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同年代の友人が体を壊し、慢性的な持病持ちになってしまったことは私にとって結構な衝撃だった。もうそんな歳になったんだろうか。そういえば最近はだいぶ肉もついてきてるような……。まだまだ若い気でいたけれど。いや二十半ば過ぎってまだ若くない? どうすればいいのかなあ……。 とりあえずダイエットということで、私は糖質制限に挑戦した。が、私は意志が弱いのか、気がつけばいつもの食生活に戻っていた。でも同僚も糖質制限あんまりよくないって言うし、やめてよかったかな、うん。彼女は続けて私に運動を勧めてきた。健康もダイエットも全ては運動なのだと。確かに、そういわれればそうだ。よし、やろう。 私はランニングを始めた。が、これも気がつけば半月、間が空いた。寝坊したし、眠いし、大事な仕事があるし……と自分に言い訳しているうちに、ランニングはしなくなっていた。自分ではそこまでサボっているつもりはなかったので、半月やっていないことに気づいたときは愕然とした。でもまあ……ランニングって時間かかるし、近所を走り回るのもなんとなく気恥ずかしいし……。やめてよかったかも。 次に室内で気楽にできる種目、筋トレに活路を見出した。朝でなくともできるし、空いた時間にサクッとね。しかし、これが中々きつかった。自分がどれほど運動不足になっていたかを思い知らされるし、筋肉痛もくるし、私はまたすぐに放り出してしまった。一日くらい空いてもいいか。その方がいいってネットに書いてたし……。今日は残業で疲れた、明日でいいか。あ、忘れた。明日やろう。気づけば最後に筋トレしたのはいつだったか……。 ああめんどくさい。だるい。楽に、確実に運動ができればいいのに。家電で家事が楽になったように、運動を楽にしてくれる機械もできないもんだろうか……。 その願いが実現したのは割とすぐだった。メイドロボ技術を応用した、筋トレ外注システムの提供がとある企業によって開始された。評判もよく、私は早速使ってみることに決めた。 家に届いた、普通サイズのダンボール箱。中から出てきたのは真っ白なカチューシャと、20センチ程度の可愛らしい人形。樹脂のような質感と塊のような髪。だが触ってみると非常にきめ細やかな作りになっていることがわかる。手足から指、一つ一つがしっかりと折り曲げられる。髪の毛は一見カチコチに見えるが、重力になびき下に垂れる。触ってみればサラリとわかれる。髪型も弄れそう。すごいなー。まあでも仮の体になるんだから、これぐらいは当然か。高かったし。 人形を机に上に寝かせる。私はベッドに腰かけ、自分にカチューシャを装備した。ブームの時に電脳化しといてよかった。おかげで手間いらずだ。インストール完了後、私はプログラムを起動した。するとぼんやりと体の感覚がぼけていく。視界がホワイトアウトし、前が見えない。う……ちょっと怖いかも。一気に切り替わると事故が起きるからクッションを置いているらしいけど、別によくないかなあ……? 次第に体の感覚が戻ってきた。視界の霧が晴れ、天井の色が広がる。私は横たわっていた。天井を見つめている。体に力を入れ、ゆっくりと起き上がる。見知った自分の部屋なのに、初めて見るかのような新鮮さ。視線が下がると全く違うんだなぁ。横を見ると、ベッドに腰かけたまま真顔で宙を見ている自分がいた。なんか死んでるみたいで不気味かも。それに自分が自分から離れて存在している目の前の光景が、どうにも不安を引き起こす。私は自分の両手を視界に持ってきた。まるで人形のような肌。つるっつるで、肌色一色で……。いやまあ人形だから当然か。ちょっと違和感はあるものの、特に練習の必要もなく動かせている。すごいや。 そう、これが新発売の筋トレ外注システム。自分の意識を人形に移し、その間自分の体をAIに託すのだ。メイドロボから作られた専用のAIは、体が崩れ落ちたりしないよう、しっかりと姿勢を維持してくれている。 「立ってみて」 私が声をかけると、「私」はすっと立ち上がる。 「腕立てやってみて」 私の本体は瞬時に命令に従った。床に両手をつき、足を延ばし、完璧なフォームで腕立てを開始した。私に痛みや苦しさはない。私は机上に立ったまま、人形ボディの目から成り行きを見守れた。 (おお……) すごい。これならいくらでも運動ができる。私は苦しくもなんともない。勿論、本当に魂みたいなのが入れ替わったわけじゃない。