人形部の話 (Pixiv Fanbox)
Published:
2021-10-07 15:36:45
Imported:
2023-05
Content
「ほ……本当に大丈夫なの?」
「へーきへーき、バレないバレない」「先生可愛いから大丈夫だって」
自分の何倍もある巨大な人間たちが私を取り囲む。巨人たちが見下ろすことによって生じる圧は、いともたやすく私から反抗の気力を削ぎ落す。大きな顔は肌の細かな粒粒までよく見えてしまう。人間の肌ってあんなに汚いというか、色彩豊かなのだということを知る。それに対して、今の私は……。じっと自分の手を見る。樹脂のような質感を持った肌色一色の肌。周囲の皆とは違い、それ以外の色は一切使われていない。フィギュアのような肌。部室の照明を照り返す光沢。そして顔はさっき見せられた通り、デフォルメされてしまっていて、私の顔の細かな特徴はかなりスポイルされてしまっている。これが圧縮というやつなんだろうか……。なんかのアニメキャラのフィギュアだと言えばだれもが納得するだろう。だからこそこんな事態になっているんだけど……。
事の始まりは落葉先生に持ち掛けられた相談。聞くんじゃなかった。適当な理由をつけて断ればよかったのだ。でも……まさかこんなお願いだなんて想像できないじゃない。
私たちが務めるこの中学には人形部という部活がある。人形やミニチュアの制作を行うのが活動内容で、いろんなイベントに作品を出展もしているらしい。今度の2月に行われる学生イベントにフィギュアを1体出展する予定だったらしいけど、それがうっかり壊れた……いや、部員たちによると落葉先生が壊したらしいが……ので、急遽代わりの作品を用意しなければならなくなった。しかし時間的に高クオリティの作品を用意するのはもう不可能。そこで落葉先生はとんでもないアイディアで自らの過ちを帳消しにしようと試みた。同僚の私をフィギュアとして展示するという策に……。
落葉先生は人形部の顧問。最も顔出してるところは見たことないけど。そして理事長の孫でもあり、この辺では有力な一家の生まれなのだ。誰も正面切って落葉先生に逆らうことはできず、私も学年主任の先生からもお願いされてしまった。どうか彼女のわがままを聞いてやってくれないか……と。先生の手前引き受けてしまったものの、今は後悔している。私の体、こんなチャチくなってしまって……。本当に大丈夫? 元に戻れるの? 死なないよね? 後遺症とか……。
そもそも、人間をフィギュアにするなんて信じられない話だ。だが彼女はお家の力を使ってそれを可能とした。知り合いが勤めている会社の研究室に招かれ、私は巨大な電子レンジのような機械に入れられた。裸で。そこでは生物を「圧縮」する技術の開発を進めているらしい。本来は食べ物の保存に使うものだそうだ。圧縮した野菜や肉は、小さなプラスチックの玩具のような姿になって出てくる。その間、腐ることも成長することもなく、半永久的に圧縮時の状態を維持し続けることができるはずという、なんとも大層な実験だった。それを人間に使ったらどうなるか。それが今の私。「圧縮」された私は身長が10分の1まで縮み、肌はフィギュアのようにツルツル、体毛は髪と眉毛を残しゼロ、そして乳首も秘所も肛門も消滅してしまい、多くの情報量を失った圧縮人間として出力されてしまったのだ。髪の毛もアニメキャラのように一塊の樹脂に切れ込みを入れて表現したような物体となっている。だが不思議なことに、触ってみると普通の髪のようにサラリと別れるのだ。縛って髪型を変えることもできる。見た目と中身の不一致ぶりは中々慣れない。
圧縮されている間、私は年を取らない。それどころか、お腹がすくこともなく、トイレに行く必要もない。体から汗や汚れが出てくることもないので、お風呂に入らなくても問題ないと説明を受けた。私は圧縮されたレタスや牛肉と同じように「長期保存」されているということだ。この説明を受けた時、何とも表現しがたい不快感が私を襲った。私は食品と同じなの?
