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仕事が早く終わった日には、自転車を飛ばして病院へ駆けつける。残業や飲みがある日を除いてほぼ毎日……いや、毎日見舞いに行っている。病室の妹は一昨日と大して変わっていないように見えたが、先生の言うところによると、まだ縮小しているらしい。十六歳の妹が人形病に罹ってから二か月近く。百六十以上あった妹の体は、既に百センチを割り込んでしまった。大きなベッドに横たわる小さな桃子の姿は、まるで人形のように見えた。当初はまるで若返っているようにも見えたが、プロポーションはそのままに縮んでいくので、このサイズになると非人間感の方が強かった。妹に励ましの言葉をかけ、軽く世間話などした後、俺は病室を後にした。両親は既におらず、俺が高校卒業後すぐに働き始めることで、兄妹二人生き抜いてきた。こうして見舞いに来るたび、夜に光り輝く病院の看板が俺の瞳に映りこむ。俺の心は苛立った。入院費用で家計は火の車な上、一向に妹の症状も改善しない。医者ってやつらは何もできないくせに高い金額をぼりやがって。ご立派な看板を掲げる金と時間があったら、もっと真面目に仕事しろってんだ。 あくる日、職場でロッカーを開けた時。軽い違和感に襲われた。それが何かはわからなかったが、何かがいつもと違う気がした。一度閉めて確認したが、間違いなく俺のロッカーだ。働きづめで疲れているのだろうと思い、さっさとツナギに袖を通した。再度、より強い違和感を覚えた。服が大きい。上は袖が手のひらまであり、下は俺の足より長い。誰かが間違えたのか、それでロッカー内の配置が少しおかしくなっていたのだろう。違和感の正体はこういうわけに違いない。俺は袖を垂らしながら先輩に訊いた。 「誰か俺のと間違えてますよ」 「ん? ……プフッ、聞いてくるわ」 先輩は萌え袖の俺を見て笑い、顔をほころばせながら部屋から出ていった。……クソっ。昔からこうなんだ。顔立ちが幼い……というか、精悍さが足りないんだよな。中学までは、服装によっては女と間違えられたこともあったっけ。今の職場でもよくからかわれ、ネタにされるんだ。何とかならねーかな。まあでも、今の体力仕事を続けていれば、そのうち貫禄もつくだろう、きっと。 始業時間まで待っても先輩が戻ってこないので、袖を適当に留めて作業場に向かった。ひとしきりからかわれた後、誰も間違ってない、みんな自分のツナギを着てるぞということを知らされた。そんな馬鹿な。先週まではサイズ丁度だったのに、急に合わなくなるなんてことあるかよ。洗濯で伸びたってのか? しかし、実際に俺の目で確認しても、みんな自分のツナギを着ていた。……よくよく考えれば、俺はここの工場で一番小柄、というか一人だけ小さめサイズだったから、間違えるなんてあるわけない。すぐ気づくはずだし、着ればパツンパツンになるはずだ。しかしそんな人は誰もいない……。このブカブカが俺のツナギ? 本当に? 昼休みに一旦脱いで、もう一度確認したが、やはりスモールサイズだった。俺しか着ないサイズ。間違いなく俺のツナギ。しかしおかしい。同じサイズなのに、突然合わなくなるなんてことありえるか? 服が伸びたのか……。一瞬、縮んだ妹の姿が脳裏によぎった。ブカブカの服を布団みたいに被る桃子の姿。ひょっとして、俺が縮んだ……とか……。いや! ないない! それはありえねえ。あの病気に罹るのは女だけだって病院で言ってたし、ネットにもそう書いてある。原因はわからないが、ツナギの方が伸びたのだ。運悪く不良品だったのかもしれないな。なんにせよ、当面はこれで我慢しなくちゃいけないってのが辛いとこだ。 ところが、その日からというもの、俺はこれまで通りに働くのがかなりしんどかった。これまでは大して疲れもせず運べた機材が一筋縄では運べなかったり、バルブが固くて開閉にてこずったり、自身の体力が明らかに落ちていることを認めないわけにはいかなかった。挙句の果てに 「お前、縮んでね?」 などと先輩たちから突っ込まれる始末。先輩たちは俺の身長を測ろうと企てた。俺は抵抗したが、成す術なく先輩たちに捕らえられてしまった。元より体格差はあったけどさ、ここまで一方的なのはおかしいだろ……。やっぱり病気なのか。筋肉量が落ちる病気……であることを願ったが、メジャーで身長を測ってみると、本当に縮んでいた。百六十五センチだった俺の身長は、ピッタリ百六十センチしかなかった。 病院に行くことを勧められたが、俺は断固拒否した。冗談じゃない。ただでさえ金がないっていうのに。大体あいつら、人形病には打つ手ないじゃないか。人形病……なのか!? いや、それはないって。ありえねーって。俺は男だぞ!? なんで女専用の病気に罹るんだよ? 何か……何か、違う病気に決まっている。けど他に身長が下がる病気ってあるのか……? 家の風呂場で全身を確認した。やはり、身長が下がったってだけじゃない。筋肉が落ちている。体力仕事なので、俺は結構締まった体をしている方だったのだが、全体的に細く、弱弱しくなっている。うん、やはり人形病じゃあねーな。筋肉が落ちる病気なんだろう。それでちょっとばかし体格が悪くなって、縮んだ印象を受けるのだ。大体、ずぼらな男衆が大雑把にメジャーで測っただけだから、五センチぐらいは誤差さ、誤差……。 しかし、ちょっと体力が落ちた、では終わらなかった。日に日に体力は落ちていき、一向に底が見えない。仕事は満足にこなせなくなっていくし、日常生活にも支障が出始めた。まさか俺がビンの蓋を開けられないだなんて……。身長の方も、「測定誤差」では周囲は勿論、自分自身もごまかせなくなってきた。二週間前までは手が届いたところに届かない。 それでも、俺は病院に行くのをためらっていた。食後に薬飲んどきゃすぐ治るって病気でないことは流石にわかる。でも俺が入院ってことになったら妹はどうなる。入院費用は誰が払うんだ。俺が仕事できなくなったらみんなお終いなんだぞ。 先輩たちの態度もよそよそしくなり、まるで腫れ物に触るようだった。俺は失意の中、鏡に映る自分を呪った。