通信で人形ボディの五感を味わっているだけ。その間、本体の感覚からは遮断される。「私」は今も間違いなく、目の前で腕立てしているあの体の中にいる。理屈ではそうだとわかっていても、まったく信じられないぐらいにシステムはうまく機能していた。 (こりゃいいや) 私は調子に乗って、いろんなメニューをやらせた。口で言うだけで勝手に全部やってくれるんだもん、簡単だ。それにその間、私はのびのびと好きなことをやっていられる。動画でも眺めている間に全てが終わる。それに、自分が他人のように自分から離れて存在しているというこの状況自体が非日常を感じさせ、なんだか楽しくなってきちゃう。 しかしシステム終了後、私はそれを後悔した。もとの体に戻った私は、尋常じゃない疲労感と悲鳴を上げる筋肉をも移管され、息を切らしながらベッドに倒れこむ羽目になったのだ。さっきまで体力というものから解放されていたせいで、余計にひどく感じる。人の体ってこんなに大変で面倒なものだっけ……。 (生きるのって……辛いのね……) 僅か十数分の出張だったのに、これまで意識すらしたことなかった当たり前が、今や死ぬほど煩わしく感じる。人形ボディの時は本当になんの痛みも苦しみもなかった……。全てから解放されたような心地よさがあった。 自分の体から離れる。今まではありえなかったことだ。だから誰も、重力との闘いは勿論、ほんのわずかな痒みや動悸、怪我とも呼べないような小さな体の問題、そういったものを当然として受け入れていた。しかし、そうではない世界を一瞬でも知ってしまった今となっては……。 朝、顔を洗うのも、歯を磨くのも、すべてが苦痛で煩わしいもののように感じた。激しい筋肉痛と戦いながら、私は出勤の準備を整える。仕事もAIが口頭の指示だけでやってくれればいいのに、と思いながら。 飽き性の私だけど、新時代の筋トレは意外と長く続けられている。なにせ自分で筋トレする必要はないから簡単だ。入れ替わって口頭で指示するだけ。それに何より、私は人形ボディが気に入ってしまった。何も気にすることはない心地よい体。そして可愛さ。人形だから当然だけど、この子はかなり可愛らしい顔をしている。一点の曇りもない肌は面倒な手入れなしでもずっと綺麗。ただ拭けばいいだけ。自分が可愛らしいお人形になっていることがなんとなく楽しい。「疲れる」こともないし、子供のころに戻ったみたいだ。それに小さくなると世界も変わって見える。自分の家を練り歩くだけでも、ちょっとした冒険気分を味わえる。流石に外に出ようとは思わないけど。ラグを感じさせない通信の範囲は結構狭い。壁を二つも隔てると遅延が無視できなくなり、うまく動けなくなる。だから基本は同じ部屋にいないといけない。外出をためらうもう一つの理由は服。この人形は全裸だ。勿論、乳首だのなんだのはない、全年齢ボディ。しかし「私」が服を着ていないようにしか感じないから、室内とはいえ恥ずかしくなってくるのだ。目の前には他人と化した自分もいる。当然「彼女」は服を着ている。そんな中でいつまでも全裸でいるのも気まずい。 私は着せ替え人形の服を買った。いつぶりだろう、こんなものを買うのは……。着心地は最悪。ゴワゴワしてチクチクして……。しかし鏡に映る自分は相当に可愛かった。いや自分と呼んでいいかはアレだけど。お人形が可愛い服を着ているのだから当然だった。久しく眠っていた乙女心が噴火し、私は特別に人形用の服やアクセを発注したり、裁縫を始めてみたり、「自分」をお洒落に可愛くコーディネートすることにはまった。そしてその間本当の体は運動に明け暮れ、しっかりと健康に育ってくれるおかげで、何ら後ろめたさを感じることなく新たな趣味に熱中できた。私の歳ならもう許されないような派手な格好、少女趣味な格好も遠慮なく纏える。それが全く楽しいのだ。 段々、私は人形ボディでいる時間が長くなってきた。だってその方が楽だし、可愛いし。本当の体はAIが倒れたりしないようバランスをとってくれているから、筋トレしない時も適当に立たせておけばいい。マネキンのように突っ立っている自分の姿が可笑しくて、私は笑ってしまうこともあった。なんとも不健全な生活のような気がするけど、間違いなく体は以前より健康になっていく。おかしな話もあったもんだ。 人形ボディの髪を金髪に染めて、アリスのコスプレを楽しんでいたある日のこと。システムを終了しようとしたが、いつものホワイトアウトが起こらなかった。