準備が終わると、いよいよ逃げ場がなくなった。私は装置の前で服を脱ぎ、最後のチェックを受けた。健康に問題なし。そして下着類も全て脱ぎ、全裸にならなくてはならない。これが最大の抵抗だった。男性職員も大勢、というかほぼ男なのに。 しかしサインもしてしまった以上、ここまで来てやめることもできない。夢に憧れて迂闊な返事をしてしまった過去の自分を責めつつ、私は下着を全て脱ぎ捨て、一糸まとわぬ姿となった。 「はいじゃあそこに入ってください」 装置の中央を占める水槽のような透明な容器。そこに私は誘導された。胸と股間を両手で隠しながら装置に入った私は、まるで動物園の檻の中にでも入ったかのような気分だった。まるで見世物だ。 「大丈夫ですか?」 「……はい」 「それではもうすぐ処置開始するんで、そのままお願いしまーす」 職員たちが慌ただしく何かを操作したり、画面をじっと見つめて時々メモをとったりする様を容器の中から眺めながら、私は少し不満に感じた。私が裸になっているのに、男どもは誰も私に興味を示していない。なんで? 若いし、それなりに自信はある……のに。課長は私への配慮で部屋を出ているが、ここにいたら鼻の下を伸ばしていただろうか。いや見られたくないけど絶対。 職員たちにとって私はただの実験動物で、魚や野菜と同じだっていうの? さっき見たサンプルたちのように……。 「はい、じゃあ行きまーす! いいですかー?」 カウントダウンのあと、容器内に虹色の煙が満ちて、私の意識は途切れた。 「結果出ました、異常なしです。おめでとうございます」 「はぁ……」 めでたい? コレ。私は再度自分の手を見つめた。フィギュアみたいな均質でムラがない肌色一色の肌。それが私の全身を覆いつくしている。「圧縮」された私の体は簡略化され、まるでアニメキャラか何かのようにデフォルメが効いた姿になっている。CGモデルみたいな綺麗すぎる皮膚。染みも皺も黒子もなく、血管も見えない。体毛は髪と眉毛だけで、あとはすっかり消滅してしまった。髪の毛もフィギュアか彫刻のように、一つの塊に切れ目や段差をつけて髪を表現している、そんな感じになっている。けど、手を入れるとサラッと髪が分かれるのだから不思議だ。 ここ二日、私は一切食事をとっていない。けどお腹がすくことも喉が渇くこともなく、また体の調子が落ちることもない。お風呂にも入っていないけど、嫌な臭い一つしないし、垢も出ない。ツルツルの肌はいつまでも滑らかだ。 「圧縮成功です。花咲さんは無事に保存できました」 ほ、保存……。私はレトルト食品か何か? 「いやどうも、無理なお願いをありがとうございます」 課長の持ってきた箱に入れられ、私は研究所を後にした。次に戻ってくるのは任務成功後。もし潜入失敗したら……考えたくないな。 職場に戻ると、改めて自分の身に何が起きたのか思い知らされた。見慣れたはずの事務所は、まるで巨人の世界だった。ビルのような机が並び、長い長い道が伸びている。カーペットはこんなにもザラザラだっただろうか。 16センチ。十分の一に縮んだ私には、すべてが巨大に見える。まるで異世界だ。休日なので人は私と課長だけだが、もしも人がいたら……。踏みつぶされてしまいそう。怖っ……。 「よし、じゃあミーティングだ」 会議室の広い広い机の上に運ばれた私は、一枚の画像を見せられた。金髪ツインテールの魔法少女フィギュア。ピンク色の派手で可愛らしいデザインのドレス。私は今からこれに化け……。えっえっ待って。この格好するの? 私が!? キツイ……。しかしこの段階で今更どうしようもない。もっと露骨でエロイ格好じゃないだけマシかもしれない。普通に可愛いし。自分が人前で着るとなれば話は別だけど……。その話が今目の前に。 髪を金髪に染められ、用意されていた衣装に着替える。鏡を見るとそこにはあの画像そっくりのフィギュアが映っていた。これが自分とは思えない。カアっと顔が赤くなる。会社でこんな格好を……。やだぁ……。 続けて大きな白いリボン、それも現実ではまずありえない、二次元限定の大きなリボンで髪を結い、ツインテールに。生きた魔法少女フィギュアの完成だった。 円形の白い台座の上に立ち、画像と同じポーズをとるよう指示された。うっ……。知り合いの前でこれは想像以上にキツイものがある。私を見下ろす巨人課長の圧に屈し、私はそそくさとポージングの練習を始めた。会社の会議室で魔法少女のコスプレとは。