なんでよりによって今、こんな得体のしれない病気に罹りやがったんだオメー。ふざけんなよ。マジで。あーあ……マジでどうすりゃいいんだ。目に涙が浮かんできたので、俺は顔を下に向けた。くそ、本当に情けねえ。 腕で涙を拭い、顔を上げた瞬間。心臓がドキッとした。鏡に映った俺の顔。瞳を潤わせ、その周りを赤く腫らした弱弱しい横顔が、一瞬女に見えたのだ。 (なっ……) 改めて鏡を見ると、俺の顔が昔と変わっていることに気がついた。いや基本同じなんだが、何かこう、全体的な印象というか、フォルムが……柔らかくなったような……? まあいいやどうでも。落ち込んでるから自分が女々しく思えたんだろう。多分、顔の筋肉も多少衰えていて、それで印象が変わったんだ、きっと。 風呂場でいつものように、タオルで腕をガッと擦ると、ヒリつくような痛みが走った。 「いっ!」 擦ったところを見ると、うっすらと赤くなり、肌が傷ついているのがわかった。嘘だろ。なんで擦ったくらいで……ん? 普段、自分の肌を注視することなんかない。だから今の今まで気がつかなかった。肌が綺麗だ。色白で、きめ細かくって、まるで女の肌みてー……。嫌な予感がして、全身をチェックすると、腕のみならず、全身が繊細な肌になっていた。筋肉が落ちてやせ細ったのと相まり、俺の体はまるで女みたいだった。 (どっ……どうなってんだ一体……!) さっき見た俺の顔。女っぽく見えたのは、目の錯覚じゃなかった。風呂場の鏡に映る俺の顔は、湯気で火照っているのも手伝って、まるきり女顔だった。妹によく似ている。 (うっ……そ……。何で……) こんな病気あるのか? 体が女っぽくなる病気とか……。筋肉が落ちたのもこれが原因なのか? でも身長が縮むのは変だな……。あ~もう。わけがわからねえ。余りにも突拍子無さ過ぎて、まるで現実感がない。実感がわかない。 頭を抱えた俺の視界に、自分の股間が入りこむ。その瞬間、肝が氷点下まで冷え込んだ。俺のチンコと金玉は、「寒さ」では誤魔化せないほどに小さくまとまっていた。幼児みたいに小ぶりなソレは、身長の縮み具合と一致していないのは明らかだ。まるで溶けて消えようとしているかのよう。生えているというよりも、もはやくっついていると表現したほうが適切に思えてしまう。 (……行こう。明日。病院に……) 次の日目が覚めると、妙に股間が寂しかった。手を伸ばすと、そこには昨日までついていたはずのモノがない。人形の股間みたいにスカスカだった。慌てて跳ね起き、ズボンとパンツを下ろしてみると、チンコと金玉が綺麗さっぱり消失していた。追い打ちに、女性器っぽいものが埋め込まれている。俺は茫然自失となって、声も出なかった。あり得ない。チンコが消える……なん……て……。いやマジで何なんだよこれ。嘘だろ。夢じゃねーの。いや何で? これ筋肉落ちたとかじゃなくて……女になった……のか? 俺が? 女に? どうして? そんな病気あるのかよ。ちょ、ええ……。 そ……そうだ。とにかく病院行こう。治る……かもしれねえし……。一縷の望みを抱いて、俺は服を着替えた。しかし、どれもがダブダブで、まともに着られたものじゃない。袖が長すぎて指先さえ見えないし、腰回りもスカスカで、ベルトをかなり強く締めないと……あ、足りねえ。クソっ。足も裾を踏んづけるどころか、出てこないし……。これで外に出るのは流石にはばかられる。でも他に服なんて……。 悪魔が俺に囁いた。妹の服なら……。サイズが合うんじゃないか? ちょうどひと回り下のはずだ。いや、ダメだろ、それは。男が女物着るのはキモイぞ。しかも、断りもなしに妹の服を着るとか相当やべーだろ。しょうがねえ、恥を忍んでこのまま……。 歩き出した瞬間、ズボンの中で足が滑り、俺は転んでしまった。 「いっ」 ペタンと尻餅をついた時、俺の体から聞きなれない声が出た。誰だ今の。俺の声? マジで?  「あ……あー」 その声は高く、妹によく似ていた。声まで女になってる!? マジでヤバいぞ。早く病院に。でも歩くだけでこの様じゃ、自転車に乗れねーな。かといってバスや電車は勿体ない。救急車……いや、パッと見健康体だから揉めそうだな。 散々悩んだ末、俺は一線を越える決心をした。妹の服を取り出したのだ。 (す……すまん、桃子……) 俺の服よりは大分マシだったが、それでもまだ大きい。俺、小さくなりすぎじゃないのか。(発病前の)妹より小さいってことだぞ。何でだよ……。 色々妹の服を漁っていると、ちょうどいいサイズの上下を見つけた。しかしそのデザインが問題だ。キラキラのロゴが入った、パステルカラーの服。桃子が小学生の時に着ていたやつ……。いくら何でもこれはちょっと……。 それらを引き出しの奥に押し戻し、妹の普段着で我慢することに決めた。しかし、こいつらもこいつらで、いかにもな女物ばかり。ユニセックスなやつがない。 (ちくしょー……) 最終的に、一番落ち着いた雰囲気の服を選んだが、女物なのは一目でわかる服だ。これを着て外出……それも病院に行くとは……。もはや女装じゃねーかコレ。最悪だ。マジで。 だが、本番はここからだった。着替えようとした矢先、下着の問題に気がついた。 (ええっと……) 流石に、いくらなんでも、こればっかりは妹のものを借りるわけにはいかない。仕方なく自分のパンツを穿いたが、まるで話にならない。ずり落ちる、ならまだマシだった。引っかかることなくストンと落ちるのだからたまらない。惨めすぎて泣き出したくなってきた。 (しかたねえ……) テープでぐるぐる巻きにして、何とか固定。上から妹の服を着て、ようやく準備が整った。鏡で自分の姿を見てみると、妹に瓜二つだった。完全に女だ。顔も体格も柔和な上、女の服を着てしまっているので余計に。 (これで外に出るのかよ……) 玄関まで来ると、胃がズッシリ重くなった。女装して病院に行くとか、完全に変態じぇねーか、俺。何でこんなことになっちまったんだ……。いや、どれだけ酷いことになっても、やっぱ男物の服で……。 迷っている間に、尿意が高まってきた。そういえば、起きてから行ってなかったな。あれ……でも、チンコ無くなってんだよな、俺。