「良いじゃないですか不老不死~。羨ましいぃ~」
落葉先生はそう言って私をからかい、虫取りの籠に私を入れた。がたがたと大きく揺れ、あちこちに体をぶつけながらも、私は心中で彼女を罵った。じゃああんたがやればよかったじゃない。顧問だし、自分で壊したんだからさ。この人はいつもそうだ。家の権力を笠に着て、面倒ごとは全て周りに押し付ける。
小さなお人形になった姿で生徒たちの前に立たされると、その恥ずかしさと惨めさで、私は逃げ出したくなった。やっぱ受けるんじゃなかった、こんな馬鹿げたこと。もう完全に生徒たちに玩具扱いされている。元に戻った後も相当からかわれるんだろうな。写真も撮られちゃったし……。
「じゃー先生、これ着てみて」
部員の一人が持ち出した衣装。ピンクのドレスに長い白手袋。これで展示されるらしい。うっそー。この歳で生徒たちの前でこんなまっピンクのドレスを……? しかも、フィギュアとしてその姿で展示されるだなんて、冗談じゃない。
(いや……でも……)
周囲の棚に飾られている美少女フィギュアを眺めた。いかにもアニメって感じの派手でエッチなコスチュームばかり。あれよりはマシかな……。今や同じスケールとなったフィギュアたちに、私は仲間意識みたいなものを感じてしまう。肌の作りも似てるし、顔も……私もあんな感じになっちゃってるし。「圧縮」された結果、デフォルメされたのと同じような効果を生み出し、結果的にアニメキャラみたいな顔になってしまっているのだ。動かないという一点を除き、彼女たちと私にもはや違いはなかった。あんな恥ずかしい服着せられて可哀そうに、なんて思ってしまう。ただの樹脂の塊なのに。
(そういえば……)
展示されている間、私はどうやって誤魔化せばいいんだろう? 動いていいの? それとも彼女たちのように動かないでいるの? だとしたら大変だ。ずっと同じポーズを保ったまま3日間もジッとしているなんて、プロのパフォーマーでもなければ不可能だ。
着替えながらその質問をぶつけると、落葉先生が答えた。確かに大変だけど、頑張ってほしい……と。
「そ、そんな……」
そこまで考えなしだったとは思わなかった。絶対バレるって。生きたフィギュアなんて大騒ぎになるに決まってる。やだなぁ、見世物になるのは……。もう二度と表を歩けない。いや、名前さえ出なければ……。私の顔はデフォルメされているから人間・花咲クルミとは繋がらないかな……?
「あ、そうだ!」
部員の一人が声を上げ、部室から出ていった。その直後、着替え終わった私はダンボールの簡易更衣室からテーブルに姿を現す。「おーっ」とどよめきが起こり、私は顔が赤く染まるのを感じた。俯いていると「先生かわいいー」「似合ってるー」と女子生徒たちから黄色い歓声が上がり、私はまずますいたたまれない気持ちで目をあっちこっちに泳がせた。
「はいこれ! 自己暗示水!」
出ていった女子生徒が戻ってくると、私の前に霧吹きのついた瓶が置かれた。一見、香水のように見える。彼女曰く、これは発表会や大会等の大きな舞台に上がる際、緊張を和らげ自信をつけるために使う香水だという。これを自分に吹きかけ、同じ言葉を3回唱えれば自己暗示をかけることができるらしい。自分は緊張しない、とかうまくいく、と暗示をかけるわけだ。んー、でもいくら自信をつけたところで3日間のパントマイムが成功するとも思えないけど……。
「まーまー、やってみるだけ損はナシでしょー」
まー、それもそっか……。生徒の好意を無下にするのも悪いし、私は当日……つまり明日、それを使うことを承諾した。ていうか、私の十倍ある巨人に笑顔で迫られると断りようがない。生徒相手に小さな子供みたいに縮みあがっている自分がみっともなくて居心地が悪かった。ドレス姿も相当に恥ずかしいし……。写真を出回らせないよう注意はしたけど、無駄だろうなあ……。元に戻っても教師としての威厳はかなり下がってしまいそう。
当日。ドレスアップして髪も整えてもらった私は、ガラスケースの中に運び込まれた。動いているところが周囲から見えないよう、生徒たちがぐるりを囲んでいる。かえって怪しまれないかな? いいか別に。よそも自分とこの準備に忙しそうだ。
「それじゃ先生、ポーズとって」
「あ……ええ」
つい一昨日まで教師と生徒だったのに、もう誰も私に敬語を使わない。注意すべきだろうけど、このサイズにこの格好じゃ立場なしだ。
私はドレスの裾を持ち上げ、ぎこちなく笑顔を作り上げた。これから3日間……開館中はずっとコレ? やっぱりキツイよ無理があるよ。
「じゃー先生、これも」
昨日見た暗示水がそっと私の顔面に突き付けられた。ただのプラシーボ、効果なしってネットでは散々な評価だったけど、まあ気休めにはなるだろうか。が、薄ピンク色の煙が勢いよく顔面に吹き付けられた結果、私は姿勢を崩してむせた。
「……んっ! げほっ!」
「あ! ちょっと先生! ポーズポーズ!」
私に心配しなさい。と怒鳴りたいところだけど、周囲には人がいる。私は息を整えながら、再びポージングをとった。全く、勢いよく出し過ぎでしょ。それも大量に……。いや、私が小さいから相対的にそう感じるだけか。きっと普通の人ならあれで適切な1回分の量なのだろう。……だってみんな私がむせたのが意外、悪いみたいな空気を醸してる。
「動かない、って3回」
ああ、そうだっけ。3回ね。
「動かない、動かない、動かない……」
霧が晴れてしてケースの中がすっかり綺麗になると、みんなが離れだした。
「それじゃ先生、よろしくね」「頑張ってねー」
口々に皆そう言ってケースから離れていく。もう周囲から私は丸見え。ジッと黙ってフィギュアを演じ続けるしかない。
(はぁ……)
隣のケース内には他校の人形が飾られている。あれと同じように、私はフィギュアとしてケースに飾られているのか……ドレス姿で。想像すると恥ずかしくて身悶えしそうになる。何やってるんだ私は……こんな馬鹿なことを。他校の子たちも、まさか生きた人間がフィギュアに化けて展示されているなんて想像もしないだろう。
しばらくすると、よそも大体準備が終わり、皆は会場内を練り歩きながら他校の展示を見物しだした。もうずいぶん長いことここにいたような気がするけど、これからようやく本番なのかと思うと気が遠くなる。大丈夫だろうか……。
生徒が私の近くを通り過ぎるたびに心臓が高鳴る。顔も紅潮してしまう。だって私、教師で……それももうアラサーなのに、こんなピンクのドレスで人形のフリをしているなんてみっともなさすぎる。バレれば一生の恥だ。しかし私の動揺など構うことなく、通りがかった生徒たちは腰を曲げて私をジックリと鑑賞していく。前から、横から、後ろから……。ケースで遮られているものの、何か話しているのも聞こえてくる。何を話しているんだろう。馬鹿にされてるんじゃないだろうか。いい歳して教師が生徒の前で……。
(お、お願い、あんまり見ないで、近づかないでよう)
必死に祈りながら、無限にも感じられる羞恥プレイを私は耐え忍んだ。
ガラスの向こうからうちの生徒たちが手を振り、意味深なウィンクをして帰っていく。初日はなんとか終了だ。よかった……。よく頑張った私。ていうか顧問の落葉先生は結局来なかったのか。全く何して……いや、こんな姿見られたくないからいいや。少女趣味なドレスアップをしてフィギュアとして展示されるだなんて屈辱的過ぎる。
(もういいよね?)