場所が場所だけになおさら恥ずかしい。 ポージングの再現には以外にも少し手間取った。自分では思いっきり腰を曲げたり腕を伸ばしたりしているつもりでも、実際には意外とそこまで振り切れていないのだ。笑顔で派手に可愛く待っている魔法少女フィギュアを再現するには、まさしく全力で体をこねくり回さなければならなかった。ポーズ取ろうってだけで息切れするし、日ごろの運動不足を痛感する。 だけど、こんなポーズを潜入中ずっと取り続けるわけ? 髪やリボンも風にたなびいてる感じにしないといけないだろうに、そんなの無理では? という疑問が今更私の頭に浮かんだ。休憩中に質問すると、驚くべき返事が返ってきた。工業用の形状記憶スプレーというのがあり、それを私に噴射するというのだ。ポージングをとった状態で形状記憶コーティングを施せば、いつでも元の状態、即ちフィギュアのポーズに戻れるようになるはずだ、という理屈。 その試験も早速行われた。髪の形を維持できるか。元気にたなびくツインテールの先は、スプレーをするとカチンコチンに固まり、いくら動いてもその形を崩さなくなった。でも狭いところ通れなさそう。 「あの、これ全身にやるんですか?」 「そうだ」 「私、動けなくなりません?」 「そこはこれから調整だ」 「……」 それからは何度かスプレーを吹き付け、除去し、また試す、という実験を行った。どれぐらいの量が最もいいバランスになるのかを見極めなければならなかった。スプレーの量が多すぎると私はカチンコチンに固まって動けなくなってしまった。これでは調査どころではない。かといってほんの少しだとポーズを維持できない。すぐにバレてしまうだろう。 何度か繰り返した結果「力を込めれば動けるが、力を抜くとすぐに元のポーズに戻る」という潜入調査向きの塩梅が見つかった。 「よし、大丈夫そうだな」 ターゲットの情報や潜入調査の手順、タイムスケジュールの打ち合わせも済み、ようやく私は解放された。といっても決行日の三日後までは会社で待機だ。課長は「ゆっくり休めよ」と言うものの、閑散とした会議室でタオルの上に寝っ転がるだけじゃ休んだ気にならない。圧縮時の健康を「保存」されているから大丈夫だと言うけど、精神の方はそうでもないみたい。 それから三日間、あっけなく職場の人たちに発見された私は、着せ替え人形にされたり、写真を撮られたり、散々玩具にされる羽目になったのだった。 職場で魔法少女のコスプレをし、笑顔で可愛らしいポーズをとり、形状記憶スプレーでその姿を記憶させられる。その工程を皆が見たがったので、私は死ぬほど恥ずかしい三十分を過ごす羽目になった。あれほど嫌だった箱詰めを早く早くと願うほどに。新品のフィギュアに偽装された私は無事に本物とすり替えられ、首尾よくターゲットのオフィスに配達された。梱包され外の見えない箱の中、それも透明なブリスターパックでガチっと拘束されている中、ジーっと時が過ぎるのを待つだけの時間。なかなかの苦痛だった。箱から取り出され、この死ぬほど恥ずかしい姿をさらすこととなっても、箱から出られた喜びの方が勝った。 うーん、どうしよう。とりあえず、夜までは動かない方がいいか。私は大人しくデスクの上に飾られたまま、ターゲットを笑顔で励まし続けた。二十歳過ぎて人前でツインテ、それもピンクの魔法少女姿というこの状況がやはりどうにもいたたまれない。今すぐ叫んで逃げ出したくなってくる。やっぱり形状記憶しておいて正解だった。正気じゃ耐えられない。 都合よく画面が見える位置に置かれていたので、私はパスワードを確認することができた。万事スムーズにいきそうだ。羞恥心さえ抑え込めれば。 夜になり、残業していた人たちも帰り、周囲から人の気配がしなくなったころ。私は動き出した。本当のフィギュアのようにずっと同じポーズで固まっていたこの体も、手足に力を込めれば動くことができる。まあちょっと気を抜くとまた元のポーズに戻されてしまうのが難点と言えば難点か。誰もいないオフィスで無意味にポージングしちゃうと、何故だか無性に恥ずかしくなってくる。笑顔で可愛くポージングしようとする体と戦いながら、私はパソコンを起動し、パスワードを入れ、ターゲットの悪事の証拠を探る。潜入調査自体はとても簡単に進んだ。データ自体は持ち帰れないので記憶する。それでも人間関係や日時を把握できれば十分。あとは事務所の先輩方の出番だ。 深夜二時ごろ、私は今日の調査を打ち切り寝ることにした。