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「えっ、本当ですか!?」

病室のベッドに足を伸ばして座り込みながら、私は看護師さんの報告に胸をなでおろした。これで引き取り先が見つかった。一人でこんなサイズでサバイバル生活しなくてもいいんだ……。

「よかったですねー、これで安心して退院できますね」

「はい……」

ああよかった。とはいえそこまで安心はできないけれど。一生身長15センチで生きていかなくちゃいけないっていう事実には変わりない。

女性だけが発症する謎の病気、縮小病に罹った私は、特に症状が重く、十分の一にまで体が縮んでしまった。下手すれば人形より小さい体。身寄りのない私は定規よりも短い体で一人暮らしを頑張るか、どこかの施設に行かなければならない運命にあった。しかし15センチで自活するのはハッキリ言って不可能だ。そもそも仕事もないし、あったとして家と仕事場を行き来することもままならない。キーボードやタブレットの操作でさえ全身を使う大運動になるから、在宅で何かをするのもきつい。お風呂に入ることも、トイレに行くことも……。引き取り手のない縮小病患者の面倒を見る施設はいくつかできているが、どこもいい評判はきかない。治療と称して酷い目に遭わされたり、ペットのようにどこかへ売り飛ばされてしまったり。そんな中で私が看護師さんから紹介してもらったのが、ある若い男性の「箱庭」だった。おぼっちゃんの彼は小さいころから箱庭作りが趣味で、大きな広い自作の小さな町に、十分の一サイズまで縮んだ縮小病患者を集めて住まわせているという話。立場と信用のある相手だから酷い目に遭わされたりはしないし、暮らしていくために必要な専用の設備も整っている。看護師さんは自身の伝手で私をそこに推薦してくれたのだ。倍率は高かったが、見事合格となったらしい。並みいる競合に打ち勝ち、私はまともな暮らしができる権利を手に入れたのだ。

十分の一スケールで作られた専用の町。その言葉がどれほど私を、いや同じ病気の患者たちを引き付けるか。90センチや、せめて60センチ程度ならまだいいが、15センチともなると悲惨な話ばかり耳に入ってくる。うっかり家族に踏みつぶされた、蹴り飛ばされて大怪我、いつの間にか猫かカラスにやられて行方不明等々……。湯船やトイレの中で死んでいるケースもあるそうだ。ゾッとする。公園のように広くて高いベッド、巨人のように大きな先生や看護師たちを見ていると、そういう噂は絵空事ではないのだと嫌でも実感させられる。ちょっと前までは同じ人間、今も一応はそのはずだけど、完全に違う世界の生物同士としか思えない。本能が巨人への恐怖を常に警告してくる。縮こまる以外にない。

「じゃ、明日にでも例のクリームこっちで塗っちゃいましょうか」

「えっ? あ、はい、お願いします……」

聞こえているかどうか疑わしい声で返事しつつ、私は大きく首を動かして頷いた。コミュニケーションをとるのも一苦労だ。大声を出すか、身振り手振りを使っていくかしないと中々伝わらない。向こうが巨大な顔を近づけ聞き取ろうとしてくるとどうしても恐怖が勝る。目を走る血管、肌のぶつぶつ、無造作に生えようとしている産毛、すべてが生々しく拡大されて私を圧倒してくる。人間というのはああも汚い見た目をしていたのかと驚くばかりだ。勿論、私もそうだ。しかしもうすぐそれは失われる。あるクリームによって。

箱庭に入るのにあたって条件が一つ。それはフィギュアクリームという肌色のクリームを全身に塗ることだった。本来は名前の通りフィギュア用の製品で、艶出しや汚れの防止に用いる。またクリーム内に配合されたナノマシンが自動的に形状や色合いを読み取り、落ちた色を復活させたり、傷を修復してくれたりする。手垢や汗を始めとする汚れを分解する機能もあり、このクリームを塗れば気軽にフィギュアに触れられるようになるというのがウリだった。この汚れ分解機能に目を付けた誰かが、縮んだ人間に塗ったところ、体をずっと清潔に保てることを発見したのだ。勿論普通の人間ならそんなことにはならない。人形サイズにまで縮んだから、ナノマシンの分解が追い付くのだ。お風呂に入らなくても清潔でいられるのは本当に助かる。この体じゃ一風呂入るだけでも相当に重労働だし、危険も伴う。トイレも同様。股間に厚塗りすれば排泄物も綺麗さっぱり分解してくれるらしい。トイレにもいかなくてよくなるのだ。ただデメリットがあるとすれば、見た目がフィギュアのようになってしまうこと……。


「はーい、できましたよー」

水分が抜け、乾いた私の体に、徐々に色彩が戻ってきた。肌色の塊のようになっていた髪の毛が黒くなっていく。お湯の中に溶かした肌色のクリームに浸けられた私は、髪先からつま先まで、全身余すところなくフィギュアクリームに覆われた。クリームはまるで私を飲み込もうとしているかのように、私の全身に沿ってピッチリと覆いつくし、私の見た目を塗装中のフィギュアのように変えてしまった。まるでCGモデルのような肌色一色の皮膚。全身どこもが同じ色。黒子も染みも、皺もない。これが生きているなんて、人間だなんて信じられないぐらい。そして髪の毛はまるで彫刻かフィギュアのような表現をされているように見える。塊に切れ込みを入れて髪っぽく見せている……そんな感じ。でも手で触れてみるとサラッと分かれる。髪型も普通に変えたりできそうだ。でも見た目はフィギュアの髪。不思議だ。

「ほらー、花咲さん絶対可愛くなるって思ってましたもーん」

看護師さんは楽しそうに言った。鏡に映る私の姿は、まるで中学生の子供のよう。クリームで一色に染め上げられた私の顔からは年齢を想起させるような要素が全てスポイルされてしまい、アニメのキャラクターのような印象を受けるほどデフォルメされてしまっている。元々童顔で小柄だったのと相まって、小さい女の子に見えてしまう。とっくに成人してるのに……。私のコンプレックスを抜群に強調されたかのような仕上がりに、少し心が痛んだ。で、でも……もうこれでトイレやお風呂に行く必要はないんだ。看護師さんの前で小さな容器におしっこを出す必要も、ティッシュの上にウンチする必要もないんだ。設備の整った箱庭にも入れてもらえる。しかし人間の見た目を捨ててフィギュアになることで人間の尊厳ある生活を手に入れられるというんだから皮肉だ。