手足の感覚も鈍らない。鮮明なままだ。 (あれ?) 変だな。さっきから終了の操作をしているのに……。私は何度も自分の額をぐいぐい押した。しかし、いつまで経っても自分の体に戻ることはできず、私はアリスのお人形のままだった。 (ひょ、ひょっとして壊れた?) やばい。どうしよう……。こういう時はどうすればいいんだっけ? マニュアルは……あー、押し入れな気がする。 20センチの体で取り出せるだろうか。こういう時自分の体に指示できればいいのに……。「運動」しかしてくれないんだよね。私は歩いて寝室から出た。そして押し入れに入った時、手足の感覚がおかしくなった。ようやく戻れるかと思ったけど違う。遅延が生じている。手足を動かそうとしても実際に動くまでラグがあり、上手く手足を操れない。一歩足を進めたと思っても、実際に足が動くのはちょっと後。バランスを崩しかけ、それを補正しようとするとそれがまた遅延する。実際に体が動く時と、今動かそうとしている指示が一致しないため、まるで体が勝手に動いているように錯覚する。 (あっ、そうだ) このまま通信ができないところまでいけば、強制終了かかって元の体に戻るんじゃないか。そう考えた私はグニャグニャと体を揺らしながら、押し入れの深くにもぐっていった。20センチの体で書類箱からマニュアル探すよりは楽だと信じて。 まともに手足を操作できなくなり、私は気づけば倒れていた。瞬きすら秒単位でラグる。仕方ないので転がっていく。 そして滅茶苦茶に視界が遅延するようになった瞬間、すべてが切り替わった。突然、知らない天上を見上げていた。体は柔らかいものに横たわっている。 「あっ、回復しました」 (?) えっ、なに? 此処どこ? 私は……押し入れにいたのに? 周囲には白衣を着た人たちがいっぱい。状況が呑み込めず、私は混乱するばかりだった。 自分の何倍もある巨人たち……。私は恐怖で縮こまりながら、彼らの話を聞いた。その内容は到底信じられないようなもので、私は夢を見ているのかと疑うばかり。システムの不具合で、私の意識は自分の体に戻せないというのだ! しかも、通信が途切れる、或いは人形ボディが破損などすると、私の意識は途切れてしまう。私の体はずっと筋トレ用AIが動かし続けることになる、と。 「えっ……えっ? わかんないです、どうして? なんで……」 要するに、私は体を乗っ取られ、この小さなお人形の体に封じ込められてしまったらしい。しかも、私が押し入れに入ってから一週間経っているとのこと。え? 一瞬だったよ? そんなに時間が経ったなんて信じられない。少なくとも私の主観では一瞬の間もなかった。気づけばここにいた。……てことは先生の話、私の意識は通信が途切れるとその間失われるっていうのは本当ってこと? 嘘でしょ……? 白衣を着た人たちの中に、「私」を見つけた。仁王立ちして静かに佇んでいる。時間が止まったかのように動かない。たまに誰かが声をかけると、おそらくはその指示に従って手足を動かしていた。私がまるで玩具のように、ただただ人の命令に従う人形になっている様子を見ていると、徐々に実感が湧いてきた。ああ……夢じゃないんだ。私は……ホントに、お人形になっちゃったんだ……? その後、企業側からはこの不祥事を公にしないよう誓約することを要求してきた。その代わり、体がダメにならないよう手を尽くすからと。具体的には、メイドロボのAIをカスタムして日常生活を最低限口頭指示で送れるようにする、定期的にこちら持ちで健康面のチェックも行う……等々。 「元には戻れないんですか?」 その問いにはいつも黙って首を横に振るだけ。手は尽くしてみるが、現時点で見通しは薄いらしい。そしてエラーの原因を知った時、私は思わず誓約書にサインすることを了承してしまった。想定以上の長時間運用……。私がお人形ボディでのお洒落や遊びにうつつを抜かしていたから……。外に知られるのが怖かった。絶対、馬鹿にされる。ニュースになればいい見世物になるだろう。耐えられない。 小さな手でリモコンのように大きなペンを握り、私は書類にサインしてしまった。私が人形に閉じ込められてしまったことは、誰にも言ってはならない……。言うつもりもないから、別にいいや。ちょっとやけっぱち過ぎるかな。でもだって、どうしようもないじゃん。公表したからといって元に戻れるわけでもないし……。 自分に抱きかかえられながら家に帰るのは奇妙な気分だった。