館内に人の気配はなくなった。もう動いていいはずだ。羽を伸ばそう。裾から手を離そうとした時だった。
(あ、あれ……?)
おかしい。指が……開かない。つまんだまま動かせない。
(……!?)
指だけじゃない。私は今、全身どこもかしこも動かせなくなっていることに気づいた。ポーズを保ったまま弱弱しく震えるのが精一杯で、それ以上は手足が指令を遮断する。
(ど、どういうこと。一体何が……)
ずっと同じ姿勢をとっていて体が固まった……いや、違う。そういうんじゃなくて、体が言うことを……きかない。力を入れようにも、その意志自体が反映されない。手足に指示が出せない……。
(まさか)
昼間に搬入された時の暗示水……! あれで動かないって暗示を自分にかけたけど、ひょっとしてアレのせい? そ、そんな馬鹿な。あれって効果ないはずでしょ? 昨日ネットで調べた限りでは、手に人の字を書いて飲み込むのと大差ない、って……。でも、現実に体は動かない。思い当たる原因はそれしかないのだ。
私は自分がむせ返ったことを思い出した。ひょっとして、十分の一に圧縮されている私には量が多すぎて強力になっちゃったとか? で、でもここまで……強制力が出るようなことある? 本当に動けないよっ……。
静かに時間だけが過ぎていく館内で、私はドレスの裾をつまみ上げたまま、ぎこちない笑顔をキープしていることしかできなかった。
翌日になると落葉先生と数人の生徒が様子を見に来た。私は自分が動きたくても動けなくなってしまっていることを伝えようと試みたが、どうにもならなかった。体は動かないし、声も出せないんだから。皆は笑顔で私を見つめて、何かを話し合っている……。きっと私が懸命にポージングを維持していると思っているのだろう。維持「させられている」だなんて考えてもみないに違いない。
(あ……うう、誰かぁ……)
当然、夜は動けるもんだと、動いていいもんだと思っていた。本当に丸3日間、フィギュアとして固定され続ける羽目になるなんて、思ってもみなかった。
(こ、これ……本当に大丈夫!?)
動けないし誰ともコンタクトをとれていないと、不安ばかりが増大する。まさか一生このまま動けないなんてこと……ないよね!?
本物のフィギュアにされてしまったことで恥辱もますます増大し、私は想像を遥かに超える地獄の3日間を過ごさなければならなかった。
「お疲れ先生ー! 動いていいよー!」
見事なパントマイムを口々に褒め称えながら、私は務めを終えてケースから出されようとしていた。……が、体は未だ動かず。私は焦った。
(う、動けないの……暗示が強く効き過ぎたみたいで……)
「どーしたの先生? もう終わったよー」
皆は私がふざけていると思っているのか、指先で突っついたりからかったりして私の反応を待っていた。が、私はいかなる反応も返せず、ドレスの裾を持ったまま立ちすくんでいることしかできない。次第に皆も異常事態だと気づき、焦りだした。
「やばくね? これ死んでんじゃね?」「ど、どうしよう」「とりあえず持って帰って……」
搬入時は小さいだけで人間だったが、この撤収で私は本物のフィギュアのようにケースから取り出され、容器に収められることとなった。やっぱり動けない。心臓がバクバクいう。まさかこのまま……永遠に動くことができないんじゃ?
部室のテーブルに置かれた私は、落葉先生に至近距離からジックリと観察された。死ぬほど悔しくて恥ずかしかった。このスケール差でこの距離だとメイクの凹凸がハッキリわかる。目や鼻の汚れも。あまりいい光景ではない。先生は終始楽しんでいる風で、私を小突いてからかい、動画を撮って遊んだ。生徒が生徒なら顧問も顧問だ。
「まー多分、暗示水じゃない? 本当に動いちゃダメだと思い込んじゃったんだね。んもー、のせられやすいんだからー」
(失敬なっ、意識はハッキリしてますっ!)