「あっ、そーだ。私から個人的にこれも」

「なんですか、それ?」

看護師さんはピンク色の液体が満ちた容器を私の前に置いた。

「いいからいいから。退院して花咲さんが暮らしていくにあたってきっと役に立ちますからー」

ハッキリ答えてよ、なんか怖いじゃん……と思いつつ、これも箱庭に入るのに必要なのかな? と思い、私は指示に従い目をつむり、頭をピンクの液体に浸した。

「はーい、もういいですよー」

看護師さんが差し出したきめ細やかなタオルで顔を拭き、私は再度質問した。

「で、これは……」

「はいっ、よくできましたー」

インカメラのスマホが目の前に立ち、そこには鮮やかなピンクの髪を持つ美少女フィギュアが映し出されていた。あっけにとられた表情で間抜けな顔を晒している。

「え……え?」

両手で髪を触ると、スマホの中のフィギュアも同じように動いた。これは私……え? 髪が……。

看護師さんはニコニコと笑いながら私を見下ろしている。私は久しぶりに叫んだ。

「なっなんですかコレ! 勝手に染めないでください!」

フィギュアみたいな容姿になっちゃっただけでも恥ずかしいのに、いい歳して髪をピンクに染めるなんて絶対嫌だ。それにもうすぐ退院して箱庭に行かないといけないのに!

しかし私の猛抗議は一切通じず、彼女は子犬をあやすかのような応対で全て流してしまった。そっちの方が可愛いから、と……。

(う、う~……)

15センチの女性が何を言ってもどうしようもない……。生物としての明確な、本能的上下関係がそこにはあった。私も自分の十倍ある巨人にいつまで本気で抗うこともできなかった。

後日、担当医の先生に訴えても可愛いじゃないか、似合ってるよで終わりだった。そ、そんなわけないじゃん。この歳で、この髪色で……。やはり小さいからだ。それに加えて、今やフィギュアのようにツルツルテカテカとした肌。もはや私は同じ種族の成人女性ではなく、可愛らしい小人かお人形みたいにしか見えないのだろう。自分で染め直そうにも、道具はないし、15センチじゃ用意も不可能。なし崩し的に、私はピンク色の髪のまま退院し、箱庭へと運ばれることとなってしまった。


籠の中で揺られ続けること数時間……。安全対策ということで床、壁、蓋、全て柔らかい素材を張り付けていて外は見えない。私も飛んだり跳ねたりしないように軽く拘束されている。まるで売られるみたいな気分だった。

ようやく蓋が開くと、すでに家の中、箱庭の入り口前だった。相当の豪邸のはずだし、ちょっと外観や中の様子を見たかったなと思う。そこは残念。

しかし主人は中々のイケメンで、優しそうな声色の持ち主だった。使用人さん(多分)が私を籠から取り出し、大きな白い壁の前に運んだ。ドームより大きい白い箱……。勿論、それは私が小さいからで、彼らからすれば二部屋分ぐらいだろうか。いやそれでも相当な広さだよ。これが噂の箱庭に違いない。しかし異質で不気味に思えてしまう。私はこれからずっとこの白い壁と天井の中で暮らすんだろうか。

互いに挨拶と自己紹介を交わし、感謝の意も述べた。彼は可愛いねと言ってくれたが、ピンク色に染めた髪が恥ずかしくて、私は縮こまってしまう。それから私は中で暮らすための注意事項を説明された。他の人たちと仲良くすること、怪我に繋がるような無茶な行動は控えること、物を壊さないように……等々。そしてピンク色の首輪を提示し、嵌めるよう促された。いろいろ管理に使うらしい。居場所がわかるとか。確かに、事故で箱庭外に出て踏みつぶされる、とかは嫌だ。私はシンプルなピンク単色の首輪を装着した。カチッと音が鳴り、首輪は接合部が外れなくなった。勝手にはとれないようになっているらしい。なんかやな感じ……。

「まあ、あとの詳しいルールは中の子たちから聞いてくれ」

子……ね。私含めて全員成人女性のはずだけど。しょうがないか。この姿じゃ。

その後、私は入り口に誘導された。白い壁の中心に、駅の入り口のようなものがある。主人が上部の穴に鍵を入れて回すと、ドアが開いた。ああ……今日からここで暮らすんだ。本当に……。

改めてお礼を述べた後、私は緊張しながら箱庭に足を踏み入れた。本当に駅みたい……というか、駅だよこれ。駅を再現した建物に違いない。目の前には改札機が並んでいる。当然、作り物で動かない。改札機っぽく加工した置物だ。安っぽいプラスチック。

後ろでドアが閉まった。駅の天井の上から鍵が回る音が響く。箱庭は閉じられた。もうここから出られない。

改札を進むと、数人の女性が立っていた。券売機のあるくぼみに座っている。当然、券売機も作り物……というか、あれは絵だろうか。

「ようこそー!」

女性たちは私の先輩、この箱庭の住人達だった。全員、縮小病で十分の一サイズに縮んでしまった人たちだ。全員がフィギュアクリームを塗っているので、まるでフィギュアの国を訪れたかのような錯覚を覚える。最も、いまは私もフィギュア人間なんだけど。

「きゃー、可愛い~」「何歳?」「ふふっ、気合入ってる~」

三人目が私の髪を無造作に撫でる。私は赤くなって硬直した。これは別に……私が染めたんじゃ……。恥ずかしいことに、髪の色はみんな普通だった。黒か茶色、せいぜい栗色。皆アニメみたいなデフォルメ顔とフィギュアのような肌なのに、カラフルな髪色は私だけだった。

(もー、だから言ったのにー!)

いくらなんでも、自由に髪を染められるはずはない……。私は当分、いやひょっとすればずっとピンクの髪のままかもしれない、と思うと気が滅入った。あうう……浮かないといいけど。

そして案の定、全員から子ども扱いされている。元々低身長で童顔だったが、クリームでかなり幼く見えるようになってしまったせいだ。私は小さい声で実年齢と名前、そして聞いてもらえているかわからなかったが、髪の経緯も話した。


駅を抜けると、町があった。同じ設計で色が違う家が通りに沿ってずらりと並んでいる。ところどころに違う建物が挟んであるが、街並みはとても単純だった。天を仰ぐと、そこにはビッシリと映像を映すためのパネルが敷き詰められていた。青空の映像が流れている。

「じゃ、花咲さんのお家いこっか」

長い黒髪を持つ綺麗な人に連れられ、私はだいぶ……歩かされた。一番の新入りだからか、端っこのようだ。箱庭の壁際から三軒目。壁には山の絵が描かれている。

「ここが花咲さんのお家」

青い天井の家は二階建てで、一階と二階にそれぞれ部屋が一つずつ。とてもシンプルな作り。当然だが、トイレだの風呂だのキッチンだのはない。クリーム塗ってるから不要だけど、いかにも作り物って感じの生活感のないプラスチックの家に、私は少し不安を覚える。いや面識もなかった女性にミニチュアの家を無償でプレゼントしてくれるだけでもありがたいんだから感謝しなくちゃ。