久々に高いところから自分の家を見たけど……。もう自分の家をちゃんとした目線で見ることはできないのかと思うと、涙がこぼれそうな気がした。気がするだけだ。このボディにそんな機能はない。 「あそこに下ろして」 「はい」 筋トレ専用機だった「私」はかなり幅広い指示に対応するようになっている。まるでメイドロボみたいな立ち振る舞い。やだな……。これからあーいうのが「私」だって思われるんでしょ? 机上に敷いたタオルの上に転がり、横に立っている大きな自分を見つめる。指示がなければ動かない。まるでロボットのようだ。私がロボットに改造されたかのようで恐ろしくなってくる。家の掃除を指示して、私は壁の方に寝転がった。 (はぁ……これからどうなるんだろ……) じっと手を見る。皺も染みもなく、産毛の一本も存在せず、血管も見えないツルツルの肌。一生こんな……お人形の体なの? 到底、お洒落なんてやる気にもなれない。私は夜までずっと打ちひしがれたままタオルの上に転がっていた。そして、どんな姿勢をどれだけ取り続けようと疲れないこの体に「良いな」と思ってしまう自分に嫌気がさした。 そして、本当の自分が延々と掃除をし続けていることに気づく。やめろと言わなければならなかったのだ。 (め、めんどくさ……) 本当にこんなポンコツAIを「私」としてお出ししていいんだろうか。もうちょっとなんとかならなかった? 誰かに相談……はしちゃいけないんだっけ……。 幸いメイドロボレベルの学習機能はあるらしいので、私は頑張って自分の調教を行った。基本的なこともいちいち言わないとわからない。何もなければマネキンのようにジッとしている。まるで阿呆のようなふるまいを見せる自分にゾッとしながら、私は泣き叫びたい気持ちを堪えながら、「私」の振る舞いを正し続けなければならなかった。 企業の人の尽力もあり、ようやく「私」の職場復帰が実現。私は出勤する私を玄関で見送った。ドアが閉まると同時に寂しさを感じた。夜までこの広い家の中、一人でいなければならないのか……。いつまで落ち込んでいてもしょうがないし、久々に可愛い服でも着てみようかな……。そう思った瞬間だった。玄関の戸が開き、「私」が帰ってきたのだ。 「えっ? あれ? どうかした?」 「ただいま帰りました」 「?」 彼女は靴を脱ぎ、私の近くに立った。そこで電源が切れたかのように立ち止まり、私の指示を待っている。 「ど……どうしたの? 会社は?」 「本日の業務は終了しました」 「? いやだって、さっき……」 私は家の中が暗くなっていることに気づいた。嫌な予感がする。 「い、いま何時!?」 「19時です」 「うそっ……!」 私は慌ててリビングに走り、「私」を呼びつけテレビをつけさせた。夜のニュースをやっている。本当に19時だ。信じられない、だってさっきまで朝だったのに……。 「ど、どうして? どうなってるの!?」 「すみません、質問の内容がわかりません」 私はその場に崩れ落ち、頭を抱えた。 その日から、時の加速……スキップが始まった。原因は通信が切れること。「私」が出勤或いは買い出しに行くと、家にいる人形ボディの私と通信ができなくなる。私の意識は通信が回復するまで失われてしまうのだ。まるで玩具のように……。主観だと一瞬なので、全然自覚できない。自分の意識がスイッチをオンオフするようについたり消えたりしているなんて。信じられない。 昼間に娯楽を享受したり資格の勉強をしたりなんてすることもできず、何もする暇がない。信じられない速度で日々が過ぎ去っていく。もう私に「昼」を過ごすことはできないのだ。休日以外は。 「私」がどこにいるかで私の意識があるかが決まる。それがたまらなく悔しかった。AIの方に主導権があるみたいじゃない。会社についていこうかと思う時もあるけど、お人形なんか持ち込んだところで「私」が変なことしてると思われるし、こんな惨めな姿を見知った人たちに晒したくもない。それに……それに、今の「私」が会社でどういう扱いを受けているか、見たくなかった。 倍速で過ぎる日々、すり減る精神。私は永久に玩具の中に封印されたままなんだろうか。もし……もしもある日突然、「私」が勝手に遠くへ消えてしまったら。私はそれっきり、二度と目覚めることはない……。前触れもなく永遠の闇が訪れるのだ。恐ろしくて震える。 「あ、あんまり遠くにいかないでよ」 「はい」 私はまるで小さい子供が親に縋りつくように懇願しなければならなかった。情けない。