どうやって……どっから出せばいいんだ!? そっちも完全に女になってるなら……いや、もしもそこだけ男のままだったりしたら……? ゾッとするな。 尿意がさらに高まってくると、何となく、感覚で女と同じ仕様になっているのを悟った。一安心。小便を出すところがなくなっていて、排尿できない……なーんてことになっていたら、とんでもなくヤバかった。……でも、女になれてるから安心するなんて……。ちくしょー……。 トイレでズボンを下ろすと、とんでもないミスに気付いた。テープで完全に固定したパンツ。脱ぐの手間取るぞ。俺は必至になって、できるだけ早くテープを剥がそうと奮闘したが、その間尿意はさらに高まっていった。 (や、やべ……我慢、でき……え……) 決壊寸前なのが感覚でわかってしまう。昨日までなら、この程度まだ余裕で耐えられたはずなのっ……にっ……。あっ……あああぁ……ぁ……! 俺の股からあふれ出した液体がパンツを浸し、足を伝って床に流れ落ちた。一度開いた水門を閉じる術はなく、俺はトイレマットに広がるシミを、茫然と見下ろしているほかなかった。 余りにも惨めだった。この年でおもらしとは……。後始末をした後、妹のお古の靴(ピンクの目立つやつで、これがまた恥ずかしい)を履き、妹の自転車に跨り、俺は病院に辿り着いた。待合室で呼ばれるのを待っている間、周囲の視線が突き刺さってくるように感じた。サイズの合わない服を着こんだオカマはさぞやキモイに違いない。俺は終始顔を真っ赤に染めたまま俯いていた。 「安藤さーん。安藤翼さ……あら」 ようやく俺の番が来たか……と思うと、看護師たちに驚かれた。そりゃ性別が違ってたらビックリだろうよ。 事態は思ったよりも深刻だった。そりゃあ、今日明日中に元に戻れるとは思っちゃいなかったが、俺は男で、体が女になったんです……と訴えても、先生は中々信じてくれなかったのだ。どう見ても女だし、調べても女そのもので、性転換手術の痕跡もなければ、半陰陽ナントカでもない、完全な女性だと告げられた。免許とっとけばよかった。保険証に顔写真はない。保険証見せても医者共は半信半疑というか、「役所のミスなんじゃないか」みたいな態度さえ漂わせてきやがる。埒が明かないので、妹を呼ぶことにした。いや実際はこっちから行くんだが。今の情けない姿は絶対に見せたくなかった。不安にさせるからだ。でもこの際仕方がない。 妹は既に縮小が止まり、ほぼ寛解だった。現在の身長は約六十センチ。随分小さくなってしまったな。まるで人形みたいだ。俺を見たらさぞや驚かせてしまうだろうと心配だったが、リアクションは思いのほか小さかった。 「あらら」 桃子はそう言って、ニカッと笑った。 「あはは、かわいくなっちゃってもー」 「あのな……」 話を聞くと、お見舞いの段階で、段々俺が女っぽくなっていることに気がついていたのだという。 「家族だしねえ。わかりますよそりゃ」 「じゃあ何で言わなかったんだよ!」 俺が怒鳴ると、桃子は一瞬ビクッと震えた。いけね、やっちまった。縮んだコイツには、普通の人が巨人に見えているはずだ。それが怒ったら、相当怖いだろう。 「す、すまん」 「……ふぇー」 桃子は少し間を置いてから弁明した。女装か何かに目覚めたのだろうと思って、あえて触れなかった……と。俺は頭を抱え、深くため息をつくことしかできなかった。 妹のおかげで、何とか検査をしてもらえることになった。戸籍は男であること、学生時代の各種資料でも男であることを改めて確認したのだが、医者共はそれでもなお疑いの眼差しを捨てなかった。どれだけ入念な検査を受けても、俺は生まれつきの女だと診断された。変化の痕跡すらないと。 「そんな馬鹿なことが……」 「うーん、でもねえ……」 工場の先輩方がまた話をややこしくした。俺が女なのを隠して勤務していたんじゃないか、と言い出したのだ。んなアホな……と思ったが、勤め始めてからずっと、生来の女顔をからかわれていたこと、そして連中に自分のチンコを見せたことなどないことに思い至る。その前提で、デカい看板を掲げた病院の先生から「体は女なんですよ」と言われちゃあ、辻褄が合うように記憶を書き換えてしまうのもやむなしな気がした。こっちとしては憤懣遣る方ないが。 通院を続けると、残酷すぎる事実が判明した。俺は人形病だというのだ。身長が縮んでいたのは女になりつつあったからだと解釈して一安心していた俺には青天の霹靂だった。 「お、おかしいじゃないですか! アレって女しか罹らないって! 俺は男ですよ!?」 「ええ、その通りです。人形病は女性しか発症例がありません。やはり安藤さんは女性だった、ということでしょう」 「は!? ……は!?」 「元が百六十五ということになりますと、既にかなり進行していますので、入院を……」 「ふっ……ざけんなよ!」 俺は激昂して椅子から立ち上がった。しかし、目線が医者の野郎に届かない。俺は既に小学生並みの身長になっていたのだ。周りの誰もが俺の怒りに何一つ動じることなく、粛々と手配を始めた。完全に舐められ切っている。腸が煮えくり返る思いだが、こいつらがビビらないわけが理解できてしまうため、これ以上凄めなかった。百四十センチぐらいの「女の子」がいくら怒鳴ってみせたところで、迫力など生まれるはずもない……。 唯一の救いは、入れ替わる形で妹が退院したこと。しかし俺の入院費がとられ続けるため、出ていくお金は変わっていない。いや悪化している。俺の収入が断たれたことによって。六十センチになってしまった妹が働けるものか。それ以前に、俺抜きで暮らしていけるだろうか……。 「大丈夫だってば」 俺が入院した翌日。妹は見知らぬ友人に抱きかかえられながらそう言った。何でも、彼女は「コスプレ仲間」らしい。妹がオタク趣味なのは知っていたが、そんなことしてたのか……。はぁ。その友人が住み込みで妹を雇ってくれるということだが、どうにも心配だ。 「大丈夫なんですか。その……大きさで」 「任せてくださいって。ね?」「ねー」 一事が万事、こんな調子で、仕事内容は教えてくれなかった。胃が痛い……。 「お姉ちゃんは私がちゃんと面倒みますから!」 