一階には何もないが、二階にはベッドとクローゼットがあった。ベッドは実際に寝られるようにできている。

「今日は疲れたでしょう。ここでの暮らしはまた明日説明するからね」

「はい……ありがとうございます」

彼女と別れると、私はベッドに転がった。壁も床も天井も、すべてがプラスチックの家。そして私の手のひらは樹脂のような質感で肌色一色。本当に人形になってしまったみたいだ。そして駅で出迎えてくれた人たちも、案内してくれた人も皆フィギュアのような容姿で、このプラスチックの箱庭世界によく馴染んでいた。私も今日からその一部となるのだ。本当の世界から隔離され、人形の世界に放り込まれたみたい。無性に寂しくなった。身一つでこれからずっとここで暮らすんだろうか。全てが作り物の世界で。いや贅沢言っちゃいけない。私は恵まれた方なんだから。巨人用のリアル住居でサバイバルするよりずっといい生活のはずなんだ。

夜になると先輩たちが大勢おしかけ、私の顔を見に来た。軽い歓迎会のようなものが始まり、私はここの人口が三十人だと知る。学校の一クラスぐらいか……。この先、もっと増えるのかな?

そして、皆がとても大人とは思えない服を着ているのに驚かされる。リボンやフリル満載の少女趣味な服、アイドルのライブ衣装みたいな派手な服、着ぐるみ、可愛らしいデザインのパジャマ……。今私が着ているのは病院で支給された簡素な白いワンピースだが、自分が一番マシに思える始末。ここの服はみんなああなんだろうか。主人さんの趣味? それともまさか皆さんの……。いい歳してこの格好はないんじゃないか、きつくないかと思うけど、皆クリームで美少女フィギュアのような容姿になっているおかげか、ぱっと見は似合っているように見える。うーん。まあ、外界の誰も見てないんだからいい、のかな……?

向こうは向こうで私の髪色に何か思ったらしく、散々弄られてしまった。私は真っ赤になりながら、自分の趣味じゃない、一人の看護師さんの暴走なんだと説明しなければならなかったが、皆ニヤニヤしながら相槌を打つだけで、信じてもらえているかはわからなかった。うう、冗談じゃない。そんな服着ている人たちに年甲斐もない姿の女だと思われるだなんて。


翌朝、隣に住んでいた黒髪の人が起こしに来た。そして私の姿を見て言った。パジャマに着替えなかったの、冷えるでしょう、と。

「あっ、は、はい……」

プラスチックのクローゼットの中には、パジャマが一着入っていた。可愛らしいデザインのピンク色のパジャマが。小学生ぐらいが着るパジャマにしか見えなくて、私は白ワンピのまま床に就いたのだ。あれを着てしまうと先輩方と同じ痛々しい女の仲間入りしてしまうような気がして。……髪をピンクにしてる時点でもうアレだけど。

先輩はパジャマに着替えるよう強く奨励した。そんなペラペラの布切れよりよっぽどいいから、と。主人さんは手先が器用なのと金持ちなので、十分の一サイズとはいえ本物並の着心地なんだから、と。

「う……」

確かに袖を通しもせず拒否するのは不誠実かもしれない。せっかく用意してくれたのだし……。私はピンクの可愛いパジャマに着替えてみることにした。

「わーっ、可愛い。よく似合ってるじゃなーい」

髪と合わせて、私はまっピンクになってしまった。このパジャマを着ていると小学生にすら見える。頬すらピンクに染まる。しかしデザインは恥ずかしいけど、着心地は確かによかった。このサイズに縮んで以来、まともに服と呼べる服を着られたのは初めてだ。正直驚く。縫製もしっかりしていて、まるで本当のパジャマみたい。

「じゃ、これはもう必要ないよね」

「えっ!? あ、ちょっ」

ビリビリと音を立て、白ワンピが真っ二つに裂かれた。私は驚きのあまり声も出なかった。別に思い入れがあるわけでもないけど……勝手に人の服を破るなんて。しかし彼女は一切悪いことをしたとは思っていないようで、こんな服いつまでも着てたら恥ずかしいよと注意さえしてきた。確かに安っぽいペラペラの、服とも呼べない布切れみたいな出来ではあったけど。

「じゃ、行きましょ」

「どこにですか?」

「掲示板。早くいかないといいタスクは取られちゃうから」

タスク? 掲示板なら昨日駅前にあったディスプレイのことだろうと想像つくけど、何かあるの?

「さあさあ」

彼女は私の腕を引っ張り、強引に階段へ連れ出した。

「あっ待ってください、服を……」

「もう着てるじゃない」

「えっ、でもこれパジャマですよね?」

「ええ」

驚くことに、この小学生向け可愛いピンクパジャマで外へ連れ出そうというのだ。箱庭の中とはいえ、流石に体裁というものが……あ、でもクローゼットの中はこれ一着しか……。白ワンピは破かれて……。一階は何もなし……。あれ?

私は、自分の服がこのパジャマしか存在しないことをようやく悟った。これで外に出るしかないのだ。

「な、なんでアレ破いちゃったんですか」

「もー、恥ずかしいでしょあんな服じゃ」

こっちの方が恥ずかしいです、パジャマで駅前に行きたくありません……と思ったが、声が出なかった。小柄な私はスタイルの良い先輩に勝てず、引きずり出されるように外の通りに連れ出されてしまった。

プラスチックと映像の青空が私を出迎える。猛烈な違和感と不安があった。いつか慣れるんだろうか、この世界に。

まるで姉に手を引かれる小さい子供のように引っ張られながら、私は昨日歩いた長い道を再度歩かされ、駅前に連れてこられた。道中の家からも次々とフィギュアのような人たちが現れ、同じように駅前を目指す。派手な格好、アニメのコスプレのような格好の人も多く、次第に羞恥心が和らいできた。私のパジャマは相対的にはマシな部類かもしれない……。


駅前に設置された大きなディスプレイ。元はタブレットだったようだ。木目の板に複数の紙を張り付けたかのような映像が表示されている。紙には一枚一枚、別のことが書いてある。アイドルライブ、箱内清掃、配達、フィギュア……。