圧縮時「保存」されてはいても、寝ないといけないらしい。人間だと魚のようにはいかないのかな。しかし寝るということは体から力が抜けるということだ。そうなれば……。 縮んだバネが元に戻るかのように、台座の上で私は笑顔を浮かべ、可愛らしいポージングをとった。この状態で寝ないといけないのかな……。大変だ。 二日後の深夜、私は予定通りターゲットの会社から脱出し、合流地点で課長に拾ってもらった。忘れないうちに覚えてきた調査内容をメモ。これで全て完了。終わってみるとあっという間だし、潜入中には一切疑われることも危険に陥ることもなかった。拍子抜けかなあ。圧縮される時が一番怖かったかも。 課長の労いの言葉を子守歌に、緊張の糸が切れた私は座席の上に寝転んで、いつの間にか寝てしまった。……笑顔でポーズをとりながら。 後日、無事に「解凍」処理も完了し、しばらくの休暇をもらってから私は仕事に復帰した。上からは褒めてもらえたし、まあ悪くない気分だった。周囲からはフィギュア状態でコスプレした写真を見せてからかわれるけど……。滅茶苦茶恥ずかしいけど、どこか嬉しくなる自分も確かにいた。写真に映る私はまあ、その……実際、可愛いか可愛くないかと言われれば可愛い……と思う。なにせCGモデルみたいな綺麗な肌、デフォルメの効いた顔、可愛いコスチューム。潜入先でフィギュアだと信じてもらえた程度には、客観的にも可愛いのではないかと思っちゃったり……はする。羞恥と嬉しさの入り交じる複雑な感情だった。少なくとも、人間の私がノリノリでコスプレした写真には見えないから、セーフ。 半年後。同期に差をつけての昇進も果たし、私はすっかり浮かれていた。また同じようにフィギュア化して潜入してくれないか、と打診された時、即座にオーケーしてしまうぐらいに。また手柄を立てられるし、可愛い姿になれると、アホみたいに能天気だった。一度経験したことで圧縮処理への不安や抵抗も薄れていた。 圧縮後、会議室で渡された衣装はパジャマのようにふんわりゆったりとした淡いピンクの服だった。白いボタンやフリルが大人しくあしらわれている。 「これ、パジャマですか?」 「ああ、向こうで必要になるだろうからね。普段着」 「?」 化けるべきフィギュアの画像も見せてくれないし、今回は形状記憶なしで大丈夫だからと言って処置もしてくれないし、何だかおかしな様子だった。いやフィギュアが動いちゃまずいでしょ。バレるって即。しかし課長は私の質問をのらりくらりと交わすばかりで、潜入先の情報すらろくに明かそうとしなかった。 「まあまあ、いいからいいから。まずは準備だよ花咲くん」 「はぁ……?」 釈然としない気持ちを抱えながらも、私は大人しく指示に従った。髪をパジャマと同じ淡いピンク色に染められてから、私はフィギュアの台座にしては大きすぎる円形の台座に乗るよう促される。 コルクみたいなお洒落な台座。しかし16センチのフィギュアの台座としてはおかしくないだろうか。体育座りしてもまだ幅があるよ。課長は座り込んだ私をニコニコと見下ろしながら、コップのような形をした透明な容器を上からかぶせ、台座の溝にしっかりとはめ込み、少し横に回した。カチッと音が鳴る。ロックした? 「あのう、なんですかこれ?」 碌な説明もなく閉じ込められた私は、ちょっと胸騒ぎがしてきた。あるかもわからない心臓が鼓動を早める感覚があった。 「ん、ああ……よし」 ケースが開かないことをしっかりと確認した課長は、コホンと一息ついてから新しい任務についての説明を始めた。これから私はあるお金持ちの邸宅へ送られるらしい。終わり。 「え? あの……何を調べればいいんですか? 一体どういう……」 「まあ、詳しいことは向こうで聞いてくれ」 「えっ? 潜入調査ですよね?」 訳が分からない。話が通じてないというか、何かずれてない? それとも今回は私一人じゃなくて協力者がいるの? あでもスパイ映画みたいでちょっとワクワクするかも……。と混乱していると、課長が梱包を開始した。 「えっ、えっ、ちょっと何してるんですか?」 「何って、梱包だよ。むき出しってわけにはいかないだろ」 「い、今からですか!? 今日はミーティングと衣装合わせじゃ……」 「そうだっけ? まあ、いいじゃないか」 課長は手際よく私の入ったケースを包み、その上から発泡スチロールに嵌めこんだ。周囲が見えなくなり、私は叫んだ。 「あのっ! 課長! 何ですかコレ! おかしいですよ! 