「へ!?」 桃子は舌を出してウィンクした。あいつ……まさか、俺を「妹」だって言ってんのか!? 「ちょちょ、ちょっと。俺が兄ですよ」 「はいはいっ」 彼女はまるで親戚の子供でもあやすかのように、俺の頭を撫でた。ば……馬鹿にすんなっ! 俺が払いのけると、 「人形病はね、女の子しかならないんだよー」 と、小さい子に諭すような調子で告げられた。 「いやっ、だから、突然女になっちゃったんですよ、理由はわからないんですけど、男だったのが」 「うふふ。はいはい、わかりました、わかりました」 絶対にわかっていない。彼女は妹をぬいぐるみみたいに抱きかかえたまま、病室を出ていった。 「お大事にー」 取り残された俺は、ムシャクシャを抑えきれず、ベッドの上で暴れた。しかしだからといって人形病も治らないし、男に戻ったりもしない。 後日、妹がラインで言い訳を送ってきた。話をややこしくしないために、妹として紹介した、合わせてね! 男だったなんて言っても信じてもらえっこないし、女の子ってことにした方が面倒みてもらいやすいから……というふざけた内容。そっちの方がややこしくなんだろーが! ざけんな! 入院生活は、そりゃもう悲惨の一言だった。やはり人形病は「女性だけの病気」というイメージが強いのか、医者に看護師、他の入院患者まで全員が俺を女扱い、いや女の子扱いしてきた。よくすれ違うお婆さんは顔を見る度「お菓子いる?」と聞いてくるし、俺とそう年が違わないはずの野郎も、「偉いねえ」「大変だねえ」と上から目線で慰みの言葉をかけてくる。反論する気にもなれなかった。鏡や写真で自分の姿を写す度、自分が男だという自信が揺らぐ。そこに映っているのは、どう贔屓目に見ても小学校高学年の女子でしかないからだ。黒い髪も肩まで伸び、声もすっかり高くなり、顔つきも体格も幼くなってしまった。妹を頻繁に見舞っていたので、これがおかしいと俺にはわかる。人形病はプロポーションそのままで小さくなる病気のはずだ。決して若返るわけじゃない。だが、今の俺は明らかに若返っている。日が経つにつれ幼くなっている。回診の度に訴えたのだが、縮小の具合で体格が変化するのはままあることだよ、と流されてしまう。こいつら俺をハメてるんじゃないのか、と何度も思ったが、実際は俺個人の信用がないせいだろう。執拗に「俺は男だ」と主張してきたことがマイナスに働いているらしい。「妄想を抱えた子だから……」とでも言いたげな、ハナから聞き流すような態度。本当なんだよ、信じてくれよ……。俺は男だったんだ……。 やっぱり医者なんて、デカい看板掲げるだけの無能ばかりだ。 世間と隔絶された空間で、毎日周囲から「女の子」として扱われていると、俺の精神まで影響を受けずにはいられなかった。本当に俺は男だったんだろうか、もしかして先生たちが正しくて、妄想で記憶を書き換えた、桃子の妹なんじゃ……。いやっ、違う! あり得ない! 俺の記憶は本物だ! 記録も残ってる! 俺は桃子の兄で、成人男性なんだ! とにかく、一日でも早くここを抜け出したかった。体が日に日に縮んでいくのは想像以上に恐ろしいし、このままじゃ男として自意識が保てなくなってしまう。 妹が六十センチまで縮んだので、なんとなく俺もそうなるのかと思っていたが、最終的に四十センチまで縮んでしまった。涙が出そうだ。女になったことで、ただでさえ体力は落ち、書類上もややこしい立場にたたされたってのに、こんな小人になっちまって……。仕事なんて見つかるのか。いや日常生活も厳しいぞ。妹と二人そろってこれじゃ、どうやって暮らしてけばいいんだ。 退院の日に、妹が友人と迎えに来てくれることになったので、俺は広いシーツの海に転がり、二人が来るのを待っていた。当分は桃子の友人がまとめて面倒みてくれるそうだが……。大体桃子も桃子だ。俺は足しげく見舞いに通ってやったってのに、あいつときたら最初の一回こっきりだもんな。薄情な。……でも六十センチじゃ外出は難しいだろうから、恨みようがない。俺自身、四十センチになったんだから、その苦労はよくわかる。 「お待たせー」「退院おめでとー」 懐かしい声が耳に入ったとたん、ふと涙がこぼれそうになった。ダメだ泣くな。男だろ。 ぐっとこらえて起き上がると、センチメンタルな感情は一瞬でふっとんでしまった。桃子の姿があまりにも変わ……桃子……なのか? アレは……!? 友人に抱きかかえられた桃子は、腰まで伸びる鮮やかなピンク色の髪を従え、まるでフィギュアのような曇りなき肌色一色の皮膚に覆われていた。その服、いや衣装はまるで幼い女児向けアニメの主人公のようだ。白とピンクのツートンカラーで彩られ、胸元と腰に大きなリボンがくっついている。 「な……なんだおいその格好! ていうか、肌……なんかおかしいぞ!」 俺は開口一番、桃子の素っ頓狂な姿に突っ込んだ。そんな格好でここまで来たのか? あー、コスプレやってんだっけ……? それにしても、いい年してなんて格好してんだよお前……。来年二十になるってのにぃ……。大体神原さんも神原さんだ。友達なら止めてやれよ、そんな格好で外だすなんて……。 彼女は妹をベッドに降ろし、自慢げに 「どうどう? お姉ちゃん可愛いでしょ?」 と感想を訊いてきた。俺は呆れて言葉もない。ていうか俺が兄だっての。 聞けば、妹は神原さんのお店でバイトしているのだとか……。毎日こんな風にコスプレしては、お店でお客の案内をしたり、宣伝したりしているらしい。……体よく見世物にされてんじゃねーか。とはいえ冷静になって観察してみると、桃子の姿は中々のものだった。まるでアニメの世界からそのまま抜け出てきたみたいだ。いや、フィギュアが生きて動いてる、って感じだ……。腰まで垂れるピンクのポニーテールは、ウィッグではなく地毛らしい。マジかよ。質感はフィギュアそのものだから、被り物かと思ったが。細い髪の毛の集合体ではなく、一つの大きなパーツみたいに見える。フィギュアの髪の毛部分そっくり。だが触らしてもらうと普通に髪の毛していて、サラサラ分かれた。視覚と触感が一致しないので、脳がバグってしまう。 妹の肌も、まるでフィギュアのようだった。