「これが今日のタスクよ」

「タスクって……なんですか?」

先輩曰くタスクというのは、要するに仕事らしい。ちょっとビックリした。働かないといけないの? 彼女によると、一日中家の中でゴロゴロしていたのでは体も精神もダメになってしまうから、こういう形で体を動かすこと、外出すること、交流することを促しているのだそうだ。外出って言っても、ここ全部箱庭の中じゃん。まあそれはいいけど。

説明を受けているとアイドルライブの紙が次々と消滅した。

「人気のあるタスクはすぐに取られちゃうから、やりたいものがあるなら早起きした方がいいかもね~」

続けて、ポイントの説明が始まった。紙にはタスクの内容と、報酬の数字が書かれている。タスクを無事こなせば報酬のポイントがもらえる。そのポイントを使って買い物ができる。

「へー……」

設備や用意はあれど、何でも自由に使えるというわけでもないんだ。

「二回つつくと引き受けたことになるから」

へー。でもこれってどうやって管理してるんだろ。誰がどれ引き受けたとか、ポイントとか。先輩によると、それは全部首輪で行っているらしい。あ、そのための首輪だったんだコレ。データ管理の。

そして私は先輩の首輪が黒いことに気づいた。周りを見ると、他の人たちも人によって色が違う。ちゃんと分けられてるんだ。万一外されても混ざらないようにだろうか。

「で、私は早起きして新人指導のタスクをとってきたってわけ」

あ、タスクだったんだ!? 私のためにわざわざ早起きして往復してきたのかと思うと申し訳ない気分になった。いや実入りがいいタスクだったのかも……。

その後、商店街に案内された。プラスチックのお店の中は、やはりプラスチックの置物で装飾されている。ブティックにはフィギュアのパーツや胴体が展示されていて、ギョッとさせられた。自分と同じ質感の肌を持つ胴体。少し感情移入してしまう。

「お店はどこもパネルで注文するの」

実際にここにある服をここで買うというわけではないんだ。パネルにはいろんな服が表示され、値段となるポイント数が表示されている。注文は箱庭の外にある主人さんのパソコンに届く。主人さんたちが箱庭の中に新たに送ってくれるのだ。

「へー……」

手が込んでるなあ。

服や装飾品の他には、家具や娯楽もいくつか注文できるらしい。私は何件もの店を先輩と回りながら説明された。見たい映画や聞きたい音楽があるときはポイントで注文すれば自宅で楽しめるようにしてくれるとか。だから家には何にもなかったんだ。働かせて買わせるために。

私のポイントはゼロ。パジャマ以外の服が欲しいならタスクをこなして注文しなければならない、というわけか……。

私は先輩にお礼を言って、駅前に戻った。掲示板はただの木目を表示しているだけになっている。もうタスクはほとんどとられてしまったのだ。隅っこに一枚だけ残っている。箱内清掃。ポイントは30。多いのか少ないのかわからない。

仕方がないので、私はそれを受注してみることに決めた。二回つつくと表示されている紙が消え、首輪から小さな電子音が鳴った。これでいいのかな?

私は指定されていた清掃場所へ向かって歩き出した。ていうかもう足が疲れてる。ずっと歩いてるな今日。明日にすればよかったかも……。


立ち並ぶ家々の裏。箱庭の壁と家の壁の間のスペースに私は立っていた。ここまで近づくと山の絵がむなしい。完全に絵だと丸わかり。そして人が来ないのか埃も溜まっている。大きな埃が舞、体にくっつく。ものによってはサッカーボールぐらいあり、ちょっと驚いてしまう。それだけ自分が縮んだってことだよね……。

横倒しのロッカーのような箱に、バケツと四角い箱が収納されていた。掃除機は無理としても、箒とかないんだろうか。このサイズで実用できるのは作れなかったのかな。それか掃除なんてどうでもよかったのだろうか。とりあえずこの辺一帯の埃をとればいいのかな。でもどうやって?

箒がない理由はすぐにわかった。足で払うと埃はやすやすと宙に逃げる。これは……手づかみかな。うえー。

私は埃を一つ一つつまんではバケツに入れて蓋をし、ゴミ捨て場へ運んだ。それを延々と繰り返す。これで合っているかはわからないけど、掃除用具がバケツと箱しかないから仕方がない。

天井のパネルが夕方の映像に切り替わる頃、ようやく一軒分の埃を掃除できた。疲れた……。延々と往復する作業。足が棒みたい。首輪から小さな電子音が鳴り、軽い振動が首をつついた。タスクをこなせたってことだろうか。

家に帰ると一階にスマホみたいなものが設置されていた。スイッチを入れると私のポイントや入所の日付などのデータが表示される。30ポイント入っている。映画や音楽の欄もあるけど、何も入っていない。ポイント稼いで買えってことか。ネットには繋がらないのかな? うーん、ダメみたい。箱庭限定の機器っぽい。

へとへとだったのですぐにベッドに横になる。すると埃が舞う。全身埃まみれだった。

(うへー)

これどうしよう。シャワーとか……ないのか。というか、水がないよこの世界。頑張って手で払うしかないか。しかし埃は大きい。今の私たちからすると、いつの間にか視界に入らなくなるような物ではない。……自分で捨てないといけないのか。

掃除タスクが最後まで残っていた理由がわかる。誰もやりたくないよねこれじゃ。まだ着られる服これ一着しかないのに。

明日は別のタスクにしよう。そう誓って私は早めの床についた。


だが、久々の運動に疲れた体はグッスリと深く寝て、目覚ましどころか時計もない無機質な家は私の寝覚めを遅くした。駅前に行くと、もうタスクはほとんど残っていなかった。箱庭清掃と……ぶりっ子暮らし、って何さ。

私は仕方なくまた清掃を受注し、昨日と同じ場所へ向かった。道中先輩と会い、汚れた姿を笑われた。可愛らしいピンクのパジャマも形無しだ。

「まあ、基本埃しかないから大丈夫よ」

先輩はそう言って笑いながら立ち去った。手伝ってくれたりは……ないよね。

また埃をバケツに詰めて運ぶ作業。確かに、これといって「汚れ」がないのは奇妙だった。しかし考えてみれば当然のことで、汗も垢も全てフィギュアクリームが分解してくれるのだから、私たちが箱庭で出す汚れなんてそうそうないのだ。

楽といえば楽、清潔と言えばまあ清潔なのかもしれない。しかし埃を手づかみで掃除する作業は中々に私の自尊心を削った。自分が埃を視界から消せないほどに小さくなっていることを嫌というほど実感させられるからだ。

翌日もタスクはほとんど残っていなかった。今日は……休もうかな。別に毎日こなさなくたっていいんだよね?