まるで人を気の弱い人みたいに……いやでもそうなのかな……強制力が出るほどなんて……。
落葉先生は一旦部室から出て、また香水のようなものを持ってきた。今度はなんだろう……。何でもいいから助けて。
白い煙が噴射され、私はまた派手にむせた。顔を動かせない状態だったので尚更酷かった。
「ぶはーっ、ゴホッゴホッ」
「あ、動いたー」「気づいた気づいた」「生きてたかー」
「何するんですかぁ!」
3日ぶりに声を張り上げた時、自分が動けることに気づき、私は緊張の糸が途切れて座り込んだ。
「あっ……あぁ、よかったぁ~!」
落ち着いてから話を聞くと、白い煙は催眠を解くための薬らしい。それで私の暗示が解けたのか……。ああ全く、酷い目にあった。一生分の恥をかきおえたよきっと。後は落葉先生に研究所まで運んでもらって、「解凍」されれば元通り。
しかし、落葉先生はニコニコと朗らかに笑いながら、とんでもないことを告げた。
「んー、そのことなんですけどぉー、ごめんなさいねー、花咲先生ー」
彼女は、人間を圧縮した場合、短期で解凍すると体が崩れてしまう恐れがあるため、元に戻せるのは半年経ってから……などと続けた。最初は何を言っているのかわからなかった、わかりたくなかった。沸々と怒りが沸き上がり、私は大声で怒鳴った。そんなの聞いてない、いくら何でもひど過ぎる、その間私はどうすればいいの……。
ところが、私の絶叫を聞いても、落葉先生はじめ生徒の誰も怯むことなく私を見下ろし続けている。互いに目配せなんかして、「やれやれしょうがないなー」とでも言いたげだ。その態度が私を一層イラつかせ、声を荒げさせる。
「ぜえ……ぜぇ」
怒鳴りつかれて座り込むと、生徒が「大丈夫?」「疲れたねー」などと優しく話しかけてきた。いや……話聞いてた? こいつとんでもないこと言ってますけど!? ひょっとして部全体でグルだった!?
「それでぇー、仕事の方は私から話してなんとかしてもらうからー、その間先生をここでみんなでお世話してあげようって、昨日皆で決めたんですー」
(は……はぁ!?)
そんな重大な話を……本人抜きで!? ていうか、あんたちにそんなこと決められるいわれはないんですけど!?
「いっ……いいですっ、一人で……家で暮らします」
「えー、危ないですよぉ、どうやってその体でお家まで帰るんですかぁ?」
私は憎しみを込めた目で落葉先生を睨みつけた。周囲の生徒の様子も伺った。誰も私を送ってはくれないらしい。
「じゃ、決まりですねー」
「えっ……そんな。待ってください、そんなふざけた話……」
生徒たちは落葉先生の指示に従い、ゾロゾロと部室から出ていく。最後に落葉先生も。あまりの急展開に、私は黙ってそれを見送ることしかできなかった。ドアに鍵がかけられた後、私は腰を抜かしてテーブルの上で固まった。
翌日、私は足音が近づくのを見計らい大声を出して助けを呼んだ。来たのは学年主任の先生だったが……。特に驚いた様子もなく、彼は私にこう言った。
「いや本当にすみません花咲先生。しかしまあ……半年経たないと危険だというのは本当らしいので、ここはひとつ……」
「そ、そんな。いやでもここにいる必要はないですよね? 家まで送ってくれませんか!?」
「いやしかし、落葉先生のことだから……付き合ってやってくれませんか、生徒も楽しみにしているようですし」
うあぁ、まただ、またこれだ。落葉先生は理事長の孫で、この辺ではちょっとした有力な家の出身。いつもこうして無理を通してきた。
「い、いや……こんなの犯罪じゃないですか!?」
「どうか先生、私の立場も考えて……」
結局交渉は決裂。この分じゃ、他の先生に助けを求めても無駄だろう。この体じゃ安全に家まで帰るのは難しいし、きっと連れ戻される……。私は半年もの間、人形部でペットとして飼われなければならない運命に陥ってしまったのだ。
「先生ー、これ着てよー」「こっち向いてこっち」
案の定、私は放課後から生徒たちの玩具となった。恥ずかしいコスプレ衣装に着替えさせようとしてくるし、スマホ向けて撮ろうとしてくるし。私はドレスから着替えたかったけど、提示される衣装がどれも派手なもの、エッチなもの、少女趣味なものばかりなので辟易。いい歳した教師が生徒の前でコスプレショーなんてやるわけにはいかない。映像が残って出回れば、元に戻っても教師の立場に戻れるかわからない。……もー手遅れな気もするけど。いやただの美少女フィギュアだと思わるか。静止画なら。
とはいえいつまでも不機嫌にツンケンしているのも大人として誇れる態度でもない。ましてや生徒の前では……。数日すると、私も落葉先生には何を言っても無駄だと悟り、台風が過ぎ去るまでの半年間、避難所暮らしみたいなものだと自らを慰め、一応生徒たちとは普通に接することにした。コスプレショーは絶対やらないけど。
しかし、私が極力いつも通りに振る舞おうとしても、生徒たちはそうじゃない。私を人間の教師、自分より年上の大人として遇する者はおらず、すっかりペットか妹みたいな扱いだった。可愛いと言って頭を撫でようとしたり、砕けた言葉で話しかけてきたり……。そのたびに注意はするけど、あまり強くは言えなかった。なにせ、相手は自分の10倍ある巨人たちばかり。本能が恐怖を形作り、私を精神的に屈服させるのだ。次第に私はコスプレやごっこ遊び以外の誘いは断り切れなくなっていった。
そうしてテーブルゲームに付き合わされていたある日のこと。一人が最下位に罰ゲームを与えることを提案。内心嫌ではあったが、若い巨人3人が盛り上がるすぐそこで異論を唱える勇気は生じなかった。
負けてはいけないというプレッシャーか、小さいことでボード全体が見づらいのが悪かったのか、終盤で私は持ち崩し、あえなく最下位となった。
「先生最下位ー!」「罰ゲーム! 罰ゲーム!」
血気盛んな巨人の叫びに気圧され、私は小声で「あーもう……しょうがないかぁ」とノリを合わせることしかできなかった。怖い。まさか物理的になんかされることもないだろうけど……。コスプレとかかな……?