毛穴や血管、皴もない、ツルッツルの肌。顔から足先まで、全てが等しく均質に同じ色。どんなメイクをしたんだ。これを毎日だなんて、面倒じゃないのか? そして服。やはり女児向けアニメのコスプレらしいが、材質はどう見ても布じゃない。光沢と硬質感があり、これもやはりフィギュアの服とよく似ている。とにかく、妹は全身その調子で、生けるフィギュアと化していた。目の前で喋り、動いているのが不思議に思えるぐらいに。 これらは全て、フィギュアクリームというもののおかげらしい。初めて聞く名前だ。本来はフィギュアの修復や汚れの防止に使うらしい。おいおい平気なのかよ、そんなもん人間に塗って……。それも、こんな全身コッテリと。 「大丈夫だよ、私もう一か月落としてないけど問題ないし」 「はぁ!? 一か月!? お前なあ、風呂ぐらい……」 「ふっふーん。じゃあ、ちょっと匂い嗅いでみて」 「いやだっつの」 「ほらほら~」 女になった上幼児化した今の俺は、体格では敵わない。顔面を妹の胸にグイと押し付けられてしまった。放せって、この……。あれ。特に匂わないな? 神原さん曰く、このクリームは汚れを全部分解してくれるらしい。ホントかよ……。続けざまに桃子は、もう一か月トイレに行っていないと、衝撃的な告白までかましてきた。うっそだろお前……。股間にも大量に塗ることで、小人の排泄物なら分解が間に合うのだとか。ゾッとするな、おい。風呂に入らずトイレにもいかず、ずっとそんなテカテカな皮膚のままでいたのか。それじゃあ文字通り生きたフィギュアじゃねーかよ。まったく……。 神原さんの店に着くと、俺はドン引きしてしまった。これからお世話になるのだから、堪えようと思っていたが、思っていたよりキツかった。オタク向けのグッズが所狭しと並んだ異様な空間が形成されている。 「じゃあ、ここで待っててね~」 彼女は俺と桃子を大きな台の上に乗せ、車に戻っていった。フィギュアコーナーの手前に設置された大きな台は、一メートルぐらいはある。今の俺からすればかなりの高さだ。一応柵で囲ってあるが、足がすくんでしまう。後ろには大きな箱が鎮座している。中央に扉があり、それ以外はアクセサリーやディスプレイが飾り付けられているだけだ。 「ここが私たちのお家だよ」 「えっ!?」 桃子が扉の中に入っていくと、そこには狭い部屋があった。床は布が敷かれ、さらにその上に布団を敷いている。今の俺たちにピッタリなサイズ。これには驚かされた。天井には簡素だが照明もついている。壁には引き出しも。妹曰く、衣装タンスらしい。ただ寝るだけのスペースしかないが、わざわざここまで用意してくれるとは。……店のど真ん中って点が気にかかるが。動物園のパンダじゃねーんだから、店じゃなくて家の方……ってもスペースないか。六十センチと四十センチだもんな。いっそのこともっと縮んでいたら融通効いたんだろうか。いやいやできるだけ縮まない方がマシに決まってんだろ! 外に出ると、店の入り口からカウンターまで、お客が必ず通るところからは、この台が丸見えであることに気づき、大体事情を理解した。中で着替えて、ここで接客・見世物になれってことか……。ん? ちょい待ち、俺もやるのか!? 予感は的中。荷物を運び終えた神原さんが、「すぐ準備するねー」といって奥へ消えたのだ。桃子に訊くと、 「お兄ちゃんにもフィギュアクリーム塗って、ここで働いてもらうことになってるの」 「そっ……そんなの聞いてねえぞ!」 「だーいじょうぶ。お兄ちゃんはここで可愛らしく座ってればいいから。あーいうのわかんないでしょ」 桃子は、ビッシリと並ぶオタクグッズを指して言った。その通り、俺にはまったくわからん。客に何か訊かれても答えられない。 「面倒みてもらうんだから、それぐらいは働かなくっちゃ」 「うっ……」 それは、そうかもしれないが……。でも面倒みるって、ただここに閉じ込めておくだけじゃないか。 「平気平気。お兄ちゃん可愛いから、きっと人気でるよ~」 「ふざけんな。俺は男なんだぞ。なにが人気……」 「お待たせ~」 神原さんが戻ってきて、右手で俺を、左手で桃子を掴み、ヒョイッと持ち上げた。女にこうも簡単に持ち上げられるとは……。本当、小さい存在になっちまったんだな、俺……。いや、それどころじゃないぞ。 「あの、俺、クリームとかいらないです。このままで……」 「でも、トイレとかどうするの? あそこお風呂もトイレもないよ?」 「えっ……」 言われて初めて気がついた。まだそこまで考えが及んでなかった。店のトイレを使わせてもらえば……と言おうとして、それを飲み込んだ。四十センチの俺では、助けを借りずに普通のトイレを使うのは無理だ。病院では幼児用のおまるにして、看護師さんに処理してもらっていたっけ。しかし、流石にそんなこと頼めないよなあ。直接の友人でもない男の下の世話なんて……。風呂も同じだ。そして、この時になってようやく、なぜ桃子が俺を妹ということにしたのか察した。男の小人の世話、って話になると抵抗があるからだ……。 そうこうしているうちにスタッフルームに運ばれ、水槽の横に置かれた。中には粘性のある肌色の液体が詰まっている。まるで人を溶かしたかのようで不気味だった。 「それじゃあ、服脱いで脱いで」 「えぇっ!?」 「お姉さんが脱がしてあげよっか~?」 神原さんが意地悪く笑った。本当に俺を女……それも小さい子だと思っているのだろう。 「い、いえ大丈夫ですっ」 あ、やべ。完全にクリーム塗るの同意した形になっちまった。 「ほら早くー」 もうどうしようもなかった。逃げるわけにもいかねーし、断固拒否してもトイレの問題がある。渋々ながらも俺は服を脱いだ。着せ替え人形用のゴワゴワした服で、着心地は最悪な代物。桃子が着てる固そうなコスプレ衣装はどうなんだろう。……ていうか硬いはずなのに、体に合わせてピッタリ伸縮してるんだな、アレ。どういう仕組みなんだ? 一糸まとわぬ姿になった俺は、改めて屈辱的な体験をすることになった。女児そのものの体。うう……こんな情けない体を妹や女の人の前に曝け出さなければならんとは……。