惨めだ。あああ……。 ある日、いつものように瞬時に朝から夜に切り替わった時。「私」が知らない男の人を家に連れてきた。 「え? ……そ、その人は?」 「ん? これ何すか?」 その人は私を指してそういった。無礼すぎる物言いにカッとなったが、今私が入っている体はお人形でしかないのだということを改めて思い出し、胸の奥がギュッと締め付けられるような気がした。 「人形です」 「……っ」 冷たく無機質な回答。「私」が私を人形だと躊躇なく言い切ったことに私は激しく狼狽えた。今この瞬間、主従が本当に逆転してしまったように感じ、背筋に冷たいものが走った。いや……事故を公言しないという誓約に従っているだけ……AIが私を人形だと本気で判断したわけじゃ……ない。必死に自分にそう言い聞かせながらも、私は息を荒くしていた。 「へー、よくできてるね」 大きな顔が私に近づく。怖い。私はその場に力なく座り込み、視線を落とした。いやだ……見ないでよ。こんな……こんな惨めな姿。大体あんたは誰なのよ、勝手に人の家に……。いや許可はとったのか。「私」に。 「誰……ですか」 「君のご主人の後輩。よろしく」 「……」 ああ……。見たことないと思った。新人か。 その後二人は私のいる机から離れていった。後輩は盛んに「私」に話しかけているが、「私」は無機質な短い返事を返し続けている。 「先輩クール過ぎません? こーみえて結構傷つくんすよ」 「そうですか。すみませんでした」 後輩はなんだか楽しそうだった。私は無性にイライラし、「私」を呼びつけ、どうでもいい指示を飛ばした。何やってんのさ、勝手に人の体で。 すると、後輩が近くに寄ってきて私の頭を撫でた。 「いい子いい子」 な、なに……? まさか、子供みたいに思われてる……? 母をとられまいと嫉妬している子供。そんな風に見えたのかもしれない。涙がでる機能があればボロボロに泣いていたかもしれない。あんまりだ。私が本人本物なのに。 さっさと彼を帰らせたあと、私は不用意に人を家に呼ばないよう「私」に厳命した。 それ以降、後輩が家に来ることはなくなった。……が、日に日に「私」の様子に違和感を抱くようになってきた。帰りが遅かったり、知らないアクセを身に着けていたり、勝手に髪型変わったり……。ひょっとして私意識が消えている昼の間に何か……いや……。 怖くて聞き出せなかった。「私」が私のあずかり知らぬところで誰と何をやっているのか……。 もう世の中みんな「私」を私だと思って接しているのかな。だとしたら……。システム復旧しても、私は私に戻れるんだろうか? ある日、気づくと家の中に後輩がいた。呼ばないでと言ったのに。命令には従うはずなのに……。 「ど、どうしているんですか?」 「ん? 合鍵」 得意げに彼は鍵束を振り回して見せた。えっ……そ、そんな。それって……嘘。 「も、もうやめてください! 出てって!」 「あらら、手厳しいね」 そこにまた見知らぬ女性がやってきた。彼女は私の同僚だった人。どうも、私の家で飲み会か何かやるらしい。 「よっすー。あー、その子?」 「そっすね。どう? 自己紹介、できる?」 最悪。知人にだけは知られたくなかったのに。この惨めな境遇を。巨人はズンズンと世界を揺らしながら迫ってくる。巨大な人間の顔が私を見下ろす。その迫力に私は本能的に白旗を掲げさせられた。かつて人間として対等に接していた相手に、自らの口でこの言葉を言わなければならないなんて……。人間ならば恥辱に顔を真っ赤に染めていたろう。しかし口外しないという契約にサインしてしまっている以上、私はアレを言うしかないのだ。 「私は……人形の……く、ミルク……です……」 ドレスの裾を持ち上げお辞儀する。別にそんなことをする必要はないのだけど……自然とやってしまった。 「ただいま帰りました」 続けて「私」もやってきた。名実ともに人形と化した私は、リビングから離れた机上に座り込み、三人の飲み会をぼうっと眺め続けた。

Comments

Anonymous

本当に可愛い!でもこのような転位は人形に体を奪われたようで、やはり悲しい、そしで恥ずかしい。

Anonymous

めちゃくちゃ面白かったです! 続編とかAIの知能が学習して自我を持っていくのとか見てみたいです!

opq

コメントありがとうございます。気に入っていただけたようで嬉しいです。

opq

感想ありがとうございます。そういうのも面白そうですね。考えてみます。