3人はほかの部員も呼んで話し合った。なんでわざわざ……嫌な予感がする。
「これは?」「えー可哀そうだよ」「それは酷くね?」「じゃあ××で……」
この間に逃げれないものか。無理か。10倍の体格差は如何ともしがたい。逃げる先もないし。数分後にようやく判決は下った。
「じゃあ先生。これから1週間、敬語で喋ってくださーい」
「……へ?」
「け・い・ご!」
生徒たち相手に敬語か……う~ん、でもまあそれぐらいなら……。変な服着せられて晒し者になるよりは……いや1週間か。ジワジワと精神にスリップダメージ入ってきそう。
「はいはい……わかりましたっ」
えらいえらいと頭を撫でられながら、私は圧倒的な格下げ感に心底苛々させられた。今日から無口になろう。1週間。
が、そこに落葉先生が姿を現した。な、なんで今……。普段全然来ないのに。彼女は生徒から罰ゲームのことを聞かされると、目を輝かせて提案した。
「もうっ、そういうことならアレがあるじゃない!」
「敬語で話す、敬語で話す、敬語で話す……」
薄ピンクの煙の中で、私はお題目を3回唱えさせられた。
「どう? 花咲先生」
落葉先生は両手を腰に当てて心底楽しそうに笑っている。くそぉ。腹立つ腹立つ腹立つ。
「……普通です」
私はそれだけ言って顔をそむけた。すると今度は生徒たちが続々と私に声をかけてくる。極力無視していたが、ついに耐えきれなくなって叫んだ。
「いい加減にしてください!」
オーっと沸き立つ生徒たち。その輪の中心で、私は真っ赤になって静かに首を傾けた。
「どう先生? 89点」
「が……頑張りましたね」
それ以後、私は誰と話す時も口調が敬語に矯正されるようになってしまった。自分では普通に話しているつもりでも、口から出てくる言葉は勝手に改変されている。暗示水で動けなくなった時と同じだ。生徒たち相手に遜った口調を強制させられていると、本当に自分が生徒たちよりも格下の存在に……ペットにでも成り下がってしまったかのように感じ、胸がギュッと締め付けられる。人は立場に大きく影響されるというけれど……こうして周囲から見下され、自らは敬語で接していると、暗示水なんか関係なく自分が生徒たちより下の存在であるかのように錯覚してしまう。
展示された時と同様、暗示が自然に解けることはなかった。1週間過ぎても私は敬語のまま。誰も私の暗示を解除することを言い出さないので、私は自分から吠えた。
「あのっ、皆さん。私の喋り方を元に戻してください!」
周囲の視線が集まる。恥ずかしい。生徒相手にこの口調。威厳も何もあったものじゃない。
「あーそっかー、そういえばそうだっけー」「もーすっかり馴染んでたわぁー」
じょ、冗談じゃない。私が言い出さなければこのままにしておくつもりだったの?