というか女の人の前で全裸ってのも、相当の変態だな……。男だってバレたらえらいことになりそうだ。いや、この裸体を見せたら、もう男だなんてぜってーに信じてもらえないだろうな……。 押し黙っていると同意したと看做されたのか、巨大な手が俺を掴み、水槽の中に浸けた。一秒ほどの出来事で、俺はまったく反応できず、成す術なくクリーム色の液体の中に沈んだ。当然息はできない。俺は抵抗したが、両手でしっかりと水槽の底に押さえつけられていて、どうにもならなかった。 (んうっ……息が……) 限界ギリギリのところで引き上げられ、俺はアホな溺死をせずにすんだ。全身べちゃべちゃだ。きっもちわる……。 「殺す気ですかっ!」 「あはは、ごめんごめん」 何笑ってんだよ……。四十センチの小人が相手だと、ペット感覚にでもなるのか? 「ほらおにい……翼ちゃん、鏡鏡」 桃子が大きな鏡の横に立って手招きしている。神原さんがちょっと怖く思えていたので、俺はそそくさと妹の方に避難した。すると即座に妹に両肩を掴まれ、強引に鏡の前に立たされた。そこには、妹のように生けるフィギュアと化した自分の姿が映し出されていた。 「えっ……えっ!?」 一回浸けただけなのに、こんな……完全に塗れるもんなのか……嘘だろ!? 自分の手足を凝視すると、樹脂製のフィギュアみたいに一点の汚れもない、綺麗な単色の肌になっていた。ドロドロのクリームだったはずなのに、俺の体のラインに沿って過不足なく綺麗に染まっている。べちゃっと盛り上がっていたり、垂れていたりする箇所がない。 「驚いた~? 形状を検出して、綺麗にコーティングしてくれるんだよー」 そんな機能が……って、大丈夫なのかよ、そんなもん人体にドップリつけてよ……。顔もややデフォルメの利いた感じで、アニメキャラみたいだった。妹をひと回り幼くした感じ。俺の方が年上なのに……。そして平らだった俺の胸が、少し膨らんでいた。ん、あれ……? 乳首がないぞ。 「お、おい、大変だ、これ……」 妹は俺の胸をわしづかみ、笑いながら言った。フィギュアには乳首がないから、そこは検出してくれないのだとか……。「謎の突起」を覆い隠しつつ、自然に見せるために胸がひと回り盛られるらしい。桃子は体験談として語った。なんだそれ。本当に大丈夫なのか。健康に影響は……。 妹が俺の股間に手を伸ばし、パンパン叩いた。 「うっし、問題なさそーだね」 「お、おいっ」 股間には何もなくなっていた。人形みたいにツルツルで滑らかだ。突起も穴もない。最初からどちらも存在していなかったのようだ。俺は言い知れぬ喪失感に襲われ、目が滲んだ。 「乾いたら髪だね~。何色がいいかな~ぁ」 神原さんがウキウキと呟いた。えっ、まだあんのか? そういえば、俺の髪も変わってる。妹みたいに、フィギュアっぽい一塊の「髪を再現したパーツ」みたくなってる。だが手を突っ込むと普通の髪のように分かれた。 「姉妹だしー、やっぱ同じ色で」 ん、んん? ちょっと待て、まさかピンク色にするのか? 冗談じゃねえよ、それだけは勘弁してくれ。二度と人前に出られないだろうが! 必死に拒絶すると、 「うーん、確かに。同じ色じゃつまんないかもね」 となり、なんとかピンクは回避できた。……理由が曲解されたのが気にかかるが。というか、俺の言うことを聞く気がゼロなんじゃねーか、この女は。 「じゃあ、これなら現実でもある色だからいいよね」 「いや、だから染める必要は……」 神原はフィギュアクリームの瓶とよく似たものを持ってきて、蓋を開けた。そして指先を突っ込み、黄色のドロドロしたクリームを取り出した。俺は逃げようとしたが、桃子に捕まり動けなかった。すぐ黄色のクリームが俺の髪にベッチョリと乗せられた。 「おいっ!」 まるで頭上にウンコでものっけられたかのようで、悍ましいことこの上ない。しばらくすると、黄色いクリームがウネウネと脈打ち、次第に平べったく広がっていった。俺の髪を包み込んでいく。鏡があるせいで、その動きがハッキリわかってしまう。まるでスライムに頭から食べられようとしているみたいで、鳥肌が立つ。クリームは俺の髪全体を飲み込み、その中に溶け込んでいった。くすんだ黄色は次第に明るくなり、艶が出、輝き始めた。わずか五分ほどのうちに、俺の髪は見事な金髪ロングに変貌。もう男どころか、生きた人間にさえ見えず、アニメキャラのようだった。 「なな、なんだよこれ! 戻せ! 戻せって!」 俺は髪の毛をグイグイ引っ張りながら叫んだ。ピンクほどじゃないにしろ、五十歩百歩だ。こんなで外に出られるかっての! だが女性陣は俺の訴えをガン無視し、かわいいー! と叫びながら頭をなでたり、抱きしめたりで、まったく話にならない。俺を玩具か何かだと思ってやがる。本当はこの場じゃ俺が最年長だってのに、この子供扱い、ペット扱い……。うんざりだ。早く他に面倒みてくれる人を探そう。……いや、でもこの格好じゃ恥ずかしくって、昔の友人に連絡なんか……。 「じゃー、最後に服決めよっか!」 「えっ……」 ま、まだあんのか!? アニメや漫画に明るくない俺には、特定のキャラクターのコスプレをしてロールプレイさせるのは難しいだろう……という妹のありがたい計らいにより、俺はピンクと白のロリータドレスを着せられた。俺には幼稚園ぐらいの女の子向けとしか思えないよーなフリッフリの服で、顔から火が出そうだった。死ぬほど屈辱的だが、幼い体型、鮮やかな金髪とよく調和し、かなり……その……可愛いのは認めざるを得なかった。でででも、それはあくまで客観的に評価してのことで、これでいいだなんて露ほども思っちゃいないがな! 店の大きな台に妹と並んで並べられ、まるっきり見世物、いや展示品だった。桃子は相変わらず魔法少女のコスプレだ。ったく……。 「じゃあ、午後から店開けるからねー」 「え、えぇ!? おいよせよ」 俺は後ろの寝室に逃げ込もうとしたが、妹に阻まれた。そうこうしているうちに開店し、客が入ってきてしまった。店の入り口から丸見えなので、すぐ俺と妹は見つかった。 「お? おぉ~、新顔ですな~ぁ」 眼鏡をかけた小太りの中年男性は、いかにもなヤツで身震いするほどきもかった。