同じようにサボりを決めていた茶髪の先輩が私を誘い、他のタスク現場を紹介してくれた。最も人気なのは「アイドルライブ」と「フィギュア」らしい。とはいえ、前者は大体固定メンツだから取らない方がいいと警告されてしまったけど。

箱庭の端っこにあるライブ会場。そこには派手なキラキラ衣装に身を包んだスタイルの良い女性が五人。振付の練習を行っていた。まるでフィギュアが踊っているようで幻想的かつ、どこか不気味な光景だった。

そしてライブ会場のステージは、なんと外を向いている。本番を見るまでもなく察しがつく。これはきっと主人さんたちに向けてのライブなのだ。同じ箱庭住人に対してじゃなく。時間になればステージ奥の壁が開くかなんかして、屋敷の人たちが見に来るに違いない。なんだか見世物みたい。ペットの芸、お遊戯会か。

しかしアイドルライブを受けるだけあり、五人全員見事な美人フィギュアだった。私なんかとは大違い。私は自分が派手な衣装で得意気に踊っているところを想像し、一人赤面した。あの人たちは恥ずかしくないんだろうか。クリームのおかげで若く見えるけど、皆さんもうアラサーなのでは……。いやよそう。ピンク髪の私が言えることじゃない。

それから、気になっていた「フィギュア」のタスクについて先輩に尋ねると、驚くべき答えが返ってきた。文字通り、箱庭の外でフィギュアになる仕事なのだという。一体どういうことなのか詳しく訊くと、フィギュアクリームを使ったフィギュアのポーズを固定する特殊な光があり、それを浴びせるとカチンコチンに私たちは固まってしまうのだとか。それでポーズをとらせた状態で固めて、日中お屋敷のどこかに飾られるのだ。

(そ、それじゃあ本当にお人形じゃん)

動くことも喋ることもできない状態で、しかも可愛くポーズをとらされて……拷問としか思えないけど、何もしなくていい楽な業務の上実入りもいいから人気なのだとか。

まあ確かに、楽かもしれないけど。想像すると怖い。一切自分の意志で動けないだなんて。ただでさえ見た目完全にフィギュアなのに、動きすらできないんじゃ本当にフィギュアそのものだ。万が一、何かの事故で元に戻すのを忘れられたり、盗まれたりしちゃったらどうなるんだろう。一生そのまま、動くことも喋ることもできない状態でただのフィギュアとして生き続けなければならないんだろうか。ゾッとする。きっと誰も人間だなんて気づきもしないだろう。

他にもうちょっとバランスのとれたタスクはないんだろうか。明日こそ早起きしよう。……ていうか目覚ましとかないのかな……。


次の日は寝過ごさずに済んだものの、タスクの説明文を読んでいる間に次々とられてしまい、また清掃しか残らなかった。やっぱり安全と楽さが両立されているタスクは人気で、すでに理解している住人たちにすぐに取られてしまうのだ。

仕方なく掃除を受け、私はトボトボと箱庭の隅っこへ歩き出した。また埃運搬の始まりだ。

家の裏手を掃除していると、たまに中の音が聞こえてくる。映画を見ているようだ。暇なら手伝ってくれればいいのに。のんびりと映画を見ている人の家の裏を一人で黙々と掃除するのは少々辛かった。

そんなこんなで、箱庭の中の生活は一日一日と過ぎていった。相変わらず私はほとんど箱内清掃タスクしか回してもらえず、パジャマはすっかり作業着の風格を醸すほど埃が染みついてしまった。

そしてそんな私を見て、すれ違う先輩たちはクスクスと笑ったり、労いの言葉をかけてきたりするのだが、そこには明らかに見下しの感情がこもっていた。新人の上子供体型の私はヒエラルキー最下位なのだ。

入所前は同じ病気の人同士、悩みを分かち合えたりできるかなと夢想していたけど、人間というのはどこへ行っても、どれだけ縮んでも人間なのだということを思い知らされる。30人もいればそこには人間関係があり、色々な派閥や同調圧力が生まれるのだ。アイドルタスクはヒエラルキートップの特定五人のためにあり、例え掲示板に残っていても取ってはならないのだという暗黙の了解がある。まあ、すでに五人のアイドルグループが出来上がっているのに曲も振付も覚えていない女が突如割り込んでもしょうがないというのはその通りかもしれないけど。主人さんに顔をバッチリ覚えてもらい、毎日のように交流できるのはその五人だけの特権と化していることに、すっかり納得できるかというとそうでもない。他の人はいい歳して恥ずかしい服を着て、ポーズまで決めた上でその醜態を時間ごと保存され、物言わぬフィギュアとして廊下や書斎に展示されることしかできないのに。

そしていつの間にか、私には「清掃係」の役割が与えられてしまっていた。朝タスクを取りに行くと他の人たちから「お掃除ご苦労様」「毎日ありがと。本当助かってるわ~」と先制パンチをもらう。ハッキリと強制された・されるわけではないものの、清掃タスクをとることを無言の圧力で強要される。一番の新人、小柄な童顔という立場の悪さから、私は渋々周囲の圧力に屈して箱内清掃タスクを選択してしまう。そしてますます「花咲クルミちゃんはお掃除係」というイメージを強くしてしまう。悔しいし惨めだけど、一度つけられてしまったレッテルとキャラクターは中々払底できるものではない。こうなりたくなかったから誰も掃除タスクをとっておらず、いつも最後まで残っていたのだ。気づくのが遅かった。

たまに勇気を出して違うタスクをとってみると、やはり空気がざわつくし、「『たまには』それもいいわよね~」等とチクチク刺してくる。私には何が何でも掃除を押し付ける、そういう空気が出来上がってしまっている。私なんぞに閉鎖空間で人間関係を壊す胆力はなく、結局同調圧力に屈して私は再び掃除タスクをとるようになってしまう。そんな生活だった。たまったポイントも中々使う気になれない。誰が何を買ったかほとんど全て把握している人がいて、教えてもいないのに「あれ、着てないの?」とか「何とかさんの演技よかったよね~」とか聞いてくるし。いちいちチェックしているのだろう。やな感じ。それに、結局埃まみれになってしまうからどんな服を買っても専ら部屋着だった。外に着ていくのは最初からあったパジャマだけ。なんだか逆転してしまっているけど、しょうがない。あんまりお洒落すると嫌味も言われるし。


毎日箱庭の掃除をしながら過ごしていたある日、私は主人さんから呼び出された。箱庭内にはカメラが多く設置されていて、私が掃除を頑張っているところは意外にも見られていたらしい。賞賛を受けた私は嬉しいやら恥ずかしいやらで彼の顔を直視できなかった。