「でもさー、この方が可愛くてよくない?」「ねー」
「い、嫌ですっ! 私は先生なんですよ!」
「あっ、じゃあさ」
男子生徒が提案した。もう一度ゲームをやって私が勝てば暗示を解く。負けたら別の罰ゲームをしよう、と。
「は、はいぃ!?」
だが従うしかなかった。自分で暗示は解けない……。生徒たちか、落葉先生がなんとかしてくれない限り、私は半年ずっと生徒たち相手に敬語で話さなければならない羽目になる。これ以上は限界だった。半年後に体が元に戻れても、ちゃんと皆の前で教師として振る舞えるか……。
「わ、わかりました。でも私が勝ったらちゃんと元に戻してくださいよ」
「そんな……嘘ですうぅ~っ!」
私は負けた。それも最下位で……。何しろ生徒たち3人が全力で邪魔してくるのだ、勝てるわけがない。
「ち、チーミングじゃないですか!? 酷いですっ」
「ダメだなんて言ってないし~、なあ?」
生徒たちが笑いをこらえながら頷いた。そこに悪意はない。ただ、そっちの方が面白いことになるからという、それだけの理由……。
「じゃあ罰ゲームは……」
「やりませんっ!」
「え~いいんですか、先生が約束破っても?」
「……」
「大人のぉ、先生がぁ、ね~?」
「……っ」
薄いピンク色の煙が顔面に噴射され、私は否応なくそれを吸い込まされた。体はプルプルと震え、情けなさに涙がにじむ。
「ほら先生、言って言って」
(言いたくない……言いたくないよぉ……)
「先生、嘘つくんですかぁ? やるって言いましたよね?」「ほら先生、いいでしょ別に、減るもんじゃないし」
私の精神はすり減るし、尊厳も失われるんだけど。私は罰ゲームの内容を言いたくなかった。そんな暗示をかけたら私……私は……。
しかし、巨人たちの無言の圧と、フィギュアなんかではない大人の人間なんだというプライドに負け、私は震えながら破滅の呪文を唱えてしまった。
「わ……わた、私は可愛いコスプレが大好きです、私は可愛いコスプレが大好きです、私は可愛いコスプレが大好きですっ……!」
霧が晴れると、待ってましたと言わんばかりに、多種多様な衣装が目の前に並べられた。ビクッと全身が震えたと思うと、私の体はひとりでに動き出し、目の前にあったアイドル衣装を手に取った。
(待って!)
動きを止めたい。嫌だ。生徒たちの目の前で、いい歳してこんな服を……。しかも私はその場でドレスを脱ぎ捨て、全裸になった。
「あ……あぁっ」
男子からおおっとどよめきが上がる。「圧縮」されて乳首も秘所もない全年齢ボディとはいえ、感覚的には全裸と変わりない。私は泣き叫びたい気分だったが、手足は元気にアイドル衣装を身にまとっていく。きっと何かのアニメキャラのコスチュームに違いない。
ブーツから手袋、髪のリボンまで一式装着してしまうと、ようやく体が私の意志を反映するようになった。
「かわいいー」「似合ってるー」「次これー」
「ぁ、いや……み、見ないでください……」
耳まで真っ赤に染めて、消え入りそうな声で言った最後の抵抗は誰にも届かなかった。
「ポーズとって」
「はいっ」
(!?)
スマホを向けられた瞬間、また私の体が暗示に支配され、可愛らしくポーズをとり、笑顔を浮かべた。一瞬の出来事に私は何の抵抗も示せず、なされるがまま写真を撮られてしまった。
(なっなに!? どうして……?)
私がかけられた暗示は可愛いコスプレが好きになるってことだけで、ポーズとって撮影に応じるなんて一言も……。
抽象的な暗示だったから適用範囲が無駄に広くなってしまったのだろうか。私は次々と着替えては可愛らしくキメて生徒たちのスマホの中に、自らの痴態を刻み込んでいく。手足が言うことを聞かない。止められない。私は自分の視界を映画のように眺めていることしかできない。
「あはっ、先生ノリノリじゃーん」
「ち、違います、暗示のせいですよっ」
「またまたぁー」
だ、ダメだ。一瞬の抵抗も躊躇もなくこうもコスプレに熱中する様を見せてしまっては、暗示以上の何かが……私自身の意志があると思われても仕方ないかもしれない。魔法少女の衣装を着てステッキを構え、笑顔で動画まで撮らせてしまうんだもの。
(や、やめて……撮らないで)
最悪の事態。こんな暗示受けるんじゃなかった。一時のプライドのために……。もう教師として、大人としての尊厳などどこにも残っていない。私は痛々しいコスプレ大好き女として、空が暗くなるまで生徒たちの前で生き恥をかかされ続けた。
「あらー、花咲先生、ずいぶんと素直になりましたねー」
「違います、罰ゲームです、ただのっ」
「そんなこと言っちゃって。本当は結構ノリノリなんじゃない?」
「そんなわけないじゃないですか!」
私は猫耳メイドの姿で媚び媚びポーズをとりながら叫んだ。説得力ゼロだ。私の体は可愛いコスプレの誘惑から一切逃れられなくなっている。死ぬほど恥ずかしい。今すぐこの場から消えてしまいたい。暗示を解くよう落葉先生に頼んでも、断られてしまう。上から見下ろしている分には、小人が毎日可愛くコスプレして部員を出迎え、遊んでくれる方が楽しいに決まっている。だが当人としては到底受け入れられる状況じゃない。半年たって体が元に戻っても……。もうこの中学で教壇に上がる勇気は私に残されてはいない。