俺からみれば巨人な分、余計に。肌がきたねえ。風呂入ってんのか……? 「あはっ、そうなんです~」 一瞬、誰の声だかわからなかったが、桃子の声だとわかり仰天。媚び媚びの高いアニメ声を作っている。お前……よくそんな声出せるな。俺にはぜってえ無理だ。 「この子、あたしの妹でぇ~」 んなっ……。くそ、やっぱり妹扱いかよ……。しかし訂正する気にもなれない。こんな服着てるままじゃ、女装カマ野郎ってことになるだけだ……。 「むふっ、よろしく~ぅ」 顔を近づけて俺に挨拶してきたオタクはあまりにも恐ろしかった。やめろっ、こっち来るなよ……! 「ほら、ご挨拶しなきゃだめでしょ~?」 妹はノリノリで俺をせっついた。ふ、ふざけんなよ、何で俺がこんな奴に媚びなきゃいけねーんだ。第一、幼児扱いをするな! すぐに二人目が来店した。続けて数人入ってくる。全員が俺に食いついた。 「きゃー! 可愛い~!」「あーん、欲しいなー」「でゅふふ、これはまた……」 誰もが俺を男だとわからない。それが悔しくって、情けなかった。同時に、甘々なロリータ衣装を着ている自分があまりにも恥ずかしすぎて、俺は今すぐにもこの場から消え去りたくてしょうがない。俺は「あぅ……」と小さくうめくだけで、まともに返事できなかった。いや……無理! 無理だって! 女装して接客とか! 死んでもゴメンだってーの! 「きゃは~、可愛い~」「照れてる~」 だが、なぜか俺は人気だった。な、なんでだよぉ……。終始無言なのに……。そのうち誰かが手を伸ばしてきて、俺は本能的な恐怖を感じた。見知らぬ巨大な手が迫ってくる。思わず妹の後ろに隠れてしまった。 (あっ……やべ) な、何してんだ俺は! 妹の背中に隠れるなんて……。兄の威厳が……あぅ……。 「お触り禁止ですよー」 妹がおどけた口調で注意すると、巨大な手は引っ込んだ。俺は安堵した。俺より二十センチも大きい妹の背中は、なんだかとても頼もしく感じる。……っていやいやいや! ダメだろこんなことじゃ! 兄貴として! 情けなさ過ぎ……る……。 客がさらに増え、まるで動物園だった。俺は恥ずかしくて、情けなくて、顔を真っ赤にして妹の大きな背中に張り付いたまま、前に出られなかった。 「大人しい子なんだねー」「やーん、かーわーいーいー!」「引っ込み思案?」「でゅふふ……」 結局その日ずっと、俺は顔を赤くしたまま、ずっと俯いているだけだった。……妹の後ろに隠れて。 兄貴としての威厳を完全になくしてしまった俺は、閉店後妹に散々いじられ、からかわれた。 「ぷくくっ、翼ちゃん、”引っ込み思案な恥ずかしがり屋さん”だって」 ネットで新しい看板娘が話題になったらしく、俺の画像や感想がアップされていた。どうやら俺は「人見知りで引っ込み思案なロリータ少女」というキャラになってしまったらしい。そ、そんな……。 「も、もういやだ! 明日からは後ろに引っ込むからな!」 「ダメダメ! 明日から翼ちゃん目当てのお客さんいっぱい来るんだから! ほら! 男ならしっかりする!」 こんな時だけ男扱いしやがって……都合のいいやつ。 翌日もロリータ衣装を着つけられた。アホみたいに長い、柄物の靴下や、大きなリボンカチューシャなども付け足され、ますます少女趣味な出で立ちに。俺は昨日と同様、いたたまれなくってまともに応対できなかった。それでますます「人見知りキャラ」が加速した。 翌々日、妹に言われた。いい加減に後ろにくっついているのはやめてほしい……と。妹からそんなことを言われる羽目になるなんて。情けないという言葉では言い表せない惨めさ。あぁ……。 「でも……私の言うこと一つだけ聞いてくれたら、後ろ隠れててもいいよ」 「な……何だよ……」 あ、またやっちまった。これじゃ事実上、妹に向かって「後ろにくっつかせて」とお願いしたのと同じじゃねーか。俺は茹でタコみたいに耳先まで真っ赤になった。 「そ・れ・は~。私のことを『お姉ちゃん』と呼ぶこと!」 「調子にのるな!」 俺は怒ってその提案を却下した。お……俺だって男だ、やってやる……。黙ってウロウロしてればいいんだろ、簡単なことじゃねーか……。 だが、遮蔽物なしで巨人たちの視線を一身に集めると、本能的な恐怖と、男としての羞恥とで脚がガクガクになってしまった。嫌だ。やっぱ無理。誰か……。後ろで妹がニヤニヤしながらこっちを見ている。くそっ。 「ふへへ……つ、翼ちゃん、小さいのに大変だったね~え。何歳なのぉ~?」 一際キモイ顔のオタクが、ねっちょりとした喋り方で迫ってきた。身を乗りだし、顔を近づけてくる。全身に悪寒が走り、俺は後ずさりした。い、いや、お触り禁止って言えばいいだけだ、簡単だろ、言ってやる、ほら 「あ……の……」 口を開くと、臭い空気が口の中に入ってきた。オエェー! なんだコイツ! 歯洗ってないのかよ!? 耐えきれず、俺は妹の方へ走った。だが、 「こら。接客接客」 「え、で、でもあいつ」 妹は俺の口をつまんで静止した。ジェスチャーで「客の悪口はダメ」と俺に伝えた。いやでも無理、あいつだけは無理! 生理的に無理! 「しょうがないなぁ~。助けてあげる。で・も、その代わりに……」 「ぅ……」 妹はぶん殴りたくなるほどにニヤニヤと俺を見下ろしている。くそ……くそぉ……。それだけは言うまいと……。しかし後ろを振り返ると、俺のプライドはあっさり折れた。あいつの応対よりはマシだ……。 「お、おねえ……ちゃん……」 破顔した妹は俺を勢いよく抱きしめた。 「きゃー!」 「ちょ、おい、やめ……」 「でもー、それだけじゃダメかなぁー」 「は、はぁ!? 人がプライドを捨てて……」 「メッ! 人にお願いするときは、ちゃんと『助けてください』って言わないと!」 「……」 振り返ると、オタクはまだ頑張っている。……どころか、俺と妹の抱擁をハイテンションで撮りまくっていた。俺は顔を熟れたリンゴみたいにしながら、か細い声で囁いた。 「……た、たすけて、お姉ちゃん……」 「はいっ! お姉ちゃんにまかせなさい!」 ようやく妹は俺の抱擁を解き、オタクと俺の間に立ち塞がってくれた。