そして箱庭に戻るとなぜか箱外の会話だったのにすでに漏れていて、アイドル五人組にチクチクと嫌味を飛ばされた。媚び売り、生意気、良い子ちゃんぶってる、明言はしないがそういうニュアンスだった。吹き飛んでいた疲れが舞い戻り、私はすごすごと自宅に引き返した。

それからしばらく経って、一挙に四人もの新人が箱庭内に姿を現し、私たちの度肝を抜いた。いや厳密には新人ではない。なぜなら、彼女らは人間ではなかったからだ。私たちと同じ等身を持つロボットフィギュア。全員が同じデザインのメイド服を着て、水色や白色、金髪といったカラフルでボリューミーな髪を持つ、まさにアニメキャラみたいな四人……いや四体。

それらは箱庭内の掃除やメンテナンスを行うためのロボットなのだという。高性能なAIと学習能力があり、将来的には様々な雑務にも対応予定だとか。

そして、なんとその四体の指導に私が指名された。清掃のやり方を教えてほしいというのだ。周囲は口々に私を褒めて主人さんの決断を称えた。掃除と言えばクルミちゃんだよね、さすがよく見てますね、わかってますね、等々……。媚び売ってるのはどっちだか。

「わかりました……」

しょうがない。断るわけにはいかない。それに今後掃除はこの子たちがやってくれるようになるっていうなら、願ったりかなったりだ。私もいい加減違うタスクがしたいし。アイドルライブとかは無理だけど!


私のあとをついて四体のフィギュアがぞろぞろとついてくるのは異様な体験だった。今日の清掃箇所に連れてきて、埃の取り方……バケツに入れて蓋をするだけだけど、やり方を教えた。ゴミ捨て場の場所も。それから、箱庭内の損傷や塗装の剥げを見つけた時は駅の伝言板で報告するよう言ったが、彼女たちは無線で直接報告できるのでいらないらしかった。便利だな。それどころか、目の前で再塗装を開始した。

(おお……)

流石は主人さんが満を持して自信たっぷりに投入してきただけのことはある。ていうかこれ私が教える必要ある? 埃の溜まりやすい場所とか、溜まる時間間隔とか、それぐらい?

極めつけは、彼女らが白い長手袋をかざすと、埃が次々と浮き上がり腕に吸着していく様を見せつけられたこと。電気で埃を吸い取っているらしい。今までの私の苦労は一体……。

(便利だなぁ……)

よほど羨まし気な顔をしてしまっていたのだろうか、ロボットの一体が言った。

「花咲様もこの機能をご所望でしょうか?」

「えっ!? いや、私は……」

確かに便利だけど、私はロボットじゃなくて人間だから、機能追加とか無理だし。ていうか清掃はこれからあなたたちがしてくれるんでしょ?

ところが彼女によると、埃の電気吸着は手袋の機能なので、私も同じ手袋を装着すれば使えるらしい。

「ほんと? すごい……けど、私は別にそんな……」

ピンクのパジャマの袖をめくり、肘まで覆う長手袋をはめた自分を想像すると流石にダサくて。これまで以上に馬鹿にされそう……。いやいや、だから私はもう掃除しないんだってば。

「私はいいかな……。もう掃除すること少ないだろうし……」


以後、私は掃除タスクから解放された。とはいえ他のタスクをやろうにもまだ許されてない空気だから取りづらい。そして、四体のメイドロボットたちは私をリーダーだと思っているのか何なのか、いちいち指示を仰ぎに来る。今日は何時からですか、どこを掃除すればよろしいでしょうか……。その辺の判断こそ私が教えなければならないことらしく、私は毎日どこへ行ってどれぐらい掃除すればいいのか判断して指示しなければならなかった。大変。周囲は面白がって私を隊長と呼び出し、いつの間にかメイドたちもそれを学習してしまった。

「おはようございます隊長。東地区の清掃を開始してよろしいでしょうか」

「うん……いいよ。いちいち聞かなくても」

隊長って言うのやめてほしい。恥ずかしいし。

掃除業務から解放されたのはよかったけど、代わりにポイントが貯まらなくなってしまった。タスク数が増えたわけじゃないから結局私の分はないのだ。私の役割がこの箱庭から消えてしまっただけ……。あんなに嫌だったのに、解放されるとそれはそれで寂しくなってしまう。

そんな心情を知ってか知らずか、新しい服が届けられた。注文した覚えのないメイド服が。ロボットたちと基本は同じだけど、リボンとフリルの多い可愛らしいアレンジが施されている。私がメイド服の機能を欲しがっているという報告が主人さんに届けられていたのだ。そ、そんなつもりじゃなかったのに。

しかし主人さんの気持ちを無下にするのは忍びない。家で一人で着てみるだけなら……。私は一階のドアを閉め、二階に駆け上がり、ひっそりとメイド服に袖を通してみた。予想通り、ピンク髪の可愛らしいメイドフィギュアのようになってしまった。このメイド服は普通の服とは違い、質感が樹脂っぽい。最初からこの格好で成形されたフィギュアのようだ。

「隊長。髪飾りが残っています」

「ふぇっ!?」

いつの間にかメイドロボットたちが上がり込んでいた。彼女らはカチューシャと大きな白いリボンも装着するよう勧めた。

「い、いや、これはちょっと着てみただけで、そんな……」

「お手伝いします」

「えっ!? ちょっと待っ……」

日ごろずっと「いちいち指示聞かなくていいから」と言っていたせいか、彼女らは勝手に私を拘束し、髪の仕上げを始めてしまった。ロボットたちの強い腕力に抗えず、私はなされるがままロボットのお人形となった。

「とてもよくお似合いです、隊長」

「~っ」

長い箱庭生活のうちに、背中まで伸びていた長いピンクの髪。それが今や漫画のように大きな白いリボンでツインテールに結われてしまった。こ、この歳でこの髪型は……それもピンクて。

「では、本日の清掃に向かいましょう」

「えっ、わ、私も!? なんで!?」

この格好で外に出たくない。せめて着替えてから……と思ったが、強く掴まれた腕を振りほどくことはできず、あっけなく通りに連れ出されてしまった。

「あ~」

ロボットたちと同じ……いやそれよりさらに可愛らしく装飾されたメイド姿で外に出るのは死ぬほど恥ずかしかった。しかもツインテ。案の定、すれ違う人たちから嘲笑込みの賞賛を受け、人だかりができた。

「可愛い~、似合ってる~」「花咲さん、ほんとに皆の隊長機って感じ!」「馴染んでるー」

もうっ、やめてよ。着たくて着たんじゃないのに。いや着たのは私だけど!