出してください!」 何? 一体何が起こってるの? 第一私、形状記憶もされてない。体は全く自由なままだ。化けるべきフィギュアの画像すら見せてもらってない。髪を染め、小学生みたいなピンクのパジャマを着ただけだ。これで一体何をどうしろっていうの? 箱に詰められ蓋をされる。音もほとんど聞こえなくなってしまった。私の声も届かないだろう。暗闇の中で私は震えた。おかしい。何かがおかしい。私どうなっちゃうの? 急速に胸の中に恐怖が広がり、涙がこぼれそうだった。だが「圧縮」中の私の瞳からは一滴の涙も滲まなかった。 ガタガタと揺れる真っ暗な世界。コルク状の広い台座。大きな容器。明らかにフィギュアのそれではない。私が知らないだけで動くフィギュアというのがあって、私はそれに扮するのだろうか? だとしてもどうして説明してくれなかったの? 縮んだ16センチの体が、本能に警告してくる。今の私の体では、何か危険なことがあればそれに抗しえない。逃げることも戦うことも……。子供にすらあっさりと制圧されてしまうだろう。小さいということがこれほどまでに恐ろしいだなんて。どうしよう。 いやでも、まさか最悪の事態なんてことはないはず。これは歴とした会社のお仕事。のはず。そりゃ百パー安全な仕事というのもないだろうけど、配慮は……ある……はず……だよ、ね? 振動が絶えない暗闇。浮遊感がある。どこかに私は運ばれている。とにかく、潜入先の邸宅についたら多分、きっと大丈夫。課長もそう言ってたし。向こうで聞けって。私は必死に不安を追い払おうと努めた。そうしないと心が押しつぶされてしまいそう。 (なんで? なんで説明してくれないの?) これがもしもミステリ小説、あるいはスパイ映画だったなら、どんな理由が考えられるだろうか。社内に敵のスパイがいたとか……? いや敵って誰さ。それとも……。 「ようこそクルミちゃん。歓迎するよ~」 梱包を解かれ、暗闇から解放された私の目に飛び込んできたのは、調査相手のはずだった金持ちさん。そして周囲には綺麗なお人形やフィギュア、大きなドールハウスや小さなお洋服が飾られている。広くて綺麗な部屋。コレクションルームって感じ。なるほどお金持ちだ。 「えーっと、その……」 相手は私が生きて動いていることに一切驚いた様子も見せない。流石の私もここまでくれば大体察しが付く。 「私は……売られた、って感じ、ですか……?」 「正解! さっすが探偵さん!」 ああ……。人生初のリアル推理がまさか……こんなモンとは。絶望しなければならない場面かもしれないが、相手が明るいのとどうしようもなさが相まって、私は開き直り気味だった。その後は簡単な質問で全容が明らかになった。あの事務所、以前から人を生きた人形として売る商売もやっていたそうだ。ああ……。ようやく絶望感といっていい薄暗い感情が湧きおこってきた。地味な調査は嫌だ、非日常的な事件に関わってみたい、確かにそう願っていたけど、まさか……こんな、映画の巨悪みたいな組織が目の前というか、自分の会社がまさにそうだったなんて、誰が想像できるっていうの!? 「あのう、助けてはくれないでしょうか……?」 「ふふっ、だ~め」 金持ちさんは悪戯っぽく笑い、容器を指で弾いた。ああ、ですよね。きっと高いお金払ったんだろうな。私、幾らで売れたんだろ? いいや、知りたくない。 その後、コレクションルームの中央付近に鎮座する大きなドールハウス……いやルームか。そこに私は解き放たれた。淡いパステルカラーで構成されたファンシーな部屋で、小さい女の子の一人部屋って感じの内装だ。勿論、出入り口はない。ドアと窓があるが、そういう風に描かれているだけの壁だった。屋根を外すことによってのみ、外界との出し入れが可能になる。勿論、今の私では中から屋根を開けることはできそうにない。 お金持ちさんは楽しそうに新生活のレクチャーをしてくれた。引き出しやクローゼットの中には可愛い服がいっぱいあるから好きに着ていいよ、と。姿見も設置してあるのでお着替えを楽しめるわけだ。反吐が出そう。 そしてテレビ。ちゃんと放送が見られるし、有料のサブスクにも加入している。暇はそれで潰してほしいと。残念ながらネットや電話はない。外に助けを求めることは不可能。 屋根が閉じられ、私は十分の一スケールで作られた大きなドールルームの中に取り残された。あまりに非現実的な成り行きに、実感がついていかない。私は人形として売り飛ばされて、えーとそれで……監禁された、のか。 