俺は余りにもみっともなくって、ずっと妹の腰にある巨大リボンに顔を埋めていた。問題のオタクは無事おっぱらってくれたらしい。顔を上げると、ちょうど妹の顔が照明を反射して輝いて見えた。 (かっこい……) ……はっ!? 何考えてんだ俺。いい加減にしろよ、しっかりしろ! このままじゃ一生舐められっぱだぞ! あのオタク以外なら俺だって……と思ったのも束の間、女子高生の集団がよってくると、俺の決意は急速に萎んで消えた。マシンガンのように繰り出される、俺への「可愛い」「うちに欲しい」等の褒め殺しワードは、俺を再び妹の背中に追いやるに十分すぎた。 そんな生活を続けていると、次第に体に異変が起こった。閉店時は素で妹と接することができていたはずなのに、それがうまくできなくなってきたのだ。普通に話しかけたつもりでも、 「あ……ぁの……」 と小声で、モジモジしながら上目遣いで話しかけてしまう。体が自然にそう動いてしまうのだ。 「ん~? なーに、翼ちゃん?」 俺がそんなだから、お兄ちゃんとは呼んでくれない。くそ、どうなってんだ……。妹に相談すると、それは多分、フィギュアクリームの「学習機能」によるものだろう、と言われた。 「ふぇっ!? な、なに、それ……?」 何が「ふぇ」だよ俺。でも勝手にそうなってしまう。忌々しい。 フィギュアクリームには、何度も繰り返した動作を覚える機能がある。それで日中の「人見知りキャラ」を学習しちゃったんじゃない? というのが妹の説。……おい、それじゃあ、俺はこれからずっと、引っ込み思案な妹ロールプレイを強要され続けるってことなのか!? 素の俺は!? どうなるんだよ!? 「や、やだぁ……止めてよぉ……」 俺は久々に怒鳴った……つもりだったのに、喉から出てきた声はこの有様だった。な、なんで俺の体を、クリームなんかに操られなくっちゃいけないんだ。本当にふざけるなよ。 「えー? いいじゃない、可愛いし」 妹はニヤニヤして俺の頭をなでるばかりで、対策を講じる気はないらしい。くそ、じゃあ自分で……と思ったが、身長の二倍以上ある台から飛び降りる勇気は出ない。足がすくむ。縮んでいる俺たちは、普通より治療が難しい。簡単な骨折でも面倒なことになる。 こうなったら、キャラを変えるしかない。クリームなんかに負けるものか。俺の体は俺のもんだ。 だが、クリームの強制力は俺の想像を超えていた。俺は妹以上に活発に動こう、大声を出そうとしているにも関わらず、体が言うことを聞いてくれない。「ふぇ……」とか「はぅ……」を繰り返すだけだ。手足もあまり動いてくれず、俺は終始お淑やかにしていることしかできなかった。スカートの裾を軽く掴むのが精一杯だなんて……。なんてこった。いつの間にこんなことに……。 「お、お姉ちゃん……」 俺は絶望のあまり妹に助けを求めた。同時に、いつの間にか「お姉ちゃん」呼びを強制されていることに気づき、ますます焦る。このままじゃ、本当に、完全に「妹」にされてしまう! 「もー、しょうがないなー、ほら」 妹が手招きすると、俺はそっとその後ろに隠れた。ダメだ、前に出られない。勇気が出ないとか恥ずかしいじゃなく、もうそれ以外の行動がとれない。足が……足が動かない。 (おい、動け、動けって……! これじゃますます……!) 学習機能が威力を増すほどに、学習が強まっていく悪循環。もっと早く気付くべきだった。というかどうして教えてくれなかったんだよぉ……。 「ねえお姉ちゃん。どーして教えてくれなかったのー?」 まるで幼児みたいな語尾伸ばしに、あざとく首を横に傾ける動作……。それを妹に向けてやらされるのだからたまったものじゃない。 「えー、そんな問題になるようなものだと思わなかったし……。ま、いいじゃん、可愛いし」 「やだぁー。翼、もっとカッコいいのがいーいー」 一人称が自分の名前とか、マジでキツイ、やめてくれ、お願いだ……。でもこの喋りしかできない。というか、一か月も俺よりクリーム塗ってた妹は何も学習してないのか? 「私は特にかなー。毎日コスチェンしてるからかも」 妹は毎日違うキャラのロールプレイをしている。だから学習機能があまり働かなかったのか……。じゃあ俺は妹と一緒にコスプレごっこするのが正解だったっていうのか!? 「仕事」中はおろか、プライベートでも完全に「人見知りロリータ妹」としてしか振舞えなくなって半月。俺はもうすっかり幼いぶりっ子口調でしか話せなくなってしまったし、妹も俺を「翼ちゃん」としか呼ばなくなった。俺は正真正銘の「妹」になってしまった。俺が兄だったなんて、ましてや成人男性だったなんて、この世界で誰が信じるだろうか。 中でも屈辱なのが、服までも学習したこと。俺は自分で着替える限り、ロリータファッションしか着られなくなってしまったのだ。ほかの服を着ようとしても、体が勝手にロリータを選んでしまう。ほかの服を着る方法はたった一つしかないのだ。 「お姉ちゃん。……お、お洋服……着せて……」 「もう~。しょうがないなぁ、翼ちゃんは。早くお着替えできるようになるといいね~」

Comments

sengen

女性化、縮小化、若返りの3つが同時に起こるという贅沢な変化を堪能できました。 初めの容姿が小柄で女っぽいということであまり大きなギャップではなかったですが、立て続けに発覚していく変化に焦燥する様子が楽しかったです。 話を聞かない人ばかりなのか人望のない性格からか、最初から最後まで誰もまともに取り合って貰えない惨めさがどんどん強烈になっていきましたね。 扶養してきた妹よりも小さく幼く可愛くなってしまうのも良いですし、元兄を妹が庇ってあげている光景も良かったです。 こういう立場の逆転する話は定番かもしれませんがやっぱり好きです。

sengen

あと投稿内容の修正が可能かわかりませんが、読み返していたら誤植を見つけましたので一応報告致します。 「ツナギの方が縮んだのだ。」 「証明を反射して輝いて見えた。」

opq

感想ありがとうございます。誤字も修正しました。

sengen

勘違いならすみません。 服が大きいのであればツナギが縮むと感じるのは変かなと思ったのですが。