皆を振り切り、清掃場所へ向かう。清掃は驚くほど楽だった。腕に吸い付く。そのまま運べる。そして、樹脂みたいなメイド服は埃を寄せ付けない。埃がすっかり浸透し絡みついているあのパジャマとは違う。どれだけ掃除してもテカテカとしたままだ。

「お気に召したようでなによりです、隊長」

「いやっ、別に……」

気に入ってなんかないし。便利ではあるけど。

帰りに駅前を通りかかったので、私は構内の鏡の前に「部下」たちを連れて行った。自分の姿が見たかった。そこにはフィギュアのような容姿を持つ五体のメイドロボットが映りこんでいた。

(あれ?)

私は数秒間、鏡の中に自分がいないと思った。カラフルな髪を持つメイド軍団の中の一体が自分だと認識できなかったのだ。かあっと顔が赤くなる。想像以上にハマってしまっている自分が情けなかった。この箱庭の中では、皆フィギュアみたいな見た目をしている。だがアニメみたいなカラフルな髪を持つ人はいなかった。自分を除いて。四体のメイドロボットがカラフルでボリューミーな非現実的な髪をしているのは本当の人間である住人たちとの差異をわかりやすくする意図もあったに違いない。だけど私は……。鮮やかなピンクのツインテールをぶら下げている私は、完全にメイドロボットのうちの一体にしか見えなかったのだ。溶け込んでいる。そのものだ。まるで自分がロボットになってしまったかのようで、まったく惨めな光景だった。そりゃみんな笑うはずだよ……。

「きょ、今日は解散ね。お休み!」

私は小走りで家に帰り、メイド服を脱ぎ捨てた。乳首も股間のアレコレもないマネキンのような裸体が露になる。ほんとに人形みたいだ。いつものパジャマに着替えるも、かなり汚らしく感じてしまう。綺麗な新品の服を着たばかりでこの汚れ切った「作業着」では……。でもこれ以外ないし……。いや、本来のパジャマとしてならメイド服を使ってあげても……。

私は再度メイド服に着替えた。そして、そのまま寝ることに決めた。着心地いいし、綺麗だし。今日からはこれをパジャマとしよう。ピンクのパジャマは外に行くとき着る作業着で……汚いなあ。惨めだな……。いやだからといってまたメイド姿で出るわけにも……。気に入ったと思われちゃう。けど汚れたパジャマも相当惨めに見える。うーん……。


「隊長、おはようございます。今日は南区の清掃を行います」

「え?」

朝。どうせタスクは取れないのだからとのんびりしているとメイドロボたちが迎えに来た。

「私はいかないから、勝手に……」

「それでは失礼します」

「えっ、ちょ」

四体のロボットに手足を掴まれ、再び私はメイド一式を完全装備させられてしまった。肘まで隠す長い白手袋、ニーハイソックス、そして現実ではありえないサイズのリボンで結われるツインテール。寝起きのままメイド服でいたせいでやる気があると思われてしまったかもしれない。

「だから私は行かないってば!」

しかしなぜかこの命令だけは聞いてくれず、今日も私は清掃先に連行された。周りからはすっかりメイド姿がお気に召したと誤解されるし、ポイントなしで働かされるし、散々だった。

その日はピンクパジャマで寝たのだが、メイドロボたちは翌朝も押しかけ、私をメイド服に着せかえた。ロボットに着せ替え人形にされる屈辱に耐えながら、私はズルズルと現場まで連れていかれ、いつものように手伝わされた。もうやだ。ひょっとして私と一緒に清掃するという風に学習しちゃってるんだろうか。困ったなあ。

というかそもそも、教育係を主人さんに頼まれただけで、私に指揮権も何も最初からなかったのだ。そのことに気づかされたあとは観念して、私は大人しくメイド服を着て、自発的についていくようになった。ロボットたちに毎朝子供のように万歳させられて着替えさせられるよりマシ。タスク受注しておけばポイントも入るし……。

そういうわけで、メイドロボットたちに混じって清掃を行うのが私の日課、いや仕事となった。作業自体は以前より楽になったからいいんだけど、自分がロボットの仲間になってしまったかのように感じるのが新しい問題点だった。カラフルな髪を持つメイドはこの箱庭で私と四体のメイドロボだけ。周囲からは区別がつかないだろう。よく「五体のメイドロボット」として扱われ、からかわれるし。次第に反論するのも億劫になり、私は自嘲的にメイドロボ隊長機を名乗ってやることも増えた。


ある日、とうとう人間の新人が来た。

「落葉銀子です、よろしくお願いしまぁ~す!」

私とは違う社交的な女性で、あっという間にヒエラルキー上位のグループに仲間入りを果たし、私はほとんど話す機会もなかった。別にいいけど。

そんなある日、彼女と道ですれ違った時のことだった。

「あーちょっとちょっと、私のお家掃除しといてくれない?」

は? なんで?

突然のことにキョトンとしていると、信じられないことが起きた。私の体が自発的に動き、背を曲げ言葉を発した。

「わかりました」

(……え?)

顔を上げたときには彼女はもう歩き去っていた。今……なに? 今何が起きたの? 体が勝手に動いて……あれ?

とにかく、彼女の家の掃除なんてする必要はない。私先輩だし。ていうかなんでいきなりこんな失礼な頼みを……あれれ?

体が勝手に回れ右して、私は彼女の家に向かって歩き出していた。

(ちょ……ちょっとどうなって……)

途中で他のメイドロボと会ったので助けを求めようとした。ところが口から出たのは落葉家の掃除を手伝うように、という指令だった。

「わかりました、隊長」

(違うっ、私が言いたいのは……っ)

しかし、何故か手足も口も言うことをきかない。私の体なのに私のものじゃないみたい。すぐ落葉さんの家にたどり着き、昨日の宴会の片づけをさせられた。

(ど、どうなってるの? どうして私が?)

ダメだ。体が言うこときかないよお。ずっと勝手に動き続けてる。こんなの初めて。

帰宅する落葉さんとすれ違った際、私に何かしたのか訊こうとしたが、私は再び腰を折り曲げて掃除完了の旨を告げるだけだった。

(うっ……! ま、また体が……!)