周囲を見渡す。可愛らしいパステルピンクの部屋。ベッドもある。およそ監禁という言葉のイメージとは結び付かない監禁だ。 (えっと……どうしよう) こうして、否応なしに私の日常は終わりを告げ、非日常的な新生活が始まった。 最初は一応、脱出を試みようとはした。しかし周囲全ては壁に囲まれていて、外に出ることはできそうにない。ドアも窓もただの絵なんだもの。屋根には手が届かない。足場になりそうなものはベッドだけ。テレビ扱いの小さなタブレットはほぼ床に直置きだから役に立たない。クローゼットと引き出しは接着してあるらしく、いくら引っ張ってもうんともすんともいわない。たとえ屋根に手が届いても、今の私の力じゃ外せないだろうな。仮に外に出られたとしてだよ、逃げられそうにない。ただでさえ広いであろう邸宅を捕まらずに脱出するのは難しそうだ。 悪態をつきながら、私はテレビを見たりお着替えしたりして無為に日々を過ごした。私は人身売買の末監禁されているはずなのだが、可愛い部屋と何も酷いことをしてこない金持ちさんのせいで、まるで悲壮感が出てこない。それが脱出の気を削いでいく。 引き出しの中にはいつか着た魔法少女の衣装をはじめ、可愛い服が満載だった。あいつの思惑通りに動くのは癪だけど、やることがないので、自然と着て遊ぶようになってしまう。鏡の前でポーズをとってみたりして。そしていい歳して少女趣味なコスプレショーに興じている自分が馬鹿馬鹿しい。監禁されてるんだよ私は。こんなことやってる場合? しかし叫んでも人は来ない。外には出られない。テレビを見るか着替えて楽しむかしかないのだ。或いはベッドでゴロゴロするか。 たまに金持ちさんが屋根を開けて様子を見に来る。カメラで私の様子は把握しているらしく、たまにコスプレを楽しんでいる様を弄ってからかわれる。 「昨日のメイド、とっても可愛かったよ~。また見たいな~」 「逃がしてくれたら、着てあげますよ?」 「あははっ、どうしようかな~」 月日が経つと、次第に私は彼に可愛いと言ってもらえることを嬉しく思い始めた。これってあれじゃん、なんとか心理……なんだっけ。忘れた。 このまま染まっちゃダメだよねとは思いつつも、特に酷いことをされるでもなくペットとして可愛がられるだけの生活に、徐々に私は溺れつつあった。働かなくていいし、毎日テレビ見てコスプレして、たまに可愛いとほめられて……。もーこのままでよくない? と悪魔の囁きをする自分、いや脱出しないといけない、あの事務所の悪行を世間に明かさなくてはと訴える自分、二つの気持ちがせめぎあう。しかし結局脱出はできないので、少しずつ私は前者に引っ張られつつあった。 (もうお人形でもいいんじゃない? 大切にしてくれるんなら……) 鏡に映る自分は可愛らしくデフォルメされたピンク髪のフィギュア状態なことがますます私のセルフ洗脳を進めてしまう。圧縮されていない人間の私、二十歳を超えて小学生みたいな服を着てポーズとってる自分の姿が映っていたら、脱出の決意を強めていただろうか。私自身のセルフイメージが、人間・花咲クルミから徐々に金持ちさんのお人形に塗り替えられていく。そのすべてが自然に進行していくのが恐ろしい。彼が何か恐ろしい手段で無理やりそうしているのではなく、ただここで日々を過ごしていくだけで。 お人形ペットとしての暮らしが私にとっての日常となりつつある。このままじゃ近いうちに本当に身も心もお人形になってしまう。可愛いコスプレをしてお金持ちさんに褒めてもらうために生きるようになってしまうんだろうか。恐ろしい。恐ろしいはずなんだけど恐怖心が湧かない。 もしも私が人間に戻れるとしたら……外部から誰かが助けに来てくれた時だけだろうな、きっと。 ヒーローによる映画のような救出劇。そんな非日常への憧れを静かに抱きながら、私は日々の「地味な日常」を過ごす。髪をツインテールに結い、可愛らしいアイドル衣装を身に着け、金持ちさんの帰宅を待つ。そんな地味で退屈な日々を。

Comments

Anonymous

こういう可愛さに慣れて気分が良くなる感じ? とても良いです

opq

コメントありがとうございます。気に入っていただけたなら嬉しいですね。

rollingcomputer

後半のシチュは私に理想的な人形化の話です。すごく楽しみました。

opq

感想ありがとうございます。好みにハマったのなら何よりです。