人形部に住み着く小さなコスプレ大好きおばさんと化してから日数が経過した。暗示は一向に衰えることなく、私は敬語で喋り、コスプレに精を出し恥辱にまみれ続けている。本当にあの解除の薬じゃないと解けないんだろうか。うそぉ……。強すぎるよぉ……。
男子たちが慣れ切って私の裸に反応を示さなくなったのはよかったが……いやよくない。悔しい。惨めだった。部内で教師が全裸になっても誰も特別な注意を向けないなんて、それじゃまるで……同じ人間じゃないみたいじゃない。猫な何かのような……。
しかも、コスプレに合うからといって、髪を金髪に染められたのも酷い。アラサー教師が生徒の前で全力のアリスコスプレなんてきつ過ぎる。私は夜になると毎晩鏡をのぞいた。そこに映っているのは一点の染みもない綺麗な肌と、デフォルメされた可愛らしい顔の美少女フィギュア。今の私はこういう姿なんだから、可愛いコスプレをしても……別にそこまで……と必死に自分を慰め、納得させようと努めた。そうしないと壊れちゃう。でも、開き直って心から着せ替え人形になるわけにもいかない。そうしたら半年後、「人間」に戻れなくなっちゃう。
私は大人の人間で、教師で、アラサーなんだ、こんな馬鹿げた服を生徒の前で着るんじゃない、という相反する説教も深層心理が訴えかける。サンドイッチで頭がおかしくなっちゃいそう。
私がこんな調子だから、生徒も落葉先生もいよいよ子猫扱いを隠さなくなってきた。
「クルミちゃん元気?」
「はい、元気です」
「今日はプリガー?」
「そうですっ」
「可愛いー。いい子いい子」
もはや誰も私に敬語を使わないし、先生とも呼ばない。私ももう注意する気力などない。説得力ゼロだし、よしんば通ったとしても、その時はステイタスが美少女フィギュアからコスプレおばさんに戻って苦しくなるだけだから……。
人生で最も長かった2か月が過ぎ、私は新年度を迎えようとしていた。……人形部の生きた美少女フィギュアとして。
「お、お願いです、残りは家にいさせてください……」
「えーいーじゃない、クルミちゃんがいた方が新入生来るし絶対」
「で、でも……」
私は懇願した。今年の1年とはこの姿のままで……つまり、コスプレフィギュアとして対面することになる。そのあとで体を解凍してもらったとしても、絶対教師としてまともに接してはもらえない、私自身恥ずかしくて顔も合わせられない、と。
「ふーん、じゃあさあ……」
女子生徒が言った。じゃあ、新入生には秘密にしようか、そうすれば問題なくクルミちゃんは復帰できるよね、と。
「は、はい!?」
生徒たちはそれに賛同し、そうだそうだ、それがいいと声を上げる。つまり、残り4か月は「小さくなった花咲先生」ではなく、「コスプレ好きな生きたフィギュア・クルミちゃん」という扱いで通そうということだ。
「い、いやです、私はフィギュアじゃありません」
「じゃー、これ全部『花咲先生』ってことでいい?」
「あっ、そ、それは……」
スマホに収められた痴態の数々。ノリノリでコスプレに励む私の写真。動画。これが花咲クルミと結びついたら……。
「わ、わかりました、フィギュアってことでいいです、でもそれ絶対に外に出さないでくださいよっ」
「よしっ、じゃあ……」
生徒が暗示水を持ってきた。私の目の前に置く。察した私は抗議した。
「そ、そこまでやる必要はないと思います」
「でもクルミちゃん、結構ご機嫌斜めの時多いし、ぽろっとばらしちゃうかも……」
「き、気をつけます」
「ていうか、フィギュアがこういう風に生きて喋ってるのおかしくない?」
「そ、それは……」
「何々? なんの話?」
落葉先生が部室に入ってきた。ああまた。話がこじれそう……。
「……そのくだり、必要でしょうか?」
「勿論。こんな可愛い動くフィギュア、どこで作られたか皆疑問に思うじゃない。そこも考えておかなくちゃ」
「いや、でも……」
「いいからいいから」
結局、暗示水でフィギュアを名乗らされることに決定してしまった。別にそこまでしなくても守れるのに。むしろ皆の方が心配。でもやらないとバラすって脅すし……酷い。
薄ピンク色の霧が噴射され、私の視界を覆いつくす。両手でギュッとスカートを握りしめながら、先ほど決定された文章を私は泣き出しそうな声で唱えた。
「私は落葉先生に作っていただいたフィギュアです。私は落葉先生に作っていただいたフィギュアです。私は落葉先生に作っていただいたフィギュアです……」
悔しい。よりにもよってそんな出自を付与されるだなんて。落葉先生は諸悪の根源、私を人形にした張本人なのに。その彼女をまるで生みの親みたいに言わなければならないなんて。
霧が晴れると、私は涙をにじませて彼女を睨みつけた。しかし可愛くコスプレした小人の睨みなど、子供一人怯ませる力もない。
「はい、クルミちゃん、あなたは人間さんだっけ?」
「いえ、違います」(そうよ)
わかっていたこととはいえ、ショックを受けた。喋ろうとした言葉とは全く違う、180度反対の言葉が口をついて出た。私はもう自ら人間を名乗れない。
「じゃあ、クルミちゃんはなあに?」
「フィギュアです」(人間よっ)
「そうよね、私に作ってもらったのよね~」
「はいっ」(ふざけないで!)