「あんがとー。じゃあねー」

うう……一体どうなってるの。一つわかったことは、多分彼女は私のことをメイドロボだと勘違いしているのだということ。そうでなければこんなこと言ってこない。歓迎会の時に自己紹介はした記憶があるんだけどな。最も、それ以来接点なかったからしょうがないか……な? 「カラフルな髪のメイド服着てる子はロボット」という認識だけはあるのだろう。確かに概ねそうなんだけど、私は人間だ。ピンクのツインテでメイド服着てるけど。しかし私は彼女の命令に従ってしまった。一体どうなっているんだろう……。


その日、家に「部下」たちを呼び寄せて確認した。今日私は落葉さんの命令に勝手に体が動いてしまったけど、何か知っていたら教えて、と……。

「はい。隊長は正常に動作していると思われます」

「はあ? いやそうじゃなくて」

正常に動作って何さ。まるで人をロボットみたいに。確かに同じような服着て同じ仕事をやってきたけど。

「あのねっ、私はメイドロボット隊長機の……えっ」

自分の口から出た言葉が信じられなかった。おかしい。今確かに、私は人間だと言ったつもりだったのに。

「わた……私は……箱庭清掃用のロボットだよね?」(私は人間だよね?)

「はい。隊長は隊長機です」

「……っ!」

もう汗は流れないのに、全身に嫌な汗が噴き出すような感覚があった。変だ。私の体……言動に何かが入り込んでいる。知らず知らずのうちに、操られている。メイドロボットを名乗るよう、そういう風に動くように……。だとしたら原因は何? 落葉さんがハッキング……いや、私は人間だ。そんなこと不可能……みんなと一緒に行動してたから? いやもっと物理的に何か……。私はもじもじと弄っていた自分のスカートに目をとめた。メイド服を脱がなくなってからどれぐらいだろう……まさか。

「み、みんな。この服の機能を全部教えて」

すると驚くべき答えが返ってきた。埃を吸い取る機能、弾く機能だけじゃなかった。これにはメイドロボの修復機能も備わっていたのだ。まさか……ひょっとして私、いつの間にか体をメイドロボとして「修復」されていたの!?

急いで服を脱ごうとした。だが不可能だった。いつの間にかドレスも手袋も、カチューシャやリボンまでもが体と一体化したように張り付き、まったく脱げなくなっていたのだ。皮膚と服の間に一ミリの隙間もできやしない。まるで皮膚そのものと成り代わってしまったみたいだ。

「そ、そんな、やだ、やだよ。皆、これを脱がせて。手伝って」

「隊長。我々にそのような機能は備わっておりません」

機能? 散々私の着せ替えしてたじゃない、どういうこと……。いや違う。メイド服は体と一体化している。脱げないんだ。そういう風にできてないんだ。悪寒がする。私は呼吸が乱れた。いつの間にか私もそうなってるってこと!? もうこのリボンやフリル満載のメイド服が脱げないの!? 永遠に!?

「ま、待って。連絡を……」

主人さんに連絡しよう。それしかない。


翌日、私は駅の伝言板へ向かった。外部と連絡をとるにはここしかない……のだが、何故だか手が止まる。メッセージを入力しようとすると、急に手が動かなくなってしまう。

(な、なんで……どうして)

「隊長。この伝言板は人間専用です」

「はぁ!? 私もロボットよ!」

思わず声を張り上げた。そんな。もう手遅れなの? 私、いつの間にかロボットになっちゃっていたの!? そんな馬鹿なことって……。しかしどれだけ時間をかけても、私は伝言板の前でクネクネしていることしかできなかった。そのうち他の人が来て、邪魔だからどくよう促される。瞬間、私は背筋を伸ばし、その命令に従ってしまった。

(あ……そんな)

私はこの箱庭の住人たちの命令をなんでも聞くようにされてしまっているらしい。他のロボットたちがそうであるように……。まずい。こんなことがバレたら私は……。

だが願いむなしく、私の変身は全員の知るところとなった。ハッキリと野次馬に来たり正面から茶化してくるようなことはないが、誰も彼もが他のメイドロボットたちと同じように私に接し、命令を出すようになり始めた。そして私は従順に腰を折り曲げ、それに従ってしまう。

「わかりました」(や、やめてお願い。気づいてるんでしょう? 助けて!)

しかし皆はニヤニヤしながら私を雑務に使うだけ。露骨にやるとカメラや音声で主人さんにバレてしまうからだろう……。酷いよ。皆私が人間だって知ってるはずなのに。……落葉さん以外は。その彼女はどうやら本当に私をロボットだと思っているらしく、嫌味なく私を使う。皆に奴隷として使われるのも屈辱だけど、完全にロボットだと看做されているのも別種の恥辱があった。

(わ、私はロボットじゃないんだってば!)

しかし、それを訴えることはできない。自分はロボットだという言葉に置き換えられてしまうから。

ど、どうしよう。まさかこのままずっと、箱庭の中でメイドロボットとして生きていかなくちゃならないだなんて、そんなことは……ないよね? ね?


しかし、事態はますます悪化するばかり。主人さんが気づいていないようだと察すると、次第に皆エスカレートしていった。命令に従う時はスカートの裾をもってお辞儀することを指示され、私はそのふるまいを身につけさせられた。「花咲さんはもっと可愛い声で喋ってもいいよね~」「ね~」ということで、次第にキンキンのアニメボイスで喋るようにされてしまったり……。その間も体のメイドロボット化は進んでいるのか、自分の意志で手足を動かすことも、喋ることもできなくなっていった。あああ……どうしよう。気ばかり焦るけど、どうにもならない。日に日に言うことを聞かなくなっていく体、悪くなる扱い。このままじゃ本当に私……。やだよ。ただでさえ十分の一にまで縮んじゃって、世間じゃ生きられなくなってこの箱庭にやってきたのに。その箱庭でさえ人間ではいられず、奴隷ロボットにされてしまうなんて……。だが伝言板は使えないし、上手く動けないし、打開策はない。焦燥感ばかりが募る中、私はピンク色のツインテールを持つメイドロボの隊長機として、掃除と雑務に明け暮れることしか許されなかった。



「初めましてー、今日からよろしくお願いしまーす」

「いらっしゃーい。ようこそー」

「あ、初めまして」

「あー、そっちはロボットだから」

「え? そうなんですか、あはは、私てっきり……」

「メイド服着てるカラフルな髪の子はロボットだから、何か用事あったら頼むといいわ。ちなみにピンクのツインテの子が隊長機」

「へー、隊長機とかあるんですねー」

「ふふふっ……。まあね、とっても素直で可愛い子だから、あとで紹介してあげる」

Comments

Anonymous

Hm... Being shrunk and being turned into a Maid Robo from the outfit. This is interesting take on both concepts.

opq

読んでいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら嬉しいです。