人生で最も腸が煮えくり返ったやり取りだ。4か月も落葉先生を生みの親扱いしないといけないなんて。実際に自分の口で喋らされるとその屈辱感は想像以上だった。これならコスプレおばさんでよかったんじゃ?
(あのっ、やっぱり元に戻してください)
あ……あれ? 口が……。私はパクパク口を開閉しただけで、そのセリフは発声できなかった。どうして?
「これで安心ね。じゃ、改めてよろしくね。クルミちゃん」
「は……い」
「すげー! 動いた!」「可愛い~」「誰が作ったの!?」
「初めまして、クルミです。顧問の落葉先生に作っていただきました!」
5月。私はフリフリのドレス姿で人形部の新入生を出迎えた。誰も真相は伝えない。顧問が作成した動くフィギュアだと紹介する。たまらない屈辱だったが、今更どうしようもない。4月中、私は困った問題に気づいていた。自分にかけた暗示と矛盾するような言動はとれなくなってしまっているのだ。つまり……私は正真正銘、生まれたときからフィギュアだったかのように振る舞うことを強制されている。「元に戻りたい」とか「暗示を解いてほしい」といった言葉すら口にできないのだ!
そのことに、誰も気づいていない。皆はただ、私が文字通りフィギュアを名乗るようになったとしか認識していないだろう。そこまで暗示の影響が広まり、私の言動を縛っていることに誰一人気づいていないし、伝えることすらままならない。
私は1年生たちの前で堂々と服を脱ぎ、裸体を晒しながら魔法少女衣装に着替える。1年男子が初心な反応を見せ、久々に私の顔が火照る。そ、そんな反応しないでよー。
向けられたスマホに向かって笑顔でポーズをとると、1年生から質問が飛んだ。
「クルミちゃんはその服好きなの?」
「はいっ、私は可愛いコスプレが大好きなんです!」
(違うわ、嘘よ! したくないけど、体が勝手に動くのよ)
自らフィギュアを名乗らされ、事情を知らない子供の前でコスプレにふけるアラサー教師。それが今の私だった。そしてまだこれから3か月続く。ついこの前までランドセルを背負っていた子供にも人形扱いされ可愛がられる恥辱に耐えながら、私はコスプレファッションショーを演じ続けるほかなかった。
6月になると、1年生たちも私に慣れてきて、熱狂はしなくなった。先輩たちと同じく、子猫を可愛がるような接し方に変わる。頭や頬っぺたを撫でたり、可愛い可愛いとほめそやしたり。私は毎日、いろんな衣装で皆を楽しませた。体が暗示に従いひとりでに動き続ける限り、このポジションから脱することはできない。
そして、私の中に一つの疑念が浮かび上がる。あと2か月……。私は本当に元に戻れるんだろうか?
私の正体を1年にばらさないという決まりのせいか、もう誰も私を特別扱いしない。というのはつまり、「先生」に勉強を教えてもらおうとか、学校であったことを話そうとか、そういうことをしなくなった。新しい衣装を作って私に着せるとか、好きなアニメキャラのコスプレをさせてポージングさせるとか、本当に着せ替えフィギュアとしてしか扱われない。私はそれに対して何か言うことはできない。暗示で生まれた時からフィギュアだったことになっているから、この扱いは当然という判定なのだろう。
これがさらに2か月。笑顔で毎日コスプレショーしてくれる私を皆は手放そうと思うだろうか? というか、覚えているだろうか? 私が2か月に「元に戻れる」ようになるって。4月からこっち、誰もその話題を出さない。私も暗示のせいで言えない。もし……忘れられたら? その時私はどうなるんだろう。自分からは暗示のせいで言えない。となれば……そのまま?
(や……やだ)
このまま一生、人形部のフィギュアとして醜態をさらしながら子供たちの玩具として生きるだなんて。ありえない。でもその未来は十分な実現可能性をもって迫っている。
(大丈夫だよね?)
心配なのは、私が「元に戻して」と言えなくなっていることを皆が知らないこと。本当に戻りたいと思っているなら本人から言い出すだろう、そうじゃないってことはフィギュア生活が気に入っているという証拠だから、別に「解凍」する必要はないよね……。そんな悪夢みたいな展開になりはしないだろうか?
人間に戻れるはずの希望の日が迫るにつれて、私の恐怖心も拡大していく。嫌だ。このまま本当にお人形になっちゃうなんて。それも、よりにもよって落葉先生に作られたなんて設定で……。
(大丈夫。きっと戻れる。皆忘れてないよ。ね?)
そのためには……私がこの生活に満足していないことを日ごろから匂わせておくことが一番だ。私にできる唯一の対策。でも……。
「クルミちゃん。これどう? 新作アニメのコスなんだけど~」
「もうっ、こんなもの着ませんよ!」
と言いながらも、私の体はいそいそと手渡された衣装に着替えていく。
「じゃあちょっとこのポーズとってみて……はい! 可愛いー、そっくり!」
私は笑顔でスマホに新たな痴態を刻まれた。飛び切りの笑顔で映る、コスプレフィギュアとして……。